第11話 三国鼎立

 翌年の豊穣祭。ホノギがハナサクをめとる盛大な婚儀が催された。祝福と喝采を浴びながら含羞はにかむ彼の表情に、眷属けんぞくの者は(これは珍事)と目を見張ったそうだ。

 念願の婚姻関係を結んだ後、実力者として腕を奮う野心が頭をもたげるのは自然の流れだ。自分なりの考えがまとまれば、「御義母おかあさん」と呼び止める。長い同居生活の間に、両者は何のてらいも無く接するようになっていた。

 オオヤツ妃にとっても、娘婿は頼り甲斐のある参謀役であった。いや、実質的な執政者と言っても過言ではない。北部九州の混乱を予見するホノギは、黒木郷の立ち位置を微修正すべきだ、と提案する。

「今年は残米のこりごめの持込先を考え直したいのです」

 目下、邪馬台城の他に預米先は無い。娘婿の真意を測れず、眉根を寄せる義母。

一つ所ひとつどころに頼るのは危ういと思いませんか?」

 政情不安が激しさを増せば、米俵を引き出せぬ事態だって考えられる。そうなれば、台風に襲われ水に浸かった稲が全滅する災厄にも等しい致命的な損害だ。遠く離れた南国の地とて、高みの見物を決め込むのは禁物であった。

「そんなに邪馬台の具合が悪いのですか?」

「分かりません」

 貯米事業ビジネスは現代の金融業に相当する。銅貨が引換証の機能を失えば、即座に取り付け騒ぎが生じるだろう。それは恐慌、経済破綻である。滅多に生じない事象だからこそ、一般人は杞憂だと思考停止する。とは言え、改めて指摘されると、空恐ろしさに鳥肌が立つ。

「そんなに邪馬台の具合が悪いのですか?」

「分かりません。でも、一つの預け先に頼り過ぎるのは危険です」

「御前がそう言うのなら構わないが、来年の梅雨時には残米のこりごめが芽吹きますよ」

「大丈夫。刈り取るや否や、香春かわらに貸し付けます」

「香春?」

「そうです。城とのあきないが途絶えた今が恩の売り時と言えるでしょう」

 幾ら鉱石を採掘しようが、米穀と交換できなければ、空腹を満たせない。にわか漁師として海や河に潜っても漁獲量は知れている。風の便りでは、貯えも底を尽き、絶望的な食糧難に陥っているそうだ。

「分け与えるのですか?。少し勿体無い気がしますが・・・・・・」

香春人かわらびとを連れ帰るので、御心配無く」

「民との物々交換ですか?」

「交換と言うか、来年の稲刈りまでは黒木で養います」

奴婢ぬひとは違うのですね」

「敢えて言えば、人質です。香春が約束を違えれば、奴婢として扱います」

「約束とは?」

いずれ馬代を返すとの約束です」

「でも・・・・・・穫高とれだかが増えるならば、今頃、彼らだって困っていないでしょう?」

「いえいえ、彼らは助けを欲しています。だから、馬を貸し与え、田畑を作らせるのです」

「田作り?」

「ええ。香春から流れる河沿いには田圃たんぼに適した平地が広がっているそうです」

 彼の着目した河川とは福岡県田川市周辺の山間を源流とする全長60キロの遠賀川おんががわ響灘ひびきなだへと辿り着く一級河川は、その制御に成功すれば、海運すら視野に入れた水上交通の大動脈と成り得る可能性を秘めていた。

 ところが、上流域の地形が急峻な反面、中流以降の勾配は極めて緩い。つまり、河床の傾斜が変わる。更に言えば、蛇行もしている。大雨が満潮と重なれば直ぐに、中流域の河曲かわわが氾濫し、近隣を泥水に沈める。

 また、流域の一帯は沖積平野。低い河床標高が障害となり、水害の及ばぬ遠い場所まで引水できずにいた。

 かる事情で灌漑は進まず、香春人は天候の運不運に大きく左右される状況に甘んじている。5年間に3度の頻度で洪水に見舞われ、民衆は打ちひしがれていた。耕作意欲を減衰させては、収穫が伸び悩む一方だ。

「人の力だけでは果たせぬ大掛かりな土地拓きも、馬を使えば大丈夫」

 第一歩として、山々に生い茂る樹木を切り出し、木材運搬の労働力として活用する。くさびち割った矢板を川岸に打ち込んで連壁を築き、浚渫した土砂を被せて堤防と為す。最初は低い位置に天端てんばがあろうとも、河曲かわわ付近の川底は頻繁にさらう事になるので、流圧への抵抗力は時と共に強化される。

 河川の統制に目途を付けたら、灌漑工事に取り掛かる。具体的には荒地の開墾と導水路の掘削だ。先に低い河床標高が難題と説いたが、解決策は有る。川筋に対して直角ではなく、下流に向かって斜めに掘り進めれば水は流れる。上空から眺めれば、葉脈状に広がった水路網を確認できるだろう。

 勿論、これらの浚渫土や掘削土の運搬も馬が担う。

穫高とれだかが増え、馬代に見合う米を貰ったら、彼らを帰します」

 貸付け代金が完済されるまでの間、担保として香春人を留め置くと言う算段だ。

「我らの残米のこりごめは香春人の胃袋に収まるのですね?」

「そうです」

「だったら、香春に米を運んだ方が効率的でしょ。彼らは銅貨を持っていないのかしら?」

「銅貨が目的なら、城に預けるのが素直ですよ」

「堂々巡りですね。途中で口をはさむのを止めて、御前の話を最後まで聞きましょう」

 改めて居住いを正すオオヤツ妃であったが、気もそぞろに落ち着かず、説明に集中できない。

「ご免よ、ホノギ。黙って聞く積りだけど・・・・・・どうしても」

「構いませんよ」

「肩入れが過ぎると、城側の不興を買いませんか?。鳥栖とすと香春の啀み合いに巻き込まれては面倒です」

「そうですね。だから、私達も薩摩人さつまびと守人もりびとに仕立てるのです」

「薩摩人を?」

「はい。城の戦人いくさびとが此処に攻め入るなら、必ず高千穂を通ります」

 床板の上に架空の地図を描きながら要所々々を指し示し、黒木、香春、鳥栖とすの位置関係を義母に教える。3点の中央に「これが阿蘇山」と盆を置き、その脇をなぞりながら「彼らの駐屯する関所を山間の隘路あいろに設ける」と、概要を説明する。

「戦人の殆どは薩摩の雇われ者。同族と知れば、本気で争わないでしょう。守人の数を絞れますし、賄いも少なくて済みます」

 まずは、香春郷を支援して勢力を拮抗させ、邪馬台城との対峙を長引かせる。続いて、薩摩熊襲くまその脅威を無効化し、安全保障上の布石を巡らす策略であった。

「元を辿れば、黒木人と薩摩人は同じ熊襲族。親交を深めるべきですよ」

 

 南国の地なりに冷たい木枯らしが吹き始める頃。義兄アマツを伴ったホノギが在来馬の隊商を率いて香春かわら郷に向かう。馬の管理と開墾指導が彼らの目的。スサノオの薫陶を受けた黒木郷の開墾技能には一日いちじつちょうが有る。

 建前上、派遣団の統率者は長子のアマツ。明らかに力量と地位が釣り合っていないが、そうなった遠因は過保護なオオヤツ妃に有る。「可愛い子には旅をさせよ」だの「経験が人格を作る」だのと長老連中が説得し御膳立てした。

 母親の心配を他所に、当の本人は異郷での暮らしに心を躍らせている。悠々自適に育った優男の頭は手前勝手な夢想で満杯だ。「俺が香春で地歩を築いておくから、次に来る御前は楽だぞ」と、年子の弟カツヒに向かい、所得顔ところえがおで胸を張った。

 根拠は違えども、ハナサクも満悦顔だ。婚儀から間も無いが、既に新しい生命を宿している。その慶事が彼女の精神に安定をもたらし、晴れがましい気分に染めていた。夫の不在を嘆く処か、兄の門出祝いに浮かれ気味であった。

 一方、女系社会に生まれ育ったホノギにとり、胎児との対面は正しく未知との遭遇だ。小さく膨らんだ妻の腹を愛撫し、未だ見ぬ子供に話し掛ける事を就寝前の日課としていた。激しい悪阻つわりに悩むハナサクであったが、下腹部に伝わるぬくもりが吐気を和らげる。

 そんな感じだから、母娘が水入らずの雑談に興じると、ハナサクの話は結果的に惚気話となり、オオヤツ妃が「婿殿は優しいのね」と相槌を打つ展開となる。しまいには、「貴女は幸せだわ」と目を細めるのだった。

 実際、妊娠中にいたわられた記憶が彼女には無い。彼女に限らず、殆どの女性が無縁だろう。世の夫は誰しも同じ反応を示す。妊婦が悪阻で苦しむのは当り前であり、態々わざわざ気遣うなんて有り得ない、と。

 戸惑いながらも自分の子供だと自認し、出産を待ち侘びるホノギ特有の態度なのだ。出立しゅったつの朝も横臥するハナサクを見舞い、「寂しいだろうが、我慢しておくれ」と妻の額を優しく撫でた。彼女は握り返した夫の掌腹てのひらに頬擦りし、留守中も思い出せるようにと、武骨な手触りを頭に刻む。

 オオヤツ妃は、仲睦ましい2人を見る度に良き婿を迎えたと安堵し、男の良悪を見抜く眼力を自賛した。後年、彼女は自分の慧眼に疑念を抱くのだが、この頃は家族円満の永続を微塵も疑いはしなかった。


 香春人かわらびとを黒木で養うとの提案に、ミカヅチは狂喜乱舞する。兵糧攻めに苦しむ香春かわらには〝地獄に仏〟の救済策であった。穿った見方をすれば、弱みに浸け込む懐柔外交。老練な交渉者なら見返りの有無を確かめるだろうが、彼は善意の裏を全く疑わない。

 邪馬台城でも知略を巡らす役目はオモイカネの担当だったから、謀事はかりごとへの感受性は鈍い。もっとも古今東西を問わぬ現象として、困窮者は目先に垂れた蜘蛛の糸にすがり着く。

 だから、500頭余りの機動力に驚喜し、一行を大歓迎した。田起しと交尾の春には4割の頭数を戻すが、残り6割は土木作業に活用され続ける。

 冬季に開墾を始める天候上の理由も指摘しておくべきだろう。遠賀川おんががわの流水量が細る好機なのだ。大陸から吹く季節風は、山陰地方に大雪を降らせはしても、朝鮮半島経由で九州へと流れ込む分には日本海の水気をはらめない。つまり、曇天が続いたとしても、滅多に雨は降らない。


 延々と続く隊商の列に勇気付けられ、嬉色を露わにするミカヅチ。遠路遥々訪れたホノギを強く抱き締める。そして、長旅の疲れをねぎらう挨拶も其処々々に、自ら一行を案内し始める。宿所に落ち着く暇をも与えぬ急勝せっかちさは黒木人くろきびとを呆れさせた。

 気忙きぜわしく歓待の饗宴を始めるのは実利重視の彼なりの配慮だ。武闘派の常として、腹を満たす事が疲労回復の最善策と信じ込んでいる。

 広間に着くと、歓待ホスト役のミカヅチが威勢良く腰を下ろす。「座れ」と客人を手招きしつつ、陰に控えた婢女はしためを大声で捕まえた。男だけの宴席では無粋だと考えたのだろう。宗女を呼びに行かせる。

 居処から来入した色白の美女が隣に着座しても、呼んだ本人は一瞥いちべつすらしない。気後れしたホノギが軽く会釈すると、彼女は愛想笑いを口元に浮かべた。初めて気付いた様に振り向くミカヅチの仕草は「自分が支配者だ」と公言するに等しい。

 戦況や物資に関して情報交換する内、野良仕事より戻った十人弱の部隊長が合流した。彼らの現状は人夫頭にんぷがしらと変わらない。城側が巣篭り戦法に徹する中、軍事訓練に励む必要性は薄い。むしろ農業基盤の整備にこそ労働力が求められている。

「城を出た際、今だから正直に言うが、残った連中を憎々しく思ったものだ。一方で、俺の人望も其の程度のものか、と大いに落胆もした」

 左右に居並ぶ部下を見渡し、大袈裟に肩を落として見せる。

「ところが、ホノギよ。いや、今日からホノギ殿と呼ばせてもらうが、貴様が居残り、更には黒木人くろきびととなった御陰で、俺の首はつながった」

 参列者の前で臆面も無く、「本当に有り難う」と虚心坦懐に頭を垂れる。

 黒木郷と同様、香春郷にも飲酒の風習は無い。木椀に注がれた液体は食前酒替りの白湯。かつての部下に謙譲した偉丈夫は素面しらふである。外交儀礼を知らずんば、虚勢を張る必要も無い。素直な謝辞に外連味けれんみの無い人柄を感じるが、それだけ切迫していた証左とも言える。

「馬貸しの御代を繰り延べたに過ぎません。どうせ黒木で遊ばせておくのです」

「それにしても助かる。何せ蓄えが乏しいのでな」

しばらくの辛抱です。来秋には豊かな収穫を望めましょう」

「ウム。是非そうであって欲しいものだ」

「その時には、ミカヅチ様。必ず米を返して下さいよ」

「任せておけ!。このミカヅチ、受けた恩は絶対に忘れぬわ!」

「それで・・・・・・。馬は連れて来ましたが、工具の方は?」

「大丈夫だ。山から岩を切り出す鉄器を流用する。人夫の頭数も手配済みだ」

「木材の切り出しも順調に進みそうですね」

「伝令から粗方の段取りを聞いておったのでな。既に蜈蚣むかで衆が木材を伐採し始めておる」

「後は、馬を使って運び出せば良い」

「そう言う事だ」

「素早い対応ですね。邪馬台城でも、常に先読みするミカヅチ様の指揮には手抜かりが無かった」

「そうおだてるな、照れるではないか」

 磊落らいらくな大笑いで甘い口車を止め、照れ隠しに後ろ髪を掻く。おどけて見せたのは場を和ませる演技に過ぎない。部隊長らの追従笑いが消えた途端、「そうは言ってもな」と、真顔に戻って身を乗り出す。

「俺達が出来るのは其処まで。田圃を耕す馬具については、貴様達に教えを乞わねばならぬ」

 彼の言う馬具とは、馬に牽かせる木製の大きなすき。九州各地を見渡しても、黒木集落のみが農耕馬を採用している。これまでは殖産で増えた頭数を地元での開墾に投入して来たからだ。単純な理由で、彼らの誇る最先端の農耕技術は秘匿され、周辺地域にとっては垂涎の的であり続けた。

 既に価値を認めている相手に出し惜しみは逆効果。それに、同盟関係の強化を優先すべしと判断した上で乗り込んでいる。ホノギは「心配御無用」と得意顔したりがおを作り、「手取り足取り、義兄アマツが教えますから」と大見得を切った。

「田畑だけでなく、山林での作業にも長けており、色んな場面で活躍するでしょう」

「それは心強い!。どうか宜しく頼みますぞ!」

 雷声で放たれた御世辞に赤面するアマツ。口籠りながら、小声で恭謙の言葉を唱える。社交辞令に不慣れなのだ。別集落のおさと交わす適切な話題なんて、想像すら出来ない。

「それで、貴様も此処に留まるのか?」

「いいえ、私は香春人かわらびとを連れての蜻蛉返とんぼがえり。連れて来た男衆で十分に普請を采配できます」

「そうかぁ。緩寛ゆっくりと疲れを癒して貰わねばならんのだが・・・・・・」

「数日の内に発ちますよ。居残る彼らにしても段取りに忙しく、骨休めをする暇なんて無い筈」

 意気込みを確かめんと首を巡らせば、黒木人の銘々が強く頷く。

「それに、蓄えが乏しいのなら尚更、香春の生口いぐちを早く減らすべきでしょう」

「何から何まで気を遣って貰い、本当に感謝し切れんわい」

 目尻に溜った涙を拭うミカヅチ。行き届いた温情に接して感無量となったようだ。そうなると、彼の胸中で男気が騒ぎ始める。

「秋に米を返す事は当然として、その他に俺達の出来る恩返しは無いか?」

「そうですねえ・・・・・・」

 右手を頬に当てて思案するホノギ。無碍に断ると、武臣の自尊心を傷付け兼ねない。でも、香春に有って、黒木に欠ける物とは何か。困窮から救わんと乗り込んだ先だ。物資での返礼は期待できない。れば、無形の技能か。その様に頭を巡らせ、話を再開する。

「私達が香春に助太刀すれば、オモイカネ様は面白くないでしょう」

「それはそうだろうな」

「我らが集落さと戦人いくさびとを寄越さないか。それが気懸りです」

「ウム。揉め事に巻き込み、心苦しく思っている。だが、堪えて欲しいのだ」

「分かっております。ですから、私達も薩摩人を雇って高千穂の守人もりびととする積りです」

 義母に説明した要領で仮想の地図を描き、最小限の兵力で防御可能だと伝える。軍事に明るいミカヅチは目を細め、「理に適っている」と太鼓判を押す。

「黒木に攻め入るなら、阿蘇山の脇を通る山越えが素直だ」

「ですから、行軍路に盤石な砦を築いておきたい。大工衆を貸して頂けませんか?」

 香春の宮殿を見て、(斯くも立派な屋敷を建てるとは羨ましい限り)と改めて感じ入っていた。木造建築の技術は、高床倉庫の増強を通じ、既に弥生時代の人々に習得されている。しかしながら、預米を前提とする黒木では、木造建屋の数が乏しく、技能を磨く機会に恵まれないのだ。

「お安い御用だ。大工衆だけでなく、鉄器も持参させる」

 この場合の鉄器とは、製材に使う鍬斧ちょうな槍鉋やりがんな、接合部の仕上げに使うのみ金槌かなづちたぐいである。腕の良し悪しを左右し、職人は遣い慣れた道具を持ち歩く。特にのみは手放したがらない工具だ。大小異なる刃先を揃えるのが理想だが、使用頻度が高くなければ、本数を増やす事に二の足を踏む。

「大丈夫ですか?。田作りに支障が出ませんか?」

 現場作業には疎いので、鉄器の種類にも精通していない。

「心配するな。石を切り出す工具は唸る程に有るのだ。大半は木材加工に流用できる」

 採石に使われる工具は、専らくさびと大槌だが、最近はくわを真似た鶴嘴つるはしも登場し始めた。鉄餅てっぺい(材料)の大きさに律則され、片側にだけ頭部が張り出した代物である。その鶴嘴は論外だが、くさびと大槌の一組は丸太を板材に割裂する工具に転用可能だ。

「難攻不落と敵が尻込みする程の砦を建てて進ぜよう。ついでに貴様の屋敷も建て替えようぞ」

「有り難う御座います。心より感謝します」

「それ位の事、何を水臭い!」

 性急な指示に慌てた厨房だったが、料理人は腕が立つらしい。段取りを変えて開始時間を繰り上げた。饗宴うたげに供される郷土料理の品々。婢女はしため達が両手に捧げた高坏たかつきを恭しく男達の前に置き始める。

「今日は腹一杯に食べてくれ」

 自信を取り戻したミカヅチが上機嫌で場を仕切る。ホノギだけでなく、全員に向かって「食指を動かせ」と促した。粗野だが人懐っこい胴間声が会食開始の号砲となったようだ。互いに目配せし、誰からともなく料理を口に運び始める。

 調理方法が似ていても、南九州と北九州とでは食材が違っていたりする。海産物で例えるなら、南方の日向灘ではズングリとした太身の障泥アオリイカが多く、北方の玄界灘では2本の長い触腕が特徴でスラリとした細身の剣先イカが多い。初めて味わう珍味にアマツ達は大喜びであった。

 腹を満たしてからは和気藹々わきあいあいと話が弾む。集落での暮し振りや年中行事を紹介し合った後、香春側は屯田兵としての苦労を、宮埼側は香春に至る道中での見聞を語り交わす。未知なる情報に接する事が最大の娯楽とも言える時代、一堂は四方山話よもやまばなしで盛り上がった。


 宴席の散会を待って、ホノギはミカヅチに密会を申し入れた。求められた方も、列席者の居残る前では一切詮索せず、「俺も久しぶりに語り合いたい」と口裏を合わせる。深夜の会談こそが本題なのだと、両者とも阿吽の呼吸で承知していた。

 屋敷外に会合場所を定めた主人は、哨兵や奴婢を遠離とおざけ、人払いを徹底している。当然ながら、宿所からも遠い。全員が鼾を掻いているが、尿意に目覚める者を無しとはしない。他言無用の際疾きわどい話題を交わすには細心の注意が求められる。

 義兄アマツには「積もる話に花を咲かせたいので、先にやすめ」と言い置いて来た。無邪気な彼は「苦楽を共にしたんだものな」と笑顔で送り出す。傍目には仲の良い兄弟と見えるが、深層では黒多どすぐろい野望が蠢き始めていた。

 寒空に浮かぶ満月の下、立ち並ぶ指導者達は篝火かがりびの一つに手を翳している。2人とも黒光りする熊皮を羽織った扮装いでたち。麻布の貫頭衣かんとういだけでは沁み込む冷気を防げない。鼻息が白く燻ぶる。

「ホノギ殿。折り入っての話なんだろう?」

「はい。ミカヅチ様は何でも御見通しですね」

「差しで話したいと聞けば、根深い相談事だろうと察しが付く。中身までは分からぬが・・・・・・」

 豪胆な男が珍しく神妙な顔付きで呟く。対照的に、若き相談者の表情は何処までも平常だ。

「私は黒木の集落さとを手中に収めたいのです」

「だが、もう既に貴様が率いているのだろう?」

「今は・・・・・・」

 想定外の返答に軽い動揺を覚え、「今は?」と鸚鵡おうむ返しに繰り返す。実権者と見込んだ男の足元が揺らぐようでは困るのだ。合意内容が確実に履行されてこその交渉。空手形を振り出されては、集落の命運を預かる者として面目が立たない。

「アマツより物知りである限り、私の意見が通ります」

「そうだろうな」

「ですが・・・・・・先々は分かりません」

 ミカヅチは若き相談者を凝視した。月光に照らされた横顔は表情を消している。能面の如き面容の上で、篝火の赤い光明が怪しく踊る。

「自分の子供を思う気持ち。ミカヅチ様は想像できますか?」

 未婚者には難しい質問だ。正直、質問の意味が理解できなかった。だから、無言で先を促す。

「城に住む男は自分の子供を特定できません。ところが、城外では親子関係が明確です。はらんだ女は自分だけの妻ですから」

 淡々と事実を述べた直後に白頬を緩めたようだが、見る者が(気の所為せいか?)と戸惑う程に一瞬だけの微妙な変化だった。

「可愛いものですよ。妻の腹をさするだけで愛おしさが膨らみます。親心と言う奴を初めて知りました」

 惚気話とは異質の余韻を漂わせたホノギの口調。ミカヅチは只ならぬ雰囲気に泡立つ肌を撫でた。寒気に毛羽立つ鳥肌とは明らかに違う。真意を測り兼ね、心臓の鼓動が速まる。得体の知れぬ魔手が掴んだか?――と、掌腹てのひらを左胸に当てた。

義母ははだって同じ。それは親として当然の感情なのですよ」

「だから、アマツを郷長さとおさに据えると?」

「はい。歳を重ねて十分な経験を積めば、誰しも賢くなります」

 自分の地位が砂上の楼閣に過ぎぬと喝破するが故に、外部勢力との共謀関係を結ぶのだ。その際、打算で動く者とは手を組めず、自分が窮地から救った者こそ信頼に足るだろう。忠義に篤いミカヅチなら最適だ。そう考えた末に、胸襟を開いている。

「早晩、私は脇に追い遣られるでしょう」

「親の感情とやらはく分からんが、言わんとする事は理解できる」

「ミカヅチ様にとっても、私の方が何かと好都合でしょう?」

「それはそうだが・・・・・・、貴様の家族問題に俺は手を出せんだろう?」

「・・・・・・出来ます」

 短い逡巡の末に呟かれた一言。冷光に包まれた静寂しじまにパチパチと木炭の爆ぜる音だけが響き渡る。凍て付く夜気に紛れて、緊迫した空気が2人を包む。

 しばしの後、ミカヅチは深く息を吸い、皓々と輝く満月を仰ぎ見た。静謐な白光を浴びてさえいれば、我が身も浄化されると信じるかのように。伸びた首筋を喉仏が上下する。絞り出した重い声で唆使する者に問う。

「それで、俺は何を?」

 望む言葉を得たホノギはようやく共謀者に振り向く。自分を見詰め返す男の顔面には鼻梁が影を作っていた。

「機が熟せば、密使を遣わせます。その時は事故を装い、アマツを殺して下さい」

 互いの瞳を覗き合う2人。ついぞ明確な返事を口にしなかったミカヅチだが、双眸には承諾の意思を宿していた。


 三勢力の鼎立ていりつ構造を画策するホノギの深慮遠謀に、オモイカネは歯軋りして口惜しがる。一方で、武芸頼みの男と見縊みくびっていた反逆者の知略におののいてもいた。何ら妨碍(ぼうげ》できず、遠くから罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせて鬱憤を晴らすしかない。

「ホノギの嫁は史上稀に見る程に醜い女だ!」

「女神たる卑弥呼に仕える栄誉を捨てるなんて、何と馬鹿な男よ!」

 長く言い伝えられる間に、誹謗中傷は次なる神話へと変遷する。

 美人だが寿命の限られる木花咲耶姫と、醜女しこめだが未来永劫に生きる磐長姫いわながひめ。選択を迫られた邇邇藝命ににぎのみことは容姿端麗な妹を選ぶ。もし姉を選んだなら、永遠の生命を授かったのに――。

 そんな非科学的な話は有り得ないのだが・・・・・・。


 食うや食わずの飢餓状態だった香春人は、自分達が担保に差し出されたとも知らず、喜んで避難地を目指した。南国で真面まともな食事に有り着いた民衆は感極まり、涙にむせぶ者すら続出した。一方、口減らしの結果、配給量の増えた残留者の間でも感謝の念は共有された。

 食糧問題に光明を見出したミカヅチは第二の卑弥呼を擁立する。世間に「邪馬台城と対等だ」と喧伝するも、〝和を以て尊し〟とした代々卑弥呼の治世とは雲泥の差である。必然、巷間には傀儡かいらい政権との陰口が溢れ出た。

――それでも構わないわ。

 拉致された宗女も前向きに意識を切り替えている。虜囚の身を嘆き悲しむのではなく、自分が精神的拠所となって香春人を安堵させよう、とはらを据えていた。

 ホノギにとって、分裂状態の継続は望む展開なれど、女神の並立体制は厄介の種だ。群雄割拠する三勢力の中で黒木集落だけが見劣りする。自分の手札に宗女は無く、卑弥呼の擁立は不可能だ。そうかと言って手をこまねいていれば、未来図が画竜点睛を欠く羽目と生り兼ねない。

――求心力の劣勢を如何いかに挽回するか?――

 想定外の攪乱要素は次々に萌芽する。何時いつの世でも、権謀家の悩みは尽きないものだ。

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