第11話 三国鼎立
翌年の豊穣祭。ホノギがハナサクを
念願の婚姻関係を結んだ後、実力者として腕を奮う野心が頭を
オオヤツ妃にとっても、娘婿は頼り甲斐のある参謀役であった。いや、実質的な執政者と言っても過言ではない。北部九州の混乱を予見するホノギは、黒木郷の立ち位置を微修正すべきだ、と提案する。
「今年は
目下、邪馬台城の他に預米先は無い。娘婿の真意を測れず、眉根を寄せる義母。
「
政情不安が激しさを増せば、米俵を引き出せぬ事態だって考えられる。そうなれば、台風に襲われ水に浸かった稲が全滅する災厄にも等しい致命的な損害だ。遠く離れた南国の地とて、高みの見物を決め込むのは禁物であった。
「そんなに邪馬台の具合が悪いのですか?」
「分かりません」
貯米
「そんなに邪馬台の具合が悪いのですか?」
「分かりません。でも、一つの預け先に頼り過ぎるのは危険です」
「御前がそう言うのなら構わないが、来年の梅雨時には
「大丈夫。刈り取るや否や、
「香春?」
「そうです。城との
幾ら鉱石を採掘しようが、米穀と交換できなければ、空腹を満たせない。
「分け与えるのですか?。少し勿体無い気がしますが・・・・・・」
「
「民との物々交換ですか?」
「交換と言うか、来年の稲刈りまでは黒木で養います」
「
「敢えて言えば、人質です。香春が約束を違えれば、奴婢として扱います」
「約束とは?」
「
「でも・・・・・・
「いえいえ、彼らは助けを欲しています。だから、馬を貸し与え、田畑を作らせるのです」
「田作り?」
「ええ。香春から流れる河沿いには
彼の着目した河川とは福岡県田川市周辺の山間を源流とする全長60キロの
ところが、上流域の地形が急峻な反面、中流以降の勾配は極めて緩い。つまり、河床の傾斜が変わる。更に言えば、蛇行もしている。大雨が満潮と重なれば直ぐに、中流域の
また、流域の一帯は沖積平野。低い河床標高が障害となり、水害の及ばぬ遠い場所まで引水できずにいた。
「人の力だけでは果たせぬ大掛かりな土地拓きも、馬を使えば大丈夫」
第一歩として、山々に生い茂る樹木を切り出し、木材運搬の労働力として活用する。
河川の統制に目途を付けたら、灌漑工事に取り掛かる。具体的には荒地の開墾と導水路の掘削だ。先に低い河床標高が難題と説いたが、解決策は有る。川筋に対して直角ではなく、下流に向かって斜めに掘り進めれば水は流れる。上空から眺めれば、葉脈状に広がった水路網を確認できるだろう。
勿論、これらの浚渫土や掘削土の運搬も馬が担う。
「
貸付け代金が完済されるまでの間、担保として香春人を留め置くと言う算段だ。
「我らの
「そうです」
「だったら、香春に米を運んだ方が効率的でしょ。彼らは銅貨を持っていないのかしら?」
「銅貨が目的なら、城に預けるのが素直ですよ」
「堂々巡りですね。途中で口を
改めて居住いを正すオオヤツ妃であったが、気も
「ご免よ、ホノギ。黙って聞く積りだけど・・・・・・どうしても」
「構いませんよ」
「肩入れが過ぎると、城側の不興を買いませんか?。
「そうですね。だから、私達も
「薩摩人を?」
「はい。城の
床板の上に架空の地図を描きながら要所々々を指し示し、黒木、香春、
「戦人の殆どは薩摩の雇われ者。同族と知れば、本気で争わないでしょう。守人の数を絞れますし、賄いも少なくて済みます」
まずは、香春郷を支援して勢力を拮抗させ、邪馬台城との対峙を長引かせる。続いて、薩摩
「元を辿れば、黒木人と薩摩人は同じ熊襲族。親交を深めるべきですよ」
南国の地なりに冷たい木枯らしが吹き始める頃。
建前上、派遣団の統率者は長子のアマツ。明らかに力量と地位が釣り合っていないが、そうなった遠因は過保護なオオヤツ妃に有る。「可愛い子には旅をさせよ」だの「経験が人格を作る」だのと長老連中が説得し御膳立てした。
母親の心配を他所に、当の本人は異郷での暮らしに心を躍らせている。悠々自適に育った優男の頭は手前勝手な夢想で満杯だ。「俺が香春で地歩を築いておくから、次に来る御前は楽だぞ」と、年子の弟カツヒに向かい、
根拠は違えども、ハナサクも満悦顔だ。婚儀から間も無いが、既に新しい生命を宿している。その慶事が彼女の精神に安定を
一方、女系社会に生まれ育ったホノギにとり、胎児との対面は正しく未知との遭遇だ。小さく膨らんだ妻の腹を愛撫し、未だ見ぬ子供に話し掛ける事を就寝前の日課としていた。激しい
そんな感じだから、母娘が水入らずの雑談に興じると、ハナサクの話は結果的に惚気話となり、オオヤツ妃が「婿殿は優しいのね」と相槌を打つ展開となる。
実際、妊娠中に
戸惑いながらも自分の子供だと自認し、出産を待ち侘びるホノギ特有の態度なのだ。
オオヤツ妃は、仲睦ましい2人を見る度に良き婿を迎えたと安堵し、男の良悪を見抜く眼力を自賛した。後年、彼女は自分の慧眼に疑念を抱くのだが、この頃は家族円満の永続を微塵も疑いはしなかった。
邪馬台城でも知略を巡らす役目はオモイカネの担当だったから、
だから、500頭余りの機動力に驚喜し、一行を大歓迎した。田起しと交尾の春には4割の頭数を戻すが、残り6割は土木作業に活用され続ける。
冬季に開墾を始める天候上の理由も指摘しておくべきだろう。
延々と続く隊商の列に勇気付けられ、嬉色を露わにするミカヅチ。遠路遥々訪れたホノギを強く抱き締める。そして、長旅の疲れを
広間に着くと、
居処から来入した色白の美女が隣に着座しても、呼んだ本人は
戦況や物資に関して情報交換する内、野良仕事より戻った十人弱の部隊長が合流した。彼らの現状は
「城を出た際、今だから正直に言うが、残った連中を憎々しく思ったものだ。一方で、俺の人望も其の程度のものか、と大いに落胆もした」
左右に居並ぶ部下を見渡し、大袈裟に肩を落として見せる。
「ところが、ホノギよ。いや、今日からホノギ殿と呼ばせて
参列者の前で臆面も無く、「本当に有り難う」と虚心坦懐に頭を垂れる。
黒木郷と同様、香春郷にも飲酒の風習は無い。木椀に注がれた液体は食前酒替りの白湯。
「馬貸しの御代を繰り延べたに過ぎません。どうせ黒木で遊ばせておくのです」
「それにしても助かる。何せ蓄えが乏しいのでな」
「
「ウム。是非そうであって欲しいものだ」
「その時には、ミカヅチ様。必ず米を返して下さいよ」
「任せておけ!。このミカヅチ、受けた恩は絶対に忘れぬわ!」
「それで・・・・・・。馬は連れて来ましたが、工具の方は?」
「大丈夫だ。山から岩を切り出す鉄器を流用する。人夫の頭数も手配済みだ」
「木材の切り出しも順調に進みそうですね」
「伝令から粗方の段取りを聞いておったのでな。既に
「後は、馬を使って運び出せば良い」
「そう言う事だ」
「素早い対応ですね。邪馬台城でも、常に先読みするミカヅチ様の指揮には手抜かりが無かった」
「そう
「俺達が出来るのは其処まで。田圃を耕す馬具については、貴様達に教えを乞わねばならぬ」
彼の言う馬具とは、馬に牽かせる木製の大きな
既に価値を認めている相手に出し惜しみは逆効果。それに、同盟関係の強化を優先すべしと判断した上で乗り込んでいる。ホノギは「心配御無用」と
「田畑だけでなく、山林での作業にも長けており、色んな場面で活躍するでしょう」
「それは心強い!。どうか宜しく頼みますぞ!」
雷声で放たれた御世辞に赤面するアマツ。口籠りながら、小声で恭謙の言葉を唱える。社交辞令に不慣れなのだ。別集落の
「それで、貴様も此処に留まるのか?」
「いいえ、私は
「そうかぁ。
「数日の内に発ちますよ。居残る彼らにしても段取りに忙しく、骨休めをする暇なんて無い筈」
意気込みを確かめんと首を巡らせば、黒木人の銘々が強く頷く。
「それに、蓄えが乏しいのなら尚更、香春の
「何から何まで気を遣って貰い、本当に感謝し切れんわい」
目尻に溜った涙を拭うミカヅチ。行き届いた温情に接して感無量となったようだ。そうなると、彼の胸中で男気が騒ぎ始める。
「秋に米を返す事は当然として、その他に俺達の出来る恩返しは無いか?」
「そうですねえ・・・・・・」
右手を頬に当てて思案するホノギ。無碍に断ると、武臣の自尊心を傷付け兼ねない。でも、香春に有って、黒木に欠ける物とは何か。困窮から救わんと乗り込んだ先だ。物資での返礼は期待できない。
「私達が香春に助太刀すれば、オモイカネ様は面白くないでしょう」
「それはそうだろうな」
「我らが
「ウム。揉め事に巻き込み、心苦しく思っている。だが、堪えて欲しいのだ」
「分かっております。ですから、私達も薩摩人を雇って高千穂の
義母に説明した要領で仮想の地図を描き、最小限の兵力で防御可能だと伝える。軍事に明るいミカヅチは目を細め、「理に適っている」と太鼓判を押す。
「黒木に攻め入るなら、阿蘇山の脇を通る山越えが素直だ」
「ですから、行軍路に盤石な砦を築いておきたい。大工衆を貸して頂けませんか?」
香春の宮殿を見て、(斯くも立派な屋敷を建てるとは羨ましい限り)と改めて感じ入っていた。木造建築の技術は、高床倉庫の増強を通じ、既に弥生時代の人々に習得されている。しかしながら、預米を前提とする黒木では、木造建屋の数が乏しく、技能を磨く機会に恵まれないのだ。
「お安い御用だ。大工衆だけでなく、鉄器も持参させる」
この場合の鉄器とは、製材に使う
「大丈夫ですか?。田作りに支障が出ませんか?」
現場作業には疎いので、鉄器の種類にも精通していない。
「心配するな。石を切り出す工具は唸る程に有るのだ。大半は木材加工に流用できる」
採石に使われる工具は、専ら
「難攻不落と敵が尻込みする程の砦を建てて進ぜよう。
「有り難う御座います。心より感謝します」
「それ位の事、何を水臭い!」
性急な指示に慌てた厨房だったが、料理人は腕が立つらしい。段取りを変えて開始時間を繰り上げた。
「今日は腹一杯に食べてくれ」
自信を取り戻したミカヅチが上機嫌で場を仕切る。ホノギだけでなく、全員に向かって「食指を動かせ」と促した。粗野だが人懐っこい胴間声が会食開始の号砲となったようだ。互いに目配せし、誰からともなく料理を口に運び始める。
調理方法が似ていても、南九州と北九州とでは食材が違っていたりする。海産物で例えるなら、南方の日向灘ではズングリとした太身の
腹を満たしてからは
宴席の散会を待って、ホノギはミカヅチに密会を申し入れた。求められた方も、列席者の居残る前では一切詮索せず、「俺も久しぶりに語り合いたい」と口裏を合わせる。深夜の会談こそが本題なのだと、両者とも阿吽の呼吸で承知していた。
屋敷外に会合場所を定めた主人は、哨兵や奴婢を
寒空に浮かぶ満月の下、立ち並ぶ指導者達は
「ホノギ殿。折り入っての話なんだろう?」
「はい。ミカヅチ様は何でも御見通しですね」
「差しで話したいと聞けば、根深い相談事だろうと察しが付く。中身までは分からぬが・・・・・・」
豪胆な男が珍しく神妙な顔付きで呟く。対照的に、若き相談者の表情は何処までも平常だ。
「私は黒木の
「だが、もう既に貴様が率いているのだろう?」
「今は・・・・・・」
想定外の返答に軽い動揺を覚え、「今は?」と
「アマツより物知りである限り、私の意見が通ります」
「そうだろうな」
「ですが・・・・・・先々は分かりません」
ミカヅチは若き相談者を凝視した。月光に照らされた横顔は表情を消している。能面の如き面容の上で、篝火の赤い光明が怪しく踊る。
「自分の子供を思う気持ち。ミカヅチ様は想像できますか?」
未婚者には難しい質問だ。正直、質問の意味が理解できなかった。だから、無言で先を促す。
「城に住む男は自分の子供を特定できません。ところが、城外では親子関係が明確です。
淡々と事実を述べた直後に白頬を緩めたようだが、見る者が(気の
「可愛いものですよ。妻の腹を
惚気話とは異質の余韻を漂わせたホノギの口調。ミカヅチは只ならぬ雰囲気に泡立つ肌を撫でた。寒気に毛羽立つ鳥肌とは明らかに違う。真意を測り兼ね、心臓の鼓動が速まる。得体の知れぬ魔手が掴んだか?――と、
「
「だから、アマツを
「はい。歳を重ねて十分な経験を積めば、誰しも賢くなります」
自分の地位が砂上の楼閣に過ぎぬと喝破するが故に、外部勢力との共謀関係を結ぶのだ。その際、打算で動く者とは手を組めず、自分が窮地から救った者こそ信頼に足るだろう。忠義に篤いミカヅチなら最適だ。そう考えた末に、胸襟を開いている。
「早晩、私は脇に追い遣られるでしょう」
「親の感情とやらは
「ミカヅチ様にとっても、私の方が何かと好都合でしょう?」
「それはそうだが・・・・・・、貴様の家族問題に俺は手を出せんだろう?」
「・・・・・・出来ます」
短い逡巡の末に呟かれた一言。冷光に包まれた
「それで、俺は何を?」
望む言葉を得たホノギは
「機が熟せば、密使を遣わせます。その時は事故を装い、アマツを殺して下さい」
互いの瞳を覗き合う2人。
三勢力の
「ホノギの嫁は史上稀に見る程に醜い女だ!」
「女神たる卑弥呼に仕える栄誉を捨てるなんて、何と馬鹿な男よ!」
長く言い伝えられる間に、誹謗中傷は次なる神話へと変遷する。
美人だが寿命の限られる木花咲耶姫と、
そんな非科学的な話は有り得ないのだが・・・・・・。
食うや食わずの飢餓状態だった香春人は、自分達が担保に差し出されたとも知らず、喜んで避難地を目指した。南国で
食糧問題に光明を見出したミカヅチは第二の卑弥呼を擁立する。世間に「邪馬台城と対等だ」と喧伝するも、〝和を以て尊し〟とした代々卑弥呼の治世とは雲泥の差である。必然、巷間には
――それでも構わないわ。
拉致された宗女も前向きに意識を切り替えている。虜囚の身を嘆き悲しむのではなく、自分が精神的拠所となって香春人を安堵させよう、と
ホノギにとって、分裂状態の継続は望む展開なれど、女神の並立体制は厄介の種だ。群雄割拠する三勢力の中で黒木集落だけが見劣りする。自分の手札に宗女は無く、卑弥呼の擁立は不可能だ。そうかと言って手を
――求心力の劣勢を
想定外の攪乱要素は次々に萌芽する。
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