第10話 三国鼎立

 約1年後の豊穣祭りに合わせ、ニニギはハナサク姫をめとる。

「御義母さん」

 ニニギはオオヤツ妃を呼び止めた。彼は、集落長代行の娘婿であり、参謀役であった。いや、実質的な黒幕と言っても過言ではない。

 邪馬台城の分裂状態が継続しそうだと判断したニニギは、宮埼集落の立ち位置を微修正する。

「今年は余剰米の預け入れを止めにしましょう。邪馬台城は不安定ですからね。引換証の銅貨が価値を無くす可能性も懸念されます。一つの勢力に依存し過ぎる構図は避けねばなりません」

「御前がそう言うのなら構わないが、余剰米を放置していたら、来年の梅雨時には芽吹いてしまって、貯蔵品としての意味を失いますよ」

「同じ預けるならば、香春に貸し付けましょう」

「香春?」

「そうです。邪馬台城との交易を絶っている彼らは今、産出した石を籾米と交換できず、食糧難に陥っています。困窮する香春人かわらびとが最も喜ぶ筈です。恩の売り時と言えるでしょう」

「籾米を分け与えるのですか? 少し勿体無い気がしますが・・・・・・」

「いいえ、御心配無く。ただではコメを渡しません。替りに、香春の庶民を宮埼まで連れ帰ります」

「籾米と庶民の物々交換ですか?」

「そうです。今年は宮埼で養います。そして、香春の収穫量が増えたら、香春人かわらびとを故郷に帰します」

奴婢ぬひとは違うのですね」

「敢えて言えば、貸付の担保です。香春が約束を違えれば、奴婢として使役します」

「でも・・・・・・香春の収穫が増えたらって。そんな見込みがあれば、今頃、彼らは困っていない筈でしょう? 抑々そもそもの様な約束なのですか?」

「御義母さんの指摘する通りですね。順を追って説明しましょう。

 今まで通り、冬の間は馬を貸し付けて、開墾作業を進めさせるのです」

「開墾?」

「ええ。香春から海に注ぐ河川域には田圃たんぼに適した土地が広がっているそうです。

 人間の手作業では困難を極めるでしょうが、馬を使えば開墾を果たせると思います。そう遣って、香春の収穫量を増やすのです」

 ニニギの着目した河川は遠賀川おんががわ。福岡県田川市周辺の山々を源流とし、60千米キロメートルも北上し、響灘ひびきなだに辿り着く一級河川である。香春集落は遠賀川の上流に位置する。

 ところが、遠賀川の河床勾配は、上流域だけが急峻で、中流以降は極めて緩い。海岸から大きく入り込んだ沖積平野を流れているので、河床標高自体も大して高くない。蛇行もしている。

 梅雨時の長雨や台風の多大な降水量と満潮が重なると、直ぐに氾濫し、農耕可能な平野の広がる近隣流域を洪水に沈めてしまう。灌漑の取水を考えると遠賀川から離れた場所に田圃は開墾できず、近くでは水害に怯えねばならない。そう言う事情で、籾米の収穫が極めて不安定だった。

 ニニギの策定した改善計画では、遠賀川の護岸整備と灌漑工事。山々から木材を切り出し、数珠繋じゅずつなぎで川岸に打ち込む事が第一歩。必要な斧やくさび金槌かなづちを大量に馬の背に乗せ、香春集落に赴く。在来馬は木材運搬の労働力としても活用する。

「開墾作業が進んで籾米の収穫量が増えたら、馬の貸付けに見合う籾米を返済して貰う。

 それまでの間、担保替りに香春人を預かると言う算段です」

「宮埼の余剰米は、連れて来た香春人の胃袋に収まると言う事ですか?」

「そうです」

「だったら、香春に籾米を運んだ方が効率的でしょ。香春人は銅貨を持っていないのかしら?」

「銅貨が目的なら、邪馬台城に預けるのが素直ですよ」

「堂々巡りですね。途中で口をはさむのを止めて、御前の話を大人しく最後まで聞きましょう」

 改めて居住いを正すオオヤツ妃であったが、気もそぞろでニニギの説明に集中できない。

「ご免よ、ニニギ。黙って聞いている積りだけど・・・・・・如何どうしても」

「構いませんよ」

「香春への肩入れが過ぎると、邪馬台城の不興を買いませんか?

 邪馬台城と香春が啀み合うのは彼らの勝手ですが、私達が巻き込まれるのは困ります」

「そうですね。

 だから、私達も薩摩の熊襲くまそ族を兵士として雇っては如何どうかと思うのです」

「熊襲族を雇う?」

「はい。邪馬台城が宮埼を攻めるなら、その侵攻経路は高千穂を経由します。だから、高千穂の隘路あいろに関所を設け、熊襲族に駐屯して貰うのです。

 邪馬台城の兵士は熊襲族の傭兵です。同じ部族同士ならば、争いを控えるでしょう。少人数の熊襲族の男達が高千穂に駐屯すれば事足りる筈。兵士を雇う為に必要な籾米も少なくて済みます」

 ニニギの描いた工程表では、邪馬台城と対峙する構図を長引かせる為に、まずは香春集落を支援して勢力を拮抗させる。続いて、邪馬台城と薩摩熊襲族との同盟関係を骨抜きとし、安全保障上の布石を巡らす策略であった。

「元を辿れば、我々宮埼と薩摩は同じ熊襲族。もっと親交を深めるべきですよ」


 三勢力の鼎立ていりつ構造を画策するニニギの深慮遠謀に、オモイカネは歯軋りして口惜しがる。一方で、一介の兵士に過ぎないと見縊みくびっていたニニギの知略におののいてもいた。何ら妨碍ぼうげできないオモイカネには、遠くから罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせる選択肢しか残されていない。

「ニニギの嫁は史上稀に見る程に醜い女だ!」

「永遠に続く卑弥呼様に仕える栄誉を捨てるなんて、何と馬鹿な男よ!」

 誹謗中傷が長く言い伝えられる間に、日本神話の次なる物語へと変遷した。

 邇邇藝命ににぎのみことは、美人だが寿命の限られる木花咲耶姫と、醜女だが永遠の生命を持つ磐長姫の2人を前にして、木花咲耶姫を選んだ。磐長姫いわながひめを選んだならば、邇邇藝命ににぎのみことも永遠の生命を手に入れられたのに――。そんな非科学的な話は有り得ないのだが・・・・・・。


 一方、香春かわら集落に立て籠もったミカヅチの方は、ニニギからの提案――宮埼集落が食糧難の窮地から自分を救い出してくれる構図――に飛び付いた。兵糧攻めに遭う身としては“地獄に仏”であった。

 ニニギの張り巡らせた網に絡め取られたに過ぎないが、捕縛されたミカヅチには思いも及ばない。邪馬台城でも深慮遠謀はオモイカネの役目だったから、謀事はかりごとへの感性が鈍っていた。尤(もっと》も、追い詰められた者が目先に垂れた蜘蛛の糸にすがり着くのは、何時いつの世も変わらない。

 

 自分達が担保替りだとも知らず、香春人は喜んで宮埼集落に移った。勿論、香春かわら集落の全員ではない。貸与頭数に見合う人数に限る。

 食うや食わずの状態で空腹に苛まれていた彼らは、南国の地で真面まともな食事に有り着くと、「神様の思し召しだ」とニニギに感謝した。口減らし効果で一息吐ける香春集落に残った人々の間でも、ニニギへの感謝の念は共有された。


 食糧問題に光明を見出したミカヅチは、香春かわら集落でも正式に卑弥呼を擁立する。邪馬台城と対等の立場で張り合うには必要不可欠の措置であった。

 拉致した宗女を卑弥呼に仕立てたのだが、この頃には彼女の腹も据わっていた。先々を不安視する香春集落の人心を落ち着かせる為にも、自分が集団の核となる必要性を感じていたのだ。

 こうして、九州北部には二人の卑弥呼が並び立つ。果てしなく混乱期が続きそうな雲行き。ニニギにとって、混乱の長期化は目論見通りの展開であったが、卑弥呼の並存体制は誤算であった。

 ニニギは、鳥栖とす・香春・宮埼の三勢力が同列で群雄割拠する絵図面を描いたのだが、現人神あらひとがみが不在の宮埼集落だけが見劣りしてしまう。そうかと言って、手札に宗女は無い。卑弥呼の擁立は不可能だ。

 ――求心力の劣勢を如何いかに挽回するか?――

 次なるニニギの悩み事であった。


 南国の宮崎なりに冷たい木枯らしが吹き始める頃。ニニギは、オオヤツ妃の長男ホミミを伴い、在来馬の隊商を率いて香春かわら集落に向かう。

 現地での馬の管理と開墾作業の指導が彼らの目的。スサノオ時代に習熟した宮埼みやさき集落の開墾技能に一日いちじつちょうが有る。

 ホミミの役回りは宮崎男衆の統率者と言った処。ニニギは「故郷を離れて暮らせば逞しくなる」と過保護なオオヤツ妃説得し、義母の肩を揉んだ。何不自由なく育てられた当のホミミは、一抹の不安すら感じず、単純に探検者としての出発に心を躍らせている。

「先に行く俺が香春で地歩を築くから、次に来る御前は楽だぞ」

 年子の弟カツヒに向かい、ホミミは得意気に胸を張った。

 豊穣祭りを兼ねた盛大な婚儀から間も無いが、既にハナサク姫の腹には新しい生命が宿っている。女系社会の邪馬台城に生まれ育ち、父親を知らぬニニギにとって、妻の腹中に子供の成長を認める経験は未知との遭遇だった。

 オオヤツ妃や義兄弟と同居する屋敷の一室が、ニニギとハナサク姫の寝所。

 就寝前の日課として、ニニギはハナサク姫の腹を擦り、未だ目立たぬ膨らみの中に浮かぶ子供の存在を楽しんでいた。激しい悪阻つわりに悩むハナサク姫であったが、夫の肌から伝わるぬくもりに嘔き気が霧散する。

 男達が出払うと、オオヤツ妃とハナサク姫は母娘ながらの雑談に興じて安穏な午後を過ごす。

 娘の惚気話を耳にする度に、

「ニニギは優しいのね。貴女、良い伴侶と巡り合えて、幸せだわ」

 と相槌を打つオオヤツ妃。

 実際、妊娠中に夫がいたわってくれた記憶がオオヤツ妃には無い。オオヤツ妃に限らず、殆どの女性が無縁だろう。妊婦が悪阻で苦しむのは当たり前であり、夫が態々わざわざ気遣うなんて有り得ない。

 戸惑いながらも自分の子供だと自認して出産を待ち侘びるニニギ独特の態度なのだ。

 出立しゅったつの朝も寝床に伏すハナサク姫を見舞い、ニニギは「行ってくるからな」と妻の額を優しく撫でた。彼女は握り返したニニギのてのひらに頬擦りし、留守中も思い出せるようにと、武骨な手触りを頭に刻んだ。

 仲睦ましい2人を見る度に、オオヤツ妃は良き婿を迎えたと思い直し、男の良し悪しを見抜く眼力を自賛した。だが後年、オオヤツ妃は自分の慧眼に疑念を持ち始めるのだった。


 500頭余りの在来馬を率いるニニギ一向を香春かわら集落は大歓迎した。宮埼集落での田圃たんぼの掘り起こし作業と、交尾期を迎えての種付けの為に4割を春先には戻す。だが、残り6割は引き続き、遠賀川おんががわ流域の開墾作業に投入される。

 九州北部の冬は日本海側気候。曇天に見舞われる日々が続いても、大量の雨は滅多に降らない。大陸から吹く季節風は、日本海を渡って山陰地方に雪を降らせはしても、朝鮮半島の陸伝いに九州へと流れ込む分には水気をはらめない。

 降水量が少なければ、遠賀川の流量も減る。護岸工事に適した冬期に在来馬の労働力を集中投入する積りだった。

 長い馬の隊商に目を細め、嬉々とした表情を露わにするミカヅチ。遠路遥々訪れたニニギを強く抱き締め、長旅の疲れをねぎらった。

 とは言え、宿所に落ち着く暇を与えず、一行を卑弥呼が住まう宮殿に案内する。疲労回復には腹を満たすのが最善とばかり、気忙きぜわしく歓待の饗宴を始めるつもりだった。

 宮室の広間に着くと、ミカヅチは威勢良く腰を下ろす。ニニギ達に「座れ」と手招きする一方、陰に控えた婢女はしためを大声で捕まえ、卑弥呼を呼びに行かせる。

 居処から姿を現した卑弥呼がミカヅチの隣に着座するが、ミカヅチは目も呉れない。気後れしたニニギが軽く会釈すると、卑弥呼は愛想笑いを口元に浮かべ、ミカヅチは初めて横を見遣った。彼女がミカヅチの傀儡かいらいに過ぎないと言う現実を如実に物語る仕草だった。

 澄まし顔の卑弥呼の面前でミカヅチが膠着状態の戦況をニニギに報告していると、屯所からも十人弱の部隊長が合流する。接待席ではミカヅチ達が卑弥呼と並んで鎮座するらしい。

 邪馬台城の仕来しきたりでは、将軍に過ぎないミカヅチを卑弥呼と同列に扱う事は考えられない。香春集落の支配者はミカヅチだ、と高らかに宣言するも同然の配席だった。

「邪馬台城を出奔した際、今だから正直に言うが、残留した連中を憎々しく思った。一方で、俺の人望も其の程度のものか――と、大いに落胆もした」

 左右に居並ぶ部下を見渡し、ミカヅチは大袈裟に肩を落として見せる。

「ところが、ニニギよ。いや、今日からニニギ殿と呼ばせてもらうが、貴様が邪馬台城に居残り、更には宮埼を率いるようになった御陰で、俺の首はつながった。

 大変感謝している。本当に有り難う」

 胡坐あぐらを組んで話に聞き入る参列者の前で、ミカヅチは臆面も無く、ニニギに頭を垂れた。宮埼集落と同様、香春集落も酒とは無縁。食前酒替りに配られた木椀には白湯が注がれているのみ。かつての部下に頭を下げたミカヅチは素面である。

 外交儀礼の概念が無い時代でもあり、虚勢を張る必要も無い。躊躇ためらわずに頭を下げる。ミカヅチは素直に謝意を表現したに過ぎないが、それだけ追い詰められていた証左とも言える。

「ミカヅチ様、礼には及びません。馬の貸し付け行為は従来と同じ。僅かな違いと言えば、対価を頂く時期を繰り延べた事でしょうか。どうせ、宮埼では遊ばせておくだけの馬です」

「それにしても助かる。何せ香春の蓄えは乏しいのでな」

「開墾が進むまでの辛抱です。来年の稲刈りでは豊かな収穫を望めましょう」

「ウム。是非そうであって欲しいものだ」

「その時には、ミカヅチ様。必ず籾米を返して下さいよ」

「任せておけ! このミカヅチ。受けた恩は絶対に忘れぬわ!」

「それで・・・・・・。馬は連れて来ましたが、工具は大丈夫ですか? 工具が無ければ、木材の切り出しも難しくなりますが・・・・・・?」

「その点は大丈夫だ。白き岩々や黒き岩々の山から石を切り出す時の鉄器を流用する。人夫の数も、蜈蚣ムカデ衆を山々に向かわせるので、心配は無用だ。

 ニニギ殿の伝令から粗方の段取りを聞いておったのでな。既に蜈蚣ムカデ衆が山中で木材を伐採し始めておる。後は、馬を使って材木を運び出せば良い」

「素早い対応ですね。邪馬台城で私達に命令を下す時にも、常に先読みするミカヅチ様の指揮には手抜かりが無かった」

「そうおだてるな、ニニギ殿。照れるではないか。

 そうは言っても、俺達が出来るのは其処まででな。田圃を耕す際の馬具については要領を得ない。その辺は貴様達に教えて貰わねばならぬ」

 ミカヅチが教えを乞う工具とは、馬に牽かせる木製の大きなすき。九州各地を見渡しても、宮埼集落のみが農耕馬を採用している。

 当然の話だが、繁農期には在来馬を余所には貸付けない。宮埼集落も自活するからだ。宮埼集落の誇る最先端の農耕技術は、周辺地域には杳として知れず、垂涎の的であった。

「心配御無用。指南役として義兄ホミミを連れて来ました。ホミミは農作業だけでなく、山林作業にも長けております。色んな場面で活躍するでしょう」

「それは心強い! ホミミ殿。どうか宜しく頼みますぞ!」

 雷声でミカヅチの放つ御世辞に赤面するホミミ。頭を掻き掻き口籠りながら、恭謙の意思を表示する。社交辞令を交わす場面に慣れていないのだ。して、別集落のおさと交わす適切な話題なんて想像すら出来ない。

「それで、ニニギ殿も香春に留まるのか?」

「いいえ、私は香春人かわらびとを連れての蜻蛉返とんぼがえり。ホミミ以下の男衆で十分に普請を差配できます」

「そうか。本当なら、しばらく此処に逗留し、養生して貰わねばならんのだが・・・・・・」

「数日の内に出立しますよ。居残るホミミにしても忙しく、緩寛(ゆっくり)と疲れを癒す余裕なんて無い筈。

 それに、香春の人口が早く減るほど、食糧に窮する度合が薄れますから」

「何から何まで気遣って貰い、本当に感謝し切れんわい。

 収穫が上がれば必ず籾米を返すが、それ以外に俺達の出来る恩返しは無いか?」

「そうですねえ・・・・・・」

 ニニギが右手を頬に当てて暫く考え込む。

「ミカヅチ様。私達が香春に助太刀すれば、邪馬台城のオモイカネ様は面白くないでしょう」

「それはそうだろうな」

「オモイカネ様が熊襲くまそ族の傭兵を宮埼に派兵しないか? と言う不安を拭えません」

「ウム。貴様達に迷惑を掛ける事は重々承知している。だが、堪えて欲しいのだ」

「分かっております。ですから、私達も熊襲族を雇い、侵攻ルートの高千穂に駐屯させる積りです」

「その着眼点は良いと思うぞ。邪馬台城から宮埼を攻めるならば、阿蘇山の脇を通り、山越えをするのが素直だ」

「はい。高千穂に砦を築けば、防御もし易いでしょう。

 ところが、この屋敷を見て改めて感じましたが・・・・・・、斯くも立派な屋敷を建てる技術が宮埼に有りません。我が集落には木造建屋が私の家族が住まう屋敷の他に無く、建設の技を磨く機会が乏しいのです。

 ですから、木造大工を貸しては貰えないでしょうか?」

「承知した! お安い御用だ。大工衆だけでなく、鉄器も持参させる」

「大丈夫ですか? 開墾作業に支障が出ませんか?」

「心配するな。石を切り出す工具は唸る程に有るのだ。大半は木材加工に流用できる。

 砦と言わず、宮殿の様に立派な建屋を高千穂に建てて進ぜよう。ついでに、ニニギ殿の住まう屋敷も建て替えさせようぞ」

「有り難う御座います。心より感謝します」

「それ位の事、何を水臭い!」

 ミカヅチの性急な指示に慌てた厨房でも何とか準備を間に合わせたらしい。婢女はしため達が手に手に捧げた高坏たかつきを恭しく男衆の前に置き始める。

 饗宴うたげに供される郷土料理の品々。基本は宮埼集落で食する料理と変らずとも、例えば魚介類の種類が違っていたりする。ホミミと随行の男衆は大喜びであった。

「今日は腹一杯に食べてくれ」

 ミカヅチは、ニニギだけでなく、随行の男衆全員にも「食指を伸ばせ」と促した。互いに目配せし、誰からともなく料理を口に運び始める男衆。

 腹を満たしてからは和気藹々わきあいあいと話が弾む。各集落での暮しぶりや年中行事の紹介、宮埼から香春に至る道中での四方山話よもやまばなしを交わし、普段は聞けぬ話で一堂は盛り上がった。


 その夜。ニニギは2人切りで話す場をミカヅチに求めた。

 床暖房の効いた宿所では、ホミミや随行の男衆が鼾を掻いている。万が一、尿意に目覚めた者が立ち聞きしては不味いので、密会場所を宮殿の屋敷外に定めた。

「ミカヅチ様との旧交を温めたいのでね。御前達は先に寝ておくれ」とホミミに言い置き、誤魔化した。邪気の無いホミミは何の疑いも抱かず、「一緒に働いていたんだものな」と笑顔で義弟を送り出す。

 寒空に浮かぶ満月の下、立ち並ぶニニギとミカヅチは篝火かがりびの一つに手を翳していた。2人とも熊の毛皮を羽織っている。麻布の貫頭衣かんとういだけでは沁み込む冷気を防げない。鼻息が僅かに白く燻ぶる。

 哨兵を遠離とおざけ、物陰に控える奴婢に対しても人払いしている。密談現場の周囲には誰も居ない。

「ニニギ殿。折り入っての話なんだろう?」

「はい。ミカヅチ様は何でもお見通しですね」

「俺と差しで話したいと聞けば、深刻な相談事だろうと察しが付く。中身までは分からぬが・・・・・・」

「私は宮埼を手中に収めたいのです」

「ウム。だが、もう既に貴様が率いているのだろう?」

「今は・・・・・・」

「今は・・・・・・?」

「はい。私の見識がホミミを圧倒する限り、私の意見が通ります」

「そうだろうな」

「ですが・・・・・・先々は分かりません」

 ミカヅチはニニギの横顔を凝視した。月光に白く映えた横顔は能面の如く表情を消している。篝火の赤い残照が怪しく踊る。

「自分の子供を思う気持ち。ミカヅチ様は想像できますか?」

 ミカヅチは何も言わなかった。正直、質問の意味が理解できなかった。だから、無言で先を促す。

「邪馬台城に住む男は、誰が自分の子供なのか、を知りません。ところが、世間の男は自分の子供を明確に認知します。はらんだ女は自分だけの妻ですから。

 今、私の妻も子供を宿しています。可愛いものですよ。妻の腹をさするだけで、子供を愛おしむ想いが膨らみます。私は初めて親の心を知りました」

 ニニギが口を閉じる。惚気話だとは思えぬ余韻。

 ミカヅチは泡立つ肌を撫でた。寒気に毛羽立つ鳥肌とは微妙に違う。若き指導者の伝えたがっている真意が理解できない。只ならぬ雰囲気が不気味に寒からしめる。

「妻の母親も同じ筈。私よりも長兄ホミミを可愛く思うでしょう。それは親として自然な感情なのですよ」

「だから、いずれホミミを集落の首長おびとに据えると?」

「はい。見識なんて所詮は時間の累積。歳を重ねれば、十分な経験を積めます。

 実際、ホミミは香春かわらを訪れました。明日以降も外の世界を巡り、見聞を広め続けます。早晩、私は脇に追い遣られるでしょう」

「親の感情とやらはく理解できんが、貴様の説く理屈は理解できる」

「ミカヅチ様にとっても、私が集落を率いる状況は何かと好都合でしょう?」

「それはそうだ。だが・・・・・・貴様の家族問題にまで俺は介入できんだろう?」

「・・・・・・出来ます」

 短い逡巡の後、ニニギは一言だけ静かに呟いた。パチパチと篝火の爆ぜる音だけが月光の照らし出す静寂しじまに響き渡る。凍て付く夜気の所為せいだとは割り切れぬ、緊迫した空気が2人を包む。

 しばしの後、ミカヅチは深く息を吸い、満月を仰ぎ見た。静謐な天の川を眺めてさえいれば、我が身も浄化されると信じるかのように。伸びた首筋を喉仏が上下する。絞り出した重い声でニニギに問う。

「それで、俺は何を?」

 ようやくニニギはミカヅチを振り向く。ミカヅチもた視線を満月から外し、ニニギを凝視みつめた。

「機が熟せば、密使を遣わせます。その時は事故を装い、ホミミを殺して下さい」

 互いの瞳を覗き合う2人。ついぞ明確な返事を口にしなかったミカヅチだが、双眸には承諾の意思を宿していた。

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