第09話 天孫降臨

 西暦187年の夏。時の卑弥呼が急死する。

 突然に高熱を発し、激しく嘔吐した。共に食事を摂る宗女達には異常が認められず、食中毒の可能性は低い。また、城内に同じ症状を訴える庶民も居らず、流行病はやりやまいの類でもなさそうだった。

 オモイカネやミカヅチ、宗女達が困惑する中、発症から数日で卑弥呼は息を引き取る。

 卑弥呼の葬儀を終え、残された者が頭を抱えた問題は後継者の選定であった。急死した卑弥呼に後継者を指名する時間的余裕が無かったのだ。


 海外に目を転じると、中国大陸では西暦184年に黄巾の乱が発生し、後漢王朝の治世が崩壊した。魏・呉・蜀の三国時代を経る激動の混乱期を迎えていた。

 日本に影響する具体的な動きとして、後漢王朝の官吏だった公孫度が遼東半島周辺に半独立政権を樹立した。

 その後も、公孫度は勢力拡大を企図する。西方に向けては、渤海ぼっかい湾をはさんだ対岸の山東半島周辺にまで進出。南方に関しては、楽浪郡――現代の北朝鮮の西半分に相当――の領土化に飽き足らず、朝鮮半島南部、果ては日本をも支配下に組み込もうと野心を燃やしていた。

 西暦204年には公孫康――公孫度の息子――が楽浪郡の南隣に帯方郡を設置。当時の日本は大陸に向けて情報発信するすべを持ち合わせていないが、「南朝鮮と日本が公孫康に隷属した」との記述が中国の歴史書に残っている。

 西暦238年に魏王朝が公孫一族を滅ぼすまで、日本にとっての緊迫状態は続いた。


 くなる東アジア情勢下、朝鮮北部で日常茶飯事と化した蛮行の数々を伝え聞くオモイカネは「騎馬民族襲来を回避すべし」と声高に唱え、宥和政策を主張した。平たく言えば、公孫一族への隷属である。

 冊封政策を展開する中国王朝が盤石な時代であれば、周辺国への締め付けは極めて緩い。中国王朝の皇帝を崇め、朝貢活動を適当に展開していれば済む。

 ところが、公孫一族は中国統一に乗り出し、皇帝として君臨しようと目論んでいる。当然ながら、度重なる戦争を繰り広げる積りだ。「その戦費の調達方法は?」と問えば、隷属国に相応の負担を要求するは必定。

 だから、戦闘行為をつかさどるミカヅチは意見をことにしていた。

 ――彼らの歓心を買う必要が有るのか?――

 仮初かりそめの平和を得ても、直ぐに公孫一族の覇権争いに巻き込まれてしまう。俺達の生命いのちが危険に晒される状況は変わらないだろう。

 ――彼らに隷属しない場合、本当に邪馬台城を侵攻して来るのか?――

 大陸制覇の野望を抱く公孫一族が反対側の隣国と戦争中ならば、喉から手を出す程に兵力を欲しているに違いない。逆に考えると、邪馬台城を攻める余裕は無い筈。

 残念ながら、平和主義者の卑弥呼は、一時凌ぎと承知しつつも、オモイカネの意見に傾きつつあった。そんな卑弥呼に表立って逆らいはしないが、ミカヅチは冷静に洞察していただけに、強い疑問と不満を感じてしまう。

 水面下でオモイカネとミカヅチの意見が離反し合う状況で、仲裁者でもあった卑弥呼が急死したのだ。上位裁定者の卑弥呼を失い、オモイカネとミカヅチの反目は先鋭化する。

 両者とも邪馬台城の将来を憂慮するからこその確執だったが、2人の向かう先は正反対。歩み寄る余地が全く無い。卑弥呼が亡くなった今、後事の相談が最優先のはずだが、宮殿内で会っても対話が深まらない。

 鬱屈したミカヅチは屯所とんしょに戻ると、部下の兵士達に持論を訴えた。

 ――どうせ戦うならば、邪馬台城の為に戦いたい――

 それが兵士の心情である。

 ミカヅチが兵士達の心を掴んで行くに伴い、邪馬台城には不穏な空気が流れ始める。城内の庶民は混乱の予兆を敏感に感じ取り、不安顔で日々の作業にいそしんでいた。

 そんな或る日。ミカヅチが、宗女の1人をさらった上で、邪馬台城を出奔した。敵前逃亡とそしられる行為であったが、500余人の内、8割弱の兵士が従う。

 ミカヅチの向かう先はカルスト地形の広がる平尾台の麓。この地には採石場で働く蜈蚣ムカデ衆の香春かわら集落――現代の福岡県田川市――が有った。邪馬台城の白い粉――経済活動の根幹――の差し押さえは、持久戦を覚悟する上で必要不可欠な戦略的布石なのだ。

 スサノオの謀反に懲りた邪馬台城の防備はすべからく堅牢となっていたが、残存兵は100人強に過ぎず、取り残されたオモイカネとしては不安を禁じ得ない。して城内の庶民ともなれば恐慌を来し兼ねない。今や「どちらに従うべきか?」と互いに顔色を窺う有様だった。

 隻翼せきよくを失った邪馬台城には大空から墜落する未来が待つのみ。早急に後任のミカヅチを指名し、次なる卑弥呼を擁立せねば、邪馬台城が自己崩壊してしまう懸念が有った。

 

 後任のミカヅチに選任された者の名をニニギと言う。日本神話の中で天孫降臨の主人公として登場する邇邇藝命ににぎのみことである。

 ニニギの母親はハタトヨ。日本神話に萬幡豊秋津師比売命よろづはたとよあきつしひめのみこと――機織りの女神――として登場し、ツイナと卑弥呼の座を競って敗れた宗女の一人だ。彼女は宮殿出仕中に習得した技術を活かし、生前は邪馬台城の機織り工房を率いる人材として活躍した。

 中国大陸から渡来する先進文明を貪欲に学ぶ日本。苦労して試行錯誤を重ねた養蚕もようやく根付き始めていた。蚕繭さんけんから解いた繭糸けんしって絹糸とし、それを絹布に織る。今では、卑弥呼や宗女達に限らず、各工房の枢要なポジションを占める者は皆、絹布の長襦袢じゅばんを着用していた。絹布は朝鮮半島との交易品としても珍重されている。

 一方、ニニギの父親は判然としない。邪馬台城には家族制度に相当する習慣が無い。

 居住棟に不特定多数の男女が同禽し、夜毎に相手を変えるのが普通である。生物学的には遺伝子の多様化を図っていると解釈できるが、当事者達は居心地が良い風習を続けているに過ぎない。

 自分の遺伝子を広めたいと本能的に志向する男性からすると、不特定多数の女性を相手とする理想の風習である。自分の産んだ子供を確実に育て上げたいと考える女性からすると、男達が子供達を分け隔て無く育てる理想の風習である。

 敢えて言えば多夫多婦制であるが、邪馬台城の庶民全員が一つの家族と考えるのが実感に沿う。

 勿論、特定の異性と添い遂げたいと考える男女も現れる。その場合には、邪馬台城を出て、農民として周辺農地に新居を構える。邪馬台城の経済圏から追放される道理わけではない。

 城内で大家族制の枠外に生きる者は、3人の現人神あらひとがみ――卑弥呼、オモイカネ、ミカヅチ――と、宗女に限られる。奴婢ぬひ階級の者達は、庶民が構成する大家族とは並存する形で、別の大家族制を築いている。


 オモイカネは、ニニギを新たなミカヅチに選任し、宮埼みやさき集落に向かわせた。同じ熊襲くまその血を引く者同士、薩摩に住む本流の熊襲族――邪馬台城に攻め込んだ前科者――との和睦仲裁を期待しての判断だ。

 両者の間に戦闘行為こそ生じないが、スサノオの謀反以降、没交渉の状態が続いている。

 その熊襲族から兵士を募り、先代のミカヅチが引き連れて行った兵士の穴埋めを図る積りであった。邪馬台城との経済活動を復活させる熊襲族の方でも旨味を感じる戦略提携だが、邪馬台城の人間が乗り込むと、相手が警戒して対話が進展しないだろう。そう、オモイカネは思案したのだ。

 ところが、熊襲族――狩猟民族――の起用は新たな問題を生む。邪馬台城の庶民から選別した兵士とは違って、統制に慣れた人種ではない。しかも気性が激しい。

 その結果、ミカヅチ配下の出奔兵達と熊襲族から募った新兵達とは、局所的な小競り合いを筑紫ちくし平野一帯で繰り広げる羽目になった。迷惑を被ったのは農民達。農作業を邪魔されるばかりか、田畑を荒らされる。

 また、熊襲族との戦略提携とは無関係に、邪馬台城の経済メカニズムが停滞し始めた。

 出奔したミカヅチは、石灰岩や石炭の採掘を続けていた蜈蚣ムカデ衆と語らい、邪馬台城への供給を途絶させる。武具や糧秣の補充が心許こころもと無い境遇を省察し、経済封鎖の我慢比べを挑んだのだ。

 残念ながら、出荷の滞った鉱石在庫は宝の持ち腐れとなる。石灰石から生石灰きせっかいへの加工には焼成が不可欠だが、登窯のインフラは香春かわら集落に無い。セメント製造に必要な配合比の知識――オモイカネが独占――も欠落していたからだ。

 香春集落も苦境に陥るが、経済活動の盛んな邪馬台城の方が大きな損害を被る。大局的にはミカヅチの判断が正しい。但し、オモイカネは辛抱強い。且つ、文人のオモイカネが積極的にいくさを仕掛ける筈も無い。

 詰まる処、ミカヅチの決断は、雌雄を決する局面を徒に引き伸ばし、緩慢な消耗戦を招くに等しかった。膠着状態が数年も続くと、九州北部の経済活動は凍り付き、人々の暮らしは大混乱に見舞われる。

 新羅しらぎ本紀には『西暦193年。九州から大量の難民が韓半島に押し寄せ、その内の千人近くは半島東側の半ばまで北上した』と記録されている。

 壱岐島、対馬島まで含めた九州北部人口を20万人程度だと推定するに、0・5%相当。大半の難民は朝鮮半島の奥深く――後の新羅――まで移動せず、半島南部の海沿い地域に止まっただろう。して、れっきとした海洋船舶の必要な対馬海峡を渡らずに、日本国内を彷徨った難民は桁違いに多かったはずだ。

 前代未聞の大混乱だったと、読者も容易に想像できると思う。


 九州北部の荒廃を他所よそに、宮埼集落では平穏な日々が流れていた。

 スサノオの奮闘により集落全体が稲作で富んでいる。当然ながら、稲作に適した平野部の人口密度が相対的に高い。宮崎大学の所在地辺りが中心地だ。オオヤツ妃――スサノオの娘――の嫁ぎ先はJR九州の日南線木花駅の近くである。

 木花――現代の呼び名はキハナだが、古くはコノハナと呼ばれていた――の地名は、日本神話の中で邇邇藝命ににぎのみことの妻となる木花咲耶姫このはなさくやひめ――大屋津姫おおやつひめの娘――と関連する。


 その宮埼集落を目指し、ニニギが10人の兵士を率いて邪馬台城を出立しゅったつする。在来馬の賃貸窓口として邪馬台城に駐在していたサルタ――宮埼出身者――が案内人を務める。日本神話にも猿田毘古さるたひことして登場し、天孫降臨の場面で邇邇藝命ににぎのみことを案内する人物だ。到着した一行を、サルタは豪農らしい立派な屋敷――集落唯一の木造建築物――に案内した。庶民の暮らす竪穴式住居と同様に茅葺かやぶき屋根だが、それ以外の造りは異質だ。杉の木を切り出して柱や梁を組み、床梁と小屋梁の間には胴縁を渡し、板壁を張り巡らしている。

 いまや、宮埼集落は狩猟生活を生業なりわいとする薩摩熊襲くまそ族よりも繁栄しており、その首長おびとは族長を名乗っても可笑しくない程に豊かだった。

 屋敷ではオオヤツ妃がニニギ達を出迎える。オオヤツ妃の夫は若くして急逝。寡婦となった彼女が集落長を代行しているのだ。

 オオヤツ妃は4人の子供を産んだが、当時としては珍しく、全員が健やかに成長していた。豊穣の地、宮埼集落の中で最も恵まれた家庭に育つ彼らは栄養失調とは無縁の存在である。

 長男ホミミは17歳、次男カツヒは16歳、長女ハナサク姫は15歳。何れも結婚適齢期を迎えている。兄姉きょうだいの背中を追う三男ナムジは11歳。幼いながらも思慮深く、2人の兄よりも寧ろ分別を弁えた感が有った。

 長男ホミミと次男カツヒの2人だけが初対面の場に同席する。成人男性だからだ。

「ニニギ様。長旅でお疲れになったでしょう? 少し遠い場所に在るのですが、温泉に入られては如何いかがですか?」

「温泉?」

「沐浴と言えば水を浴びる事ですけど、湯の中に身体を浸けるのです。身体の疲れを癒せますよ」

 ニニギ達は聞き慣れない単語に顔を見合わせる。

「温泉から戻られたら直ぐに饗宴うたげを始められるよう、準備しておきますから。

 ほらっ、ホミミ! ニニギ様を御案内しなさい」

 オオヤツ妃に促されたホミミが進み出る。ニニギとホミミは同い年。背格好が似ている事もあり、ホミミは親しげな態度を示す。一方のニニギは、10人の兵士を従えている手前、体面を気遣わざるを得ない。ぎこちない仕草で誤魔化した。

 休む間も無く再出発した一行は青島温泉を目指す。屋敷からは南東の方角に徒歩で1時間強。

 途中の河原で引き抜いたヨシの茎を手持無沙汰に振り回すホミミの後背に、屈強な男達が仏頂面で列を成す。平坦な道程を黙々と進む行列の上空を、長閑な鳴き声をキーンと響かすとんびが優雅に旋回している。

 人気ひとけの無い青島温泉の発見はスサノオの功績だった。都井とい岬までの道程を何度も往復する中、土地勘を磨こうと意図して脇道に逸れた時に出くわした。狗奴くぬ集落から阿蘇山の方に分け入ると、温泉の湧く場所が散見されるようになる。温泉に馴染んだ狗奴人ならではの発見と言えよう。

 青島温泉を発見したスサノオは大いに喜び、宮崎平野の北部に位置する自分の村落からは一日掛りの遠出となるが、何度も足を運んだ。

 日南海岸の奥まった砂岩層に湧出する青島温泉から海洋を眺めれば、南洋植物の生い茂る青島が目の前に鎮座している。青島は不思議な景観をしており、海上に浮かべた皿の上に大福餅を載せたが如き形状。学問的には隆起波食台と命名される皿状の地形は、別名『鬼の洗濯岩』と呼ばれる。

 黒潮と沿岸流の衝突が奇怪な地形を生み、その潮目は種々の魚を呼び集める。青島沿岸に限らず、日南海岸の魚影は全般的に濃く、宮埼人みやさきびとは豊富な海産物の恵みを享受していた。

 青島に建立された青島神社には日本神話の『海幸彦・山幸彦の伝説』に因んだ3柱が祀られ、石神社なる境内社けいだいしゃには邇邇藝命ににぎのみことと妻の木花咲耶姫このはなさくやひめ、そして磐長姫いわながひめ――木花咲耶姫の姉――が祀られている。

 温泉に到着すると、ホミミが一行に入浴の手本を示す。手本と言っても乱暴で無邪気な振舞い。麻布の貫頭衣かんとういげ、太腿ふとももを覆った筒袋とふんどしを脱ぎ棄てると、湯船に飛び込んだ。

 跳ね跳ぶ水飛沫を浴びて、ニニギと兵士達が驚いた表情をする。

「皆さん! 素っ裸になって、どうぞ中に入って下さい。気持ち良いですよ」

 ホミミは両手で顔を擦り、プハーっと息を吐く。

 ニニギ達も衣服を脱ぐが、腰の引けた姿勢で恐々と爪先を湯船に潜らせる。慎重な動作は初めの内だけ。25℃と低い泉温に安心するや、ドサドサと湯面を掻いて深みに身を沈める。

 手足を伸ばす度に温和な鈍流が身体を愛撫し、炭酸水素塩泉の気泡が肌をくすぐる。水中に浮かぶ感触を楽しんでは、悦楽に浸り続ける一行。

 小一時間ほど湯船の中で身体を解した後、帰路に就いた。


 屋敷に戻ると、約束通り、オオヤツ妃が饗宴の準備を整えていた。コメに加え、魚介類や鶏の塩焼き、塩煮した山菜等が並ぶ。

 料理の数々は温かくはあれど、決して高温ではない。何故なら、人々は箸の使用を知らず、高坏たかつきに装がれた品々を手掴みで食すからだ。唯一卑弥呼と宗女のみが居処での食事時に箸を使う。オモイカネやミカヅチでさえ普段は手掴みの食事だった。

 魚醤ぎょしょう作り以外の発酵技術は未発見の時代。醸造を必要とする酒も存在しない。酒の替りに口腔内を湿らす飲料は、温めたコメの研ぎ汁。だから、誰も酔わないし、会場が賑やかにもならない。極めて冷静な雰囲気での会食。現代人が臨席すれば屹度きっと、奇妙な居心地の悪さを感じるであろう。

 列席者は食事に集中する事になるが、供する料理の品々は接待側の誠意ばかりか生活水準を映し出す鏡となる。その点、豊富な食材の種類が宮埼集落の豊かさを反映していた。

 繁栄の源泉は在来馬の存在。その成果は、銅貨の保有数のみならず、別の面にも表れている。

 邪馬台城――九州経済圏の中心地――から遠く離れ、しかも九州山地を越さねばならぬ交通面の僻地であったが、吉野ヶ里や伊都いと等の常設市場マーケットで物々交換した生活必需品を馬の背に載せ、大量に持ち帰る事が出来た。だから、暮らしの不便を感じない。

 特にセメントと鉄器が集落のインフラ整備に活かされている。

 中でも、おの鍬斧ちょうな槍鉋やりがんなくさび、ノミや金槌かなづちと言った工具の類は、間近に迫る九州山地の山々から切り出した木材の加工を容易にした。木造建築の屋敷に留まらず、馬厩舎や家畜小屋、漁船等を次々に建造し、河川の護岸工事や灌漑設備を充実させて行った。

 大広間では、邪馬台勢11人がニニギを中心に横並びに着座した。ニニギの対面にはオオヤツ妃が座り、その左右に子供達が参列した。その他にも集落の重鎮が加わり、サルタも集落側の末席に連なる。

 男性陣の服装は代わり映えのしない麻布の貫頭衣かんとういだが、女性のオオヤツ妃とハナサク姫だけは絹布の小袖に着替えていた。濃い青緑色に藍染めされた絹布は、オオヤツ妃とハナサク姫の容貌を引き締めて見せる。

 当時主流の染色手法は山藍を使った藍染め。しかも、現代の藍染めで使用されるタデ藍――遣唐使が持ち込んだ植物――は弥生時代に存在しない。染色の出来も、生粋の紺色ではなく、緑色が透けて草木染を思わせる。

 また、軽量な絹布は、価値に見合う籾米と交換できず、重量を基軸とした物々交換が成立しない。彼女らが身に纏う小袖は、市場での調達物ではなく、在来馬の貸付けに感謝した邪馬台城からの下賜品――養蚕や機織り、縫製等の先端技術の粋であり、希少価値を有する絹布は最適な威信財――なのだ。

 ニニギは見初みそめたハナサク姫の美しさに心を奪われた。完全なる一目惚れ。

 明眸めいぼう鮮やかな瞳に、彫りの深い目鼻立ち。少し浅黒い肌も異国情緒を強めている。“馬子にも衣装”的な視覚効果を割り引いたとしても、ハナサク姫は宮埼集落で最も器量良しの娘であった。

 そして、ニニギは密かに一つの決心をする。

 オオヤツ妃は、娘ハナサク姫に見惚みとれるニニギに気分を良くしていたが、権力中枢の政局を探る事までは忘れない。

「邪馬台城の方は如何どうなのですか? 先代の卑弥呼様がお亡くなりになって、さぞや大変な事になっているでしょう?」

「新しい卑弥呼様は決まりましたが、御指摘の通り、混乱は治まっていません。先代のミカヅチが袂を分かち、城を去ったたのですからね」

「それでは、邪馬台城のミカヅチ様は、今現在、ご不在なのですね?」

「はい。私も候補者の一人ひとりなんですが、未熟者が就任して良いものか・・・・・・。正直、悩んでおります」

 耳を疑う発言に10人の兵士とサルタは手の動きを止めた。咀嚼を止め、身体を強張らせたと言って構わない。

 ――今、何と言った?――

 だが、誰も何も言わない。随行の兵士はニニギと近しい子分であり、気心が知れていた。サルタは一つの処世術として沈黙を守った。

 ――この沈黙はいずれニニギに取り入る際の鍵となるだろう――

 そう考えて、“見ザル聞かザル言わザル”を決め込んだ。

 当のニニギは自問自答し、自分らの野心を再確認していた。

 ――先代のミカヅチが香春かわらに出奔した時、迷わず邪馬台城での残存を選択した。何故か?――

 ――ミカヅチにき従っても、自分は一介の兵士から出世しない。反対に、深刻な欠員状態に陥る邪馬台城に残れば、自分の存在価値は大きく上昇する――

(ミカヅチの地位を狙えるかもしれない!)との内なる囁きに人生を賭けたのだ。実際、切羽詰まったオモイカネに擦り寄り、大見得を切って望みを果たした。

『鶏口と成るとも牛後と成るなかれ』とは、中国戦国時代の蘇秦が説いた言葉。中国大陸で繰り広げられる下剋上の世情は、遠く九州にまで及んでいる。気骨の有る者ならば、一度は独立を考えてしまう。そう言う世相だったのだ。

 我慾の延長で思考を巡らすと、豊かな宮埼集落を手中とする野望は、ミカヅチの地位よりも更に魅力的であった。ハナサクと名乗る美麗な娘を口説き落とせば、実現の可能性は高くなる。

 邪馬台城の世界は女系家族であり、男の自分が君臨するなんて思いも寄らない。抑々そもそも、城内に貧富の差が無く、特別な地位なんぞ存在しない。現人神あらひとがみの地位は特別であったが、名誉職の様なもので、利権や恩典を伴わない。

 ――集落長の地位は如何どうだ! 集落で自分の一族だけが特別な暮らしを満喫しているぞ――

 ――しかも、此処は益々繁栄していくだろう。邪馬台城の勢力が鳥栖とすと香春に分裂した今、彼らの対峙する構造の中で巧く立ち回れば、邪馬台城をも凌ぐ権勢を狙えるかもしれない――

「ニニギ様は立派に重責を担える方だと、私はお見受けしましたよ。息子のホミミに比べたら、遥かに頼もしいですわ」

 オオヤツ妃はホホホと軽く追従笑いを漏らす。ニニギは内心で北叟笑ほくそえみ、自分の力量を垣間見せんと、集落運営に拘わる話題を選ぶ。

「ところで、オオヤツ様。香春かわらが石の供給を止めたので、馬の遣い道をしばらく見失いますね?」

 ニニギの急所を突いた指摘に、オオヤツ妃は「そうなんです」と顔を曇らせた。

如何どうすれば良いでしょうか?」

「そうですねえ。にわかに妙案を捻り出せませんが、そう心配する事も無いでしょう。

 邪馬台城の分裂騒動は屹度きっと、直ぐに治まりますよ。今年の冬は諦めるとしても、次の冬には再び稼げるでしょう」

「本当に?」

 縋るような表情で確認するオオヤツ妃に向かい、ニニギは大きく頷いた。

「今年の冬は基盤固めの時期だと心得るのです。今まで馬不足で疎かにしていた改善工事を重点的に果たしましょう。

 微力ながら、私も助太刀します」

「有り難う御座います。そう言って頂けると凄く心強いです」

 オオヤツ妃は、小躍りしたくなる気持ちを隠し切れず、両手を合わせて喜んだ。

「でも・・・・・・」

 満面の笑みを浮かべたのも束の間、憂いを宿した真顔に戻る。

「ニニギ様にも御役目が有るはず。何時いつまでも此処には居られないのでしょう?」

「心配御無用。新しい卑弥呼様は、不安を感じているはずの宮埼を安堵させて来い、と私に命じました。分裂状態が治まるまで、現地に留まれと」

「そうだったんですか!」

「ええ。勿論、宮埼の方が迷惑に感じなければ、と釘を刺されていますが」

「滅相も無い! 私達は大歓迎です。ニニギ様に御滞在頂けるならば、此の上も無い幸せです。

 折角ですから、私の息子達を厳しく鍛え直して下さい。ニニギ様に指導頂ければ、頼もしくなるでしょう」

 

 オモイカネは、音信不通となったニニギに痺れを切らし、薩摩の熊襲くまそ族に勅使ちょくしを向かわせた。籾米を材料に釣り込む腹積もりであった。不審と警戒の眼で出迎える熊襲の族長を説き伏せ、傭兵の確保に成功する。

 角逐の構図に好戦的な熊襲族を招き入れた結果、膠着状態が益々拗(こじ)れる事になったのは、先に記した通りである。ニニギの転向は寧ろ、熊襲族の組み入れ時期を遅らせたのだが、僅かな期間を先送りしたに過ぎない。

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