第10話 天孫降臨

 西暦187年の夏。時の卑弥呼が高熱を発して倒れ、激しく嘔吐した。オモイカネやミカヅチ、宗女達が困惑する中、発症から数日で息を引き取る。即位より僅か7年後の凶事だった。

 城内に同じ症状の患者を見出せず、食事を共にする宗女達にも異常が認められない。だから、誰一人だれひとりとして食中毒や流行病はやりやまいの可能性を疑わなかった。ところが、女王は秘かに季節外れの芹粥せりがゆを所望していたのだ。憂慮すべき難題を抱え、好物を食して気分転換を図ろうとしたらしい。

 芹(日本原産)の生育地はもっぱら水田の畦道。地下茎でしか選別できぬ毒芹も隣に生えている。不運な事に、芹詰みに出かけた婢女はしためが朝鮮人だった。彼女が持ち帰った草本は、一説にはソクラテスの毒殺刑にも使われたとも言われる、毒芹の方だった。

 食中毒ならば大量の水を飲ませて胃を洗浄する。その対処法を知らぬ智臣ではないが、何しろ原因が判らない。安静に横たえ回復を待つ間に、女王の容態は急変した。現代人が無作為と糾弾しそうな様子見の姿勢も、医術と無縁の時代では通例の対応に過ぎない。

 後継者を指名せずに急死したから、オモイカネやミカヅチの2人は途方に暮れる。卑弥呼の世代交代は先の話だ――と、思考停止していた。今さら危機管理の不備を嘆いても詮無いが、そうなった背景には両人の間にわだかまった不協和音が有る。

 やがて、一種の人災とも言える空位期間が邪馬台城に暗雲を招き入れる。


 中国大陸に目を転じると、西暦184年に黄巾の乱が発生し、後漢王朝の治世が崩壊した。一説には、気候変動の煽りで東アジア全域が寒冷化し、農産物の凶作が続いたからだとも言う。真偽は扨措さておき、魏・呉・蜀の三国が覇権を競う激動の混乱期が幕を開けた。

 日本に影響する具体的な事象としては、後漢王朝の官吏だった公孫度の動向が挙げられる。彼は遼東半島周辺に半独立政権を樹立した。

 その後も勢力拡大を企図し、西方に向けては、渤海ぼっかい湾をはさんだ対岸の山東半島周辺にまで進出。南方に関しては、楽浪郡(現代北朝鮮の西半分)の領土化に飽き足らず、朝鮮半島南部、果ては日本をも支配下に組み込もうと野心を燃やす。

 西暦204年には公孫康(公孫度の息子)が楽浪郡の南隣に帯方郡を設置。「南朝鮮と倭国が公孫康に隷属した」との記述が中国の歴史書に残っているが、大陸に情報発信するすべを持ち合わぬ当時の日本の声は反映されていない。

 西暦238年に魏王朝が公孫一族を滅ぼすまで、朝鮮北部では蛮行が日常茶飯事と化し、日本にとっての緊迫状態は続いた。


 くなる情勢下、オモイカネは「騎馬民族の襲来を回避すべし」と声高に唱え、宥和政策を主張した。平たく言えば、公孫一族への隷属である。

 伝統的に冊封政策を展開する中華帝国。中央政権が盤石な時代であれば、周辺国への締め付けは極めて緩い。皇帝を崇め、適当な朝貢活動でお茶を濁していれば済む。

 ところが、公孫一族は中国統一に乗り出し、皇帝に成ろうと目論んでいる。当然ながら、幾度もの戦争を繰り広げる腹積りだ。「戦費の調達方法は?」と問えば、隷属国に相応の負担を要求するは必定。

 だから、軍事をつかさどるミカヅチは意見をことにしていた。

――彼らの歓心を買う必要が有るのか?

 仮初かりそめの平和を得ても、直ぐに公孫一族の覇権争いに巻き込まれるだろう。俺達の生命いのちが危険に晒される状況は変わらない。

――恭順の意思を表明しない場合、本当に邪馬台を侵攻して来るのか?

 彼らは大陸制覇の野望を抱いている。華北での版図拡大を目指して争う限り兵力を欲し続けるだろう。それも喉から手を出す程に。対馬海峡で隔たった異国の併合作戦に割ける兵力は到底有るまい。要は優先順位の問題だと、一角ひとかどの為政者ならば分かりそうなものだ。

 残念ながら、平和主義者の卑弥呼は、一時凌ぎと承知しつつも、智臣の意見に傾きつつあった。でも、冷静に洞察すればする程、賢い選択とは思えない。だから、表立って異議を唱えずとも、内心では強い疑問と不満を感じていた。

 両者の反目は、上位裁定者の喪失を機に再燃し、先鋭化する。邪馬台城の将来を憂慮するからこその確執だったが、2人の向かう先は正反対。歩み寄る余地が全く無い。女王が亡くなった今、後事の相談を最優先すべきなのだが、宮殿内で会っても対話が深まらない。

 鬱屈したミカヅチは屯所とんしょに戻ると、部下に持論を訴えた。

――どうせ戦うならば、邪馬台の防衛に殉じたい――

 それが偽らざる心情である。志を同じくする城兵達の心に疑念が広がり、城内には不穏な空気が流れ始める。以心伝心。混乱の予兆を敏感に感じ取った城民は不安顔で日課作業にいそしんでいた。

 そんな或る日。武臣が年長の宗女をさらって出奔する。敵前逃亡とそしられる行為であったが、部下500余人の内、8割弱が追随した。

 彼の向かう先はカルスト地形の広がる平尾台。福岡県田川市側の麓一帯は香春かわらと呼ばれ、採石場で働く蜈蚣むかで衆が集落を形成している。持久戦を覚悟する上で、白い粉――経済活動の根幹――の差し押さえは戦略的に重要な布石なのだ。

 スサノオの乱に懲りた邪馬台城の防備はすべからく堅牢となっていたが、残存兵は100人強に過ぎず、取り残されたオモイカネとしては不安を禁じ得ない。泰平の世しか知らぬ城民ともなれば、恐慌を来し兼ねない。今や「どちらに従うべきか?」と互いに顔色を窺う有様だった。

 隻翼せきよくを失った邪馬台国には大空から墜落する未来が待つのみ。自己崩壊すら懸念される苦境を前に、後任ミカヅチの指名と次なる卑弥呼の擁立を急がねばならなかった。

 

 後任者の俗名を穂杵ホノギと言う。『天孫降臨伝説』の主人公、邇邇藝命ににぎのみことである。

 彼の母親はハタトヨ。古事記に萬幡豊よろづはたとよ秋津師姫命あきつしひめのみこと――機織りの女神――として登場し、卑弥呼の選抜試験でツイナに敗れた1人だ。彼女は出仕中の習得技術を活かし、機織り工房を率いる人材として活躍する。

 中国大陸から渡来する先進文明を貪欲に学ぶ日本。苦労して試行錯誤を重ねた結果、養蚕が根付き始めていた。蚕繭さんけんから解いた繭糸けんしって絹糸とし、それを絹布に織る。

 今では、卑弥呼や宗女達に限らず、各工房の枢要な地位を占める者は皆、絹布の長襦袢じゅばんを着用していた。絹布は朝鮮半島との交易品としても珍重されている。

 穂杵ホノギの話に戻ると、城内には世帯を構える習慣が無く、父親は判然としない。居住棟に不特定多数の男女が同禽し、夜毎に相手を変える。逆説的だが、男達は、実子が不明だからこそ、分け隔て無く子供達に接していた。

 生物の本能として、男は種付け先の積み増しを、女は産んだ子供の安全な養育環境を求める。遺伝子の多様化を図る観点でも素晴らしい風習だが、当事者達は愉悦を求めて続けるに過ぎない。敢えて言えば、多夫多婦制。邪馬台城の庶民全員が一つの家族と解釈するのが実感に沿う。

 勿論、特定の異性と添い遂げたいと望む夫婦も現れる。その場合は城外に新居を構える。食い扶持に困れば、邪馬台の社会に出戻るだけ。犯罪者の追放とは異なり、孤立無援には陥らない。懐の深い大らかな社会なのだ。

 大家族制の枠外に生きる者は、3人の現人神あらひとがみ――卑弥呼、オモイカネ、ミカヅチ――と、宗女に限られる。奴婢ぬひ達は、庶民と並存する形で、別の大家族制を築いていた。


 スサノオの乱から以来このかた、邪馬台城と薩摩人さつまびと――城に攻め込んだ前科者――の交流は途絶えたままだった。戦闘行為こそ生じないが、未だに警戒し合っている。

 香春かわら郷と対峙する今、〝前面の狼、後面の虎〟状態の解消が急がれる。宿敵との和睦を決めた智臣は新ミカヅチに選任したホノギを日南に向かわせた。同じ熊襲の血を引く者同士、黒木人くろきびとに仲裁役を期待しての判断だ。 

 その薩摩人から兵士を募り、欠員補充をも図る積りであった。交易再開は辺境の生活を豊かにするし、双方が旨味を感じる戦略提携だが、邪馬台人やまたいびとには胸襟を開かないだろう。そう思案したのだ。

 

 九州北部の荒廃を他所よそに、黒木郷では平穏な日々が流れていた。

 スサノオの奮闘により集落全体が富んでいる。生活圏は稲作に適した平野部全体に広がり、その中心地は宮崎大学の所在地辺り。オオヤツ(スサノオの娘)の嫁ぎ先はJR九州の日南線木花駅の近くである。

 木花の地名――現代ではキハナと称するが、古くはコノハナと呼ばれていた――は、邇邇藝命ににぎのみことめと木花咲耶姫このはなさくやひめ大屋津姫おおやつひめの娘)と関連する。


 西暦189年。裏阿蘇の南方を目指し、ホノギが10人の同僚兵を率いて出立しゅったつする。貸馬の窓口として邪馬台城に駐在する黒木人くろきびとのサルタが先導役だ。彼は天孫降臨の場面に猿田彦さるたひことして登場する。

 一行は豪農らしい立派な屋敷に到着した。竪穴住居と同様に茅葺かやぶき屋根なれど、それ以外の造りは全く異なる。杉の大木で柱や梁を組み、側面には胴縁を渡して板壁を張り巡らしていた。集落唯一の木造建築物である。

 出迎えた当主はオオヤツ妃。夫が夭折ようせつしたので、寡婦となった彼女が郷長を代行している。傍らには成人した長男アマツと次男カツヒの2人が同席していた。

 17歳の長男、16歳の次男に続く長女ハナサクは15歳。兄姉きょうだいの背中を追う三男ナムジは11歳。都合4人の子供を儲け、当時としては珍しく、全員が健やかに成長していた。豊穣なる新天地の中でも抜群に恵まれた家庭に生まれ、栄養失調や流行り病とは無縁に育っている。

 婢女はしためが「長旅でお疲れでしょう?」と声を掛けながら、冷たい井戸水を注いだ竹筒を配って回る。布地は貴重品ゆえ、手拭のたぐいは差し出さない。現代人の感覚では素気無い対応と言えるだろう。

 突然の訪問だし、手厚い供応を期待する方が無粋であろう。典雅みやびとは無縁のホノギ達であっても、その程度の道理はわきまえている。しかしながら、オオヤツ妃の女人らしき意地が客人を粗末にあしらう事を許さない。接待の準備に多少の時間が欲しいと遠回しに懇願し、気晴らしの外遊を薦める。

「少し遠いのですが、温泉に入られては如何いかがですか?」

「温泉?」

 聞き慣れぬ単語に一堂が顔を見合わせた。

「ええ、湯に浸かるのです」

 共同浴場の無い城内では井戸水で身体を洗い流す行水が一般的。「湯」と聞いた彼らは汁物と同程度に熱い湯を連想する。(煮殺されないか?)と疑いの目を向けると、親切顔で「疲れを癒せますよ」と返された。悪意は微塵も感じられない。

 尚もホノギ達が戸惑っていると、「ほらっ、御案内しなさい」と長男に矛先が向く。物怖じしない彼は、遣使の隊長が自分と同い年だと知って、親近感を抱いたようだ。握手でも期待したのか、気軽に手を差し出す。

 一方の受け手は、部下を従えている手前、体面を気遣わざるを得ない。と言って、異郷の地で横柄に接するほど愚鈍でもない。中途半端だと自覚しつつも、詰屈ぎこちない仕草で誤魔化した。相手を少々気拙きまずくさた感は否めない。

「まぁ良いや。裸の付き合いで気持ちは変わるもんだし――」

 気を取り直した先導役に促され、休む間も無く再出発した一行。目指す青島温泉は南東の方角。屋敷からは徒歩で1時間強の道程だ。

 草笛を鳴らし、よしの茎を手持無沙汰に振り回すアマツ。彼の後背に屈強な男達が仏頂面で列を成す。全く以て行楽に向かう集団とは思えない。男達の頭上ではとんびが1羽、優雅に旋回中。突き抜けた秋の青空に、キーンと長閑な啼き声を響き渡らせている。

 人気ひとけの無い青島温泉の発見はスサノオの功績だった。都井とい岬までを何度も往復する中、土地勘を磨こうと脇道に逸れた時に出くわした。阿蘇周辺には熱い硫黄水の湧く場所が散見される。温泉に馴染んだ狗奴人くぬびとならではの発見と言えよう。

 スサノオは大いに喜び、自分の村落から一日掛りの遠出となるにも拘らず、秘境の温泉地まで何度も足を運んだものだ。

 日南海岸の奥まった砂岩層に湧出する青島温泉。其処から海洋を眺めれば、大福餅の如き形状の島が鎮座している。南洋植物の生い茂る島の一帯は不思議な景観を成しており、学術的に隆起波食台と命名された地形は『鬼の洗濯岩』とも呼ばれる。

 島内に建立された青島神社には『海幸彦・山幸彦の伝説』に因んだ3柱が祀られ、石神社なる境内社けいだいしゃには邇邇藝命ににぎのみことと妻の木花咲耶姫このはなさくやひめ、そして磐長姫いわながひめ(木花咲耶姫の姉)が祀られている。

 温泉に到着すると、先陣を切ったアマツが貫頭衣かんとういげる。太腿ふとももを覆う筒袋とふんどしを脱ぎ棄て、湯船に飛び込んだ。跳ね飛ぶ水飛沫。両手で顔を擦り、プハーっと息を吐く。如何にも心地良さげだ。

「皆さん!、素裸で浸って下さい。気持ち良いですよ」

 入浴の手本を示した積りらしいが、乱暴で無邪気な振舞いにホノギ達が驚いた表情をする。れど、危険の無い事は一目瞭然。筋肉美を露わにした男達が腰の引けた姿勢で爪先を湯船に潜らせる。慎重な動作は初めの内だけ。25℃と低い泉温に安心するや、ドサドサと湯面を掻いて深みに身を沈める。

 手足を伸ばす度に温和な鈍流が身体を愛撫し、炭酸水素塩泉の気泡が肌をくすぐる。水中に浮かぶ感触を楽しんでは、悦楽に浸り続ける一行。

 小一時間ほど湯船の中で身体をほぐす内に、度を越した警戒心も洗い流されたようだ。双方とも異郷の風習に興味津々であり、湯舟談義に花が咲く。往路とは打って変わり、打ち解けた雰囲気で帰路に就いた。


 屋敷に戻ると、約束通り、饗宴の準備が整えられていた。米飯に加え、魚介類や鶏肉の炭焼き、塩煮した山菜等が食卓を彩る。中でも、豊富な海産物が目を引く。黒潮の回遊魚が目と鼻の先に広がる日南海岸で水揚げされており、邪馬台城では珍しい種類ばかりだ。

 高坏たかつきに装がれた温かい料理の数々。でも、熱々の品は一つも無い。何故なら、五指で食材を摘まむからだ。米飯でさえ食べ易いように握られている。この時代、食事時に箸を使う者は卑弥呼と宗女のみ。オモイカネやミカヅチでさえ滅多に使わない。

 日常の食事を全て手掴みで済ませたかと言えば、そうではない。箸は無くとも、柄杓ひしゃくを模した木匙は普及している。だから、椀物だけは内頬を火傷しそうな程に熱い。現に海産物たっぷりの潮汁うしおじるが白い湯気を燻らせている。

 また、魚醤ぎょしょう以外の発酵食品が渡来しておらず、当然ながら醸造酒も存在しない。酒の替りに口腔内を湿らす飲料は温めた玄米の研ぎ汁だ。誰も酔わないから、盛り上がりに欠ける。静かで落ち着いた雰囲気での会食。現代人が臨席すれば屹度きっと、奇妙な居心地の悪さを感じるであろう。

 得てして、列席者は食事に没頭する。並んだ料理の品々を吟味するのだが、それらは接待側の誠意ばかりか生活水準を映し出す鏡となる。その点、オオヤツ妃の采配は申し分なく、目移りする程の品数が豊かさを雄弁に語っていた。

 繁栄の源泉は在来馬の存在だ。その恩恵は、銅貨の保有数に止まらず、物資調達の面にも表れている。

 邪馬台城――九州経済圏の中心地――から遠く離れているばかりか、険峻な九州山地を越さねばならない。ところが、交通面の僻地であるにもかかわらず、吉野ヶ里や伊都いと等の常設市場マーケットから生活必需品を大量に持ち帰る事が出来た。だから、暮らしの不便を感じない。

 特にセメントと鉄器が社会資本インフラの整備に活かされている。

 鉄器の中でも、おの鍬斧ちょうな槍鉋やりがんなくさびのみ金槌かなづちと言った工具のたぐいは、木造家屋の建築に留まらず、新たな産業基盤を充実させた。馬厩舎や家畜小屋の増築は害獣被害を減らし、漁船の建造は漁獲量を増やす。矢板とセメントの組合せは護岸工事に欠かせず、灌漑設備の普及は田畑の開墾を後押しした。

 大広間では、邪馬台勢11人がホノギを中心に横並びで着座している。ホノギの対面にはオオヤツ妃とハナサクの2人が座り、息子達は彼女らの左右に並ぶ。員数合わせに集落の重鎮が加わり、サルタも歓待側の末席に連なった。

 男性陣の服装は代わり映えのしない麻布の貫頭衣。絹布の小袖に着替えた女性2人が彩りを添えていた。藍染めされた絹布の濃い青緑色が容貌を引き締めて見せる。

 当時の染色手法としては、山藍を使った藍染めが主流だ。奈良時代以降に普及した蓼藍たであい――遣唐使が持ち込んだ植物――は弥生時代に存在しない。染色の出来も、生粋の紺色ではなく、緑色が透けて草木染を思わせる。

 更に言えば、軽量で貴重な絹布は重量基軸の物々交換に馴染まない。彼女らが身に纏う小袖は貸馬に感謝した邪馬台城からの下賜品である。養蚕や機織り、縫製等の先端技術の粋であり、希少価値を有する絹布は最適な威信財なのだ。

 つまり、絹布を纏う者は高貴なる者。ハナサクの醸す貞淑さを衣装が引き立てている。容貌だって相当に秀逸だ。明眸めいぼう鮮やかな瞳に、彫りの深い目鼻立ち。少し浅黒い肌も異国情緒を強めている。〝馬子にも衣装〟的な視覚効果を割り引いても、地域で最も器量良しの娘である事には異論が無い。

 ホノギは見初みそめた彼女の美しさに心を奪われた。完全なる一目惚れ。その憧憬が裏阿蘇の地に降臨した貴公子を衝き動かす。義理と人情の葛藤は短時間の内に結着を見せ、彼は密かに一つの決心をする。

 理知的な風貌の好青年が愛娘に見惚みとれる様子に満足顔のオオヤツ妃。母親としては嬉しい限りだが、今夜は見合いの席ではない。郷長代行の立場を忘れず、権力中枢の政局を探る必要が有る。

「邪馬台の方は如何どうなのですか?。卑弥呼様がお亡くなりになって、さぞや大変でしょうに」

「新しい卑弥呼様は決まりましたが、混乱は治まっていません。ミカヅチが出奔したのですからね」

「それでは、早急に新たなミカヅチ様を選び直さないと――」

「はい。私も候補者の1人なんですが、未熟者に務まるものか・・・・・・。正直、悩んでおります」

 耳を疑う発言に随行者全員の食手が静止した。咀嚼を止め、身体を強張らせたと言って構わない。

――今、何と言った?

 問い質したい気持ちは山々だが、その誘惑を押し殺す。ホノギとは気脈を通じた仲だ。足を引っ張る真似はしない。処世術に長けたサルタも、権力者に取り入る材料になると心算し、〝見ザル聞かザル言わザル〟を決め込む。

 当のホノギは自問自答し、自らの野心を再確認していた。

――先代ミカヅチとは袂を分かち、迷わず城に居残った。何故か?

 香春かわらまでき従っても、一介の兵士のまま。反面、欠員の深刻な城に残れば、自分の存在価値は大きく上昇する。(現人神あらひとがみの地位を狙えるぞ!)との内なる囁きに人生を賭け、切羽詰まったオモイカネに擦り寄った。実際、大見得を切った甲斐あって望みを果たす。

『鶏口と成るとも牛後と成るなかれ』とは戦国時代の蘇秦が説いた言葉。大陸に蔓延する下剋上の世情は、遠く九州にまで及んでいる。気骨の有る者ならば、独立の野望を抱かずには居られない。そんな世相だったのだ。

――郷長さとおさの地位は素晴らしい。現世うつしよの中でも特別な暮らしを満喫しているぞ!

 我慾の延長で思考を巡らすと、辺境といえども豊かな集落を手中に収める未来図は、ミカヅチの地位よりも更に魅力的であった。しかも、美麗な乙女を口説き落とすだけで実現する可能性が高い。

――黒木の繁栄は天井知らず。鳥栖とす勢と香春勢の間を巧く立ち回れば、天下一の権勢を狙えるだろう。

 女系社会の邪馬台城にあっては、男の自分が君臨するなんて思いも寄らない。抑々そもそも、城内には貧富の差が無く、特別な地位なんぞ存在しない。現人神あらひとがみだけは特別であったが、名誉職の様なもので、利権や恩典を伴わない。

「ホノギ様は立派に重責を担える方だと、お見受けしましたよ。息子とは月と丸亀すっぽんですわ」

 媚言おべっかのみならず、ホホホと軽く追従笑いを漏らす。悦に入ったホノギは、自分の力量を垣間見せんと、治世課題に関する自説を開陳する。

香春かわらが石を出し止めたので、馬の遣い道をしばらく見失いますね?」

 急所を突いた指摘に、小柄な体躯ながらも存在感を感じさせる女当主が「そうなんです」と顔を曇らせる。

如何どうすれば良いでしょうか?」

「そうですねえ。にわかには妙案を捻り出せませんが、そう心配する事も無いでしょう」

「何故です?」

現人神あらひとがみの仲違いは屹度きっと、直ぐに治まりますよ。今年は諦めるとしても、次の冬には再び稼げるでしょう」

「本当に?」

 半信半疑で居ながらも縋るような声音。彼女のみならず、為政者なら誰しも先々の見通しに不安を抱くものだ。天下った者の言葉に宿る信憑性の魔力で絡め取らんと、野心家が大きく頷く。

「馬余りを活かす地固めの時だと心得て、疎かにしていた田畑の繕いを進めましょう」

 指折り数えさせた不便な施設に対し、邪馬台の経済状況を踏まえつつ、改善工事の順位付けに助言したり筑紫ちくしでの先例を紹介したりする。本人にとっては移住先の情報を聞き出す意味合いが色濃い。

「及ばずながら、私も助太刀します」

「有り難う御座います。そう言って頂けると凄く心強いです」

 オオヤツ妃は、小躍りしたくなる気持ちを隠し切れず、両手を合わせて喜んだ。しかし、満面の笑みを浮かべたのも束の間、「でも・・・・・・」と憂いを宿した真顔に戻る。

貴方あなた様にも御役目が有るはず。何時いつまでも此処には居られないのでしょう?」

 上目遣いに遣使の事情を探る表情には心配性の性格が見え隠れしていた。治世者の地位には其れなりの気苦労が付き纏う。相談相手を欲する彼女の心情は明々白々だった。好機到来とばかりに、「心配御無用」と言い切るホノギ。

「卑弥呼様は『黒木の安堵こそが最優先。騒ぎが治まるまで現地に留まれ』と命じました」

「そうだったんですか!」

「ええ。勿論、皆さんが迷惑でなければ――の話ですが」

「滅相も無い!。私達は大歓迎です。ホノギ様に御滞在頂けるならば、無上の幸せです」

 社交辞令とも思えぬ、喜色満面の歓びよう。実際、彼女なりの打算が有った。打算と言っても、母親としてのささやかな願望だ。

「折角ですから、息子達を鍛え直して下さい。御指導頂ければ、頼もしくなるでしょう」

 ホノギの父親は不明だと先に語ったが、真相は微妙に異なる。還俗した母ハタトヨは、先々代ミカヅチと恋仲に落ち、処女の契りを結ぶ。爾来じらい、他の男には同衾を許さず、貞節を守り続けた。つまり、彼は宗女と現人神あらひとがみの子。血統はすこぶる優秀なのだ。

 ところが、その事実を2人は城内で伏せ続ける。ミカヅチの方は複数の女性と交接まぐわって欺瞞工作カモフラージュさえした。物心共に平等博愛を是とする共同体に於いて、贔屓ひいきや利己主義の温床となる一夫一婦関係は禁忌タブー視されていたからだ。

 城外に下野すれば自らの家庭を営める。しかし、男は軍を率い、女は機織り工房の運営責任者。身勝手な選択をはばかる前に、彼らの矜持が私情に駆られての公務放棄を許さなかった。

 父親の没後、初めて母親がホノギに素性を明かす。入隊を却下され続けた背景に得心した瞬間でもあった。でも、真相を知ると余計に胸中が騒いだ。父親の足跡を辿りたくなる心情は尊敬の念と比例する。再志願の時には理不尽な門前払いも起きず、目出度く採用の運びとなった。

 入隊の遅れを取り戻そうと、彼は日々の精進に努める。そして、メキメキと頭角を現した。但し、先代ミカヅチとは年齢差も小さく、自分が武臣となる未来は訪れない。そう諦めた矢先に勃発した分裂騒動。つまり、垂涎の地位が空く。そんな好機を逃がすような彼ではない。

 ただ、彼の心底では出世よりも家族を重んじる気持ちが強かったようだ。

 父親は生前、ハタトヨの元を頻繁に訪れており、実の息子であるホノギをも可愛がった。実父と教えられずとも、幼い子供なら自分に親身な偉丈夫を甘え慕うだろう。親子3人で過ごした濃密な時間が人格形成の原点なのだ。

 斯かる生い立ちの彼だからこそ、愛する女性と家庭を営む止まらず、権力者の閨閥にも連なる両得の機会を見過ごせなかったのだ。


 オモイカネは、音信不通となったホノギに痺れを切らし、薩摩に第二の遣使を向かわせる。籾米を材料に釣り込む腹積もりであった。不審と警戒の眼で出迎える族長を説き伏せ、傭兵の確保にも成功する。

 ところが、狩猟民族の起用は新たな問題を生む。城内出身の兵士と違い、統制に不慣れな人種だ。更に言えば、気性も荒い。角逐の構図に好戦的な彼らを招き入れた結果、却って膠着状態をこじらせて仕舞う。

 端的には局所的な小競り合いの頻発だ。出奔した旧兵達と薩摩出身の新兵達とは筑紫ちくし平野一帯で乱闘を繰り広げた。迷惑を被ったのは農民達。農作業を邪魔されるばかりか、田畑を荒らされ、双方への鬱憤を募らせていた。

 一方、対峙するミカヅチは、石灰岩や石炭を採掘する蜈蚣むかで衆と語らい、邪馬台城への供給を途絶させる。武具や糧秣の補充が心許こころもと無い境遇を省察し、経済封鎖の我慢比べを挑んだのだ。

 残念ながら、出荷の滞った鉱石在庫は宝の持ち腐れとなる。石灰石から生石灰きせっかいを焼成するにしても、窖窯あながまの操業に長けた人材が香春かわら郷に見当たらないからだ。セメント製造に必要な知識、特に配合比――今やオモイカネが独占――も欠落していた。

 香春郷も苦境に喘いだが、経済活動の盛んな邪馬台城の方が大きな損害を被る。ミカヅチの判断は大局的に正しい。但し、対戦相手の性格を読み誤った感が有る。辛抱強く、理路重視の文人が積極的に戦端を開く道理わけが無い。

 詰まる処、彼の決断は、雌雄を決する局面をいたずらに引き伸ばし、緩慢な消耗戦を招くに等しかった。膠着状態が数年も続くと、目を覆うばかりの社会的疲弊に見舞われる。

 新羅しらぎ本紀には『西暦193年。倭国から大量の難民が韓半島に押し寄せ、その内の千人近くは半島東側の半ばまで北上した』と記録されている。

 九州北部の人口を20万人程度だと推定するに、0・5%相当。大半の難民は朝鮮半島の奥深く――新羅の前身――まで移動せず、半島南部の沿海地域に止まっただろう。してや、れっきとした海洋船舶を手配できずに、日本国内を彷徨さまよった難民は桁違いに多かったはずだ。

 前代未聞の大混乱だったと、読者も容易に想像できると思う。

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