第09話 落人の再起

 哀れな狗奴人くぬびとを受け入れてから1年弱。収穫の秋を迎えた檍原村あわきがはらむらは沸きに沸いていた。何故なら、米穀こめ穫高とれだかが例年に倍する程、前代未聞の豊穣に恵まれたからだ。天候にまつわる森羅万象の神々に感謝すべく、秋祭りが盛大に催された。

 時を同じくして、スサノオは村長むらおさの娘クシナダと再婚する。彼女は、古事記では櫛名田比売命、日本書紀では奇稲田姫と記述される。『奇稲田』との当字あてじには黒木人くろきびとの悩みが反映されている。筑紫ちくし狗奴くぬの見様見真似で稲作を始めたものの、栽培技術が未熟なゆえに成果も頭打ちとなっていた。

 好都合な事に、スサノオ達は熊本平野の中でも稲作技術に長けた一族である。

 辺境の村で迎えた最初の春。手始めに苗代なえしろの造り方で勘所こつを披露した。田圃たんぼ直播じかまきしては雑草との生育競争に負けるイネ。促成栽培して特別待遇する工程こそが苗代だ。庇護下に生え揃った早苗さなえを泥地に植え替える時期も指南した。黒木人は田植えに適切な水温すら知らなかったのだ。

 灌漑施設も稚拙だったので、梅雨入りすれば田圃の水位は上がり、明けると水位が下がる始末。付近の小川から引水する用水路やあぜに改良を加え、水位を安定させた。地面を平らにならす事で、イネの漬かる水深すら均等になるよう気を配った。

 連作可能な作物は少ない。その一つにイネが数えられる理由は、田圃をうるおす水流が山中より鉱質物ミネラルを運び込むからだ。養分補給の絡繰りメカニズムが上手く機能しなければ、イネだって順調に生育しない。

 些細な改良ながら大増産に結実した。来年は、育苗期に野鴨のがもを放ち、雑草を駆除させる計画だ。今年の初夏に雛鴨を生け捕り、風切羽を断って既に飼い慣らしている。利用方法は雑草取りに限らない。野鴨の数が十分に増えれば、庭鶏にわとりと同じく、食肉として絞める。

 また、今年の農作業を眺めていて、別の改善点にも気付いた。くわすきの歯床部が木製なのだ。鉄製と違い、浅い地面しか掘り返せない。地中に深く突き刺さった金属片が土塊を抉り出す。その重いながらも心地良い手応えを思い出すに連れ、木製農具の物足りなさに舌打ちする。

 掘り起こす目的を、作物が根を張り易いよう土壌をほぐすのだ、と表層的に考えては駄目だ。空気中の窒素を土中に捏ね込む意味合いも侮れない。知っての通り、窒素は肥料の原料。農業科学として確立しておらずとも、経験を通じて因果関係を認識していた。

 ひなびた辺境の寒村では鉄器も望めず、スサノオ達は(他の手段で代替できないか?)と悩み抜いた。夢に見るまで強く念じれば、暗闇に光明が差す。解決策は身近に転がっていた。僅かな頭数ながら家畜化され、運搬力として使役する馬の存在に着目したのだ。

――木製の大きなすきを馬に牽かせれば、深耕が可能だ!

 在来馬は、氷河期に中国大陸から陸伝いに渡ったとも、鹿児島県トカラ列島や沖縄県の宮古島や与那国島から持ち込まれた、とも言われている。

 古墳時代に導入された朝鮮半島の馬と比べると遥かに小型。反面、温和な性格で馬銜はみを噛ませずとも指図に従う。しかも、体質強健で消化器官が発達しており、野草のみの粗飼にも耐える。更に言えば、骨やひづめが堅く、骨折事故を滅多に起こさない。つまり、すこぶる扱い易い。

 ちなみに、彼らの堅い蹄に甘え、日本では蹄鉄文化が発達しなかった。唯一の例外は、雪国で履かせる藁沓わらぐつだろう。但し、緩衝機能ではなく、もっぱら保温を期待しての使用である。

 歩き方も特徴的で、特に険しい山道での運搬に向く。後ろ脚が発達しており、傾斜地での歩行を苦としない。だから、邪馬台城から米俵を持ち帰る際にも重宝した。余談ながら、城民は見慣れぬ家畜群に瞠目したそうだ。

 発案者のスサノオが期待する以上に農耕馬の働きは目覚ましく、鉄製農具よりも遥かに効果的であった。知恵の威力を目の当たりにした村人達は農業技術の伝導者の囲い込みに腐心し始める。最も強固な絆は姻戚関係だからこそ、クシナダをめとる運びとなったのだ。

 一方で残念な出来事もある。再婚話が持ち上がった頃、内向的な性格の息子イソタケが失踪した。新天地での生活に馴染めなかったようだ。実母を亡くした心的外傷を克服できず、自分の殻に閉じ籠るようになっていた。

 方々を探し回ったのだが、長男の行方はようとして知れない。山深い九州山地に雲隠れしたのだ、と皆が噂した。彼の遁走事件が元となり、五十猛神いそたけるのかみは森林の神様として崇められるようになった。また、外輪山での悲劇は災厄を司る禍津日神まがついのかみと同一神扱いされる所以ゆえんの一つでもある。


 翌年、スサノオ夫婦は娘を儲けた。病気や栄養失調の頻発する当時の平均寿命は30歳程度。25歳の彼は、高齢者に分類されようが、生殖能力は十分に高い。一方、初婚のクシナダは17歳。産後の肥立ちも順調だった。年嵩の男とつがい、早々に同衾の快楽を覚えたようで、直ぐに第二子を身籠る。

 長女はオオヤツ、次女はツマツと名付けられた。2人の姉妹は大屋津姫おおやつひめ抓津姫つまつひめ――樹木或いは家屋の女神――として神話に登場し、全国各地で祀られている。大屋津姫の〝屋〟は家屋を、抓津姫の〝抓〟は家屋建造用に製材した材木を意味する。

 岳父アシナヅチは、次女ツマツが生まれる直前、享年35歳で亡くなった。初孫を抱ける者が稀有な時代においては長寿を全うした方である。そして、自然な成り行きとして、スサノオが地位を引き継ぐ。


 御膝元での成果に満足したスサノオは近隣の村落にも農業指導して回った。指導の初期段階は口頭指南に過ぎず、手間が掛からないので何ら報酬を求めない。徒働ただばたらきは彼の人望を高める一方だ。

 評判は評判を呼び、求められれば嫌な顔をせず、宮崎平野の隅々にまで出向く。顔見知りの増加は一族の利となると心得て、行脚あんぎゃを厭わない。逃亡に至る経緯が露呈した時の保険として、裏切られぬよう恩を売っておく作戦でもある。

 巡回しながら、彼は繁農期の労働力不足を痛感する。(馬を使えば、もっと増産できるのに)と歯痒い思いを禁じ得ない。上手く繁殖させれば、開墾を進め、広大な田圃たんぼを維持できるだろう。目下の処、飼育頭数の少ない事が悩みの種だ。

 だが、その解決の道程には幾つもの難題が立ち塞がる。農村では滅多に重量物の運搬を迫られず、農閑期には無用の長物となる。つまり、世話の焼ける荷駄馬を余計に飼ったりしない。

 加えて、繁殖時期は年に1度の春季だけ。妊娠期間は1年弱と長い。妊娠した雌馬は、農作業は愚か、運搬作業にすら投入できない。順調に増やせたとして、今度は飼料調達が厄介となる。飼葉とする稲束の保管庫を何棟も建設せねばなるまい。

 そう言った事情から、頭数の増加は中々に難しそうであった。暇が有れば馬の姿を眺め、(何か解決策が無いものか?)と考え続けた或る日、薩摩熊襲の行商人から「岬に馬が遊んでいる」と聞き付けた。くだんの場所は都井とい岬。早速、何人かの村民を従え、実地検分に向かう。

 海に突出した標高200メートル程の小高い峰。三方を絶壁で囲まれた岬の長さは3キロ余り。強い海風が樹木の生育を妨げ、背の低い灌木が疎らに生えているだけの開放的な空間だ。台地の先端付近では野生馬の群れが柔らかな草を食んでいる。

 岬の付け根を柵で仕切れば、野生馬の囲込みと山狼おおかみ対策の一挙両得。自村内で通年飼育するよりも、此処での放牧を基本とし、繁農期だけ必要な頭数を連れ帰る方が効率的だろう。そう判断したスサノオは、統率下の村民を動員して、放牧場を整備し始めた。

 まずは牧童の詰所を建設。続いて、両手を広げた幅の間隔で木杭を地面に打ち、柵の支柱とする。横方向は半割した竹で覆う。支柱の間を縫うようにしならせ、反発力で木杭に圧着させる。その繰り返しで、半木半竹の塀を伸ばして行く。

 ところが、築くべき境壁の全長は非常に長く、その実現に暗雲が漂い始める。労働力不足に悩んだ挙句、農業指導の折に「実は・・・・・・」と持ち掛けると、恩返しの好機とばかりに協力を快諾する村落が続出した。情けは他人の為ならず、である。

 作物の育たぬ荒地に既得権益は存在しない。土木作業を手伝わされた人々は「奇妙な事を始めたな」と呆れはしたが、誰も異議を唱えなかった。

 こうして事業基盤を整えつつも、最大の難題は「如何どうやって儲けるか?」である。

――馬との交換に見合う米穀こめとはの程度だ?。10俵か・・・・・・?

 10俵なんて払える村人が何処に居る?。少なくとも俺の村には居ない・・・・・・。

――馬1頭で増やせる収穫は?

 田圃たんぼの広さにも依るが、年に3俵か4俵の増収は確実だろう。

――毎年1俵で馬を貸し出すのは如何どうだ?

 米穀こめを払っても馬を所有できないって話に、村人は納得するかな・・・・・・。

――否々いやいや、利に聡い者ほど借りたがるに違いない。賃料以上に穫高とれだかが増えるんだから。

 スサノオは、頭の中で架空の問答を重ね、全く新しい事業形態ビジネスモデルを生み出したのである。


 光陰矢の如し。スサノオが第二の人生を歩み始めてから10年以上の歳月が流れた。30歳代の半ばを過ぎ、岳父アシナヅチの享年と並ぶ。しかしながら、高齢期に儲けた娘達は未だ幼く、婿取りもままならない。確かな蓄えを遺す事が父親の務め――と、彼は決意を新たにしていた。

 幸い、宮崎平野の穫高とれだかは著しく増えている。筑紫ちくし平野や熊本平野に耕作面積で及ばないが、人口も少なく、其れなりに余剰米が安定的に発生する。半面、高温多雨の南九州で貯蔵を試みても、翌年の梅雨時を越せない。

 老いたスサノオは邪馬台城への預米を決心する。最初は派遣者の選定に悩んだが、自ら出向こうと思い直す。物事を円滑に進めるには臨機応変さが求められるだろう。黒木人くろきびとに預米の経験は無く、彼自身が隊商を率いるべきだった。

 重ねた労苦が日焼けした赤銅色の顔に深い皺を刻んでいる。自分を罪人だと看破る者が邪馬台城に残っているとは思えない。それに・・・・・・万一、発覚ばれたとしても構わない。余命の短さを自覚し、うに生きる気力を薄れさせていた。

 枯淡の境地に至る一方で、周囲から頼りにされ、復活を成し遂げたとの満足感も有った。更には、死ぬ前に一目だけで良い、生家周辺の田園風景を目に焼き付けたいとの望郷の念も強かった。

 荷駄馬の背中に米俵を積んだ隊商――総勢75頭が150俵を担ぐ――が宮崎平野を出発する。片道2泊3日の旅程。順調に行けば、帰還まで朝日を指折り数えても片手で済む。

 海岸沿いを延岡まで北上したら、西に転じて九州山地に分け入る。高千穂からは忌まわしき活火山を迂回し、宇土半島に向かって緑川沿いを西進。有明海に出たら海岸を北上し、熊本平野を通り過ぎて、邪馬台城に至る。当時としては九州を斜めに横断する合理的な道程だろう。

 馬上に揺られる者はスサノオのみ。10人以上の男達は徒歩で随行する。隊商を乱さぬよう馬を曳く為でもあったが、最大の理由は鞍の欠如だ。つまり、騎乗の発想が無く、彼は荷物として運ばれているに過ぎない。

 延岡で1泊目の宿営地を畳んだ一行は樹木の生い茂る山道を登り始める。スサノオは単調な揺れに微睡まどろみながら、過去に想いを馳せていた。追捕の者に怯え逃亡した記憶を掘り起こすも、あの時の恐怖心までは蘇らない。

 狭い盆地状の高千穂で一時的に森から抜け出た時には、遠くにそびえる阿蘇山を眺めた。赤黒い岩肌を露出させた山容。滑落した先妻の生死を確かめずに見放したと懺悔し、失踪した長男イソタケをも想い出す。(悪い事をした)と悔恨の涙を浮かべるも、過去の話だと諦観の念に慰められ、頬を伝うには至らない。

 昼過ぎからは緩斜面を延々と下る。太陽が八代湾の水平線に沈まんとする頃、九州山地の深い森をようやく抜け出せた。2泊目の宿営地と定めた池のほとりで、随行者が煮焚きの準備を始める。馬背から須恵器すえきと食材を降ろすと、或る者は火をおこし、別の者は水を汲んで調理に取り組む。

 焚火を囲んでの夜。スサノオは、炎の中に10年前の惨事を思い浮かべ、走馬灯の如く脳裏に去来する新天地での人生を振り返った。一方で、自分が銅貨を横領した後の狗奴くぬ集落は地獄絵図と化したようだ。厄災後の凶作期を食いつなげず、奴婢として邪馬台城にくだる者が続出したと聞く。

――同胞を見捨てた過去からは逃れられまい。因縁の地に近付いた今夜こそ・・・・・・。

 八代海の暗い波間より浮き出た彼らの怨念が、元凶たる自分の魂を〝根国ねのくに(死者の国)〟に引き摺り込まんと襲い掛かるだろう。そう覚悟して目を閉じたのだが、目蓋の裏に透けた曙光が昨日と変わらぬ朝の訪れを告げる。

――黒木での献身が帳消しにしたのか?

肩透かしされた老人を余所に、随行の男達は朝餉あさげを準備し、食い終わるや否や翌朝は日の出と共に出発する。現役世代の関心事は、旅の目的である預米作業の遂行と、畏敬の念を抱く対象の検分である。その城郭都市の姿について、銘々が勝手に想像しては、自説を押し通す。その賑やかさは丸で子供の遠足であった。

 小一時間で島原湾を望む宇城に至る。朝日にきらめく内海の細波さざなみは何処までも穏やかで、大海に臨む日向灘ひゅうがなだの荒波とは様相を異にする。心地良く耳朶じだに響く潮騒がスサノオに帰郷の安寧を実感させた。

――帰って来たんだなぁ。

 更に北上し、熊本平野の西端を通過する。狗奴集落の領域も海岸までは広がっておらず、幸か不幸か、誰とも擦れ違わなかった。(故郷のなまりを耳にしたい)との誘惑が胸中を騒がせるも、地元民との接触は禁物である。(身元が割れては面倒だ)と、密かに自制するスサノオだった。


 邪馬台城に到着すると、まずは南門の堅牢な門構えに隔世の感を抱く。狗奴くぬの襲撃に懲り、スサノオが目撃した南門に限らず、東西南北全ての城門が改築されていた。

 城門と城内をつなぐ通路は、固定式の土橋から丸太組みの跳ね橋に変わっている。跳ね橋の左右には高い煉瓦塀が築かれ、両側の水堀を隠している。夜間に跳ね橋を揚げれば、第二の城門と化し、水堀を底面とした閉鎖空間が出現するのだろう。

 2基体制に強化された物見櫓ものみやぐらの足元には物置小屋が建っている。戸口の奥には何段もの棚が張られ、球形土器が山盛りに積まれていた。城兵達が反撃に用いた粉玉こなたまである。武器として生石灰きせっかいが有効だと再認識したようだ。

 過去の争乱を知る男に率いられ、平和的な交易の象徴とも言える隊商が堅牢な南門を潜って行く。

「見ない顔だな。何処から来た?」

 誰何すいかする門兵も預米者の顔を一々覚えていまい。素状を疑っての問いではなく、珍しい隊商への好奇心が言わせた台詞せりふだろう。実際、門兵の視線は延々と連なる長い馬列に注がれている。

「阿蘇の向こうから来ました。小さな集落むらながらも穫高とれだかが増えております。豊穣の恵みを無駄にせぬよう、初めて城を訪れました」

「この動物は何と言う?」

「馬です」

「そうか・・・・・・。御前達の集落むらでは馬を使って運ぶのか?」

「最も役立つ時は田起しでしょうか。重い荷を運ばせるのは田圃たんぼの暇な冬です」

「そうか・・・・・・」

 興味本位で尋ねたに過ぎず、門兵の質問も続かない。スサノオは内心で安堵した。

「城内に入っても構いませんか?」

「っああ」との間抜けな返事と共に、馬の尻尾に飛んでいた意識が戻る。自分の職務を思い出したようで、「何処に運べば良いか、分かるか?」と確認する。

「いやぁ、何せ初めて来たもんで・・・・・・」

 老いた田舎者には優しくせねばと、身振り手振りを交えて親切に行き先を案内する門兵。だがしかし、隊商が再び歩み出し、守衛所を通過し始めると、1人の目撃者に帰す。口をポカンと開けて彼らの後姿を眺めるのだった。

 開けた広場を横切る最中も、摺れ違う全員が好奇の視線を注いで来る。豊穣祭の興行師であっても、これ程の関心を集めまい。想定外の展開であったが、今さら引き返しようもない。スサノオは深呼吸をして気持ちを落ち着けた。他の黒木人は皆、城郭の大きさに圧倒され、周囲を見回している。

 穀物庫の前でも、受付の男が門兵と同じ質問を繰り返す。だが、仕事熱心な者らしく、直ぐに籾米の検分に着手する。重い米俵は、随行の黒木人が2人掛りで馬の背から地面に降ろし、専属の奴男やっとこが庫内に搬入した。

「確かに預かった」と、受付の男が1枚の銅貨を手渡す。その際、「御前達、預米は初めてだと言ったよな?」と再確認する。初心者には予め納得させねばならぬ規則が有るからだ。

「100俵を預け入れても、引き出せる量は80俵だからな。邪馬台の遣り方を知っておるか?」

「はい。噂で聞いておりましたから」

 後々の面倒事が起きないと安心した男は「良かろう」と頷き、「それではたな」と軽く手を挙げる。 

「ところで、お尋ねしたい事が有ります」

「何だ?」

「邪馬台には水に溶かすと固くなる粉が有るそうですね」

 いまの卑弥呼は収穫量の増大に心を砕き、その一環としてセメントの流出を解禁していた。用水路とする溝渠こうきょの底を塗膜し、土壌への浸水量を抑える。河川から遠く離れた場所まで水を引ければ、開墾が進む。

 筑紫つくし平野に限らず、九州全域に「灌漑して田圃たんぼを増やせ」と推奨すらしていた。豊かになれば諍いは起きぬ――と、一昔前の叛乱を反省した結果である。

「残りの米俵を交換したいのですが、何処に行けば良いでしょう?」

「ああ、固め粉かためこか。彼処あそこに見える建物だ」

 男は混粒工房を指差した。スサノオは礼を言い、教えられた方向に隊商を転舵する。

 工房の軒下まで山積みされた麻袋の中身はセメントだ。籾米を詰めた麻袋に比べると薄平うすっぺらいが、持ち上げると同じ様に重い。残りの50袋を交換し、荷駄馬の背中に一つずつ載せる。

 第二の故郷を富ませ、自分を再起させてくれた人々に報いたい。殊勝にも、彼の胸に去来する想いは強い感謝の念であった。

――用事は済んだ。早々に引き揚げるとしよう。

 力ませた肩を緩め、ホっと溜息を吐く。短い余命を承知しつつも、出来れば安穏と死にたい。自分の出奔後に狗奴くぬ集落が何を話し合ったか。それを知らぬ身としては不安で仕方が無い。今さら過去の罪を蒸し返される顛末は御免被りたいものだ。


 南門に向かって踵を返し、門兵の姿を遠目に認めるまで戻った頃だ。

「おーい!。御前達、止まれ!」

 小走りに追いすがる足音が続く。スサノオの四肢は硬直した。視線を逸らせて俯く。他の者は物憂げに振り返り、厚剣を腰に佩いた男の姿を漫然と眺めている。

「我がきみが『是非にも会いたい』と申しておられる。どうか、宮殿みやどのまで一緒に来ては貰えぬか?」

 万事休す。「呼び止めて悪いがのう」と下手に出られては愈々いよいよ、拒否しようが無い。

――俺の命運も尽きたか・・・・・・。

 命脈の断たれた事に嘆息し、天を仰ぎ見た。何処までも透き通るように青い冬空であった。

「馬は此処に置いて行くのか?」

「馬と言うのか・・・・・・。ああ、是非にも連れて来て欲しい。その馬を見たいそうだ」

――関心の的は馬か・・・・・・。俺の素状を疑っていないなら、屹度きっと・・・・・・。

 衛士えじの先導で奥へと向かう間、幾筋もの冷汗が流れ落ちる。緊張の余り、少しつまづき加減に歩調も乱れる。

 主女あるじは正面の踊場で隊商の到着を待ち侘びていた。観音開きに開け放たれた杉の扉が悪夢を蘇らせる。目玉を素早く左右させ、自分を捕縛したミカヅチを探す。今の処、脳裏に焼き付いた悪鬼姿は見当たらない。

 5段の拝謁階段の前に横並んだ黒木人くろきびとは棒立ち状態で現人神あらひとがみを見上げた。一方の女神は庭内に入り切らぬ荷駄馬の列を眺めている。火焔神ひのかみの怒りを招いた際、スサノオとツイナの2人は顔を合わせていない。

「ずっと以前、卑弥呼となって直ぐの頃です。初見の者共ものどもが未知なるけものに米俵を載せて帰ったそうです。生憎、城外に遠出していたわれは見聞できませんでしたが――」

 10年前の出来事をく憶えているものだ。内心で舌を巻くと同時に、前科者の警戒心が募る。

「今度は見逃したくない、と気になったのです。あの時と同じ集落むらの方ですか?」

 檍原あわきがはら村の村長だった脚摩乳あしなづちが銅貨一枚分だけ試しに引き出していた。80俵を担いで運ぶのは難儀するからと、荷駄馬を何頭か連れて行ったはずである。逃亡の過去に繋がる話であり、惚けておく他は無い。

「分かりません。私達の預米は初めてです」

「そうですか。それでは一体、貴方あなた達は何処から来たのですか?」

「阿蘇の向こうから。熊襲くまその地の手前からです」

 スサノオが伏目勝ちに答える。『熊襲』の言葉に一瞬だけ表情を強張らせるツイナ。

「貴方達は熊襲くまそ族なの?」

「薩摩の民とは違います。狩りに長けた者は少なく、田畑で日々のかてを得ています」

 熊襲族とは南九州の蛮族を意味する言葉だ。霧島連峰を境に、鹿児島県側に棲む民族を薩摩人、宮崎県側に棲む民族を黒木人と区別するのが適切な分類だ。元々は同じ民族であったが、違う風土に感化され、性格や習慣も相違するようになった。

 経済的に疎遠な邪馬台人やまたいびとは両者を渾然一体に認識している。端的に言えば、野蛮な薩摩熊襲の印象しかない。噛み合わぬ珍問答を続けた末に、一昔前に襲来した部族とは異なる傍流だと、女神も理解した。

 恐怖心が霧消すれば、知識欲が再浮上する。未知なる物を前に「何故?」を連発する癖は宗女の頃から変わっていない。好奇心が旺盛なのだ。

「この獣を何と呼ぶのですか?」

「馬です」

「馬と言うのですか」

 衛士と同じ反応を示す。しかし、それは単なる前座。篤学者の真骨頂を発揮し、矢継早の質問を浴びせ始める。

「貴方達の集落に行けば、もっと多くの馬を見れるの?」

「ええ」

の位?」

「沢山です」

「何を食べるの?」

「草です」

 次から次へと繰り出される質問の列。(有耶無耶の内に切上げたい)との一心で、どもりながら最小限の言葉で誤魔化すスサノオ。襤褸ぼろを出すまい、と必死だった。鼓動が徐々に乱れ、顔色も蒼白に薄れる。

「貴方。具合が悪そうよ。少し休んだら?」

 老人の体調不良を優しくいたわるツイナ。「なんだったら、宮殿みやどのに泊まりなさいよ」と畳み掛ける。その誘いを懸命に辞退するスサノオ。(覚悟を固めていたはずなのに・・・・・・)と狼狽するばかりだ。

「御馳走するわよ。心置きなく話を聞けるから、われも嬉しいわ」

 招待する方は未練を断ち切れないようだ。れや此れやと執拗に誘い水を出す。未体験ゆえに正体不明なれど、何やら愉快な気分を味わえそうだ。妄想に胸を膨らませた黒木人は互いに目配せし、村長の顔色を盗み見し始める。

 れど、当の本人に敵陣で一夜を明かす度胸は無い。年老いたいまとなっては集中力も続かず、御下問――彼にとっては尋問――を巧く煙に巻く自信も無い。激しく手を振り、しどろもどろになって抗った。

「そう?。残念だわ・・・・・・」

 気落ちしたのも一瞬。朗らかな笑顔と共に代替案を提示する。

「貴方の集落をオモイカネがおとなっても構わないかしら?。外遊先から戻ったら、裏阿蘇まで足を延ばせと勧めてみるわ」

 向来きょうらい、意識して接触を断って来たのだ。向後きょうこうとも足を踏み入れて欲しくないのが本音だ。一方で、頑なに拒絶するのも不自然極まりない。既に挙動不審な言動を十分に晒している。スサノオは不承ふしょう々々ぶしょうに応諾した。

 

 数ヶ月後、予告通りにオモイカネが姿を現す。誰もが寒さに身を縮める冬の最中。けれども、曇天に覆われる北部九州を拠点とする者にとって、宮崎平野は快適な避寒先であった。何せ雪の降ったためしが無い。

 自給自足の生活を営むのが精一杯だった黒木集落は物々交換の輪に組込まれていない。強いて言えば、地元特産の農作物と薩摩人さつまびとが取り扱う毛皮等とを交換するのみ。

 邪馬台城にとって九州東南部は〝裏九州〟とでも呼ぶべき未踏の地。情報が無きにも等しく、「熊襲の地の手前」との漠たる案内に頼るしかない。反面、人間の通う行路は一本道だ。迷い様が無い。日南海岸まで出ると南下し、点在する村落を一つずつ地道に訪ね歩いた。

 未到の地を彷徨さまよいながらも、幸いにして無事、目的地へと辿り着く。海岸沿いの街道では、広大な乾田――勿論、筑紫ちくし平野よりは狭い――も道標となった。人家は耕作地の付近に集まるからだ。

 一方のスサノオは、城から戻って以降、村人には「村長むらおさと呼べ」と厳命していた。敢えて友人を作らずに過ごしたが、媚びを売る者は「スサノオさん」と親しげに寄って来る。その呼び名を聞き咎めたオモイカネに詮索されては堪らない。

 少なからず身構えていた彼だが、実際に訪問者が現れると、流石さすがに動揺を禁じ得なかった。恐怖と警戒の入り混じった驚愕。平常心を保つのに苦労する。

 肚を括って対面してみると、吉野ヶ里で自分を殺せと命じた人物とは別人であった。現人神あらひとがみいえども人間。長い歳月は彼らにも代変りを強いる。運命の暗転をも覚悟していただけに、ドッと汗が噴き出した。安堵に弛緩し、肺が求めるままに深呼吸する。

――切り抜けられるかも知れない。

 以降も自分の素状を疑わぬよう細心の注意を払い続けたが、その努力は杞憂に終わった。何故なら、大半の話題に馬耳東風。対照的に、未知なる動物に関してなら、如何いかに些細な情報であろうと、頻りに訊きたがった。

 百聞は一見にかずとは調査活動の要諦。農閑期には活躍の場が無く、使役の現場を見学できないと知るや、酷く残念がった。しかしながら、視察を切上げたりはせず、旺盛な探究心を発揮し続ける。集落内での飼育観察だけでは飽き足らず、都井とい岬の放牧場まで足を伸ばす程であった。

 約1週間に及んだ投宿の最終日。オモイカネはスサノオと膝詰の談判をする。

「馬を米と交換する積りは無いかね?」

「米は要らんな。預米する程に余っている」

 期待を持たせる言い方はしない。更には、譲れない相談だと明言し、断念させようと踏み込んだ。

「馬の頭数が揃えば、田圃たんぼを増やせる。我々にとって貴重品なんだよ」

 ところが、智臣もるもの。「それはそうだろう」と首肯しつつ、猶も食い下がる。

香春かわらの山々から砕石を運ぶ作業は難儀でなあ。馬を使えれば、本当に助かるのだ。喉から手が出る程に欲しい」

「諦めてくれ。母馬は年に1度しか子を生まん。しかも1頭だけなんだ。他所に分ける余裕なんて無い」

 渋い表情を崩さない交渉相手に、今後は条件闘争を仕掛ける。

「だが、村長むらおさ。見た処、今は遊ばせているようだ。ならば、冬の農閑期だけでも貸して貰えんか?」

 悪くない提案だ。スサノオは顎を撫でながらしばらく考えた。自分の保身と集落の繁盛。両者を計る天秤棒が反対側へと傾いて行く。

「幾らだ?」

「馬10頭で銅貨1枚。稲刈りを終えてから、翌年の田起しが始まるまで」

「毎年か?」

「そうだ」

「あんたらに馬を扱えるのか?」

 実行を見据えた指摘に饒舌だった交渉者も口籠る。

「村人を働かせるなら、その分も上乗せして貰わないと困るな。男手は冬支度に欠かせない」

 幾ら多弁であっても、現場を知らぬ者は軽くあしらわれるのが関の山。もう一歩の譲歩で合意できるなら安いものだ。飽くなき貪欲さに閉口しつつ、「し!」と踏ん切った。

「馬9頭で銅貨1枚。如何どうだ?」

 馬1頭当り、冬場に籾米8俵を追加で稼げる最提案。最後の一押しに満足したスサノオは勿体振って頷いた。オモイカネも大仰に頭を下げる。

 2人が商人あきんど気質かたぎ丸出しの応酬を交わした結果、黒木集落は邪馬台国の経済圏に組み込まれる事になった。

 

 在来馬の普及は運搬用の竹籠たけかごをも九州各地に浸透させる。それまでの網代に編んだ竹細工は小型の生活用具――魚籠びくざるたぐい――に限られた。馬背の左右に大きな竹籠を二つ提げよう――と、誰かが思い付くや否や、模倣の連鎖で瞬く間に一般化した。

 最も頻繁に見掛けるのは収穫期の田圃たんぼ。刈り穫った稲を束ね、馬背の竹籠に放り込む。稲木干しの竿まで何度も往来せずに済むので、作業効率が格段に改善した。

 紐を付けた改良品――背負子しょいこ――を別の誰かが発明すると、人間までもが提げ始める。竹籠を背負って春の山菜穫りや秋の栗拾いに臨めば、両手で抱える以上の採集が可能となる。労働生産性が大きく改善した。

 ちなみに、鹿児島県大隅半島は九州で最大規模を誇った真竹の群生地。竹細工の名人を多く輩出した地でもある。ところが、幾ら手の込んだ工芸品を作ろうとも、重量制の物々交換では正当に評価されない。軽量ゆえに籾米の代価は知れているのだ。気の毒な事に、見返りは小さく、貧しいままだった。

 炭焼きや竹編みを生業なりわいとする彼らは、親類縁者で身を寄せ合い、山間に点在して棲み続けた。蓄財できないので、集落を築くには至らない。但し、独自の文化を育み、幸せに暮らしていたようだ。後の世に隼人はやとと呼ばれ、大和朝廷の支配に抗った歴史からも推察できる。


 年を重ねる毎に黒木集落は豊かになった。中でもスサノオ一家は馬荷役の権益で最も潤った。姻戚関係を望む声は多く、引手ひくて数多あまただった娘オオヤツは順当に集落最大の権力者一族へととつぐ。

 残念ながら、スサノオは愛娘の婚儀に列席できなかった。婚約に至って肩の荷が降りたと安心したのだろう。享年42歳で永眠する。

 西暦170年の当時としては大往生であったが、如何いかんせん、人生を遣り直した彼に残された時間は短かった。それでも、新しい家族の幸せな前途を確信し、満ち足りた表情で息を引き取ったと言う。

 集落民の大勢が、荼毘だびに付す篝火かがりびを見守り、繁栄をもたらした農業技術の伝導者に感謝の祈りを捧げた。故人を偲ぶ想いは現代人と同じなれど、弥生時代には服喪の発想が無い。

 半面、有力者の婚儀を、豊穣祭の一環に組み込み、共同体の慶典とする慣習が定着している。つまり、開催の機会は年に一度と少ない。寡婦となったクシナダに主体性は無く、早期通婚を望む新郎側が主導するようにして、婚儀は滞りなく執り行われた。

 新婦は子宝にも恵まれ、三男一女を儲ける。息子達は、アマツ、カツヒ、ナムジと名付けられ、娘はハナサクと名付けられた。三男ナムジは大穴牟遅神おおなむぢのかみ、後の大国主神おおくにぬしのかみとして神話に登場する。

 スサノオが没して丁度10年後の西暦180年、ツイナ(卑弥呼)も逝去した。享年44歳。次世代の大国主神が3歳の時であった。一つの時代が終焉を迎え、各地で着実に世代交代が進む。

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