第09話 落人の再起
哀れな
時を同じくして、スサノオは
好都合な事に、スサノオ達は熊本平野の中でも稲作技術に長けた一族である。
辺境の村で迎えた最初の春。手始めに
灌漑施設も稚拙だったので、梅雨入りすれば田圃の水位は上がり、明けると水位が下がる始末。付近の小川から引水する用水路や
連作可能な作物は少ない。その一つにイネが数えられる理由は、田圃を
些細な改良ながら大増産に結実した。来年は、育苗期に
また、今年の農作業を眺めていて、別の改善点にも気付いた。
掘り起こす目的を、作物が根を張り易いよう土壌を
――木製の大きな
在来馬は、氷河期に中国大陸から陸伝いに渡ったとも、鹿児島県トカラ列島や沖縄県の宮古島や与那国島から持ち込まれた、とも言われている。
古墳時代に導入された朝鮮半島の馬と比べると遥かに小型。反面、温和な性格で
歩き方も特徴的で、特に険しい山道での運搬に向く。後ろ脚が発達しており、傾斜地での歩行を苦としない。だから、邪馬台城から米俵を持ち帰る際にも重宝した。余談ながら、城民は見慣れぬ家畜群に瞠目したそうだ。
発案者のスサノオが期待する以上に農耕馬の働きは目覚ましく、鉄製農具よりも遥かに効果的であった。知恵の威力を目の当たりにした村人達は農業技術の伝導者の囲い込みに腐心し始める。最も強固な絆は姻戚関係だからこそ、クシナダを
一方で残念な出来事もある。再婚話が持ち上がった頃、内向的な性格の
方々を探し回ったのだが、長男の行方は
翌年、スサノオ夫婦は娘を儲けた。病気や栄養失調の頻発する当時の平均寿命は30歳程度。25歳の彼は、高齢者に分類されようが、生殖能力は十分に高い。一方、初婚のクシナダは17歳。産後の肥立ちも順調だった。年嵩の男と
長女はオオヤツ、次女はツマツと名付けられた。2人の姉妹は
御膝元での成果に満足したスサノオは近隣の村落にも農業指導して回った。指導の初期段階は口頭指南に過ぎず、手間が掛からないので何ら報酬を求めない。
評判は評判を呼び、求められれば嫌な顔をせず、宮崎平野の隅々にまで出向く。顔見知りの増加は一族の利となると心得て、
巡回しながら、彼は繁農期の労働力不足を痛感する。(馬を使えば、もっと増産できるのに)と歯痒い思いを禁じ得ない。上手く繁殖させれば、開墾を進め、広大な
だが、その解決の道程には幾つもの難題が立ち塞がる。農村では滅多に重量物の運搬を迫られず、農閑期には無用の長物となる。つまり、世話の焼ける荷駄馬を余計に飼ったりしない。
加えて、繁殖時期は年に1度の春季だけ。妊娠期間は1年弱と長い。妊娠した雌馬は、農作業は愚か、運搬作業にすら投入できない。順調に増やせたとして、今度は飼料調達が厄介となる。飼葉とする稲束の保管庫を何棟も建設せねばなるまい。
そう言った事情から、頭数の増加は中々に難しそうであった。暇が有れば馬の姿を眺め、(何か解決策が無いものか?)と考え続けた或る日、薩摩熊襲の行商人から「岬に馬が遊んでいる」と聞き付けた。
海に突出した標高200メートル程の小高い峰。三方を絶壁で囲まれた岬の長さは3キロ余り。強い海風が樹木の生育を妨げ、背の低い灌木が疎らに生えているだけの開放的な空間だ。台地の先端付近では野生馬の群れが柔らかな草を食んでいる。
岬の付け根を柵で仕切れば、野生馬の囲込みと
まずは牧童の詰所を建設。続いて、両手を広げた幅の間隔で木杭を地面に打ち、柵の支柱とする。横方向は半割した竹で覆う。支柱の間を縫うように
ところが、築くべき境壁の全長は非常に長く、その実現に暗雲が漂い始める。労働力不足に悩んだ挙句、農業指導の折に「実は・・・・・・」と持ち掛けると、恩返しの好機とばかりに協力を快諾する村落が続出した。情けは他人の為ならず、である。
作物の育たぬ荒地に既得権益は存在しない。土木作業を手伝わされた人々は「奇妙な事を始めたな」と呆れはしたが、誰も異議を唱えなかった。
こうして事業基盤を整えつつも、最大の難題は「
――馬との交換に見合う
10俵なんて誰が払える?。少なくとも俺の村には居ない・・・・・・。
――馬1頭で増やせる収穫は?
――毎年1俵で馬を貸し出すのは
――
スサノオは、頭の中で架空の問答を重ね、全く新しい
光陰矢の如し。スサノオが第二の人生を歩み始めてから10年以上の歳月が流れた。30歳代の半ばを過ぎ、
幸い、宮崎平野の
老いたスサノオは邪馬台城への預米を決心する。最初は派遣者の選定に悩んだが、自ら出向こうと思い直す。物事を円滑に進めるには臨機応変さが求められるだろう。
重ねた労苦が日焼けした赤銅色の顔に深い皺を刻んでいる。自分を罪人だと看破る者が邪馬台城に残っているとは思えない。それに・・・・・・万一、
枯淡の境地に至る一方で、周囲から頼りにされ、復活を成し遂げたとの満足感も有った。更には、死ぬ前に一目だけで良い、生家周辺の田園風景を目に焼き付けたいとの望郷の念も強かった。
荷駄馬の背中に米俵を積んだ隊商――総勢75頭が150俵を担ぐ――が、集落の重鎮が見守る中、出発する。コンテナを満載した貨物列車が駅舎を離れるが如く、人馬の歩みは鈍重であった。それでも、片道2泊3日の旅程。順調に行けば、帰還まで朝日を指折り数えても片手で済む。
海岸沿いを延岡まで北上したら、西に転じて九州山地に分け入る。高千穂からは忌まわしき活火山を迂回し、宇土半島に向かって緑川沿いを西進。有明海に出たら海岸を北上し、熊本平野を通り過ぎて、邪馬台城に至る。当時としては九州を斜めに横断する合理的な道程だろう。
馬上に揺られる者はスサノオのみ。10人以上の男達は全員が徒歩で随行する。隊商を乱さぬよう馬を曳く為でもあったが、最大の理由は鞍の欠如に有った。つまり、騎乗の発想が無く、彼は荷物として運ばれているに過ぎない。
延岡で1泊目の宿営地を畳んだ一行は樹木の生い茂る山道を登り始める。スサノオは単調な揺れに
狭い盆地状の高千穂で一時的に森から抜け出た時には、遠くに
昼過ぎからは緩斜面を延々と下る。太陽が八代湾の水平線に沈まんとする頃、九州山地の深い森を
焚火を囲んでの夜。スサノオは、炎の中に10年前の惨事を思い浮かべ、走馬灯の如く脳裏に去来する新天地での人生を振り返った。一方で、自分が銅貨を横領した後の
――同胞を見捨てた過去からは逃れられまい。因縁の地に近付いた今夜こそ・・・・・・。
八代海の暗い波間より浮き出た彼らの怨念が、元凶たる自分の魂を〝
――黒木での献身が帳消しにしたのか?
肩透かしされた老人を余所に、随行の男達は
小一時間で島原湾を望む宇城に至る。朝日に
――帰って来たんだなぁ。
更に北上し、熊本平野の西端を通過する。海岸までは狗奴郷も広がっておらず、幸か不幸か、誰とも擦れ違わずに済んだ。(故郷の
邪馬台城に到着すると、まずは南門の堅牢な門構えに隔世の感を抱く。
城内に通じる橋梁の構造は固定式から可変式へ。つまり、土を盛った堰橋から丸太組みの跳ね橋に変わっている。跳ね橋の左右には高い煉瓦塀が築かれ、両側の水堀を隠している。夜間に跳ね橋を揚げれば、第二の城門と化し、水堀を底面とした閉鎖空間が出現するのだろう。
2基体制に強化された
過去の争乱を知る男に率いられ、平和的な交易の象徴とも言える隊商が堅牢な南門を潜って行く。
「見ない顔だな。何処から来た?」
「阿蘇の向こうから来ました。小さな
「この動物は何と言う?」
「馬です」
「そうか・・・・・・。御前達の
「最も役立つ時は田起しでしょうか。重い荷を運ばせるのは
「そうか・・・・・・」
興味本位で尋ねたに過ぎず、門兵の質問も続かない。スサノオは内心で安堵した。
「城内に入っても構いませんか?」
「っああ」との間抜けな返事と共に、馬の尻尾に飛んでいた意識が戻る。自分の職務を思い出したようで、「何処に運べば良いか、分かるか?」と確認する。
「いやぁ、何せ初めて来たもんで・・・・・・」
老いた田舎者には優しくせねばと、身振り手振りを交えて親切に行き先を案内する門兵。だがしかし、隊商が再び歩み出し、守衛所を通過し始めると、1人の目撃者に帰す。口をポカンと開けて彼らの後姿を眺めるのだった。
開けた広場を横切る最中も、摺れ違う全員が好奇の視線を注いで来る。豊穣祭の興行師であっても、これ程の関心を集めまい。想定外の展開であったが、今さら引き返しようもない。スサノオは深呼吸をして気持ちを落ち着けた。他の黒木人は皆、城郭の大きさに圧倒され、周囲を見回している。
穀物庫の前でも、受付の男が門兵と同じ質問を繰り返す。だが、仕事熱心な者らしく、直ぐに籾米の検分に着手する。重い米俵は、随行の黒木人が2人掛りで馬の背から地面に降ろし、専属の
「確かに預かった」と、受付の男が1枚の銅貨を手渡す。その際、「御前達、預米は初めてだと言ったよな?」と再確認する。初心者には予め納得させねばならぬ規則が有るからだ。
「100俵を預け入れても、引き出せる量は80俵だからな。邪馬台の遣り方を知っておるか?」
「はい。噂で聞いておりましたから」
後々の面倒事が起きないと安心した男は「良かろう」と頷き、「それでは
「ところで、お尋ねしたい事が有ります」
「何だ?」
「邪馬台には水に溶かすと固くなる粉が有るそうですね」
「残りの米俵を交換したいのですが、何処に行けば良いでしょう?」
「ああ、
男は混粒工房を指差した。スサノオは礼を言い、教えられた方向に隊商を転舵する。
工房の軒下まで山積みされた麻袋の中身はセメントだ。籾米を詰めた麻袋に比べると
第二の故郷を富ませ、自分を再起させてくれた人々に報いたい。殊勝にも、彼の胸に去来する想いは強い感謝の念であった。
――用事は済んだ。早々に引き揚げるとしよう。
力ませた肩を緩め、ホっと溜息を吐く。短い余命を承知しつつも、出来れば安穏と死にたい。自分の出奔後に
南門に向かって踵を返し、門兵の姿を遠目に認めるまで戻った頃だ。
「おーい!。御前達、止まれ!」
小走りに追い
「我が
万事休す。「呼び止めて悪いがのう」と下手に出られては
――俺の命運も尽きたか・・・・・・。
命脈の断たれた事に嘆息し、天を仰ぎ見た。何処までも透き通るように青い冬空であった。
「馬は此処に置いて行くのか?」
「馬と言うのか・・・・・・。ああ、是非にも連れて来て欲しい。その馬を見たいそうだ」
――関心の的は馬か・・・・・・。俺の素状を疑っていないなら、
5段の拝謁階段の前に横並んだ
「ずっと以前、卑弥呼となって直ぐの頃です。初見の
10年前の出来事を
「今度は見逃したくない、と気になったのです。あの時と同じ
「分かりません。私達の預米は初めてです」
「そうですか。それでは一体、
「阿蘇の向こうから。
スサノオが伏目勝ちに答える。『熊襲』の言葉に一瞬だけ表情を強張らせるツイナ。
「貴方達は
「薩摩の民とは違います。狩りに長けた者は少なく、田畑で日々の
熊襲族とは南九州の蛮族を意味する言葉だ。霧島連峰を境に、鹿児島県側に棲む民族を薩摩人、宮崎県側に棲む民族を黒木人と区別するのが適切な分類だ。元々は同じ民族であったが、違う風土に感化され、性格や習慣も相違するようになった。
経済的に疎遠な
恐怖心が霧消すれば、知識欲が再浮上する。未知なる物を前に「何故?」を連発する癖は宗女の頃から変わっていない。好奇心が旺盛なのだ。
「この獣を何と呼ぶのですか?」
「馬です」
「馬と言うのですか」
衛士と同じ反応を示す。しかし、それは単なる前座。篤学者の真骨頂を発揮し、矢継早の質問を浴びせ始める。
「貴方達の
「ええ」
「
「沢山です」
「何を食べるの?」
「草です」
次から次へと繰り出される質問の列。(有耶無耶の内に切上げたい)との一心で、
「貴方。具合が悪そうよ。少し休んだら?」
老人の体調不良を優しく
「御馳走するわよ。心置きなく話を聞けるから、
招待する方は未練を断ち切れないようだ。
「そう?。残念だわ・・・・・・」
気落ちしたのも一瞬。朗らかな笑顔と共に代替案を提示する。
「オモイカネが
数ヶ月後、予告通りにオモイカネが姿を現す。誰もが寒さに身を縮める冬の最中。けれども、曇天に覆われる北部九州を拠点とする者にとって、宮崎平野は快適な避寒先であった。何しろ雪の降った
自給自足の生活を営むのが精一杯だった黒木郷は物々交換の輪に組込まれていない。強いて言えば、地元特産の農作物を
探訪者は「熊襲の地の手前」との漠たる案内に頼るしかないが、人間の通う行路は一本道。迷い様が無い。日南海岸に出ると南下し、点在する村落を一つずつ地道に訪ね歩いた。街道沿いに延々と続く乾田も道標となった。人家は耕作地の付近に集まるからだ。
一方のスサノオは、城から戻って以降、
少なからず身構えていた彼だが、実際に訪問者が現れると、
肚を括って対面してみると、吉野ヶ里で自分を殺せと命じた人物とは別人であった。
――切り抜けられるかも知れない。
以降も自分の素状を疑わぬよう細心の注意を払い続けたが、その努力は杞憂に終わった。何故なら、大半の話題に馬耳東風。対照的に、未知なる動物に関してなら、
百聞は一見に
約1週間に及んだ投宿の最終日。オモイカネはスサノオと膝詰の談判をする。
「馬を米と交換する積りは無いかね?」
「米は要らんな。預米する程に余っている」
期待を持たせる言い方はしない。更には、譲れない相談だと明言し、断念させようと踏み込んだ。
「馬の頭数が揃えば、
ところが、智臣も
「
「諦めてくれ。母馬は年に1度しか子を生まん。
渋い表情を崩さない交渉相手に、今後は条件闘争を仕掛ける。
「だが、
悪くない提案だ。スサノオは顎を撫でながら
「幾らだ?」
「馬10頭で銅貨1枚。稲刈りを終えてから、翌年の田起しが始まるまで」
「毎年か?」
「そうだ」
「あんたらに馬を扱えるのか?」
実行を見据えた指摘に饒舌だった交渉者も口籠る。
「村人を働かせるなら、その分も上乗せして貰わないと困るな。男手は冬支度に欠かせない」
幾ら多弁であっても、現場を知らぬ者は軽く
「馬9頭で銅貨1枚。
馬1頭当り、冬場に籾米8俵を追加で稼げる最提案。最後の一押しに満足したスサノオは勿体振って頷いた。オモイカネも大仰に頭を下げる。
在来馬の普及は運搬用の
最も頻繁に見掛けるのは収穫期の
紐を付けた改良品――
炭焼きや竹編みを
年を重ねる毎に黒木郷は豊かになった。中でもスサノオ一家は馬荷役の権益で最も潤った。姻戚関係を望む声は多く、
残念ながら、スサノオは愛娘の婚儀に列席できなかった。婚約に至って肩の荷が降りたと安心したのだろう。享年42歳で永眠する。
西暦170年の当時としては大往生であったが、
集落民の大勢が、
半面、有力者の婚儀を、豊穣祭の一環に組み込み、共同体の慶典とする慣習が定着している。つまり、開催の機会は年に一度と少ない。寡婦となったクシナダに主体性は無く、早期通婚を望む新郎側が主導するようにして、婚儀は滞りなく執り行われた。
新婦は子宝にも恵まれ、三男一女を儲ける。息子達は、アマツ、カツヒ、ナムジと名付けられ、娘はハナサクと名付けられた。三男ナムジは
スサノオが没して丁度10年後の西暦180年、ツイナ(卑弥呼)も逝去した。享年44歳。次世代の大国主神が3歳の時であった。一つの時代が終焉を迎え、各地で着実に世代交代が進む。
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