第16話 少彦名命、海より現れる

 短い梅雨が明け、出雲の方々でせわしないせみの声が競い響く頃。稲佐の浜では、浜豌豆はまえんどうの丸い青葉の連なりが海岸沿いの砂浜を緑面に覆い、耳を垂らした野兎を思わせる紫檀色の花弁が海風に揺れる。少し奥まった岩場の陰では都草みやこぐさが寄り添い、黄色の可憐な花を咲かせている。

 海鴎かもめが舞う青空の下、穏やかな波間を滑る様にして1隻の船が出雲に流れ着く。朝鮮半島の先進技術で建造された大型の木造船舶であったが、舷側の諸処は黒く焦げ、満身創痍の外観は難破船と変わらない。

 船内にたむろする50人前後の乗員は皆、汚れた着衣の袖元や裾が引き裂かれ、難民の様に見窄みすぼらしい。但し、絹布の生地から推察するに、高貴な人々なのだろう。

 一行を率いる男は40歳代半ばの老人。事情聴取しようにも、彼らの言葉を出雲人いずもびとの誰もが理解できない。当惑した挙句、集落民は主導者にスクナ――日本神話に登場する少彦名命すくなひこな――と名付ける。日本語の語彙が少ないと言う安直な趣旨。本名と違う事は承知しているが、意思疎通には呼名が必要だ。

 特筆すべきはスクナが後生大事に抱く1人の赤児。彼自身の子供とは思えない。数珠繋じゅずつなぎに勾玉まがたまを結んだ首飾りを身に着けていたので、出雲人達は産着で包まれた赤児にトヨタマ――日本神話に登場する豊玉姫とよたまひめ――と名付けた。

 漂着当初は全く分からなかったが、後に末蘆人まつろびとの情報通から聞き出した処では、弁韓べんかん(朝鮮半島南端)からの脱出者だと判明する。

 公孫一族の覇権争いに端を発して、朝鮮半島全体が混乱の最中にあった。近隣集落との紛争はおろか、集落内でも仲間割れや下剋上を繰り広げる始末。

 スクナの属した集落は、弁韓と辰韓しんかん(朝鮮半島の東南部)の境界付近に所在し、侵略の危機に直面していた。身の危険を感じた支配層や知識層の者は故郷を捨て、対馬海峡への逃避行を決断する。

 彼らの主な生業なりわいは陸上交易。海上交易ではない。釜山プザンから洛東江を上流まで200千米キロメートルも遡上した咸昌ハンチャンに基盤を築いていたが、小白ソベク山脈を越える登山宿場として交易人相手の商売をしており、海洋事情には疎い。

 大金を払って外航船を調達したまでは良かったが、南を目指して航海するしか能が無い。案の定、海賊の拠点だった対馬島で身包みを剥がされたと言うのが大まかな顛末であった。

 対馬海峡に浮かぶ対馬島と壱岐島。

 壱岐島の庶民は狭いなりの平野で稲作も行うが、水源が限られるので畑作が主体だ。悩みの種は作物を荒らす野獣――野猪いのししや狸――だ。庭鶏にわとり野兎うさぎを襲う狐も侮れない。だから、集落を水濠で囲い、木柵を周囲に巡らせた。原の辻遺跡――環濠集落の跡地――は、その面影である。

 鼬鼠いたち川獺かわうその類は水濠を物ともしないので、木柵内では犬を放し飼いしている。犬の飼育目的はもっぱら番犬だが、飢饉等に備えた非常食の意味合いもあった。

 考古学の世界では「環濠集落は乱世の防衛施設として築かれた」との学説が主流だが、真相は獣害対策。島で唯一の壱岐集落を襲う敵とは島外にしか存在しない。玄界灘に囲まれた天然の要害地である壱岐島では、今更、環濠で防備を固める必要性は薄い。

 一方の対馬島には平野が殆ど無い。漁業では細々と食いつなぐのが精一杯。豊かさを求めるならば、海賊となるしかない。但し、滅多に強奪行為には及ばず、現代社会で例えるならば、暴力団ヤクザに近い。九州北部と朝鮮半島南部の交易にたかる寄生虫である。

 野蛮な振る舞いで庶民を恫喝するが、見ケ締め料ミカジメりょうを払う限り、決して危害を加えない。寧ろ、心強い用心棒として当てに出来る。宿主を衰弱死させては本末転倒。彼らも自分の立場をわきまえており、法外な見ケ締め料を求めはしない。

 魏志倭人伝に『海を行き来する際には持衰じさい(人柱)を立て、服喪と同じ状態に置く。航海を無事に果たせば報い、失敗すれば殺す』との記述が有る。交易団が対馬人を出し抜かぬように留め置かせた人質制度が真相だ。交易で得た利益の中から通行税として身代金を支払えば、人質は無事に戻って来る。

 登場する『壱岐国』と『対馬国』の内、末蘆集落が直接の交易相手として選んだのは壱岐集落。交易民族の末蘆集落ですら、対馬集落との直接交易には二の足を踏んだ。信用の置けない処と乱暴さを嫌気したのである。だから、往々にして壱岐人が人質役に甘んじる破目になる。

 そんな事情を知らないスクナ達は、対馬島北端に漂着した時には狂喜したそうだ。

 ――これで命運がつながった! 島民に倭国まで案内して貰えれば、我らも将来を見通せるであろう――

 ところが・・・・・・である。

 北端地域――現代の長崎県上対馬町鰐浦に相当――は当時『和珥わに』と呼ばれていた。鰐浦わにうら湾を『和珥わに』と呼び、後の世では神功じんぐう皇后が三韓征伐の拠点とした港である。

 3隻の船団で流れ着いたものの、海賊達は何かしら難癖を付けてはスクナ達の所持品を掠め取った。「今は時化の時期だ」「今は海流の流れが急で危険だ」と言い訳するばかりで、一向に船出する気配を見せない。

 海賊達にとっては、ねぎを背負ったかもが迷い込んだのと同じであり、尻の毛まで残らず毟り取る算段であった。業を煮やした近従の者が警護兵を引き連れて海賊の頭領に談判する。

「好い加減にしろ! さもないと、勝手に出て行くぞ。南を目指せば倭国に辿り着くだろうから、御前らを頼まなくても何とかするさっ」

 権高けんだかな言い分に、これまで言を左右に便々べんべんと往なしていた頭領の眼光が鋭く光る。

 ――此奴こいつら、見ケ締め料をけちるわ、勝手に出て行くわ。勝手な事を抜かしやがって・・・・・・。

 育ちの違いが災いした。くだんの弁韓人は世間を知らず、周囲にかしずかれる日々に慣れている。便宜を欲するならば見返りが必要、とは思いも寄らない。

 一方、頭領の立場として、一見の客を渡銭わたりせんも払わずに通過させる訳柄わけには行かない。脇の甘い特例は海賊事業ビジネスを崩壊させる蟻の一穴となる。「我も、我も」と見ケ締め料を渋る者が続出しては、一族郎党を路頭に迷せる。

 堪忍袋の緒を切らし、つかつかと歩み寄る頭領。後退あとずさる弁韓人の襟元を屈強な右腕で掴み上げる。顔を引き攣らせ、悲鳴を漏らす弁韓人。猛々しい迫力に警護兵も踏み出せない。取り巻く破落戸ごろつきの不穏な牽制も軽挙を躊躇ためらわせた。自由奔放なる者は根城を統べる頭領のみ。

 頭領が腰元に佩いた刀剣を抜き、弁韓人の首筋に冷たい刃を当てる。そむけた顔を嫌々と左右させ、懺悔と後悔の色を浮かべる弁韓人。覆水盆に解らず。虎の尾を踏んでは、助け様も無い。

 怒気を孕んだ目を細めると、襟元から放した右手を素早くつかに携え、一気にぐ。横一文字に噴き出した血飛沫が頭領の顔に跳ねる。

 それが殺戮の号砲となった。続く破落戸共の動きも速い。間髪入れず、短剣を警護兵に投擲とうてきする。死を悟る暇も無く、針鼠の様に投剣の柄を生やした躯体が倒れる。頭領の喊声を合図に、牙を剥いた海賊達が海辺へと殺到する。

 停泊中の3隻を取り囲み、雄叫びを上げて襲い掛かる。船上から警護隊が応戦するも多勢に無勢。交渉役の志願者を残し、湾外への脱出を試みる。執拗に追い縋る丸木舟の群れ。運悪く、日照時間の最も長い時節。船速の遅い大型船が追手の丸木舟を振り切る事は不可能に近い。

 海賊達が略奪行為に熱狂する隙を突いて、最後尾の1隻だけが逃げ伸びたらしい。

 最初に拿捕された船にはトヨタマ姫の両親が乗っていた。父親は矢に射られ落命し、母親は拉致された。赤児を抱いて板切れに獅噛しがみ付くスクナは、老齢ゆえに捕縛の対象とならず、3隻目に拾われる。

 這々ほうほうの体で逃げ出したものの、船頭を失い、対馬海流が運ぶがままに東へと流される。遠くに日本列島の陸地を認めても、指を咥えて絶望と怨嗟の声を上げるのみ。ところが、天に助命の嘆願が届いたようで、稲佐の浜に漂着したと言う経緯だった。

 過酷な憂目に遭ったばかり。初対面の相手を直ぐには信用できず、出雲人達を猜疑と警戒の目で眺めていた。反面、何日も飲まず食わずで漂流したスクナ達に選択の余地は無い。消耗した身体を引き摺り、大した抵抗もせずに上陸した。

 古事記に載る『因幡の白兎伝説』の現代語訳では、白兎が大国主に『隠岐の島から本土に渡りたくて、さめ和邇わに)を騙した』と告白している。

 原文は『淤岐嶋』。古事記に載る別の箇所では「隠岐の島」を『隠伎島』と表記している。『因幡の白兎伝説』だけ特別に『淤岐嶋』と記述すべき理由は思い当たらない。

 真相は『岐島(・対馬島)の方向』を表現している。

『淤』の字は、現代でも“いて”と使う。漢語で記述された古事記の中でも、『淤』だけを表韻文字だと解釈して“隠岐の島”に故事付けるのは少々強引過ぎると思う。

 また、原文の『和邇わに』を鮫だとする解釈も誤りだ。真相は『和珥わにの海賊に騙された』であって、騙したのではない。能動者と受動者を入れ替えた背景には、記紀の編纂当時、大和政権が和珥の一族を重用していた事実を挙げられよう。

 別の『国造り伝説』では、大国主を手伝う少彦名命が『天乃羅摩船あめのかがみのふね』にて登場する。この漂流船こそが天乃羅摩船である。一つの事実を日本神話が二つの逸話エピソードに分割した結果、事象がおぼろとなり、後世に伝わり損ねた事が悔やまれる。


 漂着民達は集落長の屋敷に逗留する事になった。広過ぎると感じていた室内が一挙に手狭となる。

 時は初夏、雑魚寝をしても体調を崩す事は無い。だが、出雲の夏は短い。冬到来までに人数分の布団を準備せねばと、集落の女衆は農作業の合間を見付けては忙しなく麻袋を編む。勿論、漂着民達も慣れぬ手作業に汗を拭う。

 衣食住足りて礼節を知る。数週間を過ごす内に、漂着民達も徐々に警戒心を解き始める。相変わらず言葉は通じないが、乱暴されないばかりか食事を振る舞われていれば、出雲人は対馬島の海賊とは違うと理解する。

 出雲集落の暮らしには漂着民が物珍しさを感じる部分が多々有るらしい。昼間は屋敷外を散策し、地元民の仕事振りを見学する漂着民の姿が散見される。見様見真似で仕事を手伝う者さえ現れた。

 そんな1人がスクナだった。トヨタマ姫を託されたスクナの出歩く範囲は集落長の屋敷周辺に限られる。その狭い散策範囲にナムジの馬厩舎が建っていた。

 集落外からの訪問者と言う同じ立場のナムジはスクナに親近感を抱く。友好的な雰囲気が会話の頻度を増やす。互いの言語が違うので相手の表情から推し量るしかないが、身振り手振りを交えれば簡単な意思疎通は可能だ。

 或る日の出来事。スクナがナムジの肩を叩く。何かを問いたいようだ。質問内容を想像できないナムジは首を傾げてばかり。嘆息したスクナが地面に小枝で絵を描き始めた。

 横から見た馬の姿。背中から脇腹に掛けての部分を四角く枠取りし、枠内を斜線で強調している。スクナは小枝で四角い斜線枠を何度も差し、一生懸命に何かを伝えようとする。

 ――馬について何か知りたいみたいだけど、何だろう?――

 溜息を吐いたスクナは馬の背に跨り、両脚で馬の腹を何度も軽く打つ。腰を屈めて小枝を馬の肌に這わせ、絵の中の四角形と同じ範囲を指し示す。その間も弁韓べんかん語で話し続けるのだが、ナムジには伝わらない。

 スクナは「馬の背に鞍を着けないのか? 裸馬に乗るよりも楽だろう?」と指摘したかったのだ。残念ながら、鞍を知らないナムジには連想できない。

 宮埼集落の馬は荷役用だ。騎乗には向かない。何故なら、性格の大人しい在来馬は早く歩かないからだ。歩速は牛と同程度。徒歩で移動した方が速いかもしれない。宮埼人が馬を重宝する理由は、緩寛ゆっくりながらも重い荷物を運ぶ運搬力であって、移動速度ではない。

 意思伝達を諦めたスクナは下馬すると、今度はナムジに「何かを与えて欲しい」と訴えた。再び地面に描き始める。切株とノミと木槌の絵。

 この日以降、スクナは一抱えもある材木に向かい、一心不乱にノミを当てる作業に没頭する。興味を抱いた者がスクナを遠巻きに眺める。何せ行動目的が不明なのだ。それでも、誰も迷惑を被らないので、好きにさせた。

 数週間後、荒削りの鞍が完成した。

 スクナはナムジに鞍を厩舎まで運ばせ、馬の背に載せよと指示する。そして、自ら鞍に跨る。得意気にナムジを見下ろすスクナ。前回と同様、両脚で馬の横腹を軽く打ち、「如何どうだ?」と言わんばかりに破顔する。白髪混りの両眉が八の字に下がる。

「分かったよ! スクナの伝えたかった物は、馬用の椅子なんだね」

 ナムジは鞍に近寄ったり遠退いたりして観察しつつ何度も周回し、「へえ~」とか「ふ~ん」を連発する。

 ――乗馬なんて考えもしなかったけれど、鞍が有れば快適だ――

 馬の背骨の動きを鞍が緩衝するので、歩行時の揺れと滑落に身構えなくて済む。鞍の取手を掴んでいれば、落馬のおそれは殆ど無い。

 ――香春から宮埼までは長い道程だけれど、自分の脚が疲れないので凄く楽だ――

 太古よりモンゴル高原の周辺地域は騎馬民族の版図である。何度も匈奴きょうど族や鮮卑せんぴ族に侵略される過程で、漢民族は騎乗を学んだし、普及した馬にも馴染んだ。時間差は否めないが、朝鮮半島も同様の展開を辿る。

 但し、騎馬民族は、牧羊の群れを追い回す道具として、駿馬を遣いこなす。一方の在来馬は鈍足だ。体格も相対的に小さい。でも、頑丈な骨格を有する。同じ馬でも、両者の遺伝的出自は異なり、人間社会における相応しい活躍の場が大きく異なる。

「スクナ! ヤガミを連れて来るからさあ、待っていてよ」

 大袈裟に両手を振り回すナムジ。御披露目の意図を理解したスグナが嬉しそうに頷く。

 大急ぎで屋敷に駆け込んだナムジは、ヤガミ姫の手を引き厩舎に戻る。興奮するナムジと、困惑するヤガミ姫。肩で息を整える処だけが共通している。

「ヤガミ! スクナを見て!」

「何?」と不審がるヤガミ姫の目にはスクナしか映らない。

「何をそんなに興奮しているの? スクナが乗馬するのは年寄の冷や水って言いたいの?」

「違うよ。スクナの尻の辺り。鞍だよ、見て欲しいのは」

 ――最近、苦労して木の椅子を作っていたけど・・・・・・それに座っているだけよね?――

 ――完成を一緒に喜べって言う意味かしら? それなら屋敷の中で既に労ったんだけど・・・・・・。

 騎乗経験の無いヤガミ姫には全く伝わらない。

「仕方無いなあ」

 呆れたナムジは、スクナに手招きで下馬を促し、鞍を外した裸馬にヤガミ姫を騎乗させた。そして、屋敷の周囲を常歩なみあしで歩かせる。厩舎に戻ると鞍を着け直し、再びヤガミ姫を乗せて歩かせる。横に随行するナムジが見上げ、ヤガミ姫に騎乗した感想を問う。

如何どう? 乗り心地が全然違うでしょ!」

「うん。全く違う。断然こっちが乗り易い!」

「鞍を着けた馬に乗れば、香春から宮埼まで歩かずに済むよ。半月の道程を歩き続けるのと、馬に揺られるのとでは、疲れ具合が雲泥の差だからね。ヤガミの体力でも難無く宮埼に辿り着けるよ」

「そうだね。スクナに御礼を言わなくちゃ!」

 厩舎に戻るや否や、鞍から跳び降りるヤガミ姫。跳び縋ったスクナの首に両腕を回して強く抱き締める。グルグルと回転し「有り難う!」を連発した。激しい動きに眩暈めまいを覚えるスクナだったが、彼女の喜ぶ気持ちは強く伝わって来る。

 愉快に感じたスクナは哄笑した。弁韓を発ってから初めての高笑い、心底からの笑い声だった。釣られたナムジとヤガミ姫も大爆笑。厩舎に笑い声が反響する。笑い声だけは万国共通だ。


 異文化が交差すれば、互いに関心を寄せ合う。別の場所では、寧ろ出雲人いずもびとの方から接近した。関心の的は漂着民の着衣。柔らかく、繊細で、麻布とは肌触りの違う絹布の衣装。間近で見ると、生地に光沢が有る。出雲人は初めて目にする素材に興味津々だ。

「こりゃ何だ?」

 物珍しさから異口同音に質問する。言葉が分からずとも、真剣な目付きや表情から絹布を欲している事は容易に窺える。救済の恩に報いんと何人かの漂着民が集落付近の森林に分け入るようになった。

 彼らの探索対象は桑の木。桑畑に植わった木は、栽培者が枝葉を切り揃えるので、精々数メートルの高さしかない。だが、自然木なら10メートル以上にまで成長する。

 大木にも拘わらず、空洞が開いた木幹は材木に適さない。また、山苺に似て酸味の強い桑の実は手の届かぬ高さに成る。ハート形に近い楕円形の葉は地上から見分け易いのだが、誰も利用価値の無い桑の木なんぞ見向きもしない。養蚕に携わる者を除いては。

 桑の木に登った漂着民は目を凝らし、クワコの幼虫を採集する。クワコとは野生種で、天敵から逃れる為に海松色みるいろの体表は枝葉の色彩に同化している。

 養殖用に改良された白い蚕と比較しよう。

 クワコの体長は小さく、蛹化前に作るまゆも小さい。クワコの成長循環ライフサイクルは1年だが、最大の特徴は成虫が飛翔可能な事。孵化すれば逃げる。だから、幼虫を捕まえ直さねばならない。毎年だ。

 一方、蚕は年に数回の蛹化と産卵を見込める。飛翔不能の成虫から卵を採取するのも簡単だ。養殖の生産効率では、蚕に圧倒的な軍配が揚がる。

 邪馬台城では朝鮮半島経由で輸入した中国産の蚕を養殖していたが、出雲集落に伝播する時期は先だ。野生種のクワコといえども、出雲人達にとっては天の恵み。羽衣はごろもの如き布地が手に入るなら、手間を惜しまない

 ちなみに、蚕やクワコ同様に繭糸を採取できる日本固有種(天蚕てんさん)が他にも生息する。現代の皇室でも養殖され、皇后が飼育されている。天蚕の体長は蚕とクワコの中間、体長に比例する繭も同様だ。

 天蚕の成虫はクワコ同様に飛翔するので、幼虫を採集し直す必要が有る。ところが、幼虫が食する落葉広葉樹の種類は幅広く、ならくぬぎ小楢こならくりかしかしわと好き嫌いが殆ど無い。クワコならば桑の木を探せば済むが、天蚕の幼虫を発見するのは非常に難しい。それに、漂着民達は天蚕の存在を知らなかった。

 桑の葉を与え続けたクワコの繭作りはイネの収穫期と重なる。白い繭から繭糸を解き、紡いで絹糸をる。細く綺麗な糸に出雲人は魅了された。また、漂着民に背中を押され、塩茹でにした繭中の蛹を試食した出雲人は昆虫食の異文化にも瞠目した。

 出雲集落でも始まった原始的な養蚕だが、邪馬台城との交易で蚕を入手すると、養殖効率の劣悪なクワコの存在は忘却の彼方に押遣られる。ただ、クワコでの経験が養蚕業の素地を育み、円滑な普及に結び付いた因果関係を、誰かが記憶しておくべきだろう。

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