第17話 少彦名命、海より現れる
薄弱な梅雨前線を追い遣った出雲の海辺では、
船内に
一行を率いる初老の男を事情聴取しようにも、彼らの言葉を
特筆すべきは
漂着当初に素姓を知る
公孫一族の覇権争いに端を発し、朝鮮半島は混乱の渦中にあった。近隣集落との紛争は
ところが、彼らは
対馬海峡に浮かぶ対馬島と壱岐島。
狭いなりに平野を有する壱岐島では、庶民が畑作に
木柵内では犬を放し飼いとし、
考古学で主流の学説は環濠集落を防衛施設と見做している。その仮説は合理的だろうか。島で唯一の集落を襲う人敵は島外にしか存在しない。玄界灘に浮かぶ天然の要害地に於いて、環濠を掘る事の荒唐無稽さに読者は容易に気付くだろう。だから、真の目的が獣害対策だと断言できる。
一方の対馬島は山勝ちな孤島で、平野が殆ど無い。島民は漁業で細々と食い
現代社会で例えるならば、
魏志倭人伝に『海を行き来する際には
彼らが冷静な損得勘定で動くと知っていても、無用な接触は控えたい。それが人情だろう。
そんな事情をスクナ達は知らなかった。対馬島北端に漂着した時には狂喜したそうだ。3隻の船団で流れ着いた
――これで命運が
ところが・・・・・・である。何かしら難癖を付けられて、所持品を掠め取られるばかり。期待を寄せた島民は「
海賊達にとっては、
「御前らを頼まず、勝手に出て行くぞ。南を目指せば、何とか倭国に辿り着くだろう」
貴人の
――
育ちの違いが災いした。
堪忍袋の緒を切らして
腰元に佩いた短剣を抜き、生白い首筋に冷たい刃を当てる。
どうやら獲物を弄ぶ事に飽き、数日前から
それが殺戮の号砲となった。
停泊中の3隻を取り囲み、雄叫びを上げて襲い掛かる。船上の警護隊が応戦するも多勢に無勢。交渉の志願者を残し、湾外への脱出を試み始める。執拗に追い縋る丸木舟の群れ。運悪く、日照時間の最も長い時節。船速の遅い大型船が追手を振り切れる可能性は
最初に拿捕された船にはトヨタマの両親が乗っていた。
当然ながら、過酷な憂目に遭った被害者集団は、猜疑と警戒の目で出雲人を眺め返していた。但し、何日も飲まず食わずで漂流し、彼らの消耗は物心共に激しかった。痩せ細った身体を引き摺り、案内される
古事記に載る『因幡の白兎伝説』の現代語訳に拠ると、白兎が『
原文に記された文字は『淤岐嶋』。ところが、別の箇所では「隠岐島」を『隠伎島』と表記している。『因幡の白兎伝説』の章節だけ特別に『淤岐嶋』とすべき理由は思い当たらない。
正しくは『岐島(・対馬島)方向』の意味だ。『淤』の字は、現代でも〝
また、原文の『
更に指摘すると、『国造り伝説』の中で少彦名命は『
一つの事実を二つの
漂着民達は集落長の屋敷に逗留する事になった。無駄に広いと感じていた室内が一挙に手狭となる。
時は初夏、雑魚寝で体調を崩す恐れは無いが、出雲の夏は短い。冬の到来までに人数分の布団を準備せねばと、集落の女衆は脇目も振らずに麻袋を編む。勿論、元貴人達も慣れぬ手作業に汗を拭う。
〝衣食住足りて礼節を知る〟とは言い得て妙な格言だ。数週間を過ごす内に、漂着民達も徐々に警戒心を解き始める。相変わらず言葉は通じないが、乱暴されないばかりか食事を振る舞われているのだ。対馬海賊とは違い、出雲人の友好性に疑う余地は無い。
彼らにとって、出雲の暮らしには物珍しさを感じる部分が多々有るらしい。屋敷外を散策し、地元民の仕事振りに見入る姿が散見され始める。見様見真似で手伝う者さえ現れた。
スクナも例外ではない。
同じ異邦人としての親近感を抱いたナムジが気さくに話し掛ける。親密な雰囲気が会話の頻度を増やし、通話量は互いの心理的距離を詰める。奥深い真意は推し量るしかないけれど、簡単な意思疎通なら身振り手振りで十分に果たせた。
或る日の出来事。老爺が青年の肩を叩く。何かを問いたいようだ。ところが、内容を想像できないナムジは首を傾げてばかり。止む無く、地面に小枝で絵を描き始めるスクナ。
横から見た馬の姿。背中から脇腹に掛けての部分を四角で囲み、枠内を斜線で強調している。枝先で枠内を何度も差し、懸命に何かを伝えようとするも、埒が明かない。
溜息を吐きこそすれ、諦めない。実物大の説明を試みようと、馬背に跨り、両脚で馬の腹を何度も軽く打つ。腰を屈めて小枝を馬の肌に這わせ、絵の中の四角形と同じ範囲を指し示す。その間も能弁に説明するのだが、言葉の壁が邪魔をする。
彼は「鞍を着けないのか?。裸馬に乗るよりも楽だろう?」と指摘したかったのだ。残念ながら、鞍の存在を知らぬ者との間に問答の成立する余地は無い。
黒木集落の馬は荷役用だ。温厚な性格で歩みは遅く、騎乗には向かない。自分の足で歩いた方が速いだろう。人々の重宝する利点は、
助言を諦めたスクナが「何かを与えて欲しい」と訴える。再び地面に描き始めた絵は、切株と
それ以来、彼は彫刻作業に没頭する。一抱えもある材木に向かい、一心不乱に
数週間後、完成した荒削りの作品をナムジに
老爺の落胆した様子は、出来の悪い生徒に呆れ、途方に暮れる教師と言った風だ。しかし、知識で恩に報いんとする気概は強く、一向に
準備が整うと、自ら鞍に跨る。(今度こそは)と期待を込めて見下ろす指南役。前回と同様、両脚で馬の横腹を軽く打ち、『
「スクナは腰掛を伝えたかったんだね」
近寄ったり遠退いたり、観察しつつ何度も周回し、「へえ~」とか「ふ~ん」を連発する。
――考えもしなかったけれど、
歩行時の揺れを鞍が緩衝する。取手を掴んでいれば、落馬する
――ヤガミの体力でも香春からの長旅に耐え得るぞ。
太古よりモンゴル高原の周辺地域は騎馬民族の版図である。何度も
但し、牧羊の群れを追い回す道具として駿馬を遣い
「ヤガミを連れて来るからさあ、待っていてよ」
大袈裟に両手を振り回すナムジ。御披露目の意図を理解したスグナが嬉しそうに頷く。
「何をそんなに大騒ぎしているの?」
厩舎の中を見回しても、普段通りの雑然とした光景しか目に入らない。(
肩透かしを食らって苛々を募らせる点はナムジも同じだ。世紀の大発明を前にして気付かぬとは焦れったい。発明者本人よりも胸を高鳴らせ、「スクナを見て!」と誘導する。それでも、「何?」と不審がる彼女の目には見慣れた笑顔しか映らない。
「馬乗りは年寄の冷や水って言いたいの?」
「違うよ。スクナの尻の辺り。腰掛だよ、見て欲しいのは」
――最近、苦労して椅子を作っていたけど・・・・・・それに座っているだけよね?
馬の世話はナムジの担当だ。乗馬と無縁の者には鞍の重要性が全く伝わらない。
――完成を一緒に喜べって言う意味かしら?。それなら既に
子供の工作を褒める母親的な発想しか湧かないが、女性の感性とはそんなものだろう。
「仕方無いなあ」
呆れたナムジは、スクナに手招きで下馬を促し、鞍を外した裸馬にヤガミを騎乗させた。そして、屋敷の周囲を
「乗り心地が全然違うでしょ!」
「うん。断然こっちが良い!」
「香春から黒木まで約半月。
「そうだね。スクナに御礼を言わなくちゃ!」
厩舎に戻るや否や、鞍から跳び降りるヤガミ。三段跳びで縋った老爺の首に両腕を回し、強く抱き締める。その
激しい動きに
スクナの功績は鞍に止まらない。夏の盛りを過ぎた頃、出雲に新たな食材を紹介した。
水面に浮いた丸い
秋になれば、沼地に足を踏み入れ、
「泥水の下から美味なる食い物を採り出すなんて、
試供された料理に舌鼓を打つ出雲人。水中の食材とは
彼の収集した生薬は蓮に限らない。マメ科、ユリ科、セリ科を始め、多種多様な薬草を周辺の地に見出した。出雲風土記に50種以上もの薬草が登場する
集落民に最も歓迎された生薬は赤松の樹脂だろうか。乾燥させた
「
求められれば、気軽に往診し生薬を調合する。病魔退散を祈るしか無かった集落で、漢方医術の会得者は欠かせぬ存在となった。
異文化が交差すれば、互いに関心を寄せ合うものだ。
出雲人を魅了した物の一つに、漂着民の着衣が挙げられる。柔らかい肌触りの絹布の衣装。間近で見れば、生地に光沢が有る。麻地の
「こりゃ何だ?」
好奇心を抱いた集落民が異口同音に問う。「俺達も欲しい」と同義の疑問形だ。言葉が通じずとも、食い入る目付きや表情から容易に窺える。救済の恩に報いんと奮起した有志が何人か、桑の木を探し求め、森林に分け入るようになった。
枝葉を切り揃える桑畑では数メートルに過ぎない樹木が、自然界では10メートル以上の大木に成長する。でも、木幹には空洞が開いており、材木には適さない。また、酸味の強い実は、山苺に似た味覚を楽しめるが、手の届かぬ高さに成るので収穫が難しい。
つまり、利用価値が低い。
彼らの標的も、桑の木ではなく、
養殖用に改良された白い蚕と比較すると、野生種の特徴を把握し易いだろう。
大陸産を養殖する邪馬台城は養蚕を門外不出の技術として秘匿中。朝鮮半島との接点が無い出雲集落では未知の存在だ。
その後の機織りが最も骨の折れる工程と言える。麻糸より遥かに繊細な絹糸は丁寧な手作業を要するからだ。雪に閉ざされる冬の間、女衆は稚拙な機織機に向かい悪戦苦闘する。目頭を押さえ、凝った肩を揉みながらも、装飾美の探究者達は指先を右に左に動かし続けた。
こうして出雲でも原始的な養蚕が始まるが、
もう一つ付け加えると、人々は昆虫食にも瞠目した。養蚕の盛んな大陸では良質なタンパク源として食材の一つに数えられる
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