第17話 大国主の国造り

 西暦194年、クワコがまゆ作りにいそしんでいる頃。ナムジと集落長、ヤガミ姫の3人は末蘆人まつろびとの操る双胴船に乗り、香春集落を訪れた。甲板には山と積まれた鉄製品。更にもう一往復した双胴船が、出雲集落からの追加荷を運んで来る段取りだ。

 鉄製品の他に目星い物と言えば、4つの鞍を積んでいる。宮埼集落に赴く3人分に加え、試供品を準備した。スクナの試作品を模倣して、ヤガミ姫の兄2人とナムジが製作した。

「久し振りだなあ。ナムジ」

「ミカヅチ様。御無沙汰しております」

「出雲での暮らしは如何どうだ?」

「初めて見聞きする事が多く、結構、楽しんで暮らしています」

 久闊を叙す時候の挨拶。ミカヅチの態度は何処までも人懐っこい。香春集落にとって宮埼人みやさきびとの客は手厚く持て成す義理が有る。それでも、ミカヅチにとって優先すべき者はニニギ。親族とは言え、ナムジの思惑を油断無く探る。

「それは良かった。ところで、今回の用事は?」

 ナムジが渡航目的を説明する。出雲集落と宮埼集落の交易が盛んになれば、中継拠点としての香春集落も潤えると言うもの。ミカヅチにとっても悪い話ではない。

「そうかあ。言わずもがなだが、馬を引き取りに宮埼人が現れる頃合いだ。それまで香春で旅の疲れを癒しておれよ」

「有り難う御座います」

否々いやいや。宮埼には世話になったからな。宮埼に預けておった香春人かわらびとも全員が帰って来た。約束の籾米は未だ引き渡せていないが、此処の収穫量も増えているから、来年からは少しずつ返済できると思う」

 真面目な話が一段落した処で、ミカヅチは戯れの笑みを頬に浮かべ、ナムジの肩を抱き寄せる。

 ――ところで・・・・・・。この娘は御前のアレか?――

 鉤形に曲げた左右の人差指で鎖を作り、ナムジの耳元でささやいた。赤面するナムジに満足したミカヅチは呵々大笑する。

 手厚い歓待に感激した集落長とヤガミ姫は改めてナムジの存在感を見直した。

 翌日、厚遇された返礼として、集落長はミカヅチに出雲集落から運び込んだ荷物を検分させる。或る交易品にミカヅチは釘付けとなった。金色に輝く銅鐸どうたくだ。ミカヅチ以上に強い関心を寄せたのは蜈蚣ムカデ衆。採掘現場で使う投光器に丁度良いと考えた。

 早速、ナムジ達を引き連れて平尾台を訪れ、銅鐸の塩梅あんばいを確かめる。鍾乳洞の暗い壁面を灯光が照らした途端、居合わせた全員が「お~!」と驚嘆する。

「香春と出雲の間で、新たに銅鐸の交易を始めないか?」

「気持ちとしては嬉しいのだが、出雲には青銅の地金が潤沢には無い。だから無理だ」

 ミカヅチと交易を交渉する役目は集落長の担当だ。空約束をせず、現実的な回答を返す。

「地金が有れば大丈夫か?」

「ああ。地金を溶かせば済む。地金次第で幾らでも銅鐸を造れる」

し! 弁韓べんかんとの交易で青銅の地金を手に入れるぞ」

 新たな交易品目が加わった。斯かる集落間の対話が端緒となり、交易の経済活動ネットワークは太くなる。

 余談ながら、ミカヅチが鉄鍋に関心を示さなかったので、香春集落の普及時期は宮埼集落よりも遅かった。残念ながら、武人のミカヅチが調理器具に興味を抱く筈が無い。


 馬の背に鉄製品を満載した隊商が愛宕あたご屋敷に到着する。ナムジ達3人の予期せぬ訪問に大喜びするニニギとハナサク姫。ニニギは馬上の3人に、正確には鞍に驚く。

 ハナサク姫はヤガミ姫の登場、しかも父親同伴の状況に驚いた。直ぐに「はは~ん」と得心したが、ニヤニヤと含み笑いするのみ。姉の目配せに気恥しくなったナムジは顔を背け、日向灘の海に視線を泳がす。

 その夜、愛宕屋敷で歓迎の宴が催された。ニニギとハナサク姫が睦ましく並び、対面に3人が座る。

「それで、ニニギ様。貴方あなたが宮埼の集落長なのですか?」

「いいえ」と一次的には否定するニニギ。だが、即座に二の句を継ぐ。

「集落長だったハナサクの父がうに亡くなり、義母が形式上の代行を務めていますが、私が采配しているも同然です」

「それを聞いて安心しました。貴方が実質的な交渉者だ。

 出雲としては馬が欲しい。宮埼は鉄製品を欲しがる筈だ、とナムジ殿から聞いています。今回、それをお持ちした。是非、交易に応じて欲しい」

「承知しました。具体的な交易条件は明日以降に話し合いましょう。今日は遠来の客を持て成す夜。まずは食べて下さい」

 客人用に料理を盛大に並べているが、皆がナムジを通じた身内同士だと承知している。堅苦しい雰囲気は無い。

「そう言えば、義兄さん。出雲では色々と驚く事が多いのですが、その一つが籾米です」

「何だ? 籾米が特別なのか?」

「いいえ。籾米自体は普通なんですが、高床式倉庫に貯蔵するだけで梅雨を越せるんです。邪馬台城に預けなくても、長期間の貯蔵が可能なんですよ」

 いぶかしむニニギ、俄かには信じられない。半年前のナムジと同じ反応を示す。

「倉庫に工夫を施しているのか?」

「いいえ。宮埼と似た仕様です。資材だって同じ木材を使ってます」

「嘘だろう?」

「本当です。私も吃驚びっくりしました。」

「何故?」

「理由は分かりません。試しに今年の籾米を出雲に預け、貯蔵の可否を確かめてみませんか?」

 ――ナムジの主張が真実なら、邪馬台城に依存する社会体制から脱却できる――

 ニニギは顎を擦る。熟考時の癖だが、指間になびく髭の心地良い感触が脳を刺激する。威厳を出そうと顎鬚を伸ばし始めたのだ。

「こらこら、ナムジ。食事時に無粋な話題は御法度よ」

 ハナサク姫が双子の息子達に構いながら介入する。姉として弟の婚姻話は籾米以上に重要だ。

「それよりも貴方達。御母さんには何時いつ会うの? しばらくは愛宕屋敷に滞在するのでしょうけれど、それから宮埼屋敷に行く? それとも、明日にも遣いを出して、此方こちらに来て貰う?」

 よちよち歩きの乳幼児は母親にじゃれ付き、垂れた袖下の生地を掴む。好きに彷徨うろつく双子を放置すれば、却って手間が増える。分かってはいても、2人を同時に相手するのは難儀だ。ハナサク姫がホオリを抱き上げている隙に、監視を逃れたホデリがヤガミ姫に近寄く。

「可愛い!」

 ヤガミ姫が抱き上げたホデリに頬擦りする。人見知りもせず、素直に喜ぶホデリ。戯れ合う2人に、ハナサク姫の表情も緩む。

「ハナサク姫。御母堂にお越し頂くのではなく、私供が参ります。それが礼儀でしょうから」

 集落長からの突然の提案。左隣のヤガミ姫が頬を紅潮させ、右隣のナムジは身を固くする。ニニギだけが虚を突かれ、鸚鵡おうむ返しに「礼儀?」と復唱した。

「娘を相手の親に顔見世するのは、父親の責務ですから・・・・・・」

 ヤガミ姫は居住いを正し、膝の上で両拳をきつく結ぶ。急に手放されたホデリが(如何どうしたの?)と小さな指でヤガミ姫の頬を突く。

「相手の親?」

「直ぐにではありませんが、いずれ・・・・・・と考えております」

「何を?」

「貴方! 何も感じなかったの? 結婚よ、結婚。ナムジの許嫁(いいなずけ)としてヤガミ姫を御母さんに紹介して下さるのよ。有り難い話だわ!」

「そうか! そりゃあ目出度いな。出雲の姫様をめとるなんて、ナムジも達成でかしたな!」

 ようやく事情を呑み込んだニニギも喜色満面の笑みで祝福する。ただ、喜悦の理由が妻とは少々異なり、政略結婚の成立を喜んでいる風であった。

「ヤガミ姫。弟の事、宜しく御願いしますね」

「はいっ!」

 緊張し通しのヤガミ姫は威勢良く返事する。吃音気味に裏返った声。初心うぶな反応に義姉夫婦は大笑いした。ナムジ本人も密かに決意していた事だが、余人の計為はからいで外堀は完全に埋まるのだった。


 就寝前。客間に案内された3人は床に着く。会食時とは違って、中央にヤガミ姫を挟んだ寝床の配列。

 出雲集落と異なり、茣蓙の敷布団に一重織ひとえおりした麻布の掛布団。宮埼の気候は暖かく、貫頭衣かんとういを着たままで寝れば、冬の肌寒さを感じない。

 でも、姉夫婦に羽毛布団の快適さを教えてやろう、とナムジは考えていた。裸で寝れば、自由に寝返り出来るし、夫婦で同衾すれば人肌の温もりを愉しめる。

 いびきを掻く父親を横目に、ヤガミ姫は隣のナムジに寄り添う。ナムジもまた、夢の海に沈んでいる。

「ナムジの御義姉さん、素敵な女性ね。それに・・・・・・綺麗」

 ナムジの耳元でささやきながらも、ヤガミ姫は別の事で悩んでいた。

 ――髪の長い時に御義母様には会いたかったなぁ。こんなチリチリの髪型で初対面だなんて・・・・・・屹度きっと、魅力に欠ける娘だと思うわよね――

 ――気に入られなかったら、私、如何どうしよう・・・・・・?

 長旅で消耗し切った肉体は休息を求めていた。しかし、悶々と自問自答する内に目が冴えて仕舞い、夜更けまで何度も寝返りを打つヤガミ姫であった。


 案じるよりも産むが易し。

 オオヤツ妃は、3人の姿を認めるや否や駆け寄り、臆するヤガミ姫を強く抱き締めた。

「貴女がヤガミ姫ね。遠路遥々・・・・・・」

 目に涙を浮かべ、「孫の顔を見るまで、私も頑張って生きなくちゃね!」と自身を励ます。

 この時、オオヤツ妃は41歳。息子を2人も喪い、残る愛息ナムジと離別して以降、独り寂しさを募らせていた。やはり若人が集えば華やぐ。覇気を分与され、久しぶりに陽気な気分を味わった。


 ナムジ達3人は宮埼みやさき集落での滞在を1カ月程度で切り上げ、慌しく出雲集落への帰路に着いた。集落長の不在は短くすべしとの原則の他にも、考慮すべき厳然たる制約条件が有る。それは日本海の天候。

 寒冷な大陸からの強い季節風に煽られ、冬の日本海は非常に荒れる。高い波浪に阻まれ、帰還を望めなくなるのだ。立ち塞がる気象条件こそが、出雲集落に年間を通じた交易活動を諦めさせ、経済的な覇者として躍り出る野望を阻む元凶であった。

 海路日和を待って宮埼集落に投宿し続けると、在来馬を連れ帰る時宜タイミングが春先の田圃たんぼ作りに間に合わない。家族団欒に後ろ髪を引かれ、渡航目的を果たせなくなっては、本末転倒のそしりを免れない。

 将来の結婚を親同士で確認し合えば、長居は無用。ナムジ達は100頭の在来馬を引き連れ香春集落に向かう。数は10頭と少ないものの、門外不出の雌馬を含めた交易は前例が無い。ニニギからの餞別、ナムジの持参金であった。

 ちなみに、一時的といえども、香春集落に貸与する馬は全て雄馬。「馬力の優れた雄の方が荷役で重宝する」との建前だったが、貸付先が繁殖を試みる事態をニニギは警戒していた。事業形態ビジネスモデルが崩壊し兼ねないからだ。

 今はもう途絶えたが、スサノオが邪馬台城に貸し付けた際には雌馬も含んでいた。ニニギは、スサノオ以上に計算高く用心深い。賢い男なのだ。

 そんなニニギが雌馬を分け与えたのだから、如何に出雲集落との友誼を重んじ、厚遇したか。容易に想像できるだろう。ナムジとヤガミ姫の政略結婚を前提として初めて踏み切れる英断だった。


 ナムジ達3人が出雲集落に戻ると、漂着民達が弁韓べんかんの新たな文化を披露しようと奮闘していた。

 道具を担いだ漂着民達が玉造温泉に赴き、共同浴場に隣接する川面の上に5メートル四方の木造家屋を建設する。

 檜板ひのきいたを隙間無く張り合わせた屋根と壁。屋根裏から雨水が垂れたり、冷風が吹き入る心配は全く無い。精密な屋根壁とは打って替わって、床板は隙間だらけの粗雑な造り。熱泉に暖められた川面から湯気が立ち上り、室内に蒸気を取り込む算段だ。

 玉湯温泉の泉温は42℃程度。空気に触れた蒸気は共同浴場の湯温よりも少し低目の温度。家屋内部は体温より僅かに低い室温に保たれる。

 最初は(奇妙な家屋だ)と訝った出雲人も気付き始める。温泉に浸かる醍醐味は冬こそ格別。ところが、湯船から上がる段になると、温まった身体から寒気が容赦無く体温を奪う。汗が引いて貫頭衣をまとうまでの間、冷たい外気からの遮断空間に退避できれば・・・・・・と誰もが望む。

「弁韓の奴ら、良い物を作ってくれたぞ。少々肌寒いが、外で身体を乾かすと思えば、随分と暖かい。

 寒い冬の風呂上がりに風邪を引かずに済むって言うものだ。奴ら、気が利くじゃないか!」

 出雲集落の誰もが低温サウナを喜んだ。しかし、漂着民達の建設目的は別に有る。

 集落から分けてもらった古いコメを蒸し、蒸煮米を何枚もの平板に薄く広げ、家屋の吊棚に安置した。1週間も定期的に掻き混ぜていると、表層を白い綿状の膜が覆う。

 米糀こめこうじ――米粒の表面で繁殖した麹カビの群生――である。

 麹カビの中でも日本麹カビは日本の固有種で、最も活発に繁殖する温度域は35℃から37℃の範囲。一方、耐熱性に劣る青カビや黒カビは36℃で死滅してしまう。漂着民達が実現した室内環境は日本麹カビだけを選択的に育てる理想の孵卵器となった。

 現代でも日本酒の醸造には米糀を使う。

 一方、韓国人はマッコリの醸造に麦麹を使う。日本麹カビの居ない古代朝鮮半島では別種のカビを活用するのだが、古代人にカビの相違までは分からない。出雲集落で麦が見当たらない状況に戸惑いながらも、「試しにコメで遣ってみよう」と挑戦した結果、偶然にも吉と出た。

 極小の繭にも見える米糀を小分けにして、土師器はじきの壺に容れた蒸煮米の表面に付着させる。

 一連の作業に供する材料はコメ、籾米ではない。漂着民達は挽臼ひきうすを使って精米――マッコリの醸造を通じて得た知識――を始めた。麦を精白しないとカビが上手く着床せず、麦麹を作れないのだ。原料が米であろうと麦であろうと、表層を削り取った状態の方が美味である。

 彼らが用意した挽臼は、石臼と同じ仕組みだが、川砂を意図的に混ぜた石膏製だった。踏鞴たたら製鉄の鋳造現場を見学中の漂着民が着想する。大きな石2個を円柱形に研磨するには骨が折れるが、石膏であれば製作は楽だ。

 後日、精米加工は出雲全域に普及する。玄米の糠層を削れば削る程に口当たりが良い。但し、精米の程度には限界が有り、現代の日本人が食する玄米の状態が精一杯であった。

 江戸時代の人々が夢中になった『銀シャリ(白米)』とは違う。却って、それが良かった。食生活に恵まれぬ弥生時代において、胚芽――ビタミンの宝庫――の廃棄は自殺行為、脚気かっけを患った病没者が続出しただろうから。

 粥に米麹を混ぜて一晩寝かせると、甘酒――アルコール・ゼロ――が出来る。白く混濁した見た目は飲欲をそそらない。試飲を薦められた出雲人は一様に戸惑いの表情を浮かべたが、一口飲んだ者は皆、初めて味わう甘味に舌鼓を打った。

 漂着民達の改善意欲は止まる処を知らず、濁り酒の製造にも挑戦する。

 麹の機能はデンプンを糖分に分解するだけ。アルコール発酵は酵母の役割だ。醸造酒を試みるなら、自然界に存在する種々雑多な酵母の中から、糖分をアルコールに変える酵母を探し出さねばならない。

 微小な酵母を目視で探す事は不可能。酵母の培地を屋外放置して成功を祈るしかないのだが、漂着民達は蜂蜜に着目した。糖類に繁茂する酵母はアルコール発酵する可能性が高い。

 弥生時代に養蜂は営まれてないが、野外で探索した蜜蜂みつばちの巣を煙で燻っての蜂蜜採取は日常茶飯事だった。出雲集落でも須恵器の蜜壺を保存している。

 彼らは培地とする蜂蜜を小皿に滴らせ、水辺の日陰を選んでは幾つも安置して回る。夏の終わりから秘かに先行着手していた作業だ。

 幸運に恵まれ、一つ二つの小皿で小さな気泡――アルコール発酵の兆候――を認める。琥珀色の液体を甘酒に垂らし、酵母のアルコール発酵を見守りさえすれば、マッコリに似た濁り酒となる筈だった。

 寒い冬の間は発酵速度も遅い。温室内の暖気で発酵を促進する甘酒とは違い、濁り酒の醸造には少し我慢が必要だった。一方で気温が低ければ、腐敗菌が繁殖して失敗する懸念も小さい。

 春が訪れと共に気温が上昇すれば、乳酸菌を加えて雑菌の繁殖を抑える計画だ。好都合な事に雌馬の腹が大きい。馬の繁殖期は春。子馬を産んだ母馬の乳に含まれる乳酸菌を当て込んでいた。


 晴天の空を舞う雲雀ひばりが活発にさえずり始めると、田起し準備に勤しむ人々の心は華やぐ。庶民総出で田圃たんぼを耕す風景は恒例の風物詩なのだが、今年の出雲集落では様子が異なる。

 常時いつもは辛い田起し作業の激変には誰もが隔世の感を抱く。数多あまたの農耕馬を投入しての重装型農法。特に、土中深くを掘り返すすきは、鉄製歯5本を組み込む最新鋭技術の結晶だ。

 数々の先進文化を出雲に披露した漂着民達ですら、初めて見る光景だったらしい。唖然として、言葉を失っている。

「俺達だって、賢い処が有るだろう?」

 農作業をする男衆が誇らしげに胸を張る。田下駄を履いて田圃たんぼを歩く足取りも軽い。一連の体制作りを段取ったナムジも得意気に農作業を眺めていた。隣で檄を飛ばすヤガミ姫の声がやかましい。

 許嫁いいなずけの地位を確としたヤガミ姫は、もうナムジに近寄る娘達を牽制せずに済む。それでも、指呼の距離を保ってナムジにいて回る態度は以前の通り。片時も離れたくない程に下手惚れなのだ。

 畦道に佇む2人の元にスクナが歩み寄る。手には茶色い糊状物ペーストを載せた小皿が一枚。「如何どうしたの?」と覗き込んだナムジの目が点になる。

「これ、何の糞? どうして小皿に盛ってるの?」

 怪しげな糊状物ペーストに顔を近付けたヤガミ姫は鼻をクンクン鳴らしている。

 得意顔したりがおのスクナが袖口から取り出した木箸を差し出す。

「えっ! まさか・・・・・・この糞を喰えって言うの?」

 顔をしかめて嫌がるナムジに落胆するスクナ。軽い溜息を一つ吐くと、指先ですくった糊状物ペーストを口に入れる。「毒見は済んだ」と言わんばかりの笑みを浮かべた。

「仕方無いなあ」と、木箸を受け取る。

「ナムジ、大丈夫? お腹を壊したりしない?」

「スクナが食べても大丈夫だって言うんだから、断れないだろう?」

 恐る恐る箸の先端で糊状物ペーストを引っ掻く。眉間に皺を寄せるヤガミ姫の前で、僅かに付着した正体不明の食材を舌に当てる。口内で舌を蠢かせ、箸先を舐め回す。

 ――どうやら糞ではないらしい。でも、・・・・・・何だ? これ――

 味噌である。

 大豆だいずを醸造して味噌を試作したのだ。蒸した大豆を潰してねた糊状物ペースト土師器はじきの壺に容れ、更に花糀と塩を揉み込む。最後に大豆の煮汁を加え、木板の落し蓋を被せて漬物石を載せる。

 米糀の働きはデンプンを糖分に分解するだけではない。タンパク質を消化し易く分解し、旨み成分のアミノ酸を多量に遊離させる。一連の作業を施した壺を半年間も寝かし続け、ようやく味噌らしく仕上がるのだ。

 抑々そもそも、古代朝鮮人が馴染んだ味噌の食味は素朴だった。朝鮮半島で唐辛子醤コチュジャンが食されるのは近世以降、豊臣秀吉の朝鮮出兵を契機に韓国人は唐辛子の存在を知る。戦国時代に来日したポルトガル人の宣教師が日本に伝え、朝鮮半島に伝来したのだ。

「ヤガミも舐めて御覧よ。何だか不思議な味がする。予想外に美味いよ!」

 二度目は自分の人差指で味噌を掬う。指先をしゃぶりながら、ヤガミ姫に小皿を渡す。

 半信半疑でヤガミ姫も人差指で触れてみる。ナムジの目を凝視みつめ、一度は大袈裟に開けた口で指先を咥える。驚嘆と感激に両眼を大きく見開くヤガミ姫。

 スクナが紹介した珍味を2人が喧伝し回ったので、出雲集落では米飯に味噌を載せたり、山で摘んだ山菜や畑で穫れた野菜に付ける食文化が徐々に広がった。


 在来馬の投入先は農作業だけに留まらない。砂鉄の採掘作業でも生産性向上に寄与した。

 斐伊川ひいがわの上流で採取した砂鉄を麻袋に詰め、その麻袋を肩に担いで下山する。山の麓から集落の製錬所までは大八車に載せて運ぶ。一連の運搬作業を全て馬に担わせた。浮いた男衆の労働力を採掘作業に振り向け、増産に励む。

 山肌に露出した花崗岩を削り取る作業から砂鉄採掘は始まる。山上に溜めた貯水池から採掘現場まで用水路を敷く。削った花崗岩の粉を用水路に流し、砂鉄を選別するのだ。比重の最も重い砂鉄は直ぐに沈み、他の鉱物は遠くまで押し流される。

 砂鉄の採掘量が増えれば、踏鞴たたら製鉄の生産量も増え、鉄製品を交易する余裕が生まれる。当面はを中継拠点として九州一円に交易範囲を広げたとしても、日本海の荒れる冬に出雲は陸の孤島と化する。交易路の新規開拓が求められた。

 悩み考え抜いた代替案が中国山地を越える横断行路。出雲から尾道おのみち(広島県)までの陸路は、現代の国道54号線に概ね重なり、南北に一直線の山間道となる。

 尾道港に交易拠点を設ければ、瀬戸内全域との海上貿易が可能となる。豊予海峡を通過して延岡に至れば、愛宕あたご屋敷のニニギとも連携を取り易い。

 香春集落を中継拠点とした瀬戸内の海運構想も検討したのだが、ミカヅチ経由で末蘆人まつろびとに相談した処、下関海峡が立ち塞がると判明した。

 後世、源平が壇ノ浦合戦を繰り広げた下関海峡は狭く、普段から潮の流れが強いのだが、干満に合わせて潮流が逆転する。一方、積載量の大きな双胴船は安定した航行性を誇るが、機敏に舵を切れない。下関海峡で座礁する危険性が高く、海洋民族の末蘆人は無謀な試みだと相手にしなかった。

 尾道を中核とするならば・・・・・・と賛同した末蘆集落。船大工を延岡に移り住ませ、双胴船の建造に取り掛かる。高千穂の山々で伐採した木材は五ヶ瀬川を流されて河口まで運ばれる。加工に必要な鉄製工具は出雲集落から取り寄せた。

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