第18話 大国主の国造り

 西暦194年の秋、桑子くわこが白い糸を吐き出し始める頃。ナムジとヤガミ父娘おやこの3人は香春を訪れた。双胴船の甲板には山と積まれた鉄製品。結構な物量であったが、それだけに止まらない。出雲に蜻蛉とんぼ返りした末蘆人まつろびとが残りの特産品を運んで来る段取りだ。

「久し振りだなあ。ナムジ」

「ミカヅチ様。御無沙汰しております」

「出雲の暮らしは如何どうだ?」

「初めて見聞きする事ばかりで、全く飽きません。毎日を楽しんでいます」

 久闊きゅうかつを叙す時候の挨拶。ミカヅチの態度は何処までも人懐っこい。それに、黒木由来の客人を手厚くもてなす義理が有る。

 但し、ホノギが最優先との原則は揺るがない。彼の親族であっても、利害が対立し始めれば、躊躇ためらわずに排除する。1年半振りに現れた事情の聴取も単刀直入だ。

此度こたびの用向きは?」

 ナムジが交易の橋渡し的な役回りを得意気に説明した。彼には珍しく饒舌気味と言える。故郷に錦の御旗を飾るのだから、少々大袈裟に過ぎる点は御愛嬌だろう。両集落の交易が盛んになれば、香春集落も中継拠点として潤う。三方良しの良い話だ。

「言わずもがなだが、馬を引き取りに黒木人が現れる頃合いだ。香春で旅の疲れを癒し、待っておれ」

「有り難う御座います」

否々いやいや。黒木には世話になったからな。口減らしに預けておった香春人かわらびとも全員が帰郷した。米を返すには至らぬが、穫高とれだかも増えているから、数年内には約束を果たせよう」

 真面目な話が一段落した処で、ミカヅチは戯れの笑みを頬に浮かべ、ナムジの肩を抱き寄せる。

――ところで・・・・・・。この娘は御前のアレか?

 鉤形に曲げた左右の人差指で鎖を作り、純朴青年の耳元でささやく。赤面して恥じらう反応に満足した偉丈夫は呵々大笑する。

 一方、手厚い歓待に感激したヤガミ父娘おやこは改めてナムジを見直した。初見の自分らだけなら、此処までの厚遇を期待できない。

 翌日、集落長が返礼として出雲の品々を検分させると、ミカヅチの目が或る商品に釘付けとなる。其れは金色に輝く銅鐸どうたく。彼以上に蜈蚣むかで衆が強い関心を寄せた。採掘現場で使う投光器に打って付けだと考えたのだ。

 早速、出雲の3人を引き連れ、平尾台の鍾乳洞で塩梅あんばいを確かめる。

 一寸先も見えぬ暗闇の世界。日頃は男勝りに強気なヤガミがナムジの腕に獅噛附しがみつく。松明たいまつに驚いた蝙蝠の大群が飛び立った時なんぞ、羽音の反響を打ち消さんばかりに悲鳴を上げる。ナムジの鼓動が速まるも、押し当てられた乳房の感触が原因だったかも知れない。

 先頭の男が、松明を銅鐸の内側に差し、取手を掴んで開口面を奥へと向けた。何列にも蝋垂ろうだれた壁面を照らした途端、居合わせた全員が「お~!」と驚嘆する。氷柱つらら状に天井から伸びた岩牙の森。先端から零れる水滴までもが明瞭に見える。

「香春に銅鐸を売ってくれないか?。出雲の欲する物は何だ?」

「申し出は嬉しい限りだが、地金が足らん。だから諦めてくれ」

 前倒まえのめりに詰め寄るミカヅチに対し、郷長は何処までも冷静だ。元首同士の交渉に信義は不可欠。末永く交易を続けるならば、信頼失墜の糸口となる空約束は禁物である。

「地金が有れば大丈夫か?」

「ああ。材料次第で幾らでも銅鐸を造れる」

し!。弁韓べんかんから地金を手に入れるぞ」

 かる集落間の対話を端緒として新たな品目が加わり、交易の経済活動ネットワークは太くなる。人間の欲望に終着点は無く、だからこそ時と共に人々の暮らしは豊かになって行く。

 余談ながら、炊事と無縁なミカヅチが興味を示さず、香春集落にける鉄鍋の普及時期は黒木集落よりも遅れる。武人の無関心が招いた現象なれど、地元の主婦連中には残念な結果であった。


 折角なので、青銅器について講釈を垂れておこう。青銅とは銅と錫の合金。どちらも当時の鉱業技術では日本で大量に採掘できなかったに違いない。それに、銅と錫の合金比次第で特性が変化し、錫の含有率が高ければ割れ易く、低ければ生半可な硬度しか出ない。

 読者も承知の通り、青銅器と鉄器の日本伝来時期は概ね同じ。そして、弥生時代後期から古墳時代に掛けての遺物として発掘された青銅器の代表例は、本作品に登場する銅鐸に加え、銅剣と銅矛の3種類。後に挙げた二つは明らかに武器である。

――大陸ではうに武器として劣ると判断された青銅製の代物が何故、日本に流入したのか?

 その理由は朝鮮半島で無用の長物となった武器の処分先として日本が位置付けられたからだ。当時の日本人は頑丈な鉄餅てつぺいを望んだ筈である。ところが、現地人に「磨けば光る」とか「鉄餅の在庫は枯渇しており、青銅で我慢しろ」と言い包められたのだろう。

 半面、鉄器よりも青銅器の方が優れた点だって有る。相対的に低い温度まで加熱すれば鍛造し直す事が可能。しかも、銅剣・銅矛は鍛造加工に適した合金比率の地金も同然と言える。つまり、再加工し易い。

 鉄槌との相対的硬度の観点で考えても、同じ材質の鉄餅より、青銅の地金を叩く方が楽だ。最大の優位点は錆び難い性質かも知れない。釣針を始め海洋で使用する道具に関しては、鉄製よりも青銅製の方が長持ちする。そうやって、我々の先祖は上手く使い分けたのだろう。

 勿論、流入した銅剣・銅矛の一部は原型を止め、日本国内の威信財として再配分された。その類が各地の古墳に副葬され、今日に至っている。此処で韓国人から日本人に下賜された威信財と勘違いしてはならない。当時の朝鮮半島に日本を属国扱いできる程の国家は存在しないからだ。


 さて、十日余り後の英多あがた(現延岡)では、予期せぬ来訪者の出現に、ちょっとした騒動が巻き起こっていた。馬背に鉄製品を満載した隊商の姿が人々の目を惹き付ける。農閑期に入ったばかりの暇な時期で民衆は手持無沙汰。沿道に立つ見物客の数は増える一方だ。

 錦の御旗を故郷に飾ったナムジにとっては鼻高々の行進劇。愛宕あたご屋敷の門戸を叩いた際の家人の喜び様も彼の凱旋気分を十分にくすぐった。

「只今、帰りました」

 ウムと頷き返すホノギは、まずは馬上の鞍に目を止め、後背の馬列に積まれた麻袋の膨らみを値踏みした。そして、厄介払いの積りで送り出した義弟が福の神となって戻った因果の妙に感じ入り、反省と歓喜の交錯した想いを味わう。

 ハナサクの心境は単純明快。ヤガミの登場、それも父親同伴の状況に驚いた。直ぐに「はは~ん」と得心したが、ニヤニヤと含み笑いを返すばかり。姉の目配せに気恥しくなったナムジは顔を背け、日向灘の海原に視線を泳がす。

 その夜に催された歓迎の宴では、義兄ホノギ夫婦が睦ましく並び、対面に3人が座る。

貴方あなた英多あがた郷長さとおさですね?」

 客人の発した開口一番の質問は、無粋なれど、相対関係を探る上で非常に重要だ。ホノギは一次的には否定するも、即座に「実質的な為政者だ」と二の句を継ぐ。

「黒木の郷長さとおさは別の方が務めているのですか?」

 次なる質問にも「いいえ」と否定の言葉を返す。その上で、其々が一つの集落さとに匹敵する規模なれど、言わば旧市街と新興地の関係、政治的には一心同体だと説明する。それだけではない。両地域を同時に発展させる治世の秘訣を滔々とうとうと説く。

「これ程までに考えを巡らす郷長さとおさが居るとは驚きました」

 気分を良くしたホノギは、威厳を出そうと伸ばし始めた顎鬚を弄び、悦に入っている。

「黒木は鉄の品を欲しがるはずだ、とナムジ殿から聞いています」

「おっしゃる通り。邪馬台とのあきないが途絶えておりますのでね」

此度こたびは目星い物を色々とお持ちした。是非、我らとの商いに応じて欲しい」

「出雲は何を望まれる?」

「馬が欲しい」

「分かりました。何頭の馬に見合うか、明日以降に話し合いましょう」

 痺れを切らせたハナサクが夫の袖を引く。

「今夜は遠来の客をもてなさねば――、まずは食べて下さい」

 部屋の隅々には婢女が控え、眼前には数々の手の込んだ料理が盛大に並べられている。要人接待に相応しく格式ばった舞台を設えたものの、皆がナムジを通じた身内同士。直ぐに和気藹々わきあいあいとした雰囲気に包まれた。

 よちよち歩きの乳幼児は好きに動いている。大人にじゃれ付き、垂れた袖下の生地を掴む。双子の面倒を同時に見るのは難儀だ。次男ホオリを抱き上げている隙に、監視を逃れた長男ホデリがヤガミの膝元に近寄る。初対面の女性に興味津々のようだ。

「可愛い!」と抱き上げられ、頬擦りされる。人見知りもせず、素直に喜ぶホデリ。2人の姿にハナサクの表情も緩む。

「そう言えば、義兄さん」

「何だ?」

「出雲では色々と驚かされます」

「例えば?」

残米のこりごめを城に預けずとも、長期間の貯蔵が可能です」

「特殊な米を育てているのか?」

「いいえ」

「では、高床の貯米庫に工夫を施している?」

「見た処、黒木と全く同じです。でも、梅雨を越せるんです」

 いぶかしむホノギ、俄かには信じられない。半年前のナムジと同じ反応を示す。

「嘘だろう?」

「本当です。私も吃驚びっくりしました」

「何故?」

「理由は分かりません。試しに今年の残米のこりごめを出雲に預けてみませんか?」

――ナムジの主張が真実なら、邪馬台に依存せずに済むぞ。

 顎を擦る仕草は熟考中の彼の癖。指間になびく髭の心地良い感触に刺激され、考えが纏まると妻には伝えている。要は「邪魔するな」との予防線だが、今夜のハナサクは敢えて無視した。

「こらこら、ナムジ。食事時に無粋な話題は止してよ」

 たしなめる風を装いながら、男同士の会話に介入する。彼女は、弟の婚姻話を確かめたくて堪らず、気を揉んでいたのだ。姉としては籾米以上に重要な案件だ。

「それよりも貴方達。母さんには何時いつ会うの?」

 口火を切り易いよう、鎌を掛けてみる。姉としての温情に立脚しながらも、興味本位の一面は否定できない。

愛宕あたごしばらく骨休みしてから本宅に行く?。それとも、此方こちらに来て貰う?」

 機敏に反応したのは、ナムジではなく、父親の方。ハナサクと同じく機会を伺っていたらしい。

「ハナサク姫。母君ははぎみにお越し頂くのではなく、私供が参ります。それが礼儀でしょうから」

 かしこまって発せられた突然の回答。左隣のヤガミが頬を紅潮させ、右隣のナムジは身を固くする。ホノギだけが虚を突かれ、鸚鵡おうむ返しに「礼儀?」と復唱した。

「娘の顔見世を相手の親に申し入れるのは、父親の務めですから・・・・・・」

 居住いを正したヤガミが膝の上で両拳をきつく結ぶ。数十秒の間、期待と緊張の綯交ないまぜとなった空気が室内を満たした。手放されたホデリが(如何どうしたの?)と小さな指で乙女の頬を突く。

「相手の親?」

「直ぐにではありませんが、いずれ・・・・・・と考えております」

「何を?」

「貴方!、何も感じなかったの?」

 正直な話、何ら察知していない。自分の不明を白状するのに気後れし、無言で妻に先を促す。

「結婚よ、結婚。ナムジの許嫁いいなずけとしてヤガミ姫を紹介して下さるのよ」

「そうか!」

「有り難い話だわ!」

「そりゃあ目出度いな。出雲の姫様をめとるなんて、達成でかしたな!」

 ようやく事情を呑み込んだホノギが喜色満面の笑みで祝福した。ただ、喜悦の理由が妻とは微妙に異なる。もっぱら政略結婚の成立を喜んでの反応だ。計算高い魂胆を孕んでいようと、満場一致には変わりない。

 正直な処、ハナサクは峻厳な夫に身構えていた。小難しい事を言って反対し兼ねない、と。だから、切り出す時宜タイミングを慎重に見計らっていたのだ。その気配りが報われたのだろう。呆気無い程の噸々トントン拍子に喜びも一入ひとしおだ。婚儀を申し入れた父娘以上にはしゃいでいる。

「ヤガミ姫。弟の事、宜しく御願いしますね」

「はいっ!」

 身体を強張らせた本人が威勢良く返事する。吃音気味に裏返った声。初心うぶな反応に義姉夫婦は大笑いした。密かにナムジ本人も決意していたが、余人の計為はからいで外堀は完全に埋まるのだった。


 就寝前。客間に案内された3人は床に着く。会食時とは違って、中央にヤガミを挟んだ寝床の配列。

 出雲と異なり、茣蓙の敷布団に一重織ひとえおりした麻布の掛布団。南国黒木の気候は冬でも暖かく、貫頭衣かんとういを脱がずに寝れば、肌寒さを感じない。

 でも、姉夫婦に羽毛布団の快適さを教えてやろう、とナムジは考えていた。裸で寝れば、自由に寝返りを打てる。夫婦で同衾すれば、人肌の温もりを愉しめる。こんな風に・・・・・・と、ヤガミの手を握りながら徒々つらつらと考えていたが、意識は夢の海へと沈み始める。

 高鼾たかいびきの父親を横目に、一段とナムジに寄り添うヤガミ。長旅で消耗し切っているのに、目が冴えて悶々とする。異郷の気候に不慣れな所為せいも有るが、最終面接を控えた緊張感に拠る処が大であった。

――御義母様に認められなかったら、私、如何どうしよう・・・・・・?

 弥生時代も現代と変わらず、嫁姑問題は新妻の悩みの種だ。義姉は快く自分を受入れてくれたが、世代の離れた義母も同様の態度で接するとは限らない。

「御義姉さん、素敵な女性ね。それに・・・・・・綺麗」

 許嫁ナムジの耳元でささやきながら、毳立けばだって不器量な短髪を片手でく。ハナサクの長く枝垂れた黒髪を思い出すに付け、自分の容貌を情けなく思う。

――髪の長い時に挨拶したかったなぁ。こんな髪型じゃ・・・・・・屹度きっと、魅力に欠けた娘だと思うわよね。

 純朴な乙女は夜更けまで何度も寝返りを打つのであった。


 案じるよりも産むが易し。

 オオヤツ妃は、3人の姿を認めるや否や駆け寄り、臆するヤガミを強く抱き締めた。

「貴女がヤガミ姫ね。遠路遥々・・・・・・」

 目に涙を浮かべ、「孫の顔を見るまで、頑張って生きなくちゃね!」と自身を励ます。

 41歳と言えば、老境の門口。老後の生き甲斐を見出すべき年齢であるが、息子を2人も喪い、残るナムジと離別して、実態は寂しさを募らせる一方だった。そんな最中に迎えた嫁の顔見世。若人が集えば、やはり場が華やぐ。覇気を分与され、彼女は久し振りに陽気な気分を味わった。

 はぐれ子羊の様に怯えるヤガミが大きく安堵した事は言うまでもない。


 ナムジ達は1ヶ月程度で黒木滞在を切り上げ、慌しく出雲への帰路に着いた。治世者不在の期間短縮の原則とは別に、考慮すべき厳然たる制約条件が有る。冬の日本海だ。

 大陸からの強い季節風に煽られると、海が非常に荒れる。高い波浪に阻まれ、帰還を望めなくなるのだ。立ち塞がる気象条件こそが、出雲集落に通年での交易活動を諦めさせ、経済的覇者となる野望を阻む元凶であった。

 海路日和を待って黒木に投宿し続けると、在来馬の手配が春先の田圃たんぼ作りに間に合わない。家族団欒の愉悦に後ろ髪を引かれ、渡航目的を見失っては、本末転倒のそしりを免れないだろう。

 将来の結婚を親同士で確認し合えば、長居は無用。入手した100頭を引き連れ香春に向かう。その内には、10頭と少ないものの、門外不出の雌馬が含まれている。ホノギからの餞別、ナムジの持参金であった。

 ちなみに、多年契約の香春集落には雌馬を1頭も貸し出していない。「馬力の優れた雄の方が重宝する」との建前だったが、賃借中に繁殖を試みる姑息な信義則違反を警戒したからだ。事業形態ビジネスモデルが崩壊し兼ねない。

 過去を振り返るに、スサノオは無頓着に邪馬台城と取引していた。幸い、冬季限定の貸与契約ゆえ、出産期には孕んだ雌馬を回収できた。しかし、性悪説に立てば、足許を掬われ兼ねない危うさを内包していた。当時の城側が期間延長を求めなかったのはひとえに誠実だったからである。

 その点、貸馬業を継承したホノギは先代以上に計算高く用心深い。その彼が雌馬を分け与えたのだ。如何に出雲集落との友好関係を重んじ、厚遇したか。容易に想像できるだろう。政略結婚を前提とするからこそ、初めて踏み切れる英断である。


 3人が不在の出雲では、先進の文化を新たに披露しようと漂着民達が奮闘中だった。

 道具を担いで玉造温泉に赴き、共同浴場に隣接する川面の上に5メートル四方の木造家屋を建設する。桧板ひのきいたを隙間無く張り合わせた屋根と壁。雨垂れや寒風が吹き入る心配は無さそうだ。反面、床板の方は粗雑な造りで隙間だらけ。

 何とも一貫性を欠いた出来具合であったが、建造者にとっては合理的な仕様。川面から立ち上ぼる暖気を取り込む算段だった。泉源の温度は42℃前後。屋内には湯温よりも少し低目の空気が充満し、人肌に近い室温が保たれる。

 最初は(奇妙な家屋だ)と訝った出雲人も効験に気付き始める。温泉に浸かる醍醐味は冬こそ格別。ところが、湯船から上がる段になると、温まった身体を寒気が容赦無く冷やす。貫頭衣をまとうまでの間、冷風を遮断できれば・・・・・・と誰もが望む。

「弁韓の奴ら、良い物を作ってくれたぞ。気が利くじゃないか!」

「少々肌寒いが、外よりも随分と暖かい。風邪を引かずに済むってもんだ」

 風呂好きは諸手を挙げて低温サウナの出現を歓迎した。しかし、弁韓人べんかんびとの設置目的は別に有る。彼らを建屋から追い出すと、新たな作業に取り掛かった。糠喜びだったと肩を落とす愛好家一堂。悦楽の味を占めただけに落胆の度合いも大きい。

――もっと素晴らしい物を贈呈しますぞ。

 意気消沈する彼らを慰める気持ちは有っても、言語の違う漂着民には計画を説明するすべが無い。一日も早く成果を出そうと、今は黙々と勤しむばかりだ。蒸した古米を平板に薄く広げ、準備した枚数の全てを吊棚に安置する。1週間も過ぎれば、表層を白い綿状の膜が覆い尽くす。

 米糀こめこうじ――米粒の表面で繁殖した麹カビの群生――である。

 麹カビの中でも、固有種である日本麹カビが最も活発に繁殖する温度域は35℃から37℃の範囲。一方、耐熱性に劣る青カビや黒カビは36℃で死滅する。彼らが実現した室内環境は日本麹カビだけを選択的に育てる理想の孵卵器なのだ。

 現代でも日本酒の醸造には米糀を使う。一方、韓国人はマッコリの醸造に麦麹を使う。古代朝鮮半島では別種の菌を活用していたが、古代人に見分けは着かない。麦の見当たらない状況に戸惑いながらも、「米で試してみよう」と挑戦した結果、偶然にも吉と出た。

 極小の繭にも見える米糀。小分けにして、土師器はじきの壺に容れた蒸煮米じょうしゃまいの表面に付着させる。掻き混ぜて一晩寝かせると、ノン・アルコールの甘酒が出来る。

 一連の作業に供する籾米には精米加工を施している。精白しないとカビが上手く着床しないのだ。 彼らが用意した挽臼ひきうすは川砂を意図的に混ぜた石膏製だった。踏鞴たたら製鉄の鋳造現場を見学した漂着民が着想する。大きな石を円柱形に研磨して石臼を作るより、石膏を使った方が楽だ。

 挽臼の大量生産も容易だからだろう。時を置かずして、出雲人は精米を食するようになった。糠層を削る程に口当たりがまろやかとなる。但し、精米と言っても、現代日本人の感覚では、玄米と大差無い。

 話を甘酒に戻すと、蓮根の前例を知る出雲人は強い関心を抱いたが、白濁した流動体に腰を引く。試飲を薦められた者は一様に戸惑いの表情を浮かべた。でも、どんな集団にでも怖いもの知らずは居るものだ。意を決して口に含んだ強者つわものは初めて味わう甘味に舌鼓を打った。

 弁韓人の改善意欲は止まる処を知らず、濁酒どぶろくの製造にも挑戦する。

 麹の機能はデンプンを糖分に分解する前工程に限られる。アルコール発酵は酵母の役割だ。醸造酒を目指すなら、自然界に存在する幾千万の雑菌から適切な酵母を探し出さねばならない。

 ところが、〝言うは易し行うは難し〟で、微小な酵母は目に見えない。屋外に培地を置いて試してみるしかないが、甘酒を放置しては黒カビや青カビの餌食となる。醸造に適した酵母を事前培養する段取りが不可欠であった。

 彼らの選んだ菌床材は蜂蜜だ。糖類に繁茂する酵母はアルコール発酵する可能性が高い。弥生時代に養蜂は営まれていないが、出雲でも蜜壺を保存している家は多い。帰巣する蜂を見付けたら、日常茶飯的に煙で巣を燻し採蜜していたからだ。

 注意すべき点は蜂蜜の殺菌作用だろう。肝心の酵母を殺しては意味が無く、水で希釈する必要が有る。彼らは蜂蜜を滴らした小皿を幾つも準備し、水辺の日陰を選んでは安置して回った。その結果、幸運に恵まれ、一つ二つの小皿で小さな気泡――アルコール発酵の兆候――を認める。

 琥珀色の液体を甘酒に垂らし、発酵を見守りさえすれば、マッコリに似た濁酒どぶろくとなるはずだった。

 暖かい温室内で発酵させる甘酒とは異なり、寒い冬に仕込む醸造には少し我慢を強いられる。反面、気温が低ければ、腐敗菌が繁殖して失敗する懸念も小さい。


 晴天の空を舞う雲雀ひばりが活発にさえずり始めると、人々の心は華やぐ。皆は田起しの季節を告げる言祝ことほぎと捉えていたからだ。腰を曲げての長時間労働が苦痛の極みだろうと、収穫への一里塚と思えば、気勢も上がる。集落総出で田圃たんぼを耕す風景は恒例の風物詩なのだが、今年の出雲は様子が異なった。

 今春から数多あまたの農耕馬を投入した重装型の農法が展開される。特筆すべきは、5本の鉄製歯を組み込んだ最新鋭のすき。製鉄技術の結晶だ。土中を深く掘り返す様は、数々の先進文化を披露した弁韓人ですら、初めて見る光景だったらしい。唖然として、言葉を失っている。

「俺達だって賢い処が有るだろう?」と、男達が誇らしげに胸を張る。泥沼を滑る田下駄の足取りも軽い。僅か1年の激変振りには当事者ですら隔世の感を抱く。その代表格がナムジだろう。一連の体制作りに尽力した苦労を思い出し、得意気に眺めていた。

 彼の隣では、檄を飛ばすヤガミの声がやかましい。許嫁いいなずけの地位を確とした彼女は秋波を寄せる娘達を牽制せずに済む。それでも、指呼の距離を保っていて回る態度は以前の通り。片時も離れたくない程に下手惚れなのだ。

 そんな2人が畦道にたたずんでいると、スクナが歩み寄って来た。手には茶色い糊状物ペーストを載せた小皿が一枚。其れを覗き込んだナムジの目が点になる。ヤガミは、怪しげな献上物に顔を近付け、鼻をクンクン鳴らしている。

これ、何の糞?。どうして小皿に盛ってるの?」

 得意顔したりがおのスクナが袖口から取り出した木箸を差し出す。

「えっ!。まさか・・・・・・この糞を喰えって言うの?」

 顔をしかめて嫌がる青年と、その反応に落胆する老爺。何度も見た光景だ。軽い溜息を一つ吐くと、指先ですくった軟塊を口に含む。わざと舌先で内頬を膨らませ、「毒見は済んだ」と言わんばかりの笑みを浮かべた。

「仕方無いなあ」と、木箸を受け取る。

「ナムジ、大丈夫?。お腹を壊したりしない?」

 新妻然としたヤガミが眉間に皺を寄せる。

「スクナが食べろって言うんだから、断れないだろう?」

 箸の先端で引っ掻き、僅かに付着した正体不明の食材を恐る々々口内に挿し入れた。舌を蠢かせ、箸先を舐め回す。

――糞ではないらしい。でも・・・・・・何だ?

 味噌の試作品である。

 蒸した大豆だいずを潰してね、花糀と塩を揉み込む。煮汁と一緒に壺に容れたら、落し蓋を被せて漬物石を載せる。米糀の分解対象はデンプンだけではない。タンパク質をも分解し、旨み成分のアミノ酸を多量に遊離させる。半年近くも寝かし続けた結果、ようやく味噌らしく仕上がるのだ。

 抑々そもそも、古代朝鮮人が馴染んだ味噌の食味は素朴だった。彼らが唐辛子醤コチュジャンを食し始めるのは近世以降。ポルトガル人の宣教師が戦国時代の日本に伝え、豊臣秀吉の朝鮮出兵を契機に韓国人は唐辛子の存在を知る。

「何だか不思議な味がする。予想外に旨いよ!」

 二度目は自分の人差指で味噌を掬う。指先をしゃぶりながら、「ヤガミも舐めて御覧よ」と小皿を手渡す。

 調味料のたぐいと判明しては、彼女に味見させない手は無い。しかし、薦められた方は半信半疑だ。指先に感じる粘度が気持ち悪い。推奨者の目を見詰め、一度は大袈裟に開けた口でチョンと咥える。舌先で味噌を転がすや、ナムジと同様、驚嘆と感激につぶらな瞳を大きく見開いた。

 スクナの紹介した品を2人が親類縁者に喧伝し回ると、燎原の火が如く珍味の噂は方々に広がった。「旨い」と聞けば、誰しも食指を動かす。こうして、山菜や畑で採れた野菜に付ける味噌の食文化が出雲周辺に広がり始めた。


 在来馬は、農作業だけに留まらず、奥出雲の生産性向上にも寄与する。様々な鉄器を袋詰めにし、男衆が肩に担いで下山する一連の運搬作業を全て馬に担わせた。労働力の捻出は精錬所の増設を促す。

 砂鉄の採掘は山肌に露出した花崗岩を削り取る作業から始まる。続いて、細かく破砕した砂を用水路に流しながらの選別。比重の重い砂鉄は直ぐに沈み、他の鉱物は遠くまで押し流される。流水が細り雪が積り始めると活動停止。田起しと概ね同じ時期に再開される。

 木炭作りや製鉄作業は年間を通して営まれた。これらは農作業を終えた出稼ぎ労働者の加わる冬が書き入れ時となる。荷役から解放された労働力は万遍無く生産量を押し上げた。

 地産地消の域を超えた余剰生産能力は交易の温床。香春集落の協力を得て九州一円に販路を広げる事も夢ではない。但し、日本海の荒れる冬には出荷停止に追い込まれる。この閉塞状況を打破せんと、物流経路の新規開拓が次なる課題に浮上した。

 悩み考え抜いた代替案が中国山地を越える横断行路。出雲から尾道おのみち(広島県)までの陸路は、現代の国道54号線に概ね重なり、南北に一直線の山間道となる。

 本土と向島を分かつ狭い水路の沿岸に港湾拠点を設ければ、今度は瀬戸内全域との海上貿易が可能となる。豊予海峡を通過して日南に至れば、ホノギとも連携を取り易い。

 遠賀川おんががわの河口域を拠点とした海運網も検討したのだが、ミカヅチ経由で末蘆人まつろびとはかった処、下関海峡が阻害すると判明した。後世、此処で源氏と平氏が壇ノ浦合戦を繰り広げる。御存じの通り、海峡の幅が狭い反面、潮の流れは強い。しかも、干満に合わせて潮流が逆転する。

 一方、双胴船は、安定した航行性を誇るものの、機敏に舵を切れない。下関海峡では座礁する危険性が高く、海洋民族は無謀な試みだと耳を貸さなかった。ところが、波の穏やかな瀬戸内を舞台とするなら話は別だと、一転して乗り気を示す。

 尾道ならば・・・・・・と賛同した末蘆集落は、船大工を英多あがたに移り住まわせ、双胴船の建造に取り掛かった。高千穂の山々で伐採した木材は五ヶ瀬川を流されて河口まで運ばれる。加工に必要な鉄製工具は出雲集落から取り寄せた。

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