第18話 大国主の国造り
西暦194年の秋、
「久し振りだなあ。ナムジ」
「ミカヅチ様。御無沙汰しております」
「出雲の暮らしは
「初めて見聞きする事ばかりで、全く飽きません。毎日を楽しんでいます」
但し、ホノギが最優先との原則は揺るがない。彼の親族であっても、利害が対立し始めれば、
「
ナムジが交易の橋渡し的な役回りを得意気に説明した。彼には珍しく饒舌気味と言える。故郷に錦の御旗を飾るのだから、少々大袈裟に過ぎる点は御愛嬌だろう。両集落の交易が盛んになれば、香春集落も中継拠点として潤う。三方良しの良い話だ。
「言わずもがなだが、馬を引き取りに黒木人が現れる頃合いだ。香春で旅の疲れを癒し、待っておれ」
「有り難う御座います」
「
真面目な話が一段落した処で、ミカヅチは戯れの笑みを頬に浮かべ、ナムジの肩を抱き寄せる。
――ところで・・・・・・。この娘は御前のアレか?
鉤形に曲げた左右の人差指で鎖を作り、純朴青年の耳元で
一方、手厚い歓待に感激したヤガミ
翌日、集落長が返礼として出雲の品々を検分させると、ミカヅチの目が或る商品に釘付けとなる。其れは金色に輝く
早速、出雲の3人を引き連れ、平尾台の鍾乳洞で
一寸先も見えぬ暗闇の世界。日頃は男勝りに強気なヤガミがナムジの腕に
先頭の男が、松明を銅鐸の内側に差し、取手を掴んで開口面を奥へと向けた。何列にも
「香春に銅鐸を売ってくれないか?。出雲の欲する物は何だ?」
「申し出は嬉しい限りだが、地金が足らん。だから諦めてくれ」
「地金が有れば大丈夫か?」
「ああ。材料次第で幾らでも銅鐸を造れる」
「
余談ながら、炊事と無縁なミカヅチが興味を示さず、香春集落に
折角なので、青銅器について講釈を垂れておこう。青銅とは銅と錫の合金。どちらも当時の鉱業技術では日本で大量に採掘できなかったに違いない。それに、銅と錫の合金比次第で特性が変化し、錫の含有率が高ければ割れ易く、低ければ生半可な硬度しか出ない。
読者も承知の通り、青銅器と鉄器の日本伝来時期は概ね同じ。そして、弥生時代後期から古墳時代に掛けての遺物として発掘された青銅器の代表例は、本作品に登場する銅鐸に加え、銅剣と銅矛の3種類。後に挙げた二つは明らかに武器である。
――大陸では
その理由は朝鮮半島で無用の長物となった武器の処分先として日本が位置付けられたからだ。当時の日本人は頑丈な
半面、鉄器よりも青銅器の方が優れた点だって有る。相対的に低い温度まで加熱すれば鍛造し直す事が可能。
鉄槌との相対的硬度の観点で考えても、同じ材質の鉄餅より、青銅の地金を叩く方が楽だ。最大の優位点は錆び難い性質かも知れない。釣針を始め海洋で使用する道具に関しては、鉄製よりも青銅製の方が長持ちする。そうやって、我々の先祖は上手く使い分けたのだろう。
勿論、流入した銅剣・銅矛の一部は原型を止め、日本国内の威信財として再配分された。その類が各地の古墳に副葬され、今日に至っている。此処で韓国人から日本人に下賜された威信財と勘違いしてはならない。当時の朝鮮半島に日本を属国扱いできる程の国家は存在しないからだ。
さて、十日余り後の
錦の御旗を故郷に飾ったナムジにとっては鼻高々の行進劇。
「只今、帰りました」
ウムと頷き返すホノギは、まずは馬上の鞍に目を止め、後背の馬列に積まれた麻袋の膨らみを値踏みした。そして、厄介払いの積りで送り出した義弟が福の神となって戻った因果の妙に感じ入り、反省と歓喜の交錯した想いを味わう。
ハナサクの心境は単純明快。ヤガミの登場、それも父親同伴の状況に驚いた。直ぐに「はは~ん」と得心したが、ニヤニヤと含み笑いを返すばかり。姉の目配せに気恥しくなったナムジは顔を背け、日向灘の海原に視線を泳がす。
その夜に催された歓迎の宴では、
「
客人の発した開口一番の質問は、無粋なれど、相対関係を探る上で非常に重要だ。ホノギは一次的には否定するも、即座に「実質的な為政者だ」と二の句を継ぐ。
「黒木の
次なる質問にも「いいえ」と否定の言葉を返す。その上で、其々が一つの
「これ程までに考えを巡らす
気分を良くしたホノギは、威厳を出そうと伸ばし始めた顎鬚を弄び、悦に入っている。
「黒木は鉄の品を欲しがる
「おっしゃる通り。邪馬台との
「
「出雲は何を望まれる?」
「馬が欲しい」
「分かりました。何頭の馬に見合うか、明日以降に話し合いましょう」
痺れを切らせたハナサクが夫の袖を引く。
「今夜は遠来の客を
部屋の隅々には婢女が控え、眼前には数々の手の込んだ料理が盛大に並べられている。要人接待に相応しく格式ばった舞台を設えたものの、皆がナムジを通じた身内同士。直ぐに
よちよち歩きの乳幼児は好きに動いている。大人に
「可愛い!」と抱き上げられ、頬擦りされる。人見知りもせず、素直に喜ぶホデリ。2人の姿にハナサクの表情も緩む。
「そう言えば、義兄さん」
「何だ?」
「出雲では色々と驚かされます」
「例えば?」
「
「特殊な米を育てているのか?」
「いいえ」
「では、高床の貯米庫に工夫を施している?」
「見た処、黒木と全く同じです。でも、梅雨を越せるんです」
「嘘だろう?」
「本当です。私も
「何故?」
「理由は分かりません。試しに今年の
――ナムジの主張が真実なら、邪馬台に依存せずに済むぞ。
顎を擦る仕草は熟考中の彼の癖。指間に
「こらこら、ナムジ。食事時に無粋な話題は止してよ」
「それよりも貴方達。母さんには
口火を切り易いよう、鎌を掛けてみる。姉としての温情に立脚しながらも、興味本位の一面は否定できない。
「
機敏に反応したのは、ナムジではなく、父親の方。ハナサクと同じく機会を伺っていたらしい。
「ハナサク姫。
「娘の顔見世を相手の親に申し入れるのは、父親の務めですから・・・・・・」
居住いを正したヤガミが膝の上で両拳を
「相手の親?」
「直ぐにではありませんが、
「何を?」
「貴方!、何も感じなかったの?」
正直な話、何ら察知していない。自分の不明を白状するのに気後れし、無言で妻に先を促す。
「結婚よ、結婚。ナムジの
「そうか!」
「有り難い話だわ!」
「そりゃあ目出度いな。出雲の姫様を
正直な処、ハナサクは峻厳な夫に身構えていた。小難しい事を言って反対し兼ねない、と。だから、切り出す
「ヤガミ姫。弟の事、宜しく御願いしますね」
「はいっ!」
身体を強張らせた本人が威勢良く返事する。吃音気味に裏返った声。
就寝前。客間に案内された3人は床に着く。会食時とは違って、中央にヤガミを挟んだ寝床の配列。
出雲と異なり、茣蓙の敷布団に
でも、姉夫婦に羽毛布団の快適さを教えてやろう、とナムジは考えていた。裸で寝れば、自由に寝返りを打てる。夫婦で同衾すれば、人肌の温もりを愉しめる。こんな風に・・・・・・と、ヤガミの手を握りながら
――御義母様に認められなかったら、私、
弥生時代も現代と変わらず、嫁姑問題は新妻の悩みの種だ。義姉は快く自分を受入れてくれたが、世代の離れた義母も同様の態度で接するとは限らない。
「御義姉さん、素敵な女性ね。それに・・・・・・綺麗」
――髪の長い時に挨拶したかったなぁ。こんな髪型じゃ・・・・・・
純朴な乙女は夜更けまで何度も寝返りを打つのであった。
案じるよりも産むが易し。
オオヤツ妃は、3人の姿を認めるや否や駆け寄り、臆するヤガミを強く抱き締めた。
「貴女がヤガミ姫ね。遠路遥々・・・・・・」
目に涙を浮かべ、「孫の顔を見るまで、頑張って生きなくちゃね!」と自身を励ます。
41歳と言えば、老境の門口。老後の生き甲斐を見出すべき年齢であるが、息子を2人も喪い、残るナムジと離別して、実態は寂しさを募らせる一方だった。そんな最中に迎えた嫁の顔見世。若人が集えば、やはり場が華やぐ。覇気を分与され、彼女は久し振りに陽気な気分を味わった。
ナムジ達は1ヶ月程度で黒木滞在を切り上げ、慌しく出雲への帰路に着いた。治世者不在の期間短縮の原則とは別に、考慮すべき厳然たる制約条件が有る。冬の日本海だ。
大陸からの強い季節風に煽られると、海が非常に荒れる。高い波浪に阻まれ、帰還を望めなくなるのだ。立ち塞がる気象条件こそが、出雲集落に通年での交易活動を諦めさせ、経済的覇者となる野望を阻む元凶であった。
海路日和を待って黒木に投宿し続けると、在来馬の手配が春先の
将来の結婚を親同士で確認し合えば、長居は無用。入手した100頭を引き連れ香春に向かう。その内には、10頭と少ないものの、門外不出の雌馬が含まれている。ホノギからの餞別、ナムジの持参金であった。
過去を振り返るに、スサノオは無頓着に邪馬台城と取引していた。幸い、冬季限定の貸与契約ゆえ、出産期には孕んだ雌馬を回収できた。しかし、性悪説に立てば、足許を掬われ兼ねない危うさを内包していた。当時の城側が期間延長を求めなかったのは
その点、貸馬業を継承したホノギは先代以上に計算高く用心深い。その彼が雌馬を分け与えたのだ。如何に出雲集落との友好関係を重んじ、厚遇したか。容易に想像できるだろう。政略結婚を前提とするからこそ、初めて踏み切れる英断である。
3人が不在の出雲では、先進の文化を新たに披露しようと漂着民達が奮闘中だった。
道具を担いで玉造温泉に赴き、共同浴場に隣接する川面の上に5メートル四方の木造家屋を建設する。
何とも一貫性を欠いた出来具合であったが、建造者にとっては合理的な仕様。川面から立ち上ぼる暖気を取り込む算段だった。泉源の温度は42℃前後。屋内には湯温よりも少し低目の空気が充満し、人肌に近い室温が保たれる。
最初は(奇妙な家屋だ)と訝った出雲人も効験に気付き始める。温泉に浸かる醍醐味は冬こそ格別。ところが、湯船から上がる段になると、温まった身体を寒気が容赦無く冷やす。貫頭衣を
「弁韓の奴ら、良い物を作ってくれたぞ。気が利くじゃないか!」
「少々肌寒いが、外よりも随分と暖かい。風邪を引かずに済むってもんだ」
風呂好きは諸手を挙げて低温サウナの出現を歓迎した。しかし、
――もっと素晴らしい物を贈呈しますぞ。
意気消沈する彼らを慰める気持ちは有っても、言語の違う漂着民には計画を説明する
麹カビの中でも、固有種である日本麹カビが最も活発に繁殖する温度域は35℃から37℃の範囲。一方、耐熱性に劣る青カビや黒カビは36℃で死滅する。彼らが実現した室内環境は日本麹カビだけを選択的に育てる理想の孵卵器なのだ。
現代でも日本酒の醸造には米糀を使う。一方、韓国人はマッコリの醸造に麦麹を使う。古代朝鮮半島では別種の菌を活用していたが、古代人に見分けは着かない。麦の見当たらない状況に戸惑いながらも、「米で試してみよう」と挑戦した結果、偶然にも吉と出た。
極小の繭にも見える米糀。小分けにして、
一連の作業に供する籾米には精米加工を施している。精白しないとカビが上手く着床しないのだ。 彼らが用意した
挽臼の大量生産も容易だからだろう。時を置かずして、出雲人は精米を食するようになった。糠層を削る程に口当たりが
話を甘酒に戻すと、蓮根の前例を知る出雲人は強い関心を抱いたが、白濁した流動体に腰を引く。試飲を薦められた者は一様に戸惑いの表情を浮かべた。でも、どんな集団にでも怖いもの知らずは居るものだ。意を決して口に含んだ
弁韓人の改善意欲は止まる処を知らず、
麹の機能はデンプンを糖分に分解する前工程に限られる。アルコール発酵は酵母の役割だ。醸造酒を目指すなら、自然界に存在する幾千万の雑菌から適切な酵母を探し出さねばならない。
ところが、〝言うは易し行うは難し〟で、微小な酵母は目に見えない。屋外に培地を置いて試してみるしかないが、甘酒を放置しては黒カビや青カビの餌食となる。醸造に適した酵母を事前培養する段取りが不可欠であった。
彼らの選んだ菌床材は蜂蜜だ。糖類に繁茂する酵母はアルコール発酵する可能性が高い。弥生時代に養蜂は営まれていないが、出雲でも蜜壺を保存している家は多い。帰巣する蜂を見付けたら、日常茶飯的に煙で巣を燻し採蜜していたからだ。
注意すべき点は蜂蜜の殺菌作用だろう。肝心の酵母を殺しては意味が無く、水で希釈する必要が有る。彼らは蜂蜜を滴らした小皿を幾つも準備し、水辺の日陰を選んでは安置して回った。その結果、幸運に恵まれ、一つ二つの小皿で小さな気泡――アルコール発酵の兆候――を認める。
琥珀色の液体を甘酒に垂らし、発酵を見守りさえすれば、マッコリに似た
暖かい温室内で発酵させる甘酒とは異なり、寒い冬に仕込む醸造には少し我慢を強いられる。反面、気温が低ければ、腐敗菌が繁殖して失敗する懸念も小さい。
晴天の空を舞う
今春から
「俺達だって賢い処が有るだろう?」と、男達が誇らしげに胸を張る。泥沼を滑る田下駄の足取りも軽い。僅か1年の激変振りには当事者ですら隔世の感を抱く。その代表格がナムジだろう。一連の体制作りに尽力した苦労を思い出し、得意気に眺めていた。
彼の隣では、檄を飛ばすヤガミの声が
そんな2人が畦道に
「
「えっ!。まさか・・・・・・この糞を喰えって言うの?」
顔を
「仕方無いなあ」と、木箸を受け取る。
「ナムジ、大丈夫?。お腹を壊したりしない?」
新妻然としたヤガミが眉間に皺を寄せる。
「スクナが食べろって言うんだから、断れないだろう?」
箸の先端で引っ掻き、僅かに付着した正体不明の食材を恐る々々口内に挿し入れた。舌を蠢かせ、箸先を舐め回す。
――糞ではないらしい。でも・・・・・・何だ?
味噌の試作品である。
蒸した
「何だか不思議な味がする。予想外に旨いよ!」
二度目は自分の人差指で味噌を掬う。指先を
調味料の
スクナの紹介した品を2人が親類縁者に喧伝し回ると、燎原の火が如く珍味の噂は方々に広がった。「旨い」と聞けば、誰しも食指を動かす。こうして、山菜や畑で採れた野菜に付ける味噌の食文化が出雲周辺に広がり始めた。
在来馬は、農作業だけに留まらず、奥出雲の生産性向上にも寄与する。様々な鉄器を袋詰めにし、男衆が肩に担いで下山する一連の運搬作業を全て馬に担わせた。労働力の捻出は精錬所の増設を促す。
砂鉄の採掘は山肌に露出した花崗岩を削り取る作業から始まる。続いて、細かく破砕した砂を用水路に流しながらの選別。比重の重い砂鉄は直ぐに沈み、他の鉱物は遠くまで押し流される。流水が細り雪が積り始めると活動停止。田起しと概ね同じ時期に再開される。
木炭作りや製鉄作業は年間を通して営まれた。これらは農作業を終えた出稼ぎ労働者の加わる冬が書き入れ時となる。荷役から解放された労働力は万遍無く生産量を押し上げた。
地産地消の域を超えた余剰生産能力は交易の温床。香春集落の協力を得て九州一円に販路を広げる事も夢ではない。但し、日本海の荒れる冬には出荷停止に追い込まれる。この閉塞状況を打破せんと、物流経路の新規開拓が次なる課題に浮上した。
悩み考え抜いた代替案が中国山地を越える横断行路。出雲から
本土と向島を分かつ狭い水路の沿岸に港湾拠点を設ければ、今度は瀬戸内全域との海上貿易が可能となる。豊予海峡を通過して日南に至れば、ホノギとも連携を取り易い。
一方、双胴船は、安定した航行性を誇るものの、機敏に舵を切れない。下関海峡では座礁する危険性が高く、海洋民族は無謀な試みだと耳を貸さなかった。ところが、波の穏やかな瀬戸内を舞台とするなら話は別だと、一転して乗り気を示す。
尾道ならば・・・・・・と賛同した末蘆集落は、船大工を
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