第15話 少女の恋、そして

 翌朝。鶏の鳴き声と共に4人は起き出す。ナムジが火を起こし、囲炉裏の薪に火を着ける。ヤガミ姫と母親の2人は鉄鍋でコメを研ぎ囲炉裏に架ける。集落長は家畜小屋の野兎うさぎを絞めて戻って来た。包丁で器用に皮を剥ぎ、裂いた肉を貫いた串刺を囲炉裏の回りに立てる。

 小一時間で朝餉あさげの準備が整う。遠出に備えて滋養を着けさせようと食卓に並べた兎肉だが、父親の気遣いには無頓着のヤガミ姫。直ぐに出発する事しか念頭に無く、食事を掻き込んだ直後には咳き込む始末。慌てて喉のつかえを白湯で下すと、普段通りに箸を動かすナムジを急き立てる。

 ナムジが食べ終わるや否や、脱兎の如く出発した。左手でナムジを引っ張り、右手には麻袋を握っている。麻袋の中身は、煎った松の実と胡麻をまぶした握り飯、燻製の魚、そして入浴後に身体を拭う麻布。

 集落の誰にも見咎められぬよう、しばらくは早足で道を急ぐ。住居が疎らになると一転、今度は歩速を緩める。ナムジの横を陽気に歩き、お喋りが始まる。水入らずの状況に触発され、ヤガミ姫の高揚感は高ぶるばかりだ。

「ねえ、ねえ。ナムジって、温泉に入った事が有る?」

「有るよ」

「宮埼にも温泉が在るの?」

「うん、在るよ。でも、出雲に来る途中で入った別府温泉が一番だね。山肌の至る処から湯気が立ち上って、きつい硫黄臭も広い範囲に漂っているんだ。別府で体験した迫力を前にしたら、宮埼の陰は霞むね」

「山の上に登るの?」

「山と言っても低い場所だよ。小高い丘って言う方が正確かなぁ」

「ナムジって、色々と知っているのね。私とは大違いだわ」

「宮埼から香春経由で出雲まで旅したんだからね。そりゃあ、道中で様々な事を見聞するよ」

「良いなあ・・・・・・ナムジは。私も外の世界を旅してみたいわ」

「この出雲だって良い処だよ」

「えっ! 「俺が連れて行くよ」って大見得を切る場面じゃないの?」

 紀行話に興じる余り、ヤガミ姫の積極果敢な姿勢に無防備となったナムジ。予期せぬ突っ込みに思わず口籠る。

 ――求婚しろって俺に催促しているの? まさかな。未だ小娘だぞ――

 小春日和の遠出を楽しんでいる今日時点でナムジは15歳、ヤガミ姫は12歳。結婚適齢期までは数年先だが、思春期の少女は早熟である。異性の心情変化を感知できないナムジであったが、その鈍感さを追及するのは酷と言うものだ。

「そう言えば、さあ。出雲の若い女性を見ていると、髪の短い子が多いよね?」

 強引に話題を変えるナムジ。流行の扮装いでたちに関して質問を重ねる分には、気不味い雰囲気に陥らないだろう。そう考えを巡らせたのだが、実際は寧ろ逆効果で、自分の迂闊さを後悔する破目となった。

「やっぱり他の娘にも関心を寄せているのね」と、却ってヤガミ姫の警戒心を呼び覚ます。「何処で見たの?」とか「会話したのか?」とか、糾弾の響きを含んだ尋問が続く。

 やっとの事で警戒心を解いたヤガミ姫の説明に依ると、子供から年頃の娘まで、3、4年に1度の頻度で髪を短く切るらしい。毛髪が腰の辺りまで伸びるには凡そ3年が必要で、伸びる度に長い毛髪を集落に供出する。

 集めた毛髪は釣り糸に加工する。3本ずつの毛髪を三つ編みに絡め、それをもやむすびでつなげて長い糸を作る。植物繊維から紡ぐ糸は、釣り糸には太過ぎるし、白いから釣果が宜しくないらしい。

「男も髪を切るの? 美豆良みずらに結った人が多いみたいだけど」

 美豆良とは8の字に結ったまげ。縄文時代から弥生時代に掛けての一般的な男性髪型。

「女の髪じゃないと、海の神様が怒るんだって」

「ヤガミの御母さんも髪を切るの?」

「ううん。出産したら髪が脆くなるの。直ぐに切れては釣り糸として無意味だから、若い娘だけなのよ」

「それじゃあ、ヤガミも髪を切るんだ」

「うん。春が来て、田植えを始める頃に切るよ。今度が最後だと思う。

 結婚相手を探す年頃になると、もう切んない。だって、髪の長い娘が好きって言う男も多いから・・・・・・」

 一連の説明を終えたヤガミ姫が黙り込む。語り疲れたとも思えない。土塊道つちくれみちを進む歩調は速度を保っている。

 前方には白一色に雪化粧した火神岳ひのかみだけ大山だいせん)の雄姿がそびえる。山肌に生い茂る樹木の大半が葉を落とす中、茶色に変色した枯葉を懸命に握り締める冬柏ふゆかしわ

 左手の遠目に見える湖は宍道湖――この時代は湿地と呼ぶのが相応しい――で、湖端に立ち竦む枯蘆かれあしや湖面に浮かぶ枯蓮かれはすが深閑とした世界の静止を強調している。

 2人の視界に映る大地を残雪がまだらに覆い、点々と残滓を留める草枯くさがれが冬の寂寥感を際立たせる。仮に空風からっかぜが吹くようなら、出歩く覇気を失っただろう。無風の天気に恵まれた事に感謝したい。

 一方、ヤガミ姫の脳裏には周囲の光景なんぞ一切入らない。頭の中を駆け巡る悩みは恋路の行方。ナムジの顔を尻目遣いに窺いながら、確かめずに置けない質問を発する。

「ねえ、ナムジ」

「何?」

「ナムジは・・・・・・髪の短い娘は・・・・・・嫌い?」

「別に。だって、髪なんて伸びるもんだろう? 気立てが良くて器量良しの娘なら、髪の長さなんて眼中に無いなあ」

 ナムジは一般論を述べたに過ぎない。自分が褒められた訳柄わけでもないのに、ヤガミ姫は上機嫌で躍り歩く。断髪後の自分にナムジが落胆するのでは?――と、密かに心配していたようだ。


 玉造温泉は、宍道湖しんじこに流れ込む玉湯川の脇に湧いており、枕草子にも登場するほど古くから知られた温泉地だ。北へ1千米キロメートル余りも歩くと宍道湖。東方には青瑪瑙メノウを産出する花仙山かせんざんが小高く迫っている。

 出雲集落の庶民は玉造温泉を度々訪れるらしく、共用大浴場が作られていた。玉湯川の川縁で河原の石を円陣に組み上げる一方で、川底を掘り下げる。流れ込む源泉の湯を溜めると同時に、川の水を利用して適温まで冷ましている。

 溜り湯に片足を浸けて湯温を確かめるヤガミ姫。もう片足も浸ける。毛皮の半纏はんてんと麻地の貫頭衣かんとういを脱ぎ、河原に放り投げる。ふんどしも脱ぎ捨て、ナムジの眼前で一糸いっしまとわぬ素っ裸になる。

 ヤガミ姫には殊更ことさらナムジを挑発する積りが無い。毎晩、布団の中で抱き合って寝るので、裸体を露わにする行為に今更感がある。

 一方のナムジは動悸の高鳴りに困惑していた。

 常時いつもは暗がりの中で仔細を確かめようが無く、両親も間近に控える環境では劣情の抱きようも無い。ところが、陽光の下でヤガミ姫の裸体を改めて眺めると、ドキドキと鼓動が脈打ち、身体の火照りを覚える。

 雪の精を想起させる白肌の上を艶やかな黒髪が臍の辺りまで垂れ、股間には薄らと陰毛が生え揃っている。発展途上の乳房は見過ごせても、もう自己主張を始めた桃色の乳首はナムジの意識を捉えて離さない。今まで小娘だと侮っていたが、成人女性の面影を宿すヤガミ姫の裸体を前に、呆然自失となった。

「ナムジ! 何をボ~っと吊っ立っているの? 早く入って来なさいよ~」

 平泳ぎの様に両手で円弧を描きながら、首まで湯面に浸かったヤガミ姫が誘う。

 男勝りの勢いで裸になったヤガミ姫とは対照的に、ナムジはヤガミ姫に背中を見せ、後ろ向きで衣服を脱ぐ。そして股間を抑えながら、ジンワリと身体を溜り湯の中に沈めた。

 嬉々とした表情のヤガミ姫が中腰で湯の中を移動して来る。ナムジの顔に水飛沫みずしぶきを飛ばすと、キャッキャと奇声を上げる。こんな処は未だ子供である。

 中々自分と対面しないナムジに痺れを切らしたヤガミ姫は、相手の首に自分の両腕を回し、背中から抱き付いた。水中遊泳するヤガミ姫の乳房がナムジの背中に軽く当たる。強く密着しないだけに、背中をくすぐる乳首の突起を余計に感じて仕舞う。

 愈々いよいよナムジは振り返れなくなる。猛り立った物の鎮静には妙案が無い。

「ナムジ。何か変よ。私、怒られるような事、した?」

否々いやいや。そんな事は無いよ」

「じゃあ何故、私の方を振り向かないの? 顔を背けているような気がする・・・・・・」

 不安がる雰囲気が背後から伝わる。彼女の疑惧を誘う事は不本意なのに。

 ――万事休す――

 揺れる川面が股間の異常を誤魔化す事を願いながら、恐る恐る身体を反転させた。幸い、ヤガミ姫の視線は川面の下に注がれず、ナムジの顔を見据えている。

「ナムジ。貴方あなたの髪を結い直して上げるわ。気持ち良いから、まげを解きなさいよ」

 長く伸びた髪は左右二股に分けられ、束ねた其々を両耳辺りで蜷局とぐろに巻いて8の字状に結ってある。

 美豆良みずらの蜷局にヤガミ姫は人差指を差し込み、髷を結んだ髪の毛を切った。ナムジの髪が川面に広がる。扇状の黒い放射線が小波に揺蕩たゆたう。

「ねっ! 瀟洒さっぱりするでしょう?」

 心地良さに弛緩したナムジの表情に満足するヤガミ姫。今度は自分の髪を一つに束ねる髪の毛をプチリと切った。ヤガミ姫の髪も川面に広がる。

 互いの両肩に手を乗せて向き合う2人。同時に上空を見上げて後頭部を湯面に浸けたなら、顔に当たる冷気との温度差が心地良い。半円放射状に広がる黒髪が合せ鏡となって、水流を遮った湯溜りの水面に一輪の大きな花を咲かせる。寒空を流れる薄雲を見遣りつつ、頭皮が温められるに任せていた。

「後ろを向いて」

 ヤガミ姫は10本の指先をナムジの頭皮に優しく立てると、揉み療治マッサージも兼ねて髪を梳いて行く。時々はてのひらで湯を掬い、ナムジの頭頂に滴を垂らす。至福の時が過ぎる。

 愛する男に尽くすのは女の本懐。ヤガミ姫もた安らかな気持ちで充たされていた。

 ナムジの美豆良みずらを整え終えると、攻守が変わり、今度はヤガミ姫が髪を梳かれる番だ。快楽が自制心を溶かし、自然な流れで背中を麻布で拭い合う。肌の触合いは尚も続き、腕、尻、脚、爪先と拭う対象を移して行く。

 ナムジは麻布越しにヤガミ姫の裸体を愛撫しながら、愛おしく想う気持ちを深めるのだった。


 冬の寒気が日増しに緩み、雪解けの隙間から福寿草の黄色い花が覗く。春雨の合間にイネの苗床なえどこ作りを進め、黄色い菜の花が畦道を飾るに至ると愈々いよいよ、田起しが始まる。馬にすきを牽かせ田圃たんぼを耕す作業が集落民を前に披露された。

 集落長の田圃での実演が柿落こけらおとし。卓越した深耕性能は一目瞭然で、村人達が大騒ぎで品評し合う。

「ナムジの言った通り、馬の威力には目をみはるものがあるな」

 感嘆の声を上げる父親の横で、ヤガミ姫が誇らしげに胸を張る。当のナムジは馬の後方で両手を犂に添えている。時々は馬の尻に鞭を打つ。

「親爺! 馬が居れば、俺達が田圃で働く必要なんて全然無い。一年中、砂鉄採りを手伝ってりゃ良いな」

 春の到来で下山した息子2人も異口同音に驚嘆の言葉を口にする。

「この分じゃ、早々に田起しが完了するな」

「それじゃあ、集落長さんよ。次は俺の田圃を耕してくれや!」

 集落長の呟きに調子付き、周りの村人達が「我も、我も」と手を挙げる。人集ひとだかりの喧騒を余所に、作業を見守っていた集落随一の発明家が目敏く改善点を提案した。

「集落長! 土にり込ませる歯の部分だがなあ。木材じゃなくて、鋳鉄てつで作っちゃ如何どうかな?

 歯が細けりゃ数を増やせるから、土を掘り返す効率が上がると思うんだがなあ。如何どう思う?」

 顎を撫で回す集落長。(確かに一理ある。ズク押しで試作してみるか・・・・・・)と、機転の利いた提案を吟味する。

 翌日には鋳型の段取りを整え、8本の巨大な釘状の櫛歯を試作した。犂の横串に等間隔で開けた穴に差し込み、櫛歯の扁平な頭を添え木で抑えて固縛する。急拵えの品ではあるが、改めて眺めると本体の白茶色と鈍色にびいろに反射する櫛歯の黒の対比が明瞭で、期待を持たせる出来栄えだ。

 早速、製作陣全員で田圃に運び、鋳物製の櫛歯を試してみた。驚くべき威力。鼻高々の発明家は勿論、集落長やナムジ、立会した一堂は肩を叩き合って成果を喜ぶ。

 村人達は最大の功労者であるナムジに称賛の眼差しを注ぐ。娘達の場合は複雑だ。柔媚な視線をナムジに送る一方、ヤガミ姫には嫉妬と羨望の目を向ける。

 恋人を自認するヤガミ姫は、高まるナムジの名声に意気軒昂となる反面、不安に駆られて猜疑と警戒の心を研ぎ澄ます。他の娘が誘惑の魔手を伸ばさないように、片時もナムジから離れない。シャーっと威嚇の鳴き声を上げ、必死で縄張りを守る三毛猫と変わらぬ行動であった。


 馬にすきを牽かせる作業は至って簡単だ。誰にでも出来る。馬と犂を貸し出したナムジは無聊ぶりょうかこつしかない。暇を持て余したナムジが集落内を出歩かないよう、ヤガミ姫は頻繁に狩りへと誘い始めた。山中に連れ出せば、色目を使う恋敵の出現に怯えなくても済む。

 そんな気苦労に無頓着なナムジであったが、術中にはまった感は否めない。ヤガミ姫の背中を追いながら、どうしても彼女のうなじ凝視みつめてしまう。汗の玉が薄らと浮かび、異性を感じさせるうなじ。泥土にまみれた手足よりも眺めるに値する。

 項を熟視する理由わけが他にも。数週間前、ヤガミ姫が迎えた断髪式の一部始終をナムジは隣で見守ったのだ。

 根元近くから黒髪を断ち切られ、無残な髪型となったヤガミ姫。包丁がザクリと髪の束を刈る間、口元を固く引き結び、必死に堪えていた。ナムジを見上げた双眸に溢れる涙。可哀そうだと思った。

 黒髪を集めた母親が屋内に姿を消すと、すっくと立ち上がったヤガミ姫が一目散に駆けて行く。ナムジが慌てて後姿を追う。田圃の畦道で追い付くなり、彼女の肩を強く抱き寄せた。

 ナムジの胸に顔を埋めた途端、堰を切ったように嗚咽おえつを漏らすヤガミ姫。ナムジは刈上げ同然の頭を優しく撫でた。襟足をいたてのひらに短髪の跡毛が付着する。

「明日もた玉造温泉に行こう! そして頭を洗おう! 俺が綺麗にしてやるよ」

 そんな一幕が有ったが、今のヤガミ姫はすっかり元気を取り戻している。

 弓矢を手に持ち、腰を屈め気味に忍び足で森を彷徨う。狩人の鋭い視線を樹々に巡らせ、虎視眈々と禽獣を探す。時折は立ち止まり、ボロロ、ボロロと鳥の鳴き声を真似る。

 ――羽音が聞こえた!――

 慎重に大木の根元を反時計回りで迂回し、獲物を狙い見定める。片膝を付いて木陰に隠す下半身を安定させると、僅かに上体を傾ける。左目だけで前方を垣間見すると、弓を構え、猟矢ししやつがえた弦を徐々に引く。

 ヤガミ姫から緊迫の気魄オーラが漂い始める。うなじの色香に魅せられていたナムジが急変する雰囲気に戸惑い、捕食者の獰猛な気魄オーラに生唾を飲み込む。

 臨界間近の静粛なる一瞬、ヤガミ姫は身動き一つしない。矢尻を抓む親指と人差指だけが僅かに緩む。解き放たれた矢が空気を裂く。豪速の勢いを標的に突き刺ささんと滑飛する。

 バサリ。枝葉を揺らす音。

 20メートルほど前方の濡れ落葉に何かが落下する。ヤガミ姫の動作は俊敏だ。脱兎の如く走り出す。遅れまいと、後に続くナムジ。

「ヘヘヘっ。如何どう、ナムジ?」

 ヤガミ姫が自慢気に振り返る。掲げた右手で山鳥やまどり首根子くびねっこを掴んでいた。全長は約1メートルと長いが、柿本人麻呂の求愛歌に登場する程に尻尾の長い鳥なので、食事1回分の食材だ。

「凄いな!」

「今晩は焼き鳥ね。産卵期の今は雌の方が美味しいんだけど、大きい雄の方が好都合ね。兄ちゃん達も家には居るから」 

先刻さっきの鳴き真似は、この鳥の鳴き声?」

「そうだよ。この時期は雄が鳴いて雌を呼ぶの。それだけじゃなくて、縄張りを犯した他の雄を追い出そうと姿を現すの。そんな時は頭に血が上っているから、警戒心が緩むのよ」

「ふ~ん。俺は狩りに疎いからな」

「ナムジは宮埼みやさきの山に立ち入らなかったの?」

「木材を伐採する為の入山さ。宮埼でも野猪いのししや鹿を狩るけど、1人じゃ探さないね。逃げ足が速いから、大人数で待ち構えた包囲網に追い込むようにして狩るよ」

「ああ、それは出雲でも同じよ。1人じゃ危なくて」

 ヤガミ姫が山鳥の頸を一刀に断って血抜きする。両脚を掴み直した拍子に、数枚の羽根が抜け落ちる。光沢めいた赤褐色の羽根を拾い上げるナムジ。

「綺麗な羽根だね」

「うん。キジの方が綺麗だけどね」

「この羽根も布団に詰めるの?」

「そうよ。貴方あなたの布団も作らないと・・・・・・。それとも、ずっと私と一緒に寝る?」

 何とも答え難い突っ込みである。赤面して口籠る他は無い。


 降雨量は少ないながら、出雲地方にも梅雨が訪れる。

 集落内の要所を結ぶ土塊道つちくれみち其処そこ彼処かしこでは、紫陽花が大輪の花を開いている。濃淡の異なる青紫や小紫の群花。川辺に群生する花菖蒲は濃い今紫の耳垂れた花弁で一面を咲き飾っている。草木は一様に生長を競い、篠突く雨に揺れる葉振にもみなぎる精力を感じずには居られない。

 軒から滴る雨音を背中で聞きながら、ナムジは一時帰省の日取りを集落長と相談中であった。渡航目的は在来馬の追加手配。宮埼人が垂涎する交易品を調ととのえねばならないが、その選定はナムジの助言に左右される。

「何はともあれ、宮埼で貴重な鉄製品です」

「具体的には?」

「鉄鍋が最も喜ばれるでしょう」

 宮埼集落では須恵器すえきでコメを炊く。但し、須恵器が割れぬよう、炭火に当てる時間を自重する。だから、強飯こわめしの様に中途半端な炊き上がり。ところが、直火に割れる心配の無い鉄鍋を用いれば、芯が柔らかくなるまで十分に熱する事が可能だ。鉄蓋を併用すれば圧力も加わって、ふっくらした食感に仕上がる。

すきの歯も欲しがるでしょうね。他には・・・・・・釣針とか釘かなあ」

 まずは木枠に石膏を流し込み、乾く前に釘を模造した木片を何回も突き差す。幾つもの尖頭穴に溶銑を流し込めば釘の完成だ。犂の歯も同様にして製作する。曲線部分が無いので、鋳型の造り方は釣針よりも簡単だ。

 釘を使わない宮埼集落で木造家屋を建てるには、木材の両端に穿った凹凸――凸部をホゾ、凹部をホゾ受けと言う――を差し組み、柱や梁をつなぐ。釘打ちで木材を接合すれば、建築効率は格段に向上する。

「だが、背負って運ぶには重いから、大した量は持ち込めないぞ。果たして、馬と交換してもらえるものかな?」

「出雲から香春までは船を使いましょう。籾米を収穫して、冬野菜の種蒔きを終えれば、香春は賃貸した馬を宮埼に返却します。そのついでなら大量の荷物を宮埼まで運べるでしょう」

「ああ。それは妙案だ。それじゃあ、宮埼の訪問時期は秋から冬に掛けてだな。ところで、何頭の馬を期待できるんだろうか?」

「さあ、それは・・・・・・」

 交渉事に不慣れなナムジは口を濁す。弟の自分が打診しても逆効果。義兄ニニギに言い包められるのが関の山だ。少なくとも集落同士が外交折衝する体裁で臨まねば、有利な交易条件を引き出せない。

「やっぱり、出雲の誰かが同行し、宮埼と交渉するしかないですねえ」

「そうか・・・・・・。そうすると、俺が出張るしかないな」

 腕組みをして呟く集落長。聞き耳を傾けていたヤガミ姫がにわかににじり寄り、父親の肘を遠慮気味に小突く。

「なんだ?」

「私も一緒に行って良い?」

「なんで?」

 ――ナムジの故郷を見たいし、彼の母親に挨拶もしたい! だって、私、御嫁さんになるんだよ!――

 喉まで出かかった本音の叫びだが、流石さすがに封印せざるを得ない。意気消沈して顔を伏せるのみ。

貴方あなた。良いじゃありませんか。ヤガミだって好奇心の旺盛な年頃なんですから」

 予期せぬ母親の心強い援軍。しかも「年頃」の言葉だけ強調する老獪さ。妻の目配せに気付き、集落長も真意を悟るが、どうも踏ん切りが着かない。頻りと顎を擦っている。

「息子なら喜んで旅をさせるが、娘じゃなあ・・・・・・。第一、危ないじゃないか! 途中で襲われるかもしれん」

「貴方とナムジが一緒なんでしょ? それに、ヤガミの髪型を見て下さいな。誰も女だとは思いませんよ」

「そうよ、そうよ。御母さんの言う通りだわ」と、ヤガミの煩い声援。断髪式で悄気しょげていた半月前が嘘の様。母親の陰に隠れていては埒が明かないと、自らも懸命に売り込む。

「弓矢に関しては、御父さんだって私の腕前を認めるでしょ! 自分の身は自分で守るから。ねっ、御願い!」

 如何いかにナムジを好いているのか、傍目にも明らかだ。

 ――いずとつがせるなら、先方の家族に面通しを済ませておくべきか・・・・・・。改めて宮埼に出向くのも面倒だしな――

「仕方ねえなあ」

 降参の呟きを零す集落長。「やった~!」と歓声を響かせるヤガミ姫。喜びを抑え切れずに小躍りする。繰り広げられた神経戦の一端に自分が当事者として連なるとは思いもしないナムジ。ヤガミ姫の剣幕に唖然としつつも、落ち着いた声で「分かりました」と了解する。

「ところで、集落長。最近、気になっている事が有るんですが・・・・・・」

「なんだ?」

「高床式倉庫の備蓄米ですが、早く食べないと駄目になるんじゃないですか?」

 ヤガミ姫と両親の3人はキョトンとする。ナムジの指摘内容が理解できない。

「どうして?」

「だって、ヤガミ。雨が続くと、籾米が芽吹くだろう? そうなると食えなくなる」

「そんな事にならないよ」

「芽吹くだろう?」

「いいえ。芽吹かないわ」

 強く言い張るヤガミ姫。今度はナムジが目を点にする。

 梅雨時の芽吹きは九州特有の現象なのだ。背景には降雨量の格差がある。九州に大量の雨を降らせた梅雨前線は、北上先の本州では勢いを失い、大した影響を及ぼさない。

 実際、福岡市と熊本市とで6月と7月の月間降雨量は、其々約250ミリと約400ミリ。邪馬台城が拠点とする筑紫ちくし平野の気候は、距離的に福岡市よりも熊本市に近い。

 宮崎市の月間降雨量は、4月と5月で200ミリを越える。6月は400ミリ超、7月と8月は300㎜超まで一時的に減るが、台風の襲来する9月は梅雨並みに多い。

 一方、出雲地方の月間降雨量は、7月だけは約250ミリと多いが、それ以外の月は150ミリ程度に過ぎない。つまり、湿度が違う。生石灰きせっかいで乾燥させずとも、高床式倉庫での保存で支障は無い。

 気象条件の相違を知らないナムジは、納得できぬままに不得要領な問答を生返事で打ち切った。

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