第24話 開戦前夜

 薩摩での新兵募集は大歓迎され、500人余りの若者が日向ひゅうが集落に移って来た。約20年に邪馬台城の内紛が治まって以来、戦闘行為は発生しておらず、誰もが出稼ぎ感覚で参加している。

 再統一を機に、先代ミカヅチは薩摩で募った傭兵を帰郷させていた。平和な時代ならば、香春集落から連れ戻した正規兵のみで十分に足りる。当然の施策であろう。

 一方、解雇された男達は食い扶持を探し直さねばならない。しかし、薩摩の土地は農耕に不向きなシラス台地だ。再び山野を駆け巡り、禽獣を追い求める狩猟生活の他に選択肢は無い。生活の安定を覚えた者には中々に辛い選択と言えた。

 そんな中、高千穂の駐屯兵は、タマヨリの計為はからいで待遇も改善され、薩摩人さつまびとの間では羨望の的となっている。それに、新兵の駐屯地は人口密集地の宮埼。農耕文化の根付いた暮らしを古参兵より知らされ、異国の女性に抱いた動悸ときめきを吐露されると、否が応いやがおうでも期待に胸が膨らもうと言うものだ。

 

 俊敏そうな若者達を前にした軍師は当初、騎兵として鍛え上げる積りだった。何と言っても、日向最大の武器は馬。野性味の溢れた薩摩人ならば直ぐに一騎当千の戦士となるだろう。そう睨んだのだ。

 ところが、在来馬の性格は極めて温和おとなしい。鞭を打っても常歩なみあしで歩くばかりで、決して駆け巡らない。荷役作業に適した体躯は頑丈で、骨も太い。体重が重いのだ。だから戦闘馬には向かない。

 不都合な事実に嘆息するも、頭の切替えは早い。戦場では何が起こるか分からず、臨機応変に対処する心構えが出来ている。騎兵が望めぬなら、歩兵として教練するのみ。

 末端まで軍令を行き渡らせるには階層組織が不可欠だ。12人を1単位として小隊を組ませ、五つの小隊を束ねて一つの大隊とした。八つの大隊を率いる総大将の脇で、軍略に明るいシオツチが実戦を指揮する。

 軍令の伝達手段が口頭に限られるので、単位ユニット当りの構成員数は近代よりも遥かに少ない。それでも、集団行動に不慣れな者の組織化には難儀する。特に最初の小隊編成には手を焼いた。

 抑々そもそも倭人やまとびとは指折り数えて暮らている。彼らの腑に落ちる数字は5の倍数。12なんて中途半端な数字は面倒臭いだけだ。そんな数字に律速される事を非常に嫌がる。

「俺の縁者は11人なんだけど、余所者を加えるのは止めてくれ」

『漢王朝のこよみ干支えとで構成されており、十二の動物に倣った小隊編成は常識なのだ』

 幾ら理路整然と説明しても、異国の常識が薩摩人に通じるべくもない。他にも、親族単位で狩猟活動に励む彼らには混乱の種が埋まっている。

「俺ん家と隣の家族を一緒にするのは良いけどよ。何故、彼奴あいつが小隊長なんだ?」

 軍隊と言うたがは、自由裁量を認めず、窮屈に過ぎるのだ。文化的軋轢あつれきが様々な不平不満を呼ぶ。

 シオツチは彼らを叱り宥めして編成作業を進めた。

 小隊に続いて大隊も組織し終えると、大隊長の下で歩兵としての基礎訓練を始める。単純作業を通じて規律意識を植え付けるのだ。連帯心を養い、絶対服従の精神をも宿らせる事を期待した。

 訓練と言っても、弓矢での狩猟に慣れた彼らには退屈で堪らない内容だ。基本は2種類。一列縦隊での地道な行進と、藁で編んだ案山子かかしに長槍を突き刺す反復練習。長槍を扱い慣れたら、木刀で剣戟の模擬戦を始める予定だ。

 弓箭きゅうせんの腕前には全幅の信頼を置けるので、練習させるなら他の武器。手始めに長槍を採用した事には理由が有る。

 日向集落でも武器の自製に取り組んでいるが、鍛冶用窖窯あながまの基数と鉄餅てっぺいの入手量に制約され、直ぐには500振りの厚剣こうけんを準備できない。反面、長槍は先端に短い刃を着けるだけ。鉄の必要量も少なく、数を揃え易いからだ。


 錬兵は歩兵訓練に止まらない。彼らの気分転換を兼ね、船上活動にも慣れさせた。現代に喩えるならば海兵隊である。

 高千穂の山々から木材を切り出し、末蘆人まつろびとを雇って何隻もの単胴船を作る。れも船長が10メートルを超す大型の丸木舟だ。1小隊に付き1隻、船舶の維持管理も下命した。

 ガレー船の要領で両舷に6人ずつ、進行方向に背を向けて座る。各人が1本ずつの長櫂オールを漕ぐのだが、男達の筋肉が一斉に屈伸する様は精強だ。但し、12人が一心同体とならねば、労力の無駄遣いとなる。

 各人が好き勝手に漕ぐと、回転する動力が同調シンクロしない。むしろ、時宜タイミングを外した長櫂は水中で制動装置ブレーキと化し、船速を落とす。だから、船尾に座る舵手が拍子を取る。股に挟んだ小鼓こつづみばちで叩き、漕手に波を掻くべき節奏リズムを伝えるのだ。

 海上訓練の指導役はタマヨリが務める。

「馬鹿野郎!。左の4番!、遅いぞ!。私の音頭に合わせろ!」

 船尾に座り、男勝りの怒鳴り声を張り上げる海賊育ちの女傑。訓練中は絶えず睨みを利かせ、鬼軍曹として鳴らした。

 反面、兵士からは「姉御」と呼ばれ、厚い信望を得ている。何故なら、山野を駆け回る彼らにとって、足元の揺れる環境は異界なのだ。必然、慣れない内は酷い船酔いに悩まされる。面倒見の良い彼女は青白い顔を見付けるや介抱し、穢苦むさくるしい男達から慈母の様に慕われた。

 海戦の知識を持つシオツチですら彼女を頼りにした。彼の母国、高霊キョンサン国(現代の大邱テグ市)は内陸に所在する。水流と言えば、洛東江ナクトン川しか知らない。渡海経験は亡命時の1回切りだったからだ。


『タマヨリ嬢。倭国には丸木舟しか無いのだろうか?』

『丸木舟って、木材をいた船の事?。それ以外の船って?』

 軍師は砂浜の地面に小枝で絵を描き始めた。細長い楕円を描き、その楕円に幾つもの横線を入れて輪切りにする。次に、隣の余白スペースに隔壁梁の模式図を描く。

『この三日月の形は何?』

舟梁ふなばりじゃ』

『舟梁?』

『自分の両脇に手を当てて御覧。幾つもの横骨が入っているだろう?』

 乳房の脇を抑え、肋骨の起伏を確かめるタマヨリ。素直で従順な態度にシオツチが頬を緩める。

『その横骨と同じ様な物じゃな。連なる骨材の側面に板を張り合わせるのじゃ』

 彼の描いた図面には背骨に相当する竜骨キールが無い。竜骨とは西洋船舶に特有の構造部材。中華圏では清国が英国イギリスに阿片戦争で負けて以降に普及した。

 それ以前に一般的だった無脊椎構造の船舶を戎克ジャンク船と呼ぶ。『ジャンク』とは屑を意味せず、船を意味する中国語が東南アジア、西班牙スペイン葡萄牙ポルトガルの航海士に伝わる過程で訛った結果に過ぎない。

 竜骨船の欠点は大型化すると船底が深くなる事。黄河や長江、水深の浅い沿岸部では、底浅の船型を保つ戎克ジャンク船の方が重宝される。反面、進行方向の耐衝撃性では劣る。船首の衝角で敵船の横腹を粉砕する攻撃法が西洋の定石だが、東洋では異なる海戦文化が根付いた所以ゆえんである。

『舟梁だけでは横からの衝撃に弱いから、要所々々にぬきを渡す』

『何だか面倒臭そうねえ。丸木舟の方が手っ取り早く造れるんじゃないの?』

『痛い処を突くのう』

 物事には長所と短所が必ず有るもの。選択肢に挙がった双方の特徴に優先順位を付ける問題だ。

『半面、この遣り方だと幅広の大きな船を造れるのだ』

『船が大きいと、如何どうなるの?。船速が遅くなると思うけど・・・・・・』

水手かこを増やせば、速度の問題は解消する。それよりも、攻め方を考えねばなるまい』

『でも、対馬海賊は丸木舟で襲うわよ。相手の船に乗り込んでから鉄剣を振るう』

『乗り込むまで何も出来んじゃろう?。弓矢ならば、接舷前に攻撃できる。どちらが賢いと思う?』

『つまり、弓兵を乗せるって事?』

 シオツチが得意気に頷く。その合理的な発案に意義を唱える者は無く、英多あがた(現延岡)の造船所では小型の戎克ジャンク船を建造し始めた。

 最初は試行錯誤の連続。釘やコの字型のかすがいを使って板材をつなぎ合わせるも、隙間からの浸水が相次いだ。板材の接合方法を追究し、接着効果の有るうるしにかわを塗って対処する。何度も失敗事例を重ね、船大工達は腕を上げて行く。

 他にも工夫を施した。船底には二重底構造に踏板を張り、長櫂オールの支点を高くしている。漕手が大きく漕がなくても、長櫂が波に囚われずに済む。船倉となる踏板の下には満載の武器を納める。射手の目線を高くして、海原での射程を延ばす効果も狙った。

 標準装備となった小型船には1隻当たり2個小隊の乗船が可能。船央の帆柱マスト帆布はんぷを張って海戦域まで移動し、兵士の体力温存を図る設計であった。

 古事記には、天孫降臨時の案内役や、兄の釣鈎つりばりを失って途方に暮れる山幸彦を海神宮に誘う先導人として登場する塩椎神しおつちのかみ。「潮津路」として第二の人生を歩んだ彼が海神扱いされる背景には、軍師としてホノギを助け、水軍創設に尽力した功績がある。


 彼は他にも利器を普及させた。靴である。

『戦場の地面が安全とは限らん。鋭い石片が露出したり、折れた刃先だって転がっていよう。底の硬い靴を履けば、怪我を心配せずに済む』

 隣で見守るタマヨリの質問に逐一回答する。講釈を垂れながらも、木片を足裏型に削る作業に余念が無い。丸みを帯びた周辺部は僅かに盛り上がり、爪先部はそりの様に反り返っている。

『足の指を被すように削る理由は?』

『硬い先端で蹴り上げれば、敵兵の身体を強くつだろう?』

 削り終えた靴底を野猪いのししの革で下から茶巾絞りに包み込む。くるぶしの辺りで袋口を結べば出来上がりだ。結び紐には細断した野猪の革を採用している。

 朝鮮半島では華僑の行商人が持ち込む羊毛製の靴紐が一般的。ところが、対馬海峡で隔てられた日本には流通していない。諦めずに代替品を探し求めていた処、獣革を犀利に裁断できる黒曜石に目を止める。これぞ天啓。羊毛製よりも丈夫な革紐を見出し、茶巾靴の製作を始めたのだ。

『ふ~ん。韓人からびとは皆、こんな物を履いているの?』

『兵士の必需品ではあるが、庶民は履かん。面倒臭いからな』

『じゃあ、兵士だけが履いているんだ』

『いいや、王族や官吏も履いておる。教養と文化の象徴だからな』

 知識人の遣う言葉は難しい。意味不明な単語に出会でくわすと、ホノギ臨席の場だけは定義を逐一確かめて通訳するも、普段は聞き流している。大まかに話が通じれば十分だ――と、無学な者なりに割り切っていた。

『そう言えば、倭人やまとびとは履いておらんな』

『靴なんて知らないもの』

 泥濘ぬかるんだ田圃たんぼで使う田下駄。見た目が似ているも、使途は異なる。泥面に足を取られぬよう、体重分散を目的につらを広くしている。どちらにせよ、対馬育ちの彼女には馴染みが無い。

『タマヨリ嬢も欲しいか?』

『作ってくれるの?』

『ああ。わしだって裸足のままでは嫌だ。妃と姫君にも献上せねばならん。だからついでに作って進ぜよう』

 勿論、兵士達には自分で作らせる。文化の伝播する一例だろう。足先の保護には依然として無頓着だったが、流行の最先端だと飛び付く者が続出した。

 日向側でくつの習慣が浸透する一方、邪馬台国では普及しなかった。鳥栖とすこそが文化の中心地と考える優越感が好奇心を曇らせたからだ。

――この点を突いて撒菱まきびし(忍者の隠し道具)を作っては?――

 三角錐の形状に穴を穿った鋳型で容易に鋳造できる。でも、茶巾沓ちゃきんぐつを履かれたら通用しない。それに、撒菱は追跡者を振り切る為の道具。山道を逃亡する等、狭い隘路で使うには効果的だろうが、開けた戦場に散撒ばらまいても、敵兵を害する確率は著しく低い。

 だから、朝鮮半島の戦場では武器として採用されなかったし、シオツチの頭にも浮かばなかった。


 ホノギやウガヤとの軍略議論もシオツチの日課である。参謀役として計画を立案するのみならず、2人の教育も兼ねていた。通訳としてタマヨリも同席する。

いずれ戦いを挑むならば、あらかじめ邪馬台の体力を削いでおくべきだろう?」

『可能ならば――』

「そこで考えたのだ。彼らへの馬貸しを止めようと思う」

『目的は?』

「香春から運ぶ鉱石いしを途絶えさせるのだ。そうすれば、分裂騒ぎの昔と同様、城は立ち往生する」

『成程・・・・・・。お言葉ではありますが、当時、城側と香春がいがみ合っていたのでは?』

其方そなたの言う通りだ」

『交流が復活した今、馬を当てに出来なければ、人力車で運ぶでしょう』

「そうだな」

『戦術的に無意味なばかりか、此方こちらの敵意を悟らせるだけです。百害有って一利無し』

「嫌がらせにはなるぞ?」

『油断させ、隙を突く事こそ戦争の心得。素知らぬ態度を保ち、城に日向人ひゅうがびとを駐在させ続けるのです』

 言ってみれば、敵地に居座る駐在者とは獅子身中の虫。貸馬業を止めれば、貴重な情報源を失う。敵情を探るべき局面では特に下策とされよう。軍師の謂わんとする指摘を直ぐに理解し、浅慮な提案を取り下げるホノギ。探り合いの面に思いが至ると、今度は不安が頭をもたげる。

「邪馬台の方も日向ひむかを探っておろう。大丈夫か?」

『はい。熊襲兵に山々を巡らせております。以前よりは手堅いかと。ただ、さぐびとは逃げ隠れに長けていますから、水も漏らさぬ見張り・・・・・・とは申しませんが』

「少しばかり抜けが有ろうと、心強い限り。引き続き、宜しく頼む」

かしこまりました』

「ところで話を戻すが、城には米を預けず、瀬戸内の稲場いなばに貯めると言うのは、如何どうかな?」

 邪馬台への預米が利敵行為では?――との指摘だ。仮に引き出したとしても、2割の取り分が相手の懐に入る。むざむざと兵糧を差し出すのは惜しい、と誰もが思うだろう。

『今は米を預け、銅貨を貯め込むのです。その使い道に関しては、私に考えが有りますから・・・・・・』

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべる軍師であった。


 こうして2年の歳月が過ぎた。長いようで短かった雌伏の期間。悪戦苦闘の数々を振り返ったシオツチは安堵の溜息を漏らす。

――ようやく恩返しが出来る。

 古参兵の鍛錬に目途を着ける度、二次三次と追加で薩摩さつま熊襲くまその若者を引き入れて来た。今や軍隊と呼ぶに値する千人規模まで陣容は拡大している。

 軍勢の充実を踏まえ、5小隊を束ねて大隊とした設立当初の隊伍も見直した。5小隊を率いる中隊長職を新設し、16中隊に再編成している。五つの中隊を采配する三つの大隊長を置き、後詰めの遊軍とした残る1個中隊は総大将自らが直々に動かす。

 また、陸兵としてのみならず、水兵としても立派に戦える戦士に鍛え上げた点も特筆に値するだろう。海戦時には、直轄隊の構成員が各船舶に艇長として乗り込み、統制立った船隊運営を支える。

 一方で、水も漏らさぬ防諜活動とは机上の空論。熊襲兵の数が増えれば目を引くし、演習現場は遠目に観察できる。軍隊組織の肥大化は、密偵の知る処となり、現人神あらひとがみを身構えさせもした。

日向ひむかとの友誼よしみは大丈夫でしょうか?」

 裏阿蘇に出現した脅威は卑弥呼を不安にさせていた。日向集落の敵意が邪馬台城に向けられているようで非常に怖い。朝鮮半島だけを警戒して治めた時代は去り、〝前面の虎、後面の狼〟状態に陥ったのだろうか。

「遺恨を抱き続けている証左です」

「誰に対する?」

「彼らは、水軍造りに腐心しており、海賊征伐を目論んでいると思われます」

 ミカヅチが、用兵家としての見解を述べ、愁眉顔の彼女を落ち着かせる。

「御前の予想通りだと良いのだがな・・・・・・」

 オモイカネが横槍を入れる。本人は油断を諫めた積りなのだろうが、尊大な言い方は神経を逆撫でする。武臣の歪んだ口元が「何か?」と押し殺した声音で凄むも、臆せずに話し続ける。自らの洞察力をてらいたがる癖は相変わらずだ。

「邪馬台に何ら説明しない。その点がわしには引っ掛かるのだ」

「ホノギ殿が何度も訪れた時、我々は連れない態度で接しましたからな」

 くうを睨む傲慢な同僚に放たれた嫌味。(日向ひむかとの仲を冷した張本人が何を言う!)との恨み節を内包した口調でもあった。その非難めいた指摘を「仕方が無かろう」と一言、無頓着に断ち捨てるオモイカネ。

「対馬島に行かせようものなら、我らの企てが露見する。選択の余地は無かったのだ」

 彼の自信は決して揺るがない。反省の色を見せぬ同僚に内心で舌打ちするミカヅチ。無表情を装いつつも、瞳の奥に侮蔑の色を浮かべたようだ。それを目敏く察知した卑弥呼が両手をパチンと打ち鳴らす。

「振り返っても、過去は戻りません。それよりも今後の事を話し合いましょう」

 この頃は、険悪な雰囲気を和ませようと、文武の両臣下を仲裁する光景が増える一方だった。

「そう言えば、出雲は弁韓べんかんあきないを始めたいと奴婢ぬひを連れ帰った。その後の展開を耳にしないが・・・・・・果て?」

「大方、破談したのでしょう。それに、日向ひむかの助太刀で手一杯だと思います」

 冷静な現状分析は一種の意趣返しであろう。声音に宿る投げ遣りな気持ちを隠そうともしない。

「ミカヅチの言う通り、出雲は日向ひむかの後ろ盾じゃ」

 年少者の反発なんぞに動じるオモイカネではない。厚い鉄面皮を被っている。

「彼らの動きを吟味するよりも、われらの採るべき道を話し合って下さい」

 一向に建設的とならない会話に痺れを切らし、直截的に催促する声を張り上げた。遅ればせながら、指導者らしい発言が合議の場を仕切り直す。

「差し当たり、此方こちら戦人いくさびとの数を増やした方が良いでしょう。防衛的な意味合いですが・・・・・・」

如何どうやって?」

 ミカヅチも具体策までは思い付かない。奴婢はもっぱら経済活動の維持を目的に買い入れる。更に言えば、兵士として難民を信頼できるのか?――との疑惑も拭い切れない。そう考えると、買い増す措置を安易には献策できなかった。

対馬人つしまびとを雇い入れましょう」

 突飛に聞こえたオモイカネの発言は論理的に考えた末の提案である。

「褒美を示せば、喜んで馳せ参じる。戦い慣れてもおるからな」

 狼藉者を懐に入れる策の吉凶は予断を許さない。眉間に皺を寄せて腕組みするミカヅチ。心配顔の卑弥呼が彼を見詰める。

――薩摩人さつまびと日向ひむかに就いた今、海賊以外に選択肢は無い。一か八か、採用してみるか・・・・・・。

 こうして、対馬海賊が邪馬台城の傭兵として表舞台に登場する。


 対馬島にたむろする海賊の半分弱が九州本土に上陸する。彼らは大きな奇声と共に現れた。魑魅魍魎のたぐいも斯くや、と思わせる行状だった。

 身に纏う貫頭衣かんとういはボロボロに擦り切れ、髭と髪も伸び放題。破落戸ごろつき特有の自堕落な歩き方で徒党を組み、周囲をめ回しては威圧する。その眼光は険しく、虎視眈々と獲物を狙う野獣の如き鋭さを放っていた。

 入墨もた対馬海賊の外観的特徴に挙げられよう。顔と両腕には禍々しい文様を彫り込んでいる。恐嚇効果を高めて襲撃対象の抵抗心を削ぐ、海賊なりの知恵なのだ。

 潮焼けした肌には一様に垢が固着こびりつき、黒ずんだ服地はえた異臭を放つ。邪馬台城の庶民ならば十日に1度、奴婢ぬひですら月に1度は水浴する。異様な集団を遠巻きに盗み見る民衆。山猿の群れと見紛みまがう程の無秩序さに眉をひそめる。鼻を抓みながら、(水浴の経験が無いのでは?)と半ば蔑み半ば訝った。

 対照的に、招致された対馬人つしまびとは新生活に有頂天となった。絶海の孤島で非文明的な生活を送っていたのだ。庶民と同列に扱われるだけで、優遇されたと感じ入る。して、城民に果された役務の一切を免除されているのだから、文句の出ようはずが無い。

 好き勝手し放題の毎日に「現世うつしよの春よ」と浮かれ楽しむ対馬海賊。道徳心や教養を欠片かけらも持ち合わせぬ彼らにとって、基本的な欲望は食欲と性欲。

 まず食欲の方は、危険な海賊行為を働かなくても、一日三度の食事に有り付ける。その上、食材に恵まれており、調味料や調理方法も豊富だ。遊戯に等しい軍事教練への参加は面倒臭く、欠伸あくびが出そうな程に退屈だが、腹熟はらごなしには丁度良い。

 性欲の面でも極楽と言えた。邪馬台城の文化的特徴の一つは自由性交フリーセックス。母系社会の必然として、夜毎に同衾相手が変わる。対馬島では、頭領が目欲しい女を独占し、構成員は禁欲的な生活に甘んじている。此処では信じられない事に、相手が合意すれば、誰とでも夜の営みにいそしめるのだ。

 但し、女性達は未開の彼らを軽蔑しており、決して合意しない。だから、人権保護の対象外である奴婢の存在に着目した。婢女はしためであれば合意は不要。奴婢の居住棟は夜な夜な修羅場と化した。家畜の檻に山狼おおかみを放ったようなものである。

 ところが今や、奴婢の過半は朝鮮半島からの難民だ。文明社会で生まれ育ち、一夫一婦制の貞操観念も強い。弁韓人の婢女にとって夜毎に犯される境遇は正に拷問。その家族も地獄を味わう事になる。自分の妻や娘の強姦現場を間近に目撃し続けるのだから。

 実際、城内の糞尿を河川まで運び出す機会を活かし、遁走する奴婢が相次いだ。彼らが失踪しては下水処理が滞る。困った管理者は、妻や娘を人質に取り、糞尿を積んだ二輪台車の運搬者を奴男やっとこに限定した。

 已む無く、夜陰に紛れて脱出を企てるも、夜警の犬に吠えられたり、そびえ立つ城壁に妨げられて、ことごとく失敗する。牢獄に囚われた彼らには絶望にさいなまれる道しか残されていなかった。


 邪馬台城が海賊を招き入れた事は、日ならずして総大将ホノギの知る処となる。

『対馬海賊の戦力が二分されました。分散は兵法の禁忌なのに、馬鹿な真似をするものです』

愈々いよいよか?」

『敵失とは言え、好機を逃す手は有りません』

「我が方の準備は?」

『錬兵の熟し具合は万全です。実戦を積まねば、これ以上の高みを目指せないでしょう』

し。長らく耐え忍んで来たが、弔い合戦のときの声を上げるとしようぞ」


 日向ひゅうが集落が開戦の決断を出雲集落に伝える。伝令役はウガヤとタマヨリの2人。いや、正確には4歳となったイワレも一緒だ。今は別室でヤガミ妃が世話を焼いている。彼女にとっては生き別れた初孫。数年振りの再会に落涙しつつ、養女の遺児を片時も離さない。

 英多あがたから尾道までは寄木船(小型戎克ジャンク船)で移動した。水軍の訓練を兼ねての遠征航海だ。

「我らは対馬島に攻め入ります」

「そうか・・・・・・。それで、何時いつ?」

「稲刈りが終わり次第。シオツチ殿は短期決戦の積りです」

「もう間が無いな」

「はい、叔父上」

「海が荒れ始めるのでは?」

 冬の日本海は出雲集落と香春集落の交易を途絶させる。荒ぶる波浪海域の西端に位置する響灘ひびきなだとて同様に船舶に牙を剥く。荒波に転覆する危険性を懸念しての確認だった。

「その荒波が我らに味方するそうです」

 予想外の回答に怪訝の色を浮かべるナムジ。

「先生が言うには、丸木舟よりも舷高の高い寄木船は荒波に耐える、と」

 横からタマヨリが口添えする。海賊育ちには納得の行く理屈らしい。操船に関して素人同然のナムジも、彼女の自信満々な顔を見て安心する。

「それに、対馬討ちは城攻めの前裁きでもあります」

 ウガヤが物問顔の叔父に向かって補足する。

「韓半島とのあきないを滞らせ、鉄餅てつぺいの仕入れを途切れさせる作戦です」

 材料補給を断たれた邪馬台城と、鉄製武器の生産が可能な日向・出雲連合。本戦に臨んでは、長期戦も見据えているようだ。

「軍師殿の描く戦略に間違いは無いだろう」

 軍事に疎い自分には何も助言は出来まい。それよりも、後方支援こそが出雲の役割だ。

「青谷の惨劇から以来このかた、大量の征矢そやを作り溜めて来た。船で何度か往復せねばならんが、開戦には間に合うだろう」

「有り難う御座います」

「助太刀の戦人いくさびとを出したい処だが、首長おびととして出雲の守りを疎かには出来ない。今も海賊の悪事は語り継がれ、不安がる村人が多いのだよ。私の心苦しい気持ちを汲んでおくれ」

 出雲集落の抱える兵士は200人程度。小規模の背景には、薩摩人さつまびとに匹敵する狩猟集団が瀬戸内に存在せず、報酬とする籾米の収穫量も限られるとの事情が有る。少数ながらも、日向集落に派遣してシオツチの薫陶を受けさせており、精鋭揃いだと言えた。ナムジが各地を歩き回った努力の賜物である。

「ところで・・・・・・、弟夫婦の家は訪ねたのか?」

「いいえ。これから参ろうと思います」

「それが良いだろう。タマヨリの姿を見れば、トヨタマも喜ぶと思う」


 ホオリとトヨタマの過ごした旧居には青谷難民が住んでいた。1人の老婆が五指に余る孤児を育て、さながら孤児院の様相を呈している。

 夕刻の涼風に身体の冷えを感じる処暑から白露に掛けての時節。子供らが笑いながら庭先を駆け回り、軒下に腰を降ろした老婆が見守っている。陽気で長閑のどかな小空間がホオリ家の談笑の日々を夢想させた。

 老婆の許しを得て、ウガヤとタマヨリは小体こていな建屋に足を踏み入れる。

 小さな茅葺かやぶきの屋根裏。板材を敷き詰めた床。入口近くの一画には炊事場が作られ、居室の中央には囲炉裏が掘られている。

――彼処あそこで姉さんは料理を作り、家族の団欒を楽しんでいたのね。

 無邪気な笑い声を背中に聞きながら、タマヨリは亡き姉の暮らし振りに想いを馳せた。

――自分は今・・・・・・、凄く幸せだ。

 息子イツセを産んだ半年前を思い出す。初めて赤児を抱いた時は余りの嬉しさに心が打ち震えた。その後も、乳を含ませる度に安寧を感じた。紅葉もみじの様に小さな手が自分の口元を触らんと伸びれば、待ち切れずに頬擦りする。

――愛する夫と育む家庭が、こんなにも幸せだと・・・・・・対馬島では想像すらしなかった。姉さんは或る日、突然。全てを奪われて仕舞ったのね・・・・・・。

 タマヨリの目から涙が溢れ出る。ウガヤも隣で同じ感傷を抱いたらしく、そっと妻の右手を握り締めた。

「ホオリ。必ず仇を取るからな」

 屋根裏に視線を這わせながら、込み上げる決意を口にした。

 タマヨリは、老婆に礼を言って辞去する際、後ろ髪を引かれる思いで住居の全景を眺め直した。後背の秋空には白雲が群れを成して浮かんでいる。

 対馬島で自害した姉夫婦。2人の魂は何処を彷徨さまよっているのだろう

か。でも・・・・・・、幸せな時を過ごした此処こそが安息の地に相応しい。

――姉さん達の魂が戻っているはずだわ。

 ウガヤは妻の肩を引き寄せ、耳元で「行こう」とささやいた。そして、孤児らとたわむれていたイワレを呼ぶ。歓声の輪から離れ、覚束無おぼつかない足取りで近寄る姿が何とも愛おしい。思わず抱き上げ、肩車に乗せるウガヤ。宙に揺れる小さな足を撫でながら、タマヨリは心の中で呟いた。

――私が立派に育て上げます。どうか心配しないで下さい。

 故人との別れを済ませた2人は覚悟を新たにする。未来に目を向け、明日は自身の故郷を目指すのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る