第24話 開戦前夜
薩摩での新兵募集は大歓迎され、500人余りの若者が
再統一を機に、先代ミカヅチは薩摩で募った傭兵を帰郷させていた。平和な時代ならば、香春集落から連れ戻した正規兵のみで十分に足りる。当然の施策であろう。
一方、解雇された男達は食い扶持を探し直さねばならない。しかし、薩摩の土地は農耕に不向きなシラス台地だ。再び山野を駆け巡り、禽獣を追い求める狩猟生活の他に選択肢は無い。生活の安定を覚えた者には中々に辛い選択と言えた。
そんな中、高千穂の駐屯兵は、タマヨリの
俊敏そうな若者達を前にした軍師は当初、騎兵として鍛え上げる積りだった。何と言っても、日向最大の武器は馬。野性味の溢れた薩摩人ならば直ぐに一騎当千の戦士となるだろう。そう睨んだのだ。
ところが、在来馬の性格は極めて
不都合な事実に嘆息するも、頭の切替えは早い。戦場では何が起こるか分からず、臨機応変に対処する心構えが出来ている。騎兵が望めぬなら、歩兵として教練するのみ。
末端まで軍令を行き渡らせるには階層組織が不可欠だ。12人を1単位として小隊を組ませ、五つの小隊を束ねて一つの大隊とした。八つの大隊を率いる総大将の脇で、軍略に明るいシオツチが実戦を指揮する。
軍令の伝達手段が口頭に限られるので、
「俺の縁者は11人なんだけど、余所者を加えるのは止めてくれ」
『漢王朝の
幾ら理路整然と説明しても、異国の常識が薩摩人に通じる
「俺ん家と隣の家族を一緒にするのは良いけどよ。何故、
軍隊と言う
シオツチは彼らを叱り宥めして編成作業を進めた。
小隊に続いて大隊も組織し終えると、大隊長の下で歩兵としての基礎訓練を始める。単純作業を通じて規律意識を植え付けるのだ。連帯心を養い、絶対服従の精神をも宿らせる事を期待した。
訓練と言っても、弓矢での狩猟に慣れた彼らには退屈で堪らない内容だ。基本は2種類。一列縦隊での地道な行進と、藁で編んだ
日向集落でも武器の自製に取り組んでいるが、鍛冶用
錬兵は歩兵訓練に止まらない。彼らの気分転換を兼ね、船上活動にも慣れさせた。現代に喩えるならば海兵隊である。
高千穂の山々から木材を切り出し、
ガレー船の要領で両舷に6人ずつ、進行方向に背を向けて座る。各人が1本ずつの
各人が好き勝手に漕ぐと、回転する動力が
海上訓練の指導役はタマヨリが務める。
「馬鹿野郎!。左の4番!、遅いぞ!。私の音頭に合わせろ!」
船尾に座り、男勝りの怒鳴り声を張り上げる海賊育ちの女傑。訓練中は絶えず睨みを利かせ、鬼軍曹として鳴らした。
反面、兵士からは「姉御」と呼ばれ、厚い信望を得ている。何故なら、山野を駆け回る彼らにとって、足元の揺れる環境は異界なのだ。必然、慣れない内は酷い船酔いに悩まされる。面倒見の良い彼女は青白い顔を見付けるや介抱し、
海戦の知識を持つシオツチですら彼女を頼りにした。彼の母国、
『タマヨリ嬢。倭国には丸木舟しか無いのだろうか?』
『丸木舟って、木材を
軍師は砂浜の地面に小枝で絵を描き始めた。細長い楕円を描き、その楕円に幾つもの横線を入れて輪切りにする。次に、隣の
『この三日月の形は何?』
『
『舟梁?』
『自分の両脇に手を当てて御覧。幾つもの横骨が入っているだろう?』
乳房の脇を抑え、肋骨の起伏を確かめるタマヨリ。素直で従順な態度にシオツチが頬を緩める。
『その横骨と同じ様な物じゃな。連なる骨材の側面に板を張り合わせるのじゃ』
彼の描いた図面には背骨に相当する
それ以前に一般的だった無脊椎構造の船舶を
竜骨船の欠点は大型化すると船底が深くなる事。黄河や長江、水深の浅い沿岸部では、底浅の船型を保つ
『舟梁だけでは横からの衝撃に弱いから、要所々々に
『何だか面倒臭そうねえ。丸木舟の方が手っ取り早く造れるんじゃないの?』
『痛い処を突くのう』
物事には長所と短所が必ず有るもの。選択肢に挙がった双方の特徴に優先順位を付ける問題だ。
『半面、この遣り方だと幅広の大きな船を造れるのだ』
『船が大きいと、
『
『でも、対馬海賊は丸木舟で襲うわよ。相手の船に乗り込んでから鉄剣を振るう』
『乗り込むまで何も出来んじゃろう?。弓矢ならば、接舷前に攻撃できる。どちらが賢いと思う?』
『つまり、弓兵を乗せるって事?』
シオツチが得意気に頷く。その合理的な発案に意義を唱える者は無く、
最初は試行錯誤の連続。釘やコの字型の
他にも工夫を施した。船底には二重底構造に踏板を張り、
標準装備となった小型船には1隻当たり2個小隊の乗船が可能。船央の
古事記には、天孫降臨時の案内役や、兄の
彼は他にも利器を普及させた。靴である。
『戦場の地面が安全とは限らん。鋭い石片が露出したり、折れた刃先だって転がっていよう。底の硬い靴を履けば、怪我を心配せずに済む』
隣で見守るタマヨリの質問に逐一回答する。講釈を垂れながらも、木片を足裏型に削る作業に余念が無い。丸みを帯びた周辺部は僅かに盛り上がり、爪先部は
『足の指を被すように削る理由は?』
『硬い先端で蹴り上げれば、敵兵の身体を強く
削り終えた靴底を
朝鮮半島では華僑の行商人が持ち込む羊毛製の靴紐が一般的。ところが、対馬海峡で隔てられた日本には流通していない。諦めずに代替品を探し求めていた処、獣革を犀利に裁断できる黒曜石に目を止める。これぞ天啓。羊毛製よりも丈夫な革紐を見出し、茶巾靴の製作を始めたのだ。
『ふ~ん。
『兵士の必需品ではあるが、庶民は履かん。面倒臭いからな』
『じゃあ、兵士だけが履いているんだ』
『いいや、王族や官吏も履いておる。教養と文化の象徴だからな』
知識人の遣う言葉は難しい。意味不明な単語に
『そう言えば、
『靴なんて知らないもの』
『タマヨリ嬢も欲しいか?』
『作ってくれるの?』
『ああ。
勿論、兵士達には自分で作らせる。文化の伝播する一例だろう。足先の保護には依然として無頓着だったが、流行の最先端だと飛び付く者が続出した。
日向側で
――この点を突いて
三角錐の形状に穴を穿った鋳型で容易に鋳造できる。でも、
だから、朝鮮半島の戦場でも採用されなかったし、渡来の軍師の頭にも浮かばなかった。
ホノギやウガヤとの軍略議論もシオツチの日課である。参謀役として計画を立案するのみならず、2人の教育も兼ねていた。通訳としてタマヨリも同席する。
「
『可能ならば――』
「そこで考えたのだ。彼らへの馬貸しを止めようと思う」
『目的は?』
「香春から運ぶ
『成程・・・・・・。お言葉ではありますが、当時、城側と香春が
「
『交流が復活した今、馬を当てに出来なければ、人力車で運ぶでしょう』
「そうだな」
『戦術的に無意味なばかりか、
「嫌がらせにはなるぞ?」
『油断させ、隙を突く事こそ戦争の心得。素知らぬ態度を保ち、城に
言ってみれば、敵地に居座る駐在者とは獅子身中の虫。貸馬業を止めれば、貴重な情報源を失う。敵情を探るべき局面では特に下策とされよう。軍師の謂わんとする指摘を直ぐに理解し、浅慮な提案を取り下げるホノギ。探り合いの面に思いが至ると、今度は不安が頭を
「邪馬台の方も
『はい。熊襲兵に山々を巡らせております。以前よりは手堅いかと。ただ、
「少しばかり抜けが有ろうと、心強い限り。引き続き、宜しく頼む」
『
「ところで話を戻すが、城には米を預けず、瀬戸内の
邪馬台への預米が利敵行為では?――との指摘だ。仮に引き出したとしても、2割の取り分が相手の懐に入る。むざむざと兵糧を差し出すのは惜しい、と誰もが思うだろう。
『今は米を預け、銅貨を貯め込むのです。その使い道に関しては、私に考えが有りますから・・・・・・』
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる軍師であった。
こうして2年の歳月が過ぎた。長いようで短かった雌伏の期間。悪戦苦闘の数々を振り返ったシオツチは安堵の溜息を漏らす。
――
古参兵の鍛錬に目途を着ける度、二次三次と追加で
軍勢の充実を踏まえ、5小隊を束ねて大隊とした設立当初の隊伍も見直した。5小隊を率いる中隊長職を新設し、16中隊に再編成している。五つの中隊を采配する三つの大隊長を置き、後詰めの遊軍とした残る1個中隊は総大将自らが直々に動かす。
また、陸兵としてのみならず、水兵としても立派に戦える戦士に鍛え上げた点も特筆に値するだろう。海戦時には、直轄隊の構成員が各船舶に艇長として乗り込み、統制立った船隊運営を支える。
一方で、水も漏らさぬ防諜活動とは机上の空論。熊襲兵の数が増えれば目を引くし、演習現場は遠目に観察できる。軍隊組織の肥大化は、密偵の知る処となり、
「
裏阿蘇に出現した脅威は卑弥呼を不安にさせていた。日向集落の敵意が邪馬台城に向けられているようで非常に怖い。朝鮮半島だけを警戒して治めた時代は去り、〝前面の虎、後面の狼〟状態に陥ったのだろうか。
「遺恨を抱き続けている証左です」
「誰に対する?」
「彼らは、水軍造りに腐心しており、海賊征伐を目論んでいると思われます」
ミカヅチが、用兵家としての見解を述べ、愁眉顔の彼女を落ち着かせる。
「御前の予想通りだと良いのだがな・・・・・・」
オモイカネが横槍を入れる。本人は油断を諫めた積りなのだろうが、尊大な言い方は神経を逆撫でする。武臣の歪んだ口元が「何か?」と押し殺した声音で凄むも、臆せずに話し続ける。自らの洞察力を
「邪馬台に何ら説明しない。その点が
「ホノギ殿が何度も訪れた時、我々は連れない態度で接しましたからな」
「対馬島に行かせようものなら、我らの企てが露見する。選択の余地は無かったのだ」
彼の自信は決して揺るがない。反省の色を見せぬ同僚に内心で舌打ちするミカヅチ。無表情を装いつつも、瞳の奥に侮蔑の色を浮かべたようだ。それを目敏く察知した卑弥呼が両手をパチンと打ち鳴らす。
「振り返っても、過去は戻りません。それよりも今後の事を話し合いましょう」
この頃は、険悪な雰囲気を和ませようと、文武の両臣下を仲裁する光景が増える一方だった。
「そう言えば、出雲は
「大方、破談したのでしょう。それに、
冷静な現状分析は一種の意趣返しであろう。声音に宿る投げ遣りな気持ちを隠そうともしない。
「ミカヅチの言う通り、出雲は
年少者の反発なんぞに動じるオモイカネではない。厚い鉄面皮を被っている。
「彼らの動きを吟味するよりも、
一向に建設的とならない会話に痺れを切らし、直截的に催促する声を張り上げた。遅れ馳せながら、指導者らしい発言が合議の場を仕切り直す。
「差し当たり、
「
ミカヅチも具体策までは思い付かない。奴婢は
「
突飛に聞こえたオモイカネの発言は論理的に考えた末の提案である。
「褒美を示せば、喜んで馳せ参じる。戦い慣れてもおるからな」
狼藉者を懐に入れる策の吉凶は予断を許さない。眉間に皺を寄せて腕組みするミカヅチ。心配顔の卑弥呼が彼を見詰める。
――
こうして、対馬海賊が邪馬台城の傭兵として表舞台に登場する。
対馬島に
身に纏う
入墨も
潮焼けした肌には一様に垢が
対照的に、招致された
好き勝手し放題の毎日に「
まず食欲の方は、危険な海賊行為を働かなくても、一日三度の食事に有り付ける。その上、食材に恵まれており、調味料や調理方法も豊富だ。遊戯に等しい軍事教練への参加は面倒臭く、
性欲の面でも極楽と言えた。邪馬台城の文化的特徴の一つは
但し、女性達は未開の彼らを軽蔑しており、決して合意しない。だから、人権保護の対象外である奴婢の存在に着目した。
ところが今や、奴婢の過半は朝鮮半島からの難民だ。文明社会で生まれ育ち、一夫一婦制の貞操観念も強い。弁韓人の婢女にとって夜毎に犯される境遇は正に拷問。その家族も地獄を味わう事になる。自分の妻や娘の強姦現場を間近に目撃し続けるのだから。
実際、城内の糞尿を河川まで運び出す機会を活かし、遁走する奴婢が相次いだ。彼らが失踪しては下水処理が滞る。困った管理者は、妻や娘を人質に取り、糞尿を積んだ二輪台車の運搬者を
已む無く、夜陰に紛れて脱出を企てるも、夜警の犬に吠えられたり、
邪馬台城が海賊を招き入れた事は、日ならずして総大将ホノギの知る処となる。
『対馬海賊の戦力が二分されました。分散は兵法の禁忌なのに、馬鹿な真似をするものです』
「
『敵失とは言え、好機を逃す手は有りません』
「我が方の準備は?」
『錬兵の熟し具合は万全です。実戦を積まねば、これ以上の高みを目指せないでしょう』
「
「我らは対馬島に攻め入ります」
「そうか・・・・・・。それで、
「稲刈りが終わり次第。シオツチ殿は短期決戦の積りです」
「もう間が無いな」
「はい、叔父上」
「海が荒れ始めるのでは?」
冬の日本海は出雲集落と香春集落の交易を途絶させる。荒ぶる波浪海域の西端に位置する
「その荒波が我らに味方するそうです」
予想外の回答に怪訝の色を浮かべるナムジ。
「先生が言うには、丸木舟よりも舷高の高い寄木船は荒波に耐える、と」
横からタマヨリが口添えする。海賊育ちには納得の行く理屈らしい。操船に関して素人同然のナムジも、彼女の自信満々な顔を見て安心する。
「それに、対馬討ちは城攻めの前裁きでもあります」
ウガヤが物問顔の叔父に向かって補足する。
「韓半島との
材料補給を断たれた邪馬台城と、鉄製武器の生産が可能な日向・出雲連合。本戦に臨んでは、長期戦も見据えているようだ。
「軍師殿の描く戦略に間違いは無いだろう」
軍事に疎い自分には何も助言は出来まい。それよりも、後方支援こそが出雲の役割だ。
「青谷の惨劇から
「有り難う御座います」
「助太刀の
出雲集落の抱える兵士は200人程度。小規模の背景には、
「ところで・・・・・・、弟夫婦の家は訪ねたのか?」
「いいえ。これから参ろうと思います」
「それが良いだろう。タマヨリの姿を見れば、トヨタマも喜ぶと思う」
ホオリとトヨタマの過ごした旧居には青谷難民が住んでいた。1人の老婆が五指に余る孤児を育て、
夕刻の涼風に身体の冷えを感じる処暑から白露に掛けての時節。子供らが笑いながら庭先を駆け回り、軒下に腰を降ろした老婆が見守っている。陽気で
老婆の許しを得て、ウガヤとタマヨリは
小さな
――
無邪気な笑い声を背中に聞きながら、タマヨリは亡き姉の暮らし振りに想いを馳せた。
――自分は今・・・・・・、凄く幸せだ。
息子イツセを産んだ半年前を思い出す。初めて赤児を抱いた時は余りの嬉しさに心が打ち震えた。その後も、乳を含ませる度に安寧を感じた。
――愛する夫と育む家庭が、こんなにも幸せだと・・・・・・対馬島では想像すらしなかった。姉さんは或る日、突然。全てを奪われて仕舞ったのね・・・・・・。
タマヨリの目から涙が溢れ出る。ウガヤも隣で同じ感傷を抱いたらしく、そっと妻の右手を握り締めた。
「ホオリ。必ず仇を取るからな」
屋根裏に視線を這わせながら、込み上げる決意を口にした。
タマヨリは、老婆に礼を言って辞去する際、後ろ髪を引かれる思いで住居の全景を眺め直した。後背の秋空には白雲が群れを成して浮かんでいる。
対馬島で自害した姉夫婦。2人の魂は何処を
か。でも・・・・・・、幸せな時を過ごした此処こそが安息の地に相応しい。
――姉さん達の魂が戻っている
ウガヤは妻の肩を引き寄せ、耳元で「行こう」と
――私が立派に育て上げます。どうか心配しないで下さい。
故人との別れを済ませた2人は覚悟を新たにする。未来に目を向け、明日は自身の故郷を目指すのだ。
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