第22話 玉依姫、日向に向かう

 天啓とも言うべき情報を得た日から、タマヨリは首を長くして待ち、ニニギの来訪を見張り続けた。自分達を貧民窟から救い出してくれる人物なのだ。自分は取り残されても構わない。でも、甥のイワレは亡き姉から託された大切な遺児こども。奴婢として一生を終えるべき出自ではない。

 彼女が悶々とする中、日向人ひゅうがびととの会話から3日後の事だ。ニニギが馬に跨り単身で城門を潜って来る。逸早くニニギの登城を察知するや、城門と宮殿を繋ぐ動線の物陰に隠れ、接近の好機チャンスを覗っていた。

 小一時間程でニニギが宮殿から出て来る。宮殿正面では卑弥呼ら3人の現人神あらひとがみが見送るも、答礼するでもなく、仏頂面で馬上に揺られている。駐在の男に限らず、誰もが気圧されるだろう。

 しかし、海賊社会に育ったタマヨリは全く怯まない。それに、千載一遇の機会を逃すなんて失態を犯す筈も無い。何事にも積極果敢な女性なのだ。ニニギが宮殿から十分に離れたのを見計らい、「日向の集落長!」と小走りに駆け寄った。

 太腿を覆う筒袋にすがり付き、「これを!」と勾玉まがたまの首飾りを差し出す。

「イワレの母親から預かった遺品です!」

 戸惑いと不審の眼差しを注ぐニニギ。

「イワレは私が守っています!」

 ――何故、見知らぬ婢女はしためが孫の名前を口にするのだ?――

 ニニギの顔に驚きの表情が広がる。

「御前は何者だ?」

「タマヨリと申します。イワレの叔母です」

 背伸びをし、何とか首飾りを手渡そうとするタマヨリ。その熱意に押し切られ、受け取るニニギ。掌中てのひらに握らされた首飾りを凝視し、正真正銘の勾玉である事を確認する。真相を理解せんと、今度はタマヨリの顔を見る。

 ――俺を騙そうとしているのか? だが、勾玉の首飾りを持つ婢女と言うのも解せんが・・・・・・。

 奸計を疑い、周囲を見渡す。一見した限りでは、誰もが2人の遣り取りに無関心。だからと言って、油断は禁物だ。此処で長居しては危ういだろう。

しばらく猶予をくれ。確かめたい」

 ニニギに横腹を蹴られた馬が再び悠長な常歩なみあしで前進する。柔らかく振り払われ、憮然とするタマヨリ。肩透かしを喰らい脱力したが、今は信じて待つしかない。ニニギの真剣な表情に賭けてみようと思い直す。

 ――あの方なら、イワレを救い出してくれる。屹度きっと・・・・・・。


 そして二十日余り後。ニニギとナムジが連立って邪馬台城を再訪する。

 タマヨリを置き去りにして愛宕あたご屋敷に戻ったニニギは、直ちに伝令を出雲集落に遣わした。船積みの荷役を中止させ、強引に双胴船を尾道に向かわる。伝令の手には勾玉まがたまの首飾り。手懸りの出現に驚いたナムジは、伝令の到着した当日の内に中国山地へと分け入り、日向への道程を急ぎに急いだ。

 吉報を待ち侘びるタマヨリにとっては長過ぎる時間。落胆に心が挫けそうになったが、卑弥呼ら3人にとっては「常時いつもより間隔が短いが?」と訝しむ頃合いだった。

 宮殿大広間で応対する卑弥呼は、予期せぬ要望に身構え、緊張と恐怖の表情を浮かべている。反対に、ニニギとナムジの表情は不自然な程に柔和であった。口元に浮かべた微笑みが却って不気味だ。

「日向に居ても落ち着かぬので、新たな情報が無いかと本日もた此処に参った次第です」

「ニニギ殿の心情はお察しします。ですが、残念ながら、追加情報は有りません」

「そうですか・・・・・・」

 肩を落とし、悔しがるニニギ。しかし、前回までと違って淡白な気配だ。仕草に現れぬよう用心しつつも、軽く肩の力を抜く卑弥呼。

「ところで、最近は独りで参られる事がもっぱらでしたが、今日はナムジ殿も御一緒なんですね?」

「ええ。別の用事でナムジを伴いました」

「別の用事?」

「出雲の様々な特産品を活かして、弁韓べんかんとの交易を始めたいのです」

「それは良い話ですね」

 久しぶりに前向きな話題。卑弥呼は声を弾ませる。

「ところが、日向にも出雲にも弁韓語を話す者が居ない。出雲に居た息子の嫁は誘拐されましたからな」

 ――結局は、その話か・・・・・・。

 現人神あらひとがみ3人は倦んざりする。

「そこで、弁韓語を話す奴婢ぬひを何人か、邪馬台城から譲って頂きたい」

 ――奴婢を譲る? 拍子抜けする程に簡単な要請だな――

 鳩が豆を食らった様な表情を浮かべる3人。

如何いかがですか?」

「お安い御用です。日向集落との友好を深める為、奴婢なぞ何人でも、好きなだけ連れて行って下さい。

 出雲集落の成功を陰ながら願っております」

「有り難う。ところで、奴婢の首実見くびじっけんは、私達が直接やっても構いませんかな?」

「勿論です。どうぞ、どうぞ。宗女の誰かに奴婢の住居棟まで案内させましょう」

「それは助かります」

 穏やかな態度の侭、ニニギとナムジは「これにて失礼」と腰を上げた。未だ白湯の準備が整っておらず、宗女達は辞去する客人に慌てる。常時いつもは無言の状態で長く居座り、非常に気疲れするのだが、今日は予想外に呆気無い展開。

 強烈な威圧感を放つニニギの後姿が見えなくなると、卑弥呼ら3人は一斉に溜息を吐く。解放感だけではなく、犯罪者としての後ろめたさ、後悔。或いは、今日も犯行を隠し通せたと言う安堵感。幾つもの不健全な感情が混然一体となって溜息を深くしていた。


 目当ての住居棟まで来たニニギとナムジは、駐在の者を呼び、案内役の宗女を体良く追い返した。

「おい! 御前はタマヨリと名乗る婢女はしためを知っているか?」

「知っていますが?」

「奴婢達の中からタマヨリを探し出せ」

「彼女なら賄場まかないばに居ると思いますが・・・・・・」

「直ぐに連れて来い!」

 ニニギの一喝で一目散に駆け出した日向人ひゅうがびと。探し人の手を引いて戻る時も全力疾走だ。遠巻きに取り囲む奴婢達の人垣を分かつ際にも、「退いて、退いてっ」と露払いの濁声を張り上げる。

 伴走するタマヨリの頬は紅潮し、嬉々としている。待ちに待った再会だ。群衆の輪の中心に躍り出た時には、馬上のニニギに抱き付かんばかりの勢いだった。

「集落長! やっぱり来てくれたんだね」

「ああ。イワレは此処に居るのか?」

「居るよ。連れて来るわ」

 タマヨリが奴婢の人垣を縫って住居棟の奥へと消える。待ち切れずに降馬するニニギ。幼子を抱いて現れたタマヨリを認めるや、「おおっ!」と両腕を大きく広げた。差し出されたイワレを抱き、何度も頬擦りする。

 今まで初孫を抱く機会の無かったニニギ。息子が成長し、長旅できるように成ったら、家族3人で日向に郷帰りしよう。ホオリ夫婦は、そう考えていたのだ。だから、初孫だけとは言え、生き別れた肉親との対面に感極まる。

 常時いつもの冷静さを失った義兄ニニギに替わり、ナムジが仕切役を引き継ぐ。

「タマヨリさん。今から日向まで一緒に来て下さい。詳しい話は馬上でお聞きします。まずは邪馬台城を離れましょう」

「分かりました。ところで、ええっと・・・・・・」

「ナムジです」

「ナムジさん。他にも連れて行きたい仲間が居るんですけど・・・・・・構いませんか?」

「大丈夫ですよ。10頭の馬を連れて来ましたから。でも、急いで下さい」

 タマヨリの引導で大邱テグ国から逃亡した偽装家族がナムジの前に進み出た。弱者への配慮を怠らぬナムジが、彼らを安心させようと話し掛ける。残念ながら、弁韓人の彼らには受け答えできない。

「もしかして、言葉が通じない?」

 人選に漏れる事を恐れたタマヨリが「駄目ですか?」と上目使いに尋ねる。

「構わないが、邪馬台城には通訳が欲しいと願い出たのでね。弁韓べんかん語と倭国語に長けた者を実際に連れて行きたいんだ。出来れば、何人もね」

 欺瞞工作を全うせんと、タマヨリに追加選抜を指示する。人選に時間を浪費するかとナムジは危惧したが、人脈を張り巡らせた彼女の仕事は早い。大して手間取る事も無く、弁韓人の交易経験者を7人、一行に加えた。


 道中の休憩も程々に、一行は薩摩熊襲さつまくまその警護する高千穂神殿を目指す。八代海を臨む浜辺で1泊し、翌日には高千穂入りした。此処まで引き揚げれば、もう安心だ。

 ニニギは「イワレの帰還を祝うのだ!」と饗宴を宣言し、神官達に出来る限りの料理を準備せよと命じた。ところが、意気軒昂なニニギとは対照的に、男3人の神官は一様に戸惑いの表情を浮かべる。

 建屋全体を赤く染め抜いた高千穂神殿では、火焔神ひのかみを祀る行事を何ら執り行っていない。常駐を命じられた男達も、神官とは名ばかりで、無聊ぶりょうかこっている。豊穣祭で浮かれ騒ぐ事しか知らないのだから、当然の結果と言える。発案者のニニギからして、祭祀行為には無知蒙昧なのだ。

 仕方無いので、薩摩熊襲の傭兵達の世話役に徹している。平たく言えば、賄い夫。薩摩人達が日昼は狩猟の明け暮れ、猟果を宮埼人が調理する分業体制だ。

 神官達は「集落長の望む饗宴とやらに如何どうやって料理の体裁を近付けるか?」と額を寄せ合った。しかし、人里離れた山奥の此処では調達可能な食材も限られる。魚介類や海草は無い。備蓄されたコメと根菜の類。救いは調味料だ。塩、魚醤ぎょしょうに加え、味噌が有る。

 数少ない食材を使いながら、彼らは見事に幾種もの料理を作り出した。

 囲炉裏を囲む一同の目の前には大きな鉄鍋。味噌を溶き、里芋と猪肉を煮ている。その傍らには、細切れにした兎肉に3種の調味料を別々に塗り、数切れずつ束ねた串刺しを刺し並べる。前菜としては茹卵。空腹に耐え兼ねた客人側は、塩を振ったり魚醤に浸けたりと、何個も頬張る。

 茹卵で人心地を着ける頃には、串刺しの肉も焼け、味噌汁もグツグツと泡立ち始める。銘々が串を手に取り、神官達が獅子鍋を装った木椀を配る。熱々の料理に全員が舌鼓を打った。

 別室の厨房で炊飯した玄米御飯が最後を飾る。鍋中の放り込み、煮立った処で生卵を割る。既に身体は十分に温まっていたから、雑炊を胃に収める頃には額に季節外れの汗玉が浮かぶ。

 タマヨリにとって、経験した事の無い至福の時間だった。対馬島で口にする食事は椀一杯の撲掛ぶっかけ飯。それすら口に出来ない日も有った。邪馬台城で奴婢となって以降も変わらない。食事抜きの日が無い代わり、肉や魚は滅多に味わえない。タンパク源は専ら大豆だ。

「凄いね! これが人間の食事だなんて、とても理解できないわ」

 素直な感嘆を耳にしたニニギは大笑いする。気分がすこぶる高揚していた。

「それにね、集落長。私、馬って初めて乗ったよ。あんなに従順な大人しい動物が居るのね」

 興奮したタマヨリは人生初を指折り数える。ナムジが彼女に相槌を打ち、ニニギは腕に抱いた孫をあやし続ける。

「倭国って本当に大きいのね。対馬島なんて北端から南端まで徒歩2日よ」

 思わず放った言葉。それを口にした後、彼女は下を向いて黙り込んだ。ニニギとナムジが互いに目配せする。

徐々そろそろ、事の顛末を話してはくれぬか?」

 コクリと頷くタマヨリ。ニニギの優し気な口調に促され、朴訥と語り始める。途中々々で口籠り、涙を零す。しばらく涙を流した後で深呼吸し、話を再開する。悲しい体験談の一部始終を語り尽くす頃には、すっかり夜も更け、鴟梟ふくろうの夜鳴きが遠くの樹々に木霊こだましていた。

 姉妹の悲遇を聞くに、ナムジも目に涙を浮かべる。トヨタマの過去に対する同情、失われた未来に対する無念の発露であった。ニニギの方は、押し黙った侭で耳を傾けていたが、怒りで次第に顔面蒼白となる。

 彼女が話し終えると、

「畜生! ホオリを酷い目に遭わせやがって、対馬の野郎。絶対、根絶やしにしてくれる」

 鬼の形相で奥歯を軋らせ、目の前に置かれた食器を壁に投げ割った。

「義兄さん。斯蘆しろと対馬海賊がつながるなんて、普通は有り得ません。

 それに、如何どうやって彼らは出雲に住むトヨタマの存在を知ったのでしょう?」

「それよ。俺達以外に出雲の弁韓人を知る者は邪馬台城の奴らだけだ。奴らが対馬海賊をそそのかしたと考えれば、全てに説明が着く」

「私も同じ考えです。彼らの余所々々しい態度こそ共犯の証左。可哀そうに、ホオリとトヨタマは邪馬台城に嵌められたんです」

「ああ、弔い合戦を挑むべきだな」

如何どうします?」

「まずは兵を集めねば・・・・・・」

 談義を重ねる2人の輪にタマヨリが加わる。

「ニニギ様、ナムジ様。

 このシオツチは大邱テグの軍人です。彼の助太力を乞うては如何いかがでしょう?」

「本当か?」

「はい」

 タマヨリが亡命家族の方を振り向く。他の弁韓人から話の流れを教えてもらい、自分への期待を理解するシオツチ。タマヨリが通訳する意思確認の問いにうやうやしく回答する。

『ニニギ様とナムジ様には奴婢ぬひの境遇より救い出して頂いた御恩を感じております。私の知識と経験が役に立つならば、何なりと申し付けて下さい』

「それは心強い! 俺は両方とも叩き潰したいのだ」

『戦争とは二つの敵を同時に相手とするものではありません。順序を付けて、一つずつ倒して行くのです』

「そうであれば、対馬海賊を先に潰す!」

貴方あなたの国に水軍は有りますか?』

「水軍?」

『船を操り、船に乗って戦う軍隊です』

「我らは海賊ではないのだ。水軍なんぞ無い。・・・・・・駄目か?」

『そうですね。直ぐには・・・・・・』

「それでは海賊退治は後回しだ。邪馬台城を攻め落とそう!」

『あの堅固な城壁を思い出して下さい。邪馬台城が籠城を始めたら、中々苦労しますよ。貴国の兵士は何人程ですか?』

「今は居ない。日向ひゅうが集落を豊かにするので精一杯でな、耕作に貢献しない者を養う事は考えなかった。幸い、野盗の類からも襲われないし、兵士は1人も抱えていない」

 自分に与えられる課題は既存兵士の鍛錬だと早合点していたシオツチは腕組みをして考え込む。ニニギの気持ちは痛いほど理解するものの、ゼロから軍隊を創出するとなれば一筋縄では行かない。

『ニニギ様。日向集落の現状を未確認ですから何も申せませんが、兎に角、戦争の準備を始めましょう。具体的な進言は視察後に致します』


 翌日、一行は愛宕あたご屋敷への帰還の途に就いた。

 出発前の朝餉の準備にはタマヨリも加勢する。邪馬台城では賄い婦として経験を積んでいたので、何かしら手助けしたいと思ったのだ。殊勝な心掛けに加え、宮埼の食分野に興味をそそられた面も否定できない。

 特に味噌の存在には興味津々。適度に塩味が効いた芳醇な味。色んな食材に試してみたいが、手始めに味噌汁である。

 神官達に厨房を一通り案内され、下請け的な作業を指示される。機転の利くタマヨリは直ぐに要領を呑み込み、一人前の戦力として認められる。

 とは言え、タマヨリは一宿一飯の通り縋りに過ぎない。イワレを保護者の元に送り届ける使命は既に果たしたが、ニニギとナムジに促され、彼女も一路、延岡へと向かう。味噌を包んだ握飯にぎりめしが神官達の感謝の印だった。


 愛宕屋敷に到着すると、屋敷の玄関までハナサク妃が小走りに出迎える。イワレを抱き締め、嬉し涙に濡れた頬を柔肌に擦り合わせる。そして、次男ホオリ夫婦が自害したに違いないと聞かされた時には、悲しみの涙を流した。半ば諦め、覚悟していたのだが、脱力して床に泣き崩れる。

 母親の隣で悲報に接したホデリも涙を流した。悔し涙である。家族の再会に立ち会ったタマヨリもた貰い泣きに目を赤くした。


 屋敷の一室を宛がわれたタマヨリだったが、数日を経ると、暇を持て余すようになる。彼女は愛児イワレを守ってくれたニニギ家の恩人、賓客であった。上げ膳、据え膳の歓待振り。

 ところが、タマヨリ自身にとっては頗る居心地が悪い。何かしら働いていないと、自分の存在意義を見失いそうになるのだ。貧乏性が身に沁みている。

 仕方無いので、ハナサク妃の部屋に入り浸り、イワレの乳母役を務めようとする。一方のイワレは殆ど手の掛らない出来た子で、しかも孫を愛おしく思うハナサク妃が手放さない。手持無沙汰な事この上無い。

 宮埼集落で最も時間に余裕の有る者は隠居したニニギであるが、最近は通訳を従え、自らシオツチの視察巡りに付き合っている。もっとも、親子程も年齢差の開いたニニギを話し相手に選ぼう等とは彼女も考えていない。

 消去法の必然として、彼女の足は近似世代のホデリの元に向かい勝ちとなる。

貴方あなた、高千穂の砦には行った事が有るの?」

「何度か、な」

「この屋敷で出される食事と比べると、貧相な料理しか口に出来ないって知ってた?」

 高千穂に逃げ込んだ際には質素な食事に感激した彼女だったが、すっかり舌が肥えている。

「愛宕屋敷の食事が豪勢なだけだろう。宮埼の庶民の食事は皆、似たり寄ったりだよ」

「いいえ。高千穂では手に入る食材の数が乏しいのよ。あんな山奥に少数で駐屯していては、食事が唯一の楽しみですもの。何とかして上げられない?」

「彼らは傭兵だからな。報酬は熊襲の村落に届けているぞ」

「あのね。イザとなれば、彼らは命を賭して戦うんでしょ!」

 対馬島で苦労を重ねたタマヨリには末端に生きる者の悲哀がく理解できた。海賊社会では頭領が幅を利かせ、恐怖を以て構成員を統率している。端から忠誠心を期待していない。頭領が処遇をかえりみる事も無く、男達は自衛措置として戦利品を秘かに窃取くすねるのだ。組織内には猜疑心と欺瞞が渦巻く。

如何どうかしら? 交代で高千穂の兵士の英気を宮埼で養わせるって遣り方は」

「例えば?」

「数日、宮埼で生活させるのよ。高千穂に戻る時には干魚ほしうおや海草を持たせるの。生野菜を運ばせても良いわね。今だったら大根葉とか」

「熊襲を住まわせては、宮埼の女子供が怖がるぞ」

「そうかしら? 陽気で良い人達だったわよ」

「君は海賊を見慣れているから・・・・・・」

「だったら、私も野蛮人かしら?」

「いや、そんな事は・・・・・・」

 問い詰められる経験に乏しいホデリは口籠って仕舞う。彼にとって唯一の目上は父親ニニギだが、どちらかと言えば、指示を仰ぐ相手だ。して、自分に意見する女性なんぞ出会った事が無い。

「それに、仮によ、誰か宮埼の女と恋仲になれば、その兵士は死に物狂いで戦うわ」

 ニニギとシオツチの対談には2人も同席する。集落長ホデリの参加は当然だが、通訳のタマヨリも外せない。だから、目下の課題が宮埼軍の創設だと両人が認識している。

 ――宮埼集落を預かる身として、タマヨリの提案は一考に値するーー

 大勢の兵を集めるとなれば、薩摩熊襲を頼るしか手は無い。族長と話を付けるだけでは、成果の高が知れてる。族長といえども強制は出来ず、最後は本人の自由裁量なのだ。だから、彼らが自発的に応募する程に魅力を高めねばならない。

 本件について後日談を語っておくと、ホデリがニニギに裁可を仰ぎ、高千穂駐屯兵の交代制が始まる。


 タマヨリの起こした変化は他にも有る。宮埼集落で最も歓迎された事例は漁法の変化だろう。

 倭国の庶民は対馬人つしまびとの全員が海賊だと思い込み勝ちだが、それは正確ではない。基本的に女子供は海賊行為に直接は加担しない。だが、男であっても、虚弱体質の者や性格の内向的過ぎる者は参加しない。日陰者として肩身の狭い彼らは往々にして漁業に従事する。

 朝鮮半島とは指呼の距離と言う土地柄、対岸の文化が対馬島には入り易い。平たく言えば、漁具が洗練されている。最たる例は蛸壺だ。

 アジアを見渡すと、現代でも真蛸を食材に用いる地域は日本と韓国くらい。伝統的な中華料理には使われない。日本人と韓国人は古代から蛸好きなのだ。但し、酢が無い当時は、ブツ切りの肉塊に塩を振って食べる。冬の間だけは橙果だいだいの絞汁を掛けて酸味を楽しむ事も可能だ。

 真蛸を獲るに当り、少なくとも宮埼人の採取方法は海に潜っての手掴み。岩間に隠れる真蛸を探す手間も一苦労だ。その様子を観察していたタマヨリは蛸壺漁法を提案する。

 肉体的弱者が漁労に勤しむ対馬島では、省力化に資する道具を意欲的に取り入れていた。そんな事情とは無縁の宮埼集落においても、大概の庶民は物臭者だ。須恵器すえきの壺を海中に沈めるだけの≪果報は寝て待て≫的な漁法は大歓迎される。

 また、囲網かこいあみ漁法では一般的に、麻紐を縦横に編み、一辺には石錘せきすいを、他辺には木切れ(浮具)を幾つも結ぶ。タマヨリの提案した漁労具は管状土錘かんじょうどすいだ。軸方向に穿孔した陶製のおもり。竹輪を連想すると分かり易い。

 石錘の場合、投網時や海流に揉まれる内に結び目から抜け落ちる。それも結構な確率で。海中で漁網が漂流すると、それだけ魚群を取り逃がす。反面、麻紐が軸内を貫通する管状土錘であれば、落失の懸念が無くなる。実際に漁獲量が改善したのだ。

 タマヨリは手始めに漁民の心を捉え、徐々に宮埼人の仲間を増やして行く。足懸りを築いて仕舞えば、社交的な彼女の事だ。難無く集落に溶け込める。新天地での暮らしは彼女に平穏と安寧を約束するものとなった。


 稲刈りから田起こしまでの冬の季節、集落長の務めは暇になる。だから、ホデリは案内を買って出て、タマヨリを宮埼の隅から隅まで連れ回した。彼女はニニギ家の賓客であったし、集落長が紹介すれば知己も増やし易い。

 タマヨリが独りで出歩き始めると、御役御免となったホデリは自室に籠り、思い悩む事が多くなった。そして、梅の花が膨らむ頃。父親ニニギに或る宣言をする。

「私の改名を許して下さい。ホオリに哀悼の気持ちを捧げたいのです」

「別に構わないが、何と改名する?」

「今日からウガヤと名乗ります」

 日子波瀲武ひこなぎさたけ鵜萱葺不合命うがやふきあえずのみこと。余りに長過ぎるので、一般的には鵜萱葺不合命うがやふきあえずのみことと呼ぶ。

 長い名前を一種の歌と解釈するならば、「太陽神の子として生まれるも、海鵜うみうごとく荒い浪間に漂ってばかりいて、自宅の屋根に萱を葺きもしない皇子」と言う意味になる。

 皇孫に連なる御方に相応しいとは到底思えない。他の神々の名前には、発展を意味する≪日≫や≪火≫、豊穣を意味する≪穂≫の漢字を振り当てる事実と対比すると、すこぶる不自然である。それに、日向ひゅうが集落を継ぐ立場の長男ホデリが、住処すみかの屋根さえ葺く余裕が無いとは自虐以外の何物でもない。

 その改名には臥薪嘗胆がしんしょうたんの気持ちを込めており、「自分だけ幸せになるつもりは無い」との決意を語っている。

 日本神話に拠ると、豊玉姫は鵜萱葺不合命うがやふきあえずのみことを産んだ後に姿を隠し、妹の玉依姫たまよりひめに育児を託す。成長した鵜萱葺不合命うがやふきあえずのみことは、養い親の玉依姫と結婚する。

 鵜萱葺不合命うがやふきあえずのみことの由来は、豊玉姫が出産時に籠った産屋うぶやの屋根が海鵜の羽根で葺かれていた事に拠るとの説も伝聞するが、古今東西、鳥の羽を屋根材に採用した事例は無い。後から名前に故事付けたのだろう。

 出産時の豊玉姫はわにの姿に戻ったとも記されているが、既に語った通り、和珥わにの海賊による拉致事件を暗に仄めかしている。

 別の逸話エピソード『海幸彦・山幸彦の伝説』では、山幸彦(弟)に追われた海幸彦(兄)が消息を絶つ。次男が長男を追い落とす構図の背景には、想像を超える変事が隠れているものだ。

 改名後のウガヤは、自分の過去を消し去る一方、集落の祭事に臨む際には必ずホオリの席をしつらえさせた。まるで弟が生きているかの様に。

 豊玉姫と海幸彦の存在が消え、山幸彦とウガヤだけが庶民の人口に膾炙かいしゃされる。後世へと伝承される過程で逸話間の整合性が欠けて行くが、腑に落ちない脈絡はかる事情に縁る。

「そして、イワレを私の養子とさせて下さい。

 そうすれば何時いつの日か、私の跡を継いで日向集落を治めるでしょう。屹度きっと、根の国でホオリも望んでいる筈です」

「御前の覚悟は理解するし、イワレを養子とする事にも異存は無い。だがな。独り身の御前が如何どうやって育てるのだ?」

「心配ご無用。タマヨリをめとりたいと思います」

「タマヨリか・・・・・・。彼女の事は俺も評価している。芯の通った頼りになる女だと思うぞ。肝玉も据わっているしな。あれほど集落長の妻として望ましい女は居ないだろう。

 しかし、肝心の彼女は如何どうなのだ? 御前と結婚する意思が有るのか?」

「未だ分かりません。これから確かめます」

 呆れ顔のニニギが息子の背中を見守る。自分が口説いた時の妻の若かりし面影を思い出しながら。


 父親の前を辞去したホデリ、いやウガヤは、その足でタマヨリの元に出向くと、藪から棒に求婚する。

貴方あなた、馬鹿? 私の素姓を知ってるんでしょ? 私、海賊の娘だよ!」

「そんな事、関係無い」

「関係するに決まってるじゃない! 貴方が気に留めなくても、家族が反対するわよ」

「大丈夫だ。父とは既に話した。輿入れには了解して貰っている」

 向きになって反論するタマヨリ。冷静沈着なウガヤが優しくなす。

 ――結婚・・・・・・。私の結婚――

 出生に負目を感じるタマヨリははなから幸せを諦めていた。心構えが全く出来ていない。でも、秘かに結婚に憧れていたし、心底では幸せな夫婦生活を夢見てもいた。

 願ったり叶ったりと喜ぶべき展開だが、急に現実味を帯びると、流石さすがのタマヨリも弱腰になる。

「御義母様は?」

「快く賛成してくれた」

 不安気な問いにウガヤは即答する。ハナサク妃とは未だ話していないが、反対する筈が無い。

「家族が良くったって、貴方は集落長よ。配下の人達から不平不満が噴き出すわ」

「ずっと観て来たが、君の人柄なら大丈夫。誰もが君をしたうさ」

 タマヨリは俯いた侭。視線の先では、2本の親指が組み合う指の腹を無意味に擦っている。苦労を重ねた彼女の指は男勝りに太く荒れており、白く華奢な細指ではない。乙女の色香は皆無。

婢女はしためみたいな姿なのに・・・・・・」

 自嘲じみた呟きを打ち消すように、ウガヤが彼女の両手を優しく包み込む。

容姿見てくれに魅せられたのではない。君の心意気に惚れたんだ」

 視界が歪み、涙の滴が足許に落ちる。

「僕と結婚してくれるね?」

 消え入りそうな声で「はい」と一言。面映おもはゆい。頬の火照りを自覚する。恥ずかしくて顔面を上げられない。しばらくはウガヤの双眸を直視できないだろう。


 結婚後、ウガヤとタマヨリは3人の息子達を儲ける。

 日本神話では、4人の息子達を産んだ事になっており、その四男がイワレ(神武天皇)である。末子が、3人の兄を差し置き、初代天皇になるとは考え難い。しかも、その兄達は末弟の指図で神武東征に従軍する。にわかには信じ難い展開だ。

 真相は日本神話の執筆者による事実改変。弟想いのウガヤに配慮してイワレを四男と記述し、ウガヤと血脈のつながる息子達の序列を上げたのだ。

 改変の余波を受け、日本神話の中では、鵜萱葺不合命うがやふきあえずのみことが養い親である叔母の玉依姫と結婚する。平均寿命の短い当時、一世代上の女性を娶るとは考え難い。して近親相姦の禁忌を犯す道理わけが無い。豊玉姫の子である磐余彦火火出見尊いわれひこほほでみのみことを玉依姫の子だと整理した痕跡が此処に残る。

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