第22話 縁者達の奮闘

 隠密裏に為された拉致の痕跡は少なく、誰も異変に気付かない。犯行の翌朝も、出雲集落では常時いつも通りの一日が始まろうとしていた。井戸端に向かう人々の吐息は白く、踏みしだいた霜の悲鳴が足音に混じる。収穫後の弛緩した時期だけに、朝寝坊を決め込む村人も多い。

 ナムジも温々ぬくぬくとした床の中で惰眠を貪る1人だった。一方、ヤガミは晩秋の薄い碧空あおぞらに鶏鳴が響くや否や起床する。楽しみとする日課が待っているからだ。

 キマタが北陸に巣立ってから随分と久しい間、彼女は実質的な独居状態に甘んじていた。広い屋敷で摂る孤食は、準備が億劫だし、食欲も失せる。だから、ホオリ宅の訪問を欠かさない。養娘むすめ家族との団欒は人恋しさを慰める特効薬なのだ。

 集落長の跡目を継いで以降、春秋の農作業を仕切るナムジの外遊期間は夏に限られた。つまり、一年の大半を出雲で過ごしている。でも、彼女は生活習慣を改めなかった。孫に打ち克てる亭主は滅多に居ないと言う好例だ。

 今朝も、朝餉あさげの支度を済ますと、寝呆け眼の夫を強引に揺り起こす。悪態を吐きながら洗顔に向かう後姿に別れを告げ、いそいそと見切り出発。(幼子の世話を手伝って遣りたい)との母情を胸に、トヨタマの元へと急いだ。

 ところが、ホオリ宅の寝床は荒らされ、家人の姿が見えない。どの家庭でもせわしない朝の時間帯。忽然と蒸発する理由に思い当たらない。ヤガミが家路に着いた前夜も普段と変わり無く、余計に不自然さを感じる。

――全員で家を空ける程の大事とは何だろう?

 床板を仔細にあらためれば、入り乱れた土足の跡が残っていた。家人の足型とは明らかに違う。

――もしかして、連れ去られたの?

 不審に思うも、犯罪とは無縁に育った彼女の脳裏に〝拉致〟の言葉は浮かばない。途方に暮れ、寝室の入口で立ちすくむのみ。いずれにせよ、救援が必要だ。ヤガミは自宅に戻るや否や、ナムジの腕を引いた。次なる行動を決めるにも手掛かりは必要だ。2人して念入りに現場検証する。

――誰がさらったのだろう?

 野盗じみた浮浪者が山間部に潜む可能性も否定できない。だが、物盗りならば、高床倉庫の籾米を狙うだろう。人攫ひとさらいの線も考え難かった。瀬戸内まで見渡しても、奴婢ぬひを養える村落は寡聞にして知らない。身代金目的ならば、解放交渉を促す目印が残っているはずだ。

 消去法で導いた結論は、生贄いけにえを求めた山神が浮浪者をたぶらかしたとの筋書き。ナムジが放浪先で何度か聞いた体験談でもある。

「神隠しとは思えんが、まずは山河を探すのだ」

 思案に明け暮れ、時間を浪費する無為無策こそが最悪の選択肢。手探りにしろ、行動を起こすべきだろう。「山狩りの人手を掻き集めよ」と指図し、集落を挙げての大捜索を展開した。

 伝承に詳しい年寄りが「行方不明者を異界から呼び戻すには太鼓を叩くべし」と言明する。理由を訊くと、腹に響く重低音が最適らしい。ところが、出雲人は皮革のなめし加工に不慣れ。張力の足らぬ太鼓の打音は遠くまで響かない。止むを得ず、銅鐸を転用した。海神を崇め祀る儀式にも使用するから、丁度良いとの判断も背中を押した。斯くして、銅鐸を打ち鳴らす金属音が山中に木霊こだまする。

 だが、ホオリ家族の姿はおろか、獣道けものみちの乱れすら一向に見当らない。気の毒な事に、山狩りの判断が裏目に出た格好なのだが、稲佐の浜に上陸した海賊船は1隻だけ。砂浜に打ち寄せる波が痕跡を完全に消し去っている。虚無の広がる海原に正解を求めよう等と考える者は皆無だ。

 ナムジ邸に集落幹部が集い、眉間に皺を寄せて悩んでいる最中だった。1人の村人が急報を伝える。「青谷村からの避難民が三々五々に集まって来る」と。捜索活動を一旦は打切り、彼らの世話を優先せざるを得ない。

 何かの自然災害に遭ったのだろう。そう早合点していた出雲人は凶事の真相を聞いて腰を抜かした。海賊の山陰出没は前代未聞だ。海賊と言えば「対馬」。根拠地から遠く離れた出雲よりも、朝鮮半島や九州北部を襲う方が手っ取り早い。

 違和感を拭えず悶々とする内に、頭領と対面した青谷人あおやびとも出雲入りする。漠然とした不安が確たる恐怖へと変わった瞬間だ。彼女らの証言から対馬海賊の狼藉が明らかとなる。その上、息子ホオリ家族を狙っていた事まで判明した。

 直ちにナムジが日向ひゅうが集落に向かう。義兄ホノギに誘拐事件を報告するのだ。陸の孤島である出雲に外敵の襲来したためしは無い。非武装集落が海賊と対峙するには戦い慣れた同盟者の協力が不可欠であった。


 凶報に接したホノギは鳥栖とす行きを即断する。大集落といえども、日向ひゅうが集落には用心棒程度の陣容しか居らず、真面まともな兵士を擁する存在は邪馬台城のみ。だが既に、事件発生から2人が城に乗り込むまで、十余の日数が経っている。

 出雲を発ったナムジは、運良く尾道おのみちで停泊中の双胴船と巡り合い、1週間程度で日向入りを果たした。其処から高千穂経由で鳥栖に向かうには、どうしても数日を要する。そう言った交通事情が初動捜査を遅らせ、当事者を苛立たせるばかりか、事件解決を遠離とおざけるのだった。

 現人神あらひとがみの3人が居並ぶ大広間。彼らに向かって、「次男が対馬海賊に拉致された!」とホノギが口火を切り、ナムジが青谷人の証言内容を報告した。

「是非とも一緒に島を攻め、息子の救出を手助けして欲しい」

 穏便ながらも有無を言わせぬ強い口調。みなぎらせてた迫力に並みの者であれば平伏ひれふしたであろう。

 この時、ホノギは43歳、ナムジは37歳。対する卑弥呼は20歳、オモイカネは32歳、ミカヅチは23歳であった。実際、気後れした2人の口数も少なく、先輩格の智臣1人が気炎を吐く構図で協議は進む。

 得てして人生経験が不十分な若者は遠慮や配慮を欠き勝ちだ。中でも自分の才に驕る者は始末に負えない。得意の弁論術で打ち負かさんと、容赦無く口撃を加える。

「しかし、結局の処、対馬人つしまびとの犯行を示す証拠は無いんでしょう?」

「青谷の老婆が証言しています」

罪人つみびとが自らの素性を明かすものでしょうか?」

うぬ戯言ざれごとを理解できぬが?」

 憤怒の激情を何とか堪えたホノギが厭味を垂れる。

「対馬以外の海賊が御子息をさらったのかもしれません」

 傲岸不遜にうそぶくオモイカネ。

「大勢を従える海賊が他に居るか!」

 部屋中を震わさんばかりの怒鳴り声。

「その程度の知識も無く、うぬはオモイカネになったのか」

 堪忍袋の緒を切らせ、詰め寄るホノギ。腰を浮かせた前傾姿勢で殺気を放つが、罵倒された方は全く動じない。2人の遣り取りを不安顔で見守る卑弥呼。

「まあまあ、興奮しないで下さい。お気持ちは分かります」

 オモイカネが両手を軽く上げ、殴り掛らんばかりの剣幕を宥める。暴力に訴えては円満解決への道が閉ざされる。ホノギの方も、小さく「痴れ者がっ!」と吐き捨てたのみで、座り直した。

 しかし、場の雰囲気が和んだのも一瞬。鉄面皮に徹する者は懲りもせず、言を左右にし続ける。歎願者にとって如何に切実であろうと、要請を受け流さんとする意図が見え見えだった。その露骨さに穏健なナムジすら嫌悪感を抱く。

「対馬海賊の誘拐だとしても、残念ながら、島に渡る手段が我らに有りません」

 詭弁も詭弁。明ら様に喧嘩を売っているようなものだ。「何?」と2人して眉を上げ、洒蛙洒蛙しゃあしゃあと言い放つオモイカネを睨み付ける。

「我らは船を操れません。弁韓べんかんとの交易では、海の民である末蘆人まつろびとに頼り切っています」

「だったら、彼らに協力を頼んでは貰えないか」

 挑発に乗る愚は犯すまいと、抑圧した声音を絞り出す。これが首長おびとに接する礼儀なのか。屈辱の余り、握り締めた十指の爪先が皮膚に噛み込む。

「末蘆人が行くでしょうか?。彼らは海賊を恐れ、日頃から対馬島を大きく迂回して航海します。果たして、協力を期待できるのか・・・・・・」

 先に語った通り、対馬島は倭韓貿易の関所。都度に壱岐人いきびとの身柄を預ける末蘆集落は、人質解放の交渉役には打って付けだ。しかし、その事実をホノギは知らない。

 大袈裟に両の掌腹てのひらを上に向け、肩をすくめるオモイカネ。交渉決裂の誘い水として、怒り心頭の相手にわざとらしい仕草で応じたのだろう。憤怒の表情が赤黒く染まる。暴発を恐れたナムジが義兄ホノギの袖を引く。

(無礼な若輩者め。だが、ホオリの生命いのちが懸っている。此処で席を立てば、奴の思う壺だ)

 ホノギは踏み止まった。怒声を呑み込み、憤情を噛み殺す。邪馬台城と袂を分かてば、進退が窮まる。頼みの綱から手を離す事は出来ないのだ。

「我らだけでは話に成らぬ故、邪馬台の助力を乞うておる。末蘆に口添えしてはもらえまいか?」

 頭を下げ、丁寧な言葉遣いで同じ趣旨を繰り返す。

「如何せん日向ひむかと尾道との便数は少ない。到底、貴公らの交渉力には及ばない」

 と持ち上げるも、脅匕ドスの利いた声音までは変えられない。余計に凄みがにじみ出る。

「頼んでみますが、確約は出来ません。彼らは火中の栗を拾わんでしょう」

あきない停止を仄めかせば、協力を拒まんだろう?」 

虚仮脅こけおどしは通じません」

 影の立役者なればこそ、交易抜きには立ち行かぬと、経済的弱点を見抜いている。

貴方あなただって城の出身者。その辺の事情は理解してますよね?」

 理路整然と論破する快感にオモイカネの口角が上がる。

――此奴こやつらは、日向ひむかとの友誼よしみを軽んじ、はなから協力を拒む気だ。

 舌打ちするホノギ。顔を歪め、奥歯を軋ませる。

――先代のミカヅチ様が生きていれば、必ずや助太刀を約束しただろうに。

 怒りの矛先を別に探さんと、険悪な空気の淀む部屋を猛虎の眼差しで睨み回す。平常心を取り戻すには幕間が必要だ。明敏な思考力を欠いては、卑劣漢との交渉を仕切り直せない。

 眼前の3人を冷静に観察すると、智臣の態度以外にも奇異な点に気付く。女王の震慄しんりつは自然な反応だとしても、剛毅が取柄とりえの武臣さえも目を泳がせている。

――何処かおかしい。

 隣のナムジも異変を感じ取ったようだ。義兄ホノギの肩に手を添える。それが退散の合図だった。

「仕方が無い。そちらにも事情は有るだろうからな。今日の処は帰らせて貰う」

 立ち上がった目線から3人の現人神を睥睨する。残念ながら、返された視線に期待した色は無い。恐縮と自己憐憫、尊大と欺瞞、追従と優柔不断。(これでは埒が開かぬ)と扉口に向かうも、後ろ髪を引かれる。だから、かまちの踊場で振返り、大声を張り上げた。

「しかしな、出来る限りの手立てを巡らせて欲しい。期待しているぞ」

 同盟者の捨て台詞せりふに、卑弥呼が何度も頷く。丸で赤べこ人形――牛をかたどった福島の民芸品――の様であった。


 同じ頃、タマヨリは壱岐島の砂浜を歩いていた。漁村を見付けて天日干しの魚を盗む算段だ。もう丸三日、何も食べていない。空腹を訴える腹の虫も鳴く事を止めて仕舞った。足取りも着実に重くなっている。何とかイワレの目覚める前に食糧を調達したい。

(それにしても・・・・・・)とイワレの寝顔を覗き込む。寝入ると直ぐには起きず、滅多に泣きもしない。隠密行動の身としては随分と気が楽である。

――御姉さんの息子は肝玉きもったまが据わっているわ。

 周囲の御機嫌伺いを強いられ続けた彼女は子守の経験も豊富だ。幼児の抱き方も上手な方だろう。だが、実母と引き離されても取り乱さない点は賞賛に値する。豪胆な性格には違いない。将来の楽しみな逸材だ。

(だからこそ)との強い使命感に支えられ、引き摺るようにして足を繰り出している。酷使された肉体が休息を求めるも、今は立ち止れない。逃げおおせる目途を付けるまでは・・・・・・。

 視線を前に戻せば、何の変哲も無い段丘と白波の風景が彼方まで続いている。耳元に届く音は潮騒の調べのみ。意欲のみを頼んで足を運ぶ内に、視覚と聴覚の退屈な刺激に倦んだ頭脳が麻痺し始める。やがて、朦朧とした意識が数日前の記憶を呼び覚ますのだった。


 対馬島の南端に行き着いても、警戒心を解かず、森の中に隠れ続けていた。船着場で海賊達が待ち伏せていないか、見極めねばならない。食糧調達に動き回る事も控えた。仮に食材を得ても、焚火の煙を立てられない。空腹を耐えるしかなかった。

――御姉さんは捕まったかしら?。でも・・・・・・その前に自害したでしょうね。

 木陰から哨戒しつつ、離別した姉に想いを馳せた。ただ、追憶と感傷に浸る余裕は無い。

――この子を連れて、絶対に逃げ切ってやる。

 決意を新たにし、覚悟の表情を思い浮かべるのだった。


 太陽が天頂まで昇り切らない内に、東と西の二手から現れた追捕の船団を遠望に捉える。南端沖の海原で合流した彼らは、幾許いくばくの時を置かずして、和珥津わにつへと引き返し始めた。遺体回収の次第が伝えられたようだ。義兄ホオリの推察した通り、残存者には全く関心を示さない。

 切り立った断崖の向こうに全ての船影が隠れると、一挙に緊張が緩んだ。当座の危機が去った事を実感し、幼児の安らかな寝顔を見詰める。

――私には母さんが居たけれど、この子は孤児だもの。可哀想よね。

 甥の境遇を不憫に感じるタマヨリ。土の固着こびりついた指で柔らかな頬を撫で、ひしと抱き締めた。

――今の私には人肌の温もりしか与える物が無い・・・・・・。

 軽い達成感に浸りながらも、気を緩めたりはしない。安心するのは敵地を離れてからだ。姉夫婦の犠牲を無駄には出来ぬと、夕陽が海岸線を赤く染めるまで潜み続けた。海鳥が岩場に帰巣し切った黄昏時。中腰で身を潜めながら船着場に降りる。

 其処には何艘もの尺の短い丸木舟が並んでいた。左右に伸ばした腕の先には浮木を備え、補助輪付きの自転車を思わせる。大人数が左右に長櫂オールを伸ばす海賊や水軍の単胴船なら転覆の恐れは無い。浮木は、少人数で漕いでも安定する、南洋民族の知恵であった。

 海鳥が岩場に帰巣し切った黄昏時。中腰で身を潜めながら船着場に降りる。呪われた過去と決別できると思えば、短櫂オールを漕ぐ腕にも力がみなぎろうと言うもの。一心不乱に南を目指す。

 壱岐島までは約60キロ。海流に押し流される事を計算し、意図して右へ右へと針路を定める。昼間ならば水平線に薄く浮かぶ島影も、月光しか望めぬ夜には判然としない。背後に輝く北極星のみが頼りの心細い状況だ。

 空腹と疲労で消耗したのだろう。イワレは船底にうずくまっていた。下手に動き回られては、船外に転落しかねず、船酔いの恐れも生じる。切羽詰まったタマヨリにはむしろ好都合。漕手として孤軍奮闘中の身には甥を気遣う余裕が無かったからだ。

 誰もが出航を躊躇ためらう危うい航海だったけれども、一睡もせずに夜通し頑張った努力は報われる。

 未だ明けぬあかつき、下弦の半月が西の海に迫ろうかと言う頃。星空よりも一段と黒い影が視野に映り始める。壱岐島だ。

――辿り着いたわ!

 最後の力を振り絞って海面を掻き引いた。そして、東雲しののめから曙の時分、遂に小舟の底が砂浜に乗り揚げる。


 一週間程、タマヨリは盗みを働きながら島内を徘徊する。貧しければ、自分の子供ですら奴婢ぬひとして売り渡し、口減らしを優先せざるを得ない時代であった。小さな村落では余所者を養えず、最大集落を見定めねばならない。

 紆余曲折の道なき道を彷徨さまよった末、南東部の環濠集落――後世の原辻はらのつじ遺跡――を探り当てる。現代の地で比定するならば、佐賀県唐津市との間を結ぶフェリー発着場の近傍だ。

 木柵で囲った環濠の内側では豚や庭鶏、褐兎うさぎたぐいが放し飼いにされ、人家の軒先では犬が昼寝をしている。農閑期の今は周囲に広がる田圃たんぼも閑散としたものだ。恐らく住民の大半は小さな内湾に出向き、若芽わかめ採りや漁猟に勤しんでいるのだろう。

 豊かな村落と見込んで訪れてみると、出迎えた数人が一様に当惑の表情を浮かべる。見窄みすぼらしい扮装いでたちの子連れ女。受け入れた処で何の見返りも期待できない。そう見限った雰囲気が濃厚であった。残念ながら、島内髄一の集落であっても、移民への寛容さは期待できなさそうだ。

 長老宅に連れて行かれるも、退去を迫る言動ばかり。残留を諦めたタマヨリは、北岸に隠した小舟を交渉材料に、本土に渡る手引きを願い出た。沈思した長老は「末蘆人まつろびとに母子の奴婢として売るしか手は無かろう」と提案する。

――身分なんて関係無いわ。倭国に渡って仕舞えば、活路は拓ける。

 現地の生活環境が期待外れならば、再び逃亡する腹積もり。豪胆な性格と対馬島での経験が彼女の真骨頂だ。踏ん切り良く即諾する。

 隠し舟が宿泊代金となり、末蘆人の来訪までは村内での滞在を許された。村長宅で寝泊まりし、一時凌ぎではあったが、久方振りの安息を得る。

 幸いにして、村長は正直者だった。交易船に引き渡す際も、身柄の対価を求めないばかりか、処遇の安堵を何度も船頭に念押しする。身売りと言うよりも、『住込み女中の紹介』に近い。引率の末蘆人だって道中の手間賃を求めるが、買手から得る身請料と引換に一連の手引きを承知した。

 タマヨリとイワレは、壱岐から末蘆に渡り、伊都いとを経由して好古都はかたへと移された。博多湾に臨む集落は、古くから栄える末蘆と鳥栖とす、新興の香春かわらつなぐ交通の要衝地に位置する。昨今は九州北部の中継貿易の拡大と軌を一にして急成長していた。

 好古都の常設市場マーケットで邪馬台城の人買いに落札された2人は、城に連行された後、奴婢専用の居住棟に落ち着く。

 平尾台からの鉱石供給が再開され、邪馬台城の生産活動は目覚ましい回復を遂げていた。分裂時代に発明した耐火煉瓦も、弁韓べんかんの製鉄現場が強く求め、石炭と並ぶ商品に育っている。倭韓貿易が盛んになれば、鉄餅てっぺいの供給量も増え、農具の増産も可能となる。

 近隣市場で物々交換される取引高は鰻上りの一途だ。つまり、邪馬台城は労働力を欲していた。九州各地を見回しても、奴婢を買い増す集落は皆無。その復興振りは突出している。

 反面、朝鮮半島南部の社会は、領土拡大の野心を燃やす斯蘆しろ国に蹂躙され、動乱とでも言うべき状況。乱世の危難から人々は逃げ惑い、九州を目指す難民の数は増えている。

 ところが、彼らの殆どは対馬海峡を漂流する内に海賊の餌食となった。海賊の悪評が沿海地方には知れ渡っていても、内陸部の出身者は無防備に海を目指す。20年前のトヨタマやスクナと同じく、鴨が葱を背負って鍋に身を沈める構図であった。

 対馬海賊にとっては黄金時代。従前の見ケ締め料ミカジメりょうに加え、海原に漂う難民を一網打尽にして懐を潤わせていた。人身売買は元手が無料ただなだけに笑いが止まらない。

 穿った見方をすれば、難民にとっても好都合だろう。身包み剥がれ、婦女子は狼藉に遭ったにせよ、海の藻屑となるよりは益しだ。九州上陸を果たした彼らは、タマヨリやイワレと同様、奴婢として邪馬台城の社会に組み込まれる。

 かる時代背景だったので、弁韓語は奴婢棟の第二公用語と化していた。両方の言語を話すタマヨリの存在は貴重で、奴婢仲間は元より、城民からも重宝がられる。意思疎通に優れるのみならず、管理者側が子連れの境遇に配慮したようで、飯炊き女を束ねる責任者として厚遇される。

 対馬島に比べ、邪馬台城は桃源郷だ。安住の地を見付けた彼女は胸を撫で下ろした。

――母さん!。私、必ず幸せになってみせるからね。

――姉さん!。イワレを無事に助け出しました。此処で立派に育てて見せます。

 左脇の内から取り出した翡翠ひすいの首飾りを握り締め、タマヨリは天を仰ぐ。壱岐島に上陸して以降、大事に隠し持っていた。首飾りに紐を通すと、両脇の下に潜らせ、乳房の根本で結ぶ。貫頭衣かんとういの腹部が少々膨らんでも、垂乳の女としか見えない。

 それに、襟元から覗く装飾品は見る者に強盗を唆す。下手をすれば、殺され兼ねない。海賊社会で育ったが故に抜目無く、治安の悪い環境で生き抜く護身術に長けていた。


 誰もが飯を食べるし、食事時には饒舌となる。炊屋かしきやを任されたなら、食材調達にも走り回る。挨拶や雑談のたぐいを交わす相手は数知れず。タマヨリは新天地の人脈を急速に広げて行った。今や奴婢仲間に限らず、城民や日向ひゅうが集落の駐在員までもが顔見知りだ。

 そんな或る日、彼女は乳飲み子を連れた奴婢家族と知り合う。当然ながら母親は若い。片や、頭が白髪で覆われる程に老いた夫。年齢的な釣合いの取れぬ夫婦だったが、奇異な点は他にも有る。

 若妻は、婢女はしためとして全く使い物にならず、家事経験の有無を訝る程であった。一方の老夫も気が利かない。武骨な体躯で力仕事を厭わずとも、使役作業にいては木偶の坊。事前に手本を示さない限り、現場で途方に暮れている。

――弁韓でんな暮らしを送って来たの?

 節介焼きのタマヨリは珍妙な家族に目を掛け、色々と便宜を図って遣った。交流を重ねるに従い、猜疑心も露わだった夫婦の態度も軟化し始める。弁韓語の醸す同郷意識に加え、二心の無い人柄、陽気な性格も一助となった。異国で出会った頼れる存在には胸襟を開くものだ。

 そんな2人を居住棟の片隅で見咎めた夜の出来事だ。嗚咽を漏らす若妻を老夫が慰撫している。周囲の視線に困惑する夫を気の毒に思い、少々取り乱し気味の妻を月光の下へと誘い出した。愚痴を聞き続ける内に、心底に鬱積していた不平不満が次々に繰り出される。挙句の果てには、『昔は良かった』と彼らの過去にも話が及ぶ。

高霊キョンサン国の王族だったの!?』

 眼前の母娘は王侯の妃と娘。逃避行に随行した軍人が偽夫の正体と言う驚きの真相。逃亡中にはぐれた配偶者の消息はようとして知れないらしい。

『私の母さんと姉さんは、貴女達の身代わりになって殺されたのよ!』

 思わず声を荒げるも、直ぐに御門違いだと思い直す。むしろ不思議な縁に感じ入り、(彼らも犠牲者なんだわ)と同情の念を強くする。下層社会で育った自分には快適でも、高貴な者には随分と辛い境遇だろう。

『これから如何どうするの?。まま、奴婢として生きて行く積り?』

 素直な問いに、偽装夫婦は黙して語らず、沈痛な面持ちで俯くのみだ。仮に城から抜け出しても、目指すべき目的地が無い。それが亡命者の置かれた悲しい現実だった。


 タマヨリは世間話に余念が無い。城内の色んな種類の人間と話を交わす。一つ一つは詰まらぬ話題であっても、数が集まれば全体像が浮かび上がる。それに、各個人の性格や好みが判明するばかりか、錯綜する人間関係にも精通できる。

 余り勝手の物資は何か、不足気味の物資は何か。融通の橋渡しをして過不足の帳尻を合わせる。誰が誰に好意を寄せ、誰と反目しているか。成就を見込めれば、恋の告白も仲介する。そう遣って、少しずつ貸しを作って行く。

 知識を蓄え情報を集めれば、交渉力が強まり、頼りにされる。集団内での立ち位置が高まれば、より巧く立ち回れる。対馬島の底辺で培った、弱者の生きる知恵であった。

 最近の世事として、毎月の様に現れるホノギの姿が城民の耳目を集めていた。並みの集落長は治世を疎かにせず、後継者の顔見世に訪れる程度だ。そんな世間の常識に反し、自然な程に執拗しつこく参城する理由は外交的圧力に尽きる。

――次男の捜索を諦めてはいないぞ!

――非協力的な態度を改めねば、日向(ひゅうが)は黙っていないぞ!

 日向では、ハナサクが心労を募らせている。妻の臥せった姿を見るに付け、気持ちが泡立つ。だから、長男に集落運営を任せ、自分は相談役に徹している。敢えて大役から退き、交渉に専念する体制を敷いたのだ。英多あがた温和おとなしく吉報を待つような真似はしない。他力本願に甘んじる彼ではなかった。

 理不尽な出来事に対する怒りを何処につけるべきか。無闇に波風は立てられないが、現人神の態度には不審を抱かざるを得ない。閉塞感に鬱々とするよりは・・・・・・と、示威行動に出た次第だ。

 無駄骨覚悟で門戸を叩く者の来訪日をタマヨリは的確に把握する。何故なら、城に駐屯する日向人ひゅうがびとの態度が急変するからだ。観察眼の鋭い彼女の前で〝瓢箪から駒〟の一幕が開く。

「あらっ?。郷長さとおさが御見えになるの?」

「だ、誰から聞いたんだっ!?」

 一応は極秘事項なのだろう。動揺する男の団子鼻を指差し、ニタリとした笑顔で真相を告げる。

「だってさ。毎日、貴方あなたの顔を見ていたら、そりゃ、分かるわよ。そんなに怖い人なの?」

 緊張で表情を曇らせる彼を「小心者」と揶揄からかう事が細やかな楽しみでもある。

「そこら辺の郷長さとおさじゃなく、首長おびとだぞ。怖いに決まっている」

 社会的身分の違いを言った処で、タマヨリには伝わらない。対馬島と邪馬台城しか知らぬ彼女には集落規模の相対観を実感しようが無かったからだ。村長と郷長の区別が精々だ。

「それになあ。日向ひむかでは穏やかなのに、城に来る時は物凄い形相なんだよな。何だか熊と向き合っているようで、背筋が凍るのさ」

 大の丈夫ますらおが情けない。ひょろりとした体躯。本物の野獣と対峙した経験は無いのだろう。

「その偉い人は城に来るのが嫌いなのかな?」

「そんな事、俺は知らないよ。でも、秋から頻繁に来るようになったな」

「ふ~ん。どうして?」

 小首を傾げる仕草が警戒心をとろけさす。婢女はしためいえども、れっきとした女性。異性を無碍に出来る若人も少ないだろう。御多聞に漏れず、「誰にも言うなよ。絶対だぞ」と声を潜める。

 念押しは無意味、秘密は漏れるものだ。それを承知しつつも、口の軽い悪癖を克服できないらしい。単身赴任先の邪馬台城は商談の最前線。城民と適度な距離を保つべき立場の彼にとって、奴婢こそが話し易い相手なのだろう。彼女の話術に乗せられた面も否定できない。

「心配無いよ。私って口の堅い女だから」

――情報は秘匿しないと価値が下がるからね。交渉に使える時は材料ネタにしちゃうけれど・・・・・・。

 内部事情を聞き出せると北叟笑ほくそえむ彼女。その微笑みを好意のしるしと勘違いした男が顔を近付ける。内緒話に相応しい間合まあいに安堵したのか、空咳を合図に説明し始める。

首長おびとはな、出雲の女と結婚した息子と孫を探しているらしい。家族3人とも誘拐されたそうだ」

 予想だにしない裏話を知らされ、驚倒しそうになる。正に青天の霹靂。雷に打たれたように身体が硬直した。顔が強張り、唇すら動かせない。しかし、両耳だけは(一言も聞き漏らすまい)と犀利さいりな注意力を男の口元に集中させている。

「対馬海賊が怪しいんだけど、日向ひむかには船が無い。助太刀を頼んだ邪馬台には、のらりくらりとはぐらかされているらしいよ」

 秘密を吐露した男は清々スッキリした表情を浮かべている。内幕を明かされた方は茫然自失の唖然顔、瞬きさえしない。

如何どうしたんだ、御前?。何か変だぞ。大丈夫か?」

 我に返ったタマヨリは、狼狽気味に「ううん」と否定し、「何でもない」と誤魔化した。

――大変な話を聞いたわ!

「私、煮物の下拵えを忘れてた。大急ぎで炊屋かしきやに戻らなくちゃ。貴方も頑張ってね」

 踵を返すも、足がもつれる。「誰かに見咎められては面倒だ」と警戒すれば、増々歩調が詰屈ぎこちなくなる。けれども、大広場を駆け抜ける彼女に注目する者は皆無。それは枯れ尾花を幽霊と見間違えるような過剰反応だった。


 天啓とも言うべき情報を得た日から、タマヨリは首を長くして待ち、ホノギの来訪を見張り続けた。彼こそが自分達を貧民窟から解放してくれる救い主だ。自分は取り残されても構わない。でも、甥のイワレは別だ。亡き姉から託された大切な遺児こども。奴婢として一生を終えるべき出自ではない。

 幸いにして、彼女が悶々とする期間は短かくて済んだ。日向人ひゅうがびととの会話から3日後、馬に跨ったホノギが現れる。逸早く待ち人の登城を察知するや、城門から宮殿に至る動線の物陰に隠れ、接近の好機チャンスを覗う。

 数時間に及んだ面会は期待外れに終わったようだ。退去する時も仏頂面で、卑弥呼ら3人の見送りに答礼すらしない。悩み事を抱えて些事に気を配る余裕すら無いようだ。否、近距離で見定めれば、癇癪を起しそうな一触即発の表情で馬上に揺られている。駐在の男に限らず、誰もが気圧されるだろう。

 しかし、海賊社会に育ったタマヨリは怖い物知らず。何事にも積極果敢で、千載一遇の好機を逃すなんて考えられない。人馬が広場の中央を通り過ぎるのを見計らい、「日向ひむか村長むらおさ!」と小走りに駆け寄った。

 ホノギの太腿を覆う筒袋にすがり付き、「これを!」と右腕を突き上げる。差し出した物は翡翠ひすいの首飾り。

「イワレの母親から預かった遺品です!」

――何故、見知らぬ婢女はしためが孫の名前を口にするのだ?

 馬上から注がれる戸惑いと不審の眼差し。唐突に過ぎた初対面には困惑を禁じ得ない。直訴への対応を決め兼ねている。

「イワレは、私が守っています!」

 焦燥と動転の刹那に繰り出された台詞せりふが決定打となった。ホノギの顔に驚きの表情が広がる。

「御前は何者だ?」

「タマヨリと申します。イワレの叔母です」

 背伸びをし、何とか証拠の品を手渡そうとする婢女。その熱意に押し切られる。掌中てのひらに握らされた首飾りを凝視し、正真正銘の翡翠ひすいである事を確認する。常設市場マーケットには流通しておらず、入手は不可能。真相を理解せんと、今度は潮風に日焼けした顔を見詰める。

 続いて、(おれを騙す積りか?)と奸計を疑い、周囲を見渡す。一望した限りでは、2人の邂逅かいこうに関心を寄せる者は見当たらない。

――下賤の女が翡翠を手放すとは尋常ではない・・・・・・。

 宝石を売れば、悠々自適に暮らせるのだ。真実を語っている可能性は高い。他に手懸りも無く、突破口となるやもしれぬ。だからと言って、油断は禁物だ。此処で長居しては危ういだろう。

しばらく猶予をくれ。確かめたい」

 横腹を蹴られた馬が悠長な常歩なみあしを再開する。柔らかく振り払われ、憮然とするタマヨリ。肩透かしを喰らって消沈するも、頭上の真剣な表情に賭けてみようと気を取り直す。今は信じて待つしかない。

――屹度きっと・・・・・・、イワレを救い出してくれる。

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