第25話 天気晴朗なれども浪高し

 海上封鎖の第一報は、まずオモイカネの耳に入った。表敬で訪れた狗奴くぬの集落長が頻りに小火ぼやく。

「参りましたよ。船を使えないから、新米を全て荷車で運ぶんですよ。人手の掛かる事、掛かる事。大変な迷惑です」

 内海で波の穏やかな有明海と八代海の縦断輸送路は九州の南北を結ぶ大動脈。邪馬台城なり、周辺の常設市場マーケットに搬入される物資の全てが船舶で運搬されると言っても過言ではない。

 狗奴人くぬびとの談に拠れば、有明海の度真中どまんなかに物騒な船団が陣取って、筑紫平野の玄関口を塞いでいるそうだ。大きな寄木船1隻と丸木舟5艘で構成される水上戦闘群が、現代の福岡県大牟田市と佐賀県多良岳を結ぶ海上ラインに並んでいるらしい。

「新手の海賊か?」

「いや、違いますね。積荷は奪わず、追い返すだけです」

「だったら、強硬突破すれば良い」

「そんな事、怖くて出来ませんよ。水手かこは弓矢で狙われてますから」


 オモイカネは、ミカヅチを誘い、居処で安んじていた卑弥呼に謁見を申し入れる。宗女が海上封鎖の報を立ち聞きせぬよう、大広間での会見を避けたのだった。

日向ひむかは、この邪馬台とは対峙せず、対馬征伐に向かうと読んでいたのでは?」

「攻撃先の変更を断じるのは時期尚早かと――」

「では、何故?」

 素朴な質問に黙り込む2人。苦し紛れに「海路の往来を邪魔しているに過ぎません」と抗弁するオモイカネ。彼らの作戦を読みあぐねているミカヅチは沈黙を貫く。

われらにき従う庶民が不安におののいているのですよ!」

 オモイカネは内心でほぞを噛むも、彼の後悔は(報せるのが拙速に過ぎた)との反省に止まる。日頃から卑弥呼を手玉に取れると自惚れており、機転を利かせて妙案を捻り出そうとの魂胆だ。

「城内に対馬海賊を養っているのです。海の上なら、彼らの方こそ強者つわもの。彼らに撃退させましょう」

 付け焼刃な進言ながら、表層的には筋が通っている。れど、日向集落は中々に用意周到だ。素人考えで対処できる程に甘くはあるまい。女王としては武臣の意見を求める必要が有った。

「代案を思い付きませぬ故、オモイカネ殿の策を採りましょう」

 海戦に不慣れな城兵の弱点はミカヅチ本人が重々承知している。


 唯々諾々と年長者に従ったミカヅチであったが、実際に軍事活動を起こすとなれば、様々な問題が立ち塞がる。

――誰が海戦の指揮を執る?

 彼自身が海戦の未経験者だ。海賊の頭領は対馬島に居残っている。悩み抜いた末、消去法で、最も威勢の良い男を指揮官に任命した。

――野蛮だけが取柄とりえの男に指揮させるのだ。果たして真面まともな合戦を期待できるのか?

 不利な戦場で繰り広げる前哨戦だけに多大な犠牲も出るだろう。不安は尽きないが、瀬踏みに慎重を期す余裕は無い、と腹を括った。但し、海賊だけで水軍を編成し、生粋の城兵は温存する。はなから腰の引けた構えだが、初戦から有りっ丈の戦力を注ぎ込むほど蛮勇ではない。


 狡猾と打算の生贄いけにえになったとも知らず、「腕が鳴るぜ」と気炎を上げる対馬人の群れ。喜び勇んで丸木舟に乗り込む。総勢、50艘前後。圧倒的な数を頼んでの進撃に意気軒昂だ。よもや負ける事は有るまい、と高を括っている。

 ところが、迎撃側の準備は万全。加えて、地の利も有る。遠浅で干満差の大きい有明海は干潮時に沼地と化す。出航の時宜タイミングは潮の満ちた数時間に限られ、敵襲を予測し易いのだ。

 海上封鎖の初期段階には横一列に並んでいた日向水軍も、運搬船の往来が途切れると、縦一列へと配置を変えている。具体的には、有明海の奥深く、筑後川の河口を目指して一直線状に船列を伸ばしている。

 丸木舟の任務は、寄木船の護衛任務もことながら、交戦前の哨戒に重点を置く。母船を起点に5艘の子船が等間隔で並ぶ様子はアンテナを思わせる。察知した異変を2艘目、3艘目と駅伝式に伝え、指揮官に警報を届ける寸法だ。

 最前線の海域で監視中の小隊が出陣の動きに気付き、舵手が銅鐸どうたくを激しく叩く。障害物の無い海上で打ち鳴らされた音を、メガホンにも似た形状が増幅し、遠方まで響き渡らせる。

――飛んで火に入る夏の虫――

 海賊の本領である夜襲を警戒し、銅鐸を探照灯としても使う積りだったが、彼らは白昼堂々と攻め込んで来た。尚且つ、全船舶が一斉に敵方へと殺到する単純な正面突入の戦法。対する寄木船の甲板では弓箭きゅうせん隊が待ち構え、周囲の5艘は海賊船の突撃に備えている。

 冷静に暗算してみよう。海賊側の陣容は1艘に8人、総勢で400人弱。片や、日向水軍の寄木船には、漕手とは別に、10人前後の射手が乗船している。丸木舟の漕手だって、長櫂オールを仕舞えば、れっきとした弓兵だ。つまり、1人平均5本余りの矢を命中させると、海賊船団は全滅する。

 実際、海賊船の1艘たりとも日向水軍には接舷できず、最初の矢が放たれてから30分強の短時間で雌雄が決する。一方的な展開であったが、殲滅戦の様相は呈しなかった。

『敗残兵が逃げ帰るよう、程々に痛め付けて遣るのじゃ』

 出陣前、シオツチは言い含めていた。彼の狙いは邪馬台城を恐慌に陥らせる事。全滅させては、惨事が伝わらない。


 初戦を圧倒的な勝利で飾った日向軍にとって、有明海戦は陽動に過ぎない。同時期、本体は豊後水道を北上し、激しい潮流の下関海峡を抜け、壱岐島を目指していた。

 10隻の寄木船を中心に、数多あまたの丸木舟が船団を組んでいる。総大将と軍師は勿論の事、対馬島の案内役としてタマヨリも旗艦に乗船している。危機管理の観点から、集落長のウガヤだけは英多あがたに残留した。

 倭韓貿易の中継拠点に過ぎない壱岐島は何ら抵抗せずに陥落する。上陸に先立ち、原辻はらのつじ村に遣わせた密使の説得が平和裡に占拠できた主因であろう。

「長老!。数年前に助けて頂いた者です。幼子を連れた娘を邪馬台に手引きしてくれたでしょ」

「おお。あん時は養う事も出来ず、お主らを追い出したも同然じゃったが、無事にのう・・・・・・。それで今は?」

日向ひむかに身を寄せています」

「後味の悪い為業しわざじゃったが、わしも肩の荷が下りた心地がする。お主も元気そうで何よりじゃ」

「御蔭様で」

「そいで、今日は何用じゃ?」

 タマヨリは「実は斯々かくかく然々しかじか」と事情を話し、「危害を加えないから、歯向かわずに私達を受け入れて」と頼み込んでいた。

 ホノギは、兵士達に束の間の休息を取らせる一方、自らは壱岐島の北端まで視察に赴く。対馬海峡の東水道越しに島影を認めるや、潮風ですら消せぬ大音声の雄叫びを上げる。海賊の本拠地を前に、彼の心は奮い立ち、武者震いが止まなかった。


 強く冷たい季節風が海原の波濤はとうを高く吹き煽る。但し、初冬の空は雲一つ無い晴天。寒気が、空気中の湿度を下げ、水平線の彼方まで視界を良好に保つ。敵の領海に乗り込むには絶好の日和ひよりだった。

「皆の者、イザ出陣ぞ!。我に続けぇ!」

 総大将の号令に興奮したときの声が重なる。総勢700名以上の目が厚剣をいたホノギの雄姿に注がれた。寄木船の舷梯タラップを駆け上がる様は躍動感に溢れ、見る者に勝利を確信させる。続いて、我も我もと後を追う兵士達。砂浜を洗う白波に踏み入った彼らは潮飛沫を派手に飛び散らせた。

 乗船するや定位置に腰を据え、波間に揺れる甲板から長櫂オールを降ろす。日向灘で鍛えた彼らが荒波に動じる事は無い。丸木舟からは小鼓こつづみの音が、寄木船からは太鼓の音が鳴り響く。打楽器の合奏は単一の節奏リズムに収斂し、遂には漕手の息も和音の如く同調し始める。

 一匹の黒龍ドラゴンとなった勇ましい大船団の出撃だ。海原に泡立つ幾筋もの白い航跡。みおなぞる海鳥の群れさえもが声を上げ、彼らを応援しているようであった。


 船団の針路は対馬島の東海岸を北上する道程コースに定められた。そうすれば、絶海に浮かぶ孤島が、左舷から圧する対馬海流を遮り、北西から吹く季節風を防ぐからだ。平易な操船条件は初めて海戦に臨む彼らが重視すべき要素であった。

 北端に位置する和珥津わにつを襲撃し、海賊を炙り出した後は、半時計回りに対馬島を周回する。追い縋る海賊船を引き連れ、浅茅湾へと誘い込む算段である。其処はホオリとトヨタマが自刃した因縁の場所。ホノギとタマヨリは仇討に相応しい決戦の場だと考えていた。

 虐げる事に慣れた愚か者は、背後の山中に逃れず、激高の余り反撃して来ると読んでの作戦だった。


 山地が海中に没する地殻変動の過程で尾根が水面上に褶襞しゅうへきを成す。複雑に入り組んだ海岸線は強風や潮流から船舶を守る防壁と化し、天然の港湾には何艘もの丸木舟が停泊している。夜のとばりの降りた和珥津わにつに動きは無く、波間に揺れる夜光虫が青白い光を放つのみだ。

 波打ち際まで迫る山裾には掘立小屋が獅噛附しがみつく様に点在している。狭い平地が集落の形成を許さず、その密度は岩場に付着する藤壺ふじつぼよりも疎らだ。月光が稜線に遮られ、視界は薄暗い。だから、実態よりも少ない軒数しか視認できていない可能性は残る。侵入に当たっては慎重を期すべきだろう。

 船団は沖合で待機し、5艘の小隊船だけが湾内に漕ぎ進む。長櫂オールを短く持っての静穏航行だ。舵手の膝元には開口部を天頂に逆転させた銅鐸。筒穴を覗き込めば、火のともった木炭が転がっている。懐炉としての使途に非ず、その正体は火矢の松脂まつやにを当てる着火具だ。

 岸壁に最接近した処で、船尾側の漕手2人が立ち上がった。舵手から炎の揺れる矢を受け取ると、弓弦ゆづるを強く引き、茅葺屋根に狙いを定める。海賊艇は敢えて狙わない。息を整え、弓手ゆんでを緩める。解き放った炎光の描く残像は流星群を連想させた。

 初冬の乾燥した空気は非情だ。瞬く間に付火が火事へと変わる。しかし、家屋の散在に阻まれ、類焼沙汰には発展しない。それでも、不審火に驚いた対馬人が屋外へと飛び出し、右往左往し始めた。

 湾内中央から騒ぎを傍観する放火集団。火焔の明かりは頼りなく、凪いだ海面に赤い影を映すのみ。先遣隊の姿は夜陰に隠れたままだ。目論見通り、海賊達は敵襲の可能性に思いが至らない。荒屋あばらやが幾つか焼け落ちた処で痛くも痒くもないのだろう。火事場を傍観する者も多かった。

 愚鈍なる衆人の目を覚まさせないと、特殊任務が単なる焼討ちに堕して仕舞う。停滞局面を打開せんと、腕利きの射手が1本の征矢そやを放つ。文字通り、これが開戦の嚆矢となった。最初の犠牲者は消火活動を采配中の大男。炎火の舞を背景に黒い影がくずおれる。

 呆気に取られた配下の者が一斉に動きを止めた。だが、それも一瞬。射殺と認識した後の反応は、巣を壊された蜂や蟻の群れと変わらない。俄かに騒然となり、犯人を探し始める。

 数十分は経っただろうか。暗い海面上に水軍中隊を発見した1人が「曲者くせものだ!」と叫ぶ。呼応して走り出した男の行先は頭領の居場所に違いない。

 海賊の逆襲を確信した中隊長が本隊への帰投を命じる。


「俺達にあだなすとは生意気な奴だ!。野郎共、取っ捕まえて八つ裂きにしてくれようぞ!」

 いきり立つ頭領が荒くれ者の人集ひとだかりに檄を飛ばす。振り上げた握り拳の列がうねる天幕を成し、雄叫びが木霊する。僅か5艘の来襲と聞き、楽観と慢心で気が大きくなっていた。

 号令一下、一斉に波止場へと移動する。漕ぎ出でる100前後の海賊艇。総勢は邪馬台城に赴いた人数に倍するだろう。800もの短櫂オールが水面を叩く音は耳をつんざく程に激しく、波間に土砂降りの如き波紋を刻む。

 一方の日向水軍は、寄木船の前面に丸木舟の防衛線を敷き、身構えていた。全船が銅鐸の探照灯を点け、水平線に目を凝らしている。その光源は、烏賊いか釣り漁法と同様、海賊達を誘き寄せもした。力任せに漕ぎ進める船団の接近は、索敵するに及ばず、五月蝿い程の水音で容易に知れた。

 作戦が再開される。指揮船の打ち鳴らす銅鑼どらを合図に、寄木船は太鼓を、丸木舟の舵手は小鼓を叩き始める。統率の取れた長櫂オールの動き。追い縋る船団との距離は直ぐに開く。月夜に浮かぶ船影が遠くなれば、船速を落とす。10隻の寄木船だけは銅鐸の光を後方に放ち続けている。

 手加減された競漕だとも知らず、無我夢中で後を追い、捕捉を試みる海賊達。追跡劇の決着を見ぬまま、両者とも対馬島の西岸を只管ひたすらに南下する。打音の数が時を刻む内に夜は更け、やがて東の空が白み始めた。

 浅茅湾の入江を遠目に認めた水軍は、船速を上げ、後続集団を引き離しに掛かる。湾内に布陣する時間を稼ぐのだ。頭領は敵方の動きを「逃げ込んだ」と解釈した。周囲に大声を張り上げ、疲れ切った男達を叱咤する。

 ところが、入江先端部の岩礁を回り込むと、流石さすがに違和感を覚えたようだ。無理もない。眼前には、舷側をさらして数珠繋じゅずつなぎに並ぶ寄木船の列。さながら海面に佇立する城壁のよう。手前には丸木舟の船隊が構えている。その威圧感は相当なものだ。

 改めて眺めるに、戦力は互角だろう。片手を挙げ、全船停止を命じる。野蛮や横暴だけが取得ではない。用心深さも兼ね備えている。この時点の彼は有明海での惨敗を知らない。不穏な空気を察する嗅覚が鋭敏だったと言えよう。

――まずは探りを入れてみるべきか・・・・・・?

 周囲に浮かぶ3艘に接近を命じる。下命された方は慎重な差配に不安を感じたようだ。後ろ髪を引かれた乗員達が何度も振り返る。残りの者は皆、固唾を飲んで突撃船の帰趨を見守っている。

『敵もるもの。罠に掛からぬようですな』

 シオツチの口許は微妙に緩んでいる。武人らしく、一筋縄では行かぬ展開を楽しんでいるようだ。弓矢の射程距離を見極めんとする意図を見透かしての反応だ。

『余興です。奴らの肝魂きもったまを試してやりましょう』と、一矢いっしも射させない。

 不気味な静けさの中、突撃船の短櫂オールを漕ぐ手が間延びする。船速が落ちても、彼我の距離は着実に縮まる。弓を引く水手かこの冷徹な表情を間近に認めると、生きた心地がしない。

 布陣内で漂う海賊達に発せられた「飛び込め」との命令。否でも応でも無い。冷厳な威圧力に呑まれた彼らは屁っ放り腰で身を投げる。しばらくは波間に漂っていたが、踏切ふんぎるように岸辺へと泳ぎ始める。我が身こそが大事と刹那に生きる者に敢闘は期待できない。戦線離脱は自明の流れだろう。

 身勝手な手下に対し「飼い犬に裏切られた」と理不尽な怒りをつける横暴者は多い。腹立たしさに散々髪さんばらかみを掻き毟る頭領も例外ではない。但し、冷静な判断力までは失わない。危うきに近付かず、とばかりに指示を出し直す。

「俺は弩弓ヌゴンを手に戻って来る。それまでは戦端を開かず、のらりくらりと対峙だけしておけ」

 

 波の穏やかな内海に陣取れば、弓兵も狙いを定め易い。自軍に有利な戦場を選んだシオツチだったが、睨み合いの続く事態は望まない。糧秣の限られる日向水軍にとって持久戦は不利。ホノギに戦術変更を進言する。

『兵に昼飯を食わせたら、撃って出ますぞ』

 寄木船の船列は崩さず、米穀こめ土師器はじきを積んだ丸木舟を何艘も浜辺に向かわせた。『これ見よがしに炊飯の煙を立てよ』との命令通り、兵士達は乾燥した流木から白煙を空に棚引かせる。現実には届かぬも、炊上げの芳醇な香りが海上まで漂い出るのでは?――との錯覚を見る者に催させた。

 煙勢の衰えと共に飯盒はんごうを取り出すと、海水に濡れた手で握飯を丸める。仲間の分もこしらえて漕ぎ戻ると、待機中の僚船に配給して回る。その様子を海賊達は指を咥えて見守るしかない。

「腹が減ったなあ」

 昨夜から何も食べてない。夜通し漕いだ所為せい眩暈めまいがしそうだ。飲水すら積んでおらず、喉も干上がっている。海水で炊いた握飯は、幾ら塩っぱかろうが、疲れた身体には何よりの御馳走だ。空想しただけで唾が出る。

御頭おかしらが戻るまで、俺達ゃ何も出来ないんだろう?」

 グウと鳴る空きっ腹を擦りながら、羨望の眼差しで洋上の配給活動を眺めていた。歴然とした待遇格差を前に嘆息の大合唱が波間を漂う。士気の低下は著しく、戦意喪失と言っても構わないだろう。

 一方、日向水軍の兵士は、腹拵えも済ませ、意気軒昂である。計算通りに生じた歴然たる戦意の格差。戦力の拮抗した敵を打ち負かす決定的な勝因だ。満を持した甲斐が有ったと言うもの。進撃の機は熟したのだ。銅鑼どらの甲高い告知音が海原の波間を響き走る。

 太鼓の連打を合図に、鶴翼に広がった丸木舟の隊列がおもむろに前進する。白い水飛沫の列は一糸乱れず、小鼓こつづみの奏でる打音の調律ハーモニーに同調している。一漕ぎ毎に船速は速まり、獲物の群れに集団で襲い掛かる動きは山狼おおかみの其れを思わせた。

 同じ丸木舟といえども、水軍と海賊とでは仕様が違う。最も大きな相違は舵の有無。舵板の両面から伸びた麻紐を水軍舵手は左右の腕に結び、小鼓を打つ傍ら、進路を調整する。つまり、操舵性に優れ、小回りが利く。

 加えて、舵板は横方向からの水流に揺れる船体を安定させる。更には、V字型の尖底中央軸が船首の裂け切った海水を滑らかに流し去る。どんな操船をしようが、船体の安定性は盤石だ。

 対する海賊の丸木舟には舵が無く、舵手も居ない。だから、乗員数は偶数の8人である。全員が前方を向き、自主判断で短櫂オールを漕ぐ。その結果、乗員間で進路の意思統一を図れず、漕力に無駄が生じる。

 舵手の指示に合わせ、後ろ向きの全漕手が一心不乱に漕ぐ日向艇と比べると、機動力の劣位は歴然としている。しかも、陣頭指揮すべき者を欠いては足並みも揃わない。あれよあれよと言う間に彼我の距離が詰まった。

 射程範囲に入るや、漕手が長櫂オールを弓矢に持ち替える。厚剣こうけんしか持たぬ海賊側は一方的に撃たれるのみ。海面に響き渡る阿鼻叫喚。直ぐに船陣が崩れ始めた。敗走の転舵に不捗もたつく間に日向勢が包囲網を完成させ、彼らの逃げ場を奪う。

 戦闘行為と言うよりも狩猟に近い展開。それでも相当に手加減していた。何故なら、ホノギが頭領との一騎打ちを望んでいたからだ。雑魚風情の者は容赦無く射的となるも、不遜な面構えの者は生け捕り対象だと厳命されている。


 同刻、頭領は漕手を急かし、和珥津わにつを目指していた。同胞救出は時間との勝負。だからこそ、漕手達も痙攣する腕を無理に動かし続けたのだ。ところが、本拠地に戻った頭領の第一声は、誰もが想定外の「銭を積め!」。当然ながら、配下の者は混乱する。

御頭おかしら弩弓ヌゴンじゃないんですかい?」

「馬鹿野郎!。あんなの相手じゃ勝ち目は無えっ」

「仲間は?」

ぇ、死にてぇのか?」

 身の危険を感じて居竦いすくまる男。頭領に凄まれては首を激しく振るしかない。

「だったら、港に残った船に財宝を積めるだけ積むんだ」

 眼前に停泊中の双胴船を指差す。指示してから少しだけ思い直す頭領。

弩弓ヌゴンも積んどけ。全てだぞ」

「やっぱり戻るんで?」

「邪馬台への手土産にすんのよ。彼処あそこにゃ唸る程に銅銭が有るからな。別のもんじゃなきゃ、転がり込めんだろう」

 自分が招かれざる者だとは自覚している。邪馬台城には無くて、自分が所有している物。それは大陸で使用される最新兵器だろう。対馬海賊の半数を傭兵として抱え込むくらいなのだ。外敵に怯えているとは容易に想像できる。

「女は如何どうします?。御頭とねんごろの娘は?」

 昨夜のしとねで苛め抜いた柔肌を思い出す。啜り泣きが嬌声に変わる盛時さかりどきを放火騒ぎに邪魔されたのだった。未だ飽き足りてはいないが、邪馬台の地でも戯女たわれめは手に入る。何事も命あっての物種だ。

「捨て置け。邪魔になるだけだ」

 浅茅湾の海戦で雌雄を決したら、日向水軍は直ちに殺到して来るに違いない。船積に許される猶予は限られる。味方を犠牲にして稼いだ貴重な時間だ。無駄には出来ない。そう考えた頭領は、自らも額に汗して積荷を担ぐのだった。

 その慌ただしい作業を女子供が遠巻きに眺めている。見捨てられる境遇を嘆く者は皆無。何も知らされていないからだ。もっとも、考え様に依っては「海賊から解放される」と言うべきなのだろう。

 晩秋の空が茜色に染まる時刻は早く、朝鮮半島からの季節風が大気を冷やす。勢いを増した寒風が波高を荒立てる中、5隻の双胴船が満載状態で帆布はんぷを張った。

 彼らは島の東側を時計回りに南下して九州を目指す。北西からの強い風が逃走には好都合。復讐に燃える追撃部隊は、和珥津わにつまでの最短距離を採るだろうから、西の沿岸を北上する可能性が高い。

 念の為、陣後に待機させていた残余者も引き連れ、護衛の数を増やす。随伴する何艘もの丸木舟は大魚の陰に群れる小魚の如し。大勢の船舶が寄り集まる事で、頭領はようやく傲岸不遜な態度を取り戻せたのだった。


 ホノギ達が海戦に終止符を打ったのと、海賊達の出帆とは概ね同時刻。数時間に過ぎぬ短い合戦だったが、如何せん、戦端を開いた時刻が昼過ぎだ。捕虜が頭領の不在を白状した時には、既に夕陽の残照が長閑な海原に乱反射し始めていた。

――逃がしてなるものか!

 戦い疲れた兵を休ませもせず、和珥津わにつへの進軍を命じるホノギ。総大将の気迫が船団全体に伝わり、漕手達は体力を振り絞って四肢を屈伸させ続ける。だが、その焦燥が裏目に出る。

 両船団は、島を挟んで180度、時計回りに移動し合う事となった。頭領の予想した展開だ。仮定の話をしても詮無いが、夕餉の支度を命じて浅茅湾に留まっていれば、異なる未来を迎えただろう。対馬島の南端で包囲網を敷き直す作戦に合理性が生まれ、逃走者を一網打尽に捕えた可能性が高い。

 ホノギは地団太を踏んだが、後の祭りだった。夜更けに港入りした水軍は疲労困憊。再出動する余力が残っていない。強引に追跡を試みても、絶対に追い着けない。

 下手な慰めは無意味と判じたシオツチは、タマヨリの案内で港湾周辺の探索に専念する。晩食の準備を指示する傍ら、捕虜の禁固、放棄民の慰撫を粛々と進める。武器庫や食糧庫の検分も怠らない。一通りの視察を終えて戻る頃には、ホノギも平常心を取り戻していた。

『頭領を取り逃がした事は残念でしたな』

「卑怯者が一騎打ちに応じると考えたおれが甘かったのだ」

 鬱憤と慙愧ざんき。無念に消沈するのも已むを得まい。総大将の意識転換も軍師の務めだ。

『ホノギ様。我々は対馬海賊を討伐しました。戦死者も出さず、華々しい戦勝ですぞ』

 残念ながら、慰めの言葉は心に響かない。頭領を逃せば、画竜点睛を欠くと言うものだ。

『今暫くの時間を頂けるなら、挽回策を講じますが・・・・・・?』

「海賊退治のか?」と身を乗り出すホノギ。諦めずに済むぞ、と期待は高まるばかり。シオツチの次なる戦術は兵糧攻めと離間の計の合せ技だった。

『頭領に忠誠を誓う者は対馬にらぬようです。苦労に報いないのですから、当然でしょう』

「だから?」

『我が方にけと、転向を迫ります』

「仲間に引き入れて――、如何どうする?」

『ホノギ様。戦う目的を憶えていらっしゃいますか?』

「目的?」

『左様。海賊征伐も目的の一つですが、本当の敵は邪馬台でありましょう?』

「如何にも」

対馬人つしまびとつかこなし、邪馬台と韓半島の交易を絶ちます。それこそが此度の戦果、今後の布石です』

 倭韓貿易の航路を熟知する海賊を実働部隊に起用すれば、鬼に金棒。朝鮮半島から鉄餅てっぺいが供給されねば、邪馬台国の経済圏は大きな悪影響ダメージを被る。有明海の封鎖は、陸路での代替が可能であり、輸送効率を損なうだけ。今回の海峡封鎖は次元が違う。

「確かに困るだろうが、その程度で奴らが音を上げるものなのか?」

『必ずや』

 笑みを浮かべた得意顔したりがおで、その根拠を説く。

『交易とは冷酷なもので、長く途切れると、取引先から離縁されます。半年も経たぬ内に、邪馬台は浮足立つでしょう』

「その後の段取りは?」

『頭領の身柄を差し出せば、封鎖を解く。そう通告すれば良いのです』

此方こちらの要求を飲めば、あきないを再開させるのか?」

『彼らは差し出せません。頭領の口から自身の悪行が漏れますからな』

「つまり、八方塞り?」

 目尻の皺を深め、軍師が意地悪い笑顔を浮かべる。冷たい瞳の奥に秘めた周到さを認め、ホノギは呵呵大笑する。余りの急変振りに、タマヨリは目を白黒させるばかりだ。

『まずは敵方の体力を削ぎ、城を攻め立てて一網打尽に成敗します』

「それは頼もしい。その間、日向ひむかで英気を養うとするか」

 故郷から遠く離れた地での越冬生活は辛い。激戦を避けられたとは言え、兵士に過労を強いたのも事実。南国の優しい気候の下、心身を癒やすべき局面だろう。

『それが宜しいかと。引潮時をわきまえるべきです』

「分かった。それでは全軍に告ぐ。船出を準備せよ。家族の元に帰るとしよう」

 総大将の言葉にタマヨリの頬が緩む。もはや天涯孤独の身ではない。従軍中の世話を乳母うばに託していたが、愛する長男に自分の乳を含ませてやりたかった。また、ウガヤの顔を思い浮かべれば、甘えたいとの女心もくすぐられる。そうして、帰るべき家庭の有難味ありがたみを噛み締めるのだった。

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