第26話 忌むべき者の運命

 保護を求める身なれど、頭領は居丈高に入城して来た。対馬海賊は邪馬台にとって影の実働部隊。平たく言えば、同盟者だ。彼の従えた100余名の手勢は有明海戦の損耗を補充する。

 加えて、持参した銅銭は富の象徴。籾米と交換して贅沢三昧に暮らすはずだったが、彼の目論見は大きく外れる。銅銭の換米を迫った後、何処に保管するのか?

 そう、城内の穀物庫なのだ。つまり、名義が変われど、籾米は一粒たりとも動かない。何かを仕入れたり、誰かを使役するなら、その見返りとして重宝しよう。でも、居候の身では主体的に動きようが無い。正に〝宝の持ち腐れ〟である。

 有名無実な存在と化した米俵の山を呆然と眺める頭領。棚卸や資産管理の概念は無く、いずれ他の籾米と同化するに違いない。狸が狐に莫迦されたも同然。オモイカネを脅した積りが、その実態は体良く身包みを剥されたに等しい。

 弩弓の方は、頭領の心算通り、ミカヅチが関心を寄せた。但し、武術に秀でた者として、その難点を正確無比に言い当てる。

「遠くを射抜く威力は認めるが、重過ぎる。堅固な土台に安置せねば、狙いを定め難いだろう。陸戦なら未だしも、波間に揺れる海戦では無用の長物だ」

 日向水軍の射程を凌駕する武器が有れば、有利に戦える。頭領は反攻を声高に唱えたものの、ミカヅチは対馬島の奪還を早々に断念した。活躍の機会を失った舶来兵器は邪馬台城の防御用に接収される。皮肉な顛末に忸怩じくじたる思いを抱こうと、敗残者は受け入れるしかない。


 亡命先での境遇に不満を抱き、悶々と毎日を過ごす昔日せきじつ梟雄きょうゆう。日向勢が海上封鎖を質草しちぐさに自分の身柄を要求中と知ってからは、特に居心地が悪い。邪馬台が裏切るやもしれず、緊張ストレスは高じる一方だ。

 対馬島では、絶対権力者として君臨し、女を始めとする戦利品を独占。配下の男達を顎で使っていたのだ。ところが、今は軍事訓練に参加する一兵卒の身に堕している。300人弱の手下と同列扱いだ。彼の自尊心と名誉欲は著しく害されていた。

「おい!、ぇら。対馬島に帰るぞ。こんな面白くもない場所に留まれるかっ!」

 鬱憤を堪え切れずに癇癪を起す頭領。激高した理由が周囲の海賊達には理解できない。

御頭おかしら。何が面白くないんで?。此処はアッシらには初めての極楽でさあ」

「馬鹿野郎!。ミカヅチみたいな余所者に顎で使われて、悔しくないのか?」

 誰が指図しようと関係無い。ミカヅチは無理難題を言わないし、邪馬台城での待遇にも満足している。だから、誰も訴えに首肯せず、白けた表情で見返すのみだ。

「此処が気に入った奴は好きに残れ。だがな、俺は帰るぞ!」

 駄々子だだっこの反応と変わらない。人望の厚い統率者ならば、暴言を吐いた時にいさめる者が現れるだろう。ところが、誰一人として忠義心を持ち合わせていない。皆、一様に冷淡な雰囲気を漂わせている。何人かの双眸には憎悪と敵愾心てきがいしんすら浮かび始めていた。

「明朝、対馬に帰るから、一緒に帰りたい奴は従え!」

 最後の威厳を保つ為の捨て台詞ぜりふ。男達に背を向け、寝床へと姿を消す。かつてなら肩を怒らせて歩く様が周囲を威圧するに十分な仕草だった。

 ところが今や、畏怖の念を抱く者は皆無、完全に神通力を失っている。男達は、興醒めした時間を取り返そうと馬鹿騒ぎを再開し、三々五々に奴婢棟へと消えて行った。


 結局、「故地に凱旋するぞ」との宣言に続く者は、おもねり癖の染み付いた側近に限られた。対馬海賊の大半は残留の意思を示す。日向勢が占拠する対馬島に少数で乗り込むなんて気違い沙汰だ。「耄碌もうろくしたな」と、頭領を見限る風が濃厚だったと言える。

 ミカヅチの視座で俯瞰してみよう。海賊を城内に呼び入れてからと言うもの、オモイカネの増長振りが著しい。端的に言えば、卑弥呼をないがしろにする言動が目に余るようになっていた。荷車の両輪は大きさを揃えるべし。権力均衡パワーバランスこそが集団指導体制の要諦である。

 だから、失地挽回の機を窺うミカヅチにとっても、分別を失くした頭領の帰還騒ぎは好都合だった。統制を乱す者の排除と言う大義名分が成立する。邪馬台軍の主導権を取り戻し、軍紀教育を施す良い機会でもある。

御頭おかしらよ。今日も対馬島に帰ると言い張るのか?」

「帰ると決めたら、俺は帰る」

「御前も邪馬台に雇われた1人だぞ」

「雇われた憶えは無い。手土産に弩弓ヌゴンだって持って来た」

「飾り物で只飯を喰らおうとは図々しい奴だ」

 元々、若造の風下には立たん!――と苦々しく思っていただけに、憤怒の表情を一層赤くさせるに十分な言草だ。堪忍袋の緒を切らせ、「何だとお!」と濁声を張り上げた。

中守なかもり戦人いくさびとに加わったからには上役の指図には従え」

「俺は海賊だ、海賊の首長おびとだ!」

「いいや。現人神あらひとがみ)に従うべき戦人《いくさびとに過ぎん」

 ミカヅチは腰に佩いた厚剣を高々と掲げ、鋭利な先端に陽光を反射させた。相手は無頼者。黙らせるよりも、(素手では何も出来まい)と嘲る積りのようだ。

「それに、許し無く持ち場を離れる者は死罪だぞ」

「言うに事欠いて、奴男やっとこ扱いかっ!」

 僅かながら同調者も現れ、さながら抗議活動の様相を呈する。挑発した方は、獅子身中の虫を炙り出す好機とばかりに、内心で北叟笑ほくそえむ。殴り掛かろうと踏み出した狼藉者を指差し、「此奴こやつらを捕えよ!」と命令した。

 城兵達が機敏に動くと、取り囲まれた方は大声を上げて恫喝する。頭領側は人数で劣るものの、肌に刻んだ入墨の威嚇が効を奏していた。双方とも(気圧されてはならぬ)と、一触即発の睨み合いが続く。

「おい!、御前らの忠誠心を示す好機だぞ。御頭おかしらを捕えよ!」

 意表を突かれた踏み絵の強要だった。誰しも心の準備が出来ていない。遠巻きに眺めていた男達が互いに顔を見合わせる。多少は躊躇するようだ。

「海賊から足を洗い、城に残りたいならば、其奴そいつを差し出せ!」

 ミカヅチの念押しに背中を押され、中隊長格の数人が列から進み出た。残りの者も無言で後に続き、人垣の輪を縮める。600脚の足裏が地面を擦る音。同調シンクロした擦過音の不気味な迫力。

「お、ぇら!。お、俺を裏切るのか!。ひっ、寄るな、近寄るな~!」

 悲鳴が混じっては強権者の神通力も霧消する。虚勢すら剥がれた声音が逆に暴挙を誘う。男達は激しく殴り、蹴り始めた。積年の恨みを晴らしているのか、単なる弱者暴虐なのか。ミカヅチには判然としなかった。

 対馬海賊は、この件を境に、無頼ぶらいの徒から傭兵へと脱皮する。過去の統率者を自ら排除した事で、或る種の呪縛から解き放たれたのだろう。邪馬台の兵にも素直に従い始め、統制の行き届いた集団へと生まれ変わる。但し、奴婢棟での乱行だけは変わらなかった。


 ミカヅチは、自ら誘発した集団暴行であっても、撲殺に至らぬよう慎重に制御していた。末蘆人まつろびとから「ホノギが自身の手で誅殺したがっている」と聞き及んでいたからだ。息も絶え々々の頭領らを捕縛させ、宮殿へと連行する。

――倭韓貿易の途絶は看過できない。庶民の暮らしを守る為、生贄いけにえとして差し出そう――

 現人神あらひとがみ3人で既に相談済みの方針ではあったが、出迎えた卑弥呼の表情は強張り、土気色に蒼褪あおざめている。殺されると知っての身柄引渡しだ。どう言い繕っても非人道的行為には変わりない。急展開への狼狽も一因だろう。

 だが、彼女には統治者としての責任がある。日向勢との交渉材料が揃い、交易封鎖の解決に光明が差す展開は確かに朗報だ。諸事万端の悩み事が一掃されると思えば、心も軽くなる。事実、表情の深層に何処か安堵の柔和さが窺えた。

 彼女の気持ちは以心伝心でミカヅチも共有する処だ。ところが、厄介払いに気を緩めていた彼に新たな指示が発せられる。

其奴そやつの息の根を貫き、止めを刺せ」

――武臣の自分でさえ無用の殺生を避けるのに、何故・・・・・・?

 皆目見当が付かない。卑弥呼も驚きを禁じ得ないようだ。(いずれ殺されるのだから、われらの手を汚さずとも・・・・・・)と、困惑顔である。

 フンと小鼻を鳴らし、見下した風で同僚に講釈を垂れるオモイカネ。

「海賊の裏に邪馬台あり、とホノギ殿に知れたら?」

「口封じですか?」

「如何にも。所詮は殺される運命、早いか遅いかの違いに過ぎん」

「しかし、日向ひむかは生きたままの引渡しを求めています。殺しては元も子もありませぬぞ」

日向ひむかとの間にわだかまりが残るであろうな」

「では、何故?」

「優先順位の問題だ。我らの暗躍は絶対に秘めねばならん」

 依然としてミカヅチは釈然としない。死体を送って真相を胡麻化す事が、果たして問題解決に資するのだろうか?

「色々と難癖を付けられるだろうが、わしには言い負かすすべが有る」

 空手形の色彩が濃いとは本人も自覚しているようだ。しきりに「仇討ちの事実は残る」と強弁する。意固地な発言は、聞き手の反発を招き、疑念の火に油を注ぐ結果となった。

 納得しない点は卑弥呼も同様だったが、彼女の疑問はミカヅチとは異なる。オモイカネの主張を理屈の上では理解するも、人間の生命を単なる道具としか見做さぬ冷酷さにいて行けない。

「この宮殿みやどので無抵抗の者をあやめるのですか!?」

 広間に詰問調の声が響く。温和おとなしく自制してはれぬ、と抗議に及ぶ事が増え始めていた。しかし、彼女に臆するオモイカネではない。明ら様に嘆息を吐き、軟弱な心構えをなじり始める。

「我がきみ。貴女には責任が有るのです。城民が恙無つつがなく暮らせるよう、最善を尽くすと言う責任が。時として非情に徹して頂かなくては困ります」

 為政者として甘いと指弾されても、邪馬台城の拠って立つ理念とは相容れない。そう言い返したいが、代替案を示せねば、単なる感情論だと一蹴されるだろう。口元を震わせるのみで、二の句を継げない。

 動揺、怒り、恐れ、喪失感、様々な感情が相克する。血の気が引き、顔面蒼白となった。過呼吸を思わせる過敏な反応。懸念を覚えたミカヅチがにじり寄り、彼女の肩を支える。耳元で「奥で休まれよ」と囁き、隅に控えた宗女に介抱を託す。

 残された2人の間で決定権を握る者はオモイカネ。れど、女王の心情を斟酌し、抵抗を試みるのは武臣の務めだろう。常時いつもは途中で主張を取り下げるのに、今回は凄んだ声音で物言いを付ける。

「口を利けぬ状態ならば、殺さずに引渡しても構いませんな?」

 不意を突かれて眉根を寄せるオモイカネ。選択の余地は無いと断じて〝死人に口無し〟との結論を出した。もし相矛盾する条件を両立させる方策が有るならば、是非とも聞いてみたいものだ。(妙案が有るのか?)と、好奇心に駆られた眼差しで先を促す。

「舌を切り落としては如何どうです?」

 知恵者と自負する彼も今回ばかりは瞠目した。文字の無い時代。伝達手段は口述に限られる。地面に絵図面を描いたにしても、黒幕の告発には至らない。体技だけが取柄とりえの男だと侮っていたが、今回ばかりは天晴あっぱれの発想である。

 少なくとも表面上は日向の意向に沿う。こうして頭領の運命は定まった。後日、卑弥呼だけは(自分の発言が更に過酷な処分を男に課した)と嘆くのだが、全ては後の祭りだった。


 翌日、頭領は鍛冶工房まで拘引された。上半身を麻縄で雁字搦がんじがらめにされ、視界は目隠しで封じられている。自由を保つ部位は両足と口元だけ。罵詈雑言を喚き散らしていたが、処罰の内容を知る者は(最後に紡ぐ言葉なのだから・・・・・・)と聞き流していた。但し、手綱を引く手だけは容赦無い。

 視野を塞がれ、何度も転ぶ。それを長槍で突き回して引き立てる。加熱炉の近くまで来ると、気温の上昇に面食らったようだ。視界を奪われようが、キョロキョロとこうべを回さずには居られない。

 ひざまずかせられた時には、自分の身に良からぬ事が起こると察知したのだろう。窮地から逃れようと必死に身悶えする。残念ながら、大体躯の兵士に両脇を抑えられ、その願いは叶わない。糞尿を垂れ流したのが、せめてもの抵抗と言うべきか。

 左右を囲む3人目と4人目の兵士が節榑立ふしくれだった両手で受刑者の頭蓋を固定する。前面に控えた5人目が麻紐を下顎に掛けて抉じ開け、6人目が金鋏かなばさみで舌を引き摺り出す。全員の目が蠢動する赤い肉塊に釘付けとなった。

れっ」

 7人目が鋭利な小刀を根底に当て、一気に薙いで後ろに下がる。房内に響き渡る断末魔の絶叫。だが、長くは続かない。口腔内の血の池に噴き上がる泡と消え、ゴボゴボとくぐもった音を立てる。猶も迸る鮮血。その返り血を浴びながら、8人目が灼熱に輝く火棒を口に突っ込む。火傷よりも止血。

 生臭さに肉の焦げる異臭が上塗りされる。裂痛が熱痛に変わっても、堪え難い激痛である事には変わりない。大量に分泌されたアドレナリンが重度の心拍異常を誘発し、脳幹が全ての知覚情報を遮断する。それが唯一の自己防衛法だった。気絶した者の身体は軸を失い、拘束を解かれると同時にくずおれる。

 一部始終を監督したミカヅチは、自分の発案が残酷に過ぎたと悔い、後味の悪さを禁じ得なかった。


 頭領の身柄を届ける任には、数名の護衛兵を伴ったオモイカネが当った。彼以外に交易再開の交渉役を果たせないからである。

 玉砂利を敷き詰めた愛宕あたご屋敷の庭に転がされ、奇声を上げる虜囚。言葉のみならず、人間の尊厳をも奪われては、生け捕られた野獣と何ら変わらない。否。上半身を封印する麻縄は一度も解かれておらず、彼の動作はさながら巨大な芋虫を思わせる。

 無様な醜態を接客用の広間から見下ろすオモイカネ。過去に共謀の仲間であったとしても、現在価値を失った者は平気で切り捨てる。捨駒に向ける視線は冷たく、冷血漢と陰口される男に相応しい。

 対照的に、ホノギ、シオツチ、ウガヤの胸中は憎悪と異なる感情で乱されていた。3人の表情は苦虫を噛み潰したよう。無表情を装うタマヨリだけはチラリと流す横目に憐憫の情を宿している。

日向ひむかの要請に応じ、罪人つみびとを引き渡しましたぞ」

 わざと大声で宣言する辺りが、対座するホノギの神経を逆なでする。

――正に蜥蜴とかげの尻尾切り。いけ好かない奴と思っていたが、此処までとは・・・・・・。

 反発を覚えるものの、「御苦労」としか言えない。

「邪馬台城は盟約の務めを果たしました。付きましては、あきないを再開させて頂きます」

 拒否して鼻を明かしたいが、大義名分が無い。振り上げた拳の行場を探しあぐね、シオツチの方を盗み見るホノギ。此処は軍師の助言を仰ぎたい場面だ。

 意を汲んだシオツチがタマヨリを呼び寄せ、小声で耳打ちする。小さく頷いた彼女は縁側から庭に降り、父親の間近でひざまずく。

糞親父くそおやじ、私の顔を覚えている?」

 せわしなく揺れ動いていた狂人の瞳が一点に定まる。問い質した娘に目を凝らし、眉間に皺を寄せるも、思い出せた風が無い。音声に反応しただけなのか。それとも、発狂した精神が認識できずに居るのだろうか。

 タマヨリは、自己を否定されたようで、腹立たしくなった。同時に、可哀想だと哀れんだ事を悔やみもした。

「娘を忘れたの!?。まさか私が娘だと知りもしなかったの!」

 思わず上げた金切声が頭領の心に届いたようだ。目を見開き、尻込みする。碌な真似をしなかった、と自覚しているのだろう。見守っていたシオツチが『正気を保っているな』と呟く。そして、『教えた通りに尋問せよ』と命じた。

「姉さんを殺したのは、邪馬台の差し金だったの?」

 言葉で説明できなくても、首を振る事で是否の伝達は可能だ。だから、「誰の差し金か?」とは問わない。娘の質問に愚父の頭が激しく上下し、オモイカネの口角が歪んだ。並みの者ならば、此処で馬脚を現すものだが、或る意味、彼の肝は据わっている。

「姉さんとは誰です?」

「タマヨリ姉さんよ!」

「ほうっ。この男は貴女方あなたがたが姉妹だと知っているのですか?」

 それは頭領も知らない事実だ。売り言葉に買い言葉で「だったら、韓人(からびと)の女」と言い換えるも、既にはぐらかしの術中に嵌っている。

其奴そやつは何人もの韓人からびとあやめた悪党です。誰の事を指して頷いているのやら?」

 被害者が同一人物だと証明できねば、追及は不発に終わる。邪馬台の使嗾しそうを突いても、「処断を頼んだ対象は日向と無関係の犯罪者だ」としらを切るだろう。

の者は命乞いに必死なのです。誰彼構わず責任をなすり着けるでしょうよ」

 平顔を取り戻し、いけしゃあしゃあと言い放つ。4人共が(白々しい)と内心で唾棄したが、反論できずに黙り込む。明敏な軍師も詰めの一手を思い付かないようだ。

「仇討ちを段取ったのですから、末蘆人まつろびとの邪魔をせぬよう、宜しく御願いします」

 沈黙に御満悦のオモイカネが揚々と立ち上がる。そして、長居は無用とばかりに屋敷を辞去したのだった。


「胸糞の悪い結末だ!」

 客人を見送る事もせず、ホノギが吐き捨てた。

「馬鹿にするにも程がある。裏で糸を引いた事を知らぬとでも思っているのか!?」

『敵方に侮られる状況は油断に付け入る好機と捉えなされ』

おれは腹の虫が治まらんのだ!」

 彼に限らず、全員が怒り心頭。激情を口に出すか否かの違いに過ぎない。

「奴らのあきないを邪魔し続けたいが、抜け道は無いものか?」

『そんな発想をしては駄目です』

「何故?」

『国家の約束をたがえてはなりませんぞ。外交が崩壊するのみならず、民衆の支持を失います』

「引き下がれと言うのか!」

『御意』

 うやうやしく頭を垂れる軍師の背中に憤怒の眼差しを注ぐホノギ。お門違いと承知しつつも、激情の矛先を探さずには居られない。

「畜生っ!」

 握り締めた両手を横一杯に広げ、有らん限りの声量を張り上げた。傍らに座るウガヤも両の拳を固く結んでいる。トヨタマだけは複雑な心境で父親の姿を眺めていた。

 いとしき母を冷遇し続け、最後は死に追い遣った無頼ぶらいの男。憎悪の対象でしかなかったのに、気を許すと家族の情が湧き兼ねない。虐待を受けても生き永らえている姿に心が緩む。半面、そんな自分に戸惑ってもいた。

『残念ながら、一旦は諦めましょう』

「攻略の大義名分は他に無いのか?」 

『左様。新たな仕込みには歳月を要するでしょう』

 行き詰まりを理解し、大きく肩を落とすホノギ。覇気を失う処か、放心する姿は魂の抜殻を思わせた。気分転換を図らねば――と、軍師が第2の本題に言及する。

彼奴あやつの処刑は此の場で?。それとも、日を改めて?』

 タマヨリの喉が震え、通訳の言葉が途切れ勝ちとなる。ウガヤが顔を上げ、ホノギも胡乱な目を庭先に流した。夫の瞳には妻の、義父の瞳には仇の姿が映っている。鎮座した男達は微動だにしない。丸で彫像と化したような有様だ。

 屋敷周辺の林に休む鳥は鳴りを潜め、淡い冬の青空を薄雲が静かに流れている。麓の生活音も山頂には届かず、仙人郷の如き空間が出現していた。しばしの間、時が止まる。以前なら率先して対決したであろう誰もが、眼前の課題から目を背けたがっていた。

 葛藤に耐え切れなくなったタマヨリが叩頭し、「御義父様!」と声を張り上げる。

「どうか、糞親爺を御助け下さい。生命を絶つ事だけは御容赦を・・・・・・」

 知者不惑の即断を常とするホノギも嫁の反応に気圧されたようだ。その数十秒が状況を大きく変える事となった。大声で呵々大笑するシオツチ。軍師の狂態に驚き、呆気に取られるホノギとウガヤ。

『妙案を思い付きましたぞ!』

 恨み骨髄の虜囚を放免し、対馬に帰島させるのだ。日向軍が撤兵しても、出戻った彼が海上を封鎖し続ける。公約順守と制裁継続を両立させる筋書きだ。邪馬台城の面々は歯軋りして悔しがるだろう。〝情けは人の為ならず〟である。

罪人つみびとを取り逃したからと言って、使われた刃物に八つ当たりするのは見当違いです」

 ウガヤも父親に叛意を促す。肝心のホノギ自身、今や処刑に拘泥してはいない。舌を抜かれ、十分な罰を与えられている。ただ、数ヶ月前の海戦を思い起こし、踏ん切りが付かなかっただけである。

『小事には目を瞑り、大事を成し遂げましょう。総大将の資質が問われますぞ』

 最後は息子の発した「父上」との掛声が効く。肩越しに伝わる手の温もりにも背中を押されたようだ。

「分かった。真の仇は邪馬台城。彼らをこそ憎むべきだ」

 涙で玉砂利を濡らす娘の横で、愚父が戸惑いの表情を浮かべていた。


 長い事、頭領は対馬島の手下から「御頭おかしら」と呼ばれた。歳を重ねるに従い、先輩格の島民も鬼籍に入る。本名を知る者は既に居らず、と言って、今さら舌を抜かれた者に問うても無意味だ。一方、日向集落で暮らすなら「御頭」以外の呼名が要る。周囲の者は、大して考えもせず、ムクチと命名した。

 嫁と血縁関係に有り、改名して生まれ変わったとしても、前科者を屋敷に同居させる道理わけには行かない。だから、愛宕山の麓で寝泊りする事となった。

 タマヨリは、乳を飲んだイツセが寝入ると、下山して父宅を訪ねる。自身も第二子を懐妊し、悪阻つわりに悩まされる時期ではあったが、傷身の父親を甲斐々々しく介抱する。それが彼女の新たな日課だ。

 舌を抜かれ、口腔内や唇周辺も焼けただれ、固形物を食せない。持参した汁物を木匙で吸い込ませる。長く緊縛されていたから、壊死えし寸前の肌も広範囲に広がり、その手当も必要だった。

 献身的な看護を通じ、2人の間に初めて親子の情が通い始める。憑物が落ちたように、頭領の顔付きは綻び、眼光も穏やかとなった。父が娘の腹に手を当て、胎動を楽しむ様は好々爺の其れであった。環境が人格形成に大きく作用する好例であろう。

 そうこうする内に、「ホノギが頭領を放免した」との噂を聞き付けた元手下が日向集落に集い始める。

 邪馬台軍への帰順を誓った元海賊の中から、少数ではあったが、脱落者が出始めたからだ。彼らにとっては堅苦しい規則に馴染めぬ者もいたし、正規の城兵との人間関係がこじれて怠業行為に走る者もいた。反抗的な新兵を監禁しようにも、城内には拘置所が無い。ミカヅチは悩んだ末に彼らを追放処分とした。

 流浪先の方々で強盗を働いた彼らだが、安定とは程遠い境遇を悲観し、宮崎平野に新天地を求めたのだ。彼らに限らず、食い詰めた落伍者の流入事例は多い。その受け皿として日向軍は兵士を増やしていた。今も昔も軍隊組織は雇用の場として機能する。

 くだんの元手下は、田起しの始まる頃、日向軍の一員として対馬島に戻って行った。洋上監視に長けており、倭韓貿易の封鎖任務には最適の人材だからだ。彼らが「馴染んだ海に帰れる」と諸手を挙げて喜んだ事は言うまでもない。

 反面、頭領の身柄は日向集落に留め置かれた。改心を疑う兆候は無いが、野望の再燃を無しとはしない。海賊組織を再興する可能性は完全に排除すべきだ。ホノギは、そう判断した。家族愛を育み始めたタマヨリ親子を引き裂くのは不憫だ、と同情した面も有る。

 但し、謀略を重んじるホノギは意欲的に「頭領が帰島した」との虚言流布に励み、その真相はついぞ邪馬台城に露見しなかった。


 西暦217年、田植えの明けた新緑の頃。25歳となったウガヤが、日向の新集落長として、初めて登城する。応対する卑弥呼は23歳。脇に並ぶオモイカネは35歳、ミカヅチが26歳であった。

「御約束通り、日向ひむかは対馬から撤収します」

「それは重畳」

 ウガヤの報告を聞き、オモイカネが満面の笑みを浮かべる。顔見世の祝言として友好的な態度を表明したのだと、邪推深い智臣でさえ警戒心を解いていた。

 純朴な女王は「世代交代が進めば、不幸な過去も水に流せる」と淡い期待を寄せ、諸手を挙げて大歓迎した。ウガヤの「見聞を広げたい」との求めに応じ、同年代のミカヅチに城内の案内を指示したりもした。

 だが、訪問者の方に胸襟を開く意思は無い。純朴を装って「あれは?」「これは?」と質問を重ね、視察すべき敵情を隈なく見て回った。いとまを告げに宮殿へと戻ると、おもむろに報告する。

「父ホノギは舌切り男の追放で折り合いました。罪を許しても、仇の姿を見るに堪えなかったようです」

も有りなん」

 壮年のオモイカネが同情する風に相槌を打つ。主女あるじを差し置き、彼は対外折衝を全て取り仕切っている。

「それで、の者は何処いずこへ?」

「古巣の島に帰ったようです」

 聞き捨てならない話だ。高を括った澄まし顔に綻びが生じ、眉尻が上がる。

「再び悪事に手を染めるのでは?」

「その点は大丈夫。日向ひむかは対馬と友誼よしみを結びましたから」

 新集落長の対談目的は新たな同盟関係樹立の宣言にあった。南北から挟撃される構図は継続する。そう通告する事で、邪馬台城を脅迫し、政策選択の自由を奪うのだ。

 憤怒と悔恨とで上気したオモイカネの顔が赤黒く染まった。しかし、白目を血走らせた瞳が睨んだ先は、発言者のウガヤではなく、卑弥呼であった。

――あの女が余計な口出しをしなければ・・・・・・。

 

 時を同じくして、シオツチがホノギに臨検制度を献策する。対馬人つしまびとの使命は、邪馬台国の交易封鎖を続けつつ、日向・出雲連盟の船舶航行を邪魔しない事。否、むしろ航海の安全を保障する義務を負っている。ところが、どちらの勢力も末蘆人まつろびとの操る船舶を起用している。つまり、外観では見分けられない。

 その判別手段として手形を導入する。後世の管理貿易では権力者の裏書した許可証が不可欠であるが、文字を知らぬ時代には筆も墨も無い。代りに採用した物は、右手の掌腹てのひらを押し付け、窪ませた石膏板。文字通りの手形であった。

――誰の手形を押すのか?――

 知恵の絞り処である。押印者の識別に疑念が生じては困る。本来ならば、首長おびとの振り出しが常道であるが、ホノギの手には特徴が無い。従って、右手の主をムクチ、帰順した頭領とした。彼は昔の剣戟けんげきで人差指を失っており、4本指の手形は復活を印象付ける媒体ともなった。

 石膏板に右手を一々押すのでは、十分な枚数を揃えられない。だから、原版を出雲集落に持ち帰り、穴型に溶銑を流し込んで鋳物製の判子を作った。手型判子の数は三つ、日向・出雲・対馬の各所で保管される。

 出雲集落で大量生産した石膏板の半数は日向集落に戻して管理する。公認を得た船舶は、朝鮮半島からの帰路、対馬人に手型判子で符合を確かめられる。回収された物は打ち割られ、偽造品の出回る恐れは皆無だ。

 手形不所持の船舶は積荷を没収される。数隻の犠牲に懲りた末蘆集落は邪馬台国の荷を拒むようになった。ちなみに、往路での検問は無い。対馬島の人口は海賊全盛期から半減しており、二度手間を惜しんだ事が最大の理由だった。

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