第27話 南城門の悲劇、再び
狩猟を生活基盤とする
日向集落での募集も難しい。農業を始め、畜産業や林業から人員を割く事の弊害は大きく、仮に割けたとしても、戦士としての素質が狩猟民に劣る。
募集環境に加え、籾米の収穫量も律則条件の一つだ。生産活動に従事しない兵士の食い扶持は経済的重荷である。約2万人の日向集落が抱え込める限界は千人前後。この5%と言う数字は、図らずしも邪馬台城と同じ構成比であり、一種の均衡点なのだろう。
対する邪馬台城の人口は1万人程度。
直面する苦境を打開せんと、オモイカネは朝鮮半島に渡った。
「元来、対馬島は邪馬台国の領土でした」
卑弥呼を始め、当時の
「ところが、蛮族が支配する処となり、貴国との交易も途絶えました。
大袈裟な泣き真似にも惑わされず、国王は『気の毒にのぅ』と傍観者を決め込む。自国が脅かされぬ限り、隣国が
「征伐の暁には、対馬島を貴国の領土として構いませぬ」
陳情人の続く言葉を耳にするや、(一言も聞き漏らすまじ)と背筋を
『貴様の狙いは何だ!?。何の得が有る?』
「韓半島との交易が復活すれば、我らは満足なのです」
自国の領土を奪えとの談判は前代未聞。(そんな旨い話が有るのか?)と、深考に余念の無い国王が
『蛮族の勢力は?』
オモイカネは正直に答えた。過大申告すれば、被害想定に怖気付くかも知れない。事前に
『貴様らの軍勢だけで平定できるだろうが?』
正鵠を射た指摘。事実、そうなのだ。
――それでは何故、外国の介入を誘うのか?――
平和主義者の卑弥呼に限らず、オモイカネも日向集落との開戦を望まない。素人ながら、邪馬台城が国力で劣ると自覚している。自ら対馬を攻め、南方の同盟者に参戦の口実を与える状況は是が非でも避けたい。
「御明察、畏れ入ります。繰り返し申しますが、我らの願いは交易の安定。強い軍隊をお持ちの貴国による対馬支配が最善と考えました」
まずは持ち上げ、自尊心を
「分割統治となれば、
国王の心底で猜疑心と強欲が
『一緒に帰趨を見定めるべきだ。それに、護衛無しでの帰国は心許無かろう』
これには弁達者な智臣も口籠らざるを得ない。朝鮮半島で高みの見物に徹する積りだったからだ。日向集落が難癖を付けても、「我は関せず」と
此処で歴史的な雑談を一つ。
朝鮮半島に赴く役には
しかしながら、対馬侵攻を
実際、
軍事国家の動きは早かった。『台風の襲来前に
案の定、南方(九州方面)ばかりを警戒する対馬勢は瞬く間に総崩れとなった。
敗走の報告を受けた総大将の横で、軍師が手を叩いて快哉を漏らす。
『ホノギ様!』
「期待以上に早い展開だが、
『進軍するならば、稲刈りの直後が良いでしょう』
「慌ただしいが、大丈夫か?」
『兵士の休息も十分。これ以上の遅滞は士気を損なうだけです』
「
『
「シオツチ殿、開戦の大義名分は?」
『対馬に侵攻した
「その輩とは
『邪馬台城が手引きしたに違い有りません。ウガヤ様もそう御考えなのでは?』
「勿論ですが、我々は証拠を掴んではない」
『構いません』
強く言い切る軍師。勝機を逸する事の弊害を肝に銘じている。
『真偽は
緻密を良しとする彼には珍しく乱暴な判断だ。ウガヤは「そんな・・・・・・」と絶句した。
『
「
『別の見方も出来ます。邪馬台城が平定の助太刀を
「布告無しに攻め込んだ行動も理解できます」
利発な生徒と、打てば響く反応に満足する教師。2人の間には良好な師弟関係が築かれている。
『それに、大義名分とは
「邪馬台城を悪し様に貶めさえすれば良いと?」
『そうです。そう遣って少しずつ民意を離反させる』
得心したのか、ウガヤも口を
『止めの一発は戦いの中で繰り出しますが――』
不適な笑みを浮かべながら秘策の存在を匂わせる。何と頼もしい事か。迷える者の心に巣食った優柔不断な性根に実力者の言葉が芯を通す。
「
ホノギの静かな声に呼応して、握り拳に力を込める一堂だった。
相も変わらず残暑の熱気が稲穂を黄色く焦がしているが、端々に季節の移ろいを感じる。雑木林に響く
そんな時節に
馬背に武器と食糧を積んだ長い隊列。先導する歩兵は腰に
進軍を認めた密偵は「すわ
「
「
「オモイカネ殿の申す通り。我が
「そうですか・・・・・・?」
彼女は
南門を前にして
「邪馬台の巡らす
まずは悪辣非道な行状を並べ立て、自軍兵士の義侠心に訴えた。大地を長槍で打つ音が秋空に拡散する。半面、宣戦布告の様子を城壁の上から見守る邪馬台兵の顔は強張っていた。心理戦の第一幕がシオツチの思惑通りに始まる。
「我慢を重ねたが、堪忍袋の緒が切れた。よって、邪馬台との同盟を破棄し、
今や箱の中には邪馬台を象徴する2枚の銅貨のみ。日向産の稲穂と馬の
彼らの籠城を見通していたシオツチは、儀式を済ませるや否や、撤兵を指示した。城側の沈黙は「卑劣なばかりか無礼な集団だ!」との文脈で巷間に喧伝し回る。同時に「大義は我に有り!」と士気を高揚させる効果も狙っている。
「ミカヅチ様!。奴らが退却して行きました!」
「退却?。一戦も交えていないのに?。一体、何を考えているのだ!」
武臣の当惑を置き去りに、日向軍は
「御前達の米は全て、我々が預かる!」
剣刃に反射する不気味な輝き。有無を言わさぬ威圧に
――懐柔の機が熟したようじゃ。
全ては計算尽く。シオツチは暴動を誘発するような愚を犯さない。『
憤怒した誰しもが侵略者の発する奇妙な
殺気の弛んだ瞬間を捉え、『ほれっ』と声を張り上げる軍師。高く掲げた彼の右手には
『城と同じく銅貨を渡す。80俵と引き換えに銅貨1枚。100俵ではなく、80俵だぞ』
――奪われるのではない?――
『だがな、一つだけ条件が有る。銅貨は城に持って行け』
持ち上げたり、突き落したり。これが彼なりの人心掌握術なのだろう。旨い話には棘が有る。当り前ではないか。損得を自ら天秤に計らせる事で聴衆の賛同を得る。最後の仕上げは条件提示の背景を説く事だ。
『
――老人の言い分には筋が通っている――
納得した農民達は、何ら抵抗せず、二輪台車に米俵を積む兵隊を遠巻きに見守った。騒動が起きぬので、籠城中の邪馬台軍も静観を決め込んでいた。「日向軍が持久戦に備え始めた」と警戒しつつも、「城の備えに勝るもの無し」と深刻視しなかった。
人間は食わねば生きていけない。そして、米穀は天下の回り物。相手が城外の領民であっても、間接的な兵糧攻めとして功を奏する。開門を迫る下準備として徴米を進めた真意は、深慮遠謀に過ぎて、余程の軍略家でなければ見破れないだろう。
数週間に
対峙する両者の軍勢を整理してみよう。海賊を組み入れた邪馬台軍は800人強。一方の日向軍は、対馬島から撤退した残党を合わせ、1400人前後。凡そ2倍の軍勢なれど、攻城戦を挑むにしては明らかに戦力不足であった。
軍師は、焦れる総大将を
唯一の能動的な指示は指揮所とする巨大な
ところが、粛々と整理の進む戦陣の一部に些細な混乱が生じる。悶着の主はムクチであった。
総大将、或いは軍師が物見すべき展望床に陣取り、決して他人を登らせようとはしない。陣中で調達した長槍を振り回し、梯子に手を掛ける者を牽制する。無理に上がろうとすれば、奇声を発して威嚇した。その行動は縄張りを争う山猿と変わらない。
近寄る者が居なければ、日がな一日、
「何をしたいんだ?」
狂態に呆れたホノギが「親父殿を宥めてくれ」とタマヨリを軽く叱る。従軍の意思を強く示した父親を連れて来たのは彼女だ。軍紀を乱さぬよう監督の義務を負う。
「全く・・・・・・。娘を困らせないで欲しいわよ」
不平の小言と一緒に木椀を運んでも、素直に受け取ろうとしない。この数日は柱元の地面が配膳場所と化している。娘が十分に離れるまで待って、展望床から降りて来る。深夜に引き摺り降ろそうと試みたが、警戒心が強く、直ぐに目を覚ます。説得も捕縛も難しそうであった。
『まぁまぁ、
大事の前に神経を逆撫でする煩事を解消しておきたい。それが素直な心情だが、
城塞内部では、ホノギよりも強い焦燥感に駆られた者が思案顔を突き合わせていた。
「
「城内の蓄えを細らせる積りなのでしょう」
「有明の海を封じた時と同じ手法か・・・・・・」
光明の見えぬ智臣と武臣の会話に沈鬱となる女王。堪らず疑問を差し挟む。
「
「兵糧の尽きた段階で降伏です。我らは首を刎ねられるでしょう」
「口減らしに奴婢を殺して時間稼ぎを――」
「残忍な真似は絶対に許しません!」
生身の人間を単なる数字として扱う。そんなオモイカネの言動に激高する卑弥呼。ミカヅチが彼女に肩入れする事で均衡点を探るのが
「ですが、彼らを逃がそうにも、開門したが最後。
「左様。此処は心を鬼にして間引くしかありません」
自己否定を強いる返答には絶句するしかない。首を左右に振る拒絶の意思表示が精一杯だった。黙り込んだ女王を余所に、堂々巡りの議論が再開される。でも、空転するばかりで、妙案は浮かばない。
「
忸怩たる思いで己の不甲斐無さを嘆く。俯き加減の頬を悔し涙が伝った。
そんな彼女を振り返り、「何とおっしゃった?」と異口同音に問い質す2人。関心を示しながらも、慰撫する気配は微塵も感じさせない。何らかの単語が脳裏に突き刺さり、打開策の閃きを呼んだらしい。
「いえ、自分が情けない――と」。目元を拭いながら、恥ずかしそうに言う。
含羞顔を凝視する内に、智武両人の思考は決着を見たようだ。互いに目配せし、珍しく頷き合う。「これしかない」、「その様ですね」。思考回路の異なる2人が同じ結論に達したのだから、正に天啓と言えよう。
彼らの提案に最初は難色を示す卑弥呼。しかし、奴婢を殺すのも嫌だし、自分が死ぬのはもっと嫌だ。これは戦争であって、幕引きには犠牲が必要だ――と、冷徹な声が脳裏に囁く。散々逡巡した挙句、残された選択肢の中で最善の策だと納得するのだった。
城門の脇には、
見様見真似で模造品の製作に取り組んだものの、残念ながら徒労に終わる。幾重にも薄い木材を貼り合わせた弓翼を再現できず、複雑な形状をした金属部品の多くも加工不能だった。再生産できぬからこそ、風雨で傷めぬよう箭楼には屋根を被せ、手入れも怠らず、後生大事に保管している。
抑止力の象徴でしかなかったのに、活躍の出番を与えられた新兵器。飛距離や貫通性に優れるものの、連打性に欠ける。混戦状態では使い物に成らず、その用途は
「
命じられた弩手達が、牛皮の
西陽の残照を受け、矢羽を持たない
彼が不法占拠する間も、其処は指揮所。ホノギ以下の主だった者が付近に鎮座している。耳聡く鈍い落下音を聞き付けた幕僚の1人が異変を叫ぶ。それを合図に全員が地面に
最初に立ち上がった者はタマヨリだった。
「
『血が噴き出るぞ。それよりも、まずは退避だ!』
涙に
事態の急変を理解できず、皆が動揺していた。状況を把握する者は軍師のみ。総大将の手を引いて立ち去れば、連鎖反応が始まる。背を屈め、急ぎ足にて後を追う幕僚達。そう遣って、城壁との距離を倍化する場所まで本陣を後退させた。
一方、井楼の足元では、死に行く者が薄目を開け、微苦笑を浮かべていた。看取る者は嫌々と顔を左右に揺らす。今生の別れに臨んでも、舌を失いし者には遺言を残す事が叶わない。恩讐に
――馬鹿よ。義父の身代わりを志願していたなんて――
――俺は親らしい事を何もしなかった。精一杯の罪滅ぼしだ――
髪を梳く指の感触を愉しんでいるのか、血色を欠いた顔面に苦悶の表情は見当たらない。野人の世界に生まれながらも、家族愛に包まれて終える人生。至福を満喫できる最期に何の不満が有ろうか。安穏と目蓋を閉じ、死神の到来を待っている。
「御父さんっ!」
堰を切った様に滂沱の涙が溢れ出す。父親の頭を強く抱き締めて号泣した。積年の愛憎を洗い流すには相当量の涙が必要であった。
此処で日本神話の一つ、
でも、雉の姿で帰還を促す鳴女に彼は従わない。甘い生活に未練が有ったと思われる。あろう事か、愚昧な侍女の「怪しげな鳥を射殺せ」との言葉に耳を貸す。正道を踏み外した者を待つ運命は悲劇。
貫通した
神話の中で最初に誅殺される
影武者として死んだ功績は否めないが、諸手を挙げて賛美すべき人物でもない。人生の大半を傍若無人に過ごし、ホノギに帰順した期間も極めて短い。
それらの経緯が、
弩弓の存在を知ったシオツチは、全戦列を後退させ、城壁から200メートル近傍の距離を置いた。射程外に逃れる事で安全性は高まる反面、城壁に攻め着くまでの所要時間が倍増する。距離の拡大は、兵力損耗率の悪化を招き、看過できない弊害であった。
思案の末、防備具として半割の竹を連ねた
近代戦の塹壕を想起して欲しい。但し、銃器の無い時代であれば、深い溝を掘るには及ばない。
防衛目的で構築し始めた即席の産物が、延築するに連れ、城攻めにも転活用可能だと気付く。高所から見下ろす敵哨兵の視野角に合わせて衝立を高くすれば、至近距離まで掩蔽柵の包囲網を伸張できる。喩えるならば、外周から中心部へと増殖する迷路だ。
夜間には要所々々で篝火を焚き、城側に伏兵を警戒させる。迷路内に歩兵を配置せずとも、心胆を寒からしめる効果は大きい。実際、重圧に苛まれ、神経を磨り減らす城兵が続出した。
敵が枯れ尾花に
軍師の指示は唯一つ。東、北、西の各城門前にも追加で掩蔽柵を何重にも張り巡らす事だった。見通しの効かぬ夜間ならば、城側には兵員の移動を察知されない。一方の邪馬台城は、敵の布陣を見極められず、戦力を4箇所に分散せざるを得ない。幻妖な策であっても、戦術的効果は大きかった。
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