第27話 南城門の悲劇、再び

 狩猟を生活基盤とする薩摩人さつまびとの人口は約3万人と多いが、広範囲――現代の鹿児島県全域に比肩――に分散しており人口密度は低い。募集先を主立った村落に限った結果、成人男子に占める招兵割合は15%程度に達する。郷里の生活維持にも男手は欠かせず、これ以上を望めない。

 日向集落での募集も難しい。農業を始め、畜産業や林業から人員を割く事の弊害は大きく、仮に割けたとしても、戦士としての素質が狩猟民に劣る。

 募集環境に加え、籾米の収穫量も律則条件の一つだ。生産活動に従事しない兵士の食い扶持は経済的重荷である。約2万人の日向集落が抱え込める限界は千人前後。この5%と言う数字は、図らずしも邪馬台城と同じ構成比であり、一種の均衡点なのだろう。

 対する邪馬台城の人口は1万人程度。奴婢ぬひを含めても劣勢は覆らない。彼らにとって、従前の兵士500人に加え、元海賊まで雇い始めた現状は辛いの一言に尽きる。更に深刻なのは、海上封鎖が続く限り、困窮の度合いは重くなる一方。貪詰まりの構図なのだ。

 直面する苦境を打開する為、オモイカネは朝鮮半島に渡った。斯蘆しろの国王との謁見が目的だ。

「元来、対馬島は邪馬台国の領土でした」

 卑弥呼を始め、当時の倭人やまとびとには国家の概念が無い。唯一の例外が朝鮮半島の要人とも接触するオモイカネだと言える。正確には、その彼ですら権力者の抱く執着心を今もって理解できない。耕作地に恵まれぬ孤島を誰が支配しようが、大勢に影響は無い。それが正直な感想だった。

「ところが、蛮族が支配する処となり、貴国との交易も途絶えました。しかるに、斯蘆国の尽力を賜りたい」

 大袈裟な泣き真似にも惑わされず、国王は『気の毒にのぅ』と傍観者を決め込む。自国が脅かされぬ限り、隣国が如何どうなろうと知った事ではない。古今東西、それは外交の普遍的原則だ。相手を動かしたければ、報酬を示さねばならない。

「征伐の暁には、対馬島を貴国の領土として構いませぬ」

 陳情人の続く言葉を耳にするや、(一言も聞き漏らすまじ)と背筋を前倒まえのめらせた。

『貴様の狙いは何だ!?。何の得が有る?』

「韓半島との交易が復活すれば、我らは満足なのです」

 自国の領土を奪えとの談判は前代未聞。(そんな旨い話が有るのか?)と、深考に余念の無い国王が顎鬚あごひげいじりり続ける。

『蛮族の勢力は?』

 オモイカネは正直に答えた。過大申告すれば、被害想定に怖気付くかも知れない。事前に模擬問答シミュレーションを重ねた末の回答であったが、その判断は裏目となり、却って国王の疑心を招く。

『貴様らの軍勢だけで平定できるだろうが?』

 正鵠を射た指摘。事実、そうなのだ。

――それでは何故、外国の介入を誘うのか?――

 平和主義者の卑弥呼に限らず、オモイカネも日向集落との開戦を望まない。素人ながら、邪馬台城が国力で劣ると自覚している。自ら対馬を攻め、南方の同盟者に参戦の口実を与える状況は是が非でも避けたい。

「御明察、畏れ入ります。繰り返し申しますが、我らの願いは交易の安定。強い軍隊をお持ちの貴国による対馬支配が最善と考えました」

 まずは持ち上げ、自尊心をくすぐる。その上で、「倭国との共同出兵では、全島を貴国領とする大義名分が失われます」と、手をこまねいた場合の難点をあげつらう。

「分割統治となれば、いさかいの種を残す事ともなりましょう」

 国王の心底で猜疑心と強欲がせめぎ合う。玉座に収まった肥満体が微動だにしない。その葛藤する姿を、オモイカネは悠然と眺めていた。眼前に吊下がった餌は「喰ってくれ」と言わんばかり。臆病染みた物臭者ものぐさものでない限り、食指を動かさずには居られない。そう高を括っていたのだ。

 やがて、彼の想定通り、国王が威厳に満ちた口調で『われの軍隊にて征圧しよう』と裁可する。しかし、『貴様も同動せよ』との二の句は想定外だった。国家を率いる人物の老獪さは底知れない。邪馬台国から求められての加勢だと明白に仕切っておけば、斯蘆国は後々まで恩を売れる。

『一緒に帰趨を見定めるべきだ。それに、護衛無しでの帰国は心許無かろう』

 これには弁達者な智臣も口籠らざるを得ない。朝鮮半島で高みの見物に徹する積りだったからだ。日向集落が難癖を付けても、「我は関せず」としらを切れる状況こそが最善。とは言え、折り合うべきなのだろう。(船倉に隠れていれば問題無い)と思い直し、オモイカネは叩頭した。

 

 此処で歴史的な雑談を一つ。

 朝鮮半島に赴く役には韓言葉からことばを話せるオモイカネが適任である。但し、末蘆人まつろびとを遣使に起用せず、毎度の如く智臣自ら出向く点は少々奇異ではないか。「即断即決できる現人神あらひとがみが直に交渉すれば、早く合意に至る」との好意的解釈も出来よう。

 しかしながら、対馬侵攻を指嗾しそうした今回に限らず、彼の渡航歴は今後も回を重ね続ける。穿った見方をすれば、功名心の強い彼の事だ。諸外国に「自分が真の権力者だ」と印象付ける不純な動機も見え隠れする。

 実際、斯蘆しろの国王は『倭国の元首はオモイカネ』と信じ込んだようだ。彼の誤解は、陸伝いに中華帝国まで届き、魏志倭人伝に『卑弥呼の死後、男王が即位するも民衆は心服せず。誅殺が相次ぎ、多くが死んだ』との記述に結実する。


 軍事国家の動きは早かった。『台風の襲来前に決着けりを付けるべし』と即断する。西暦217年の初夏に旧海賊が海上封鎖を引き継ぎ、夏の暑い盛りにオモイカネが渡海。つまり、2ヶ月足らずで侵攻を開始した。先手必勝、奇襲は侵略時の定石だ。小規模な軍勢で済ませた事も一因に挙げられる。

 案の定、南方(九州方面)ばかりを警戒する対馬勢は瞬く間に総崩れとなった。戦慣いくさなれした斯蘆軍には〝濡れ手に粟〟と、張り合いの無い限りだ。

 もっとも、旧海賊の行動は軍師の指示に負う面が大きい。『島の死守には及ばない。邪馬台の攻め入った事実こそが大事なのだ』。彼らの逃げ足は特筆に値する。鷹に襲われ一斉に飛び立つ小鳥の群れのごとしだ。原住民の事前疎開も迅速な撤退に貢献した。

 敗走の報告を受けた総大将の横で、軍師が手を叩いて快哉を漏らす。

『ホノギ様!』

「期待以上に早い展開だが、おれはらは既に定まっている」

『進軍するならば、稲刈りの直後が良いでしょう』

「慌ただしいが、大丈夫か?」

『兵士の休息も十分。これ以上の遅滞は士気を損なうだけです』

斯蘆しろの加勢が想定外では――?」

しばらくは対馬島の占領に忙殺されるはず。彼らの体制が整わぬ内に仕掛けるのが上策でしょう』

 息子ウガヤの覚悟を探る父親ホノギの眼差しに促され、ウガヤが問い質す。建前上、大きな決断は集落長の専権事項である。

「シオツチ殿、開戦の大義名分は?」

『対馬に侵攻した不逞ふていやからを成敗する。それに尽きます』

「その輩とは韓人からびとであって、邪馬台城ではない――」

『邪馬台城が手引きしたに違い有りません。ウガヤ様もそう御考えなのでは?』

「勿論ですが、我々は証拠を掴んではない」

『構いません』

 強く言い切る軍師。勝機を逸する事の弊害を肝に銘じている。

『真偽は扨措さておき、何度も繰り返し主張する内に真実となります。韓半島では常識ですぞ』

 緻密を良しとする彼には珍しく乱暴な判断だ。ウガヤは「そんな・・・・・・」と絶句した。

斯蘆しろは不意打ちを仕掛けました。攻めるに至った理屈は後回しです』

韓人からびとに対馬を攻める大義名分を捻り出せるものでしょうか?」

『別の見方も出来ます。邪馬台城が平定の助太刀を斯蘆しろに頼んだとしたら?』

「布告無しに攻め込んだ行動も理解できます」

 利発な生徒と、打てば響く反応に満足する教師。2人の間には良好な師弟関係が築かれている。

『それに、大義名分とはもっぱら兵士を鼓舞する方便なのです。敵方を納得させる必要は有りません』

「邪馬台城を悪し様に貶めさえすれば良いと?」

『そうです。そう遣って少しずつ民意を離反させる』

 得心したのか、ウガヤも口をつぐむ。些か緊張気味に口唇を引き結んでいるのは初陣だからだろう。

『止めの一発は戦いの中で繰り出しますが――』

 不適な笑みを浮かべながら秘策の存在を匂わせる。何と頼もしい事か。迷える者の心に巣食った優柔不断な性根に実力者の言葉が芯を通す。

日向ひむかの開戦を決意しよう」

 ホノギの静かな声に呼応して、握り拳に力を込める一堂だった。


 相も変わらず残暑の熱気が稲穂を黄色く焦がしているが、端々に季節の移ろいを感じる。雑木林に響くせわしない蝉騒でも主役交代が明らかだ。夕暮れ時には赤蜻蛉が田圃に浮かび、夜長には蟋蟀こおろぎが謳歌するようになった。秋の接近に触発された農民は刈取り時期の見極めに余念が無い。

 そんな時節に日向ひゅうが軍は進撃を始めた。愛宕あたご山の麓で出陣式を行い、老年の域に達した46歳のホノギが檄を飛ばす。

 馬背に武器と食糧を積んだ長い隊列。先導する歩兵は腰に厚剣こうけんき、右手に持った長槍を肩ではすかついでいる。統制の取れた千人分の軍靴は、一踏み毎の地響きも明瞭に音を立て、巨人の歩みを連想させる。

 進軍を認めた密偵は「すわ一大事いちだいじ!」と邪馬台城に舞い戻った。


愈々いよいよですね?」と問う女王の声はかすれていた。顔色を失った表情は、不安で胸が張り裂けそうだと言わんばかり。威厳を保とうとの努力が実を結んでいない。

狗奴人くぬびとの攻めを受けた時と比べ、城の防備は遥かに堅牢です。籠城戦で挑めば、兵糧の尽き次第、奴らは撤退するでしょう」

「オモイカネ殿の申す通り。我がきみよ、大船に乗った気で我々に任せて下さい」

「そうですか・・・・・・?」

 彼女は俎板まないたの鯉。慰められても一向に気が休まらない。今は臣下の言葉を信じ、惨状回避を祈るばかり。下手に抗えば戦禍を拡大させ兼ねず、受身に徹するのが最善だ。そう自らに言い聞かせ、湧き上がる恐怖心を抑えるのに必死だった。


 南門を前にして日向ひゅうが軍が陣を敷く。スサノオ達が莚旗むしろばたを揚げた約70年も昔の出来事を彷彿とさせる光景だ。使者が大声で怒鳴る。

「邪馬台の巡らす謀事はかりごとは一向に絶えない。ホオリ様の弑逆だけでは飽き足らず、今度は韓人からびとを呼び込み、日向ひむかと盟約を交わす対馬を攻め立てた」

 まずは悪辣非道な行状を並べ立て、自軍兵士の義侠心に訴えた。大地を長槍で打つ音が秋空に拡散する。半面、宣戦布告の様子を城壁の上から見守る邪馬台兵の顔は強張っていた。心理戦の第一幕がシオツチの思惑通りに始まる。

「我慢を重ねたが、堪忍袋の緒が切れた。よって、邪馬台との同盟を破棄し、友誼よしみしるしを返却する」

 口上こうじょうを述べ終えた使者は木製の玉手箱――40センチ四方の大きさ――を地面に据えた。阿蘇リモナイト製の赤い顔料を漆で溶き、深紅に塗った箱は現代の条約調印文書に相当する。両者の代表的な交易品目を納める事で同盟関係を表現していた。

 今や箱の中には邪馬台を象徴する2枚の銅貨のみ。日向産の稲穂と馬の頸髪たてがみは打ち捨てられている。盟約解消を受諾するならば、銅貨をも抜き取った空箱を返す慣わしだが、城門は固く閉ざされたままだった。日向軍の雪崩れ込みを懸念しての因習無視である。

 彼らの籠城を見通していたシオツチは、儀式を済ませるや否や、撤兵を指示した。城側の沈黙は「卑劣なばかりか無礼な集団だ!」との文脈で巷間に喧伝し回る。同時に「大義は我に有り!」と士気を高揚させる効果も狙っている。

「ミカヅチ様!。奴らが退却して行きました!」

「退却?。一戦も交えていないのに?。一体、何を考えているのだ!」

 武臣の当惑を置き去りに、日向軍は筑紫ちくし集落へと転進。そして、脱穀作業に没頭中の農民達を追い払い、高床倉庫に山積みの米俵を接収した。臨検対象は数万人規模の近隣住民。邪馬台城の経済構造に組み込まれた人口の2割に相当する。

「御前達の米は全て、我々が預かる!」

 剣刃に反射する不気味な輝き。有無を言わさぬ威圧に後退あとじさる農民達。恐怖心に駆られた自然の反応だ。しかし、時を置かずして、両者の間には剣呑な空気が漂い始める。米穀こめを奪われては路頭に迷う。引くに引けないからだ。

――懐柔の機が熟したようじゃ。

 全ては計算尽く。シオツチは暴動を誘発するような愚を犯さない。『筑紫ちくしの民よ!』と呼び掛け、『誤解するな、米を預かるだけだ』との言葉を継ぐ。

 憤怒した誰しもが侵略者の発する奇妙な台詞せりふに毒気を抜かれた。徒党を組んだ抗議集団が水を打ったように静まり返る。

 殺気の弛んだ瞬間を捉え、『ほれっ』と声を張り上げる軍師。高く掲げた彼の右手には数珠繋じゅずつなぎに束ねた銅貨の塊。

『城と同じく銅貨を渡す。80俵と引き換えに銅貨1枚。100俵ではなく、80俵だぞ』

――奪われるのではない?――

 筑紫人ちくしびとの間に動揺が走る。邪馬台城の交換比率よりも好条件だ。算術の心得が無くとも理解できる。欲に目が眩む衝動を抑えようがない。(命を賭して抵抗する意味が無いのでは・・・・・・?)と、互いに隣の顔を覗き合っている。

『だがな、一つだけ条件が有る。銅貨は城に持って行け』

 持ち上げたり、突き落したり。これが彼なりの人心掌握術なのだろう。旨い話には棘が有る。当り前ではないか。損得を自ら天秤に計らせる事で聴衆の賛同を得る。最後の仕上げは条件提示の背景を説く事だ。

現人神あらひとがみ戦相手いくさあいての我々に預米を返さんだろう。一方、領民である御前らなら簡単に引き出せる。つまり、物々交換だ』

――白髪老人の言い分には筋が通っている――

 納得した農民達は、何ら抵抗せず、二輪台車に米俵を積む兵隊を遠巻きに見守った。騒動が起きぬので、籠城中の邪馬台軍も静観を決め込んでいた。「日向軍が持久戦に備え始めた」と警戒しつつも、「城の備えに勝るもの無し」と深刻視しなかった。

 徴米の意味合いは城門を開かせる御膳立てに有ったのだが、深慮遠謀に過ぎて、余程の軍略家でなければ見破れないだろう。

 数週間にわたり、筑紫集落と日向集落の間を人馬混合の隊商が何往復もする。その間、幾つかの台風に襲われたが、避難して遣り過ごした。軍師としては、暴風雨に乱されぬよう、侵攻時期を調整した感が濃厚であった。


 筑紫ちくし平野の備蓄米が姿を消すと、シオツチは邪馬台城を包囲し直した。南門前の主力に比べると少ないが、他三つの門前にも部隊を配置している。叛乱を主導した3世代前のスサノオと違い、軍略の泰斗に手抜かりは無い。

 対峙する両者の軍勢を整理してみよう。海賊を組み入れた邪馬台軍は800人強。一方の日向軍は、対馬島から撤退した残党を合わせ、1400人前後。凡そ2倍の軍勢なれど、攻城戦を挑むにしては明らかに戦力不足であった。

 軍師は、焦れる総大将をなしながら、様子見を決め込んでいた。『民衆のうねりに乗じて挽回する』と豪語して周囲を宥めるも、ホノギを始め、誰も作戦の全貌を知らされていない。いきり立つ従軍者にとって無為な時間は苛立ちの温床だが、彼は秘匿を優先した。

 唯一の能動的な指示は指揮所とする巨大な井楼せいろうの建設だ。高さは約5メートル。城壁の高さに比肩する。城塞との距離は100メートル余り。名手の射る征矢そやですら届かない。遠からず近からずの場所から俯瞰すれば、部隊を適切に動かせる。そう踏んでの下準備であった。

 ところが、粛々と整理の進む戦陣の一部に些細な混乱が生じる。悶着の主はムクチであった。貫頭衣かんとういの上に藁蓑わらみのを重ね着し、体格を大きく見せている。頭には、かぶとか王冠を模したようで、半分の長さに切った稲束を被っている。丸で道化師だ。

 総大将、或いは軍師が物見すべき展望床に陣取り、決して他人を登らせようとはしない。陣中で調達した長槍を振り回し、梯子に手を掛ける者を牽制する。無理に上がろうとすれば、奇声を発して威嚇した。その行動は縄張りを争う山猿と変わらない。

 近寄る者が居なければ、日がな一日、案山子かかしの様に立ち尽くす。戦場を睥睨へいげいする態度は総大将と見紛みまがうばかりだ。気が触れた結果、頭領だった過去の栄光に帰想したか?――と、周囲は訝しんだ。

「何をしたいんだ?」

 狂態に呆れたホノギが「親父殿を宥めてくれ」とタマヨリを軽く叱る。従軍の意思を強く示した父親を彼女が連れて来た。軍紀を乱さぬよう監督の義務を負う。

「全く・・・・・・。娘を困らせないで欲しいわよ」

 不平の小言と一緒に食事を運んでも、ムクチは手ずから受け取る事をしない。木椀を楼柱の根方に置かせ、娘が一定の距離を離れるまで近寄らない。深夜に引き摺り降ろそうと試みたが、警戒心が強く、直ぐに目を覚ます。

『まぁまぁ、彼奴あやつが飽きるまで放っておきましょう。進撃の機運も満ちておりませんし――』

 大事の前に神経を逆撫でする煩事を解消しておきたい。それが素直な心情だが、目角めくじらを立てるのも大人気無い。悠然と構える軍師に諭され、渋々黙認する。念仏の様に「平常心を保て」、「焦りは禁物」と何度も自身に言い聞かせるホノギだった。


 城塞内部では、ホノギよりも強い焦燥感に駆られた者が思案顔を突き合わせていた。

日向ひむかに攻め入る気配が見えないけれど・・・・・・?」

「城内の蓄えを細らせる積りなのでしょう」

「有明の海を封じた時と同じ手法か・・・・・・」

 光明の見えぬ智臣と武臣の会話に沈鬱となる女王。堪らず疑問を差し挟む。

われは戦いを望みませんが、このまま睨み合っていたら如何どうなるのです?」

「兵糧の尽きた段階で降伏です。我らは首を刎ねられるでしょう」

「口減らしに奴婢を殺して時間稼ぎを――」

「残忍な真似は絶対に許しません!」

 生身の人間を単なる数字として扱う。そんなオモイカネの言動に激高する卑弥呼。ミカヅチが彼女に肩入れする事で均衡点を探るのが常時いつもの展開だった。ところが、その彼すらも冷徹な論調に加担する。

「ですが、彼らを逃がそうにも、城門を開けたが最後。日向ひむかの軍勢が押し寄せるでしょう」

「左様。此処は心を鬼にして間引くしかありません」

 自己否定を強いる返答には絶句するしかない。首を左右に振る拒絶の意思表示が精一杯だった。黙り込んだ女王を余所に、堂々巡りの議論が再開される。でも、空転するばかりで、妙案は浮かばない。

われは何の役にも立ちませんね。いっそ居ない方が・・・・・・」

 忸怩たる思いで己の不甲斐無さを嘆く。俯き加減の頬を悔し涙が伝った。

 そんな彼女を振り返り、「何とおっしゃった?」と異口同音に問い質す2人。関心を示しながらも、慰撫する気配は微塵も感じさせない。何らかの単語が脳裏に突き刺さり、打開策の閃きを呼んだらしい。

「いえ、自分が情けない――と」。目元を拭いながら、恥ずかしそうに言う。

 含羞顔を凝視する内に、智武両人の思考は決着を見たようだ。互いに目配せし、珍しく頷き合う。「これしかない」、「その様ですね」。思考回路の異なる2人が同じ結論に達したのだから、正に天啓と言えよう。

 彼らの提案に最初は難色を示す卑弥呼。しかし、奴婢を殺すのも嫌だし、自分が死ぬのはもっと嫌だ。これは戦争であって、幕引きには犠牲が必要だ――と、冷徹な声が脳裏に囁く。散々逡巡した挙句、残された選択肢の中で最善の策だと納得するのだった。


 城門の脇には、天端てんばから空中に張り出す感じで、威圧的な箭楼せんろうを築いていた。叛乱に懲りた南門には2基、他の城門には1基ずつの按配だ。2メートル四方の平坦な塔頂部分には、ムクチが亡命の手土産として持ち込んだ弩弓を設置している。

 見様見真似で模造品の製作に取り組んだものの、残念ながら徒労に終わる。幾重にも薄い木材を貼り合わせた弓翼を再現できず、複雑な形状をした金属部品の多くも加工不能だった。再生産できぬからこそ、風雨で傷めぬよう箭楼には屋根を被せ、手入れも怠らず、後生大事に保管している。

 これまで使用する機会が無かったが、ようやく陽の目を見る事となった新兵器。飛距離や貫通性に優れるものの、連打性の欠如が難点だろう。混戦状態では使用に耐えず、その用途はもっぱら狙撃に限られる。

物見櫓ものみやぐらに立つホノギを狙え」

 命じられた弩手達が、牛皮の弓弦ゆづるを銃床の懸鈎かけばりつがえ、遠方の標的に狙いを定める。獲物の顔面には風評通りに入墨が入っていた。赤と黒の識別は逆光で難しく、正確な文様も知らない。真贋は見定められぬが、単独での立ち姿は威風堂々としており、恐らく総大将であろう。迷わずに引金を引く。

 西陽の残照を受け、矢羽を持たない単純シンプルな線状凶器が冬の大気を突き進む。その飛翔時間は1秒にも満たない。1本は右肺を串刺し、もう1本は左の上腕を貫通した。衝撃で後ろに蹌踉よろめき、展望床から転げ落ちるムクチ。

 彼が不法占拠する間も、其処は指揮所。ホノギ以下の主だった者が付近に鎮座している。耳聡く鈍い落下音を聞き付けた幕僚の1人が異変を叫ぶ。それを合図に全員が地面に平伏ひれふす。

 最初に立ち上がった者はタマヨリだった。木偶でくとなった父親の元に急行し、その上半身を抱き上げる。

親父おやじっ!」

 現世うつしよに意識を繋ぎ止めようと、血糊の付いた平手で頬を何度も叩く。胸に生えた矢柄が痛々しい。苦痛を和らげんと手を伸ばすも、シオツチによって押し止められる。

『血が噴き出るぞ。それよりも、まずは退避だ!』

 涙にむせぶタマヨリは、父親の上半身を擁き抱え、固まったままだ。腑抜けた通訳に見切りを付け、シオツチはホノギの前面に立った。第二弾を警戒し、総大将の身を守らねばならない。何度も「逃げる」の倭言葉やまとことばを怒鳴り散らし、手を振り回して避難を呼び掛ける。

 事態の急変を理解できず、皆が動揺していた。状況を把握する者は軍師のみ。総大将の手を引いて立ち去れば、連鎖反応が始まる。背を屈め、急ぎ足にて後を追う幕僚達。そう遣って、城壁との距離を倍化する場所まで本陣を後退させた。

 一方、井楼の足元では、死に行く者が薄目を開け、微苦笑を浮かべていた。看取る者は嫌々と顔を左右に揺らす。今生の別れに臨んでも、舌を失いし者には遺言を残す事が叶わない。恩讐にまみれた父娘の間には様々な想いが去来していた。

――馬鹿よ。義父の身代わりを志願していたなんて――

――俺は親らしい事を何もしなかった。精一杯の罪滅ぼしだ――

 髪を梳く指の感触を愉しんでいるのか、血色を欠いた顔面に苦悶の表情は見当たらない。野人の世界に生まれながらも、家族愛に包まれて終える人生。至福を満喫できる最期に何の不満が有ろうか。安穏と目蓋を閉じ、死神の到来を待っている。

 やがて、喉の詰りを吐き出そうと、咳したムクチが血塊を吐く。それと同時に魂も抜け出たのだろうか。タマヨリの腕中で老体が一挙に重くなる。

「御父さんっ!」

 堰を切った様に滂沱の涙が溢れ出す。父親の頭を強く抱き締めて号泣した。積年の愛憎を洗い流すには相当量の涙が必要であった。


 此処で日本神話の一つ、天稚彦あめのわかひこ逸話エピソードを紹介しよう。

 邇邇藝命ににぎのみことの天孫降臨に先立ち、天照大御神あまてらすおおみかみ葦原中国あしはらなかつくに(人間界)を平定せんと天稚彦を遣わす。ところが、現地の娘とねんごろな関係となった彼は使命を忘れる。長く続く音信不通。不審に思った天照大御神は鳴女なきめきじの化身)を遣わした。

 でも、雉の姿で帰還を促す鳴女に彼は従わない。甘い生活に未練が有ったと思われる。あろう事か、愚昧な侍女の「怪しげな鳥を射殺せ」との言葉に耳を貸す。正道を踏み外した者を待つ運命は悲劇。高天原たかまがはら(天上界)の出立時に下賜された天之あめの麻迦古弓まかこゆみ天羽々矢あめのはばやつがえ、遣使をあやめて仕舞う。

 貫通した猟矢ししやは、高天原まで飛び戻った後、新たな使命を帯びる。「邪心の者を射殺せ」と、人間界に投げ返されるのだ。神々の呪った通り、夜空を裂く閃光と化した矢が反逆者の胸を射抜く。天意に逆えば、天誅は免れぬ。現代人なら過重刑と感じる顛末は戒めの訓話として語り継がれる。

 神話の中で最初に誅殺される天稚彦あめのわかひこ原型モデルが、何を隠そう、ムクチである。天界の若人を意味する名称には固有名詞の趣きが片鱗も無い。何故なら、本名が知れぬからだ。

 影武者として死んだ功績は否めないが、諸手を挙げて賛美すべき人物でもない。人生の大半を傍若無人に過ごし、ホノギに帰順した期間も極めて短い。

 それらの経緯が、人口じんこう膾炙かいしゃされる内に脚色され、神話に織り込まれた内容へと帰着したのだろう。


 新兵器の存在を知ったシオツチは、全戦列を後退させ、城壁から200メートル近傍の距離を置いた。射程外に逃れる事で安全性は高まる反面、城壁に攻め着くまでの所要時間が倍増する。距離の拡大は、兵力損耗率の悪化を招き、看過できない弊害であった。

 思案の末、防備具として半割の竹を連ねた衝立ついたてを新調した。長槍を隠すに十分な高さで、箭楼せんろうからは兵士の姿を視認できない。幅寸法は5メートル前後、現代の中型客車マイクロバスの側面と概ね同じだ。それらを点線状に並べて長大な柵を作り、更に何列も重ねて城壁までの距離を詰める。

 近代戦の塹壕を想念イメージして欲しい。但し、銃器の無い時代であれば、深い溝を掘るには及ばない。征矢そやの殺傷力を削ぐなら割竹で十分だ。当面の脅威は打力の強い弩弓だが、衝立で視野を封じれば、狙撃の心配を払拭できる。何より製作の容易な点が最高だった。

 防衛目的で構築し始めた即席の産物が、延築するに連れ、城攻めにも転活用可能だと気付く。高所から見下ろす敵哨兵の視野角に合わせて衝立を高くすれば、至近距離まで掩蔽柵の包囲網を伸張できる。喩えるならば、外周から中心部へと増殖する迷路だ。

 夜間には要所々々で篝火を焚き、城側に伏兵を警戒させる。迷路内に歩兵を配置せずとも、心胆を寒からしめる効果は大きい。実際、重圧に苛まれ、神経を磨り減らす城兵が続出した。

 敵が枯れ尾花におののく展開をシオツチが予測していたのか否か。それは不明である。彼は泰然自若として騒がず、痺れを切らすホノギに対しても『好機を待つ』の一点張りだった。

 軍師の指示は唯一つ。東、北、西の各城門前にも追加で掩蔽柵を何重にも張り巡らす事だった。見通しの効かぬ夜間ならば、城側には兵員の移動を察知されない。一方の邪馬台城は、敵の布陣を見極められず、戦力を4箇所に分散せざるを得ない。幻妖な策であっても、戦術的効果は大きかった。

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