製鉄法に関する背景説明(後書きに替えて)

 製鉄法――今後の物語を理解する上で重要――について、少し詳しく説明させて下さい。


 本作品に登場した『踏鞴たたら製鉄(直接製鉄法)』は、鉄鉱石を還元して純度の低い鉄を製造する〝製錬〟工程だけの製鉄法です。大量生産に向かない事が最大の弱点でした。

 一方、古代中国の華北地方、及び、現代社会でも一般的な製鉄法(間接製鉄法)は、『製錬』の後工程として『精錬』を伴います。

 この〝精錬〟が、鉄の純度を高めると同時に、大量生産を実現する鍵です。


 その理由を解説する前に、一つ別の話をしなくてはなりません。

 純粋な鉄の融点は1538℃ですが、他の元素が混じると融点が下がります。真水の融点(氷結温度)は0℃なのに、塩水が氷点下で凍るのと同じ現象です。

 鉄の場合、炭素から最も強い影響を受けます。

 炭素含有率が2%で1400℃弱まで下がり、含有率が4%に至ると1200℃弱まで下がります。流石さすがに含有率を4%以上に高めても、融点は1200℃以下に下がりません。

 但し、固体状態の酸化鉄にける炭素含有率は最大2%。だから、溶融炉の温度を一旦は1400℃程度まで上昇させ、もっと多くの炭素が混ざるように仕向けます。

 出雲の踏鞴製鉄で使用する赤目砂鉄は、安山岩や玄武岩に由来し、その融点が1390℃、真砂砂鉄は、花崗岩に由来し、その融点が1420℃だそうです。ズク押し法では赤目砂鉄が液体となり、ケラ押し法では真砂砂鉄が固体のままなので、炉内温度は正に1400℃程度なのでしょう。

 液状化した赤目砂鉄は、冷える過程で炭素含有率を4%まで高め、鋳造に適した『鋳鉄』となります。


 炭素(石炭・木炭)を使って酸化鉄(鉄鉱石・砂鉄)を還元する化学反応こそが製鉄工程の神髄。平たく言うと、錆びた鉄を真新まっさらな鉄に戻すのです。

 還元反応は固体状態の酸化鉄でも起こります。具体的には、400~800℃――焚火でも実現可能――で反応し始めます。煙草の火が700℃。原始社会でも少量生産ならば可能でした。実際、19世紀にアフリカや東南アジアを巡った探検家の紀行文書には製鉄関連の記述や描写絵が載っています。

 密閉した窯で木炭と鉄鉱石を一緒に燃焼すると、一次的には二酸化炭素ではなく、一酸化炭素が空間内に充満します。卑弥呼の自殺シーンを想い出して下さい。この一酸化炭素が酸化鉄の酸素と結合して二酸化炭素となります。

 但し、一酸化炭素による還元反応は不完全で、未だ未だ酸化鉄の範疇はんちゅうです。従って、溶融炉を950℃以上にまで昇温し、石炭や木炭の炭素を使った還元反応に移行させます。炭素は、酸素と結合する一方で、鉄にも溶け込み始めます。

 先述の通り、固体の鉄に炭素が溶け込む上限は2%。含有率が2%迄の鉄を『はがね』、2%超の鉄を『鋳鉄』と呼びます。踏鞴製鉄に当て嵌めると、ケラ押し法では〝鋼〟を、ズク押し法では〝鋳鉄〟を製造します。

 魔性の女的な炭素は、含有率が高くなると、鉄を脆弱化し割れ易くします。だから、〝鋳鉄〟は浅薄な形状で討ち合う刀剣の類には不向きです。反面、程々の高温環境下で液状を保ち、千姿万態の形状――農具や工具、鍋等の厚みを持った生活雑貨的な鉄器――に鋳造加工するには最適なのです。

 一方、ケラ押し法で酸素を抜いた〝鋼〟もスポンジ状の半製品。空隙を圧縮し密着させる〝大鍛冶〟と呼ぶ鍛錬工程が欠かせません。

 この工程では、液状化せずとも変形可能となる摩訶不思議な温度域まで再加熱します。具体的には約1200℃。製鉄工場のニュース映像に登場する赤褐色に輝く鉄塊の状態です。

 赤熱した〝鋼〟を金槌で何度も叩く二つ目の目的は不純物の排出です。鉄鉱石に含まれる鉄正味の構成比は60%前後、残り40%は不純物です。特に硫黄、燐、珪素、マンガンの化合物は、炭素と同様、鉄を脆くさせる悪玉です。

 強いて言うならば、暖めたナッツ入りチョコを木槌で打ち付け、ナッツを外に押し出すイメージでしょうか。

 ズク押し法の〝鋳鉄〟と区別して、ケラ押し法の最終製品を『錬鉄』と呼びます。


 次に、中国の華北地方で始まった間接製鉄法を説明します。

 間接製鉄法にける最大の特徴は〝精錬〟で、直接製鉄法の〝大鍛冶〟に相当する工程です。繰り返し述べますが、〝精錬〟が大量生産の鍵です。

 溶融炉の温度を1400℃超に上げる間接製鉄法では、不純物を含めた全てが液体と化し、比重の違う鉄と不純物が簡単に分離します。

 湯面に浮上する不純物を効率良く除去する為に、生石灰きせっかいを溶融炉の中に散布します。本作品でも登場しました。生石灰と結合した不純物は『鉄滓』となります。

〝鉄滓〟は、煮炊きした肉や魚から浮き出る灰汁あくに似ており、容易に溶融炉から掻き出せます。〝精錬〟の生産性が〝大鍛冶〟よりも圧倒的に高い、と御理解頂けるでしょうか。

 ところが、困った副作用が生じます。超高温が炭素を鉄に溶かし込み、〝鋼〟ではなく、割れ易い〝鋳鉄〟と化すのです。だから、炭素を抜く為に酸素を吹き込みます。酸素が炭素と結合し、二酸化炭素が発生します。

 戸惑いますよね。

――酸化鉄から酸素を取り除く為に炭素を加えて来たんでしょ?――

――それって逆行パターンじゃないのか?――

 当然の疑問です。

 製鉄では、不純物を取り除く為に還元反応の最適地点を通り過ぎ、少し元に戻るみたいな工程プロセスを経るのです。酸化還元の振子ふりこを右に振り左に振って、正真正銘の『はがね』を製造します。


 不純物を極限まで除去する間接製鉄法では鉄正味の構成比まで〝鋼〟を採取します。100トンの鉄鉱石から60トンの〝鋼〟。歩留60%ですね。一方、踏鞴たたら製鉄では100トンの砂鉄から30トン――歩留30%――の〝鋼〟だそうです。

 ちょっと脱線しました。


 現代の高炉製鉄業では溶融炉――転炉と呼ぶ――に、純度の高い工業用酸素を高圧で吹き込みます。でも、古代中国人は、空気中の酸素しか利用できず、鉄棒で溶融炉の中を掻き混ぜたそうです。

 鉄棒は直ぐに高熱を伝導し、素手での撹拌時間は限られます。望ましい水準まで炭素含有率を落とすには結構な手間暇を要したでしょう。

 この工程の解決すべき最大の課題は酸化発熱反応への対処です。転炉内部の温度は約1600℃。古代中国人が直面した温度は不明なれど、1400℃を遥かに上回る事は確か。溶融炉には優秀な耐火煉瓦が不可欠だったのです。

 本作品でも香春人の偶発的発明品として登場させましたが、鉄文明と石灰石文明は表裏一体でした。

 また、香春が耐火煉瓦の供給を止めても、出雲は大して困りませんでした。何故なら、踏鞴製鉄(直接製鉄法)の溶融炉温度が間接製鉄法よりも低いからです。


 色々と話しましたので、此処で頭の整理をしましょう。


 2%の炭素含有率を基準に鉄は〝鋳鉄〟と〝はがね〟に大別されます。其々それぞれ、直接製鉄法と間接製鉄法の双方で生産されます。

 但し、間接製鉄法の工場で〝鋳鉄〟を製造する場合、前工程の〝製錬〟だけで、後工程の〝精錬(炭素含有量の引下げが目的)〟を施しません。だから、実質的に直接製鉄法だと言えます。

〝鋼〟の場合は、直接製鉄法と間接製鉄法の違いが明白です。直接製鉄法(踏鞴製鉄)で製造する〝鋼〟を特に〝錬鉄〟と呼びます。ズク押し法で造る〝鋳鉄〟の対義語です。


 さて、直接製鉄法で使う砂鉄と間接製鉄法で使う鉄鉱石にも相違が有ります。

 鉄鉱石の形成時期は30億年前の太古の昔――恐竜の生まれる遥か以前――まで遡ります。

 地球上に植物性バクテリアが出現し、光合成で発生した酸素が海中の鉄イオンと結合。海底に蓄積された酸化鉄が、気の遠くなる歳月の地殻変動を経て、地表付近に浮かび出る。その成果が鉄鉱石の採掘現場なのです。

 一方の砂鉄は火成岩。火山活動で吹き出たマグマが固まった成果です。地質学的な形成時期も鉄鉱石に比べれば非常に近い過去です。そして、日本列島では大量に産出されますが、火山帯から外れた朝鮮半島での調達は困難です。

 鉄鉱石と砂鉄とでは、形成プロセスの相違に起因して、不純物としての化合物も微妙に異なります。

 踏鞴製鉄の〝錬鉄〟に含まれる不純物は、間接製鉄法で製造する〝鋼〟よりも多い筈ですが、性能を劣化させないそうです。〝錬鉄〟の一つである『玉鋼たまはがね』が日本刀の材料である理由は、そう言う事らしいです。


 ところで、如何どうやって古代中国人は間接製鉄法を習得したのでしょうか?

 青銅器文明をいしずえとして、鉄器文明は生まれました。

 考古学遺跡の分布が証明する通り、中国の銅鉱山は黄河中流域に集中しています。具体的には、長安(現陝西省西安)から洛陽(現河南省洛陽)までを跨った地帯です。

 作品中でも紹介した中国湖北省大冶県銅緑山の孔雀石鉱山ですが、黄銅鉱が一次鉱床で、孔雀石は黄銅鉱に付随する二次鉱です。純粋な黄銅鉱の組成は、銅が約35%、鉄が約30%、硫黄が約35%だそうです。

 青銅とは銅と錫の合金です。純粋な銅の融点は1085℃ですが、錫を混ぜると800℃前後まで融点が下がります。鉄と炭素の関係に似ていますよね?

 青銅の製造に必要な温度は随分と低いので、原始的な窯が有れば実現可能です。だから、現代から3、4千年前の大昔、殷王朝よりも古い時代には既に青銅器文明が花開いていました。

 鉄器文明の黎明期は春秋時代から戦国時代に移り変わる紀元前400年前後。悠久なる時間を費やして、彼らは築炉技術を磨き、超高温下での鉄の冶金技術をはぐくんで行ったのです。

 銅鉱山に加え、鉄鉱石の産出地もまた北方に偏在。間接製鉄法の普及が中国の中でも華北地方に限られる所以ゆえんです。本作品で描いた時代ならば、魏王朝の領域です。

 更に言えば、長安周辺は石灰石の採掘地としても有名です。中国史に登場する代々の統一王朝は長安を首都と定めました。蜀王朝との国境に近い長安は、魏王朝の首都の座を洛陽に譲りましたが、引き続き魏王朝の支配下にありました。

 河南省・河北省・山西省の省境を仕切る太行山脈も石灰石の採掘地として有名です。長安は洛陽から西に数百千米キロメートルの距離ですが、その洛陽から約90度の角度で視線を北北東に巡らすと、同じく数百千米キロメートルの距離で太行山脈が連なります。蜀王朝が攻めて来ても、魏王朝は石灰石の調達で困らなかったのです。

 石灰石が中国で普及していた証左として、一つの事例を挙げましょう。仏像です。インドでは花崗岩を彫刻しますが、中国では石灰岩。仏教の伝来時期が後漢時代――三国志時代の直前――なので、魏王朝の遺跡からは発掘されませんが、仏教が盛んになった唐代の仏像の殆どは石灰岩製です。

 一方、呉王朝の支配する長江流域では、鉄鉱石を産出せず、間接製鉄法が根付きません。替りに、砂鉄を原料とする直接製鉄法が一般的でした。

 曹操(魏王朝)が圧倒的な軍備を揃え、孫権(呉王朝)と劉備(蜀王朝)の連合軍に対峙できた背景には、間違いなく製鉄法の違いが有りました。大量生産の可否は、武器に限らず、農具の普及をも左右します。実際、当時の穀倉地帯は黄河流域だったそうです。農業の隆盛は戦費調達力に直結します。

 それらの事を考慮した私は、長江流域から対馬海流に流された古代中国人が出雲に漂着し、踏鞴たたら製鉄を教えたのでは?――と睨んでいます。

 隣の朝鮮半島では陸伝いに伝播した中国華北の間接製鉄法が主体となりました。加えて、重ね重ねの指摘となりますが、火山帯と無縁な地では良質な砂鉄を採掘できません。出雲地方とは技術的背景が断絶しているのです。


 鉄器が青銅器に取って変わった背景にも言及させて下さい。

 最大の理由は、間接製鉄法で大量生産する鉄器が安価だったからですが、もう一つの理由も無視できません。硬さと強靭性を兼ね備えた〝精錬〟後の鉄が特に武器の領域で重宝されたからです。

 青銅とは銅と錫の合金。銅が主、錫が従の関係なのですが、錫の含有率次第で青銅の性質が変わります。

 錫の含有率を低く抑えると、硬さで鉄器に負けます。斬戟ざんげきし合えば、早々に歯毀はこぼれしたでしょう。純銅に近い合金で製造した硬貨が十円玉。DIY用ドリルでも容易に疵付けられます。

 含有率を高めれば、今度は脆くなります。青銅製の武器は折れ易く、やはり実戦での使用に耐えません。

 尚、青銅の色は、錫が少ないと赤銅色、錫含有率の増加に従って黄色味を帯び始め、金色を経て、究極的には白くなります。本作品で登場する銅鐸は金色、銅鏡は銀色です。


 最後に。本作品から約100年後の神功じんぐう皇后の時代を描く続編では、石炭ではなく『コークス』を登場させます。

 コークスとは、石炭を1300℃以上の高温で蒸し、硫黄、タール等の不純物を分離して、炭素だけを残した状態の物です。現代の高炉製鉄業でもコークスを使用します。

 石炭をコークスに替えると、燃焼効率が良くなり、溶融炉の昇温を加速します。また、〝鋼〟の品質を劣化させる硫黄を排除できます。但し、鉄鉱石自体にも硫黄が含まれるので、不純物除去の行程を完全には省けません。

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卑弥呼とスサノオの系譜〜邪馬台国隠滅記1〜 時織拓未 @showfun

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