第30話 突き進む思惑の連鎖

『ホノギ様を神に祀り上げ、万民に知らしめるのです』

 シオツチの主張を入れ、ハナサク妃とウガヤは、可愛岳えのだけ――標高728メートルの山――の麓に山陵を造営した。海沿いの愛宕あたご山からは約5キロ、ほぼ真北に位置する。雄々しい山容に亡きホノギの笑顔を重ねると、遺族は一種の安心感を覚えるのだった。

 余談ながら、日本書紀は『筑紫日向の可愛山陵が邇邇藝命ににぎのみことの墳墓』と伝え、平安中期に編纂された延喜式は『日向に在れど稜戸は無い』と伝える。つまり、古墳と言う具体的な建造物が存在しない。

 よって、明治7年、政府は鹿児島県薩摩さつま川内せんだい市に所在する神亀山を天孫の墳墓だと治定した。今も此処に佇む新田神社の歴史は非常に古い。薩摩藩の学者の主張を重んじた判断だったが、異論が噴出し、明治29年には宮崎県の地を追加で可愛山陵の〝伝承地〟として整理した経緯がある。

 円墳に祀られる代々の卑弥呼を凌駕せん――と考えたウガヤ達は、丘陵自体を墳墓とする着想を得たようだ。円墳造立には、どんなに頑張っても、半年から1年の工期が必要となる。最高権力者の崩御に日向ひゅうが集落は揺れていた。普請を長く続ける余裕が無かった事も遠因だろう。

 ちなみに、遺体の腐乱を看過できぬ当時、まずは石室を築いて安置した亡骸を封印する。その後に土砂を被せ、人造の墳丘とする。自然の山容を模した円墳が黎明期の標準形であり、意匠性を加味した方墳の出現は古墳時代まで待たねばならない。

 進化の最終形態が前方後円墳だ。二つの図形を合わせた形状は、生前墓の思想と共に普及し、惜別の象徴から権力誇示の舞台装置へと昇華した結果でもある。既に石室は埋築されているので、埋葬当日の手間は納棺だけで済む。

 代わりに、多数の縁者や家臣を集めて追悼儀式を執り行う習慣が広がった。権力者の死を悼むなら、儀式は盛大な方が良い。広い式場設営の必然として、双山構造に帰着した。

 

 火焔神ひのかみを祀る高千穂宮は、建立当初から形骸化した宗教施設であったが、新たに邇邇藝命ににぎのみことを神として祀り始める。呼び名も高千穂神社と改めた。神社の発祥であり、日本神道の起源である。

 当神社は行く々々、日向ひゅうが三代と称される皇祖神とその配偶神を祀る事となるが、具体的には、ホノギとハナサク、ホオリとトヨタマ、ウガヤとタマヨリの3夫婦である。対馬島で自刃したホオリ夫婦を祀った時期は、タマヨリが天寿を全うしてからであった。


 翌春、出雲集落長のナムジが弔問に訪れる。冬の間は、中国山地の山道が大雪に閉ざされ、南下できなかったのだ。親族の弔いもことながら、同盟集落の権力者を悼む意味合いもあって、今回は妻を伴っての長旅だった。

 愛宕屋敷の戸口でヤガミが「義姉さん!」とおとないを入れる。よわい38を数えるが、遠くまで届く声量の持主は溌剌はつらつさを失っていない。出雲で冠婚葬祭を取り仕切る内に節介焼きの性格が磨かれ、気兼ねや物怖じとは無縁の女傑と化していた。

 出迎えに現れたハナサク妃は45歳。義妹とは対照的に憔悴の気配を色濃く漂わせ、目元に浮かぶくまや髪のほつれが痛々しい。足運びはあぶな気無いものの、嫁のタマヨリが心配顔で寄り添っている。

 二十年振りの再会に感極まったヤガミが、大股で歩み寄り、義姉の身体を抱き締めた。「随分と御無沙汰しました」と久闊きゅうかつを叙す囁きに、ハナサク妃も感涙を流す。未だに愛する夫を喪った哀しみから抜け出せず、久しき家族との邂逅に傷心が癒される思いだった。

「叔母様、こんな処では何ですから、なかに入りましょう」

「あなたは、確か・・・・・・」

「タマヨリです。トヨタマ姉さんの妹の――」

「久しぶりね。出雲で会ってから、もう1年半になるかしら?」

 眼前の女性は、楚々とした養女トヨタマと違い、逞しさを強く感じさせる。姉妹と聞いて仔細に眺めれば、鼻筋や口周りに懐かしき面影を見出せる。顔見世の時には夫の陰で控え目に振る舞っていたが、日々の生活で地歩を固めたのだろう。今日は家人としての自信をみなぎらせている。

 嫁がせた娘が婚家に馴染んでいる姿を見て安心する母親の気持ちとは、こんなだろうか。胸の内に温かいものを感じ、「ささっ、内へ――」と手招きする義姪タマヨリに思わず目を細めた。

 照れ隠しに「他人行儀は止して頂戴」と減らず口を叩く。ナムジが「積もる話に花も咲くだろうから」と妻の背中を押す。奥から現れたウガヤも「私らの子供に会って下さい」と招き入れた。

 

 接客用の広間に移動した一堂。車座になった家人と客人の間を巡り、婢女はしため葉煮湯はにえゆを供する。仄かな香りを鼻孔に燻らせ、甘味と渋味の混然一体となった味覚をしばし楽しんだ。奴婢が愛宕山の方々で採取した草木を煮立たせた薬膳茶の一種で、季節の移ろいに連れて材料も変わる。

 邪馬台城から大量の弁韓人べんかんびとが流入した結果、日向集落の暮らしは少しずつ半島文化に感化され始めていた。その一つが葉煮湯である。滋養の効能を聞き及んだ今では、味気無い白湯でもてなす家庭の方が少ない。

「あらっ!?。イワレだわ」

 愛孫を認めたヤガミが驚嘆の声を上げた。物珍しげに柱の陰から半顔を覗かせている。「御婆ちゃんよ」と手招きするも、自我の育ち始めた6歳の男児は中々近寄らない。人見知りする性格ではないので、少し気恥しいのだろう。

 乳母役の婢女がタマヨリの子供2人を連れて来る。2歳のイツセは手を引かれながらのヨチヨチ歩き、乳離れしたばかりのイナヒは乳母の腕の中で眠っている。

「可愛いわね」

 息子キマタが高志こし集落(北陸)で家庭を営み、ヤガミは孫を抱く機会に恵まれなかった。だから、イツセに喃語なんごで話し掛け、イナヒを撫で回すのに忙しい。その溺愛振りに触発されたのか、イワレが足音を鳴らして大人の輪に加わる。

「思い出すわぁ」

 遠い目をしたヤガミが慈愛に満ちた昔日の出来事を語り出す。ナムジ家に引き取った頃の邪気無あどけないトヨタマ。寡黙で健気な少女に成長した彼女はホオリと出会い、愛を育んで結婚。新居に移ってからの睦まじい夫婦生活。イワレが生まれてからは、自分も彼らの団欒に入り浸ったものだ・・・・・・。

 声を詰まらせながら紡ぐ言葉に、ハナサク妃とタマヨリも頬を涙に濡らしていた。母は息子を、妹は姉を偲び、彼らが幸せな一時ひとときを過ごした事に安心するのだった。泣きこそしないが、ナムジとウガヤの男2人も神妙な顔付きでヤガミの述懐に聞き入る。

 そんな大人達を不思議そうに見上げるイワレもた、静かに聞き耳を立てるのだった。


 翌日、可愛山陵えのさんりょう義兄ホノギの墓参を果たした後、ナムジとウガヤの2人だけは宮崎平野の南部へと移動した。ナムジが「生まれ育った故郷を目に焼き付けたい」と願い出たからだ。彼の本音はウガヤと差しで話す状況作りに在った。

 海沿いの街道を南下する2頭の馬の鞍には、持参した大竹筒を幾つも馬に提げている。筒の中身は濁酒どぶろくだ。出雲にて火入れ処理を施しており、長旅でも品質劣化しない。

 旧オオヤツ邸に到着するや、ナムジは上り框あがりかまちを踏み定め、太い柱を撫でては少年時代に想いを馳せた。今も昔も家財道具は殆ど無い。仮令たとえウガヤ夫婦の居処となろうが、良い意味で変り映えはしない。

 彼らが腰を下した部屋は、奇しくも、オオヤツ妃が生き残った息子に離郷を説いた場所であった。

 叔父と甥。婢女の運ぶ料理をさかなに2人は酒を酌み交わす。親交を温め直すだけではなく、饒舌にさせる酔いの効果をもナムジは狙っている。更には、深刻な話題に深入りしても、翌日には互いにとぼけて済ませられる。そう言った便宜上の算段でもあった。

「大勢の奴婢を受け入れたそうだが、米は足りるのか?」

「心配には及びません。日向ひむかの蓄えは十分です」

「瀬戸内の稲場いなばから引き出すなら、遠慮無く言ってくれ」

「有り難う御座います。でも、大丈夫でしょう」

 結果的に戦闘期間が短くて済み、筑紫ちくしで徴収した籾米の大半を持ち帰っていた。むしろ穀物庫の過半を焼失した邪馬台城の方が食糧難に直面している。今頃、奴婢の逃亡を有り難がっているだろう。城内の口減らしは利敵行為と承知しつつ、撤退中の日向軍には随行する彼らを追い払う余裕が無かったのだ。

「先の戦では死者も多く出たのだろう?」

「半分と言った処でしょうか」

「再び仕掛けるのか?」

 開戦は最も重要な政治判断。身内であっても軽々しく答えられない。いや、方針が定まっていないのだろう。重苦しい空気が淀む。素面であれば気拙きまずさを感じる場面だ。

「決め兼ねているのか?」と畳み掛けるナムジ。空になった木椀を見詰めるウガヤは無言を貫いている。自閉の殻から若人を引き出さんと、先輩格の集落長が酒筒を差し出す。

「父と弟の仇を討たねばなりません」

 予想された回答だ。但し、即答しなかった沈黙の間が胸中の逡巡を露わにしていた。甥の精神的重荷を取り除こうと思い遣るナムジ。

――熟練の為政者として、年長の親族として、何を話すべきか?

 寛恕と容赦の精神を培う事で初めて、自身の心を煩悶の煉獄から解放できるものだ。

――「敵を赦せ」と告げるには、似たような経験者の存在を教えるのが早道だろう。

 過去の封印を解こうと決意した途端、心臓の鼓動が早まったような気がした。呑気に『良薬は口に苦し』と構えても居られない。直視に堪えぬ真実だけに、迂遠で回りくどい物言いが求められる

義兄ホノギが残した最期の言葉は何だ?」

「母に対する謝罪でした」

「謝った理由に思い当たるか?」

「無事に帰れなかったからでしょう。母を愛してましたから」

 平凡な返答に頷きつつ、ナムジは「それだけではないと思う」と呟いた。意味深な言葉に「如何どう言う事ですか?」と食い付くのは自然な反応だろう。それを受け流し、別の質問を投げ掛ける。

「額に赤い二重丸を刻んだ理由は何だと思う?」

 ウガヤは3年前の記憶を手繰り寄せる。タマヨリとの婚儀を終えた後、父は剃髪した額に入墨を刻んだのだった。意表を突いた行動に周囲の者が驚いた事を思い出す。

「兄さんの敵討ちを誓うしるしだと言ってましたが・・・・・・?」

「ならば、タマヨリからホオリ誘拐の真相を聞いた直後に入墨を入れるべきだ。違うか?」

 改めて不自然さを指摘されても、父親の真情を知らないので、返す言葉が無い。

「あれは私が詰め寄ったからだよ」

「何と詰め寄ったのです?」

「・・・・・・アマツとカツヒを殺したのか?、と」

 肉親を殺すなんて尋常な事ではない。想像を超えた叔父の告白に思わず息を呑む。怖くて「父が・・・・・・?」とは問い質せなかった。

「母さんが、御前の祖母だな、死ぬ間際に言ったのだ。私の兄2人の死には不審な点が有る、と」

 言いながら、オオヤツ妃の最期の姿を回想する。枕元に自分を呼び、「トヨタマを頼む」と手を取った後、厳しい顔付で重大な秘め事を吐露したのだ。

 母親として子供達の仲違いは望まない。集落間の友好関係を崩す事なんてもっての外だ。反面、息子には娘婿の脅威を警告せねばならぬ。そんな相克に悩みながら、十年近くも秘匿し続けた彼女の胸中を知り、目頭が熱くなった事を思い出す。

「当時のホノギは日向ひむか首長おびとに成りたがっていた。だから、出雲への疎開を急がないと、私をも殺し兼ねない。そう考えたそうだ」

「兄弟をあやめずとも、父の集落を治める力は明らか。誰もが認めていたでしょうに・・・・・・?」

「此処では息子が父親を継ぐからな。邪馬台城とは違う」

「信じるに足る裏付けは無いんでしょう?」

「無い。だから、本人に確かめた」

 ナムジと違って、ウガヤは酒を飲み慣れない。酔いの回りも早く、頬は上気し、身体が火照っていた。けれども、緊迫した会話が冷や水を浴びせたようだ。頭の冴えを取り戻している。

「父は何と答えたのです」

「黙して語らず。私を強く見詰め返しただけだった」

 あの眼光の鋭い目付きは忘れられない。見開くでもなく、すがめるでもない。普段と変わらぬ表情なのに、放たれる凄味が一挙に倍加した。単なる威圧とは異なる。手負いの山狼おおかみがグルルとうなる、何処か自己防衛に通じる圧力を感じた。

 覚悟を決めて追及を始めた筈なのに、ナムジは踏み込めなかった。親族殺しを決意した男の深い闇の前では、善良に生きた男の胆力なんぞ比ぶべくもない。引き返せなくなる境界線だ――と、心身が本能的に察したのだろう。

「真相は藪の中・・・・・・」

「あぁ。でも、あの二重丸の入墨はアマツとカツヒへの贖罪だ」

「大半の人は火焔神ひのかみの化身と考えました」

「二重丸とした理由にならん。火焔神を模すなら、円の中を丸く塗り潰すだろう?」

「どうでしょうか」

 煮え切らない反応に苛付き「義兄ホノギの最期の言葉を思い出せ!」と追い詰める。

「出陣の折、夫婦の別れを済ませた筈。それでも猶、姉さんに謝罪するのは余程の事だ。死に臨んで真情を漏らしたとは考えられぬか?」

 常世とこよへと旅立つ瀬戸際にようやく懺悔できたに違いない。母親オオヤツの最期と重ね合わせ、悔恨の念を燻らせ続けた男の遺志を確信していた。

いずれにせよ、父は亡くなりましたから――」

 全幅の信頼を寄せていただけに、汚れた側面を直視したくないのだろう。甥の精神的苦痛を斟酌すべきと思い直したナムジも「そうだな・・・・・・」と矛を収める。

「私の言いたい事は一つだけ。首長おびとなら怨みを捨てよ。延々と殺し合う羽目に陥るぞ」

 私憤を封じ、憎しみの連鎖に絡め取られるな――と忠告したいだけの事。先輩格としての説教に「はい」との殊勝な返事が続けば、興奮も鎮まる。(大任を果たした)と安堵できれば、杯をあおって喉の渇きを潤すのみだ。世間話を肴に飲み明かすには理想的な春の夜である。

 ところが、膝詰談義は切り上がらなかった。

「仇討ちを諦めても、戦は終わらぬでしょう」

 流れに沿わぬ言葉をウガヤが寄越す。酒杯の陰から相手を伺い、様子を探るナムジ。呟いた本人は俯き加減に床を見詰めていた。2人の視線は絡まない。沈鬱な雰囲気をまとい、本音の対話が更に続く。

薩摩人さつまびとを宥めねばなりません」

 癖玉の発言にウムっと眉尻を上げるナムジ。詳述の必要を認めたウガヤが訥々とつとつと語り出す。

 大半の者は、戦死の可能性を深くは考えず、出稼ぎ感覚で徴兵に応じていた。同郷人の大量死を憤る帰還兵の鎮撫こそが目下の難題。彼らは、邪馬台城への憎悪心を燃やす一方、日向集落に補償を求め始めていた。

「だからと言って、戦をする必要は有るまい。農作業でも何でも食い扶持は有るだろう?」

 素直な疑問なれど、それを否定するように首が振られた。

「彼らの気性は地道な作業に向かんのです。武芸の訓練なら未だしも、生涯の生業なりわいとして続けるには・・・・・・」

韓人からびとの奴婢とは違うか・・・・・・」

「和睦を結べば、軍隊は無用の長物となります。日向人ひゅうがびとも無駄飯を与え続けはしないでしょう」

 立場が違えば、思惑も変わる。様々な当事者の要望は当然の如く相矛盾する。我欲を封じ、集落内に不平不満を噴出させぬよう戦時体制を続けるのだ。

「シオツチが『熊襲兵を城に送り込む』と宣言し、問題を先送りしています」

 終戦を迎えれば死なずに済む。警護専門の城兵職は理想の就職先となるだろう。城が兵士の衣食住を負担するので、日向人にとっても願ったり叶ったり。

「どちらかが滅ぶまで突き進むとは・・・・・・」

 唖然とするしかない。生半可には幕引きできない現実が若き為政者を縛っていた。自分の意思では何も決められず、責任だけを負わされる理不尽な境遇。果たして、義兄ホノギが肉親を殺してまで息子に継がせたがった集落長の姿なのだろうか?

「御前の窮状はく分かった。今後とも出雲は協力を惜しまぬから、心持を強くせよ」

 気の毒な若者を解放したいとは思うも、妙案が無い。社交辞令に過ぎぬ言葉で慰めるのが精一杯だ。それでも、ウガヤは声を詰まらせ、「有り難う御座います」と丁寧に頭を下げた。

 得てして、重責を担う者は奥深い悩みを抱える。それに理解を示す者は滅多に現れず、権力者は孤独に苛まれる。そう言う意味では、ナムジに吐露する事で少しは気が晴れたのかも知れない。


 明くる朝、公言通りに、ナムジは共同墓地を見舞った。母オオヤツを除いて、全親族が葬られている。病気や厄災で落命する者が多い反面、埋葬地に割ける平地は限られる。死んでは土地の所有権を主張できず、墓石の類も無い。朧気な記憶が故人の眠る場所を特定する唯一の手懸りだ。

 アマツとカツヒの眠る地面を見下ろしながら、一向に晴れぬ現世うつしよの憂さを反芻していた。既に故人の倍を生きているが、此処に立つと、やっぱり自分は弟なのだと思う。甘えとは違う、年長者に庇護される安らぎを感じられた。

 昨日までは墓下の2人を不憫だと憐れんでいたが、そう簡単ではない事を痛感する。ウガヤの懊悩を思い出すに連れ、誰を不幸者と呼ぶべきか、その線引きは曖昧あいまいとならざるを得ない。最初は幸せを求めて踏み出したに過ぎない。それなのに、因果応報の糸に絡め取られ、奈落の底に落ちんとしている。

 生まれ育った集落が平和に発展する事だけが彼の望みだ。しかし、親族といえども今は出雲人の代表者。無分別に口出しすれば、内政干渉と煙たがれるだろう。後方支援者としての分をわきまえる必要が有る。兄達に「ウガヤに罪は無い。可哀想な甥を恨まず、助けてやってくれ」と祈願するしかなかった。


 一方、邪馬台城にける喫緊の課題は備蓄米を枯渇させぬ事であった。まずは米騒動の予防。その為に筑紫ちくしの民を城内に招き入れ、穀物庫を検分させる。

 オモイカネの献策により、焼討ちを逃れた米俵を庫内前面に寄せ、後背には藁を詰めた偽物を積んで誤魔化した。奥まで潜り込んで確かめる者は現れず、米俵満載の光景に安心した庶民が足取りも軽く引き揚げる。その後姿を見送りながら、卑弥呼はホッと胸を撫で下ろしていた。

 次なる課題は防衛力の立て直しだ。元海賊を取り込んで800人強まで増員した陣容が、今や250人前後と心細い限りだ。3分の1以下まで討ち減らされた防城戦の過酷さには背筋が凍る。

 日向側の軍勢も削がれてはいるが、密偵の報告に拠ると、相変わらず軍事訓練に勤しんでいるらしい。捲土重来を期す事が有り々々と窺え、邪馬台城の者は皆、上下を問わず、心胆を奪われている。

 卑弥呼達3人は、額を合わせるようにして、今後の善後策を相談し始めていた。

「オモイカネよ。如何どうする積りですか?」

「色々と考えを巡らしておったのですが、我らの採り得る道は一つだけ」

「それは何です?」

斯蘆しろには貸しが有ります。彼らの兵を借りるのです」

 和平論者の女王を一顧だにせず、彼の頭は戦争継続の考えに染まっている。武臣を見遣っても、彼は一切の表情を消し、んまりを決め込んでいるようだ。もっとも、交戦を説く智臣の傍らで宥和を唱えるのは難しい。弱腰を叱責されるのが関の山だ。

 最高責任者の自分が方針を示すべきだと思い直し、「和睦の道は?」と逆提案した。

「城を明け渡す覚悟が――?」

「構いません。彼らが善政を敷くのであれば、われは喜んで下野します」

「残念ながら、その考えは甘いでしょうな」

 意地の悪い言葉尻は(世間知らずが・・・・・・)との軽蔑を孕んでいる。慇懃無礼な言動に素知らぬ風を装い続けた卑弥呼も(軟弱な態度が彼を増長させた)と自省し始めていた。今回ばかりは毅然とした態度で臨むべきなのだろう。だから、意を強くして「何故です?」と問い質した。

「奴らが仇討を望むなら、我ら3人の生命を差し出す他ありません。城を明け渡すとは、そう言う意味です」

 彼には侵略の脅威を取り除いたとの自負があり、冷淡な口調が第三者的な響きを帯びる。

――大義には小事の犠牲が付き物。何故、自分が死んで詫びねばならん?

 鬱屈した感情が沸々と湧く。更には、言い抗う卑弥呼にも(奇麗事ばかりを・・・・・・)と反発心を強めていた。しかも、日向軍が撤退した直後、彼女はミカヅチに縋って泣いていたではないか。そんな小心者が果たして我が身を犠牲に出来るのか。

 小胆を喝破されたと悟った途端、女王の威厳は消え失せる。誰でも藪から棒に「死ねるか?」と迫られれば、怯むしかない。穀物庫の床下に隠れし時は死をも覚悟したが、自ら進み出る勇気は無い。その臆病さを他人は卑怯と呼ぶのだろう。

――卑怯者に抗弁する資格は無い・・・・・・。

 反駁したい気持ちは山々だが、物言えば唇寂し。庶民と同じ感覚で言い争う元首は愚劣の極みだ。一方で沈黙は首肯と同義なれど、この5年足らず、事態は悪化の一途を辿っている。オモイカネの献策しか取り得ないとしても、彼女の心は不安で張り裂けそうだった。

「大丈夫ですか?」

「そもそも、彼らが恫喝しなければ、日向ひむかと仲違いせずに済んだのです」

 海の彼方より厄災の種が持ち込まれた因果は論を待たない。手前勝手で空疎な反論と自覚しつつも、共犯者意識よりも被害者意識が高じた2人が強く頷く。丸で心の救済を求めるかの様に。

「更に言えば、邪馬台城が滅び、白き岩や黒き岩の手配が途絶えれば、彼らとて困るでしょう」

「つまり、再び手を貸すと?」

斯蘆しろと我らは夫婦めおとみたいな間柄なのです」

 果たして自分は何を「大丈夫?」と問うたのだろう。援軍獲得の算段ではなく、継戦の弊害を確認したかったのだが、継戦の弊害を確認したかったのだが、その本音は休戦であった。でも、何れにせよ和平への道は見出せぬようだ。

「そして、もう一度、戦いを挑むと?」

日向ひむかを討ち従えなければ、悲劇が繰り返されます」

「分かりました。貴方に任せましょう」

「有り難う御座います」

 戦争継続の軸が定まれば、互角に戦う算段を巡らすのが武臣の務め。

「ところで、幾らの戦人いくさびとを借りる積りなのですか?」

 実際に敗者復活戦を挑む立場としては当然の質問だった。

「何人くらいを所望する?」

 軍勢は多いに越した事はない。欲を言えば、防城戦で失った600人は補填したい。反面、言葉の通じない兵が多いと、統制が利かなくなる。それに・・・・・・。

――斯蘆人しろびとが過半を占め、指揮権を握っては最悪。体の良い進駐ではないか!

「200人程度が上限か、と・・・・・・」

韓人からびとを組み入れ、日向ひむか戦人いくさびとは千人近くまで膨らんでいるぞ!」

「ですが・・・・・・、邪馬台城が斯蘆に乗っ取られませんか?」

 背信の危険性を指摘した質問に発案者も押し黙る。悪逆非道の横行する朝鮮半島に助力を乞うのだ。彼らに寝首を掻かれる恐れは多分に有った。

「オモイカネよ。ミカヅチの懸念は的を射ていると、われも思います」

「そうですな。私とした事が・・・・・・、迂闊でした」

 自分とて現人神あらひとがみの矜持は失っていない。でも、明敏さが色褪せ始めているのも事実。〝貧すれば鈍す〟なのだろうか?

「ミカヅチが勝てるならば、それで良いのです。その勝つ為の算段は?」

 智臣が投げ遣りに責任転嫁する。確かに軍略は彼の管轄外ではあるものの、多勢に無勢。兵力の優劣が勝敗を左右する原理は兵法を学ばずとも直感的に理解できる。

「韓半島の進んだ技術が不可欠です。新兵器を求めて下さい」

 無理難題の前では武臣の思考も停止せざるを得ない。新兵器とやらの存否は知らぬが、ミカヅチは正直に白状した。具体論を欠いた陳述は空転するばかり。鳩首談義に臨んだ者の気は晴れず、溜息ばかりが木霊こだまする。

――余程の新兵器を入手しない限り、此方こちらから仕掛けるなんぞ考え難い。

 認識を共有した3人は、当面は専守防衛に徹する方針を再確認し、オモイカネの渡韓準備を急ぐのだった。

 

 斯蘆しろの国王が倭国の要請を聞き入れたのは、仁義を重んじた結果ではなく、打算の結果である。

『朕は常々不満に感じておったのだがな・・・・・・』

「何で御座いましょう?」

鉄餅てっぺい炭石すみいしとを同じ重さで交換するのは不公平ではないか?』

「何故でしょう?」

『炭石は掘り出しただけ。鉄餅は、赤石あかいしを掘り出した後、手間を加えておる』

 オモイカネは「ご賢察、おそれ入ります」と持ち上げ、「甘んじて御受け致します」と平身低頭で受諾する。但し、かさず『米や白き土角つちかどには人手が掛かりますぞ」と言葉を重ね、強欲な口撃に予防線を張った。

『ああ、そちらに文句は無い。特に白き土角は使い勝手がすこぶる良いようじゃ』

 2人の会話に登場する『炭石』とは石炭。『赤石』とは鉄鉱石。『白き土角』とは耐火煉瓦である。

 辰韓しんかん――斯蘆国の勢力圏――でも石炭を産出するが、慶尚キョンサン南道にそびえる梁山ヤンサン鉄鉱山の付近に構えた製鉄現場までは遠い。輸送効率を考え、占領後も輸入し続けていたのだ。

「国王様の御考えでは、交換比率を如何程いかほどにすべきだと・・・・・・?」

『2対1。炭石2に対して、鉄餅が1じゃ』

「その条件を飲めば、兵士や武器を貸して頂けるのですな?」

『ああ。約束しよう』

 足元を見た積りでも、提示された支援内容はミカヅチの熱望した最新技術に満ち溢れていた。ひとえに中華帝国を真似た成果に過ぎず、朝鮮民族の優秀さを証明するものではない。それでも、軍事面で未熟な倭国にとって垂涎の的には違いない。

 具体的には二つ。一つ目は騎馬兵だ。

 半島北部の新興勢力である公孫一族や、更に北方の満州で跋扈ばっこする鮮卑せんぴ族が猛威を奮っている。彼らに惨敗を喫した軍隊は、その敗因を騎馬兵の不在に求め、自らの戦力に組み込れようと模倣した。

 但し、遊牧民でもない斯蘆兵の馬術は本家に数段劣る。具体的には、手綱を握る事に一生懸命で、馬上で武器を振り回す余裕が無い。だから、軍馬の重量に物を言わせて敵兵を蹂躙するばかりで、俊敏性を活かし切れないでいた。

 この優劣は西暦300年前後にあぶみが発明されるまで尾を引く。現代の騎手は、馬胴の左右に垂らした鐙に両足の爪先を差し入れ、鞍に跨った姿勢を保つ。それに引き換え、当時の人々は馬背を自分の大腿部で挟みながら乗馬せざるを得ない。

 太腿の筋力を鍛えておかねば、上半身の安定は覚束無いが、日がな一日、馬上に揺れる生活を送らない限り、それは無理な話だ。斯蘆兵の馬術が上達しない所以ゆえんである。

 戦果に大して貢献しないにもかかわらず、軍馬を従軍させる理由は、糧秣の一種と考えているからだ。負け戦となれば、潰走時の移動手段として重宝するし、最後は殺して馬肉を喰らう。北方民族が知れば〝宝の持ち腐れ〟と呆れ果てるだろう。

 二つ目の新技術はよろいだ。

 斯蘆国の上級兵士は鉄片を魚鱗の様に編み込んだ鎧で身を守る。下級兵士の着用する鎧は、素材が木片と見劣りするが、其れなりに防御力と柔軟性を兼ね備えている。その一片々々は蒲鉾板かまぼこいた酷似そっくりだ。詰屈ぎこちないながらも、手足を動かし、腰を捻られる。厚剣で一撃された程度では傷を負わない。

 国王の貸し与えた援軍は騎馬兵20人と歩兵180人とで構成される。「交易条件で大きく譲ったのですから」と、オモイカネが粘り強く懇願した結果、予備の軍馬50頭も追加された。

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