第06話 鎮火の祈り

 卑弥呼は、ツイナを先に休ませ、煌々と輝く満月を夜通し眺めていた。かまち踏面ふみづらに腰かけ、下段に置いた火鉢に手をかざしながら、一人切りの静寂を愉しんでいた。青白い麗光を浴び、心身共に清められていると実感する。彼女にとっては、肌寒い夜気すら名残惜しむべき対象であった。

 明くる朝、辞世の挨拶をせんと、奴婢ぬひも含めた全城民を広場に招集する。ぞろぞろと工房や居住棟から現れ出でる長い列。城内復旧の従事者も作業の手を止めて広場に向かう。人々は皆一様に、前代未聞、且つ突然の指示に(何事か!?)と怪しみ訝っていた。

 祭儀場と定めた工房の前で、紅紫色の衣装に身を包んだ女王が即席の演台に立つ。小柄な彼女の目線でも衆人の最後尾に集う頭頂部までが見渡せた。自身に注がれる無数の瞳を見据え、あらん限りの大声を張り上げる。

われき従いし者よ!。別れの時が来ました」

 限られた庶民が流言を耳にした程度で、城民の大半は真相を知らされていない。不意打ちめいた宣言が人伝に拡散するに連れ、方々で騒響ざわめきが沸き起こる。現人神あらひとがみとは一種の信仰対象。その最頂位の女神を喪う事態に理解が及ばない。

 喧噪を静めようと振り上げられた可細い両手。聴衆の誰もが黙り込み、生唾を呑み込んだ。不安なのだ。新たな宣託を求め、聴覚を研ぎ澄ませる。

われ火焔神ひのかみの元に赴き、生命いのちを捧げて荒魂あらたまを鎮めます」

 練習した台詞せりふを一気に吐き出し、両肺に息を詰め直す。その小休止が虚勢を崩す蟻の一穴となった。登壇時には保てていたのに・・・・・・と当惑するも、揺らぎ始めた自制心は余りにも脆い。去来する万感の想いに心を乱され、嗚咽おえつに口籠る。

「皆の者とは・・・・・・もう少し・・・・・・長く一緒に居たかったけれど、それも叶わぬ夢となりました・・・・・・」

 集いし者は既に大声で泣き叫び、口々に悲嘆の呻き声を上げていた。腰砕けに膝を折る者が続出し、周囲は愁嘆場と化している。

――雰囲気に呑まれてはいけない。指導者には毅然とした態度が求められるのだ。

 そう自分に言い聞かせる。目元を袖で拭い、ふうっと深呼吸する。

「次なる卑弥呼はツイナです!」

 高らかに告示する。

「泰平な世の回復、邪馬台が繁栄を取り戻す未来。それがわれの望みです。ツイナの下で協力し合い、必ず実現するのですよ」

 彼女は、傍に跪くツイナ、オモイカネ、ミカヅチの顔を順繰りに見納めた。視線を上げ、3人の向こうで平伏する背中の群れを眺める。彼らは苦楽を共にした仲間だ。

――自分の治めた城が本当に愛おしい。どうか皆が幸せでありますように!

 哀愁の漂う眼差し。双眸を細めた弾みにこぼれた涙が頬を伝う。一筋、二筋。

 不思議と死への恐怖心は無い。平穏な心持で立ち去れる事を、素直に有り難いと思う。最後にニッコリと頬を緩めたが、慈母の如く朗らかな笑顔であった。

「有り難う。そして、さようなら・・・・・・」

 小声で呟くと、クルリと踵を返す。落ち着いた足取りで工房の奥へと姿を消す卑弥呼。

 工房の大きな開口部の全てに城兵達が木戸を立て始めた。恥も外聞も捨て去り、全員が泣いている。ミカヅチまでもが大粒の涙を地面に落していた。

 密閉空間と化した工房内の酸素が欠乏すると、窖窯あながまで燃える木炭は、二酸化炭素ではなく、一酸化炭素を排出し始める。血中酸素を奪われ意識を失った中毒者は死に至るまで苦痛を感じない。現代でも散見される煉炭の不燃焼事故と同じだ。 

 こうして、彼女は火焔神ひのかみの御心を鎮める人柱となった。邪馬台城ならではの方法で自害する。


 背後の出入口が塞がれると、工房内の照明は一挙に落ちる。但し、暗闇ではない。窖窯内の木炭が、赫々あかあかと炎を躍らせ、熱の籠った光を放っていた。肌寒さを感じる程の外気温だったので、屋内の生暖かい心地良さに軽く身震いする。

 眼前には祭壇として仮設台が組まれている。5段の短い梯子に足を掛け、檀上にじ登ると、茣蓙敷きの寝床に横たわった。

 祭壇の向こうには、巨大なロールパン然とした窖窯が3基、等間隔に並んでいる。其々が幅3メートル、高さ2メートル、長さは10メートルを少々上回る大きさ。奥面の地面からは煉瓦積みの煙突が屋根へと伸びている。

 窖窯とは、地下を掘って下部構造とし、上部構造は煉瓦を長方体に積んだ焼成炉である。炉口で木炭を焚くと、熱せられた空気は炉奥の煙突へと向かう。熱気流の高温が隅々まで行き渡った炉内で焼成するのだ。

 煉瓦や木炭の焼成工房は、同一原理ながら、生石灰や土師器はじきの其れとは微妙に仕様が異なる。現代風に言えば、二つの焼成炉を併設した省エネ仕様。具体的には、煉瓦を焼成した熱気を隣接の焼成炉に誘導し、木材をいぶした後で棟外に排出する。

 理論上はの焼成炉でも熱量の二次活用が可能なのだが、煉瓦と違って陶器の形状は千差万別。炉内の熱気流を制御できず、木炭焼成炉との併設を断念している。加えて、薄い陶器に必要な燃焼時間は相対的に短く、木炭を燻し切れないと言う難点も有った。

 説明が脇道に逸れたが、単独仕様の焼成炉が石灰石(炭酸カルシウム)を825℃以上に加熱し、生石灰と二酸化炭素に分離する。この煆焼かしょう反応とは別に、熱源の木炭が酸素を消化し続ける。今回の焼成目的は女神の自害。よって、必要以上の木炭が窯込めされ、燃やされていた。

 黒塊の表面で踊る火の妖精達。控えめに輝く舞踏会を遠巻きに眺める彼女は、急拵きゅうごしらえの寝床に肘枕をして寝そべっている。傍らには水瓶と木椀。阿蘇山の噴火以降、栄養補給源を煮汁に限り、固形物は口にしていない。沐浴もくよくも頻繁に行い、肉体の浄化を怠らなかった。

 代々に語り継がれし仕来しきたりに従いつつも、彼女は実行を迫られた者の存在を知らない。「安らかな内に召される」との言葉も未体験者の口伝に過ぎず、不安が無いと言えば嘘になる。

 でも・・・・・・、不思議と炉内の炎は安心感を与える。これから火焔神ひのかみと対面するのだ。案内人と言うべきか、前哨の衛士えじと言うべきか。いずれにせよ、彼女に危害を加えそうにない。寧ろ手招きする風にも見える。

――屹度きっと、私を優しく導いてくれるに違いない。

 一瞬たりとも気を抜けなかった最後の奉公。自分が弱みを見せれば、城全体が恐慌に陥る。過酷な運命に直面した自分こそ誰かに縋っていたいのに・・・・・・。統率者の務めだと覚悟しても、未知への恐怖心は消えない。強い意志を保たねば押し殺せない。

 その緊張感から解放された今・・・・・・、確かに安寧の瞬間とも言える。無音の空間。右に左にと揺らめく炎の群れは彼女の意識を過去――先代の御世――にいざなう。


 秋の収穫期を迎えると、城外の至る処で豊穣祭が催される。卑弥呼は、神の化身として招待され、彼女の前には幾重もの舞踏の輪が出来る。踊り続ける民衆。疲れては列から離れ、休憩と飲食の後に復帰する。祭りの間、老若男女の歓声が途絶える事は無い。

 誰もが陽気な雰囲気に感化され、主女あるじの傍に控える宗女といえども手足が拍子を刻む。

「ミナモ。貴女も踊ってらっしゃい?」

 朗らかな笑顔が其処に有った。少女の肩に手を添え、勇気付ける様に頷く先代女神。

――初めて参加した集落むらの秋祭り。浮き浮きと心が弾んだけど、見知らぬ人の列に加わる勇気が出なくて・・・・・・。

 二の足を踏む彼女の背中を色白の手が優しく押し出す。後は成り行きだった。

 子供達の連なりに加わり、周囲の一挙手一投足を真似てみる。踊りに慣れて仕舞えば、高揚感しか感じない。得意気に振り返れば、自分を見守る先代女神が目尻を下げていた。


 室内の蒸し暑さに不快を感じた途端、楽しき追憶は儚くも消える。気付けば、全身から噴き出した玉の汗が流れを結んでいる。水分を補給せねばと、水瓶に木椀を潜らせた。童心に返って威勢良くあおると、行儀悪く喉元に注ぎ込む。孤独空間の此処では行儀作法も意味を成さない。胸の谷間を水滴が伝う。

――そう言えば、私の名前はミナモだ。水遊びの好きな子供だった・・・・・・。

 流水の感覚が思い出させた事実。愕然として空の木椀を見詰める。意識の底に封印した過去が蘇れば、別の記憶も呼び覚まされる。窯口の照火が届かぬ天井を見上げれば、薄暗い空間に幼少期の残像が鮮明に浮かび上がった。


 婢女はしためから筑後川ちくごがわの存在を聞き、居ても立っても居られなくなった。未知なる景色への憧憬は募る一方だ。後日、無理を言って連れ出して貰い、雄大な河川の岸に臨んだ時には言葉を失う。

 心底から沸々とたぎる衝動。目に焼き付けるだけでは満ち足りず、ミナモは大河の流れに踏み入った。慌てた婢女が背後で騒ぎ始める。振返らずに腰の深さまで進み、水流に押し流されそうになって思い直す。流石さすがに危ない。不様にも恐怖心に駆られ、大股で川岸へと逃げ戻った。

 祭祀行事を除けば、行動範囲が城内に限られる宗女の身。基本的に深窓の令嬢と同類なのだ。筑後川での入水体験は蛮行とのそしりを免れず、周囲を相当に呆れさせた。謹慎を覚悟したものの、先代女神は怒るどころか、彼女の無鉄砲さを自慢気に吹聴したものだ。

 遠出の一件からしばらく経った或る日、オモイカネから末蘆まつろ集落への旅に誘われる。同行するなら、主女あるじに許しを乞わねばならない。気後れを感じながらも一念発起して相談した。

 意外にも、先代女神の反応はすこぶる前向き。拍子抜けする程だった。「宗女も見聞を広げるべきです」と快く送り出してくれた。大方、2人は事前に話し合っていたのだろう。

 城門の外に広がる異世界。若草色に染まった田圃たんぼが延々と連なり、その遥か向こうには千歳緑せんざいみどりの山並みが見える。それだけなら彼女も驚きはしない。でも、山地に分け入り、鬱蒼とした森林を潜り抜ける体験は冒険以外の何物でもない。

 大樹の間を蛇行する山道は、其処々々の人々が往来しているようで、獣道けものみちよりも太い。しかし、山歩きに不慣れな彼女にとって、難儀な道である事には変わりない。加えて、旅慣れたオモイカネの歩速は早く、ミナモの息は上がり放しだった。

 這々ほうほうの体で辿り着いた峠から見渡す玄界灘げんかいなだ。眼前には青緑色の水平線が広がっている。激しい息遣いも鳴りを潜め、ただ唖然と見入ったものだった。何せ、邪馬台城の膝元に広がる有明海を望む限りは、水平線と無縁なのだ。

 茫漠とした大海原を一刻も早く間近に見たい。幾ら疲労しようが、強い渇望は若い肉体に活力を充足させる。干飯と水だけの簡素な昼食を摂るや、気持ちの急くままに、急峻な山道を元気良く下る。切崖から海岸線を見下ろした時には、磯に打ち上げる波涛はとうの力強さに興奮した。

 末蘆集落に到着するや否や浜辺へと走り、押し寄せる浪間に飛び込んだのも懐かしい。泳ぎとは無縁に育った者の無鉄砲さ。水中でも呼吸できると早合点していた。海水にせ、波に翻弄され、挙句の果ては浜に打ち戻された。冷静沈着なオモイカネも、只々ただただ呆れ、狼狽するばかりだ。

 ミナモにとっての真骨頂は波間の遊泳法を手解きされた後だ。両脇と腰に瓢箪ひょうたんを撒き付け、地元民が曳くに任せて入江いりえに向かう。海中で両足を羽多付ばたつかせながら、恐々と顔を水面に沈める。両目を見開いた時の絶景を何と表現すれば良いだろう?

 翻る度に反射光を煌めかせる小魚の群れ。その周囲を大きな魚が悠然と泳ぎ過ぎる。水流に揺れる海草の森。水底には大小様々の厳つい岩が転がり、砂化粧している。海底を能く見れば、瓜種型の魚が岩場の陰に隠れ、扁平な魚が海底に這いつくばっている。

――魚って息をしないのかしら?

 調理済みの魚しか知らぬ彼女にとって、活き活きと海中を泳ぎ回る魚は摩訶不思議な存在だった。

 そんな魚群の背後に緩やかな泳ぎで迫る案内人。殺気を封じて銛を衝く。鮮やかな緩急の切り替え。尖頭の刃先に捕えた黒鯛が身悶えながら血筋を流している。

 釣果を携えたら、さも当然と言わんばかりに呑気な動きで、ミナモの元へと泳ぎ帰る。丸太に括り付けた魚籠びくに獲物を容れると直ぐ、休憩もせずに海面下へと没する。彼の主目的は漁猟。一匹の獲物では満足しない。

 今度は素潜りで海底の岩間を突き、あわび栄螺さざえを採って来た。更に回数を重ね、ハマチやスズキ、蛸も採って来た。魚籠が程無く満杯となる。ミナモは、何度も息継ぎして一部始終を見守り、野性味の溢れる漁獲行為に心を震わせた。


 海中世界の思い出に浸りつつ、夢とうつつの境目を朦朧と彷徨さまよう。我が身を捧げると決心して以降、緊張の日々を強いられた。精神の疲弊ばかりか、不自然な食事で肉体も衰弱していた。心身共に休息を欲していたのだ。

――何時間が経過した事だろう?

 約40℃に上昇した室温。岩盤浴の密室と同じ環境だ。誰でも息苦しさに目を覚ます。彼女の意識も現実に引き戻された。

 渇きを覚え、木椀に手を伸ばすミナモ。

――水を飲んで喉を潤すのは何の為?。間も無く火焔神ひのかみに召されるのに・・・・・・?

 明敏な思考は乱れ、再び意識が混沌とし始める。でも、全身から噴き出す汗が止まらない。濡れた布地が肌に張り付く居心地の悪さ。拘束されているようで我慢できない。

――自由に成りたい、全ての世柵しがらみから解放されたい。

 上半身をくねらせ、小袖から両腕を抜き離す。更に身悶え、袖無し襦袢じゅばんをも脱ぎ捨てた。一糸纏いっしまとわぬ全裸となったら、身も心も軽くなった。全てを捨て、無に帰る。煩悩からの解放感が一瞬なりとも恐怖心を鈍麻させる。

 渇いた口唇から吐息を漏らした後、大きな笑い声を上げ始めた。自暴自棄の嘲笑とは異なるが、満ち足りた哄笑とも言えない。人間としての常識を超越した、狂人めいた呵々大笑。理性を失ってこそ初めて神への拝謁が叶うのであろう。

 狂笑の余勢を借りて、手足を大の字に伸ばしてみる。四肢を折曲げ、再び伸ばす。筋肉をほぐすと言うよりも、赤児が手足を振り回して喜びを表す仕草に似ている。幼児退行の予兆だろうか。

 カチャン。暗闇に響く金属音。

 神憑り状態から我に返ったミナモが音源を覗き込む。どうやら、蹴り押された襦袢が草薙剣くさなぎのつるぎを祭壇の隅から床に落としたらしい。上半身を起こして窖窯あなかまを見れば、下層の木炭は消え、上段に積み重なった木炭も火焔の勢いを弱めている。

――炭の補充が必要だわ。つるぎも拾わねば。

 祭壇から片足を下ろし、後ろ向きに降り始めるミナモ。赤銅色に鈍く反射する神剣を拾おうと、身を屈めた時である。目眩に襲われ、意識が遠退とおのいた。思わず足元を蹌踉よろめかす。

 十分な酸素が有る限り、木炭は二酸化炭素を排出する。ところが、酸素が薄くなれば、一酸化炭素を発生させ始める。密閉空間内の最下層を重い二酸化炭素が覆い、その上に一酸化炭素が漂う。今や酸素を奪う蓄積層が迫っていた。

 慌ててじ戻る。見えない存在への恐怖。寝床にへたり込んで胸に手を当てれば、心臓が激しく動悸を刻んでいる。

――火焔神ひのかみが降臨しつつあるのかも・・・・・・。

 不様な真似は出来ないと覚悟し、静かに横たわった。目蓋を閉じて胸の上で両手を組み、きたるべき瞬間を待つ。怖気を払い除けるように何度も深呼吸する。

 意図せずして一酸化炭素の空塊を吸い寄せたのだろう。長い時間を置かずして、彼女の意識は何処いずこかへと連れ去られたのだった。


 魏志倭人伝は卑弥呼を『鬼道につかえ、く衆を惑わす』と評している。〝鬼道〟とは自ら人身御供ひとみごくうとなって太平の世を回復させんとする彼女の精髄を指す。

 歴代の中華皇帝には信じられない発想であった。彼らは自身の君臨だけを考え、世襲による一族繁栄を追求する自己中心的な人種。理想の地――蓬莱――で実践される民主の風習におののく畏怖心を宥めるには、東夷の蛮族がうつつを抜かす愚行と呆れ蔑み、〝鬼道〟と切って捨てる他に選択肢は無い。

『卑弥呼を埋葬する際に、100人余りの奴婢ぬひを殉葬した』とも書かれているが、恐らく通底には冒涜ぼうとくの意思がわだかまっている。

 中国でも皇帝墳墓に生者を殉葬する習慣は太古にすたれた。秦の始皇帝陵から発掘された兵馬俑へいばようでも明らかな通り、文明国たる中華帝国では既に陶俑――日本の埴輪はにわに相当――の副葬が一般化していた。それだけ「日本は遅れた国家だ」と裁断したかったのだろう。

 人口1万人前後の邪馬台城にける奴婢の構成比は1割から5分の間。100人も殺しては社会的機能、特に糞尿処理に綻びを生じさせる。余剰人員を無駄に養う余裕が有ったとも思えない。それに、殉葬の危険を感じれば、奴婢達は集団で逃亡したに違いない。

 反面、7世紀後半の日本人は大国の歴史書を盲信していた。『かつての自分達は非人道的だった』と。文明的に遅れているとの自虐的精神も作用した。だからこそ、記紀で『慈しみ深い第11代の垂仁天皇が殉葬を禁じ、埴輪の副葬に替えた』と高らかに語っている。

 視点を変え、今度は被葬者の心情を想像してみよう。独占欲の強い皇帝が後宮の美女達を道連れにするなら、その動機を(感情的な嫌悪は扨措さておき)頭で理解できる。でも、奴婢を道連れにしたがる女王の望みとは何だ?。面識の無い奴婢と一緒に葬られて、果たして心が休まるだろうか?

 縄文時代から土偶文化を育んだ日本人が、埴輪の副葬に移行するのは自然な流れ。その移行期に突如、生者を殉葬させ始める不連続性こそが不自然である。


 もう一つ、歴史の裏話を開陳しよう。

 斉国出身の道師徐福は「蓬莱ほうらいに行き、不老長寿の霊薬を持ち替える」と秦朝の始皇帝に提案する。紀元前3世紀の逸話エピソードだ。

――自らの享楽ではなく、臣民の幸福を第一に考える統治者が治める安住の国――

 山東半島の東方沖に浮かぶ仙郷(蓬莱)とは、慈愛に満ちた卑弥呼の風聞が具現化した姿なのだろう。また、世代交代を通じて君臨し続ける卑弥呼の名は不老不死の迷信を生む素地ともなった。

 ところが、邪馬台国の滅亡後、桃源郷と呼べる地は日本から消滅する。一方で、人々の理想郷追求の念は衰えない。古代日本では、丹後国風土記や日本書紀の浦島伝説へと結実する。物語の主人公(浦島子)は、中国大陸との交易で財を築いた人物で、蓬莱伝説の定着にも一役を買った。

 哀しいかな、理想郷とは空想の産物。蓬莱の所在地を中国人は東方に、日本人は西方に求めたが、広漠たる黄海の波間に仙郷は存在しない。所詮は蜃気楼なのだ。浦島太郎が歓待された竜宮城が海中楼閣とされた所以ゆえんである。


 焼成工房に卑弥呼が安置されること三日三晩。煙突から立ち上った煙はうに絶えている。

 4日目の朝、オモイカネが工房の開扉を指示し、衛士えじ達が木戸を次々と外す。換気が十分だと判断したミカヅチは、数人の部下を引き連れ、工房内に姿を消した。

 誰も招集しないのに、城民の殆どが自発的に集まり、固唾を呑んで一連の作業を見守っている。

 対の太竹に麻布を渡した擬似担架に遺体を横たえ、工房の戸口に現れたミカヅチ達。彼らの面持ちは痛恨の極みとの表現に尽きる。

 対照的に、口元に笑みを浮かべ、穏やかな表情をした卑弥呼。白磁色の顔が桜色に染まっている。一酸化炭素中毒に特有の上気した桜色の肌。両手を胸の前で組み、目を閉じた彼女は眠っているようだった。

――声を掛ければ、今にも起き上がるのでは?――

 いいや、全ては幻想に過ぎない。ツイナ、オモイカネ、ミカヅチの3人は無言で涙を流し続けた。


 卑弥呼の亡骸は耳納みのう山地の山麓に埋葬された。邪馬台城から南南東の方角に10キロ余り、阿蘇山の方角に四分の一ほど近付いた筑紫ちくし平野の東南端。現代の福岡県八女やめ市に位置する。故人の魂が火焔神ひのかみに召されたのならば、むくろも近傍の地に埋葬すべきだろう。後事を託された者は、そう考えたのだ。

 埋葬地の最終選定にはツイナの女性らしい意見も反映されている。陽当り良好な一帯に広がる水仙の群生地が理由だった。冬の到来にも負けず、昂然と伸ばした花茎。山吹色の副冠を淡黄色の花弁が囲う。

 俯き加減に咲き乱れる花々を眺め、言葉少なに語るツイナ。

「丸で卑弥呼様の死を悼む民の化身です。仄かに甘い香りも彼女の魂を慰めるでしょう」

 随行した股肱の2人も、静謐ながら華やかな光景に心を安らげ、一も二も無く賛同した。

 墳墓の形状は方格規矩四神鏡ほうかくきくししんきょうに倣った。巨大な海月くらげの傘よろしく円形に土を盛り、上底部分を四角に整地した円墳だ。四辺の外側には、破砕した石灰石を散り嵌め、モザイク手法で青龍せいりゅう白虎びゃっこ朱雀すざく玄武げんぶの絵柄を描いている。

 上底部分を掘り下げて内部に設けた縦穴式石室の擁壁は、石材ではなく、煉瓦とセメント――城内建屋の標準仕様――で構築された。

 末蘆まつろ伊都いと香春かわら宇佐うさ狗奴くぬの共栄を願い、石室の中央には五角形の磐座いわくらが運び込まれる。五族を束ねた女王に相応しい安置台だろう。遺言通り、彼女の両手には青銅製の草薙剣くさなぎのつるぎが握らされていた。

 磐座の周りに積んだ麻袋には手向けの品が詰められている。当人の絶命時に製造した生石灰きせっかいだ。結果論に過ぎないが、生石灰は封印された石室の中で除湿剤として働く。ミイラ化現象は後に重要な意味を持つのだが、それは別の物語で述べるとしよう。

 石室の上蓋もた、邪馬台城の文化を色濃く反映している。煉瓦積みの壁面に渡した仮床板を厚いセメントで固め、覆いかぶさる土砂の重みが故人を押し潰さぬよう、念入りに封印した。

 土砂を被せ終えた築山は単なる丘陵と変わり映えしない。時が経つに連れ、表層には草木が生い茂り、四神獣の姿は埋没して仕舞う。自然に還る事が万物の摂理であっても、参拝者は寂寥感を禁じ得なかったようだ。

 彼女の功績をたたえんと、阿蘇の山中で採掘される凝灰岩の彫刻像が飾られ始めた。人物、動物、器財のたぐいかたどっている。考古学で『石人石馬』と称する石製品の原型だ。これらは邪馬台城の主女あるじ達からの献上物。埋葬者の魂を慰撫せんと心を配り、火焔神ひのかみの御加護を祈願して、何か祝事の度毎に奉納され続ける。

 先代以前の卑弥呼は、亡骸を荼毘だびに付され、遺灰を有明海に流されていた。永久とわに寄せては引く白波を眺めていると、(海原の向こうが〝常世とこよ――死者の国――〟に通じるのだ)と得心できたからだろう。

 ところが、当代以降の卑弥呼は歴代墳墓に寄り添う形で追葬され始める。回数を重ねるに従い、円墳は偉人の葬送手法として社会に馴染んで行く。新たな風習が人的交流を通じて本州へと広がり、日本全土で古墳文化が花開くのだが、その源流は此処に在った。

 ちなみに、魏志倭人伝は『邪馬台国』と並存した小国の存在を今に伝える。30前後も列挙された国名の一つが『邪馬国』。著者の陳寿が、『八女』の発音を聞き、『邪馬』と書いた。『卑弥呼』をまつった土地に妥当な当字あてじだ、と考えたのだろう。八女の地元民は墓守としての重責を担う事となる。

 また、6世紀初めに叛乱を企てた筑紫君ちくしのきみ磐井いわいの墓――岩戸山古墳――も近傍に築かれる。邪馬台国と縁深い人物だったからだ。彼が刃向うに至った経緯も別の物語に譲りたい。

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