第07話 村八分
放免されたスサノオは、同胞を率い、帰還の途に着いた。苦汁を飲まされた城郭都市を振り返る事は無かったが、さりとて故郷へと続く南の秋空を見上げても、別の心配事を見出すばかり。今も淡青色に澄み渡っている筈の空間には微細な火山灰が漂い、黄砂を纏った春空の様に
筑紫平野の邪馬台城と比べ、熊本平野の
実際、筑紫平野の南縁では初雪を真似た火山灰が地面を薄らと覆い、筑肥山地と有明海の間の隘路を通り過ぎる頃には、見渡す限りの平地が白と黒の混然色に染まっていた。北風が強く吹く度に雑木林の枝葉から零れ落ちた灰が霧状に拡散する。
熊本平野の辺縁部まで至ると、歩く足を上げ下すだけで煙が立つほど、火山灰が厚く積もっていた。収穫後の乾田に降り積もった灰の除去には気を揉みそうだ。田圃に引き入れた水が大半を洗い流すだろうが、用水路の要所々々で水詰りが起き、難儀するかも知れない。
――邪馬台城に楯突いたから、阿蘇の神罰を招いたのか?
――
凱旋を微塵も疑わなかった自分が、今や無残な敗残集団の先導者に成り下がっている。背後には死傷者を載せた二輪台車が続き、数少ない健常者が押している有様。自身の負った傷は軽いが、精神的には憔悴し切っていた。
城攻めに賛同した6千人の内、行列に連なる死傷者の数は千人足らず。生者の全てが解放された捕虜だ。残りの者は、封鎖された南門の外に取り残され、噴火を契機に逃げ帰っていた。
つまり、狗奴集落では武力衝突の失敗が周知の事実となっている。夕暮れ時になると連日、無事を案じた村民が集落口まで出向き、首を長くして身内の帰還を待ち詫びていた。柿色の残照に浮かぶ陰影を目敏く発見した者が歓声を上げると、全員が雪崩を打って駆け出す。
杖を突きながらも歩行可能な者は幸いな部類と言えよう。家族の肩を借り、三々五々に自宅へと引き揚げる。
家人の死骸と対面した家族は一様に茫然自失となった。荷台に取り
最後まで見届ける事が自分の責務とばかり、スサノオは愁嘆場の中に立ち竦んでいた。一族郎党が寄り添うように彼を取り囲む。境遇の暗転に身構えた一種の防衛本能。だが、家長の存在も彼らの不安を完全には拭えない。
如何せん、死傷者の数が多過ぎた。混乱の渦中、未だ糾弾の動きは見られない。でも、扇動者に対する憎悪が沸々と
スサノオ邸の基本構造は一般庶民の住居と変わらない。
囲炉裏を掘った円形の土間には茣蓙を敷いている。その夜、一族郎党の5家族全員が集まり、深刻な顔付きで車座に成っていた。今後の対応を話し合わねばならないからだ。
彼の一族は農作業で異彩を放つ人材を次々に輩出した。増産の
――自宅が
それが此処に集う皆の本心だった。
「スサノオよ。
早々に帰郷していた従兄が口を開く。彼の名はサユダ。年嵩なのに、村人達からは慕われていない。打算的で身勝手な性格なのだ。今回の叛乱でも怪我一つ負っていない。大方、陣後に隠れていたのだろう。
「早く宥めないと、俺達の身が危ないぞ!」
2番目の従弟イノシが続いて問い質す。荒げた声音が裏返っていた。女達が身体を強張らせ、怖気付いた子供達が母親に
追及された方は何も言わず、囲炉裏の炎を見詰め続けた。特権維持と両立し得る妙案が無い。邪馬台城からの道すがら考え続け、そして、打開策を見出せずに居た。
「逃げるか?。今夜にでも」
性急に結論を急ぐ従弟をジロリと睨む。
「逃げて
浅慮を突かれ、何も言い返せないイノシ。逃げた処で行き倒れる可能性が高い。全員が辺境地の厳しい生存環境を承知している。彼の軽弾みな発言を機に、スサノオが親族会議の主導権を握り直す。
「おい、ムルオ!」
滅多に自己主張しない別の従弟を
「明朝、
「そんな事をすれば、俺達が冬を越せなくなるぞ!」
横から計算高いサユダが口を挟む。実際、自分達の貯米庫には一冬分の食糧しか貯蔵していない。家長として正鵠を射た指摘を黙殺すれば、親族内の団結力が揺らぐであろう。だからと言って、共同体の地縁を
「償う気持ちを示さないと、憎しみが募るばかりだ。
一堂が
「俺達が冬を越せなくなるぞ。
同じ
「預米を引き出す」
現実味の薄い空虚な回答は、追及者のみならず、忍従を決めた傍聴者すらも苛立たせる。路頭に迷うか、人生の光明を見出すか。運命の分岐路を前に思い悩んでいるのだ。(
「城が応じると思うのか!」
無分別な者に特有の怒声が上がる。平凡な日常であれば、聞き流される類の挑発であったが、今夜ばかりは強い伝染力を有するようだ。他の男達も離反の気配を漂わし始める。張り詰めた空気に女達が子供を抱き直す。スサノオ自身も孤立に陥る瀬戸際だと気付いたようだ。
家長然と構えていたスサノオだって鈍感では居られない。孤立に陥る瀬戸際だと気付き、形勢の立て直しに動く。
「
突拍子も無い着眼に全員が唖然とする。但し、世迷い事だと一蹴は出来ない。これまでも度々、彼の深慮遠謀には舌を巻いて来た。今回も
「米に憧れる
有明海沿岸の漁業従事者を内海の民と呼ぶ。解説を聞けば、(確かに・・・・・・)と疑念は氷解する。これで内輪揉めに片が付くだろう、と誰もが肩の力を抜いた。特に赤児が産まれたばかりのアオホ夫婦は大きく息を吐いた。
ところが、結論には異を唱えずとも、サユダには邪心が有った。「スサノオよ」。卑屈な笑みを浮かべて注意を引く。呼ばれた方は露骨に表情を曇らせた。警戒心と嫌悪感を声に滲ませ、「何だ?」と先を促す。
「俺達4家族も少しずつ銅貨を隠し持たないか?」
スサノオは彼の提案を吟味した。没収される危険を考慮すれば、分散所持は保険となる。村人達は専ら自分の動向に目を光らせており、親類縁者への監視は緩い。銅貨の大半は手元に残すのだし、虎の子の秘匿方法としては一理有る。
「分かった。御前らに10枚ずつ渡しておく。今夜は自分の家に戻れ」
翌朝。血気盛んな若者がスサノオ邸の前で騒ぎ始めた。騒動を聞き付けた村人が続々と集まり、彼を取り囲む。多勢を頼んだ若者は増々気炎万丈となる。このまま扇情的な弁舌を放置すれば、暴動の火種と成り兼ねない。
不穏な空気を察知したスサノオが
「
猜疑心を露わにして叫んだ後、周囲を見渡した。群衆の間に
「本当か?」
疑問の声を張り上げ、自身も怒り心頭だと態度で訴える。確かに寝耳に水ではあったが、
「本当だ!。たった今、確かめて来た。誰も居ない」
「何故、御前は他人の家を覗いたんだ?」
非を咎められた若者は、一瞬だけ怯むも、自分を鼓舞するように大声で言い返した。
「そりゃあ、
「今、
過日の惨状を思い出し、怯んだのだろう。居並ぶ村民が声を忘れた。間隙の一瞬を見逃さず、スサノオは「仲間割れを起しては、奴らの思う壺だぞ!」と畳み掛ける。残念ながら、その一声は再開の誘い水となったようだ。逆張りの論陣は敷けたものの、今度は「サユダを
「身内であっても、裏切りは許さない!。サユダを探し出せ!」
斯かる天災に備えて邪馬台城に
「
感情的な反応を示す集団の中にも冷静に要点を突く者は居るものだ。その野次は、平常時と変わらぬ音量に過ぎなかったが、周囲に息を呑ませるに充分な衝撃力を備えていた。一滴の
身の危険を察知したスサノオは冷や汗を掻いていた。連帯責任を問われる恐れも無しとはしない。だが、溺れる者は藁をも掴む。厄介者の逃亡を怒りの矛先を逸らせる好機とすべきだろう。此の場を乗り切る事こそが最優先であった。
「そんな事は考えていない!。
大声で反駁するも、
「俺をも疑うならば、見張りを立てよ」
諦念の果てに放った
「
捜索対象域の定まった理由を詮索する者は居ない。指示受けの習慣が身に染みている。深くは考えず、皆して走り始める。大半の者は自宅に立ち寄り、農具を手に拡散して行った。烈火の如き怒情を腕に込め、
逃亡先で袋叩きに遭ったサユダは、半殺しの状態まで痛め付けられたものの、殺されはしなかった。最後は投石に追われるようにして放逐されたそうだ。詳細不明なれど、見張りの者から聞き出した処、そう言う事だった。集落内の鬱憤は大きく軽減されたようで、熱狂的な殺意を感じなくなっている。
また、サユダは捕まる直前に銅貨を路傍に投げ入れたのだろう。村民の目からは隠し通したようで、残った銅貨の没収には至らず。現時点では、一族郎党をスサノオ邸に集められはしたが、軟禁状態に甘んじるだけで済んでいる。
自分らの命運が暗転するのか、好転するのか。先々を見通せずに緊張を強いられつつも、平穏無事な日々が続いていた。
そんな猶予期間も、
訪れた男は、邸宅を巡回する若者3人に奇異の目を向けるも、深くは詮索しない。城兵を警戒した対応だろう、と早合点する。「
茅葺屋根の戸口に
「新たな動きが有りました」
吉凶の分からぬ言草だが、楽観的な声音から推察するに、本人は吉報を運んだ積りらしい。囲炉裏端に腰を下ろしながら、左右を見渡す。邸内に集う大人数に少し呆れるも、(長く離れ離れだったから)と善意に解釈する。失脚寸前で監視下に置かれている――なんて露ほどにも思わない。
「安心して下さい。奴らの逆襲は有り得ません。護衛の必要は無いですよ」
卑弥呼が自害し、城民の全員が嘆き悲しんでいる事。彼女の亡骸は火葬せず、史上初の埋葬を行う事。その埋葬地が決定し、墳墓の造立が始まる事。工事の開始を見届けた後に自分は戻った事。
要領良く時系列に語られる事象の数々。(
――墳墓に捧げられる生贄には誰が相応しい?
(知れた事、この俺だ)
――邪馬台が俺の身柄を要求したら、狗奴の民は
(喜んで差し出すだろう。邪馬台との和睦も期待できる)
肉親の死を招いた憎き男と
(さて、困った展開になった・・・・・・)
一方、話し終えた報告者の表情は、疲れを滲ませつつも、清々しい。肩の荷が下りたと気を緩ませ、自身の息災を愛妻に知らせんと立ち上がる。辞去する彼に掛けられた、大袈裟にも感じる
それが普通の反応だろう。統率者と信じる者が自分の生命を狙うと、誰に想像できようか。鈍感だ不用心だと彼を
見送る素振りで背後に迫ったスサノオは、左手で相手の口を塞ぎ、首に回した右腕で気道を絞めた。悶絶の挙句に気を失った男が土間に
「今から逃げるぞ。そうしないと・・・・・・明日には囚われの身となる」
「逃げるって、何処に?」
「阿蘇を目指す。噴煙に
確かに追手の心配は軽くなるが、
「卑弥呼が
逆に、邪馬台の女王が亡くなった今、逃げる必要が有るのであろうか。身に迫る脅威は去ったように思える。
「墓には生贄を埋める。此処に留まれば、俺達は突き出されるぞ」
「逃げる前に外の奴らを斃(たお》さねば・・・・・・。戦える男は俺も入れて4人。あっちは3人か」
家長として考えるべきは、その脱出方法。状況を冷静に分析し、行動計画を立案する。
「まず、イノシとアオホ。小便だと言って、外で隠れていろ。戸口の反対側だ」
「その後は?」
「戸口前に陣取る奴をムルオと俺とで最初に襲う。それを合図に残りの2人を斃せ」
具体的な指示を与えられれば、
「俺が
殺せと命じられれば、及び腰となる。気絶させるだけなら、罪悪感も相当に軽い。
「但し、絶対に声を立てさせるな。隣近所から押し寄せて来るぞ」
看守役の誰もが、睡魔と闘う事に精一杯で、緊張感を欠いていた。抜足で迫られ背後から襲われては抵抗の仕様が無い。2人掛りで羽交い絞めされた最初の標的は特に呆気無い。全員が家の中まで引き摺り込まれ、
こうして、逃亡4家族は夜陰に紛れたのだった。
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