11 そしてだれかがいなくなる ②
4
「とりあえず、ざっと調べてみたけど……」
大神が帰った後、ほうぼうに電話やメールして情報を集めていたウィザード先輩が切り出した。
「大神くんが言ってたクラス……三年C組では特に誰か休んでるとか、もちろん行方不明騒ぎなんかもないみたい。念のために周辺クラスも調べたけど結果は同じ。大神くんの言葉を裏付けるような証拠は見つからなかったよ」
「というか、真に受けることないでしょう? こんな話」
ビースト先輩が不機嫌な顔で髪をいじりながら言う。
「笑い話にもなりませんよ。周りがおかしいと喚き散らしながら、自分のおかしさにも気づいていないなんて! 名前すらわからない先輩なんてハナからいるはずありません、大方変なクスリで頭がお花畑になったんでしょう」
「ま、まあまあ、そう言うな!」
いつにもまして辛辣なビースト先輩をなだめるプリンス先輩。
「おかしいことばかり立て続けに起こったんだ、混乱するのも無理はないさ。一見して整合性が取れないからといって嘘と決めかかるのは早計だぞ?」
と口では擁護している先輩だったけれど、自分自身あんまりそうとは思いきれていないようだった。
「なあ、きみもそう思うだろう、スワン?」
「………………」
同意を求められたスワン先輩はしかし無言のまま粘土をいじり続ける。
「スワン……?」
「でも、引き受けちゃった以上は中途半端に投げ出せないよ。一応、調べるだけ調べてみない?」
「時間の無駄だと思いますがねえ」
そんな経緯で、誰ひとりとしてまったく納得できていない依頼を引き受けることが決まり。
「ここが三年C組の教室だね」
「うむ、実に素早い行動だ!」
早速、くだんの先輩がいたらしい教室に調査に来た。
「しかし、調査と言っても何をするんです? 『先輩』を探そうにも、手がかりなんてまったくありませんし」
「ううん、手がかりはこれから見つけるんだよ」
と――ウィザード先輩が教室の中に入っていく。教室には自主勉や談笑をしている生徒たちが数人程度いたけれど、ウィザード先輩に対して特に驚いた様子は見られなかった。顔が知られているのだろう、手を振ったり声をかけている人すらもいる。
「あ、宍上くんじゃない。こんなところでなにしてるの?」
「少し事情がありまして。どうかお気になさらず」
「ええと、一番それっぽいのはこれかな」
ビースト先輩が女子生徒にイケメンスマイルで応対している横で、ウィザード先輩は綺麗に並べられた机のうちの一つをごそごそ調べる。
「教科書の名前……は見当たらない。落書きの類もなし。直接の手がかりはやっぱりないか……」
「なにをしているんだ、ウィザード?」
「いや……人は消えてても、『席』は消えてないはずだ、って思ってね」
「うん……?」
なんだか思わせぶりでよくわからない返答に、わたしはプリンス先輩と一緒に首を傾げた。
「ねえ、山野ちゃん。ここの席って誰だったっけ?」
「ああ、そこは……あれ? 誰だったっけ?」
「えー? そこって前から空いてなかったっけ?」
ウィザード先輩に訊ねられた女子たちが不思議そうに首を傾げる。その反応に納得したように頷き、「いいよ、わかった。ありがとうね」とウィザード先輩。
「それから、座席表とかどこかにあったりしないかな?」
「教卓の引き出しのところに入ってるよー」
「ありがと! すっごい助かるよ」
「小角っち最近どう? 今度一緒に遊ばない?」
「あはは。また今度、ね」
女子の誘いを爽やかにかわすウィザード先輩。……やっぱりモテるんだなあ。当たり前か、イケメンでコミュ力高いもんね。
「むう、美しさであればこの私も勝りこそすれ劣りはしないと思うのだが……」
美しさ以外取り柄がほぼゼロな人が何か言っていた。
「あったあった。これだね」
と、ウィザード先輩は教卓から座席表を取ってきた。それを見たビースト先輩が急に真面目な顔になる。
「……一つだけ、名前がなくなっている席がありますね」
「!」
ビースト先輩の指摘で慌てて確認する。本当だ……ぱっと見で気づけなかったのが不思議なくらい不自然に空白になった席が一個だけある。
「位置関係から見て、空席がここなのは間違いないよね。だけど、机の中には教科書とか私物がまだ残ってる……どういうことだろうね?」
「え、でも……なんでここだってわかったんですか?」
どうして座席表を確認するより先に『ここが怪しい』と見抜けたのだろう? 「簡単なことだよ」と先輩。
「持ち主が一週間もいなくなってるなら、机や椅子はその間ほとんど使われていないはずだよね? だったら、その分埃が多く積もってるはずだ。表面にはなくても、引き出しの中とか細かな溝とかにね。それで目星をつけたんだ」
「凄いな、まるで探偵じゃないか! さすがはウィザードだ!」
「それはちょっと言いすぎだよ……このくらい、少し考えれば誰でも思いつくでしょ?」
とは言われても、実際に思いつかなかった身からすると感嘆しか出てこない。さすがウィザード先輩、如才がなさすぎる……。
「しかし……これだけではまだ手がかりが足りないな? いや、大神くんの主張の正当性が確認できたのは大いなる一歩なのだが……」
「ううん、まだ手がかりは見つけられるよ。座席表を見てみて」
ウィザード先輩は空席の前後を指差しながら言う。
「このクラスはまだ席替えをしてないみたいだね。座席順が出席番号の順番通りになってる。そして、この席があるのは野田さんの後ろ、光岡くんの前――つまりこの人の苗字は『の』以降『み』以前で始まる名前だって推測できる」
「お、おお……!」
「それから……ちょっとあんまり失礼だけど引き出しの中を見てみると、教科書のほかにクリアファイルや下敷きが入ってる。キャラクターもので色合いがパステル系、女の子っぽいグッズだ。だから大神くんの『先輩』は、ハ行からマ行で始まる苗字の女の子、って推測できるよね」
「凄いぞウィザード! きみは天才だっ!」
感動のあまり半分泣きながらウィザード先輩の手を掴むプリンス先輩。そこまでのリアクションは大袈裟にしても、本当に名探偵のようだ。
「あとは持ち物からちょっとした性格のプロファイリングをして、このクラスと同じように『変な空白』がある部活や委員会をしらみ潰しに探せば……」
「……やっぱり、僕は反対です」
と――それまで押し黙っていたビースト先輩が口を開いた。
「む、どうした? ビースト」
「こんな依頼、受けるべきじゃあないんです。だって――あまりにおかしすぎる」
ビースト先輩は冷や汗を浮かべ、いつになく焦っているようだった。一体なぜ…………あっ?
「いいでしょう、彼の主張が正しく、実際に誰かがいなくなっているとして――それで、僕たちになにができるんです? 人が跡形もなく消え、誰もそれに気づいていないという異常事態に対して?」
ビースト先輩の問いかけはごくごく現実的なものだった。異論をはさめる余地もない程、当然で、残酷的な。
「いいですか? この状況は明らかに異常が過ぎます。行方不明だの、集団記憶喪失だの、僕らの手に扱えるような事件じゃあないでしょう」
「しかし……手がかりはあるじゃないか。まだ見つからないとは限らない」
困惑するように言い返すプリンス先輩にビースト先輩は溜め息をつく。
「その『先輩』とやらが見つかるか見つからないかはこの際問題じゃありません。真に心配すべきは、その人がどうしていなくなったのか――それを嗅ぎまわった僕たちの身に鬼や蛇が出てこないか、ですよ」
ごくり、と――自分でも気づかぬうちに唾を飲み込んでいた。思えば、ちゃんと理解していなかったのかもしれない――人が一人いなくなったことの意味を。
「どうしたんだ、ビースト……なにをそんなに恐れている?」
「あなたこそ! 今なにが起こっているのか理解しているんですか!?」
しかしプリンス先輩はまだよくわかっていないのか、困った顔でビースト先輩をたしなめようとし、さらに彼の怒りを買った。
「いや、やっぱりきみはおかしいぞビースト! いくらなんでも大袈裟すぎるじゃないか! いったいどうしてそんなに怖がっているんだ? まるで心当たりでもあるみたいじゃないか、人が消えるような異常事態に――」
「――やめろ!」
プリンス先輩の言葉を怒鳴り声が遮る。ウィザード先輩が真っ青な顔で二人の間に割り込んでいた。
「ウィザード……」
「喧嘩はやめよう。二人とも、ちょっと落ち着こうよ」
「落ち着けって、あなた……」
ビースト先輩がなにか言いかけ、しかし苦虫を噛み潰したような顔で飲み込んだ。
「確かに、ちょっとこの状況はおかしいね。だから混乱したり不安でイライラしてきちゃったんじゃないのかな。ここの調査も一段落したし、いったん部室に戻らない?」
「ああ、そうだな……すまないビースト、私も言葉がきつすぎた」
ウィザード先輩の仲裁でプリンス先輩も落ち着き、ビースト先輩に頭を下げる。ビースト先輩は相変わらず苦々しい顔で黙り込んでいた。
「スーくんも、それでいいよね?」
「…………」
同意を求められたスワン先輩は、黙ったまま静かに頷いた。
5
なんとなく気まずい空気の中、わたしたちは部室に戻った。
「今日はジャスミンティーを用意してあるんだ。シンちゃん、砂糖入れる?」
「なしで平気です」
「しかし、どうしたものかな……」
ウィザード先輩がお茶の準備をしているのをよそに、プリンス先輩が腕組みしながら部室の中を歩き回る。
「手がかりが見つかったのは良いが、確かにこの事件は不可解だ。無事に解決策が見つかればいいのだが……いてっ!」
と、なにかにつまずいたのか危うく転びかけ、慌てて壁に手をつこうとして勢い余って頭をぶつけていた。
「なにやってるんですか……」
「な、なんでこんなところに服が脱ぎ捨てられているんだ!? 誰だ、こんなことをしたのは!」
「誰って、先輩じゃないんですか?」
つまずいた原因であるワイシャツを拾い上げながら、ぶつけて赤くなった顔をさらに赤らめて怒るプリンス先輩。誰って、そんなことをするような人なんて……。
「暇だからってひとりでふざけるのはやめたらどうですか? 青星君」
「はいはい、お茶が入ったよ。プーちゃんも座って、落ち着いて?」
「む、むううう……! 私は真剣だぞ!?」
真剣なのにふざけて見えるって結構問題あると思うけど。
「……あれ」
なにか――おかしいような。
「ちょっと小角先輩、どうしたんです?」
「え? どうかした?」
「カップが一つ多いじゃないですか。いったい誰の分です、これ?」
ビースト先輩は戸惑ったようにカップを指差し、ウィザード先輩が首を傾げる。
「あれ? 数え間違えたかな? 確かに全員分数えたつもりなんだけど……えっと、プーちゃん、スーくん、ビーくん、シンちゃん、オレ、と……」
順序良く数えていた指が、唐突に止まる。
「…………楽土?」
ウィザード先輩が呼んだ名前は。
「ねえ……楽土は?」
唐突な沈黙が部室内に訪れる。原因は気まずさでも、ウィザード先輩の発言に戸惑ったからでもなく。
「なんで――――楽土がいなくなってるの?」
普段ならば彼がいたはずのソファにその姿はなく。彼がいつも脱ぎ捨てて放ってある服の山は今の今まで忘れ去られ。響き渡っているはずの豪快な笑い声は――何年も前のことのように掠れ、はっきりと思い出せない。
彼は、確かにいたはずで、しかしわたしたちはまるで最初からいなかったかのように彼のことを忘れ去っていて。
ならば。
わたしたちの日常は、いつから終わっていたのだろう?
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