10 トロイメライは黄昏に ②
4
揺籃学園には美術室が二つある。現在主に使われているのは後から出来た第二美術室だ。では、第一美術室はどうなっているのかというと……。
「ようこそ、我が美学部へ!」
……どういうわけか美学部の部室として無断使用されているのだった。
「へー、ここてかがりちゃんたちの部室だったんだ。じゃあ簡単に調べられるね!」
「いや……そのだな……」
部室の扉を開けようとする日野を引き留めながらプリンス先輩は言葉を濁す。
「鍵がなくて開けられないんだ……うっかり部活をしないように、とウィザードが預かってしまってな……」
さすが如才ないウィザード先輩、プリンス先輩のことをよくわかっている。さすがに個人で活動するとまでは思わなかっただろうけど。
「えー!? それじゃ困るよ、調べられないじゃん!」
「そう言われてもだな……」
「ていうか、わたしもそこそこここに来てますけど、亡霊なんて見たことないですよ? ほら、やっぱり亡霊なんていないんですって」
「…………あ、ああ、その通りだ!」
「なんで今目が泳いだんですか……?」
本当に部室もとい第一美術室に亡霊がいたらそれこそプリンス先輩が大騒ぎしないはずないのだが。
「その亡霊ってどんな姿をしてるのかな?」
と、呟いたのは八木さん。
「亡霊の噂があるってことは、少なくとも誰か亡霊を見た人がいるってことだよね? だったら、その姿が手がかりにならない?」
的を射た発言だった。見たら呪われようとなんだろうと、そもそも誰かが見ていなければ噂になるわけないはず。あんまり嘘くさい話だし、一から十まで根も葉もないデマかもしれないけど。
「えっと……確か亡霊は不気味な白いお面を被ってるんだよ。彫刻してる時の事故で顔に大怪我を負って、そのせいで見るだけで凍りつくような怖い顔になっちゃったんだって。本当にいるんだよ、友だちの友だちが美術室から亡霊が出てくるのを見たって言ってたもん!」
「「「……………………」」」
美術室から出てくる仮面をかぶった不気味な男。それって……。
「……うむ、やはり亡霊などいなかったのだな! 所詮は単なる噂話、恐れることなどなにもない!」
「そ、そうですね! さっさと次のところへ行きましょう!」
「えー、なんでさ!? ちゃんと調べようよー!」
スワン先輩がいないことに心底安堵しながら日野を引きずって無理矢理離れる。確かに怪談にされてもおかしくない見た目だ、今度ウィザード先輩に相談して七不思議をなんとかしてもらわないと……。
「二番目の七不思議は……『図書室のアリス』だったっけ?」
「ん? アリス……?」
図書室のアリスといえば……ついこの間美学部で受けた依頼の怪談話ほぼそのままだ。あの噂はウィザード先輩が上手く収まるようにしてくれてたはずだけど……?
「アリス人形って、確か茨城先生が持ってたあれだよね? 普通の人形だったし、喋るわけないと思うんだけど……」
確かに本当にアリス人形が動いたり喋ったりするならば、八木さんたち図書委員が真っ先に見つけていそうなものだ。そもそも持ち主である司書教諭の茨城先生が近くにいるはずだし……これもやっぱり嘘くさい。
「な、ならば確かめる必要はないな! この七不思議もデマに違いないぞ!」
「えー、ちゃんと調べないで行くなんて駄目だよ! ちゃんと一緒に調べてくれるって約束でしょ!? 約束を破るなんてひどいよ!」
「む、むむむむぅ……」
(プリンス先輩が)依頼を引き受けてしまった手前、そう言われては断れない。無駄足とはわかっているものの一応向かう。
「これのことかな? アリス人形って」
図書室の本棚に飾られた金髪のビスクドール。アリスをモチーフにしているだけあって可愛らしいけれど、顔がリアルすぎて少し不気味に見える。噂の真偽はともかく、本当に喋りだしても不思議ではないようにすら思えてくる。
「ほ、ほら、人形が喋るわけないじゃないか。早く次の場所に行こう!」
「まだ来て三分も経ってませんよ……」
「あれ? ななこちゃん、なにしてるの?」
と、日野と一緒に八木さんのほうを見ると、八木さんはなにやらビスクドールから離れた本棚を熱心に調べていた。
「そこに人形はないでしょ?」
「ううん……そっちじゃなくて、四番目の七不思議もここにあるんじゃないかって」
四番目の七不思議って、確か……『白い絵本』だったっけ?
「絵本なら、きっと図書室にあると思ったんだけど……でもやっぱりそんな絵本見当たらないよね……」
文字も絵もなくて真っ白な絵本。そんなのがあったら結構目立つはずだけど。ていうか、絵も描いてないような本って絵本って呼んでいいの?
「図書室を探して見つからないなら、もう探すあてもないし……」
「見つからないのでは仕方ないな! きっとその白い絵本とやらも単なるデマだったのだ!」
「そんなことないよ! 見つからないだけで本当にあるかもしれないよ!?」
「あったとしても見つからないのではないのと同じだ!」
めちゃくちゃな理屈だけど、肝心の絵本が見つからないのだから仕方ない。実際、本当にあるとは思えないし。
「うーん……絶対本当にあるのに……」
「さあ、早く次の場所に向かおう! どうせ他の七不思議もデマに決まっているがな!」
どうやらどれも単なるデマらしいと気づいてにわかに元気になってきたプリンス先輩。しかし、そこに。
「本当にそう思ってるの?」
ふいに、誰かの声がした。
「……かがりくん、今なにか言ったか?」
「え……今のって八木さんの声じゃ」
「私じゃないよ!?」
「ぼくも違うよ!」
ということは……わたしたちの視線は自然とアリス人形に集まる。
「い、いやまさか……そんなことあるわけないじゃん」
「ひいいいいっ! 悪霊退散! 即身成仏ーっ!」
アリス人形に対して奇妙な祈祷を始めるプリンス先輩。落ち着け、人形が喋るわけないんだから。今のはつまり……。
「むにゃ……靴がなかったら歩けませんぞぉ……」
「茨城先生……」
やっぱり。カウンターにだらしなく突っ伏して寝言を呟いている茨城先生に思わず溜め息が出る。
「茨城先生の寝言を人形が喋ったって勘違いした……噂の出どころはそんなところかな?」
「ま、まったくなんて傍迷惑な勘違いだ! 人形と人間の声も区別がつかないとは!」
さっきまで本気で怖がっていたプリンス先輩がなにか言っている。多分プリンス先輩みたいな怖がりがそんな勘違いしたんだろうな……。
5
「廊下を走るのがなんで魔王って呼ばれてるの?」
「えっと……確か走りながら大声で高笑いするからだよ!」
「大声で、高笑い……?」
「しかもね、しかもね! 一説によると、魔王はすっぱだかで走ってるんだって! 裸で笑いながら走ってるんだって! 怖いよね……!」
「………………」
「あれ? かがりちゃん、どうかした?」
聞き覚えのある人物像に頭痛がする。ウィザード先輩になんとかしてもらわなければいけない案件がまた一つ増えてしまったようだった。
「トロイメライって閉校時間にならないと鳴らないよね? どうしようか?」
「他のを回ってからでいいんじゃない? まだあと一時間はあるし」
「そも、用もないのに閉校時間になるまで学校に居残るのは感心できないな。私や日野くんはともかく、かがりくんや八木くんは女の子なのだ。夜遅くになるまで帰らせられないのは……」
「たった六時でなに言ってるんですか」
中学の時はソフトボール部でひたすら居残り練習させられて、帰るのが八時九時は当たり前になってたものだけど。まあ、とにかくトロイメライのほうは後回しだ。
となると、あと残っているのは……。
「音楽室ってさ……なんか苦手なんだよね」
六番目の七不思議があるはずの音楽室に向かう階段を上りながら、ふと八木さんがそんなことを言いだした。
「日当たりの悪い北校舎にあるし、周りにひと気がないから静かで不気味だし……授業以外ではあんまり行きたくないなあ……」
「よ、よしたまえ。そんなことを言ったら今度から音楽室に行けなくなるじゃないか」
それはいくらなんでも怖がりすぎる。まあ……確かに少し不気味ではあるけど。
音楽室があるのは最上階の四階。周りはほとんど使われていない空き教室ばかりで、階段やエレベーター(障がい者やお年寄り用で生徒の使用は基本禁止されている)からも離れている。今日のように吹奏楽部が使っていない日は本当に静かで、まるでここだけ廃墟になってしまったようだった。
「確かピアノが鳴るとか鳴らないとかの話だったな。すぐ行ってすぐ戻ってこよう」
「駄目だよ、人食いピアノなんだから本当に人を食べないか調べないと」
「きみはピアノに食べられたいのかね!?」
とりあえずプリンス先輩は信じているのかいないのかスタンスをはっきりさせてほしい。
そうこうしているうちに音楽室に着く。なにもあるわけないとは思っていても、防音仕様の分厚い扉の前に立つとなんだか緊張してしまう。
「よ、よし……開けるね?」
「ちょ、ちょっと待った! なにか聴こえないか!?」
と、プリンス先輩がわたしの腕をつかむ。怖がりもいいかげんにしろ、と思ったものの……耳を澄ませると確かに、扉の隙間からピアノの音色のような音がかすかに聴こえてくる。
「誰かが……ピアノを弾いてる?」
扉の小窓から覗いてみるものの、窓の小ささと角度のせいでピアノのほうはあまり見えない。しかし確かにピアノが鳴っているのが分かった。
「人食いピアノだ! 人食いピアノが鳴ってるんだよ!」
「そそそそそそそんなわけはないだろう!? ひとりでに鳴るピアノがあるものか!」
とは言いながらも、自分から扉を開ける勇気はないのか、プリンス先輩はがたがた震えながら扉にしがみついている。
「いいか、ありえないんだぞ! ピアノが勝手に鳴るなんて!」
「じゃあ、早く開けて確かめましょうよ……」
「い、嫌だっ! ピアノに食べられてしまったらどうする!?」
「ピアノが人を食べるわけないじゃないですか! いいかげんにしてくださいよ、年長者なんだからしっかりしてください! そんなんで『王子様』なんて名乗らないでくださいよ!」
煮え切らない態度にいらいらし、つい怒鳴りつけてしまった。しまった、いくらなんでも言い過ぎた、と思ったものの、先輩は急に神妙な顔つきになる。
「……そうだな。私がしっかりしなければならないのだ。私は『王子様』なのだからな」
「え……?」
「よしっ!」
プリンス先輩は自分の頬をぱんぱん叩くと、改めて音楽室の扉に手をかけた。
「人食いピアノ、なにするものぞ! 来るなら来い、このプリンスが相手になってやる!」
そう言って、プリンス先輩はがらりと扉を開けた――それまで耳を澄まさなければ聴こえなかった旋律が洪水のように襲ってくる。
「……なに?」
ピアノの音がやみ、ぼそりとそんな声がした。声の主はピアノの前に座っているようだった。
「誰が、なんの相手になるって?」
「きみは……
この人がピアノを弾いていたのだろう、踊瀬と呼ばれた女子生徒はプリンス先輩の呼びかけに不愉快そうに眉をひそめた。
「知り合いですか?」
「ああ、彼女は踊瀬
「わたしに関わらないで、って言ったはずだけど」
プリンス先輩の言葉をぴしゃりと遮る踊瀬先輩。色素の薄い髪に白い肌、人形のよう、という表現が似合う美人だけど――人格のほうはそうでもないらしい。
「そ、そう言わないでくれ。クラスメイトなんだ、仲良くしようじゃないか」
「面白いことを言うのね。わたしにどうやって他人と仲良くしろというのかしら」
冷淡な言葉を吐きながら、踊瀬先輩は座ったまま滑るような奇妙な動きで移動する――その姿がはっきり見えるようになると、わたしは驚きのあまり叫びそうになった。
「車椅子……」
「あら、そんなに気になる? 見世物になるのは慣れているもの、好きなだけ見たらいいわ」
踊瀬先輩が皮肉っぽく笑った。失礼な態度を取ってしまったことに気づき慌てて謝罪する。
「ご、ごめんなさい……」
「なにを謝っているのかしら。そうやって勝手に驚いて勝手に哀れんで勝手に申し訳なくなって、痛くもない腹を探られるこちらの身にもなってほしいわね」
ふん、と鼻を鳴らしながらきいきい車椅子を動かす踊瀬先輩。そうすることで相手が不愉快になるとはわかっていても、見慣れない姿の人を見るとなんとなく居心地が悪くなってしまう。
「言い過ぎだぞ踊瀬くん……かがりくんに悪気はなかったんだ」
「ああ、そう。で、あんたたちはそんなぞろぞろ大勢でなにしに来たの?」
踊瀬先輩はどうでもよさそうに訊ねる。
「そうだ、きみがピアノを弾いていたのかね?」
「わたし以外に弾けた人がいるというなら否定するけれど」
「私たちは学校の七不思議を調査していたのだ。その中の一つに、ピアノがひとりでに鳴る、というものがあってな。誰もいないはずの音楽室からピアノの音がしたから、もしやと思ったのだが……」
「それは、わたしがおばけかなにかに見えるということかしら?」
「…………」
なにを言っても皮肉で返してくる踊瀬先輩にさしものプリンス先輩も閉口してしまう。なんというか、凄く扱いにくい人だ……。
「そう。わたしがピアノを弾いているのを勝手に勘違いして怪談話に仕立てあげた人がいるのね。ご忠告ありがとう、次から気を付けるわ」
一方的にそう言うと、踊瀬先輩は器用に車椅子を動かして音楽室から出て行ってしまった。ほんの少し話しただけなのに、なんだか物凄く疲れた。
「……悪い奴ではないのだ、踊瀬くんは」
そんな彼女の後姿を見つめながら、悲しそうにプリンス先輩が言う。
「ただ、あの足だ。あの境遇のせいで辛い目に遭ってばかりで、他人のことが信じられなくなってしまったらしいのだ。ちゃんと話し合えばきっとわかりあえると思うのだが……」
「踊瀬先輩と友達だったことあるんですか?」
妙に詳しい口ぶりに八木さんが訊ねる。
「いや、きっとそうだろうと思っただけなのだが」
よく知らないのに適当なこと言うんじゃないよ。
「はあ……とにかく、人食いピアノの噂もデマだったってことでいいんですよね? じゃあ次に……」
と言いかけて、ふと気づく。
「……あれ、日野は?」
ついさっきまでそこにいたはずの日野の姿が見えなくなっていた。
「あれ? 本当だ……どこに行ったんだろ?」
「トイレじゃないのか?」
トイレに行ったとしても、こんな消えるみたいにいきなりいなくなるだろうか? いや、待て、そういえば音楽室に入ってから彼の声を聴いていないような……。
「ねえ……変なこと言っていい?」
と、なぜか顔を青ざめさせた八木さん。
「私、日野くんの下の名前が思い出せないんだ……確かに友達だったはずなのに、クラスも、いつ知り合ったかも……」
「え……?」
「ねえ、日野くんって誰だったっけ……?」
――七番目の七不思議、『増えた一人』。部活やクラスの集まりで、ときどき実際の数よりも一人多くなっていることがある。その一人は誰なのか、その場の誰にもわからない。
だって、彼は友達だから。
「……う、うわあああああああああああっ!」
「ちょ、ちょっと、プリンス先輩!?」
「やだっ、置いてかないでぇっ!」
にわかに恐ろしくなったわたしたちは、誰からともなく一斉に音楽室から駆け出した。実際のところ日野がどこに行ったのか、確かめる勇気などあるはずもなかった。
恐怖に逃げ惑うわたしたちをあざ笑うように、トロイメライが静かに鳴り始めた。
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