10 トロイメライは黄昏に ①

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 グランドピアノの蓋を開き、鍵盤に指を置く。無音だった音楽室に旋律が染みわたっていく。

 いつからそうなのか、このピアノは調律されず音が少し外れている。教員が気づいていないのか、調律師を呼ぶのが面倒なのかは知らないけど、多分この先もずっとこのまま放置されるのだろう。

 音を狂わせたピアノは、自分が音痴だと気づいていないオペラ歌手のように滑稽な音色を奏で続ける。滅多に蓋さえ開けられないピアノ。きっとわたししか狂いに気づいていないピアノ。そんな彼女がわたしのために一生懸命歌うのが愛おしくて、多少の面倒さも我慢して音楽室に通うのだ。

 可愛いあなた。わたしと同じ、狂った独りぼっちのピアノ。



 1



『今日は美学部はお休みにしよう』

 と、ウィザード先輩からのグループメッセージが来たのが今日の昼休み。

『今日はビーくんが演劇部の練習、スーくんが画商さんとの打ち合わせ、オレもちょっと用事があるし……二人だけじゃ部活できないでしょ?』

『そんなことはないぞ! 私もシンデレラも、きっと立派にやってみせるさ!』

 それに対しプリンス先輩からのメッセージが来る。勝手にわたしの分まで保証しないでほしい。

『やめろ』

『そんなこと言って、前に一人で活動してとんでもないことになったの忘れたんですか? お願いですからやめてください』

 すると、即座にスワン先輩からの返信と、次いでビースト先輩の返信が受信された。便乗してわたしもメッセージを送る。

『わたしもやめたほうがいいと思います』

『シンデレラまで!? 大丈夫だ、私たちならできる!』

『多数決で決まりだね。今日は活動中止』

 ウィザード先輩の無慈悲なメッセージで話しが打ち切られた。本当に、誰が部長なのかわからない。

 というわけで、今日の放課後は烏丸先輩との打ち合わせもないし、なんの予定もなくなったんだけど……。

「灰庭さん、今大丈夫かな?」

 せっかくだし帰る前にどこかに寄り道しようかな、なんて考えながら帰り支度をしていると、ちょっと困った顔をした八木さんが話しかけてきた。

「ああうん、どうしたの?」

「ちょっと頼みたいことがあるんだけど……また美学部に行ってもいい?」

「頼みたいこと?」

「大したことじゃないんだけどね……」

 苦笑いしている八木さんが横目で見た先に男子生徒が立っていることに気が付いた。誰だろう、見たことあるような、ないような……背は普通くらいだけど目が妙にキラキラしてて。幼い顔つきだ。

「隣のクラスの日野くん。用事があるのは彼なんだ」

「よろしくねっ! キミはなんて名前なの!?」

 日野はやたらに大きい声で言う。なんか変な奴……。

「灰庭……灰庭かがり」

「かがりちゃんだね! よろしくね、かがりちゃん!」

 いきなり下の名前でちゃん付けって……いくらなんでも馴れ馴れしすぎない? 別に良いけど。

「で? なに、話って」

 そこまで怒ったつもりはないのに、不機嫌そうな声が出てしまった。八木さんが顔を青ざめさせる。

「は、灰庭さん……!」

「あれ? なんでそんなに怒ってるの? ぼくなにか悪いことした?」

「別に怒ってない。それより、早く用件言って」

「やっぱり怒ってるー! なんで怒ってるの、謝るから許してよー!」

 ……なにこいつ。まるでドラマの下手くそな子役みたいに大袈裟に喋って……本当に怒りたくなってきたんだけど。

「えっとね、かがりちゃんは『学校の七不思議』って知ってる?」

「七不思議?」

 トイレに花子さんが出るとか、人体模型が動くとかそういうやつ? 怪談話はこないだの件でこりごりなんだけど。

「前に友だちから聞いたんだけどね、放課後に学校に残ってたら、本当に七不思議が起きるのを見た人がいるんだって!」

「七不思議を……見た?」

「だからどうしても気になっちゃって。ほんとに七不思議なんてあるのかなー、あるならぼくも見てみたいなー、って」

 なるほど。でも、なんでわざわざ美学部に頼むんだろう? そんなの依頼しなくたって一人だってできそうだ。

「一緒に探してくれる仲間がいたほうが心強いから! 美学部ってなんでもやってくれるんでしょ?」

 と、日野はいかにも期待のこもった眼差しで見てくる。でも……。

「悪いけど、できないよ」

「えー? なんでさ!」

「今日、美学部はやってないんだ」

 先輩たちのほとんどが忙しく、やむをえず臨時休部になったことを伝える。日野は唇を尖らせた。

「そんなの困るよ! じゃあ、ぼくは誰に頼めばいいの?」

「そんなこと言われても……」

「かがりちゃんは用事ないんだよね? だったらかがりちゃんは一緒に探してくれるよね?」

 確かに暇だけど、こんな胡散臭い奴に一人で付き合うなんて正直嫌だ。なんとか上手く断れないだろうか、と口を開く。

「えっと……わたし一人でなんて不安だし、役に立てるかどうかわかんないよ……?」

「安心しろシンデレラ! 私がいるぞ!」

 ……えっ。

 聞き馴染んだ声に悪寒を覚え振り向くと、案の定彼は教室の入り口で仁王立ちしていた。

「待たせたな! 真打たる美男子、プリンスの登場だ!」

 誰も待ってないよ。



 2



「とうっ!」

 わざとらしい掛け声をあげながらジャンプ……ではなく小走りでやってくるプリンス先輩。もう他のクラスメイトも慣れたもので、彼の奇行を生温い半笑いで見守っている。それに付き合わされてるわたしはたまったものじゃないのだが。

「え、えっと……青星先輩……?」

「うむ! 二年A組の青星幸邦だとも! 親しみを込めてプリンスと呼んでくれ!」

 八木さんが困ったようにわたしを見てくる。お願い、そんな目で見ないで。

「この人誰? かがりちゃんの知り合い?」

 プリンス先輩を知らないらしい日野は首をかしげている。知らないなら知らないままでいてほしいけど。

「ああ、シンデレラ――もとい灰庭かがりくんとは同じ部の先輩後輩の仲だぞ」

「へー、かがりちゃんこんなに可愛い後輩くんがいるんだね!」

「んなっ!?」

 日野はお世辞にも大きいとは言えないプリンス先輩の身体をじろじろ見ながら言う。よほど予想外の言葉を言われたのがショックだったのか、プリンス先輩はしばらく硬直した。

「……ち、違うぞっ!? 私が先輩、かがりくんが後輩だ! 私は二年生なのだからな!」

「えー、嘘だあ! こんなに小さいのに先輩なわけないよ!」

「う、うぐぐ……!」

 涙目で歯を食いしばるプリンス先輩。でも確かに背が低いし、精々中学生くらいにしか見えないんだよな……。

「と、ところで青星先輩はどうしてここへ?」

 八木さんが見かねたように話題を変える。そうだ、当たり前みたいにわたしの教室に来てんじゃないよ。

「あ、ああ、そうだった。今日は惜しくも我が美学部の活動が中止になってしまったからな。かがりくんが寂しがっていないか心配で様子を見に来たのだ」

 百パーセント大きなお世話だった。

「そうしたら案の定困っているようだったからな。先輩として後輩の窮地を放ってはおけない! その依頼、このプリンスが請け負おうじゃないか!」

「ほんと!? 一緒に七不思議を探してくれるの!?」

 またプリンス先輩の安請け合いが始まった……。あれ? でも……。

「今日は部活お休みですよね? 勝手に活動なんかしたらウィザード先輩に怒られるんじゃ……」

「ああ、その点については問題ないぞ!」

 と、無駄なくらいに自信満々なプリンス先輩。

「あくまで美学部としての活動ができないだけだ。私個人の活動はなにも制限されていない。だから今日は美学部のプリンスではなく、ただの二年生青星幸邦としてきみたちを助けよう!」

 屁理屈っぽいけど確かにそれなら問題はないのか。……あ、でもちょっと待って!?

「受けるんですか!? 日野の依頼を!?」

「うむ、当然だ」

 プリンス先輩はなんの疑問もないように頷く。

「困っている人を見捨てるのは美しくないことだぞ?」

「で、でもわたしは……」

「一人なのが心細くて断ろうとしていたんだろう? 安心しろ、私がついている! 大船に乗ったつもりで私を頼ってくれ!」

 まったくそんなつもりはないのだが、ついさっき日野にそう言ってしまったため否定も出来ない。しかもこの組み合わせ……絶対ろくなことにならない。な、なんとか口実を作って逃げないと……!

「良かった! これで安心して探しに行けるね!」

「えっ」

 がし、と日野がわたしの手を掴む。

「うむ! いざやゆかん、探索の旅路へ!」

「えっ」

 ぽん、とプリンス先輩がわたしの肩に手を置く。

「えっと……じゃあ、私も暇なのでついていきますね?」

 と、同情したようにわたしの開いた方の手を取る八木さん。

「………………」

 どうやら逃げることはできないようだった。



 3



「……でも、本当に大丈夫なんですか?」

「うん、なにがだ?」

 やっぱりちゃんと理解せずに安請け合いしたのか。きょとんとしているプリンス先輩に頭痛を覚えながら説明する。

「七不思議を一緒に探してくれ、っていう依頼ですよ? 聞いてました?」

「あ、ああ……それがどうかしたか?」

「そういえば、うちの学校に七不思議なんてあったんだね……私初めて聞いた」

 首を傾げる八木さん。わたしも一般的なそれらはともかく、この揺籃学園にもその手の話があるなんて知らなかった。

「理科室の骨格標本が廊下を走るとか、肖像画のベートーベンがピアノを弾くとか……そういうの?」

「な、なにっ!?」

 と、プリンス先輩は真っ青になって慌てる。

「そんなの怪談と変わらないじゃあないか!? 探すのは七不思議だろう!?」

「だから、こういうのが七不思議なんですって」

「馬鹿なっ!? 私の知る七不思議とはもっと浪漫のあるものだったぞ!? ロードス島の巨人像にバビロンの空中庭園、ギザの大ピラミッド……」

 世界の七不思議を知っててどうして学校の七不思議を知らないんだろう、このナルシー王子。

 幽霊や怖い話が大の苦手なプリンス先輩が二つ返事でこんな依頼を受けるなんておかしいと思ったけどやっぱりわかってなかったのか。早くもぶるぶる震え出したプリンス先輩に対し日野はあっけらかんと笑っている。

「あっそうだ! 七不思議の話をしてなかったね! ちゃんと内容を知らないと探しようがないし、じゃあ今から紹介するね!」

「あの、そのう……詳しくは話さなくていいぞ? 簡単な、内容がよくわからない程度でいいからな?」

 それじゃあ説明にならないじゃん。

 日野の話はプリンス先輩が求めた以上にあやふやで要領を得ず、おまけに話題が脱線しまくって聞きづらいことこの上なかった――ので、八木さんが親切に取ってくれたメモを参照して整理し直す。


 ・七不思議その一 美術室の亡霊

 現在使われていない美術室には、昔そこで事故死した生徒の幽霊が住み着いている。その姿を見た者は呪われてしまうという。

 ・七不思議その二 図書室のアリス

 図書室に置いてあるアリス人形は生きていて、たまに喋ったり不気味な笑い声をあげる。

 ・七不思議その三 魔王

 放課後、廊下を疾走する謎の人影を見ると頭がおかしくなってしまうという。

 ・七不思議その四 白い絵本

 学校のどこかにある真っ白な絵本。そこに願いを書き込むとどんなことでも叶うが、代償として消えてしまう。

 ・七不思議その五 異世界のトロイメライ

 放課後遅くまで残って、閉校時間を告げるトロイメライを聴くと異世界に連れていかれてしまう。

 ・七不思議その六 人食いピアノ

 音楽室でひとりでに鳴るピアノ。気になって様子を見に行くと、その者を食べてしまうらしい。

 ・七不思議その七 増えた一人

 生徒の数を数えたとき、ときどき本来の数より一人増えていることがある。その増えた一人が誰なのかは誰にもわからない。


「お、恐ろしい……! 知らなかった、この学園にそんな魑魅魍魎が潜んでいたなんて……!」

「結構、オリジナルっぽい怪談もあるんだね……」

 大袈裟に怖がっているプリンス先輩とは対照的に、八木さんの目は興味津々といった感じに輝いている。こないだのときは怖がってたけど、意外にホラーも好きなのかな?

「大体なんだ!? 呪われるとか消えるとか食べられるとか! 物騒な話ばかりじゃないか!」

「だって七不思議だよ? 怖くて当たり前じゃん!」

 どっちかっていうと、怖いよりは嘘くさすぎるけど……。目撃者が消えたり食べられた話って誰が怪談として伝えたの?

「ほんとなんだよ! 友だちの友だちの友だちが見たんだってば!」

 まったく信憑性のない情報源だった。

 まあ、そこらへんの疑問は置いといて。

「とりあえず、噂にまつわる場所を一つ一つ回って、本当に七不思議が起きるか検証する……って感じでいい?」

 プリンス先輩は駄目駄目だし、日野はいまいち信用できないし、関係ないのに付き合ってくれた八木さんばかり頼るわけにもいかないし、この場を仕切れるのはわたしだけだ。極めて不本意だけど。

「だ、駄目だっ! そんなことをして、本当に出てきて呪われたらどうするんだ!?」

 出るわけないだろ。

「じゃあ、まずは美術室だね? あれ、でも……」

 八木さんが何かに気づいたように眉根にしわを寄せる。使われていない美術室って、確か……。

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