13 オデット、ベェトは呪われて ②
2
時間は無情にすぎていき、なのに、なにも解決してはくれない。
「ごめん、昨日休んじゃって……心配かけちゃったかな」
翌日部室に向かうと、そこにはいつものようにみんなのお茶の準備をするウィザード先輩がいた。
「せ、先輩!? 大丈夫なんですか!?」
「あはは、やだなシンちゃん、大袈裟だよ。別に風邪ひいたとか大怪我したってわけじゃないんだから」
と、優しい笑みを浮かべるウィザード先輩は本当にいつも通りのように見えた。……でも、だって……。
「オレは大丈夫。本当にごめん、心配かけさせちゃって」
「本当はもう二、三日は休んでほしかったのだが……『そんなに長く休めない、休んでいる方が辛くなる』と言って聞かなくてな。無論、私が責任をもって監督するので心配はいらないぞ」
普段自分が監督される側なのになにを言っているんだろう。
「あはは……お手柔らかにお願いね、プーちゃん」
「うむ! それでは全員揃ったことだ、今日も元気に活動を始めようではないか!」
プリンス先輩はいつも通り、うるさいほどの大声で言った──────全員。
全員?
なにかがおかしい気がする。どこがだ、と言われたら自分でもはっきりわからないけれど。
「どうしたの? シンちゃん、なんだか顔色悪いよ?」
「え……い、いえ、なんでもないです」
慌てて取り繕う。変な勘違いでウィザード先輩を刺激したくない。
「それじゃあ、どうしようか」
三人分のお茶――プリンス先輩、ウィザード先輩、わたしの分だ──を淹れ、ウィザード先輩が席に座る。
「とりあえず現状は、失踪した大神くんの先輩を捜しながら楽土の手がかりも一緒に探す、ってことでいいのかな」
「うむ、異論はないぞ」
「あの、えっと……」
頷くプリンス先輩の横で、わたしは前々から抱いていた疑問をぶつけた。
「キング先輩って、本当に消えちゃったんですか?」
「シンデレラ!?」
「あ、いや、その……そういう意味じゃなくって」
ウィザード先輩に対しては失言に近いようなことを言ってしまったことに気づき、なんとか真意が伝わるよう取り繕う。
「……なんだかまだ、全然実感が湧かなくて。そもそも、わたしたちが忘れてたからって、それがイコールで失踪したことになるとは限らないんじゃ……」
部室にも教室にも、校内のどこにも姿を現していないのは事実だけど、単に風邪とかで休んでいるだけかもしれないし──わたしたちが忘れていたのだって、ただの偶然という可能性もあるんじゃないか。そんな希望的観測に縋るわたしを、ウィザード先輩が憂鬱そうに首を振って否定した。
「その線は潰したよ。あいつの携帯や家電にかけても全然繋がらないし、あいつの家に行って訪ねてみても、『知らない、そんな人間はいない』って……まるで『黄堂楽土』なんて最初からいなかったみたいにさ」
「え……」
「あいつが消えたんじゃなかったら、きっとオレたち全員が幻覚でも見てたんだよ。だってありえるか? あの楽土が、キングが、揺籃の魔王が、本当は存在しなかったみたいにみんな忘れてるなんて……!」
「ま、まあまあ! 過ぎてしまったことを考えるのはよそう!」
一昨日のように顔を青ざめさせ始めたウィザード先輩をプリンス先輩が慌てて止める──「この話はやめよう」というアイコンタクトを送ってくる。
「どうあれ、私たちの大切な仲間であるキングが行方不明になったのは事実だ。ならば、探すしかないだろう。しかし、引き受けた依頼である大神くんの先輩を捜索するのも放棄するわけにはいかない──だから、きみが提示した案に賛成するぞ、ウィザード」
「う、うん……」
少し落ち着いたのか、ウィザード先輩が控えめに頷いた。
「シンデレラ。不安になるのはわかるが、他の仲間を動揺させるようなことを言うのは控えてくれ。状況が状況なんだ」
そして真面目な顔でわたしを叱るプリンス先輩。確かに否定しようのない失言だった。
「……すみません」
「ううん、気にしないで。オレもシンちゃんの気持ちはわかるから」
挙句、失言を浴びせてしまった張本人であるウィザード先輩にフォローされてしまった。こんな状況でも相手への思いやりを忘れない、さすがの如才なさだった。
「それで、これからどう活動するか、だったな」
牛乳がたっぷり入った紅茶に口をつけ、プリンス先輩が話を戻す。
「うん。やっぱり、地道な聞き込みしかないと思うんだよね」
「しかし聞き込みと言っても……大神くんの先輩もキングのことも、皆忘れてしまっているはずだろう? 聞いても無駄足になってしまうんじゃないか?」
「それがずっと引っかかっててさ」
被った帽子をいじりながら考え込むようにウィザード先輩が言った。
「『みんな忘れてる』って言ってもさ、大神くんやオレたちは覚えてたり思い出せたりしてるだろ? 他の人は思い出せないのにオレたちは覚えてる、この違いはなんなんだろう?」
言われてみれば……どうしてわたしたちはキング先輩を思い出すことができたのだろう? 他の人は、家族すら忘れているようなのに。
「それはもちろん、キングが私たちにとって大切な仲間だからだ。きっと大神くんにとっての先輩も、同じような存在なのだろう!」
「だったら楽土の家族だって覚えてないのはおかしいよ」
プリンス先輩の根拠のない断言に容赦なくツッコミが入れられる。
「う、ううむ……なら、どうしてだというんだ?」
「それはオレにもわからないけど……ただ、全員が忘れているわけじゃないんだから、ほかにも覚えている人がいるかもしれないよね? オレたち以外に、さ」
「なるほど、覚えている人を探して証言を聞きだし、失踪までの足取りや手がかりを見つけよう、ということだな!」
「そうだね。どうかな、シンちゃん?」
……さすが美学部の参謀、わたしなんかが太刀打ちしようもない程頭が回る。反論も代案もあるわけない。
「いいと思います」
「うむ。しかし、誰から話を聞こう? ウィザード、心当たりはあるか?」
クラスメイトとかにしらみつぶしに聞き込めばいつかは当たるだろうけれど、どのくらい時間がかかるやら。かといって、目星があるかと言えば……。
「とりあえず、大神くんの先輩の席の周りの人から聞いてみようか。ほら、こないだ教室の席は特定できたでしょ?」
「えっと、確か『野田』の前で『光岡』の後ろ、でしたっけ?」
「ついでに言うと、
「いつのまに隣の席の人まで……」
一を聞いたら二十まで調べてくる人だ、ウィザード先輩。
「では、本日の方針が決まったな。それではさっそく、『三年生失踪事件』の手がかりを探しに行こうではないか!」
プリンス先輩の鼓舞するような号令でブリーフィングが終わる。行動目標が決まり、雰囲気は一気に明るくなったが──しかし、それが実を結ぶかは、また別問題で。
3
「駄目でしたね……」
「さすがに全員空振りは堪えるね……」
骨を折り、疲れだけを得て部室に戻ってきたわたしたち。『先輩』の周囲の席の生徒に片っ端からコンタクトをとってみたものの、結果は全スカ。「知らない」「誰だそれ」「思い出せない」以外の返答を聞くことはできなかった。
「着眼点は悪くなかったはずなのだが……」
「こうなったらクラスメイト全員に話を聞くつもりでかからないと駄目かなあ。それでも駄目だったら……うーん……」
「………………」
疲れのせいかいつになくぐったりしている先輩たちの横で、わたしはふと浮かんできた不信感にとらわれていた。
こうも明確な成果が得られないと、どうしても疑いたくなってしまう。おとぎ話でもあるまいし、人がそんなに簡単に忘れられることなんてありえるんだろうか? いったいなにが起きたらそんなことが起きるというんだろう。ウィザード先輩じゃないけれど、いっそわたしたちのほうがおかしくなっているんじゃないかと考えたくなってくる――
「真に心配すべきは、その人がどうしていなくなったのか――それを嗅ぎまわった僕たちの身に鬼や蛇が出てこないか、ですよ」
不意に思い出した言葉は、いったい誰のものだったっけ?
「くっ、こんなところでだらだらしているわけにはいかない。ウィザード、お茶を淹れてくれ。改めて作戦を考え直そう」
「あ、ボクもお願い。砂糖たっぷりでね」
「はいはい。……ん?」
慣れた手つきでティーポットを手にしたウィザード先輩が驚いたようにプリンス先輩の隣を見た。わたしもつられてそちらを見る。
「げぇ!? 生徒会長!?」
「『げぇ』とはお言葉だねぇ青星クン。仮にも生徒会長に対して」
いつのまにか部室に入り込み、我が物顔でソファに座っていたキリギリス──有切生徒会長。サボり魔でクズでアイドルオタクと汚名まみれなのにいまいち本人の存在感は薄いから全然気づかなかった。
「そこの一年生ちゃん、なんか失礼なこと考えてない?」
「まままままままさかそんなわけはないだろう!? なあシンデレラ!?」
わたしの心を読んだみたいに細い目を向けてくるキリギリス会長にプリンス先輩がぶんぶん首を振る。こんなどうしようもなさそうな人に必死でへりくだっているプリンス先輩が他人事のように哀れに思えた。
「まったくもー、部員に対する指導が相変わらずなってないみたいだねえ?」
「あとでよくよく言って聞かせておくので、今日のところはなにとぞ……!」
「それで、今日はどんなご用件かな、有切くん」
ウィザード先輩が咳払いする。気のせいか、声音に若干トゲを感じた。
「ああ、そうだった。コレだよコレ」
と、どさっとテーブルに置かれる大量の紙束。どうやらなにかの書類らしい。
「今日中にやらなきゃいけないんだけどさ、浪越さんは水泳部で忙しくて来てくれないし、花蓮ちゃんや笛吹クンは勝手にどっか行っちゃうし、残りの一人は全然連絡取れないし……ボクひとりでこんなの全部片付けらんないじゃん?」
「そういう生徒会の仕事はもう受け付けないって約束じゃ……」
「あっれー? いいのかな? ボク、生徒会長だよ?」
まるで水戸黄門の印籠を見せつけるみたいに言う。
「いったい誰のおかげでこのヘンテコ部の運営が成り立っていると思ってるのかなあ? 部室に予算に活動許可、エトセトラエトセトラ……」
「生徒会長さまのおかげでございます!」
思いっきり笠に着てくるなあ。先輩も先輩で、なんでこんな人なんかの力に頼っちゃったんだか。
「うんうん、ボクのおかげでしょ? もっと崇めても良いんだよ?」
必死で平伏しご機嫌取りに努めるプリンス先輩に、キリギリス会長は満足げに頷いた。
「ホント、ボクくらいなもんだよ? こんな部のために色々心を尽くしてあげる生徒会長なんてさ。精々あと数ヶ月、つつがなく活動できるように、態度には気を付けようね?」
「う、うむ。もちろんだとも」
「あと……数ヶ月?」
聞き覚えのないタイムリミットに思わず声が出てしまった。
「ん、なんだい一年生ちゃん。この部がずっと続けられると思ってた?」
キリギリス会長がへらへらとした笑みを浮かべる。
「そんなわけないでしょ。ボクの任期が満了して、新しい生徒会になったら、こんなワケのわからない部すぐに取り潰しになっちゃうって。小角クンも受験があるんだし、十一月までやれたら恩の字じゃない?」
当たり前の話だった。ウィザード先輩だっていつまでも部活できるわけじゃないし、キリギリス会長のいいかげんな予算運用に頼って部活をやってる以上、キリギリス会長がいなくなれば当然存続できなくなる──ただ、わたしが今まで考えたことなかっただけ。
美学部がなくなるなんて、今まで考えたこともなかった。
「ま、だから今ボクに逆らうのは得策じゃないよって話。頑張って尻尾振って媚び売って、寿命を伸ばしときなよ?」
なにも言えなくなったわたしにキリギリス会長が一方的に言い、書類をどさどさ置いていく。
「ってわけで、よろしく~☆」
「………………」
なにが「よろしく~☆」だよ。
キリギリスにへーこらしなきゃいけないのはよくわかったけど、だからってキリギリスのクズを押し付けられるのはやっぱり別問題なんじゃないの?
「あー助かった! 危うく遊びの約束を破らなきゃいけないところだったよ! やっぱり持つべきものは頼れる働きアリだねえ!」
「は、働きアリ……」
「じゃ、頑張ってね~☆」
るんるんとスキップしながら出て行くキリギリス。わたしたちの前に残された大量の書類。
「参ったね。こんなことしてる暇ないのに……」
さすがのウィザード先輩も辟易したらしく、うんざりしたようなため息をついた。
「生徒会長たっての頼みとあれば仕方がない。ここは三人で力を合わせ、なんとか今日中に終わらせよう」
「終われば、ね……」
書類にざっと目を通してみると、日付が一週間前だったり、明らかにもっと早く終わらせられたはずの案件がいくつもある。あのキリギリス野郎、いったい何日サボってたんだ。夏休みの宿題じゃあるまいし。
「とにかく頑張るしかあるまい! えいえい、おー!」
と、ひとりで掛け声をあげて書類の山に突撃するプリンス先輩。わたしも座って書類の束をいくつか取り分けながら、さっきキリギリスが言っていたことを訊ねることにした。
「先輩。美学部って……」
「ああ、言うのを忘れていたな。すまない」
わたしが訊いてくるのを予想していたのか、プリンス先輩はなんでもないことのように言った。
「生徒会長の言う通りだ。この部が続けられるのも、生徒会が交代し、三年生が部活を引退する十一月までだろう。キングもウィザードも受験に専念しなければいけないし、部員数も規定数以下になる。こればかりは仕方がない」
「うん……まだまだ先とはいえ、なんだか寂しくなってくるね……」
書類にハンコを押していきながらウィザード先輩も切なそうに言った。
「だが、まあ、たかが部活だ。いきなり部員全員の縁が切れるわけでなし、我々の絆はこれからもきっと途切れはしないだろう。人助けとか、ボランティアとか、部としての活動は出来なくなってしまうが、今まで培ってきた愛と正義の心を生かし、美しく生きていこうじゃないか!」
プリンス先輩の言葉はいつものようにちょっと大げさだけど、しかし正しかった。別に部活がなくたって会ったり話したりすることはできるだろう。なのに、なんでこんなに寂しく感じてしまうのだろう?
「それに、生徒会選挙の前に重大なイベントがあるだろう? 文化祭だ!」
「文化祭って……十月の?」
「うむ! そこで我々がこの一年で成し遂げてきたものの集大成を発表し、『揺籃学園に美学部あり!』と全校生徒並びに来賓者に見せつけるのだ! 部として形は残らなくとも、記憶として皆の記憶に残る、きっとこれほど美しいことはあるまい!」
「つまり、文化祭で素敵な発表をして思い出を作ろうってわけだね」
興奮しすぎて意味不明になってきたプリンス先輩の言葉をウィザード先輩が翻訳する。
「その通りだ! 限りある時間かもしれないが、最後の時まで全力で、美しくあろうじゃないか!」
「……そう、ですね」
やっぱりプリンス先輩も色々考えているんだ。ちょっと馬鹿に見えるくらいまっすぐに、真面目に、現実やこれからのことを。
わたしより背が低くて子供のような先輩が、今日はなんだかずっとずっと大人のように見えた。
「そのためにも早急に、失踪事件を解決しなければな!」
「そのまえに有切くんの書類をなんとかしなきゃ、だけどね」
「う、うううむ……」
鋭い指摘にはっとしたように慌てて書類にとりかかるプリンス先輩。うん、まずはこれをなんとかしないと。しかし、数が多すぎる……。
「これだけあったら三人だけじゃ終わらないんじゃないですか? せめて、もっと人がいれば……」
なんの気なしに呟いた愚痴の意味に自分でも気づかないまま、わたしは大急ぎで書類を片付け始めた。
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