14 ついにぼくらは転がり落ちる ①

 この世界に王子様がいないことなんて、もう何年も前に知っていた。

 九年くらい前だ。転校したてで学校にも近所にも友達がいなかったわたしの前に現れた子。唯一の遊び友達を、わたしは『王子様』と呼んでいた。

 子どものおままごと、お姫様ごっこでもしていたんだと思う――大好きなおとぎ話になぞらえて、わたしがお姫様、その子が王子様役で遊んでいたのだ。遊びの内容なんてもうほとんど思い出せないけど、楽しかったのだけは覚えている。

 でも、いなくなった。

 ある日急にその子が遊び場に来なくなったのだ。その日以降、ぷっつりと姿を消し、何日待っても彼が現れることはなかった。

 まるで、いきなり消えてなくなってしまったかのように。

 今考えれば、何か病気をしたとか、親の都合で引っ越したとか、あるいは女の子と遊ぶのが嫌になっただけだとか、思い当たる理由はいくつもある。ただ、まだ幼かったわたしにはそんなこと思いつかなくて、王子様がいなくなった、消えちゃったと泣き喚くことしかできなかったけど。

 そんなわたしに姉たちは呆れたようにこう言った。

「バカバカしい。王子様なんているわけないじゃない」――と。

 この世界に王子様はいないし、わたしはお姫様なんかじゃない。そんな当然の事実を、わたしはそのときようやく知った。



 1



 なにかがおかしい気はしていた。正体のわからない違和感がずっと背後をつきまとっていた。

 大神の依頼を引き受けて、土日を挟んで一週間経った。キリギリスのクズ……もとい生徒会長の嫌がらせみたいな依頼以外は頼まれごともなく、大神の依頼解決に集中できる、はずだったんだけど。

「うん、ごめんね……ぼく、そういうのは知らないや……」

「だよね……」

 森屋兄妹の弟であり妹、森屋依月に半ばヤケクソで聞いてみたものの、結果は当然空振りに終わってしまった。この一週間思い当たる人に手当たり次第に聞き込みしてきたが、今のところ収穫はゼロ。成果はまったく得られていなかった。

「いなくなった人を探してるの? そういうのは警察に任せた方がいいんじゃない?」

「う、うん……」

 森屋さんの正論が疲れ果てた心に突き刺さる。いや、まったくもってその通りなんだけど。

「おに……お姉ちゃんにも一応聞いてみるね。なにかあったらメッセで送るね?」

「ありがとう。暇な時でいいからね」

 ため息をつきながら部室に向かう準備をする。ついでに携帯を確認すると、ウィザード先輩からいくつかメッセージの通知が来ていた。一番新しいメッセージを開いてみる。

『すぐに来て やばい』

 え……なにこれ? 困惑して返信もできずにいると、また新しいメッセージが受信された。

『部室 おあがみくん』

 おあがみ……? まさか大神のこと? あの如才ないウィザード先輩が誤字するほど焦って送ってくるなんて、よっぽど切羽詰まった状況に違いない。いったいなにがあったんだろう? 大急ぎで荷物をまとめて部室へ向かった。

「おい! なにしてんだお前!」

 美学部部室――第一美術室の前まで来ると、廊下は野次馬らしい生徒たちでごった返していた。部室からは怒鳴り声が聴こえてくる。

「なにかあったの!?」

「喧嘩らしいよ」

「ナントカ部に不良が怒鳴り込んできたって」

 喧嘩!? 不良!? 聞こえてくる不穏な単語に慌てて野次馬をかき分け部室へ飛び込む。そこにいたのは呆然と立ち尽くすウィザード先輩と床に尻餅をついて震えているプリンス先輩、二人を今にも殴りかからんばかりに睨みつけている大神、それを後ろから羽交い絞めにして抑え込んでいる伴田先輩だった。

「なっ、なに……!?」

「ふざけんじゃねえぞてめえッ!」

 なにがなんだかわからず呆気に取られていると、大神が伴田先輩に抑えつけられたままプリンス先輩を怒鳴りつけた。びくっ、とプリンス先輩は座り込んだまま後ずさりする。

「舐めんなよ……もっぺん言ってみろ……!」

「ちょっ、なにしてんの大神!? いったいなんで……」

「あんた、こいつの知り合いか」

 暴れようとする大神を困った顔で抑えつけている伴田先輩が言った。

「事情は知らんが。キレて怒鳴り込んできたらしい。なんとかできるか」

 パイプ椅子を使ってもいいのなら……と言いかけ、慌てて飲み込んだ。外から妙な声が聞こえてきたからだ。

「ちょっとちょっと、なんの騒ぎ?」

 野次馬たちの向こうからよく通る女性の声が聴こえてきて、伴田先輩が舌打ちする。浪越先輩の声だ。

「どうしたの? 喧嘩? いったい今度はなにやらかしたの、青星君」

「鬼の副長、ハンタークンまで出張っちゃって、こりゃあただごとじゃあなさそうだね?」

「校内で明らかな反社会的行為が確認された場合、教員方に報告し、ただちにしかるべき処罰を受けてもらわねばなりません」

 呆れ顔の浪越副会長ににやにや笑っているキリギリスのクズ会長、笛吹先輩に、さらには彼が押す車椅子に腰かけた踊瀬先輩までいる。揺籃生徒会全員集合だ。

「せ、生徒会御一行様!? 違うのだこれは、喧嘩とかそういうものではなくてだな、そのう……」

「……ちっ」

 生徒会の登場に大神も冷静になったようで、振り上げていた拳を下ろした。それを見て伴田先輩も大神を放す。大神が落ち着いたのは良いけど、この状況、生徒会に対してどう言い訳しよう?

「別に喧嘩とかじゃないよ。ちょっと野球の話が盛り上がっちゃってさ……でしょ? プーちゃん」

「あ、ああ! 私は根っからのスパローズファンでな、ついつい熱くなってしまったのだ!」

 とっさに取り繕ったウィザード先輩の尻馬に乗るプリンス先輩。かなり苦しい言い訳に、浪越先輩は疑わし気な眼差しを向けてくる。

「野球の話が盛り上がっただけで風紀委員が出てきたの?」

「俺はただの通りすがりだ」

 伴田先輩は無愛想に呟き、わたしたちに背を向けた。

「野球だかなんだか知らんが、そいつらがそう言うならそうなんだろ。俺は何も知らん」

 と言って、すたすたその場を去っていく伴田先輩。わたしたちに気を遣ってくれた、のかな……?

「あはは、ハンタークンはつれないねえ。で、実際どうなのさ?」

「や、やややややや、野球だとも! 正真正銘、野球の話をしただけだとも! なあ、大神くん!?」

「……ふん」

 あからさまに挙動不審なプリンス先輩に軽蔑の視線を向け、大神は曖昧に頷いて見せた。浪越先輩が溜め息をつく。

「……わかった。そういうことにしてあげる。一応暴力沙汰じゃあないみたいだし」

「いやー、運が良いねえキミたち! もし本当に風紀を乱すような行為でもしてたら、半年早く部を取り潰さなきゃいけないとこぐェふッ!?」

「後輩に圧をかけるんじゃないっての」

 脳天にチョップを入れられ悶絶するキリギリス。その隣で踊瀬先輩が気だるげにあくびをした。

「……用は済んだんでしょう? じゃあ、早く行きましょうよ。こんなところに長居したって仕方ないわ」

「そうだね。もう、変なトラブルは起こさないでよ? ただでさえあんたたち、マークされてるんだから……」

「ま、どうせあと半年もない命ぐぶッ!?」

「あんたの寿命ももっと縮めてあげようか?」

 生徒会が去っていく頃には野次馬たちも興味をなくしたのかすっかり姿を消していた。思わず安堵の溜め息が出てしまう。なんとか一旦は落ち着いた。



 2



「……とりあえず、座ろっか。立ち話は疲れるでしょ?」

「いい」

 とりなすように言ったウィザード先輩に、大神はぶっきらぼうに言った。

「座ってするような話じゃねーよ。座りたいならてめえらで勝手に座れ」

「しかし……」

 なにか言いかけたプリンス先輩だったが、ウィザード先輩に手を引かれて座る。わたしも促されたけど、また大神がキレたときを考え、立っていることにした。

「つまり、オレたちの態度に不満があるんだよね? その……依頼がなかなか解決しないから?」

 おそるおそる切り出す。しかし、大神は否定も肯定もせず、しばらく黙っていた。まあ、頼んだ依頼が一週間経っても進展なしなんて怒りたくなるのも無理はないと思うけど……大神の態度は、なんだかそれ以外の含みがあるように感じた。

「てめえら、マジで気づいてねーのか」

 十呼吸くらいの間の後、ようやく大神が口を開いた。

「気づく、って、なんの話?」

「もういいっ、てめえらとはこれでサヨナラだ!」

 かと思ったらまたいきなりキレて部室から出て行こうとする大神を、「待ってくれ!」と引き留めるプリンス先輩。

「せめて、理由を説明してくれないか。こちらに非があるというのなら、出来うる限りの謝罪をしよう。わけもわからず、いきなり突き放されるなんて、あまりにすわりが悪いのだ」

 口では格好いいこと言ってるけど、膝はがくがく震えている。ソファに座っていなかったらちゃんと立てていたかも怪しい。わたしもフォローに回ることにした。

「そうだよ。キレて騒いで、散々舐めたことしてくれたくせに、理由も言わずに逃げるなんて。筋が全然通ってない」

「舐めてるのも、筋が通ってないのも、全部てめえらのほうだろ」

「は? なにが舐めてるっての!?」

 意味の分からないことばかり言う大神にイライラしてつい声を荒げると、大神はわたしじゃなくウィザード先輩の方を向いた。

「言ったよな。かがりを抜けば、部員はこれで全員揃ってる、って」

「う、うん」

「美学部ってのはてめえとそこのチビとかがりしかいねえって」

 ――息が詰まった。なぜだろう、当たり前のことなのに――ありえないことを聞かされたような。

「それが、どうかしたのか」

 プリンス先輩が声を震わせる。

「きみはなにが言いたいんだ」

「こんなに言ってもわかんねえならもうなにも言えねえよ。もう他の奴らみてえに忘れちまったんだろ? いなくなった奴らのことなんか」


「そのまま自分が消えちまうまで知らんぷりし続けるんだろうよ」


 いつから忘れていたんだろう。いつから、いなくなっていたんだろう。

 髪をいじりながら憎まれ口を叩くビースト先輩の指定席のソファが、スワン先輩が無愛想に呟きながら絵を描いていたアトリエが、埃をかぶったまま恨みがましげにわたしたちを見ていた。部室の中が急にすかすかで、寒々しく感じてくる。

「……やっと思い出したかよ」

 言葉を失ったわたしたちに大神が吐き捨てた。

「仲間がいなくなってるのにも気づかねえで赤の他人探してるなんて、とんだ間抜け野郎だぜ。どういう神経してんだよ、てめえら」

「な……なぜ!」

 と――プリンス先輩があえぐように言った。

「なぜきみは覚えているんだ、私たちが忘れていたのに――そんなの、道理が通らない!」

「は? 知らねえよ、そんなこと」

「だって、おかしいだろう! どうしてきみは……!」

「結局てめえら、仲間のことなんてどうでも良かったんだろ? 誰がいなくなっても気にせず忘れちまうくらいによ」

「――――――」

 プリンス先輩は言葉の代わりに、ひゅ、と奇妙な呼吸音を出した。反論の言葉は、思いつかなかった。

「……それで、きみはどうしたいの?」

 ウィザード先輩が震えを押し殺して出した問いに、大神は鼻を鳴らした。

「どうもこうもあるかよ。依頼は取り下げだ。仲間も探せない奴らに期待できるわけねえ」

「そっか……」

 帽子を被り直して沈黙するウィザード先輩。なにか言いたいけど、なにを言えばいいんだろう。口を開きかけたままなにも発せないわたしに、大神のほうから声をかけてくる。

「なあ、こんな部やめちまえよ」

「なっ……なに、いきなり!?」

「口ばっかりで冷たい奴らなんかと一緒にいてどうすんだよ。こいつら、どうせお前がいなくなっても気づかねえぞ?」

 なに言ってんの!? いくらなんでも……! 大神の暴言が許せず大声を出そうとしたわたしを、ウィザード先輩が手振りで制した。

「シンちゃん、やめよう」

「先輩……」

「ふん。じゃあな」

 先輩たちに軽蔑の眼差しを向けて大神は部室から出ていく。けれど、部室を支配する張り詰めた空気はそのまま残されていた。

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