19 魔女の魔の手にご用心 ①
1
「撒けた……のかな」
走りながら何度か後ろを振り返ったが、踊瀬が追ってくる様子はなかった。危機を脱した、と判断しても良さそうだ。
それはいいんだけど。それはそれとして。
「これからどうしよう……」
周りの景色のパステルカラーでふわふわした曖昧な感じを見るに、ここはトロイメライで間違いないと思う。場所はよくわからないけど、現実に戻るための『鐘』がある公園じゃないのは確かだ。なんとかして公園に行くか、猫さんと合流しないと……。
でも、トロイメライには道案内の地図はない。スマホのGPS機能なんてもちろん使えるわけがない。周りは常にふわふわぼんやりしていて、まともに目印になるようなものは見つからない。
「……………………」
やらかした。完全に崖っぷちじゃん。
こうなると、踊瀬が追ってこないのもわたしが勝手に自滅してるのを放っておいただけに思える……わたしが乗り込んできたから迎え撃ってきただけで、わたしがどうなろうと関心がないのだろう。
「そうだ、この靴……!」
さっきの今で、烏丸先輩からパク……いやその……遺憾ながら勝手に拝借した靴。踊瀬に襲われたときに足が勝手に動いたみたいに、『猫さんのところに行きたい』と願ったら、上手いことそっちの方向に動いてくれたりしないだろうか?
「ね、猫さんのところに連れてって!」
願ってみた。叫んでみた。
足はぴくりとも動かなかった。
「………………」
周りに誰もいないけど恥ずかしい……。
恥ずかしがってる場合じゃなくて、これでいよいよ打つ手がなくなった。こうなったらあてもなく歩くしかないけど……猫さんがいないときに望者に出くわしでもしたら、なんてこと想像したくもない。
困り果てて足を止めていると、スカートのポケットがもぞもぞ動いてるのに気づく。え、いや、なんで動いてるの!? スマホの振動とかじゃなく、なんだか小動物が入っているような……まさか、知らないうちに虫でも入りこんだ?
わたしが恐ろしい想像に身体を硬直させているうちに、ポケットの中身はもぞもぞ動き続け、ついにはポケットから飛び出し――わたしの目の前に躍り出た。
「ぴ〜〜〜〜〜〜〜よ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
……え?
2
「いったいなにを考えているのだね、きみは!」
怒られた。
やっとの思いで猫さんと再会して、今に至るまでの経緯を話したところ、こうして正座で猫さんのお説教を聞く羽目になった。
やったことがことなだけ、ぐうの音も出ないけど……。
「きみの心情はよくわかる、理解しようとも! 気心知れた友人が目の前で、理不尽に手にかけられたのだ! きみの受けた心の傷は計り知れない、どんな手を使ってでも仇を討ちたいと考えるのは自然なことだ! だが……今回のことはあまりにも軽率ではないかね!? いくらトロイメライではないとはいえ、敵の懐に自ら飛び込むなど! ともすればきみは火の中で悶える虫か、虎穴の内で虎に食い殺されるようなことになっていたかもしれないのだぞ!? そんなことはきみの友も、きみの大切な人たちも決して望むまい! わかっているのかね!?」
「は、はい……」
「何度もくり返すが、魔女の力を持つ者との接触は出来る限り避けるのだ! 彼奴らと戦おう、真正面から迎え討とうなどという浅はかな考えは捨てたほうが良い! 我輩とて、いついかなるときもきみを守れるわけではないのだぞ!」
「反省してます……」
「これはきみを心配しての忠告なのだ! 何度も同じことを繰り返すようでは、今後きみとの関係を改めなければならなくなるぞ!」
猫さんは数十分に渡ってお叱りの言葉を喋り続け、わたしの足がすっかり痺れたのを見てようやく解放してくれた。
「まったく……ところできみ、確認したいことが二つほどあるのだが」
「なに?」
「きみの周りで飛び回っている鳥のようなものはいったい?」
猫さんが言っているのは、先ほどわたしのスカートのポケットから飛び出した鳥……いや、鳥のぬいぐるみのことだ。フェルトでできた翼をぱたぱた羽ばたかせなから、本物の鳥のように宙を飛んでいる。
「いや、わたしもよくわからないんだけど……」
トロイメライでは何か起こってもおかしくない、っていうのは今までも散々見てきたことだけど、さすがにポケットに突っ込んでいたぬいぐるみが動き出すなんて予想もしていなかった。心当たりはなんとなくあるけど。
「なに、例の“鉛の心臓”を、このぬいぐるみの中に入れていたのかね?」
そう、あのぬいぐるみのお腹のチャックの中には、こないだのゴミ捨て場で見つけた心臓が入っているのだ――心臓を入れたから命が吹き込まれた、なんて、それこそおとぎ話みたいに。
猫さんと合流する少し前。どうしてそうなったのかは一旦置いておいて、スカートのポケットから出てきたぬいぐるみは、ビビって呆気に取られてるわたしにすごい勢いですり寄ってきた。
『ぴよよ〜〜〜! ぴよぴよぴ〜よ〜!』
『うわっ なになになに!?』
外側はフェルトと綿だけど、中に鉛の塊が入ってるから、全力でタックルされると結構痛い。
もうなにがなんだかわからない状況だったけど、こんなところでぼやぼやしてる場合じゃない。引っ付いてくるぬいぐるみを捕まえて、『ちょっとやめて、大人しくして!』と怒鳴りつけた。
『ぴよおっ!?』
大げさなほど驚いて縮こまるぬいぐるみ。なんだか虐めたみたいになってしまった。
『あんたがなんなのかわかんないけど、今は遊んでる暇ないんだよ。このままじゃわたし、望者になっちゃうかもしれないんだから。早く猫さんのところに行かないと……』
『ぴよ?』
と、ぬいぐるみはきょろきょろと周りを見て、わたしの手からするりと抜けだした。
『ぴよ、ぴよ! ぴーい!』
ぬいぐるみはぱたぱた飛んで、あっちに行ったり戻ってきたり、わたしの周りをぐるぐる回ってみたり……あれ、もしかしてジェスチャーみたいなことしてる?
『まさか、ついてこいって言いたいの?』
『ぴよよ〜!』
頷くみたいに身体を上下に動かしている。じゃあ、つまり……こいつは猫さんのところまで案内してくれるつもりってこと?
そんな都合の良いことあるのか、と思ったけど、このまま立ち往生してるわけにもいかない。とりあえず、一回任せてみよう、と思った。
『じゃあ、連れてって』
『ぴよぴよ、ぴよ〜!』
そうしてぬいぐるみに先導されていった先で、あの公園のベンチで昼寝をしている猫さんと再会したのだった。
3
「ふむ……どうやってここまで辿り着いたか疑問ではあったが、彼の手助けによるものだったのだな」
猫さんがぬいぐるみをしげしげと見つめる。気のせいか、瞳孔が変に開いているように見える。
「猫さん、どうかした?」
「ああ、すまない。我輩はこの通り猫であるからな。このくらいの鳥を見るとつい、な……」
「ぴよおっ!?」
ペろりとなめずりをして爪を光らせる猫さんに怯え、ぬいぐるみはわたしの後ろに隠れる。猫耳の男の子がぬいぐるみの鳥を狙う、シュールな光景だ。
「ごほん。そのぬいぐるみになにが起こったのか、我輩にはなんとも言えん。だが、少なくともきみにとって悪いモノではないようだ。きみに懐いて、助けようとしているのだろう?」
今は猫さんに怯えてわたしを盾にしてるけどね。
「とりあえず、呼び名をつけてやってはどうかね?連れ歩くのに名前がないと不便だろう」
「こいつ、連れてって大丈夫なの?」
「捨て置くわけにもいくまい。羽があるのだ、望者に襲われたとて逃げられるだろう」
確かにぬいぐるみって呼び続けるのにも疲れてきたところだ。心臓ごと放り出すわけにもいかないし、これから先、こいつを連れていかなきゃいけないのだろう。名前、名前かあ……。
「うーん……鳥だから鳥ちゃんとか?」
「ぴ!?」
適当に思いついた名前を言ったら、鳥ちゃん(仮)はぎょっとしたみたいな動きをする。見るからに不満そうだ。猫さんが猫さんなんだし、いいと思ったんだけどなあ。
「ぴーっ! ぴよーっ!」
「だったら……ぴよ太郎? 青いからアオイノ? ヤキトリ?」
「ぴよよよよ……」
「良い名前が思いつかないのなら保留にしてはどうかね? 名前は大事だ、雑につけてはいかん」
名付けに悩んでいると、猫さんにそんな風に言われた。いざ自分で考えようとすると全然思いつけないものだ。わたしに『シンデレラ』なんて付けたプリンス先輩を笑えない。
……プリンス先輩。
「そろそろ、もう一つのほうを確認したいのだが」
猫さんが咳払いをする。
「きみが学校で拾ってきたというその靴、本当に現実世界のものなのかね?」
なんだか念を押すような聞き方だった。尋問みたいにされても、わたしにはありのまましか答えられない。
「きみの話を疑いたいわけではない。だが、きみの話を聞き、こうして実物を見る限り、その靴はおそらく魔女の制作物だとしか思えないのだよ――きみを襲った魔女もどきの履いてきた“赤い靴”と同様に」
足が勝手に動いたり、一蹴りで窓ガラスをぶち破るような代物が、まともな靴であるわけないとわたしも思う。だけど……だったらなんで学校の被服室なんかにあったんだろう?
「魔女の作った道具が、現実世界に持ち出されることは稀にある。我輩たち
それが現実的な解釈なんだろうけど、なんだか引っかかるような気がした。うーん、なんだろうな……。
「問題とするべきはそこではないな。我輩が気にしているのは、それをきみが使っていいものかということだ」
猫さんは眉間にしわを寄せながら言う。
「出所不明の魔女工芸を使うのがどれほど危険か、まだきみは知らないだろう。そういった道具は便利な機能とともにおぞましい悪意を搭載しているものだ。寿命を吸うとか、神経を蝕むとか、知らぬうちに“対価”を払わされているかもしれない」
「こ、怖いこと言わないでよ……」
「怖いと思うなら、今すぐにでもその靴を脱ぐのだ。靴がなくては歩けないというなら、また我輩がきみを背負ってあげようとも」
猫さんの話で急に怖くなってきて、履いていた靴を脱ごうとする。しかし。
「あ、あれ? 脱げない」
「どうした、足がはまってしまったのかね?」
はまったというよりも、靴がぴったりと足に張り付いて脱げないのだ。かかとから引っ張っても、爪先を持ってもまったく動かない……え、これまずいんじゃないの?
「どれ、我輩が引っ張ってみよう。えい、にゃあ!」
「いたたたた! 無理無理無理!」
「ぴよ……ぴい?」
いろいろと試してみたけど、結局靴は脱げなかった。思ってた以上の事態の深刻さに、冷や汗がならだら出てくる。
「ね、猫さん、これ……」
「……あまり取りたくはない手段だが、二つほど方法がある」
爪をきらりと光らせる猫さん。
「一つは、その足ごと靴を切り」
「誰がやるかあ!」
最初から最終手段を提示しないでほしい。足を犠牲にするんだったら対価払ってるのと変わらなくない?
「足程度、と思うような事態が起こるかもしれないのだぞ!? 命と足と、天秤にかけるまでもなかろう!」
「せめてもうちょっと考えさせてよ! あと一つの方法のほうはどうなの!?」
そんなに重たい覚悟なんて早々決められない。もう一つの方法について訊いてみるが、猫さんはますます渋い顔をした。
「魔女の力に対抗できるのは、やはり魔女しかいないのだ」
「それって……こないだみたいに魔女に頼むってこと?」
「きみにああ言った手前、こんな提案をしたくはない。靴を脱がせてもらう代わり、もっと酷な対価を払わされるかもわからん。そもそも、魔女がそう何度も素直に手を貸してくれるとは限らないのだ。魔女の機嫌を損ねたら、もはや対価どころの話ではなくなる」
魔女の魔法から逃れるために魔女を頼るなんて、なんだか本末転倒な気もする。だから猫さんもこの案を言いたくなかったのだろう。だからって、足を切り落とすなんて絶対ごめんだけど。そんな二択しかないのなら、いっそ靴のことは放っておくほうがマシなように思える。
「ぴー、ぴよ?」
猫さんと二人で悩んでいると、鳥ちゃん(仮)が首をかしげるような動きをした。
「なんだ、きみは魔女のことを知らないのかね? 魔女は恐ろしいぞ、きみのような愛らしい小鳥など一飲みにされる」
「ぴ!? ぴ、ぴよ〜……」
鳥ちゃん(仮)は何か言いたげにもじもじしている。なんだろう……釣られて周りを見回していると、すぐに答えがわかった。
「――――え」
空がぱっくりと割れて、開いた隙間から――何十メートルもありそうな大きな大きな手が、わたしたちに向かって降りてきていた。
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