19 魔女の魔の手にご用心 ②
4
「ぎゃああああああああ!」
なんて、悲鳴もあげる暇もなかったと思う。逃げようと右往左往するわたしたちを一掴みで捕まえて、“手”は再び空へと戻っていった――。
「な、なになになにこれ!?」
「おおお、落ち着くのだ! このやり口は間違いない、“紡ぎ車の魔女”だ!」
「それがわかったところでなにも安心できなくない!?」
「それはそうなのだがー!」
洞窟のような“手”の中で、なにが起こったのか理解できないままじたばたもがく――紡ぎ車の魔女って、あの信じられないほど大きな魔女のこと? あの魔女は普段、自分の縄張りに閉じこもって出て来ないって話じゃ……考えているうちに手の動きが止まり、握りこんでいたわたしたちを放す。空中に放り出されたわたしたちは当然、そのまま地に向かって自由落下する。
「ぎゃあああああああああ!」
これは言った。間違いなくそんな風に叫びながら落ちた。ただし、落ちた先はトロイメライのパステルカラーの地面ではなく、ふかふかの布団の上だった。
「わぶっ!」
うっかり溺れそうになるほど厚くてふかふかで、海のようにどこまでも広がる大きな布団。こんな場所が二つも三つもあるわけない。
この空間の主――紡ぎ車の魔女。奈良の大仏の何十倍もあろうかという大きさの女性が、気怠げに寝そべっているのが見えた。
「……これはこれは、偉大なる魔女。唐突で乱暴なお招きだが、いったいなんのつもりだね」
格好つけた言い方だったけど、猫さんの姿はすっかり布団の海に埋もれてしまっていた。
さておき、ここに来るのは文字通り昨日の今日だ。もう二度と来るまいと思っていたのに、まさか無理矢理連れて来られるなんて。
「おやまあ。本来であればそなたらから頭を下げに来るが道理であろうに、その手間を省いてやったものを。まさか、この段になっても気づかぬとは」
と、魔女はいかにもだるそうな口調で言う。頭を下げる? どういうこと?
「なにを惚けておる。そなたよ、小娘」
「え……わたし?」
「わらわの靴を履いておいて、知らぬふりを決め込むでない」
はっとして自分の足元を見る。え――じゃあ、つまり。
「この靴はあなたが作ったの……!?」
「察しの悪い娘じゃ。わらわに同じことを何回も言わせたいか?」
「な、なにいっ!?」
「ぴよおっ!?」
疑問が二つ同時に氷解する――でも、それ以上に大きな疑問ができた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! この靴、現実のほうにあったんだよ!? トロイメライの魔女のあなたが、いったいどうして……」
「どこにあったかなどどうでもよい。そなたが我が物顔でわらわの靴を履いていることが問題じゃ」
わたしの問いを無視して魔女が言う。理不尽だけど、勝手に取ってきて履いてきてしまったのは事実だ。そして、その作り手に知られたとなれば……。
「ね、猫さん。この状況って……」
「……案ずるな、少女よ。いざとなれば、我輩がこの手で介錯してくれよう」
もうそんなレベルの覚悟を決めなきゃいけない事態なの? いまいちどこにいるかわからない猫さんの手を借りるのは出来るだけ後回しにして、わたしは魔女の顔を見る。……相手の陣地で、あんなにでかい相手を敵に回すくらいなら、踊瀬と戦うほうがよっぽどマシだ。
「あの……これには事情があって」
「事情があれば人の物を勝手に使ってよいのか? 育ちの知れる物言いよな」
「……申し訳ないって思ってるし、謝ろうって思ってたよ」
「謝れば済むと思っておるか。いやしい娘じゃ」
呆れているような言葉だけど、魔女はどうもにやにやしているらしい(なにしろ顔も大きいので、この距離ではどんな表情を浮かべているかも把握しきれない)。
これは……人の弱みに付け込んでいいようにしてやろうってタイプの人間のやり方だ。押車中にもよくいた。本当に怒っているならまだしも、こちらが怒っているからというポーズで人を振り回すやつ。逆ギレと言われたらそれまでだけど、なんだか無性に腹が立ってくる。
「じゃあ、どうすれば満足なわけ。ぐだぐだ文句つけてないで、早く本題に入ればいいじゃん」
「こ、こらきみ……!」
少し離れたところで、布団の海の狭間で目立つ猫耳がぴょこぴょこ動いてるのが見えた。こんな態度じゃまずいってのはさすがにわかってる。けど、どうせ既に相手の手の内で、なにをしたって絶体絶命なことに変わりはないのだ。
「だけど! なににしろ、まずこの靴を脱がせてからだよ! あんたの靴が脱げなくてこっちも困ってるんだから! 製造者なんでしょ、クーリングオフしてくれないの!?」
破れかぶれでむちゃくちゃなことを言ってしまった。ぶっちゃけ、クーリングオフの意味もあんまりよくわかってない。でも、こういうときにしおらしくおどおどしてたら余計に付け込まれるだけだ。虚勢を張ってでも相手に舐められないようにしなければ。
「なんの取り引きをするにしても、まずこの靴を脱がせて! じゃないと、絶対あんたの言うことなんか聞かないから!」
「ぴ……ぴよ!」
と、鳥ちゃん(仮)がわたしのそばまで飛んできて、わたしと一緒に魔女のほうを睨んだ。どうやらわたしと運命を共にしてくれるつもりらしい。猫さんも布団をかき分けかき分け、わたしのほうへ近づいてくる。
「……ぷはあっ! 少女よ、きみはなにを言っているのだ! 我輩の忠告をもう忘れたのかね!?」
「向こうから喧嘩売られたときのことは聞いてないよ。勝ち目がなくて、逃げ場がなかったら、黙ってぼこぼこにされろって言ってたっけ?」
「そんなことは言わんが……!」
わたしと猫さんが言い争っていると。
「ほ――ほほほ」
と――魔女が笑った。
「魔女……?」
「わらわのものを使っておきながら、謝るどころか開き直るとは。大した度胸よなあ? 愛らしい、愛らしい」
ぞぞぞぞぞ、とまるで山崩れのようなきぬ擦れの音を立てながら、魔女が半身を起こす。
「あんまり愛らしすぎて――一口に呑んでしまいたくなる」
ずぅううう――と、大きく長い腕がこちらに伸びてきた。
5
「っ……!」
「ま、まずい! 下がれっ!」
猫さんが爪を構え、わたしの前に立つ。一方わたしは、ふと思いついたことについて考えていた。
この靴――紡ぎ車の魔女のものだって散々言っているけれど、だったらなんでずっとわたしに履かせたままなんだろう? 最初に捕まえに来たときとか、そうするチャンスはいくらでもあるだろうに……弱みを握ることが目的でも、わたしから靴を取り返さないメリットなんかないはずなんだ。
わたしが靴を脱ぎたくても脱げなくなっているのと同じように、魔女も靴を脱がせられない理由がある、ってこと? えっと、例えば――
魔女がこの靴を触ることができない、とか。
「っの……!」
適当に考えた当てずっぽうだし、分の悪い賭けだった。だけど、思いついたからにはやってみないと気が済まなかった。正直、猫さんの後ろで守られてるばっかりなのはもういいかげん嫌になってたところだったし――!
今度はちゃんと足――靴が動いてくれた。目前に迫った魔女の手めがけて足が高く上がり、魔女の手を弾くように蹴り飛ばした。
「む――」
「く……うううっ」
カウンターを食らわせた形になるけど、どう見ても受けたダメージはこちらのほうが大きそうだった。こっちが蹴った時の衝撃で吹っ飛ばされたり足を痺れさせたりしてるのに対し、魔女のほうはちょっと驚いてるだけに見える。サイズが違いすぎる――こっちの全力キックでかすり傷ひとつつけられないなんて。改めて、自分がとんでもない化け物と向き合っていることを思い知らされる。
――だけど、これではっきりした。
「な、なにをしているのだ! きみは――」
「今、あんたの手を蹴って――足で触れて、確信したよ」
猫さんかなにか言うのを遮って、魔女に向けて言う。
「この靴があんたの手を拒絶するみたいに、びりって反応した。どういう
「……『サンドリヨン』じゃ」
少しは目にもの見せられたかと思ったけど、魔女はまた、気怠げな表情に戻っていた。ん? サンドリヨンって……。
「靴の名前よ。あの靴、その靴と適当な呼び方をされるのは不愉快だからのう。持ち主、履き手となったのなら、名前くらい覚えておけ」
確か、烏丸先輩もそんな名前だと言っていた。烏丸先輩は『尊敬する先輩の作品』だって言ってたけど……“黒魔女”先輩の発言はとりあえず置いておいて、今は目の前の魔女だ。こいつ、今なんて言った?
「概ね、そなたの察した通りよ。そなたが『サンドリヨン』を履いている限り、わらわはそれに指一本触れることが叶わぬ。そなたの足の皮ごと剥くことも、そなたの足ごと切り落とすこともな」
だから、グロいほうのグリム童話みたいな発想するのはやめてほしい。
「履いた者の身を守り、ささやかな希望を叶える……サンドリヨンにはそういう類の魔法をかけた。とはいっても靴は靴、大したことは出来んはずだが、まさか借り物の靴で人を蹴るような小娘が持ち主になってしまうとは」
はあ、と心底呆れたように息を吐き出す魔女、悪かったな、足癖が悪くて。
「……あー、魔女よ。厚かましくも確認したいのだが。つまりきみは、この少女から靴を奪い返すために強行手段を取るつもりはなく、また、彼女がこの靴を履き続けることを認めてくれる、ということでいいのかね?」
咳払いして言う猫さんに「不承不承だがな」と魔女。
「履いた者の身を守る――人間であるそなたがトロイメライにいる以上、その効果は発動し続ける。そなたを望者にしないため、また有象無象の望者を寄せつけぬため、そなたの足に張り付き続けるというわけよ。気づかなんだか? サンドリヨンを履いてから、望者化の徴候は見られなかろう」
言われてみれば、今日はもうかなりの時間トロイメライにいるのに、あの身体がぼやっと霞んで溶けていくみたいな感覚がない。いつだったらあれのせいで、いやでも『タイムリミット』を意識させられていたのに。軽率だった自分に気づくと同時に、あの気持ち悪さと怖さを感じない嬉しさに胸が軽くなった。
……ということは、この靴を履いている限り今までより自由にトロイメライを探索できることになるんじゃ?
「で、ではなんのために我々をここに招いたのだ? 紡ぎ車の魔女ともあろうきみが、彼女に触れるまでそれに気づけなかったわけはあるまい。いいかげん我々を弄ぶのはやめて、本当の目的を教えてくれないか?」
「最初からわかっておろうに。わらわは靴を返してほしいだけよ。……一足だけでなく、二足ともな」
魔女はわたしの足元――サンドリヨンを見ているみたいだった。二足……?
「小娘。そなたは失せ人だか失せ物だかを探しているのであろう。そのためにトロイメライを出入りし、結果、サンドリヨンを履くことになった」
「そうだけど……」
「であれば、その用件が終わらぬ限りはサンドリヨンを手放したくなかろう? 今まで素潜りしかできなかったのが、ようやっと酸素ボンベを手に入れられたのだから。そなたがサンドリヨンを頼れば頼るほど、サンドリヨンもそなたの身から離れるまいとしがみつく。であれば……そなたの願いをさっさと叶えてトロイメライから追い出すほかに、わらわがそれを取り戻す術はないというわけよな」
すごく怠そうに、嫌そうな口調で言ってるけど……つまり、わたしが先輩たちを探すのを手伝ってくれる、と言っているのだろうか。
「だが。わらわとて魔女、そこな猫のように好きこのんでただ働きなどせぬ。サンドリヨンを無断で使われている分の使用料と手間賃くらいはそなたたちに払ってもらわんとな」
そして――魔女はとんでもない条件を提示してきた。
「まず一つは、そうさな……そなたの身体の一部を貰い受けようかのう」
6
「ええっ!?」
「なにいっ!?」
「ぴよおっ!?」
か、身体の一部……!?
「これでも大負けに負けてやったほうよ。本当ならば命で払ってもらうところじゃ。……条件はもう一つあるが、まさかもう怖気づいたかの?」
まだあるっていうの……!? 魔女はうろたえるわたしたちを見てまたにやにやといやらしい笑みを浮かべている。くう、悔しい。あの顔に蹴りを浴びせてやりたい。
「もう一つ……実は、そなた以外にもわらわの靴を盗んだ不届き者がおる。盗むだけでは飽き足らず、靴の魔法をいいように悪用して暴れ回っているのだ。わらわが手ずから捕らえてやりたいところだが、どうにも逃げ足が速くて捕まらぬ。ほとほと困っておるわ」
「わたしは盗んだつもりはないし、ちゃんと返したいんだけど……」
その靴を取り返して持って来ればいいのか。ん、でも、あれ……靴ってまさか……。“あいつ”が履いていたぴかぴかの赤い靴を思い出して、なんとなく嫌な予感がした。
「そなたも散々見たであろう? 赤い靴――アンデルセンを履いた忌々しい小娘を。名前は確か、カレンだったかアレンだったか……」
しかしあいにく、『そのまさか』というやつらしかった。
「あの靴もきみが作ったものなのかね!?」
「踊瀬が履いてる靴を取り返してこいっていうの!?」
猫さんとわたしが同時に発した質問に魔女は「左様」と一言で返す。
「そなたがトロイメライを歩くなら、あの娘と再びまみえることは避けられぬ。なにしろ奴はトロイメライ中を巡って望者という望者、魔女という魔女を襲い、力を奪っているのだからな。悪い話ではなかろう? 無手無策であの娘から逃げ回るのと、“わらわの親切”で加護を受けながら立ち向かうのとどちらがましか。考えが及ばぬほど愚かではあるまい?」
じ、冗談じゃない……! 確かにさっきは靴のおかげでなんとか逃げられたけど、あんな奴と何回も戦ってなんかいられない! そりゃあこの巨大怪獣みたいな奴と戦うよりは良いとは思ったけど、だからって積極的に喧嘩売りに行く度胸はさすがにない。魔法の靴一足の対価が『身体の一部』と『命がけのバトル』なんて、いくらなんでも割りが合わなすぎる!
……でも、じゃあ、どうすればいい? こっちが全力で蹴っても痛くもかゆくもないような化け物相手に交渉なんてできる? いくら靴が守ってくれてるっていったって、それにも限界があるかもしれない。取れる選択肢なんて、あってないようなものだ。
「さて、どうする? もちろん、嫌というなら断ってくれても構わぬぞ。そのときは、その足を切り落としてでも靴を返してもらうがのう」
にやにやと笑い、魔女は再び身体を布団に横たえた。
トロイメライ 古月むじな @riku_ten
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