4 雪の女王とはだかの王 ①

 1



「苦情が来ちゃってるんだよねえ、ウチに」

「む、むう……」

 わたしが美学部に入部してから一週間。その日最初に部室を訪れた客はどうやら依頼者ではないようだった。

「あの……この人たちは……?」

 窓掃除の手を止めてウィザード先輩に訊ねる。中肉中背の、良く言えば当たり障りのない、悪く言えば地味で印象に残らない顔の男子生徒と、制服の上にジャージを羽織ったボーイッシュな短髪の女子生徒。なんとなく見覚えはあるけれど思い出せない……。

「ああ、シンちゃんはまだ会ったことなかったっけ。生徒会長の有切桐真ありぎりとうまくんと、副会長で水泳部のエースの浪越瑞貴なみこしみずきちゃんだよ。生徒会はうちのお得意さんだから覚えておいてね」

「生徒会……」

 そう言われてみると、浪越先輩のほうは何回か見たことはあるような……。でも、生徒会長ってこんな顔だったっけ? あんまり印象に残らない、いかにも『その他大勢』って顔だから忘れてしまっていたのだろうか。有切先輩に対して失礼なことを考えているとデッサンに励んでいたスワン先輩がぼそりと呟いた。

「キリギリス」

「え?」

「自分でやるべき仕事をせず、こちらに回してくる。ずるくて嫌らしい奴だ」

「こらっスワン! 生徒会長に対してなんてことを言うんだ!?」

 失言を通り越した放言っぷりにプリンス先輩が慌ててスワン先輩の口をふさぐ。それに対しキリギリス会長――もとい有切先輩はあははと乾いた笑いを見せた。

「こんなよくわからない部活動のために部室やら予算やらを頑張って回してあげてるのは誰だと思ってるのかなあ? 文句を言うのは自分の立場を自覚してからにゴブフゥ!?」

 有切先輩の嫌味の途中で浪越先輩が脇腹に肘鉄を入れた。相当痛かったらしく、有切先輩はしばらく悶絶していた。

「ごめんね、うちの怠け者が迷惑ばっかりかけちゃって。できるだけ目は光らせとくけど、もしそっちに酷いことしてたら遠慮なく言っていいから」

「め、迷惑をかけてるのはむしろあっち……」

「予算審議用の書類仕事、一部ここに丸投げしてたって聞いたよ」

「だってあんな量一人じゃ無理だって! こういうときこそ暇人君たちに頼まなエグフゥ!?」

「ごめん、こいつにはよく言い聞かせておくから……」

 有切先輩に拳骨を入れてそのまま頭を下げさせる浪越先輩。有切先輩があからさまに駄目っぽい人な分、なんというか……イケメンに見える。

「う、うむ。生徒会長殿にも色々な事情があるんだろうからな。気にせず、ぜひごひいきにしてくれ!」

「で、本日はどのようなご用件でいらしたんです?」

 猫被りイケメンモードになったビースト先輩が訊ねると、有切先輩が頭やら脇腹やらを痛がりながら答えた。

「いたたたた……ああ、そうそう。だから、生徒会に苦情が届いてるんだよね。キミらんとこの黄堂クンのことで」

「キングが? 一体なんだ?」

 あ、もうなんか大体予想できるし嫌な予感しかしない。まだ部室に来ていないくだんの彼に対する苦情なんて考えるまでもない。

「廊下や校庭を裸で出歩いたり、変なコスプレして校内外をうろついたり……言っちゃ悪いけど、おたくは部員に一体どういう教育してるのかな?」

「む、むう……」

 部活で教育はしないんじゃ、というのはさておき……キング先輩。ちょっと変わった人が多い美学部の中でもぶっちぎりの変人。自分の見た目――自分の肉体にありえないほど自信があるらしく、キリギリス会長の言う通り、どんなTPOだろうと素っ裸で出歩ける変態だ。

 彼の『伝説』は数え切れないほどあるけれど、一番有名な逸話といえば先輩がまだ一年生の頃の話になる。部活でプールから戻り、さあ着替えようとロッカールームに来た先輩は、しかしどういうわけか自分の着替えがなくなっていることに気づいた――色んな意味で目立つキング先輩を妬んだ嫌がらせだったらしい。

 普通に考えたら大ピンチ、水着姿のまま人目を避けて隠された着替えを探したり、恥を忍んで周りの生徒や先生に協力を頼むしかないんだろうけれど――知っての通りキング先輩はそんな平凡な人じゃなかった。先輩は慌てず騒がず、水着を脱いでそのまま外に出たのだ――もちろん何も身に着けていない全裸で。そしてそのまま颯爽と校内を歩き回り、生ける伝説と化してしまったのだった。その日以来、露出の楽しさに目覚めてしまったキング先輩は着替えがあろうとなかろうと校内でストリーキング行為を頻発するようになってしまったのだという。

 ていうか、なんで今の今まで退学せずに済んでるんだろう。

「う、ううん……もちろん、同じ部の仲間として彼が他人に迷惑をかけないよう、監視、指導に努めているのだが……」

「だったらどうして生徒会に苦情が届くかなあ? こないだなんか凄かったよ、風紀委員会から猛抗議があってさあ」

「うぐぐ……」

 清木先輩の一件のことだろう。あのときは大変だったみたいだったしな……。

「キングには……決して悪気があったわけでは……」

「悪気の有る無しで許されるのは『子供』だけだよ? 黄堂クンだってもう子供じゃあないんだからさあ……キミもちゃんとわかってるの? そんなんで王子様とか……」

「――本当にすみません!」

 キリギリス会長に責められしどろもどろになっていたプリンス先輩の横で、突然ウィザード先輩ががばっと頭を下げた。

「確かに最近、彼の行動に対する認識が甘くなっていました。そちらに大きくご迷惑をかけてしまったこと、本当に申し訳なく思います。以降、二度とこのようなことが起こらないよう指導を徹底しますので、どうか今回は見逃してください……!」

「「………………」」

 丁寧に謝罪をし、深々と頭を下げ続けるウィザード先輩に呆気にとられたように沈黙するプリンス先輩とキリギリス会長。

「……そうだね。そこまで言われちゃあ『一度目』くらいは見逃したげないと。でしょ? 有切」

「う、あ、ああ、そうだね。もー、しょうがないねえ! 今回だけだよ!?」

 苦笑いする浪越先輩に肘でつつかれ、キリギリス会長もはっとしたように頷く。「ありがとうございます……!」とウィザード先輩が顔を上げた。

「う、うむ。ウィザードの言う通り、もう二度こんな不徳がないよう精一杯努力するぞ! 生徒会長様!」

 さ、様?

「はは、できれば本人の口からそれを聞きたかったけどね。黄堂にはちゃんと言っといてよ?」

 困った笑いのまま浪越先輩はそう言うと、キリギリス会長の腕をがっちりつかんで立ち上がった。

「さ、行くよ」

「え、ど、どこにだい……?」

「生徒会室に決まってるでしょ。あんたがサボった分を笛吹うすいくんが代わりに引き受けてくれてんだから、早く帰らないと笛吹くんが頑張りすぎて熱暴走しちゃうよ」

「ボクは笛吹クンを信じるよ! 彼ならきっと限界を超えられるって!」

「後輩をいじめんのもいいかげんにしな!」

「ひいいいいーっ!」

 浪越先輩に引きずられていくキリギリス会長。あっちもあっちで大変そうだ。

「……すまない、ウィザード。きみに頭を下げさせてしまって……」

 生徒会の人たちがいなくなったあと、プリンス先輩が申し訳なさそうにウィザード先輩に謝った。

「いいよ。事前準備と後始末がオレの担当なんだから。困ったときに頼ってもらえないと暇になっちゃう」

 と、控えめに笑ってプリンス先輩を気遣うウィザード先輩は相変わらずに如才ない。その言葉にますます申し訳なさそうに唇を噛んだあと、プリンス先輩は「よし」と拳を握った。

「頼れる仲間がいるのは心強いが、いつまでも頼っているのは美しくないからな。もっと強く、大きく、美しくならねば! ウィザード、いつものを頼む!」

「はいはい、プーちゃんスペシャルね」

 微笑まし気に言ってウィザード先輩がプリンス先輩のカップに注いだのは紅茶ではなく真っ白な飲み物。……牛乳じゃん!

「それにしても、肝心のあの馬鹿は一体どこでなにをしてるんですかね? 人に頭を下げさせておいて……」

 優等生の仮面を脱いで、不機嫌そうな顔で髪をいじるビースト先輩がそんなことを言った直後、がらりと勢いよく部室の扉が開かれた。

「待たせたな! 真打、ここに参上だ!」

 相も変わらず声も態度も大きく偉そうで、ずかずかと部室に入ってきたキング先輩。ついさっきまで自分のことで苦情で持ち込まれていたとも知らず呑気なものだ。

 そして当然、全裸だった。



 2



「ら~~~~く~~~~ど~~~~っ!」

 一部では仏よりも寛容と噂されるウィザード先輩もこれには大激怒。キング先輩は服を着せられたあと、床に正座させられウィザード先輩からのお説教を受ける羽目になった。

 まあ、当然だ。今回はたまたま運が良かったが、少しタイミングがずれていたら生徒会長たちと全裸のキング先輩が鉢合わせしていたかもしれなかったのだから。せっかく頭を下げたウィザード先輩とプリンス先輩の面目も即座に丸潰れ、どころか美学部が活動停止や廃部処分を受けることになっていたかもしれない。

「もう三年生なんだからいいかげんやめろって何回も言っただろ! それに、シンちゃんが女の子だって忘れてないよな!?」

「俺は別にやましいことをしているわけじゃあない。俺の肉体美を全世界に知らしめることのなにがいけない?」

「日本の法律じゃ全面的にアウトだよ! 人の気分を害しておいて美もなにもあるか!」

「む……」

 ウィザード先輩のド正論に閉口するキング先輩。バ……ちょっと変な人だけれど、そのくらいの良識はちゃんとあるらしい。

「ほら、プーちゃんもなんとか言ってあげて! こいつはちゃんと言わないとわからない奴なんだから!」

「う、うむ、そうだな……確かにきみのその美しさはこの私も見惚れ憧憬を覚えるほどではあるが、シンデレラやいたいけな婦女子には少々刺激が強いことも事実だ。せめて下着を着用すべきだとは思うぞ」

「駄目ですよ、そんな曖昧な言い方しても。きわどいの穿いてきて『下着は穿いたぞ』なんてしかねませんよこの馬鹿は」

「いっそ全身タイツでも着せておけ」

 やんわりとしたプリンス先輩の忠言に対しビースト、スワン両先輩の意見は実に辛辣だった。酷い邪推ではあるけれど、キング先輩の目立ちたがりの性格を考えるとあんまり否定できない……。

「全身タイツか……なるほど」

「考慮に入れるんですか!?」

 全身タイツ姿で廊下を全力疾走するキング先輩……駄目だ、これもこれでなんか嫌だ。

「そもそも、なんでわざわざ裸になるんですか? 服を着てれば普通にかっこいいのに……」

 正座したまま全身タイツの可能性について考えているキング先輩にかねてからの疑問をぶつけてみる。

「決まっているだろ? 俺の肉体が完璧に美しいからだ」

 答えになってないよ。

「俺は間違いなく美しい。だが、美しさは他者の評価をもって完成するものだ。俺の美しさを世界に認めさせるためには、まず世界に俺の肉体を見せんことには始まらんだろう」

「意味わかんないです」

「ハハハ、かがりはまだまだ子供だなあ!」

 意味不明なナルシスト理論をぶちかまして笑うキング先輩のほうがよっぽど子供に見えるのはわたしだけ? ナルシスト仲間のプーちゃん先輩は理解できるのか腕組みしながらうんうん頷いてるけど。

「とにかく、生徒会に目をつけられちゃったんだから、ほとぼりが冷めるまで裸になるのは禁止だからね。外はもちろん、学校でも、部室でも」

「なんだと!? 俺に死ねというのか!?」

「皮膚呼吸でもしてるんですかあなた」

 呆れたビースト先輩と困った顔のウィザード先輩の溜め息が重なる。本当に、どうしてこんなに裸にこだわるんだか。

「生徒会のことだけじゃあないよ、楽土。そろそろ『あれ』の時期なんじゃない? 『あの子』に裸なんて見られたら……」

「ん……もうそんな時期か」

「誰ですか? あの子って」

 ウィザード先輩の言葉に急に真面目な顔になったキング先輩に訊ねる。ふと周りを見ると、プリンス先輩もビースト先輩も、仮面をつけたスワン先輩すらはっきりそうとわかるくらい困ったような微妙な表情をしている。一体なんだろう、『あれ』って……首をかしげていると、またもがらりと勢いよく扉が開かれた。

「お待たせいたしました! 本日の主役が参りましてよ!」

 と、ものすごく既視感を覚える言い回しで今日の依頼者が部室に入ってきた。

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