3 ケダモノ泣かせのグレーテル ③

 ◆



「兄がご迷惑をおかけして本当にすみません!」

 ひと気のない校舎裏に呼び出された森屋妹こと森屋依月はひたすら平謝りしていた。呼び出した当人、ビーストこと宍上紅蓮は好青年の仮面を脱ぎ捨て冷たい顔で壁にもたれている。

「まあ、半分はこちらの不手際ですし、彼の罪をあなたが謝る必要はありませんよ。むしろまだ成果を出せていないこちらが謝罪するべきだ」

「でも……」

「いいから。今回の用件はそっちじゃありませんし」

 罪悪感になお謝罪を重ねようとする森屋妹をぴしゃりと黙らせる宍上。

「あなたのお兄さん、日向君の女装癖。あれは説得でどうにかなるものじゃありませんね。変えさせるならもっと根本から攻めないと駄目でしょう」

「根本……ですか?」

「日向君が女装を始めたきっかけ、もう一度話してくれませんか?」

 宍上の態度に動揺しつつ森屋妹は再三兄について話す。いたずら好きで、妹の服を着ては周りをからかっていた兄。しかし宍上は「違いますね」と首を振った。

「それは結果であって原因ではありません。知りたいのは『そもそも、なんでそんなことをするようになったか?』です」

「え……えっと……」

「なにか思い当たることはありませんか? 些細なことでも、くだらなすぎて思い出したくないようなことでも、なんでもいい」

 強い語気に押され、森屋妹は必死に記憶の糸を手繰る。しかし……思い浮かぶ節はない。

「……そうですか。じゃあ、発想を逆にしてみましょう」

「逆……?」

「僕の推測が正しければ、彼はあなたのために女装してるんです」

「え、ええっ!?」

 あまりに突拍子のない話に目を丸くする森屋妹。

「たとえばですけど、今日向君が着てる女子制服って本来あなたのものですよね? そしてあなたは代わりに日向君の服を着てる」

「そうですけど……」

「じゃあ、あなたたちが幼い頃はどうしてました?」

 はっとした顔で口をおさえる森屋妹にやはりな、と宍上は確信する。

「『代わりに兄の服を着ていた』んでしょう?」

「…………!」

「小さなうちは服もそんなにないでしょうし、自分の服を取られたら他に方法はなかったでしょうね。でも、あなたもいいかげん高校生だ。制服なんて大事なもの、隠すなりなんなり取られないようにする方法はいくらでもあるはず。それに、ご両親はいますよね? 制服を兄に取られた、なんて問題を知っていて放置するわけないと思うんですが」

 森屋兄のやり方は悪質だが、周囲に相談すればいくらでもどうにでもできたはずだろう。それを今の今まで泣き寝入りしてあまつさえ兄のフォローをするなんて……最初に話を聞いた時から違和感を持っていたのだ。

「だから、順序が逆だったんだ。兄が女装したから妹が男装させられたんじゃあない。妹を男装させるために兄が女装していたんだ」

「………………」

 森屋妹は驚愕に目を見開き――しかし、どこか納得したように息を吐いた。

「……ああ……」

「改めてお訊ねします。お兄さんがあなたに男装させようとする理由に心当たりは?」

 森屋妹は口を閉ざし、しばらく迷うように視線をさまよわせ――やがて言った。

「……私、昔はお兄ちゃんの真似ばっかりしてたんです」

「というと?」

「いつもお兄ちゃんの後ろにいて、一緒に虫取りしたり、ヒーローごっこしたり、ロボや車のおもちゃで遊んだり……そのときは、真似のつもりはなかったんですけど」

「………………」

 宍上は黙って続きを促す。

「だって、本当に好きで、楽しかったから……男の子の遊び。でも、世間から見たら変なんですよね。女の子なのに男の子みたいに遊ぶのはおかしい、変だっていろんな人から言われました。不思議で、悔しかったです。なんでなんだろう、ぼくとお兄ちゃんは同じ顔なのに、どうしてぼくは駄目なんだろうって」

「そうしたら、お兄さんがあなたの服を着るようになった?」

「最初のうちはわけもわからなくて、とりあえずお兄ちゃんの服を着るしかなかったんですけど……今思えば、そのときだけは誰にもとがめられずに男の子の遊びができました」

 長年の疑問が氷解したのだろう、森屋妹は呆然と過去を思い返す。

「お兄ちゃん……」

「それで、どうします?」

 しかし宍上はそんな感傷を許さない。

「えっ……?」

「お兄さんに女装をやめさせたいなら、まずあなたが男装をやめねばなりません。あなたが、ちゃんとご自身の言葉でお兄さんに『もうそんなことはしてほしくないししなくていい』と伝えない限りは……しかし、どうなんですか?」

「どう、って」

「あなたが今もこれからも、男の格好がしたいと思っているのかどうかです」

「それは……」

 兄にあんな真似はしてほしくないし、こんな風に周りの人を騙し続けるのは良くない。けれど……森屋妹はもう随分穿き慣れたスラックスをつかむ。明らかに迷っている様子の森屋妹に、宍上ははあ、と大きなため息をついた。

「答えはわかっているでしょうに、一体なにを悩んでるんです? それともあなた、いつまでもそうやって男のフリをしていられるとでも?」

「そ、そんなこと……」

「あなた、『オンナ』じゃないですか」

 不意にぐい、と腕を引かれ――ぐるりと立ち位置を逆にさせられる。背中が壁に当たった感触に顔をしかめ、思わず宍上の顔を見上げる。腕を掴んだまま、閉じ込めるように森屋妹の前に立ち塞がる宍上。そこで初めて彼女は逃げ場を奪われたことに気づいた。

「え――!?」

「それとも、わかってないんですか? 自分の性別のこと。いくらガワだけ誤魔化したって、あなたの中身は間違いなくオンナだ。……まあ、わかっていたら普通、のこのここんなところに呼び出されはしませんか」

「ひ、」

 宍上の瞳が肉食獣のようにぎらぎらと輝く。校舎裏は相変わらず静か、誰かがやってくる気配もない。なにか恐ろしいことをされる予感に森屋妹の喉が詰まり、スラックスの中の足ががくがく震えた。

「なんならいっそ、ここで教えてあげましょうか――」


「――なにやってんだてめえッ!」


 どぱん、と奇妙な音。目が潤んでいた森屋妹にはそれがなんなのかしばらくわからなかった。腕が離され、宍上が頬をおさえてうずくまっているのに気づき、ようやく『二階の窓から飛び降りてきた』人物の正体を知る。

「お、お兄ちゃん……!?」

「人の妹になにしやがる、このケダモノ野郎!」

 森屋兄は今しがたドロップキックを食らわせたばかりの宍上に対し、スカートがめくれるのも気にせずさらに蹴りを放つ。事態を飲み込めない森屋妹が目を白黒させていると、「ストップストップ!」と校舎の陰から帽子を被った生徒が飛び出てきた。

「ごめん森屋くん! 怒る気持ちはわかるから一瞬だけ落ち着いてくれるかな!?」

「なに……!?」

「……は、はは、やっと正体を現しましたね」

 小角に肩を掴まれた森屋兄に対し、宍上は頬をおさえながらとびっきりに悪い笑みを浮かべて言う。

「このシスコン野郎」



 7



「だから、見たでしょう? あなたの兄はそういう奴なんですよ」

 部室に戻り、思いっきり蹴られた頬にガーゼを貼ったビースト先輩がいつも通りの仏頂面で言った。

「妹のために女装もすれば、妹を助けるために格好つけもキャラづけも忘れて飛び出していくようなスーパーシスコン野郎なんだ、森屋日向君はね」

「別に、嘘をついたわけじゃないけどね。楽しいからやってるし、ボクって可愛いし? ……でも、だからなんだっていうのさ?」

 森屋兄は妹さんを大事そうに抱き寄せたままビースト先輩を睨みつける。

「要するにこれ、ボクへの昨日の意趣返しでしょ? こんな最っ低のドッキリのためにわざわざイツキを怖がらせたわけ?」

「こちらが被った迷惑に比べたらこんなの軽すぎるくらいだと思いますがね」

 まったく悪びれない様子のビースト先輩。いや、絶対やり過ぎだって……。いくら原因の一端とはいえ、森屋さんまで巻き込んだのはちょっと。

「……最悪」

「あれ、知らなかったんですか? 僕の性格は最悪なんですよ」

 と、嫌味のようにイケメンスマイルを浮かべるビースト先輩。「まあまあ」とウィザード先輩が見かねたように割って入る。

「今回の件はオレたちの監督不行届きです。本当に申し訳なく思うし、あとで出来うる限りの謝罪もします。……ビーくんもほら、謝って?」

「…………」

 無視すんな。

「っていうか、誰も話聞いて止めなかったわけ!? フリでもこんな真似するって聞いたら普通止めるんじゃないの!? フリどころか、本気になっちゃったりしたらどうするつもりだったのさ!?」

「ビーストはそんなことはしないぞ」

 森屋兄の猛抗議にプリンス先輩はきょとんとした言葉を返す。

「ビーストはケダモノであり紳士なのだ。女性と遊ぶことはあっても、女性を弄ぶ真似はしないぞ!」

「~~~~~~!」

「もういいよ、お兄ちゃん」

 顔を真っ赤にする森屋兄をなだめる森屋さん。

「ぼくがちゃんとしてなかったのも悪いから……それにお兄ちゃんだって先輩たちにひどいことしたんでしょ?」

「それとこれとは……」

「別じゃありません」

 ぴしゃりと跳ね除ける森屋さん。あんなことされたのに……なんて良い人なんだろう。

「とにかく、超シスコンな日向君とややブラコンな依月さん。あなたたちの異性装はあなたたち自身の問題ですから、僕たちがどうにかできる話じゃありません。お二人でしっかり話し合って今後のことを決めてください」

「申し訳ないけど、今回の依頼は失敗ってことになるね。本当にごめん」

 謝らない二人の代わりに平身低頭で頭を下げ続けるウィザード先輩。彼ひとりにやらせるのがなんだか可哀想で、わたしも一緒に頭を下げる。

「今回はきみたちの美しい兄妹愛に負けた、ということになるな!」

 なんかいい感じにまとめたみたいに言ってんじゃないよ。

「ふん……」

「まあまあ、そう怒るな!」

 なおも(いや、当然)怒りが収まらないと言った様子の森屋兄にキング先輩が笑いかける。

「そんなに気に入らないならこうしてやればいい!」

「ぐっ!?」

 ぽかっと脳天にげんこつを落とされうめくビースト先輩。

「なにするんです!」

「殴られるくらいの覚悟はある、とお前が言ったんだろう?」

 にやにや笑いながら森屋兄妹にも促すキング先輩。しかし森屋兄は首を振った。

「ボクはいいよ。イツキ、お前がやっちゃいな」

「え、ぼく……?」

「ひどい目に遭わされたのはお前なんだからね。気の済むまでぼっこぼこにしても大丈夫さ」

 森屋さんは困ったような顔をしてビースト先輩の顔色を窺う。

「好きにしたらいいじゃないですか」

「え…………」

「ええ、さすがにやりすぎたのは事実です。ちょっと調子に乗りました。どうぞ、あなたの気の済むようにしてください?」

 逆ギレっぽく言いながらビースト先輩は頭を差し出す。森屋さんはしばらく迷ったようにうなると、やがて右手を出した。

「……えいっ!」

「げふぅっ!?」

「ビースト先輩が吹っ飛んだー!?」

「あはは、ざまあみろ! イツキはこう見えて怪力なんだ!」

「わわ、ごめんなさい……!」

 ソファ裏に落っこちて目を回すビースト先輩を部員総出で介抱する。森屋兄はそれを見てけらけら笑いながら部室を出て行った。対して森屋さんはひたすら平謝りする。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい!」

「お、覚えてろ、森屋日向……!」

「び、ビースト! しっかりするんだ、ビーストー!」

 悔しげにうめいて気絶するビースト先輩。森屋兄とビースト先輩、似た者同士の二人に変な因縁ができてしまったようだった。

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