3 ケダモノ泣かせのグレーテル ②

 4



「僕に心当たりがあります」

 森屋さんに一旦帰ってもらった後、ビースト先輩がそう切り出した。

「森屋……イナタくんのことか?」

「ええ」

 森屋兄のことを思いっきり言い間違えたことをスルーし、ビースト先輩はさっさと部室を出る――落ち着きなく髪をいじり、どことなく振る舞いが荒々しく感じた。

「怒ってるのか、ビースト?」

 ビースト先輩は答えず、その足で向かった先は――プレート部分に『演劇部』と張り紙が張られた教室だった。

「演劇部……?」

 まさか、依頼が面倒になって演劇部の方に顔を出そう、というわけじゃあないだろうし……じゃあ、ここに森屋兄がいるってこと?

「森屋さん!」

 と、ビースト先輩はノックもなしに荒々しく部室の扉を開けた。まあ部員なんだからノックの必要はないとしても、いきなり扉を開けて入ってきたわたしたちに、発声練習や演技指導をしていた部員たちは当然驚く。

「宍上君!? 今日は休むんじゃ……?」

「すみません、その話はまたあとで」

 と、話しかけてきた女子生徒にイケメンスマイルで応じると、ビースト先輩はすぐさま鋭い眼光で部員たちをねめつける――と、そのうちのひとりが「なーにー?」と声を出した。

「そんな怖い顔しちゃってどうしたんですかあ、センパイ?」

 出てきたのは森屋さんと瓜二つの顔をした女子生徒。間違いない、彼女もとい彼こそ森屋兄だ。しかし、事実を知っていても全然男に見えない……。

「どうしたもこうしたもありませんよ」

 ビースト先輩はつかつかと森屋兄に近づく。平静を装ってはいるけれど、わたしにもはっきりわかるくらい怒っていた。

「あなた、僕たちを騙してましたね?」

「えーっ? なんのことですかあ?」

 しかし森屋兄は可愛らしい仕草でとぼけてみせる。

「うーん、全然覚えないけど……あ、ひょっとしてあれですか? ボクが男だって黙ってたこと?」

「!」

 ビースト先輩がちっと舌打ちする音と部員たちがざわつく声が重なる。どこからどう見たって女子にしか見えないんだし、部員たちにも寝耳に水だったのだろう。

「ごめんなさーい、騙すつもりはなかったんですけどぉ……でも、『女だ』なんて言ったこと、一度もないですよぉ? 部長さんにはちゃんと女装してること言いましたし……ていうか、ボクが男で困ることってあるんですかぁ?」

「あなたっ……!」

 拳を握るビースト先輩に森屋兄はわざとらしい悲鳴をあげた。

「わあ、怖い! そんなに怒らないでくださいよぉ。ボクが男なの、そんなにショックでした? ……あ、もしかしてボクのこと好きだったんですか? だから今まであんなに優しくしてくれたんですかぁ?」

「っ――――!」

「はい、そこまで」

 顔を真っ赤にしたビースト先輩がなにか言いかけたとき、二人の間に男子生徒が割って入った。癖っ毛の、優しそうな顔立ちをした人だ。彼を見たビースト先輩は口をへの字に曲げる。

「部長……」

「どんな事情か知らないが、喧嘩するなら舞台の上か外でやってもらえるかな。あんまりうるさくされると他の部員に迷惑だよ」

 穏やかに笑いながらたしなめる演劇部の部長さんにビースト先輩は激しく嚙みつく。

「あなた知ってましたね!? 森屋さんのこと――!」

「ああ、なにか問題あったかな?」

 しかし部長さんは大して堪えた様子もなく、へらりと笑って受け流す。

「何度も言うが、ウチは『中身』を重視してるんだ。ここじゃ美形も三枚目も、男も女も、善人も悪党も関係ない。舞台に立てるか、立てないか、だ! 君もそれを承知で入部したはずだろ?」

「…………!」

「その点に関しちゃ、森屋君はまったく問題なしだ。見たとこ、演技力も度胸も素人とは思えないほどある。プレイボーイの君が騙されるほどだ、素晴らしい役者ぶりじゃないか?」

 部長さんの言葉に黙り込むビースト先輩だったが、その顔は自分がイケメンであることを忘れたような物凄い表情だった。

「……ずいぶん丸くなったじゃないですか。『揺籃のジルドレ』が」

「ビースト、場所を移そう。これ以上は演劇部に迷惑だ」

 堪りかねたプリンス先輩がビースト先輩の袖を引っ張る。

「……そうですね。森屋君を少しお借りします」

「ちょっとぉ、ボクの意思は無視ー?」

「いいから来なさい」

「ちえー」

 ぴしゃりと言われて舌を出す森屋兄。一旦収まったことを確認した部長さんは他の部員たちに向き直って練習を再開するよう指示を出した。それを横目で睨みつけ、ビースト先輩は部室を出る。

 ……外面は良いくせに、どうしてこんなに仲悪い人多いんだろ、この人。



 5



「へえ、イツキが?」

「うむ。兄想いの実に美しい妹さんじゃないか!」

 美学部の部室に移動し、改めて話をする。森屋さん(妹)から依頼を受けたことを話すと、森屋兄は興味深そうに眉を上げた。

「きみも兄ならばこれ以上妹を悲しませるような真似はやめるんだ。美しい兄妹愛には報いるべきだぞ!」

 プリンス先輩にしてはわりと真っ当な説得に、しかし森屋兄は「うーん」と難色を示す。

「いくらイツキの頼みでも、こればっかりは聞けないなあ」

「なぜだね?」

「だって、ボク可愛いでしょ? 女の子のカッコしてもバレないくらい」

 ……まためんどくさいタイプのナルシストが現れたなあ……。

「まあ、確かにな。無論、美しさにおいては私のほうが上だが!」

 ナルシシズムで後輩と張り合うな。

「男のカッコしてるほうがおかしいっていうか、不自然に思われちゃうんだよねー、ボク。街歩いてたらふっつーにナンパされるし、男子トイレに入ったらぎょっとされるし。そのたびに男だって説明したら今度はガッカリされるの。なんだぁ、とか、もったいなーい、とかね。ボクは別にウソなんてついてないのにね?」

「む、むう……」

 確かに……どこからどう見ても女の子なのだ、男の格好をしているほうが変に見えてしまうかもしれない。

「だから、ボクは期待に応えてあげてるだけ。ボクが女の子だったほうがみんな嬉しいんでしょ? 宍上センパイだって女のボクのこと可愛がってくれたじゃないですかぁ? ボクって結構、誠実なんですよぉ」

「黙りなさい」

 森屋兄の言葉をビースト先輩は険しい顔で遮る。

「そんな屁理屈でごまかされると思ったら大間違いだ。ああだこうだ言い訳しても、あんたは結局人をからかって遊ぶのが楽しいだけでしょう? なにが期待に応えてるだけ、ですか」

「あれー?」

 と――森屋兄はまたも可愛らしい仕草で首をかしげる。

「おっかしいなあ。宍上センパイならわかってくれると思ったんだけどなー?」

「……どういう意味です」

「だって、ボクと同じ人種ですよね、センパイ?」

 いたずらっぽく口を開き――しかしけだもののように鋭い眼光で、森屋兄は言う。

「なっ――」

「センパイもそうでしょ? 他人から勝手に期待されて、自分らしく振る舞ったら勝手に落胆されて。それで嫌々みんなの期待に応えてる」

 森屋兄の言葉は確かにどこかで聞いたような話だった。ビースト先輩は返す言葉が思いつかないのか、口を開けたままぽかんとしている。

「だから、きっと共感してくれるって思ったのになー。まあ、ボクはそれなりに楽しくやってるけど、センパイはそうじゃないみたいだね? 演技のボクに演技で優しくしてくれたとき、変だなーって思ったもん。センパイ、女の子にちやほやしたりちやほやされたりしても全然楽しそうじゃない。ずうっと息止めたまま海に潜ってるみたいな演技」

「おい……ビースト」

 プリンス先輩がなにかに気づいたようにビースト先輩を見る。森屋兄の言葉は止まらない。

「ああ、嫉妬かぁ! 自分が全然楽しくないからボクが楽しそうなの気に入らないんだ!? それでイツキの頼みにかこつけてボクに嫌がらせしようってことでしょ! うわー、センパイ性格悪ーい!」

「駄目だビースト! それは良くない……!」

 気がつくと、ビースト先輩が森屋兄の胸倉を掴み上げていた――怒りではない、嫉妬でもない、強いて言えば無表情に一番近いのに、なによりも怨念を感じる表情――わたしが呆然としている間に、プリンス先輩がビースト先輩をやめさせようと彼のシャツを掴み、そして森屋兄は。

「――きゃあああああああああああああああっ!」

「!」

 絶叫する森屋兄。不意を突かれ動きが取れないわたしたちに対し森屋兄は叫び続ける。

「助けてえっ! センパイに襲われる! 殺されちゃうよぉっ!」

「ちょっ、森屋く――」

「何事ですかっ!?」

 と、森屋兄の声を聴きつけたのかタイミング良く(いや最悪だけど)扉が開く。入ってきたのは風紀委員長の清木先輩。ぎょっとした顔で部室内を見回し、そして森屋兄の胸倉を掴むビースト先輩を見つける。

「……宍上君!?」

「清木くん、違うんだ、これは……」

「助けて先輩、ボク殺されちゃうー!」

「………………」

 清木先輩は呆然とした顔で先輩たちを見つめ――その瞳がだんだんぐるぐると焦点が合わなくなったかと思うと。

「……きゅう」

 ……泡を吹いて卒倒してしまった。

「き、清木くーん!」

「……清木さん」

「あららたーいへん! じゃ、ボクはこのへんでー」

 ビースト先輩が驚いて手を離してしまった拍子に、素早く抜け出し部室から逃げ出す森屋兄――我に返ったビースト先輩が追おうとするも。

「駄目だビースト! まずは清木くんの介抱を!」

「…………!」

 顔をしかめつつも追跡を諦め清木先輩の元へ向かうビースト先輩。……って、わたしもぼうっとしてる場合じゃない!

 ……結局下校時間ぎりぎりまで清木先輩の介抱に追われ、その日は森屋兄を追うことはできなかった。



 6



「ああ、だからビーくんの機嫌悪いんだ?」

 そして翌日の放課後。ウィザード先輩がお茶の用意をしながら困ったように笑っていた。ビースト先輩はむすっとした表情で機嫌悪げに髪をいじっている。

「大変だったね……オレたちも手伝えてたら良かったんだけど」

「いや、キングたちには助っ人という大事な依頼があったのだ、そこまで無理をさせるわけにはいかない」

「ところで、そっちのほうはどうだったんですか?」

 訊ねてみると、キング先輩は誇らしげに腕を組んでソファにふんぞり返る。

「おう、俺のおかげで大成功だ! 九回裏、ツーアウト満塁、次の一球で勝負が決まるという一瞬! ついに登板した俺はバットをこの剛腕で振り、相手ピッチャーのストレートを見事場外サヨナラホームランにしてみせたわけだ!」

「素晴らしい、さすがキングだ!」

「助っ人に行ったの、サッカー部のはずじゃ……?」

「色々あったんだよ……」

 思わず首を傾げると、ウィザード先輩は疲れ切った顔で溜め息をついた。……色々あったんだろうなあ……。

「でも、まさか演劇部の方の森屋さんが男だったなんてね。目立ってる子だったから調べてたけど、全然気づかなかったよ。オレもまだまだだなあ……」

「………………」

 ぎり、とビースト先輩が奥歯を噛む。

「……普段散々女を騙しておいて、自分が騙されたら逆ギレか」

 いつものようにキャンバスに向かっていたスワン先輩が不意に口を開いた。

「…………!」

「日頃の行いが悪いから、そんなことになる。今までやってきたことが自分に返ってきただけだ。……自業自得、だ」

 歯を食いしばったまま何も答えないビースト先輩を、スワン先輩はここぞとばかりに嘲笑う。

「ざまあみろ」

「っ!」

「よせ、ビースト!」

 がたっと椅子を倒しながら立ち上がるビースト先輩をプリンス先輩が制止する。ウィザード先輩も小声で「スーくん!」とスワン先輩を注意する。

「……悪かった」

 と、先に謝ったのはスワン先輩のほうだった。大してビースト先輩はふん、と鼻を鳴らしただけで返事すらしない。

「と、とにかく皆、落ち着こう……? ビーくんもほら、お茶飲んで? 今日はハーブティーに挑戦してみたんだ」

「……はい」

 ビースト先輩は椅子を直して腰を下ろし、ウィザード先輩からカップを受け取る。そして一口飲むと深い溜め息をつき、「すみませんでした」と彼にしては小さく頼りない声で謝罪の声を口にした。

「御見苦しい姿を見せてしまいました」

「まったくだ。いつものクールで嫌味な紅蓮はどこにいった?」

 収まりかけたときに火に油注ぐようなことしないでくださいよキング先輩!?

「……さあ。元からそんな人、いなかったんじゃないですか?」

「ビーくん……」

 キング先輩の挑発にも投げやりに言葉を返すビースト先輩に、ウィザード先輩は困ったように眉をひそめた。

「……ね、ビーくん。こういうときくらい、ちゃんと心配させてほしいな」

「どういう意味です?」

 首をかしげるビースト先輩にふっと微笑んで見せるウィザード先輩。

「ビーくんはさ、強いよね。いつも、どんなときでも『自分』を崩さないで、弱味を探そうとしても全然見つからなくてさ。きっとオレが想像してるよりもずっとずっと頑張ってるんだ。本当にすごいことだと思うよ? でも、さ」

 ふ、と息継ぎし、自分のカップに口をつける。

「困ってるとき、辛いときもそうだったら、オレたち気づけないよ? どんなにきみが困ってても、きみが困ってるのを隠しちゃったらオレたちが助けることはできない。こっちが手を伸ばしたくても、きみが手を出してくれなきゃつかめないんだから」

「………………」

「助けてほしいときくらいは、弱音を吐いてもいいんじゃないかな?」

 そう言って、再びハーブティーを口にするウィザード先輩――虚を突かれたような表情のビースト先輩に、プリンス先輩が言う。

「そうだぞ! 我々は仲間なのだ、仲間同士で助け合うのは当たり前のことだ! 私たちはいつだって

きみの味方だぞ!」

「ああ、その通りだ。なあ、湖士郎?」

「…………」

 キング先輩はスワン先輩の肩に腕を回して無理矢理頷かせる。じろりと睨みつけるスワン先輩を無視すると、今度はわたしのほうを見た。

「お前はどうだ、かがり?」

「わたし? ……は……」

 スワン先輩が言うほどじゃないけど、ビースト先輩の性格の悪さははっきり言って嫌いだ。だけど……。

「……わたしも、美学部ですから」

 ビースト先輩は美学部の一員だし、他の皆はビースト先輩の仲間だ。だったら、新入りのわたしにとっても、ビースト先輩は仲間だと思う。助けてもらったこともあるし。

「助けが必要なんだったら……助けたいです」

「…………!」

 ビースト先輩が驚いたように目を見開く。呆然としたように口をぽかんと開けたまま、手の中のカップを見つめた。

「……馬鹿なんじゃないですか?」

「ああ、きみが言う通り私は馬鹿だぞ」

 と、プリンス先輩は胸を張って言う。

「仲間を想うことが馬鹿だというのなら、私は誰より大馬鹿だ!」

「……本当」

 噴き出したようにビースト先輩が笑った。いつもの冷徹で悪い笑みでも、嘘くさいイケメン笑顔でもなく、普通の――子供のような笑顔だった。

「……そうですね。助け、というほどではありませんが、頼みたいことがあります」

「なにかな? なんだって聞くぞ!」

 当然のように安請け合いしようとするプリンス先輩に、ビースト先輩は唇をいたずらっぽく吊り上げながら言った。

「僕を信じてください」

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