3 ケダモノ泣かせのグレーテル ①

  1



「あれ?」

 部室に向かう途中、女子生徒に囲まれている男子生徒が反対側から歩いてきた。なんだか随分モテているようで、四、五人の女子生徒が常に黄色い声で話しかけている。うわあ、悪いことされたわけじゃないけどなんかやな感じ。

「ねえっ紅蓮くん! 今度の土日用事ある?」

「ちょっとぉ、いきなり下の名前呼びってなくなーい?」

「じゃあ、僕も下の名前で呼びましょうか」

「いいのー!?」

 …………ん?

 なんだか聞き覚えのある声によくよく男子生徒の顔を見てみた。長い髪に整った顔、見間違えようもないビースト先輩だ――――だけどわたしの知る先輩は、こんな風に愛想良く誰かに笑いかけたりしないはず!

「ああ、こんにちは灰庭さん。これから部活ですか?」

 信じられないものを見て口を金魚みたいにぱくぱくさせていると、ビースト先輩はわたしに気づいてにこやかに声をかけてきた。いつもだったら舌打ちして眉をひそめてぞんざいな挨拶するくせに……。

「誰? その子」

「部活の後輩です。ちょっと人見知りがちですけど、良い子ですよ?」

「いいなぁー、あたしも紅蓮くんと一緒に部活したーい」

「あはは、いいですね……」

 人面獣心。そんな言葉が頭をよぎる。外見以外は最悪の二乗みたいなビースト先輩がどうしてあんなにモテるのか気になってたけど……この人、外面よすぎでしょ!?

「それじゃあ灰庭さん、また後で」

「は、はあ……」

 すれ違いざま、わたしに話しかけてくるビースト先輩。振り向いたその顔はいつも通り、冷酷で性悪な仏頂面。女子生徒は相変わらずきゃあきゃあ言って気づいていないようだった。い、一体どういうこと……?



 2



「ああ、確かにビーストは裏表が激しいな」

 わたしの話を聞いて、プリンスこと青星先輩がクッキーをかじりながら言った。

「激しいどころじゃないでしょう、あれ……」

「だが、決して悪い人間ではないぞ。確かに他人と私たちに対してでは少々態度が違うが、それで誰かを騙したり傷ついているわけじゃない。その点に関しては、むしろ誠実だと言える」

「そうですかあ?」

 中身が人をクソミソに貶す酷い奴だって隠してちやほやさせてるのは騙してるって言わないんだろうか。どうせ騙すならわたしたちにもあんな風にしてくれたらいいのに。

「性格が悪いことを隠すのが誠実だとは思えないんですけど……」

「誠実も誠実だと思いますよ、僕はね」

「わっ!?」

 と――いつのまに来ていたのか、背後からのビースト先輩の声に飛び上がる。

「ビースト! ちょうどきみの噂をしていたところなんだ!」

「聞こえてましたよ。悪かったですね、性格が悪くて」

 じろりとわたしを見るビースト先輩。本人の目の前で悪口を言ってしまったのだから気まずいどころの話じゃない。

「あなた自身がよくわかっているでしょうが。素の僕は『最悪』だって。それを隠して皆が求めてる見た目通りの優しく誠実な好青年を演じることのなにがおかしいんです? あの人たちは僕の嫌な部分を知らずに済む、僕は知られずに済む。win-winだと思いますけどね」

「うんうん、それでこそ我らがケダモノ紳士だ!」

 ビースト先輩のめちゃくちゃな屁理屈にプリンス先輩がわけのわからない合いの手を入れる。本当に言っている意味わかってるんだろうか?

「そんなんじゃ友達なくしますよ……」

「いりませんよ、友達なんて最初から」

「ああ、私たちという仲間がいるからな!」

「………………」

「どうしたビースト、なぜ黙る?」

 ……やっぱり全然わかってなさそう、この人。

「ところで、今日はみんなどうしたんですか?」

 微妙な空気に耐え兼ね、話題を変える。気まぐれなキング先輩はともかく、いつもならいるウィザード先輩やスワン先輩の姿もない。代わりに、演劇部と掛け持ちしているビースト先輩がいるのだから珍しい取り合わせだ。

「スワンは近々やる個展の打ち合わせをするそうだ。馴染みの画商がついてるから心配はないぞ」

「ああ……」

 口下手で人馴れしてなくて、人間関係では不器用すぎるスワン先輩だけど、しかし美術方面では文句なしの天才なのだった。あの性格に加えあんな仮面姿でも認めてもらえるんだから才能というのは恐ろしい。思わず感心の溜め息をついていると、ビースト先輩がふん、と鼻を鳴らした。

「いいかげんあの人も独り立ちってものを覚えればいいのに、いつまで雛鳥気分で他の人を頼るつもりなんですかねえ」

「ビースト、そういう言い方は美しくないからやめろと言ったはずだぞ」

 美しさの問題じゃないと思うんだけど。

「キングは運動部の助っ人、ウィザードはそのお目付け役だ。確か今日はサッカー部に行ったな」

「助っ人? キング先輩が?」

 なんだそれ、初耳だ。あのキング先輩には似合わない単語に思わず首を傾げてしまう。

「あの人、頭がカラな代わりに運動神経は無駄に良いでしょう。中身はさておき、あの人の『カラダ』を使いたいって部は結構多いんですよ」

 ソファに腰を下ろし、髪をいじりながらどうでもよさそうに言うビースト先輩。そういえばあの人、無駄に筋肉ムキムキだったっけ。

「まあ、いくらカラダが良くても馬鹿なことには変わりないですから、依頼先で馬鹿やらかさないように小角先輩が見張ってるわけです」

「大丈夫なんですか? ウィザード先輩ひとりで」

「先輩だって伊達に馬鹿と腐れ縁してませんよ。なにかあったらこっちに連絡するんじゃないですか?」

 ビースト先輩はこれ見よがしにスマホの通知を確認しながら言う。いつかのときに清木先輩対策で呼び出されたこと、まだ根に持ってるんだ……。

「まあ、そんなわけで頼れる仲間たちは不在だが、決して不安がることはないぞ? 百面相のビーストになにより美しいこの私! 百人力も同然だ!」

 どっちかっていうとあんたの存在が一番不安だ。

「どちらかというとあなたの存在が一番不安だと思いますが」

「なにっ!?」

 ビースト先輩もまったく同意見だったらしく、直球で本音をぶつけられたプリンス先輩は目に見えてうろたえる。が、そこはさすがの馬鹿王子、三分もせずに立ち直った。

「……なるほど、私の姿は美しすぎて強さや頼もしさをイメージしづらいのは否めない事実だ! もっときみたちを安心させられるような美しさになれるよう精進せねばならないな!」

 と、わけのわからないことを言ってごくごく牛乳を飲むプリンス先輩。だから、美しさの問題じゃないって。

「気にしないでください。この人馬鹿なんです」

 そう言って、ビースト先輩もティーセットに手を伸ばす。『冷めないうちに飲んでね』というメモとクッキーが添えてあるそれらはどうやらウィザード先輩が事前に用意してくれたもののようだった。忙しいときでも如才ない。

「シンデレラもどうだ? 今日のは特に絶品だぞ!」

「牛乳しか飲んでない人がなに言ってるんです」

「む、それは――」

「あの……」

 と――控えめなノックの後に部室の扉が開き、誰か入ってくる。なにか言いかけていたプリンス先輩は慌てて居住まいを正して王子様スマイルを浮かべる。

「美学部へようこそ! なにかお困りかな?」

 相変わらず見た目だけは本物の王子様みたいなんだから、と内心苦笑しながら入ってきた人物のほうを向く。すると、そこには――

「――森屋もりや君?」

「あ、灰庭さん……」

「む、知り合いかね?」

 男子にしては(プリンス先輩ほどじゃないにしろ)背が低く華奢で、ジャージでも着ていれば女の子に見えるような可愛らしい顔の少年。同じクラスの森屋依月いつき君だ。物静かで控えめ、悪く言えば本当に『男らしくない』人だけど、「そこがいい!」とクラスの女子たちの人気は結構高い。

「なるほど、シンデレラのクラスメイトか! 私はプリンス、この美学部の部長だ! シンデレラとは是非仲良くしてあげてくれ!」

「は、はあ……」

 わたしの親かなにかか、あんたは。戸惑っている森屋君をビースト先輩が「どうぞ、こちらへ」と来客用のソファに案内する。なぜだか心なしか、その顔が微妙にこわばっているように見えた。

「それで、本日はどのようなご用件でしょう? 僕たちにできることでしたら精一杯お力添えします」

 しかしそんなこわばりも一瞬後にはすっかり消え失せ、パーフェクトイケメン接待スマイルで森屋君に話しかける。どこぞの王子様よりよっぽど部長らしく見えてしまう。

「あ、あの……ここってなんでも屋とか探偵みたいに頼んだらなんでもやってくれる部だって聞いたんですけど……」

「うむ、間違いないぞ! なんでもするぞ、なんでも言ってくれ!」

「僕たちに出来る範囲で、ですけどね」

 ぬかりなく付け加えるビースト先輩に、もじもじしていた森屋君が意を決したように口を開いた。

「……無茶な話かもしれないんですけど、どうしてもお願いしたいことがあるんです。その……」

 ごくり、と誰かが唾を飲む音がする。

「……ぼくの――私の兄の女装癖を止めさせて欲しいんです!」



 3



 森屋君に双子の姉がいることはわたしも知っていた。

 一年A組、森屋日向ひなた。長く伸ばした髪以外ほぼすべて森屋君とそっくり同じ顔で同じ身長、けれど性格は正反対。明るく元気で社交的、男女共にモテまくるクラスのマドンナ的存在らしい。クラスが近いこともあって、男子たちが噂していることのを聞いたことがある。たまに森屋君を訪ねにB組に来たのを見たときは、なるほどぐうの音も出ないほどの美少女に見えた。

 美少女と美少年の双子なんて目立たないはずないし、クラスから浮いてるわたしでも知っているくらいなのだから一年生でも指折りの有名人のはずだけど……森屋姉弟に他に兄弟がいる、という噂は聞いたことがない。だから、『森屋依月の兄(女装癖持ち)』という条件が当てはまる人間は一人しかいないわけで。

「……どういう、ことです?」

 事態を飲み込めていないのか、ビースト先輩のイケメン顔が崩れて冷たい表情になっている。

「えっと、だからつまり……私の兄、森屋日向は正真正銘男なんです」

 男。OTOKO。♂。……え? あの美少女が? 突然明らかになった衝撃の事実に混乱していると、森屋君はさらに追い打ちをかけてくる。

「待ってくれ、さっきから『私』と言っているが、まさかきみは……」

「はい。女です……」

 えええええええええええええええ!?

 絶叫が心の中だけで収まっていたか自信がない――そりゃ見るたび「男に見えない」とか「女の子みたい」とは思ってたけど、まさか本当に女の子だなんて。え、だって男じゃないの? 男子制服着てて、身体測定だって……考えれば考えるほど頭がぐちゃぐちゃになる。

「……とりあえず、順を追って説明してくれませんか。女が男で男が女なんてとりかへばや物語でもあるまいし」

「は、はい!」

 イケメンモードを完全に投げ捨て、不機嫌そうに髪をいじりだしたビースト先輩にびくっと肩を跳ねさせる森屋君……もとい森屋さん。混乱してるにしてもなんだか随分な態度だ。

 森屋さんの話を簡単にまとめるとこんな感じだった。森屋さんの兄、森屋日向は昔からいたずら好きで、妹と瓜二つの顔を利用して入れ替わったり近所の男子をからかったりしていたらしい。それだけなら良かったのだが、最近――特に高校入学以降はそのいたずら癖がひどくなったのか、制服も私服も女物しか着なくなってしまったのだという。幸い、知り合いのいない高校に入学したおかげで兄の性別に気づいた人はいないようだが……。

「身体測定とか、体育の授業はどうしたの?」

「そのときは私と入れ替わってごまかしてた。学籍では私が日向で兄が依月だから」

 つまり、本来一年B組にいるのは森屋さんじゃなく森屋兄のほうなんだ。てことは、わたしたちが気づかなかっただけでちょくちょく入れ替わってたってこと……?

「お兄ちゃん、いたずらは好きだけど心はちゃんと男なはずなのに、最近ずっと女装しかしてなくて……今はよくても、そのうちバレたら大変なことになっちゃうんじゃないかって……」

「待て待て、なんできみまで男装しているんだ? きみも間違いなく女なのだろう?」

「だ、だって……」

 もじ、と森屋さんが膝の上で手を動かす。

「私が女の格好でいたら、お兄ちゃ……兄が男だってばれちゃうから……」

 ……うん、それは深刻だ。兄の女装癖を隠す為に男装するなんてなんだか本末転倒な気はしないでもないけれど、『女装癖持ちの兄の妹』なんて後ろ指は誰だって指されたくない。

「な、なんて美しい兄妹愛なんだっ!?」

 しかしプリンス先輩はわたしと違う感想を持ったようで、だばーと涙を流しながら森屋さんの手を掴む。

「えっ……」

「不肖の兄を決して見捨てることなく、どころか兄の名誉の為に自らを犠牲にしてみせるその献身ぶり! 実に美しい、私は感動した!」

「………………」

「あー……」

 ああ、この展開見たことある。プリンス先輩が次に言う台詞がありありと浮かんできてビースト先輩と一緒に頭を抱えた。

「きみの依頼、私たちが絶対に解決しよう!」

 プリンス先輩は感動すると後先考えずすぐに安請け合いする人なのだった。

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