トロイメライ

古月むじな

1 青い瞳の王子様 ①

 わたしは王子様に会ったことがある。

 と言って、信じてもらえたことは一度もない――まして、おとぎ話のお姫様のように命を救ってもらったなんて言ったら、笑われるか馬鹿にされるのが常だった。

 そんな風に何年も自分に身に起こった本当のことを否定され続けていれば、いいかげん夢見がちな女の子なんてやめたくもなる。この世界に王子様なんていないし、灰かぶりや白雪姫のように美しいお姫様じゃあないわたしのところに王子様が来てくれることはないのだ。

 それが九年待ったわたしの結論。

 しかし、その結論に至る際に忘れていたことがあった。灰かぶりも白雪姫も、別に最初から王子様を待っていたわけじゃない。継母や義姉に虐められていても美しい心を失わなかった灰かぶり。理不尽な理由で幾度となく命を狙われる受難を味わった白雪姫。王子様とは、苦境の中に立たされても誇りと美しさを持ち続けた少女の前に現れる存在ではなかったか。

 それに、たとえ王子様はいなくとも。

 『王子様』を目指すような無謀で物好きな少年は、案外いたりするのだった。



 1



 失敗した。

「は、ははっ、灰庭はいばさぁんっ……!」

「……なに」

「ひぃいいっ!?」

 なんで呼びかけに答えただけでここまで怯えられるのか。

「えっと、八木やぎさん……だっけ?」

「ひっ!? な、ななな、なんで名前知って!?」

 クラスメイトの名前を知っていて何がおかしいのか。そもそもそういうあなただってわたしの名前知ってるだろうに。

「いや、だから、なんの用?」

「な、なななんでもないですっ! すみませんでしたぁあああっ!」

「………………」

 あなたが手にしてるそれ、わたしに渡す書類じゃなかったの? ……そう訊こうにも、八木さんは脱兎のごとく教室から飛び出して姿を消してしまっていた。

 あんまりな状況に溜め息をつくと、どこからともなく視線を感じひそひそ話が聴こえてきた。十中八九わたしのことだ。入学して約一ヶ月。ここ揺籃ようらん学園高等部一年B組の生徒達は、どうやらわたしのことをヤンキーか何かだと思い込んでいるらしい。つまりわたしは高校デビューに大失敗したのだ。

 心当たりはいくつかあるが、一番の失点は最初も最初、自己紹介の時だったのだろう。前の人達にならい、出身中学と名前を言うだけで済む話だったはずなのだが、緊張しすぎて立ち上がる際椅子に足を引っかけたのがまずかった。とっさに机に手をついて持ちこたえたのはいいけれど、その時に鳴った音で教室中がしんと静まり返ったのは今でも思い出せる。思わぬ事故に頭が真っ白になり、周りの反応を窺う――ちくちくと痛い視線に気まずい雰囲気。そんな状況で自己紹介できるほど肝が太くないわたしはそのまま座ってしまった。

 結果、入学初日に机を叩いて周囲を威圧し、更にガンを飛ばして名乗りもせず無愛想に座った、という出来事のみがクラスメイトに記憶されることになり――せめて訂正してくれるような知人がいれば良かったのだが、地元底辺中学から精一杯背伸びして入った私立名門進学校に知り合いなんているわけがない。どころかその『底辺中学』という部分ばかりが妙にフィーチャーされて『灰庭かがりは不良中学出身のヤンキー女である』という認識が生まれてしまっても仕方ないのかもしれなかった。

 仕方なくないよ。わたしの高校生活どうすんの?

 もちろん、不名誉な汚名を返上すべく色々と頑張ってはみた。しかし一度貼られたレッテルを剥がすのはそう簡単にできるもんじゃなかった。むしろ、クラスメイトに話しかけるたびにどんどん印象が悪化していくばかり……気づけばクラスから孤立したままゴールデンウィークを迎え、もう五月上旬。いよいよまずい。このままではろくに話し相手も作れないまま高校三年間を過ごす羽目になってしまう。

 ……どうしよう。

「あっ、あっあっあのっ!」

「え」

 暗雲立ち込める未来に頭を抱えていると、いつのまにか戻ってきていた八木さんがやっぱりぶるぶる震えながらわたしに話しかけてきた。

「こ、こここ、これ! ぶ、ぶかちゅの、申込書!」

「ぶかちゅ?」

「びゅかつどうです!」

 ぶかちゅ……部活? ……ああそうか、そろそろ体験入部の時期なんだ。ちょうどゴールデンウィーク前に部活紹介のオリエンテーションもやってたっけ。

「しぇ、しぇんしぇが、灰庭さんに、渡し忘れてたからって! な、何かイライラすることがあるなら、ぶかちゅでストレス発散すると、いいと思いましゅ!」

 舌が回らないのか噛みっ噛みで言いながらわたしに入部用の一連の書類を渡してくる八木さん。イライラというか、むしろ落ち込んでいたんだけど……うん、確かに良いアイデアかもしれない。

「……ありがとう、八木さん。おかげで良いこと思いついた」

「ひぃッ!?」

 え、あれ、なんでお礼言って笑っただけで竦み上がられるの?

「ご、ごごごごめんなさいぃっ! なんでもするから許してくださいぃぃいっ!」

 やっぱり脱兎のごとく逃げ出す八木さんに釈然としないものを感じたけれど、うん、とにかく、部活動だ。



 2



 揺籃学園の部活は二種類ある。生徒会に認められ、正式に予算や部室を割り当てられている公認部活動と、無許可無認可で活動している同好会やサークルといった非公認部活動。真っ当な部活動をしたいならもちろん前者だけど、『非公認』だけあって内申や成績証に乗らない後者もよっぽど羽目を外さない限りは楽しく自由にやらせてもらえるらしい。

 学校側から推奨されているのは公認部活動だし、オリエンテーションでも有名どころの出し物しか見せてもらえなかったけど……こうしてリストを確認する限り、公認非公認を合わせるとその数は百を超えるようだ。すべてを回ろうとしたらそれだけで一年が終わってしまいかねない。

「入るなら、当然公認だよね」

 既に人間関係が構築されつつあるクラスとは違い、まだわたしのことを知らない先輩方のほうが多い部活動ならばわたしを不良だと思ってで避けることはないだろう。そこでしっかり頑張ればそこでの評判がクラスに伝わり、変な誤解も解けてくれるはずだ。となれば、入るのは怪しげな同好会よりは真っ当に評価を出している公認部を選ぶべきだろう。

「……美術室ってどこ……?」

 とりあえず美術部の見学に行くことにしたはいいが、肝心の美術室の場所がわからない。揺籃学園は美術部の活動が盛んな反面、教科としての美術はそこまで重要視されていないようで、一年生のカリキュラムには美術教科がないのだ――まだ一ヶ月も登校していない一年生にはどの棟にどの教室があるか把握するのは難しい。

「お困りかな? お嬢さん」

 校内案内図とにらめっこしながら美術室を探す。なんと、この学園は美術室が第一、第二と二つもあるようだ。それもわざわざ別の階に……一体誰がそんなややこしい配置にしたのだろう。美術部の部室はどっちだったっけ……?

「お、おーい、お嬢さん? 大丈夫なのかなー?」

 駄目だ……書類にも『美術室』としか書いてない。誤植か単なる手落ちか知らないけどちゃんとチェックしてよ……とりあえず、第一の方から行けばいいかな?

「お嬢さん、返事をしてくれ! 私は寂しいと死んじゃう生き物なんだ!」

「ああもううるさい! なに!?」

 と、後ろからずっとうざったい口調で話している声がわたしに対するものだったことにようやく気づく。先生以外に他人から話しかけられることなんて久々すぎて気づかなかった。

「ほっといてよ、今忙しいんだか……ら……」

 振り向いて、声の主の姿を確認し、わたしは目を疑った。

 ――王子様がいる。

 女の子と見間違えてしまいそうな、人形のように愛らしい顔立ち――それにぴったりマッチした、風にそよぐ絹糸のような金色の髪。そして、青くきらめくサファイアの瞳。日本人離れした外見に高校生らしからぬ華奢で小柄な体型がおとぎ話の王子様を連想させる。『目も覚めるような美少年』って多分こんな人を言うんだろう。

 そんな『王子様』の容貌にしばらく目を奪われていると、彼はふふんと腹が立つほど自信満々に前髪をかき上げた。

「ふふふ。私の美しさに心奪われてしまったようだね? だが安心したまえお嬢さん、君もとても美しいぞ。もちろん、私ほどではないかもしれないが……!」

「………………」

 薔薇の花びらのような唇から紡がれた台無し発言で我に返った。そりゃ確かにぐうの音も出ないほど綺麗だけど、自分で言っちゃう? 純然たる事実でも、相手に向かって「自分に比べたら不細工」って言う?

 ……ないわー。

「ああっ! もしかして気分を害してしまったかな? すまない! ああ、私の美しさはなんて罪深いんだ……!」

 この人、普通じゃない。とんでもないだ。

 憂い気に頭をおさえて苦悩するようなポーズ(これがまた、癪に障るほど似合っている!)でなんだかわけのわからないことを言っているナルシストからそっと距離を置き、後ずさりする。何が目的で話しかけてきたのか知らないけど、この人は駄目だ。関わったら絶対めんどくさいことになるタイプの人だ。

「……あれ? き、消えたっ!? おおい、一体どこに行ったんだ、お嬢さん!」

 幸いにも、ナルシストが自己陶酔から覚める前に彼の視界から消えることができた。きょろきょろとまだわたしを探している青い目から逃れるためにもさっさと美術室に向かう。

 あの人……わたしより背が低く見えたけど、先輩なのだろうか? 同学年にあんな美少年がいたら確実に噂になっているはずだし。中学の時みたいに変な人と関わらないように頑張ってランク上の学校に入ったのに、変な人ってどこにでもいるんだな……もう、二度と遭うことにならなければいいんだけど。



 3



 ナルシストを完全に撒くためにあっちこっち移動しまくったせいで迷子になりかけたけど、どうにか美術室を見つけることができた。あまりひと気のない廊下の端にあったのはなんだか引っかかるが、それでも『美術室』と書かれたプレートが掲げられているのだから間違いない。

 ――あとから知ったことなのだが、今現在美術科目や部活動で使われているのは新設された『第二美術室』のほうで、美術室もとい第一美術室は『公的には』使用されていないことになっているらしい。もちろん、この時点でのわたしはそんなことまったく知らないけれど――。

 さておき、美術室の扉をノックする。……返事はない。あれ? ここを美術部部室だと思い込んでいるわたしは、まだ見学希望の新入生を受け入れているだろう美術部員たちが反応してくれないことに戸惑う。でも、今しがたノックした扉には確かに部の存在を主張する手作りプレートがかかっているのだ。

 ――『美学部 どなたでもお気軽にお立ち寄りください』

 ……ん? 美部? 術と学なんてそうそう書き間違える漢字じゃないと思うけど……違和感に戸惑いながらわたしは扉に手をかけた。中からは人の気配がする。とりあえず入ってみよう。ノックはしたし、大丈夫だよね?

「すみません、失礼します」

 控えめに挨拶しながらわたしは扉を開け――そして閉めた。

「……え?」

 脳が目の前の光景を完全に認識する前に反射的に扉を閉めていた。我ながら、どうして開けた扉を閉めてしまったのかわからなくなるくらいに。あれ、なんで? 手が滑ったのかな……混乱しつつももう一度扉を開ける。


「誰が服を脱げと言った! 着ろ!」

「ハハハハハ! 俺を描くからにはこの美しい肉体を余さず観察せねばならんだろう? ならば服など邪魔だ! さあ思う存分俺の裸を見るがいい!」

「黙れ! くたばれ! 服を着ろ!」


 ……扉を閉めた。

「………………」

 ……見間違いだろうか。室内で仮面をつけた不気味な男と全裸の美丈夫が口論していたように見えたのは……いや、二回も見た光景だ。うっかり見てしまい脳裏に焼き付いてしまった男性の局部が先程の光景が本物であると告げている。え、でも……なにあれ? 閉じた扉の前で目を白黒させて混乱していると、勝手に扉が開いた。

「なんだ、客か? そんなとこで立ってないでさっさと入れ!」

 中から出てきたるは日に焼けた長身の美丈夫――欧米人のように彫りの深い顔立ちはもちろんのこと、腹筋、胸、二の腕、大腿筋、どこを見てもまったく無駄が見つからない鍛え上げられた筋肉は思わず見とれてしまいそうだった。……その男性が股の間にある『それ』すら隠さない、正真正銘のすっぽんぽんでさえなければ!

「ぎゃーっ!」

 口から色気のない絶叫が飛び出る。堂々と自分の裸を晒す変態変質者はいたいけな女子高生の悲鳴を聞いても動じるどころか快活に笑った。

「ハッハッハ! そう照れるな、もっとよく見ゴフゥ!?」

 言葉の途中で変態が横凪ぎに殴り倒された。さっき変態と言い争っていた仮面の男が倒れた変態を足蹴にしながらわたしをじろりと見る――仮面の下から覗く酷薄な視線にぞっとし、反射的に身じろぎしてしまう。

「……なんだ、お前」

 見るからに不機嫌そうな低い声。わたしを歓迎していないのは明らかだった。思えばここで「失礼しました、すみません」とさっさと帰っていれば良かったのだろうけれど、わたしは彼がエプロンを着ていることに気づいてしまった。家事用ではない、おそらく作業着としてのエプロン――絵の具汚れがあちこちについたそれを着ているということは、彼が絵画を嗜んでいることの証左に他ならない。

「あ、あのっ、ここって美術部ですよね!?」

 パニックで完全にショートした頭が勝手にそんなことを口走らせていた。美術部だったらなんなのか、あんな変態やこんな不気味な男が所属しているような部活に入りたいなんて思うのか、という理性の説得は届かなくなっていた。

「わたしあの、新入生の灰庭かがりです! け、見学させてくだしゃい!」

 しかも噛んだ。どうしてこうわたしは逆境に弱いのか。

「………………」

 仮面男はいかにも面倒そうな眼差しでわたしを一瞥し、がりがりと頭を掻いて黙り込む――男の足の下で全裸の変態がもがもが言いながら脱出しようとうごめいている。なんだこれ。なんだこの状況。

 気まずすぎる。

 この際誰でもいい、早くこの場に来てこの状況をなんとかしてくれ――そんな祈りが天に通じたのか、足音が近づいてきた。

「おや、お嬢さん! どこに行ったかと思えば我が美学部を訪れていたとは! さあさあ中へ入りたまえ、美学部はいついかなるときのどんな客人でも大歓迎なのだ!」

 しかしやってきたのは救い主ではなく、さっき撒いたはずのナルシスト王子だった。

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