1 青い瞳の王子様 ②

 4



「私は今、猛烈に感動している!」

 わたしは今、猛烈に反省している。自分の軽挙妄動を。

 ナルシー王子に仮面男、全裸の変態――関わってはいけない人種たちが一堂に会しているような部活なんて、美術部だろうが美学部だろうがお断りだ。しかしそそくさと去ろうとしたわたしを引き留めるかのように、あの仮面男が言ったのだ。

「青星。そいつ、見学希望らしいぞ」――と。

「私は今、猛烈に感動している!」

 と、ナルシーはわざわざ二回言った。

「我らが美学部に入部希望者が来るなんて創部以来初めてのことだ! 素晴らしい! 喜ばしい! 美しい! さあ皆、この喜びを分かち合おう!」

「まさかそれだけの為にわざわざ呼び出したんです?」

 そんなふうにナルシーに文句をつけたのは、ナルシーの後からやってきたイケメン二人組の一人……ってここ、妙にイケメンばっかりだ。美少年ナルシーや変態美丈夫とはまた違い、こっちは正統派に美形って感じの顔立ちで、男なのに長く伸ばしている髪もさまになっている。……あれ、そういえばこの人確か四月のオリエンテーションで見たような……演劇部にいなかったっけ?

「まさかそんなくだらないことの為に僕は約束をブッチさせられたんですか?」

「お前の約束こそくだらん女遊びだろう」

 仮面男がイケメンをにらむ。横で見ているこっちが竦み上がるほどの威圧感を放っているけれど、イケメンは慣れているのか鼻で笑う余裕すら見せている。

「いいえ、生憎僕は毎日暇そうに絵を描いてるあなたと違って僕は忙しいんです。今日は演劇部の女の子達と食事の約束が……」

「やっぱり女遊びじゃないか! このケダモノめ!」

「ま、まあまあ、二人とも落ち着いて。後輩の前なんだからさ?」

 言い合いを始めた二人の前に割って入るイケメン二人組のもう一人、帽子とマフラーを身に着けた先輩。初夏の室内でするにはちょっとおかしなファッションだけど、人の良さそうな優しい顔立ちを見るに、どうやらこの中では一番話が通じそうだ。

「新入生が入るなら、まずちゃんと部員を紹介しなきゃ、だろ? ビーくんもスーくんも忙しいのはわかってるけどさ……」

「そうだな。まずは俺達のことをちゃんと知ってもらわねばだ!」

「ちょっ、楽土!?」

 さっきまでふん縛られていたはずの変態がいつのまにか自力で縄をほどいて立っていた。もちろん服はちゃんと着せられていたけれど……変態は当然のようにワイシャツを脱ぎ捨て、ズボンのベルトを緩め……。

「……ぎゃーっ!」

「ちょっと楽土よしなって! 裸は一日一度までって決めただろ!?」

「俺はそんな些細なルールには囚われない男だということをこの身体で見せつけてやるのさ!」

 やっぱり意味不明なことを言いながらストリップし始める変態。帽子先輩が必死に止めてるけど無駄にムキムキな筋肉は伊達じゃないらしくものともしていない。わたしに出来ることといったら自分の目を覆って嵐が過ぎるのを待つだけだった。

「きゃーっ! わーっ! ぎゃーっ!」

「ククク、俺の美しさは眩しすぎるか!? ホーレホレホレゴパァ!?」

「何してる馬鹿野郎!」

 仮面男が再び変態を殴りつけてようやく裸祭が終わった。腹をおさえて悶絶する変態に帽子先輩が苦笑する。

「ご、ごめんね灰庭ちゃん……あいつも悪い奴じゃないんだよ? なんていうかその、人前で裸になりたがる癖があるだけで……」

 それ、悪い奴じゃん。犯罪者じゃん。

 ……ってあれ、まだわたし名乗ってないのに、どうして名前知ってるの?

「灰庭かがりちゃん、だよね? オレは小角緑おづのみどり、三年生。ここでは『ウィザード』って呼ばれてるんだ」

「あの、なんでわたしの名前……」

「ウィザードはなんでも知っているからな!」

 答えたのは帽子こと小角先輩ではなくナルシーだった。

「彼はすごいぞ! 校内の流行に新入生の情報、美味しい紅茶の入れ方、彼に知らないことはない!」

「プーちゃん、買い被りすぎ。オレは単に噂が好きなだけだって」

 ナルシーをたしなめながら小角先輩がわたしの前にいつのまにか紅茶を注いでいたカップを置く。お礼を言って一口飲んでいる。……美味しい!

「口に合ったかな?」

「美味しいです、すごく!」

 正直に言うと紅茶はあんまり好きじゃない。砂糖やミルクで甘くして味を誤魔化さないと飲めないんだけど、それを見抜いたかのように甘く、しかし喉がべたつかず香りがかき消されないように絶妙に調整された味はまさに魔法のようだった。

「そう、良かった」

 しかしそれを誇るでもなく、むしろわたしを気遣ったように微笑む彼に、自然と『如才ない』という言葉が浮かんでくる。

「あっちは黄堂楽土おうどうらくど、通称キング。オレと同じ三年生」

「よろしくな! 俺の肉体美が見たくなったらいつでも言え!」

 いつの間にか服を着直しソファでふんぞり返る変態。おそらく絶対、そんなときは来ない。

「で、こっちの髪の長いのがビースト、宍上紅蓮ししがみぐれん。演劇部とかけもちしてる。お面はスワン、白島湖士郎しろじまこじろう。絵とか芸術が得意。二人とも二年生」

「そして私が部長の青星幸邦あおぼしゆきぐに! プリンスと呼んでくれ!」

 誰が呼ぶか。

 と、言いたくなるのをぐっとこらえて改めて『美学部』のメンバーを見る。小角緑、黄堂楽土、宍上紅蓮、白島湖士郎、青星幸邦。部員たちの様子を見るにこれで全員、みんな男だ。しかも、どういうわけか一人を除いて全員美形……。

 ややこしくて意味不明な部名に、おかしなコードネームがついた部員たち。しかもその大半が美形……まるで全然わからない。一体ここはなんのためになにをする部活なんだろう。美術部ではないのはうんざりするほどわかったけど。

「あの、ここって……」

「よくぞ聞いてくれた!」

 わたしの言葉を最後まで聞かずにナルシストもとい青星先輩が言う。

「美学部とは、文字通り美しきを学ぶ部活動だ! 各々が持つ美点を生かし、校内をより美しくすべく活動しているのだ!」

 ……なんだそりゃ。

「つまり、校内限定の便利屋ってところかな」

 さっぱりわからないナルシーの説明を見かねてか小角先輩が言う。

「校内清掃とか、部活の助っ人とか……あとは生徒間のトラブルを解決したりとかね。もちろん部活だからお金はもらえないけど」

「ただし、美しい案件だけだ!」

 またもやわけのわからないことを言うナルシー。

「カンニングの手伝いなどと言った不正行為や犯罪まがいの『美しくない』依頼は一切受け付けていない! 我々が引き受けるのは清廉潔白な美しい依頼だけなのだ!」

「は、はぁ……」

「何言ってんだコイツ、って思いました? 安心してください、この人いつもおかしいんです」

 宍上先輩が結んだ髪をいじりながら嫌味っぽく言った。常時『これ』なら尚更安心できないんだけど……。

「私は感動した! 誰に言われるでもなく、自らの意志で我らが美学部に来てくれた君の心の美しさに! 一年生ながら母校に奉仕貢献せんとするその美しさに! 歓迎しよう灰庭くん! さあ、共に美しさを磨きあっていこうじゃないか――!」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 呆然としているうちにどんどん話が進んでいくことに気がつき、慌てて口を挟む。どういうわけかいつのまにか入部することが決定事項になってしまっている!

「わたし、『見学』で来たんです。まだ入部するとは一言も……!」

「まあ、普通思いませんよねえ。こんなわけのわからない部にいきなり入ろうだなんて」

「確かに。入部希望、とは言っていなかったな」

 宍上先輩と白島先輩が同じタイミングでわたしの言葉に頷き、互いに忌々しそうににらみ合う。しかしそれでも無駄に饒舌だったナルシーの言葉を詰まらせるには充分だったようだ。

「は、はは……このプリンスとしたことが、少々聞き間違えてしまったようだな。うん、ならばまず、我が部の活動を見学させようじゃないか」

「ううん、でもさ……最近頼まれごともないし、見せてあげられるようなことってあるかな……?」

「では、我々と共に校内清掃運動に励んでもらうというのは!」

「やればいいんじゃないですか? 多分その子、明日から来なくなると思いますけれど」

「うっ……」

「彼女は望まぬ部活に入らなくて済む。僕達は無愛想で可愛げのない後輩と付き合わなくて済む。win-winだと思いますけどね」

 確かに、ボランティア志望でもないのに見学初日から掃除なんて結構キツい。とはいえ宍上先輩、見た目の格好良さとは裏腹に舌と腹の中は真っ黒のようだ。わたしを指しているだろう形容詞が妙に刺々しく感じるのは気のせい?

「なんだ、何を悩む必要がある? 依頼がないなら今ここで作ってしまえばいいだろう」

「えっ、楽土、どういう意味?」

 変態……もとい黄堂先輩が何か思いついたらしく、ソファで腕と足を組んでふんぞり返っている。

「ハハハ、聞きたいか!? この俺の天才的なアイデアを! 諸葛孔明も恐れおののく超絶的頭脳の産物を……!」

「いいから早く言え」

「へぶし!」

 さりげなくまたワイシャツを脱ごうとしていた黄堂先輩にビンタする白島先輩。

「か、簡単だ。かがりだったか? お前、悩みかなにかあるだろう。それを俺たちが解決すればいいんだ」

「えっ……どうしてわかったんですか?」

 頬をさすりながら渋々ワイシャツのボタンを付け直す黄堂先輩、まるっきり馬鹿にしか見えない人に言い当てられたことに動揺してしまう。しかし、黄堂先輩はやっぱり馬鹿だった。

「やはりな! この俺の控えめに言ってダビデ像にも劣らん肉体美から目を逸らすなんて、よほど心に思い悩む何かがあると見た!」

「………………」

「なんと! あの一瞬でそんなことを見抜いてしまうとは……! すごいな、さすが我らがキングだ!」

「ハッハッハ! 照れるぞ、もっと褒めろ!」

「………………」

「気にしないでください。あの人たち馬鹿なんです」

 でしょうね……。

「えっと、とにかく何か悩みがあるんだね? もし良かったら話してみてくれない? もしかしたらオレたちで力になれるかもしれないし……」

「違うぞウィザード。もしかしたら、じゃなく、『必ず』力になるんだ」

 小角先輩の言葉をそう訂正するナルシー……もとい青星先輩。さっきまで散々ふざけた調子で話していたくせに、今になって妙に真剣な顔をするからうっかりどきっとしてしまった。どうせ安請け合いなんだろうし、もっと面倒なことになるなんて考えなくてもわかるのに、思わず口が滑ってしまう。

「大丈夫だ。私たちを信じてくれ」

 ……なんて、この世で最も信用ならない言葉だってわかっていたはずなのに。



 5



 クラスに馴染めなくて悩んでいる、なんて聞かされても、見ず知らずの第三者にはどうしようもない相談だろうし――実際、美学部の皆さんも微妙そうな顔になった。

「なんだ、そんなことか。てっきり他校の番長を殴ったせいで毎日喧嘩に明け暮れる日々でも送っているのかと思ったぞ」

 この変態、わたしをなんだと思ってるんだろう。

「意外っていうのには同意しますけどね。そんな出会う人すべてを憎んでるみたいな顔で友達ができなくて困ってる、なんて言われても」

 ……本当にどんなふうに見えてるの!?

「確か押車中出身だったよね。失礼だけど、確かにここって不良中ってことで有名だからなあ……揺籃は家柄が良い子も多いから、そういう子ってどうしても目立っちゃうんだよね……」

 もちろん、灰庭ちゃんが悪いわけじゃないけどね、と困ったように帽子をいじる小角先輩。まあ、当然だ。原因がなんであれ、一度かけられた色眼鏡が簡単には外してもらえないのはわたしが一番よく知っている。

「おれたちには無理だ」

 全員を代表するように仮面の男、白島先輩が言う。

「それはお前自身の問題だろう。他人がどうこう手を貸すようなものじゃない。それに、たとえおれたちが手を貸して解決したとしても、そんなやり方は美しくない」

 美しく――ない。ちょっとした言い回しが、なぜかがつんと腹の下に落ちてくる。

 わたしは美しくない。

「……すみません」

「え、灰庭ちゃん?」

 わたしが頭を下げると、小角先輩が動揺したように声を震わせた。

「元々、勘違いで来ちゃっただけですし……なのに、変なこと言って皆さんを困らせてしまって。本当にごめんなさい」

「…………」

 白島先輩が何か言いたげに頭をがりがり掻いた。しかしその口から何も発されることはなく、わたしは席を立つ。

「すみません、失礼しました」

「待ちたまえ」

 わたしがきびすを返しかけたとき、ずっと黙っていた青星先輩が口を開いた。

「まず、キング、ビースト。いくら驚いたからと言って、依頼者を中傷するようなことを言うんじゃない。次にスワン。たとえ無理難題だろうと、真剣に悩んでいる人間に対してそんな言葉をかけるのはあまりにも残酷だ。――そして、灰庭くん。部員たちの非礼、誠に申し訳ない。謝るべきはこの私たちだ――だから、非のない君が謝ることこそ間違っている」


「それはとっても美しくない」


 青星先輩の宝石のような目はどこまでも真剣だった。いや――いつだって真剣だったんだ。最初にわたしを見つけたときから、ずっと。

「……クラスでの人間関係の改善だな? 良いだろう。その依頼、この美学部が確かに請け負った」

「青星!」

 白島先輩のとがめる声を無視し、青星先輩は堂々と宣言した。

「必ず解決してみせよう。君はかぼちゃの馬車に乗ったつもりで安心して待っていてくれ」



 6



「だが、さすがに今すぐというわけにはいかない。明日まで待ってくれないか」――そんな言葉で美学部から帰されたわたしは、今更本当の美術部に向かう気にもなれず、結局そのまま家に直帰した。

「はあ……」

 なんだか変なことになってしまった。自信満々に言われたから思わず頷いちゃったけど……冷静に考えて、一体どうやって解決する気なんだろう。それこそ白島先輩の言う通り、他人にどうこうできる話じゃないと思うけど……。

「……放課後になったら今度こそ、ちゃんと断らないと」

 これ以上ややこしいことになる前に。でも、またあの美形変人集団のところに行かなきゃいけないのか……憂鬱な気分で学校にたどり着き、教室に向かう。

「……あれ」

 教室の前に来て、違和感を覚える。なんだか妙に静かだ。まだ朝のホームルーム前、先生もまだ来ていないはず。少しくらい談笑してる声が聞こえても良さそうだけど……嫌な予感がする。わたしはおそるおそる教室の扉を開けた。

「……以上が灰庭くんが中学一年生のときの主要な出来事だ。それでは諸君、次のページ、十四ページを開いてくれ」

 ……扉を閉めた。

 なんだろう、見間違いだろうか。今一瞬、どういうわけか青星先輩が教壇に立ち、黒板に貼りまくったわたしの写真を指しながら変な授業をしていたような……むしろ見間違いであってほしいけど、扉の中から聞こえる青星先輩の声がそうじゃないと告げていた。

 ……なにこれ。

「……ここで転機が訪れる。当時十四歳、中学二年生の灰庭くんは学校裏で捨て犬を拾ったのだ。当然元の飼い主や新しい引き取り手を探したが、なかなか見つからず……考えた末に灰庭くんはなんと、自分で引き取ることに決めたのだ。素晴らしい! なんて美しく優しい心の持ち主だろう! ちなみにこの犬はペロと名付けられ、今では立派に灰庭家の番犬を務めているぞ!」

「なんでそんなこと知ってんの!?」

 ぼんやりしているうちに教えた覚えのない個人情報を勝手に暴露され、慌てて教室に飛び込む。わたしに気づいた青星先輩はしかし慌てた様子もなく「おお!」と声を上げた。

「ちょうど噂をすれば影だ! さあ諸君、灰庭くんにあたたかい拍手を!」

 だが、この状況でそんなものが向けられるはずもなく、わたしに降り注いだのは冷え冷えとした空気と突き刺すような視線――どこからともなくひそひそ話や忍び笑いがあちこちから聞こえてくる。ふと後ろを見ると、黒板には思い出したくもない中学時代の写真が大量に貼り出されている。

 ――終わった。頭の中でガラガラと何かが崩れ落ちる音がした。

「うん、どうしたんだ皆? すまない灰庭くん、少々不手際が……」

「何してくれとんじゃこの馬鹿ーっ!」

 一人だけ空気も読めずにわたしに近づいてくる馬鹿王子に怒鳴りつける。まさか、これで人間関係を改善できると本気で思ってやったのだろうか? 騒がしい気配に廊下を見れば、隣のクラスの人やまだ登校していなかったクラスメイトが騒ぎを聞きつけてこちらを窺っていた。もう駄目だ……クラス内どころの話じゃない、わたしの高校生活完璧に終わった……!

「は、灰庭くん!? どこへ行くんだ!?」

 こんな奴、信用したわたしが馬鹿だった。もうすぐホームルームの時間だけど、こんな空気の中で自分の席に座れるわけがない。皆勤賞に泣く泣く別れを告げながらわたしは元来た道を駆け戻る。

「待つんだ灰庭くん! もうすぐ始業ベルが鳴ってしまうぞ!?」

「うるさいっ! ついてくんな馬鹿王子ーっ!」

 本当に、なんてことしてくれたんだ馬鹿王子……!

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