1 青い瞳の王子様 ③



 あてもなく走った末にたどり着いたのは、学校から少し離れた繁華街のゲームセンターだった。アーケードゲームの筐体に身体を持たれさせてため息をつく。馬鹿王子の気配はない。

 もちろん着替える余裕などあるわけなく、制服のまま入店してしまった。店員さんに見つかったら補導されてしまうだろうか? しかし周りを見ると、制服を着たまま遊んでいる高校生は珍しくない。さすがに揺籃の制服は見当たらないが……つまりここは不良のたまり場で、わたしも不良の一人になってしまったのか。

「……どうしよう」

 少し安心すると同時に、忘れかけていた問題を思い出した。あいつのせいでクラス内のでの立場どころか学年内レベルでめちゃくちゃになってしまった。あんなうざったくて意味の分からない先輩がクラスに押し掛けて昔のことを洗いざらいぶちまけられるなんて……今日はもうサボってしまったからしょうがないとして、明日からどんな顔して学校に通えばいいのだろう。考えれば考えるほど頭が痛くなる。

「……はあ」

 とりあえず今は目先のことだ。このまま家に帰るわけにもいかないし、どこかで時間を潰さなきゃ。顔を上げると、クレーンゲームの筐体が目に入った。景品は小鳥をモチーフにしたらしいボールチェーンのついた丸っこいぬいぐるみのマスコット。懐かしいなあ、昔こういうの持ってたっけ。普通に売ってたら多分買わないけど、こういうところで見るとなぜか欲しくなってしまう。

「……あああーっ!」

 三回目のチャレンジ。どうにかアームでぬいぐるみをつかんで出口まで持っていくところまでは行けたのだが、アームから放されたぬいぐるみはぎりぎり出口から逸れて落ちてしまった。いけた、と思ってしまっただけに悔しさが増す。

「うう……もう一回!」

「お困りかな? お嬢さん」

「って、もう小銭ないや……もう六百円も使っちゃったしなあ……」

「お、おーい、お嬢さん? 大丈夫なのかなー?」

「……あと一回、一回だけ……!」

「返事してくれたっていいじゃないか! 私は寂しいと死んじゃう生き物なんだぞ!?」

「ああもううるさい! なに!?」

 と――振り向いて絶句する。馬鹿王子――もとい青星先輩が当たり前のように立っていた。

「……なんで」

「当然、君に謝りに来たに決まっているじゃないか」

「………………」

 謝ればさっきのことが全部なかったことになるとでも思っているのだろうか。しかし青星先輩はわたしの気持ちにお構いなしに話を続ける。

「思うに、君が周りから誤解されているのは君の素顔がちゃんと知られていないからだ。だから、君の美しいところを知ってもらえば自ずと偏見もなくなるだろうと……しかし、事前に相談もせずに個人情報を明かすのは確かにいけなかった。君を助けるつもりが傷つけてしまった。本当に申し訳ない」

「………………」

「だが……一度請け負った以上、依頼を中途半端な状態で放り出すのは美しくない。もう一度だけチャンスをくれないだろうか? 私のことは失望してくれて構わない、だが――君をこのまま放っておくわけにはいかない」

「……わたしを馬鹿にして、楽しい?」

「なっ……」

 多分、青星先輩は本心からわたしを気遣ってくれたんだと思う。けれど、溢れ出した言葉は止まらなかった。

「もういいよ……人助けごっこがしたいならよそでやって。どうせ他人に解決できないことなんだから、これ以上手を出してわたしの生活をめちゃくちゃにしないでよ」

「……違うぞ、灰庭くん……!」

「ほっといてって言ってんの!」

 これ以上青星先輩の言葉を聞きたくなかった。また信じたくなってしまうから。

「なにがプリンスだよ……おとぎ話じゃないんだから、王子様なんてこの世界にはいないのに!」

「灰庭くん!」

「来ないでってばっ!」

 駄目だ。あの人の目を見るとどうしても期待してしまう。本当に王子様みたいに助けてくれるんじゃないかって……そんなことありっこないのに。

 わたしはお姫様じゃないんだから。



 8



「駄目だよ~? 揺籃のお嬢様がこんなとこに来ちゃ……」

「……え」

 再び青星先輩から逃げる為にめちゃくちゃに走り、気づけば人通りのない薄暗い路地に来てしまった。嫌だ、早く戻らないと……振り向いた先に立っていたのは、あからさまにチンピラっぽい格好の男たち。

「な、なんですか、あなたたち……」

「女の子がひとりでこういうところに来たら危ないよぉ?」

「揺籃生でしょ? お巡りさんに見つかったらお父さんお母さんに怒られちゃうんじゃない?」

 男たちは五人。めいめいににやにやといやらしい笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。や、やばい、逃げなくちゃ……しかしわたしの後ろは行き止まり。後ろに下がれば下がるほど、男たちに追い詰められる。

「スリルってやつ? そんなに退屈してたなら、オレらが遊んであげよっか」

「そーそー。楽しい遊び教えてあげるよ……」

「は、離してください!」

 男の一人に腕をつかまれた。ふりほどこうとするが、力じゃかなわない。抵抗すべくもがけばもがくほど、男たちの笑いは下卑ていった。

「大丈夫大丈夫。オレたちあれだよ、迷子の未成年を保護してあげるだけだから。怖くないよぉ?」

「おいでって。すぐ楽しくなるからさ」

「や、やだっ……! 助けて、誰かぁっ!」

 怖い。必死で周りに助けを求める。しかし周囲に人の気配はない。それでも叫んでいるわたしを、男たちはげらげら笑った。

「誰かって! 来るわけないじゃんこんなとこに、物分かり悪いねえ!?」

「最近のお嬢様は知らないのかなあ? ちょっと叫んだくらいじゃ、白馬の王子様は助けに来てくれないんだよ?」

「…………!」

 ……そうだ。助けなんてくるわけないんだ。ここはおとぎ話じゃない現実で、わたしはお姫様じゃなくて、王子様なんかどこにもいない……そんなの、ずっと前からわかってたじゃないか。あのとき助けてくれた王子様も、きっと夢かなにかで、また会えるってずっと待ってても結局来てくれなかった。

 誰もわたしを助けてくれない。

「……誰かっ……!」

「アハハ、だから来るわけないって……」

「いいや、来たぞ!」

 当たり前のように声がした。今度こそ聞き間違いだと思ったのに、その人はやっぱりそこにいて。

「……なんだ? お前」

「私はプリンス。王子様だ!」

 女の子のように小さい身体、しかし彼は凛とした青い瞳で自信満々に男たちを睨みつけている。まるで、本物の王子様みたいに。

「その子から汚い手を離したまえ!」

「なに? 君、この子の知り合い?」

「ヒーロー志望って奴? そういうの、小学生のうちに卒業しておきなよ」

 青星先輩が小柄だから、男たちもまったく警戒せずにやにや笑っている。なにか勝ち目があるのだろうか? いや、あるわけない。青星先輩たった一人で五人を相手になんてできるわけ……!

「先輩、逃げてっ……!」

「灰庭くん、確かにこの世界に王子様はいないかもしれない。だが、だからこそ、なろうと思うんだ。私が、王子様に」

「なにがプリンスだよ、頭プリンの間違いじゃないの!?」

 男の一人が先輩に殴りかかる。危ない、逃げて! わたしが叫ぶよりも青星先輩が倒れるのが早かった。

「うぐっ……!」

「よっわ! 君、王子様じゃなかったの? そんなんでお姫様守れんのぉ!?」

「ぐあっ!」

 倒れた先輩にさらに蹴りを入れるチンピラたち。助けなきゃ……しかしわたしの腕はつかまれたままで、足はがくがく震えて動けない。

「先輩っ!」

「私の手は人を殴るためじゃない、手を差し伸べる為にあるんだ……!」

「はいはい言い訳お疲れー。サンドバッグに転職したら?」

「うああっ!」

 脇腹をぐりぐりと踏まれてうめく先輩。このままじゃ先輩が……わたしのせいだ、わたしが先輩をこんなところに連れてきてしまったから……!

「大丈夫だ、灰庭くん」

 だけど――それでも青星先輩は王子様みたいに笑うのだ。

「私と、私たちを信じてくれ」

「…………!」

「うるさいなぁ君。ちょっと黙れよ」

 男の一人が上着からなにか取り出した。あれは……ナイフ!? 気づけば無意識のうちに叫んでいた。

「駄目ええええええええええっ!」

「おいっ、そこで何してる!?」

 どたばたと足音とともにそんな声がした。ちっ、と男たちが舌打ちする。帽子を目深にかぶった二人組の

お巡りさんが騒ぎを聞いて駆け付けたらしかった。

「た、助けてください! この人たちが……!」

「君たち、一体何をやってるんだ!? 傷害の現行犯で逮捕するぞ!」

 お巡りさんの片方が警棒を抜いた。しかしそれでも数で優っているチンピラたちは余裕そうな表情だった。

「やれるもんならやってみろっていうんだよ……!」

「おい、お前らがこいつをこんなふうにしたのか?」

 と、警棒を抜いていないほうのお巡りさんが唐突に言う。

「見ればわかんだろ! あぁ!?」

「そうか……なら、ここで俺が殴っても『正当防衛』は成立するな?」

「はぁ?」

 そのお巡りさんはつかつかとチンピラの一人に近づくと、拳でその頬を思いきりぶん殴った。

「ぐげっ!」

「ちょっと、何してるんです!?」

 警棒を持ったお巡りさんがもう殴ったほうを咎める。殴ったほうは快活に笑いながら、倒れたチンピラを踏んづけた。

「ハハハ、すまんな! 俺はやっぱりこういうやり方は苦手だ!」

 笑いながらお巡りさんが帽子を投げ捨て、制服のボタンをいくつか外す――お、黄堂先輩!?

「なんだお前、警官じゃないのかよ!?」

「見ればわかるだろう!?」

「わかるか!」

 混乱しながら黄堂先輩に殴り掛かるチンピラたち。しかし黄堂先輩は余裕の表情で敵の拳やらナイフやらを避け、逆にパンチや蹴りを的確に叩き込む。つ、強い!?

「まったく、本当に何考えてるんですかね、あの馬鹿は……」

 溜め息をつきながらもう片方の偽お巡りさんが帽子を脱いだ。露わになる長い髪に整った顔、宍上先輩だ。

「お前ら騙しやがったな!?」

「ええ、何か問題でも?」

「くそっ、まずお前からだ!」

 まったく悪びれずに微笑む宍上先輩に残ったチンピラがヤケクソ気味に襲いかかる。しかし、宍上先輩は持っていた警棒を剣道の要領でチンピラの胴にぶつける――警棒はまるでスタンガンのようにばちばち火花を出している!

「ぎゃああああっ!?」

「ああ、ちょうどよかった。馬鹿な部長に間抜けの部員、最近イライラしてしょうがないんです。あなた、サンドバッグになってもらえません?」

 壁に倒れ込んだチンピラにスタンガン警棒で追い打ちする宍上先輩。こ、この人、極悪だ……。

「青星、灰庭!」

「大丈夫、怪我してない!?」

 チンピラたちが全員再起不能に陥るのを見計らったように、白島先輩と小角先輩も走ってきた。倒れたままの青星先輩が小さく返事する。

「ああ。この通り、元気いっぱいだ」

「バレバレの嘘をつくな!」

 どうやら痛みで起き上がれないらしい青星先輩を白島先輩が担ぎ上げ、頭をかきむしりながらぼやいた。

「なんて無茶を……おれたちが来なかったらどうするつもりだったんだ」

「来てくれてありがとう。さすが、我らが美学部の美しい部員たちだ」

「……お前の尻拭いをするのがおれたちの仕事だ」

「灰庭ちゃん、大丈夫?」

 小角先輩に手を差し伸べられ、ようやく自分がへたり込んでいることに気づいた。ありがたく手を貸してもらい、立ち上がる。

「あ、ありがとうございます……でも、なんで……」

「楽土たちの格好のこと? う、ううん……」

「『元子役の宍上紅蓮と御曹司黄堂楽土が学校をサボって不良と喧嘩した』、なんてゴシップになったら困りますから。……そこの馬鹿のせいで台無しですけどね」

「ハハハハハゴペェ!」

 さりげなく裸になろうとしていた黄堂先輩にスタン警棒を向けながら嫌味っぽく言う宍上先輩。……警察のコスプレをするのもそれはそれでまずいと思うんだけど……。

「大丈夫だよ。警察や救急車はちゃんと呼んでおくからね」

 と微笑みながらスマホを操作する小角先輩。……い、いや、だから、そうじゃなくて!

「助けると約束したから、助けた。当然のことだろう?」

 白島先輩におぶられたままの青星先輩がわたしの心を読んだように言う。

「確かに、君の言う通りごっこ遊びかもしれない。でも、約束くらいは守りたいさ。約束を破るのは美しくない」

「で、でも……」

「ああ、そうだ!」

 と、青星先輩が何か思い出したかのように制服のポケットを探る。そこから出てきたのは――丸っこい鳥のぬいぐるみ。

「これって……」

「きみのものさ。ガラスの靴というわけではないが、王子様は忘れ物を届けに行くものだからな」

 そう言いながらウインクしてみせる。その仕草がまた、腹が立つくらい似合っていた。

「ま、馬鹿部長のせいであなたの身に危険が及んだから尻拭いしただけですよ。まったくこの人、口だけは立派なんですから」

「うわあ痛い! 脇腹はよしてくれっ!」

 宍上先輩に警棒でつつかれ悲鳴を上げる青星先輩。……でも……。

「……えっと、とにかく、美学部ってこういうところだから。もしまた困ったことがあったら、良かったら相談してくれるかな? 力になれるかどうかはわからないけど、全力を尽くすから」

「………………」

「朝のことが気になるか? 任せておけ、緑になんとかさせておく」

「ちょっ楽土!? やめてよ、オレもう情報収集で散々働いたじゃん!」

「お前の情報収集の結果があれだろう?」

「あれは使う側に問題があったと思うな!?」

「……あの」

 ふと、そんな声を漏らしていた。「なんだい?」と青星先輩がこちらを振り向く。

「あの、わたし――」



 9



「……おはよう、八木さん」

「ひっ!?」

 翌日、いつも通りに登校したわたしはたまたま近くにいた八木さんに挨拶した。……そして、この挨拶が『いつも通り』じゃあなかったことに気づく。

 クラスメイトにおはようなんていうの、いつ以来だろう。

「……あ、あのっ! おはようございます!」

 返事は来ないだろうな、と期待せずに自分の席に座ると、呂律が回っていない挨拶が返ってきた。びっくりして八木さんのほうを見てしまう。

「あ、あのね、灰庭さん……あたし、あなたに悪いこと、してたかも……」

「……八木さん」

「灰庭さんに何かされたことなんて一度もないのに、勝手に悪い人だって決めつけて……昨日灰庭さんのこと教えてもらうまで気づいてなかった。……ご、ごめんなさい」

 八木さんの言葉にはっと気づく。わたし、全然周りに自分のこと伝えてなかったんだ。最初失敗したから、何やっても無駄だって思い込んでて……努力なんて全然、してなかったんだ。

「あ、あのねっ! 灰庭さんちのペロちゃん、可愛いね! あたし、ワンちゃん好きなんだ。よ、よかったら今度、見に行っていいかな!?」

「……うん、ありがとう。わたしも犬、大好きだから」

 八木さんが安心したように微笑んだ顔はとても可愛かった。クラスメイトのことも全然、知らなかったんだな……。

「そ、そういえば、灰庭さん! 入る部活、もう決めた?」

「うん。あとで先生に書類出すよ」

「そうなんだ! ど、どこかなっ!?」

「さあさあ諸君静粛に!」

 と――教壇側の扉ががらりと開く。あれ、まだホームルームには早いはずだけど……颯爽とした足取りで教壇を歩く影を見て、思わず絶句する。

「昨日は諸事情で中途半端なところで終わってしまったから、今日は巻きで進行させてもらうぞ! 中学二年生から三年生までの灰庭くんがいかに美しかったか……!」

「………………」

「あ……昨日の、変な先輩……」

 昨日とはまた違う写真を黒板に貼りだしながら青星先輩――馬鹿王子は今日も王子様のように笑う。

「そうだ! 今日は素晴らしい報せがあるのだ! 諸君、なんと灰庭くんが我が美学部に入部してくれることになったのだ! さあ、盛大な拍手を――!」

「何しとんじゃこの馬鹿ーっ!」

「は、灰庭さん!?」

 またもや馬鹿を始めようとしていた馬鹿王子を引っ張って教室を飛び出す。廊下ではそれぞれ肩をすくめたり快活に笑って美学部員たちが待機していた。

 わたしの美しい高校生活はこれから始まる。

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