8 魔女のドレスを誰が着る ②

 5



 人脈、情報、仲介、交渉。そういった分野はもっぱらウィザード先輩の専門で――裏を返せば、わたしたちにはまったく心得のないことだった。烏丸先輩が求めているような『ちょうどいい人』……そんな人を上手く探して紹介できるだけの人脈や伝手がわたしたちにあるかと言われたら……うーん。

「小角先輩がいないと全然上手く回らないってつくづく実感させられますね、本当に……」

「お前ならなにかあてがあるんじゃないのか、遊び人め。毎日女と遊び歩いているんだ、一人や二人は紹介できるだろう」

「嫌ですよ。プライベートに美学部のことは持ち込まないって決めてるんです。遊び友達にこんな変人たちと一緒にいるのを見られたら、僕まで変だと思われるじゃないですか」

「貴様っ……!」

「ま、まあまあ! そう悲観するな、みんなで力を合わせればきっとなんとかなるさ!」

 とは言うものの……いったいどうしたものか。

「こんなときにいないなんて緑の奴も困ったもんだ。あとで愚痴を吐いてやれ、『お前がいなくてもこっちはなんとかできたぞ』ってな!」

 なんて快活に笑っていられるキング先輩が羨ましい。話し合いの結果、わたしたちは一旦手分けしてモデルを引き受けてくれそうな人を探すことにした。しかしろくにあてのないわたしが一人で動いてもしょうがないので、とりあえずキング先輩と一緒に行動することにしたんだけど。

「キング先輩はなにかあてがあるんですか?」

「ないな!」

 即答かよ。なんとなくそんな気はしてたけど、同伴する人を間違えてしまったかもしれない。

「心配するな。俺たちにはいざとなれば奥の手があるからな」

「え、奥の手?」

「ハハハ! 安心して大船に乗った気持ちでいればいい!」

 なんだ奥の手って。なんだか嫌な予感がして訊ねてみてもはぐらかされてしまう。

「とはいえ、一応探さないわけにはいかないか。しかし俺は友達が少ないからな、紹介できる知り合いなんて全然思い浮かばん。まったく、緑がいればなあ……」

「ウィザード先輩……」

「あいつは凄いぞ。自分じゃ謙遜してるが、頼めば大抵のことはなんとかしてくれる。だから友だちもたくさんいるんだろうな。俺とは大違いだ」

 廊下をぶらぶら歩きながら、目を細めて語るキング先輩。友だち……ウィザード先輩の友達、か。

「ウィザード先輩って、昔からああなんですか?」

「うん?」

 ウィザード先輩と長い付き合いならば、彼のことをきっと誰より知っているに違いない。少し前から心にわだかまっていた疑問をぶつける。

「みんなに対して優しくて、なんでもお願いを聞いてくれて、なのに、見返りなんか全然求めなくって……ウィザード先輩って昔からそうだったんですか?」

「………………」

 と――キング先輩は急に黙り込んだ。

「……先輩?」

「お前……あいつになにか言われたのか?」

 いつにないほど驚いたような、キング先輩の真剣な声に驚き、わたしは慌てて首を振る。

「い、いや、そんなんじゃなくって! ただ、その……ウィザード先輩って不思議なくらい優しいから、辛かったりしないのかなって、心配で……」

「……あいつか。あいつはな……」

 キング先輩はわたしの言葉に考え込むように眉根を潜めた。思えば、彼のそんな表情を見るのは初めてだった。不安になるほどの長い沈黙の後、キング先輩は小さく呟いた。

「知りたがりは良くない癖だぞ、かがり」

「え――」

「まあ、お前が心配してやることじゃないだろ」

 そう言ってわたしに見せた笑顔は普段通りの明るく豪快なもので、なんとなく抱いてしまった不安感が払しょくされてほっとした。

「あいつだって赤ん坊じゃない。嫌なことは嫌だと言うし、やりたくなければやりはしない。それに、お前は知らないだろうが、あいつは結構したたかだぞ? 俺たちの目に見えないところで案外手ひどく『見返り』を徴収しているかもな?」

「で、ですよね! そうですよね!」

 キング先輩のなんの根拠もなさそうな明るい発言が今はとても頼もしく感じる。今まで二人っきりになったことがなかったからわからなかったけど、彼と一緒にいると不思議と安心感を覚えることに気がついた。ウィザード先輩が散々振り回されながらもキング先輩とつるんでいる理由が少しだけわかった気がした。

「……だけどな、かがり。一つだけ忠告しておくぞ」

 しかし、ふいにキング先輩が放った一言にわたしは再び不安を胸にわだかまらせる羽目になった。

「知りたがりは構わんが、自分の物差しでは測れない人間がいる、ということを忘れるなよ? それに気づかずに人を測り間違えたとき、一番傷つくのはお前だ、かがり」

 そういえば、今日一日一回もキング先輩が裸になろうとしていないということにたった今気づいた。



 6



「ごめん、あたし委員会の仕事があるから、そういうのはちょっと……」

「そうだよね。こっちこそごめん、変なこと言って」

 だめもとで八木さんに頼んでみたが案の定断られる。もう頼れそうな人はいないし、どうしよう……。

「お前は確かかがりの友だちだったか? 仲良くしてやってくれよ、今度一緒にスパーリングでも付き合ってやれ!」

「え、す、スパーリング……?」

「き、気にしないで! この人ちょっと変わってるんだよ!」

 これ以上八木さんに変なことを言う前にキング先輩を無理矢理ひきずっていく。スパーリングなんてしないよ。不良じゃないっての。

「あいつ以外に話を聞いてくれそうな奴はいないのか?」

「いたらこんなに悩んでませんって……」

「そうか。だったらもう戻って他の奴らに期待するしかないな。そろそろ集合時刻だろ?」

 言われて時計を見ると、確かにあと十分ほどで前もって決めていた集合時間になるところだった。たった一時間そこそこで人を探して交渉するのがどれだけ難しいことか改めて思い知らされる。

「さて、他の奴らはどんな女を連れてきたんだろうな!」

 なんて偉そうな台詞、まったくなにもしていないキング先輩が言えたことじゃないと思うんだけど。

「すまん、失敗した……」

 被服室に戻ると、仮面の下で申し訳なさそうに目を細めたスワン先輩が所在なさげに立っていた。その隣にいるのは……街田、もといマチルダ先輩!?

「ファッションショーのモデルですって? そんな燃える仕事、この清貧系爆燃アイドルマチルダちゃん以外に誰がいるってのよ!」

 確かにプリンス先輩とどっこいどっこいの目立ちたがり屋のマチルダ先輩がこんな美味しそうな話放っておくはずなかった。先日の重労働を思い出しているのか、連れてきた――ついてこられた? スワン先輩はすっかり遠い目をしている。背や体型について充分問題なさそうだけど……。

「誰かと思えばアイドル気取りの街田じゃないの。こないだはよくもやってくれたわね……もうあんたの衣装なんか絶対に作らないわよ……」

「おかげで最高のステージにできたわ。ありがとね、クロちゃん先輩!」

「………………」

 烏丸先輩は目が飛び出しそうなほど強い目つきでマチルダ先輩を睨んでいる。あの服、烏丸先輩が作ったんだ……。

「……まあいいわ。今回は特別に水に流してあげようじゃない。で、スケジュールは大丈夫なんでしょうね。これから文化祭までの四ヶ月、定期的に打ち合わせしなきゃいけないのよ?」

「え、ずっと? 参ったわねー、七月はサマーライブがあるし八月はアイドル合宿に行かなきゃいけないし、九月からは文化祭ライブに向けて本格練習に入らなきゃいけないし……」

「帰れぇ!」

 マチルダ先輩にボビンを投げつける烏丸先輩。本人に意欲があってもスケジュールに都合がつかないんじゃ仕方ない。

「うぅ……すまない、遅れてしまったか……?」

 少しして、よろよろと疲れきった様子のプリンス先輩が戻ってきた。その腕をがっちりつかみつつも淑やかに大和撫子然として歩いてきたのは……氷女宮先輩!?

「うふふ……幸邦様ったら、あたくしに美しい服を着て主役になってほしいだなんて。もう式のことまで考えてくださっていたのですね……!」

 なんだかすごいポジティブな勘違いをしているっぽかった。

「あんたは氷女宮の箱入り腐れタカビーお嬢様ね……私みたいな下賤なブスと一緒にいたら服が汚れるわよ……」

「まあ、本当だわ! なんて卑しい顔つきの人ですの!? こんな方と同席したら育ちを疑われてしまいますわ!」

「一生箱から出てくるなぁ!」

 氷女宮先輩にフェルト片を投げつける烏丸先輩。上から目線と自虐キャラの会話、噛み合いすぎて逆にまったく成立しないんだなあ……。

「なによあんたたち……手ぶらで帰ってくるわ、連れてきたと思ったらろくなのじゃないわ……ほ、本当にやる気あるんでしょうねえ……?」

 ついには額に青筋を浮かべてわたしたちを睨んでくる烏丸先輩。こ、怖い……こうなったらまだ戻ってきてないビースト先輩に期待するしかないけど……。

「言っておきますが、僕はベストを尽くしましたからね」

 と、言い訳っぽい発言をしながらビースト先輩が戻ってきた。彼が後ろに連れているのは……えっ?

「初めましてぇ。あなたが烏丸センパイですかぁ?」

「……あら。今度のはそれなりにまともそうじゃない」

 長く伸ばした茶髪にぱっちりとした瞳。背はやや小柄ながらもすらりと伸びた手足。その姿はどこからどう見ても美少女だ。美少女、だけど……。

「……なにやってんの、森屋」

「やだ、灰庭さん!? やーん、そんな怖い顔しないでよぉ」

 きゃらりんきゅぴんと可愛らしく媚びっ媚びのポーズを決める森屋日向。間違いない、こいつは妹の方じゃない。女装趣味持ちの性格が悪い森屋兄だ。

「宍上センパイが困ってるって言うからぁ、なにかなーって聞いたら、モデル? を探してるって言うじゃないですかぁ。ボク暇だしぃ、助けになれたらなぁ、って思ってー」

「ふん……見た目もまずまず、スケジュールもOK。口調が生理的に受け付けなくて不思議なくらいムカつくけど、まあいいじゃない。あんた、名前は?」

「森屋日向ですっ! よろしくね、センパイ!」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと!」

 とんとん拍子に話が決まっていくが、これで本当にいいの!? 慌ててビースト先輩にアイコンタクトを送るが、先輩は諦めたように首を振った。

「最初は妹さんの方に声をかけたんですがねえ。妹にやらせるくらいなら自分がやるって森屋君がうるさくて。面倒だったのでそのまま連れてきました」

「し、しかし、彼は男だろう!?」

「いいんじゃないですか? 本人も乗り気みたいだし。黙ってりゃバレませんよ」

 い、いや、採寸とかするときにバレちゃうんじゃ……? はらはらするこちらをよそに烏丸先輩たちの面談はどんどん進む。

「……しかしあんた、本当むかつくくらい可愛いわね。なんだかあいつ思い出すわ……」

「やだー、ありがとうございますぅ。あいつって誰ですかぁ?」

「あいつって、そりゃ……ええと、誰だったかしら……まあ、いいわ。とにかく他に候補もいなさそうだし、あんたに頼もうかしら……」

「おっと、決めるのは俺たちが連れてきた候補を見てからにしてもらおうか?」

 と――烏丸先輩の言葉を遮り、キング先輩が口を開いた。え、でも……候補って、誰?

「な、なに言ってんのよ……? 手ぶらで帰ってきたくせに、一体誰を見ろって言うのよ。幽霊でも連れてきたわけ?」

「なに言ってるはこちらの台詞だ。手ぶらでも幽霊でもなく、ちゃんとここにいるだろうが。なあ?」

 なんて言いながらキング先輩はぽん、とわたしの肩を叩いた。

 ………………え?



 7



「「はああああああああああああああっ!?」」

 烏丸先輩と声が重なる。スワン先輩も目を見開き、ビースト先輩は驚きのあまりいじっていた髪の毛を引き抜いてしまっていた。

「な、なにを言っているんだキング!? き、きみはつまり……シンデレラをモデルの代役として推薦しようというのか?」

「うん? なにかおかしいことを言ったか?」

 全員から驚愕の眼差しを浴びているキング先輩はいつも通りに飄々としている。

「かがりは女だ。ちょっと背は高いが、体型はそれなりに整っている。まあ、胸は少し平べったいがな」

 うるさいよ。胸のことはほっといてよ。

「ま、まあ、小憎ったらしい目つきに目をつぶればまあそこまでブスじゃあないのは認めてあげるけど……」

 目つきも関係なくない?

「かがりが信頼できる女だっていうのは俺たちが一番よく知っている。なら、変によく知らん女や男を紹介するよりはよっぽど誠実なはずだ」

「え……男?」

「あーん、黄堂センパイったら、なんでバラしちゃうのぉ?」

 呆然とする烏丸先輩に女装野郎がぺろりと舌を出す。こ、こいつ……。

「い、いや、ちょっと待ってくださいよ! わたしの意思はどうなるんですか!?」

 そもそもわたしはモデルなんてやるつもりはない。大勢の前でなにかするのはわたしの一番不得意な分野だ。入学初日の自己紹介のようにとんでもない大失敗をやらかしてしまうに決まってる!

「お前、塾とか習い事とかやってるのか? アルバイトとか?」

「し、してませんけど……」

「じゃあ、絶対断る理由はないだろ。目の前で困ってる人がいて、助けられない理由もないのに放っておくのは美しくないことなんじゃないのか?」

「それもそうかもしれないな……」

 プリンス先輩が納得したように頷く。いやいやいやいや。

「恥ずかしいんですか? 別に大丈夫ですよ。貴女に変に喋ったり演技したりなんて要求はされません。普段通り鬼みたいな形相でステージ歩いてればすぐに終わります」

「……誰もお前をおかしいとは思わない。心配するな」

 面倒臭くなったのかビースト先輩とスワン先輩まで便乗し出す。うるさいよ。誰が般若だよ。

「お前がどうしても嫌だ、って言うなら無理強いはしないがな。だが……」

 と、キング先輩は急に困ったような顔つきになった。

「お前が断るなら、もう緑に頼るしか方法はなくなるぞ? ただでさえ忙しい緑にまた頼って無理をさせたいのか、かがりは?」

「うっ……」

 確かに、もうみんなアテはないみたいだし、あとはウィザード先輩の人脈に頼るしかなくなるのか……ウィザード先輩を引き合いに出されると言葉が出ない。

「ちえー、噛ませ犬にされるために呼ばれたなんて聞いてないって。そういう方向で話が決まるならボク帰るね?」

「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ! あんた本当に男なのっ!?」

 可愛らしく頬を膨らませながら出て行こうとする森屋兄を引き留めようとする烏丸先輩。

「気になるなら……確かめてみる?」

「………………」

 あざとくスカートのすそをひらめかせる森屋兄。烏丸先輩はあんぐりと眼と口を開いたまま沈黙した。なんというか……ご愁傷様、なんて台詞はわたしが言えたものじゃあないけど。

「さあ、どうするクロエ? あとはお前の決断次第だが」

 完全に面白がっているふうにキング先輩が訊ねる。烏丸先輩はしばらく黙りこくり、かと思えば唸りだし、苦虫どころか口の中に入るだけの虫全部を噛み潰してしまったような顔で悩んだあと、ようやく口を開いた。

「……仕方ないわね。そこの不良少女で妥協してあげるわ」

 だ、妥協……。引き受けるのも嫌だけど、こうも嫌々了承されるのもそれはそれで癪だ。

「た、ただし妥協するのは人選だけよ!? 私の赤ちゃんを着てもらうからには中途半端なんて絶対に許さないんだから! 生まれてきたのを後悔するくらいに美しくさせてやるわ……!」

「は、はあ……」

「なんて凄まじい気概! さすがは烏丸先輩だ、良かったなシンデレラ!」

 結局わたしがやることになってしまったらしい。プリンス先輩は能天気にはしゃいでるけど、正直不安しかない。やっぱり断ろうかな……。

「心配するなよ、かがり」

 迷っていたわたしの肩を再びキング先輩が叩く。

「キング先輩……」

「あいつに無理をさせたくないなら、まず俺たちが成長しなくちゃならん。あいつに頼ってもらえるくらい頼もしくなった姿を見せてやろうぜ?」

 そう言って、キング先輩はポケットから携帯を出した。スマホじゃなくて折り畳みのガラケー、それもびっくりするくらい古い型だ。

「ええと……カメラはどこにあるんだ?」

「自分の携帯なのに知らないんですか?」

 しばらくいじってようやくカメラ機能を見つけたらしく、携帯を裏返すとわたしの肩を抱いて写メを撮る。って、いきなりなに!?

「メールはどこだ……くそ、これだから機械は面倒だ。おい、メール出てこい!」

「スマホじゃないんだから呼んでも出てきませんよ……」

 どうやら写メを誰かに送るつもりらしい。機械音痴らしいキング先輩はやっとのことでメールを見つけると、ぽちぽちと不器用に文字を打ち込んでいく。

「『お前なしでもなんとかしてやったぞ』、と……これでよし!」

「誰に送るんですか?」

「緑だよ。寝込んでるあいつに発破をかけてやろうと思ってな」

 メールがウィザード先輩に送信される。なんだ……やっぱりキング先輩もウィザード先輩が心配なんだ。だからってなんでわたしとの写メを送るのかわからないけど。

「な、なに人前でいちゃついてんのよ。嫌味なの? そんな暇があるならさっさとこっちに来て採寸させなさいよ。骨肉そぎ落として無理矢理サイズを合わせられたいの……?」

「採寸してくださいお願いします!」

 慌てて烏丸先輩のところへ行く。こ、怖すぎる……流されて引き受けちゃったけど、こんな人の服のモデルするってもしかしなくてもめちゃくちゃ大変なんじゃないの?

 ウィザード先輩に頼らないようにするのはもちろんだけど、まずは断るべきことはきちんと断れるように成長しなくちゃいけないかもしれない。

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