8 魔女のドレスを誰が着る ①
1
「ねえ知ってる? 『白い絵本』!」
ホームルーム終了直後の教室の隅から賑やかな女子達の笑い声が聞こえてくる。噂好きで事情通なウィザード先輩ならこういうのも喜ぶのかな、と荷物の片づけをしながらぼんやり耳を傾けた。
「またオカルト? ほんと
「違うって。みー先輩も言ってたし!」
「どーせ怖い話でしょ? やめてよぉ~……」
学校の七不思議とか、怪談とか、そういうたぐいの話だろうか。以前依頼で関わった『図書室のアリス』事件を思い出すと眉唾物だ。
「学校のどこかに真っ白の、なにも描かれてない絵本があって、それに願いを書き込むと叶うんだって!」
「真っ白なのに絵本なの? おかしくない?」
「願いが叶うって、本当に? なんでも?」
「うん、なんでも叶えてくれるんだって。ただし……」
と、永世は幽霊のように両手を前に突き出して垂らし、にやりと怖い笑みを浮かべる。
「白い絵本を使った人は、願いを叶えた代償にこの世界から消えちゃうんだって~!」
「きゃーっ! やだー、つーちゃんやめてよー!」
「あっほくさい。本当に消えたら大騒ぎになるでしょ」
同感だ。今時小学生だってそんな怪談怖がらない。
「最近休んでる人多いじゃん? 白い絵本を使って消えちゃったのかも……」
「やだー、怖いってばー!」
「季節外れの風邪が流行ってるだけ。夏風邪は馬鹿が引くっていうし、永世もそんな馬鹿みたいなこと言ってたらかかっちゃうかもよ」
怪談話はともかく、風邪が流行していることは事実だった。インフルエンザだのノロウィルスだの、季節外れとは言いつつ毎年のように流行っている気がする。そろそろ暑くなってくるのに自分まで熱出して寝込むなんてごめんだ、わたしも気をつけないとな……と携帯を手に取ると、通知が来ていることに気がついた。
ウィザード先輩からだ。
『件名:ごめん
本文:たすけて』
「え……?」
2
あまりに只事ではない文面にぎょっとしたが、真相はそこまで物騒なことではなかった。もちろん、当事者であるウィザード先輩にとっては一大事なんだけど。
「あいつは結構体が弱いからな。年に十回は風邪引いてるんじゃないか?」
というキング先輩の言はさすがに大袈裟にしても、夏場でも厚着なウィザード先輩はやっぱり病気に強くない体質のようだった。最近校内で流行している風邪にかかって授業中に倒れてしまったウィザード先輩は発熱や頭痛で混乱するあまり、あのような文面を部員に一斉送信してしまったということらしい。家の人に迎えに来てもらって今は無事に家で休んでいるが、当然部活はお休みだ。
「ウィザードに心配をかけぬよう、彼がいなくともしっかり活動しないとな! さて、紅茶のポットはどこにあったかな?」
なんてプリンス先輩は張り切っているが、お茶の準備にしろ依頼人の対応にしろ諸々の段取りにしろ、重要なことのほとんどを取り仕切っているウィザード先輩が欠席しているなんてそれだけで不安だ。
「うわーっ! 手にお湯がかかったーっ!」
「おい、なんで青星にポットを持たせた!?」
「僕は止めましたよ! ていうか、どうやったら自分の持ってるポットのお湯を手にかけられるんです!?」
……ものすごく不安だ。
「ハハハ! なあにあいつのことだ、俺たちが心配ですぐに風邪を治して出てくるだろ!」
キング先輩は目の前のどたばた劇にも動じず豪快に笑っている。それにしても、妙にウィザード先輩のことに詳しいな?
「お、言ってなかったか? 緑とは小学校からの付き合いだからな」
……マジか。キング先輩はウィザード先輩、正反対の二人がよくつるむのが不思議だったけど、そんなに長い付き合いだったのか……。
「と、とにかく、今日は活動はやめときませんか? 風邪も流行ってるみたいですし……」
こんな状態で依頼が来ようものならどうなるかわかったものじゃない。活動の休止を進言するが、スワン先輩に火傷した手を冷やしてもらっているプリンス先輩は首を横に振った。
「それはできないな。今まさに我々の助けを待っている人がいるのだから!」
「えっ?」
「もう既に依頼を受けてしまってるんですよ。倒れる前に小角先輩が段取りしてくれていたんです」
苦々しい顔つきでビースト先輩が紅茶を淹れている。か、風邪にかかっても如才のない人だ、ウィザード先輩……。
「まったく素敵な先輩ですよ、自分の体調が悪い時ですら仕事を優先するなんて。ああいう人のせいでこの国の労働環境は改善されないんでしょうね」
「こらこら、病人に対してそんなふうに言うのは美しくないぞ、ビースト。それから、私の分の紅茶はミルク多めで頼む」
「カルシウムと身長の伸びに直接的な因果関係がないってことご存じありませんか?」
「なにっ!?」
不服げに顔をしかめながら、ウィザード先輩と比べるとたどたどしい手つきでみんなの分の紅茶を淹れていくビースト先輩。決して不味いわけじゃないのだが、いつも飲んでいる味と比べると少し微妙に思えてしまう。
「……よりによって、小角先輩がいないときにあいつの相手をしなければならんのか」
「………………」
プリンス先輩の手に氷を当てながらスワン先輩が重苦しい声で言う。その発言に場の雰囲気がさらに暗くなったように感じられた。
「こらっ、スワンまで! 他人をそんなふうに言うもんじゃない! 失礼だぞ!」
「最初に失礼をしてきたのはあいつだ」
「同意見ですねえ。親しくない相手にすら礼儀がない人間に敬意なんて払えませんよ」
このあいだのマチルダ先輩ほどではないにしろ、なんだかずいぶんな言われようだ、いったいどんな人なんだろう、その依頼者さんは。
「愉快な奴だぞ? 見ていて飽きない面白い女だ!」
「貴方に言わせれば余の大半の女性がそうなるでしょうね」
あっという間に紅茶を飲み干してまったくあてにならなそうな人物評を披露するキング先輩に、はあ、ため息をつきながらおかわりを注いであげているビースト先輩。
「まあ、多少頑固なところはあるが、根が悪いわけじゃない。話せばわかる奴だ、なんとかなるだろ」
「うむ、そうだな! ウィザードがいなくてもきっとなんとかしよう、きっと!」
ポジティブというにはあまりに能天気な両者の発言に、スワン、ビースト両先輩はますます深いため息をついた。
3
このプロフを見て想像できる烏丸先輩像といったら、おおむね『暖炉の傍でマフラーを編んでいそうなふわふわ穏やか女子』って感じだろうけど――もちろん、そんな優しい人なら先輩方がああも邪険に思うはずがなく。
「な、なんで来たのよ……どの面下げて、性懲りもなく、ノコノコと……」
「なんの話だ? 私に下げられる顔といったらこのなによりも美しい顔しかないぞ!」
「なによ、嫌味なの? ええ、ええ、あんたそりゃあお綺麗な顔よねえ……ブスの私をそうやって見下しに来たんでしょう……?」
……なんというか、強烈だ。
ほとんど手入れの痕跡が見られない、腰まで伸びた真っ黒の長髪。美白というよりは不健康に白い顔。真っ黒いくまに囲まれた目は充血し、ぎらぎらと妙な眼光を放っている。本来えんじ色のはずの制服の代わりに黒のブレザーを羽織った身体は痩せ細っていて、荒れた畑にぽつんと一体だけ立っているかかしを思わせた。
「なによ、そこの女……『手芸部ってわりには全然おしゃれに気を遣ってるように見えないし、むしろ小汚いブスだわ』って思ってるのね? うるさいわね、そんなの言われなくても私が一番わかってるわよ……」
言ってないよ。……ちょっと思ったのは本当だけど。
ブス……というのはさすがに言い過ぎでも、一見で思わずぎょっとしてしまう見た目に加え、妙にヒステリックで卑屈な発言ばかりを繰りだす暗く低い地獄の底から響くような声。とてもじゃないが『フランス人の母を持つハーフのファッションデザイナー志望の女子高生』には見えない。
「ふん……美形共が揃いも揃ってぞろぞろと……薄汚い不細工の根城になにをしに来たのかしら。引き立て役が欲しいの? 私なんかじゃ花畑に落ちた鳥の糞程度の視覚効果にしかならないでしょうけどね……」
「あんたが呼び出したんじゃないのか、烏丸先輩」
ぶつぶつと、ほとんど独り言のようになにやら文句を言っている烏丸先輩に耐えかねたようにスワン先輩が口を開いた。
「あんたがなにか用事があって、小角先輩からおれたちに依頼した……そういう話だったはずだ」
「ふん、うるさいわね……不細工のくせに美形におもねってる変人。一緒にいれば自分の顔も良くなるとでも思ってるのかしら」
「……誰が、不細工だと」
「違うの? じゃあ……その変な仮面を取ってみなさいよ。晒せる顔があるっていうのなら」
「………………」
スワン先輩は黙り込む。次に前に出たのはビースト先輩だった。烏丸先輩に見られないように舌打ちし、首をごきごき鳴らし、手のひらで少し顔面を揉んでから、とびっきりに爽やかなイケメンスマイルを浮かべて話しだす。
「そんなひどいこと言わないでください。僕たちは貴女を助けるために来たんです」
「今度は誰……ああ、演劇部の腹黒ホストね。いくら私みたいなブスでも、そんな薄っぺらい笑みにはごまかされないわよ……」
は、腹黒ホストって……。
「……烏丸先輩は僕のこと、そんなふうに思っていたんですか?」
「中身のない言葉で人を弄ぶ最悪の人種だわ。ち、近寄らないでよ、性格の悪さが移るじゃない……」
いつものビースト先輩だったら「移すまでもなく貴女の性格もなかなかのものでしょう」なんて言っただろうけどイケメンモードの彼は軽く苦笑しただけで受け流す。後光や光の微粒子すら発生させる神々しいまでのイケメン笑顔っぷりに烏丸先輩も少したじろいだ。
「な、なによ……」
「僕は貴女の味方です。ブスだなんて……そんなふうに自分を卑下しないでください。そうやって自分で自分を傷つけちゃいけない……」
ビースト先輩が烏丸先輩の手を取る。びくり、と身体をすくませるも、烏丸先輩は拒もうとしない。もしかするとどうしたらいいのかわからないのかもしれない。ビースト先輩はまるで王子様がお姫様にプロポーズするときのようにうやうやしく烏丸先輩の手を持ち上げ、柔らかく目を細めた。
「貴女はとっても綺麗です。大丈夫……どうか、自信をもって……」
「ぅ、あ、ぁううううう……」
烏丸先輩は顔を真っ赤にして身をよじらせる。めっちゃ薄っぺらい笑みにごまかされていた。駄目じゃん。
「き、綺麗なんかじゃないわよぉ、私は……」
「お前が綺麗か綺麗じゃないかはどうでもいいが、そろそろ本題に入らないか?」
と、欠伸しながら言ったのはキング先輩だった。がりがり頭をかいたりワイシャツをめくりあげてお腹をかいたり、ロマンティックもへったくれもないデリカシーゼロっぷりにビースト先輩が醸し出した少女漫画オーラも吹っ飛んだのだろう、烏丸先輩は正気に戻って慌てて手を離した。
「そ、そうね……仕方ないわね、話せばいいんでしょう、話せば……」
「いつもはもうちょっとスムーズに話が進むんだが……ウィザードがいないから、な……」
キング先輩を軽蔑したように睨みつける烏丸先輩に、プリンス先輩は困ったように笑みを作った。しかし、ここまで人当たりの強いだったとは。スワン先輩やビースト先輩が本気で嫌がっていたのも頷ける。こんなに面倒臭い人でもウィザード先輩の如才なさなら上手く話を運べるんだろうか?
烏丸先輩の根城――もとい被服室。現在の揺籃学園では美術同様、家庭科系のカリキュラムもほとんどなくなっているため、現在被服室を使っているのは手芸部だけのようだ。その手芸部もまともに活動しているのは烏丸先輩だけで、つまりここは実質烏丸先輩の作業部屋と化してしまっている。
おそらくは他の特別教室と同じくらいの広さのはずだけど、そのスペースの大半は烏丸先輩の作品らしい服を着せられたトルソーやマネキンやらが埋め尽くしている。その他にも布やら端切れやらボタンやら、相当ごちゃごちゃに散らかった部屋だけど、不思議と不潔な印象を感じないのは烏丸先輩のセンスの良さだろうか。おいてある服はほとんど女物で、それもドレスとかワンピースとか……お姫様が着てそうな、綺麗な服だった。
「さ、触るんじゃないわよ……」
思わず見惚れていると、烏丸先輩が怖い声で釘を刺してきた。
「その子たちは私が心を込めて作った作品……赤ちゃんみたいなものなんだから。変に手垢でもつけたら殺すわよ、全身の皮膚を剥がしてやる……」
こ、怖い……。
「あんたたちを呼び出した用だったわね。今度の文化祭で私の作品の展覧会があるの、知ってるでしょ……?」
全然知らなかったけど、正直に言うとまた面倒臭いことになりそうなので黙って頷く。
「うむ、烏丸先輩ならばきっと今年も美しく素敵なショーにしてくれるだろうな!」
「と、当然よ。私はともかく、私の赤ちゃんたちはなにより美しいんだから。でもね……いないのよ」
「いないって、誰が?」
「バカじゃないの……洋服を見せる展覧会なのよ。ショーなのよ? 服っていうのは、誰かが着て初めて輝くものでしょ……」
ということは、いないっていうのは……。
「烏丸先輩の服を着る、モデル?」
「わかってるじゃないの、不良少女。せっかくもう少しで作品が全部完成するのに、肝心のモデルがいないのよ」
不良少女じゃないよ。
「しかし、烏丸先輩には専属のモデルがいるのではなかったか? ええと、誰だったか、三年の……」
「一昨日から連絡がつかないのよ……学校に来ない、電話にも出ない、LINEもメールも読んだ形跡なし……」
つまり、行方不明ってこと? え、それってかなりヤバいんじゃ……?
「流行りの風邪にかかって寝込んでるんじゃないですか? 本当に行方不明ならもっと大事になってるでしょう」
ビースト先輩の発言にはっとする。そっか、そりゃそうだよね。
「どうしていなくなったかはどうでもいいのよ。問題は……いなくなった奴の穴をどうやって埋めるか。これから打ち合わせだの丈や裾を合わせたりだのしなきゃいけないのに、いない奴をアテにしてたら始まらないのよ……」
なるほど、話が見えてきた。烏丸先輩が頼みたいことというのは、つまり。
「モデルの代役を探してきてちょうだい……なるたけ早く、早急にね……」
4
モデルの代役、と言っても……。
「わかった! ここは誰より美しい私が人肌脱ぐしかないな!」
と、話半分でさっそくブレザーを脱いでいるプリンス先輩。もう突っ込むのも面倒臭い。
「本当バカね。私が作ってるのは女物よ? ああ、そりゃああんたならレディースも問題なく似合うんでしょうけど……」
「に、似合うわけないだろう!? 私は男だぞ!?」
いや、残念だけどプリンス先輩なら普通に似合っちゃうと思う。
「代役を頼むなら、そのモデルと似たような体型の方がいいはずだ。身長、体重、胸囲、ウエスト……いったいどんな体型だったんだ、そいつ」
スワン先輩の言葉に、烏丸先輩は頭痛をこらえるような仕草をする。
「そ、そうね……ええと、彼女、彼女は確か……」
「覚えていないのか。専属で、付き合いも長いんだろう?」
「さ、最近忙しくて疲れてるのよっ! ……そうだ、思い出したわ。彼女は少し背が低くて……ちょうどそこの不良少女の頭半個分小さいくらいね」
わたしが今百六十五センチだから……大体百五十台の半ばってところ? 確かにちょっと低いけど、そのくらいなら探せば普通にいそうだ。
「スタイルは良かったわね。バストもウエストもヒップも、嫌味かってくらい綺麗に整ってた。ふん……どうせ私はブスで貧乳で……」
「背が低くてスタイル抜群ですか。いかにも男受けしそうなビジュアルですね」
「そうなのよっ! あいつ、可愛い顔してとんでもないクソビッチで……って、今そんなことどうでもいいのよ! なに言わせんのよ!」
烏丸先輩が勝手に言ったんじゃん。
「と、とにかく……体型はあんまりこだわらなくていいわ。よっぽどノッポとかデブじゃない限り、あとからサイズは合わせられるんだから。それより重要なのは、文化祭まで定期的に打ち合わせができること。あいつみたいに途中でぷっつり音信不通になられたらごめんだもの……」
条件をまとめると、『百五十センチ台半ばくらいの背の女子』『文化祭までに打ち合わせが定期的にできる、さほどスケジュールが詰まってない人』……そんなに難しくなさそうだけど、どうかなあ。
「ちょうどよさそうな女を見繕ってクロエのところへ連れてくればいいんだろ? 簡単だな!」
と、頭をかいていつものように楽天的に言うキング先輩。しかし、ビースト先輩は難しい顔をする。
「いや……どうでしょうね」
「うん? どうしてだ、ビースト?」
「だって、よく考えてみてくださいよ――僕たち、人に誰か紹介できるほど人脈あります?」
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