7 夢に向かうは炎のごとく ②

 5



「おれの仕事は終わったぞ……」

「とりあえず五十部は刷れましたよ。もう終わりでいいですよね?」

「お疲れ白島! そのまま出来上がったやつから配りに行くわよ! 宍上はあと百五十部刷ってきて!」

 翌日もマチルダ先輩の台風っぷりは勢いを衰えず、昨日の作業で疲れ切った先輩たちを容赦なくこき使う。

「待て。黄堂はどうした。小角先輩は」

「前々から予約が入っていたテニス部の助っ人だそうです。悪運の強い人たちですよ、本当に」

「つべこべ言わずにさっさと持ち場につく! で、できたビラはこれね? どれどれ……うん、さすがね! 今まで作った中でも最高の出来! 白島に頼んで良かったわ!」

「………………」

 自分がでかでかと映ったビラを絶賛するマチルダ先輩にスワン先輩は黙ってがりがり頭をかく。本人的には気に入らない出来なのかな……?

「び、ビラ配りなら任せてくれ! 世界一美しい配りテクニックを披露してあげようとも!」

 昨日なにがあったのか、げっそり頬をこけさせたプリンス先輩が熱心に立候補する。だが。

「アンタは風紀委員をなんとかするのが仕事! ほらさっさと行ってきなさい!」

「いやだあああああああ! もう勘弁してくれえええええええ!」

 泣きわめくプリンス先輩を容赦なく廊下に放り出すマチルダ先輩。あ、哀れだ……。

「配る、のか……おれが、これを……」

 昨日のように選挙チックなアピールはしていないが、今日もやっぱり周囲からの視線が気になる。アイドル風の改造制服を着たマチルダ先輩が目立つのは当然だけど、画材で汚れたエプロンと仮面を装着したスワン先輩が人目を引かないはずがない。

「目立つのはいいけど、これじゃあ客引きってより客ドン引きって感じよねえ。アンタのそれ、どうにかなんない?」

「なにがだ」

「そのお面よ。なんでアンタそんなの被ってるの」

 と――マチルダ先輩が背伸びをしてスワン先輩のお面に手を伸ばす。すると。

「触るな」

 ぱしん、とマチルダ先輩の手を払いのける。その仕草があまりに冷たく唐突で、思わずぎょっとしてしまった。

「触るな」

 スワン先輩はもう一度そう言うと、ちゃんと顔が隠されているか確認するかのように仮面に触った。

「……悪かったわね。そんな大事なものなら、別にいいわ」

 マチルダ先輩もなにか察するところがあったのか、顔を引きつらせながら身を引いた。

 スワン先輩の仮面。部活のときも絵を描いているときも、食事のときもおそらく授業を受けているときも決して外さず、思えば彼の素顔を見たことは一度もない。他の先輩たちも言及しないし、なんとなく聞きづらい話だったから今まで話題に出したことはないけど……どうしてスワン先輩は仮面を被っているのだろう?

「しかし困ったわね。ビラ配りしようにも受け取ってもらえないんじゃ話にならないし。んー……」

 と、マチルダ先は眉根を寄せて腕組みし、やがて妙案を思いついたように手を打った。

「そうだ、手分けしましょう! 白島は壁にビラを貼って、配るのはアタシと新入りちゃんがやればいいわ!」

「は、はあ……?」

「ん、待って? どうせ人手を割くなら配るのも別々にやったほうが効率的よね? じゃあ……」

 マチルダ先輩はビラを大雑把に三等分し、それぞれ自分、スワン先輩、わたし、と渡していく。

「えっ――」

「頑張ってね新入りちゃん! 期待してるわよ!」

 異論を一切受け付けない爽やかな笑顔で言う。マジかあ。



 6



「ど、どうしたの灰庭さん? アイドル? ライブ?」

 お願い、何も聞かずに受け取って。ゴミでも裏紙でも好きにしていいから。

「へー、アイドル? 変わったことする人もいるんだねー。ボクも挑戦してみよっかな?」

「あんまり目立つことしないでよ、お兄ちゃん……」

「イツキも一緒にやろうよ。カワイイっておねーさんたちから人気出るかもよ?」

「で、出るわけないよっ!」

 確かに人気は出るだろうけど、ファンになった人が可哀想だからやめてほしい……。

「なんですの? アイドル? そんな低俗なものにこのあたくしが興味を示すとでもお思い? 氷女宮家の娘たるこの氷女宮雪那が!」

 すみません、あなたを訪ねたわたしが間違ってました。

 そんなこんなで手当たり次第に知り合いをあたり、ようやくビラを半分まで減らすことができた。もうこれで勘弁してもらえないかなあ、と憂鬱な気分で減りそうにない残り半分を見る。

「ちょっといいかな?」

「はい!?」

 いきなり声をかけられて驚き振り向く。声の主はよく日に焼けた肌と塩素で少し脱色した髪を持つ女子生徒、生徒会の副会長浪越先輩だった。と、その隣には見覚えのない男子生徒を連れている。

「え、えーと……」

「そんなにかしこまらないでよ。大したことじゃないからさ」

「少々お時間を頂いてもいいでしょうか」

 浪越先輩の隣の男子生徒が抑揚のない声で言う。まるで機械のアナウンス音声のような、感情のこもっていない声だった。

「ああ、こっちは笛吹くん。生徒会うちの会計だよ。ちょっと人慣れしてなくて不器用だけど、悪い子じゃないから」

「よろしくお願いします」

 ぺこり、と機械音が聴こえてきそうなほど不自然な動きで会釈する笛吹先輩。確かにちょっと変わった人のようだ。

「校内で怪しい広告チラシを配る不良風の女生徒がいる、という通報があったのですが、あなたのことでしょうか」

「ええっ!?」

 頭を上げた次の瞬間にとんでもないストレート剛速球を投げてきた!?

「ちょ、笛吹くん直球すぎ……ごめんね灰庭ちゃん、この子言葉選びが下手でさ」

「わ、わたし不良じゃないですよ!?」

「大丈夫、わかってる。ちょっとそのビラだけ確認させてくれるかな?」

 苦笑しながら言う浪越先輩にビラを渡す。笛吹先輩は特になにも思っていない風に浪越先輩の肩越しにビラを見つめている。有切先輩といい、生徒会もなかなか困った人が多いんだな……。

 それにしても通報って……ビラ配りしてたのが怪しまれたのか。なるべく目立たないようにしたつもりだったんだけどなあ。明日クラスでなんて言われるか考えたくない。

「アイドルね……街田ちゃん、今年もやる気なんだ……」

「ご存知なんですか?」

「まあね。去年は大変だったよ」

 複雑そうに笑う浪越先輩。考えてみれば生徒会選挙は十一月だから、去年の二学期の終業式を取り仕切ったのは浪越先輩たちということになる。被害をもろにこうむっているのにご存知もなにもあるわけがない。

「やめてって言っても聞いてくれないだろうし、どうしたもんかなあ……こんなときに限って小朱こあきはどっか行っちゃってるし、あの有切クズは相変わらず仕事しないし……」

 はあ、とため息をつく浪越先輩に笛吹先輩が無感情に話しかける。

「浪越先輩。この案件は解決した、と見做していいのでしょうか。ならば、次の案件に向かうべきでは」

「わかってるって。まったく、今日は忙しいなあ……」

「まだなにか変な通報があったんですか?」

 生徒会も大変だ、風紀委員会はなにをやってるんだろう……って、ああ……。

「うん。廊下で騒いでる生徒がいるっていうんだけど……」

 ……なんだかもう嫌な予感しかしないんだけど。

「てめえおちょくるのもいいかげんにしろ! そのパツキン墨汁で染めてやろうか!」

「ひいいいい! 許してくれっ! 私にも事情があるんだあああああ!」

 風紀委員とおぼしき生徒に追いかけられている半泣きのプリンス先輩にその予感が当たったことを知る。ああ、哀れだ……身内であることを忘れたいくらいに。



 7



「もう風紀は嫌だ……もう嫌だあ……」

「しばらく印刷機は見たくありませんね……」

「せめてあと少し時間があれば……」

「みんな頑張って、今日で最後だよ……」

「暇だな。腹筋でもするか」

 ついにライブ当日の金曜日。体育館の舞台袖に揃った面々のほとんどは既に屍と化していた。連日風紀委員や生徒会に追いかけられながらビラを配ったり、こっそり体育館をライブ仕様に改装したり、周囲から好奇と奇異の視線で見られまくったり……これで疲れないほうがどうかしている。

「なっさけないわね。ちょっと一週間働いただけでこれ?」

 部員たちと同じくらいに動き回っていたはずのマチルダ先輩は屍どころか疲労の兆候がまったく見えないほどぴんぴんしている。一週間はちょっとじゃなくない? いったいどうなってるんだろう……。

「まあいいわ。あとはライブして体育館の後片付けをするだけ。気合入れていきましょ!」

「「「「おー……」」」」「おう!」

 キング先輩だけは相変わらず元気良く返事する。あなたもあなたでいったいどうなってるんだ。

「さーて、オーディエンスはどのくらい集まったかしらー?」

 開演時間まであと三十分。そろそろお客も入って来たはず……と舞台袖から客席を覗く。さて、あれだけ連日広報活動に勤しんだのだからお客もたくさん集まったはず、と期待して見てみれば。

「……………………」

 がらがらだった。精々十人そこそこが広い体育館の中でまばらに立っているだけ。た、たったこれだけ……?

「まあ、いきなり知らない子のライブやるなんて聞いて行きたがる人のほうが少ないよね……」

 疲れ切った顔で笑うウィザード先輩。確かにそうだけど、必死に宣伝した身としてはこんなのあんまりだ。

「い、今からでも客引きを……」

「無駄でしょう。無意味に時間と体力を消耗するだけですよ。そもそも、僕らがそこまでやってやる理由がありますか?」

 ひどすぎる惨状に駆け出そうとするわたしをビースト先輩が止める。でも……これだけしかいなかったら、マチルダ先輩も満足しないんじゃ……?

「……まあまあってところね。オッケー、準備してくるわ!」

「ええっ!?」

 ふむふむと頷いて舞台裏に走っていく。い、いいの!? これだけしかいないのに!?

「数は関係ない、ってことだろ」

 いつのまにかギターを担いでいるキング先輩がふとそんなことを言った。

「あいつ、前に言ってたぞ。『来るかどうかわからない百万人のことを考えるより、来てくれた一人を全力で幸せにしたい』ってな。そりゃあ一人でも多く来た方が嬉しいが、ライブは今いる観客ファンのことを考えないとな」

「今を……全力で……?」

「だな。だからあいつは面白い! あいつのむちゃくちゃはいい、夜空に打ち上がった花火みたいにまっすぐブレずに気持ち良く弾ける。だから俺はあいつが好きだ」

 キング先輩はギターを爪弾く。経験があるのだろうか、今まで弾いてる姿見たことないけど。

「これか? 燐に伴奏を頼まれてな。やったことはないがバイオリンみたいなもんだろ?」

「全然違うよ!? ちょっと大丈夫なの本当に!?」

 おぼつかない手つきでギターとアンプをコードで繋いでいる。頼むほうも頼むほうだし頼まれたほうも頼まれたほうだ。

「夢に燃える奴は良い! 俺もああなってみたいもんだ!」

「まったく……」

 ウィザード先輩が帽子をいじりながら放送室へと向かう。もうすぐ開演の時間だった。

「みんな~っ! 来てくれてありがとう! アタシとっても感激だよ~っ!!」

 ライトアップされたステージ上でアイドル衣装をまとったマチルダ先輩が言う。マイクの音量もうるさすぎない程度に調整され、体育館によく響く。

「イエーッ! マッチー最高! 世界一可愛いよーっ!」

「ありがとーっ!」

 なにやら熱心なファンがいるようで、ペンライトを振りながら声援をあげている。マチルダ先輩は手振りでそれに数えると、舞台袖に合図を出した。放送室の中のウィザード先輩が頷く。

「それじゃ、今日も精一杯頑張るから、みんな最後まで応援よろしくね! 一曲目は『マチカドディライト』!」

 スピーカーから流れだした音楽に合わせてマチルダ先輩が踊りだす。聴いたことのない歌だ、先輩の自作曲だろうか? 『全力で努力した』と豪語しただけあって、歌も踊りもテレビの中のアイドルと遜色ないくらいに上手い。

「はいはい、そこまでだよ」

 しかし――それも長くは続かなかった。

「生徒会!?」

「アイドルライブね。楽しそうなのは結構だけど、使用許可ちゃんと出てなかったよ?」

「許可なく体育館を使用することは校則に違反しています。ただちに活動を中止してください」

 浪越先輩と笛吹先輩が体育館へと入ってくる。しかしマチルダ先輩はマイクを手放そうとしない。

「なによ、許可ならちゃんと取ったわよ? ね、会長」

「会長!?」

「L・O・V・E! ラブマッチー! ……え? なに?」

 熱心にペンライトを振っていたファン……もとい有切会長が振り向き、浪越先輩たちの姿を見て顔面を蒼白に染める。

「……どういうこと? 有切」

「や、やあ、奇遇だね浪越さん……おっとそういえば今日は用事があるんだった……」

「有切先輩、説明を要求します」

 そそくさと逃げ出そうとするキリギリス会長の肩をしっかりつかむ笛吹先輩。

「本日の業務を休んだ理由は祖母の急病と聞きましたが、貴方のお婆様は大丈夫なのでしょうか。もしかして虚弁を用いて業務を不当にサボタージュした、ということでいいのでしょうか。虚言でないのであれば、どうしてお婆様の元ではなくここにいらっしゃるのでしょうか」

「え、えーと、えーと……」

「体育館使用許可もあんたが適当にでっち上げたんだね? クズだクズだとは思ってたけどここまでとは……」

 生徒会の二人に挟まれ冷や汗をかくキリギリス会長。生徒会長が仕事をサボってライブに参加って……。

「こ、これには深い訳があるんだよ! ねえマッチー!?」

 大慌てでマチルダ先輩に助けを求めるも。

「……嘘ついて仕事サボるのってサイテー。ないわー……」

「うええええええ!?」

 思いっきり軽蔑の眼差しで見られて撃沈。当たり前だった。

「はあ……しょうがないわね。正式な許可が出てなかったんだったら仕方ないわ。最後にあと一曲だけやっておしまい、ってことで勘弁してくれない?」

「まあ、そのくらいならいいよ。今度はちゃんと許可取りに来てね、この馬鹿以外に」

 マチルダ先輩は意外にも素直に承知する。浪越先輩は頷き、馬鹿もとい有切会長を睨みつける。

「……あーりーぎーりー?」

「そ、そんな怖い顔しないで……可愛い顔が台無しだぜ……?」

「こんなときだけふざけたお世辞言ってんじゃないよ! ほらさっさと戻るよ!」

「行きましょう先輩。貴方がサボタージュした業務と書類を処理しなければなりません」

「ひいいいいいいい~~~っ!」

 二人にしっかりホールドされ、宇宙人よろしく引きずられていく。哀れさは一切なかった。自業自得だった。

「はあ……みんなゴメンね。アタシの不手際でライブが台無しになっちゃった。せっかく来てくれたのに……」

 マチルダ先輩は残念そうに溜め息をつきながら舞台上から頭を下げる。今の騒ぎで元々少なかった観客がさらに減っていたけど、そこは指摘しないほうが良さそうだ。

「いきなり最後になっちゃったけど、終わりまで全力で歌うから聴いていってほしいな。今日初めて発表する新曲、『トロイメライ』! 燃えていくわよーっ!」

「おう!」

 と、舞台袖から飛び出したキング先輩がギターを構える。不安とは裏腹に、意外としっかりとした演奏を始めた。

「『子供の頃に見た夢は 今じゃただのマボロシなの? オトナになった忘れん坊が アタシのこと笑う……』」

「……凄い人だ、本当に」

 数えるほどもいない観客に向けて一生懸命に歌うマチルダ先輩を舞台袖から見つめながらプリンス先輩が呟いた。

「自分を曲げず、引かず省みず、ひたすら夢へ向かって突き進む……私も、あんなふうになれたらいいのだが」

「えっ?」

 プリンス先輩はそれ以上なにも言わず、ただ強張った表情で舞台上のマチルダ先輩を見つめ続けた。やがて歌が終わり、汗だくになったマチルダ先輩が観客たちに再び頭を下げた。

「みんな、本当にありがとうっ!」

 こうして、美学部とマチルダ先輩の怒涛の一週間がようやく終わった。



 8



 というわけにはいかなかった。

「てめえら散々校内にビラなんかバラ撒きやがって! とっとと片付けろ! 全員バリカンで五分刈りにしてやろうか!?」

「ひいいいいいっ!?」

「えっ!? あと一時間でバレー部とバスケ部が体育館に来るって!? 早く片付けないと!」

「このギターとアンプってどこから借りてきたんですか……」

「家に帰るまでがライブです、ってね! みんな、後片付けも気合入れてくわよ!」

 使用許可が下りていないということは当然他の部活が使用しに来てしまうわけで。おまけに連日配っていたビラをそのままにしておくわけにもいかず。当然それらを片付ける羽目になるのは、ここまでお膳立てした美学部なのだった。

「色々邪魔は入って思うようにいかなかったけど、今回も最高のライブだったわね! 次もお願いね、美学部!」

「「「「「もう勘弁してください……」」」」」「おう!」

 次は絶対に彼女からの依頼は受けるものか、と約一名を除く部員全員が心に誓った。

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