7 夢に向かうは炎のごとく ①

 1



 揺籃学園における放送委員会の存在意義は非常に謎だ。

 朝会・集会で司会進行をするわけでもなく(ほとんど生徒会がやっている)体育祭や文化祭でなにかするわけでもないらしく。しいて活動らしい活動を挙げるなら、昼休みの時間に音楽を流すくらいだ。小中学校ならともかく、携帯やゲーム機に好きな曲を入れて持ち歩けるこのご時世、そんなのそこまでありがたがられるようなことじゃない。

 だから、わたしのようにひねくれた生徒からすると「放送委員ってなんのためにいるの?」って感じだったんだけど――ある日の昼休み、その考えを改めざるをえなくなった。

『ハイハーイっ! リスナーの皆さんこんにちは! お昼ご飯は美味しいですか?』

 それまで流れていた流行りのJPOPが突然中断され、そんな声が聴こえてきた。まるでラジオのMCのような語り口にリスナー、もとい生徒たちがざわつく。

『初めての人は初めまして! お久しぶりの人はまた会えてうれしいなっ! 清貧系爆燃アイドル、マチルダちゃんでーす!』

 清貧系爆燃アイドル。本来出会うはずのない三つの単語が出会ってしまった。

 じゃなくて、なにこの放送!?

『今日はみんなに大事なお知らせがあります。今度の金曜日、体育館でアタシのデビュー一周年、そして活動再開を記念した特別ライブを行います! アタシの一年の集大成、絶対見に来てね!』

 こちらの困惑もお構いなしとばかりに謎のトークをする自称アイドルマチルダさん。しかし、それも長くは続かなかった。

『入場特典は……ちょっと、なによアンタたち!?』

 と、放送に妙な物音が混じりだす。どうやら誰かが放送室に入ってきたらしい。

『またあんたか! いいかげんにしてくれ!』

『放送室はきみのスタジオじゃないぞ!』

『なによ! ただCD垂れ流してるだけのアンタらよりよっぽど有意義に使ってるじゃない! ちょっと、放しなさいよ!』

『いいから早く出て行ってちょうだい!』

 そんな感じのもみあいが少し続いたあと、誰かが放送機材を操作したのかぶっつり音が途切れた。音を発さなくなったスピーカー同様、教室はしばらく静まり返っていた。

「ありゃ確かに放送委員必要だわ」

 誰かがぽつりとつぶやいた言葉に心の中で『いいね』を押した。



 2



「急げーっ! 彼女が来る、彼女が襲来るぞーっ!」

 その日の放課後。部室に向かったわたしが見たのは、先輩たちがなにやら大慌てで荷物を片付けている光景だった。

「……なにしてるんですか?」

「シンデレラ、きみも手伝うんだ! きみの稀代の整理整頓テクニックを今こそ我々に見せてくれ!」

 そんなの期待されてもまったく身に覚えないんですが。

 なにも持たずにわちゃわちゃ右往左往しているプリンス先輩はさておき、他の部員に目を向ける。描きかけのキャンバスや完成品の絵や彫刻、自分の作品をえっちらおっちら片付けているスワン先輩。ソファやテーブルなどの大荷物を協力して部屋の隅に移動させているビースト先輩とキング先輩。食器類やお茶、お菓子を箱の中にしまっているウィザード先輩。まるで引っ越し準備でもしているようだ。

「あの、これいったい……」

「悪いけど説明はあとでね。今はとにかく部室の物を片付けて。あの子が来る前に」

「あの子?」

「今日は美学部は休部だ! 命が惜しければ早く部室を空っぽにするんだーっ!」

 と、人助けと余計なお世話が大好きなプリンス先輩が言うのだから只事じゃない。命が惜しいとか、いったい誰が来るって言うんだろう。大怪獣でもやってくるっての?

 誰に訊いても要領を得なくて首をかしげていると、部室の扉がノックされた。反射的に開けに行こうとしたわたしをビースト先輩が止める。

「やめてください! 人生を棒に振る気ですか!?」

「この先の人生がかかってくるような事態なんですか!?」

「うわーっ! もうだめだ、おしまいだーっ!」

 頭を抱えてうずくまるプリンス先輩をスワン先輩が慌てて物陰に引っ張っていく。気がつくと他の部員も荷物やなにやらに身を隠している。ロッカーの中に隠れながらウィザード先輩が叫ぶ。

「シンちゃんも早く隠れて!」

「そ、そんなこと言われても……!」

「えーい、まどろっこしいわね!」

 と――ずっと鳴っていたノックが止み、がらりと扉が開かれた。その声がお昼に聴いた“自称アイドル”のものだと気づいた時にはもうなにもかもが手遅れだった。

「アンタたち、アイカツするわよ!」

 なんかとんでもない人が来てしまったらしかった。



 3



「……あれ、アンタ知らない顔ね? 美学部の新入り?」

 フリルとかパニエとか、いかにもアイドルらしく改造された制服に、校則違反に抵触してそうな色に染まったサイドテールの髪。どう見ても私立名門進学校にいちゃいけない風体だけど、目がぱっちりとして整った顔と綺麗な曲線を描いたスタイルを見れば確かにアイドルを名乗ってもおかしくない。おかしくはないけど……なんでアイドル名乗ってるの?

「か、彼女は違うぞ! 通りすがりの少女Aで、美学部とはなんの関係もないぞ!」

 と、プリンス先輩が彫刻の陰からひょっこり顔を出す。「なーんだ、ちゃんといるんじゃない」と自称アイドルさん。

「せっかく客が訪ねてきたっていうのに居留守なんか使ってんじゃないわよ」

「ち、違うぞ! 私は美学部部長プリンスではない、ちょっと美しすぎる彫刻その一なのだ!」

 その言い訳がまかり通ると本気で思っているなら一周回って逆に尊敬してしまう。

「そ、じゃアイツはいないのね? だったら今日からアタシが世界一美しい人間ってことになるわね!」

「違う! 世界一美しいのはこのプリンスだ!」

「………………」

「あっ」

 世界一しょうもない手に引っ掛かったプリンス先輩は負けを認めたのかすごすごと彫刻の陰から出てくる。他の先輩方もロッカーやソファや天井の隅(!?)から姿を現す。ほんといったいなにやってるんだろう。

「ちょっと、本当にどういうつもり? 依頼人が来たのに居留守使ってやり過ごそうなんて全っ然美しくないやり方なんじゃないの?」

「それはその……我々にも拒否権とか、人としての気持ちがあるというか……」

 目を吊り上げて威圧的に言う自称アイドルさんに対してもぞもぞもごもごとなにやら呟く。そもそもこの人は何者なんだろうか。

「二年B組の街田燐まちだりんちゃん……」「街田じゃない、マ・チ・ル・ダ!」「……マチルダちゃん」

 いつものように解説を始めようとしたウィザード先輩をすかさず訂正する自称アイドルさんもとい街田先輩……もといマチルダ先輩。ま、まちだだからマチルダ……?

「見ての通りでアイドル志望の子で」「志望じゃないわ、現役よ!」「……学校の中でアイドル活動してて」「いわゆるスクールアイドルってやつね!」「……体育館や講堂を借りて」「目指すは武道館ワンマンライブよ!」「……ごめん、オレの手に負えない」

 解説を続けようとしたものの喋る端から話の腰をへし折られ、ついにウィザード先輩が諦めたように項垂れた。こ、この人色んな意味でただものじゃない……!

「えっと……それで、マチルダ先輩はどういったご用件で?」

 このままではらちが明かなさそうで自分で訊ねてみる。マチルダ先輩は「よくぞ聞いてくれたわね!」と嬉しそうな顔。

「昼休みの放送は聴いたでしょ? 今度の金曜、ライブするのよ」

「またずいぶん急ですね」

 不機嫌そうに壁にもたれているビースト先輩。マチルダ先輩に対してイケメンモードを使う気はないらしい。

「去年散々風紀委員に締め上げられたのにまだ懲りないんですか?」

「もうろくでもないことに巻き込まれるのはごめんだぞ」

 同じく険しい表情のスワン先輩。プリンス先輩も悲壮な顔つきで頷く。

「ああ、あれは忘れもしない昨年のクリスマスイブ! ゲリラライブと称して終業式間近の体育館をライブ仕様に改装する荒業! 宣伝のために校舎中にばら撒かれたビラ! それらを用意するために連日泊まり込みで作業させられた我々美学部! 案の定怒られて生徒指導部に呼び出され、危うく廃部や停学沙汰になりかけた悪夢! 思い出したくもない、辛く苦しい日々だった……!」

「大袈裟ねえ。ちょっと先生に怒られただけでなによ」

 いやいや大袈裟じゃないよ。停学だよ? しかも泊まり込みって……校舎に?

「我々はこの一件で深く深く反省したのだ! いくら人助けといえど、我々の身に余るような依頼は引き受けてはいけない、と! 残念ながらマチルダくん、きみの依頼は引き受けられない!」

「街田……マチルダちゃんだってあのあと大変だったでしょ? もう変なことはしちゃだめだよ」

 必死で説得を試みる先輩たち。しかし、そんな常識的な対応が通じる相手ではなかったようで。

「反省だったらアタシもしたわ。確かに許可を取らずに体育館を占拠したのはまずかったわね。アンタたちを無計画に連徹作業させたのも悪かったと思ってる」

「なら……」

「安心して! 今回はばっちり計画を立ててきたわ! 許可ももぎ取ってきたわよ!」

「え……」

「金曜日まであと四日! 今からやればビラ二百部くらいは余裕で作れるわよね!」

「えええ……」

 反省……? 計画……?

「た、助けてくれキング! このままではあの悪夢の三日間が再来してしまう!」

 ついに説得を諦めてキング先輩に泣きつくプリンス先輩。けれど助けを求める相手を致命的に間違えていた。

「ハハハ、いいんじゃないか? この半年間、燐の奴が静かでつまらなかったからな。一周年なんだろ、ぱあっと騒ぐのも面白そうだ!」

「キング~~!?」

「さすが良いとこのお坊ちゃんは余裕があって話が分かるわね!」

「こうなったらオレたちだけでもなんとか……!」

 ウィザード先輩がビースト、スワン先輩にこそこそ話しかけている。えっ、わたしは既に巻き込まれ決定?

「あら、逃げるの? 別にいいけど、じゃあ青星と黄堂先輩は借りてくわね」

「なんだと!?」

「ひいいいい~!」

 と、いつのまにかマチルダ先輩にがっちり捕まえられているプリンス先輩。青ざめた顔でぶるぶる震えながらそれでも殊勝なことを言おうとしている。

「わ、私のことはいい! きみたちだけでも早く逃げるんだ!」

「青星……!」

「部長を置いて逃げるのは美しいやり方じゃあありませんねえ……」

「くっ……プーちゃん……!」

 悔し気にうなだれる三人にプリンス先輩が申し訳なさそうにはらはらと涙を落とした。

「みんな、すまない……!」

 なんだこれ。

「決まりね! アンタたち、アタシのアイ活を全力でサポートしなさい!」

「おう!」

 と、キング先輩だけが元気良く返事をする。結局今回もマチルダ先輩の依頼を受ける羽目になってしまったようだった。



 4



「白島はビラとポスターのデザイン! 黄堂先輩と宍上は印刷と運搬作業! 青星は風紀委員に目くらまし! 小角先輩と新入りちゃんはアタシと広報活動! 以上解散!」

 マチルダ先輩にてきぱきと班分けされ、気づいたら言われるがままに働かされていた。どうして先輩たちはああ言いながらも反抗せず素直に従っているのか疑問だったけど、いざ自分の身に降りかかってみると本当に有無を言わせない勢いだとわかる。確かにこれならうっかりそのまま徹夜させられても抗えないかもしれない。

「コンピューターグラフィックは専門外だ……」

「原稿が上がるまで暇だな。スクワットでもするか」

「せめて演劇部の練習に顔出すくらいの時間はくれますよね?」

「ちょっと待て! 目くらましっていったい何をすればいいんだ!?」

「やればなんとかなるわ! みんなファイト!」

 部員たちから上がる抗議の声をざっくばらんな精神論でスルーし、マチルダ先輩はわたしとウィザード先輩を引き連れて校内を歩く。広報活動っていったってなにをすればいいのだろう?

「清貧系爆燃アイドルマチルダ! 清貧系爆燃アイドルマチルダをよろしくお願いしまーす!」

「よ、よろしくお願いしまーす……」

 選挙かよ。

 プラスチック製のメガホンで叫びながら延々廊下を練り歩くわたしたち。たまにすれ違う人たちの「なにやってんだこいつら?」みたいな視線が痛いほど刺さる。

「ちょ、ちょっと! これじゃ目立ちすぎますよ! なんかほかにないんですか!?」

「広報活動なのに目立たなくてどうすんのよ」

 そりゃあそうかもだけどさ。

「それにしたってやり方だよ……こんなに目立っちゃって大丈夫? この半年間、ずっと風紀委員に目をつけられてて大変だったんでしょ?」

 周囲からの視線に恥ずかしそうに帽子をおさえながらウィザード先輩が言う。聞くところによるとどうやら例のクリスマスライブ以降、当然先生たちや風紀委員から注意を受けたマチルダ先輩は、アイ活……もといアイドル活動を自粛せざるをえないほどにがっちりと監視されていたのだという。だったらなんで復活したんだ。

「そのための青星よ。あいつも風紀に目をつけられてるから陽動にはぴったりでしょ?」

 数日前のテスト明け、風紀委員長に尾行されていたプリンス先輩を思い出すとまったく反論の言葉が浮かばない。

「それに最近、委員長が元気なくって委員会もなんだか大人しいみたいだし? 復活ライブには絶好のチャンスよ」

「先生たちにはなんて言い訳したんですか……?」

「全国模試で一位取った証明書とこないだのテストの結果見せたら黙ってくれたわよ」

「え」

 どうかした? とでも言いたげにきょとんとした顔のマチルダ先輩。全国模試……一位!?

「街田ちゃん、こう見えて勉強も体育も学年トップなんだよ……揺籃うちの売りは『生徒の自主性』だからさ、上位成績を保ってるうちはよっぽど変なことしなければ見逃してもらえるんだ」

 楽土とかね、と声を潜めながらも苦笑する先輩。そんな緩くていいの? 名門私立進学校?

「逆に言えば、クリスマスの件はそういう『見逃してもらえないよっぽど変なこと』だったわけだけどさ……」

「なによ、アイドルが変なことだっての?」

「い、いや!? そういう意味じゃなくってさ!?」

 しっかりこちらの話に耳をそばだてていたマチルダ先輩ににらまれ、ウィザード先輩は大慌てで否定する。最近気づいたけど、この先輩は上から強気に出られると途端にヘタれるみたいだ。

「せっかく頭が良くて運動神経も抜群なんだから、アイドルだけじゃなくってもっといろんなことに挑戦したらいいのにな……っては思うよ?」

 『アイドルなんかやってたら宝の持ち腐れじゃない?』をウィザード先輩らしく如才なくオブラートに包んで言い換えるとこんな風になるんだ。マチルダ先輩はしかしその言葉にうんざりしたように唇を尖らせた。

「ほんっと、みんなおんなじこと言うわよね。無茶だとか無謀だとかは良いとして、アタシを思いやってるみたいに忠告するのは気に食わないわ。アイドル目指してちゃ幸せになれっこないぞって? もっとマトモな道選べって? バッカみたい。それって『世間』が言ってる幸せを押し付けてるだけでしょ? アンタたちが信じてる幸せが正しくなきゃ困るってだけでしょ?」

「………………」

「アタシはね、アイドルでありたいの。ううん、ただのアイドルじゃない。キラキラ燃えて輝いて、見る人に夢を与えられるアイドルになりたい。それがアタシの幸せ。勉強も運動も、そうあるために努力したの。全部アタシが、アタシの夢を叶えるため。外野が自分の物差しで測った価値観で口出さないでよ」

 マチルダ先輩はきっぱり言い放ち――ウィザード先輩は痛いところを刺されたように唇を噛み、沈黙した。

「勉強も運動も、全部アイドルになるために?」

「そうよ新入りちゃん。アンタも女の子アイドルの端くれなら覚えときなさい。絶対叶えたい夢があるならできる努力は惜しまずやれってね!」

 女の子アイドルって。また無茶なルビを振ってくれるし、大袈裟だし。

「甘いっ! この業界はそんなに優しくないのよ、『みんなトモダチ、みんなアイドル』ってわけにはいかないの! ぼやぼやしてたらすぐにライバルにファンを奪われてあっという間に転落しちゃうんだから!」

 とりあえずわたしがアイドルを目指していることを前提に話をするのをやめてほしい。

「そういうわけで、今できる努力は全力でやってくわよ! マチルダでーす! マチルダをよろしくお願いしまーす!」

「よ、よろしくお願いしまーす……」

 その後もあれこれ説得を試みたけれどどれも上手くいかず、その日はひたすら選挙みたいなPR活動を下校時間になるまでやらされた。

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