17 悪女の靴にかしずいて ②

 4



「だああああ! 本当にあんのかよ!?」

 全然見つからない。

 ゴミ山にはさまざまなゴミが転がっていた。壊れたイーゼルとか、学校机とか、バイオリンだかビオラだかの弦楽器、野球バットにサッカーボール……ひとつひとつは大したことなくても、それらが積み重なってできた山を切り崩すのはとんでもなく疲れた。

「きみたちの捜し人は、きみたちにとってどういう存在なのかね?」

 背の低い猫さんは掘り返したゴミの山にすっかり隠れてしまい、どこにいるかもわからない。

「その人のことを強く想いながら、探すんだ。この世界で何より重要なのは『想い』なのだからね」

 想い……。

 プリンス先輩。どナルシーで、かっこつけの見栄っ張りで、そのくせ小心者で権力に弱い。積極的だけどドジばっかりだし、何考えてもいっつも裏目に出て、威勢は良いけど全然行動が伴ってない。

 だけど、先輩はわたしを見てくれた。捻くれ者で口ばっかりで性格も悪いわたしを、何も知らない頃から、あの日までずっと。信じて、助けてくれた。

 だから、今度はわたしが先輩を助けたいんだ。悩みがあるなら、困ってるなら、少しでも力になりたい。

 だから――

「……あっ!」

 ゴミをかき分けている指先に何か触れた。冷たく硬い、微かな感触。だけどそれが、“そう”だって確信があった。急いで触れた方向をかき分ける。

「見つかったかね!?」

「わかんないけど……!」

 邪魔なゴミを取り除いて、やっと“それ”が姿を現す。間違いない、これだと思う。だけど、見つけ出したわたし自身困惑していた。なんなんだろう、これ。どうして、『これ』なんだろう?

 重い金属でできた、拳大の塊だった。いびつなラグビーボールみたいな形で、先端から短いパイプみたいなものが何本か出てる。教科書とかで見たことある。これ、心臓だ。触っていると、微かにだけどばくばくと脈打っているのがわかる。

 黒っぽい、小さな金属の塊に、最後に見たプリンス先輩の姿が重なった。

 ……まさか、これって。

「――――…………」

 『心臓』はわたしの手の中でずっとばくばく動き続けている。手のひらに収まる、こんなに小さなものがなぜだか無性に恐ろしくて――だけど放り出すこともできなくて、わたしはその場で硬直した。

「……少女よ、どうしたのかね?」

 ゴミ山をかきわけて猫さんがやってくる。

「それは?」

「え、えっと……」

「……クソッ!」

 大神の声とともにゴミ山が崩れる音がする。わたしは心臓をとっさにポケットに入れて隠し、大神のほうを見た。

「大神?」

「なんでだよ……なんで思い出せねえんだ!」

 ゴミを殴りつけている大神の手は、既に血が滲んで真っ赤になっていた。そんな手になるまでゴミ山を掘り返していたんだ。

「クソッ、クソッ……! 覚えてんだ、覚えてんだよ! あの人のこと、オレが忘れるわけねえんだ! なのに、どうして……!」

「大神……」

「あの人は……あの人は……」

 大神は顔に脂汗を浮かべて苦しそうな表情をしていた。……今だったらわかる。先輩が突然いなくなって、自分でも忘れかけていた時の気持ち。

「あの人は、オレを見てくれたんだ。見た目だけで嫌わないで、普通に接してくれて、それが当たり前みたいに。押車中の不良とか、育ちの悪さとか、そんなの関係ねーって。オレはオレだって言ってくれた。あの人がいたから、オレはまともになりたいって思ったんだ。勉強して、喧嘩もやめて、あの人と一緒にいても変じゃない奴になろうって」


「だから……オレがあの人の顔を忘れるわけがねえんだよ……!」


 大神は、見た目はいかにも不良っぽいけど、少なくとも押車中の中ではそこまでのワルじゃなかった。

 ただ――お父さんが極道だとか、お母さんが水商売の人だとか、なんだか変な噂ばっかり立てられてて、それで喧嘩を売られたりして、結構大変な目に遭ったことも多いみたいだった。そんなことをしてると、当然周りに人も寄り付かないし、荒れた生活をしてると当然大人からの視線も厳しくなる。押車中であいつの話をまともに聞いてる奴はほとんどいなかったと思う。

 勉強嫌いなあいつが揺籃学園に受かるなんて、きっと相当な努力したに違いないんだ。そのきっかけが、大神の言う『あの人』だったのなら――それを失った時の気持ちは、いったい。

「……少年」

 猫さんが大神に一歩近づいた。……そのときだった。

「――なっ!?」

「うおっ!?」

 突然上からなにかが降ってきて、猫さんと大神の間を分断するようにゴミ山に衝突した。降ってきたのは――斧、それも巨大な、全長二メートルはありそうなものだった。

「なんだよこれ……!」

「あら、外れてしまったわ」

 ぎょっとして斧を見つめていると、同じく上からくすくすと笑っている女の声が聴こえてきた。そんなことがありえるのだろうか? でも確かに、その女はゴミ山の遥か上空に浮かんでいた。

「安心して? 次はちゃんと当ててあげるから」

「な、なんだてめえ!? いきなりなにしやがる!」

 女の周囲には降ってきた斧と同じ大きさの斧がいくつも浮かび、踊っているかのようにくるくる回っている。信じられない。宙に浮かんでいることや、斧もそうだけど、わたしは彼女の顔に見覚えがあった。

「踊瀬、先輩……」

「あら、あなた。どこかで見た顔ね」

 ひどくつまらなそうな顔になってわたしを一瞥したのは、いつかのとき、車椅子でピアノを弾いていた踊瀬先輩だ。たなびくスカートから覗くすらりと細く長い脚にぴかぴか光を受けて輝く赤い靴を履いて、踊瀬先輩は悠々と

「面倒が増えたわね。まあいいわ。ここでまとめて片付ければいい話。さあ、死んでちょうだい?」

「まずい! 少女よ、逃げろ!」

 踊瀬先輩がぱちんと指を鳴らすと、宙に浮かんでいた斧たちが一斉にこちらを目掛けて降ってくる。わたしたちはわけもわからないまま逃げる。どん、がしゃん、と斧がゴミ山に降りそそぎ、ゴミ山が崩れていく。猫さんが身軽にゴミ山を飛び跳ねながら目を見張る。

「あの靴は……間違いない、魔女の魔法だ! 人間の少女がどうしてあんなものを!?」

「いやだ。また外したわね」

 踊瀬先輩はくすくす笑いながら、視線を大神のほうへ向けている。大神は辛うじて外れてゴミ山に食い込んだ斧の隣で這いつくばり、目を白黒させている。

「なんなんだよてめえ……オレを殺ろうってのか!?」

「あなた、本当に運が良いのね。望者の大群からどうやって逃げ延びたのか気になってたけど、その運の良さなら納得したわ。あなたを消すには、念入りにしなくちゃいけないようね」

「まさか、あの望者たちはきみがけしかけたのかね!?」

「あら」

 と、そこで初めて踊瀬先輩は猫さんに気づいたのか、少し眉をひそめて猫さんを見た。

「変な姿ね。あなた、従民キャスト? どうして従民が人間とつるんでるのかしら。まあいいわ。邪魔するならあなたもまとめて消してあげる」

「消すって……」

「大神羊太くん、だったかしら。あなたね、目障りなのよ。はそのまま忘れていればいいものを、大騒ぎして周りに触れ回って。そのせいでが増えてしまったわ。これ以上騒ぎを大きくされると面倒なの」

 踊瀬先輩の周りに黒い雲みたいなもやもやがいくつか現れる。すると今度は、その雲からなにかがぼたっ、ぼたっとゴミ山に落下してきた。望者……!?

「どういうことだよ!? まさか、まさか……あの人を消したのは!」

「“あの子”に会いたいんですって? あの子と同じに、望者そいつらのお仲間になればいいんじゃないかしら?」

 最初に見た仏頂面からは想像もできないサディスティックな笑顔でくすくす笑いながら、踊瀬先輩は次々望者を呼び出していく。ゴミ山にはどんどん望者が落ちてくる。

 なんだ、これ。わけがわからなくて、頭でうまく考えられない。ただ、このままここにいたらやばいのは確実だ。空から落ちてくる望者たちがじわじわこちらへ近づいてくる。でも、足が思うように動かない。ポケットの中で心臓がばくばく脈を打っている。

「少女よ!」

 ゴミの上を軽やかに跳ねながら猫さんがわたしの近くまで来る。猫さんもひどく混乱しているようだった。

「ここは逃げるのだ! あれは魔女の力、まともに相手をしても勝ち目がない!」

「魔女……!?」

 どういうことだ。魔女って、望者がなるものじゃないの? わけのわからないことばっかり起こってるけど、でも踊瀬先輩は人間のはずだ。でも、宙に浮かんでるし、斧やら望者やら出してくるし……。

「説明は後だ! とにかく彼奴から離れるしかない!」

「で、でも……」

 少し離れたところにいる大神は、既に望者たちに囲まれていた。このままじゃ大神が……でも、大神の周りはゴミ山で阻まれてるし、どんどん望者が集まってうかつに近寄れない。しかし、このままこの場にいたら、輪からあぶれた望者に狙われそうだ。

「猫さん、どうにかできないの!?」

「…………すまない」

 猫さんは悲痛な顔で答える。

「吾輩はきみを手助けすると約束した。きみの身の安全のためには、彼を助ける余裕はない。彼を助けようとすれば、今度はきみが危険になるだろう」

「じゃあ、大神を見捨てろって言うの!?」

「おい、やめろッ! 離せクソッ!」

 大神が望者たちに押さえ込まれている。掴まれた腕がどんどん透明になっていく。駄目だ……! 走り出そうとして、猫さんに腕を引かれて止められる。

「猫さん!」

「もう手遅れだ! 彼奴があちらに気を取られているうちに、早くッ!」

 そんな。透明になっていく大神に、宙に浮かんでいた踊瀬先輩がすうっと降りてきて、彼の前に降り立つ。ゴミの上をバレエのプリマみたいにくるくる回って踊りながら、大神に近づき。

「喜びなさい? わたしのモノにしてあげる」

「なにを――ぐぁあッ!?」

 這いつくばっていた大神の頭のを、真っ赤な靴で踏みつける――すると、半透明になっている大神の体が煙のようになって、靴に吸い込まれ始めた!

「ああァアア…………!」

「わたしのクローゼットの中で眠りなさい? 気が向いたら、いつか着てあげるかもね」

「今だ、逃げるぞ!」

 呆然としていると、猫さんに無理矢理抱きかかえられて連れて行かれる。大神は――望者と見分けのつかないもやもやした姿になって、靴に吸い込まれて消えていく。そんな。そんな。踊瀬先輩はくすくす笑い、かしずくようにうずくまる望者に囲まれて踊る。

 ポケットの中で心臓が、ばくばく脈を打ち続けていた。



 5



「……彼女も、きみの知り合いかね?」

 森の中に戻って、二人でその場に座り込む。なにも言うことができずにいると、猫さんが訊いてきた。

「……学校で、ちょっと話したことあるだけ。あんなことができるなんて知らなかったけど……」

「あれは魔女の魔法だ」

 魔女の――魔法?

「さっきも言ったが……魔女は魔法を使って様々なものを作る。紡ぎ車の魔女がまさに典型だな。領地として巨大な森を作ったり、得意の針仕事で魔法の衣服を作り、気まぐれに他者に授けたりする。たとえば魔法のドレスであれば、着ている者の姿が透明になったり、魔法の頭巾をかぶっていると動物や植物、言葉の通じないものと意思疎通ができるようになる、といった具合だな」

 そういえば、踊瀬先輩は妙にぴかぴかな赤い靴を履いていた。宙に浮いたり、斧や望者を操ってみせたのは、あの魔法の靴の力?

「おそらくはな。しかし、あんな魔法ならぬ無法の権能はそうそう見るものではない。望者を吸収して自らの力とし、また更なる権能を得る……あれではほとんど、いやまったく魔女と変わらない。あれと対抗するには、それこそ魔女そのものを引っ張り出さなければ不可能だ」

「吸収……って」

 煙になり、靴に吸い込まれていった大神の姿がフラッシュバックした。

「じゃ、じゃあ、大神は!? あいつどうなっちゃったの!?」

「……残念だが、一度ああなっては……」

 猫さんが静かに首を振った。頭の中が真っ白になる。

「――なんで、なんでっ!? おかしいじゃん、なんであいつがそんな目に遭わなきゃいけないの!? あいつだってろくでなしで、最悪で最低だけど、でもそんなふうにされる言われはないじゃん! なんで、どうして……!」

「少女よ……」

 そんな話があってたまるか。あいつはただ、大切な人を探していただけなのに。それが、なんで――「大騒ぎした」から? 「消さなきゃいけない人」を増やしたから? ………………。

 大神の『あの人』がトロイメライここで消えたなら。大神がそれで騒いだせいで、が増えたなら。踊瀬先輩が、そうやっていろんな人を消して回っているのなら。……大神の依頼を追ううちに、行方不明になった先輩たちは。

「……全部、あいつのせい?」

 ぐちゃぐちゃになっていた頭が急速に冷え、考えがまとまっていく。証拠はなにもないけど、でも『同じ部活に所属していた四人が一斉に行方不明になった』理由が『それぞれ悩みを抱えていたから』だけでは説明しきれないのは事実だ。大神の依頼に関わったせいで、わざとトロイメライに行くように仕向けられていた――そう考えるとすべてのつじつまが合う。

 踊瀬花蓮。あいつが、先輩たちを。

「……許せない」

「なにを考えているのだね? まさか……かの魔女ならぬ悪女と戦おうとは思っていないかね?」

 猫さんが心配そうにわたしを見ている。わたしはまさか、と首を振り、笑顔を作った。でも、多分唇が引きつってうまく笑えていなかった。

「でも……このままじゃ絶対に済ませておかない。いつか絶対、あいつに自分のやったこと、後悔させてやるんだ。絶対に……!」

 どこかから流れてくる“トロイメライ”を聴きながら、わたしは遠く、ゴミ山の方向を睨みつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る