17 悪女の靴にかしずいて ①
1
「ねえ、そういえば……」
冷たい空気に、かすかに湿った地面。森はまだまだ終わりが見えず、『紡ぎ車の魔女』と別れてから十数分、わたしと猫さんは歩き続けていた。
「どうしたのかな? 少女よ」
「猫さんって、結局“何”なの?」
猫さんの話では、
じゃあ、この人(?)は何者だろう。人間にしては猫耳やしっぽが生えてるし、ぼんやりした姿の望者とは似ても似つかない。なら魔女か、と言われると、さっき嫌になるほど見せつけられた魔女のイメージとはかけ離れているように思える。
「言わなかったかね? 吾輩は語り部、そして涙にくれる少年少女に手を差し伸べる名もなきナイトなり!」
「説明になってないよ」
芝居掛かってこっ恥ずかしい言動を見ていると、どうしても『あの人』を連想してしまう。――全然違う、ってわかってるはずなのに。
「そうじゃなくて……ここでは変なことや不思議なことが普通に起こるっていうのはもうわかったよ。でも、ここで普通にしていられるあなたは――」
「危ない!」
突然猫さんが叫ぶ。びっくりして足を止めると、目の前を何かが掠めた。半透明の人影が倒れてじたばたもがいている。望者だ――!
「にゃおう!」
いつのまにか周囲にはたくさんの望者がうろうろしていた。猫さんが望者を引っ掻いて退散させるが、すぐに別のがどこかからやってくる。
「望者の巣だと!? 馬鹿な、ここは魔女の領地、根城にすればすぐに喰われるとわかろうに……!」
「猫さん!」
「少女よ、一度引き返すぞ! 吾輩とてさすがに多勢に無勢! 迂回して進むしかあるまい!」
「そんなこと言ったって……!」
望者が次々押し寄せてきて、いつのまにか後方にまで回り込んできた。猫さんを怖がっているのか襲ってはこないけど、じわじわとわたしたちを囲む輪が狭まっていく。
「ど、どうしよう……!」
「少女よ、吾輩につかまるのだ!」
そう言って猫さんがわたしに背中を向けた。まさか……背中におぶされってこと!?
「そ、そんな! わたし猫さんより背高いし、体重も……」
「いいから! なあに、少女の身体など吾輩にとっては羽毛も当然! 望者の虜になりたくなければ、遠慮なく吾輩の背に飛び込むがいい!」
そうこうしているうちに望者たちがどんどん近づいてくる。迷っている時間はなさそうだ。わたしは思い切って猫さんの背中にしがみついた。
「えいっ!」
「ぎにゃ! ……なんのこれしきぃ!」
猫さんの背中は見た目よりずっと大きく感じた。猫さんは背中のわたしを後ろ手で支えながら、地面を蹴って望者たちの横をすり抜け、猛スピードで走りだした。行き先はさっきまで歩いてきた森の中だ。だけど……後方には相変わらず望者たちがいる。
「追いかけてくるよ!」
「いや、これでいい!」
猫さんが立ち止まる。望者たちは……わたしたちから少し離れたところで、まるで見えない壁に阻まれているかのように止まっていた。ゆらゆら手足を動かして近づこうとしているが、まったくその場から進まない。
「なんで……?」
「よく見ておきたまえ。魔女の領地を侵した望者がどのような運命を辿ることになるのか……」
望者たちがいる地点が、まるでそこだけ陽炎が発生したみたいにぐにゃぐにゃとぼやけだす。ぼやけはどんどん強くなっていき、やがて地面までもがぼやけたかと思うと……望者たちの足元がまるでアイスクリームのように溶けていく。その場にいた望者たちは地面の崩落(融解?)に巻き込まれ、地面へと沈んでいき……やがて誰もいなくなると、そこは先程までの森の風景の一部に戻った。
「な、なに……?」
「紡ぎ車の魔女の仕業だ。この森はすべて彼女の領地だからな」
冷や汗をかきながら猫さんが言う。
「助けてくれたってこと?」
「いいや。誰だって自分の寝所でうるさく騒がれたら機嫌が悪くなるだろう? 隅をひっそり、つつましく通るだけならまだしも、ああも大勢で侵入してくるのは自分から魔女の餌になりに行くようなものだ。言わなかったかね? 魔女は望者を吸収して力を強めるのだ」
じゃあ、消えた望者たちはあの巨大な魔女に……? 想像して思わず身震いがした。
「まあ、彼女にしてみれば寝返りを打つついでにうるさい虫を叩き落としたくらいの気分でしかないだろうな。きみもしっかり心に刻みつけたまえよ? 魔女の領地に入るということは、魔女の口の目の前に立つのと同じことなのだ」
次にこの森を通るときは絶対騒がないようにしよう……。猫さんの背中から降りながら堅く心に誓った。
「しかし、どうしたものかな」
鼻をひくつかせる猫さん。
「追っ手は片付いたとはいえ、まだ向こうには大量に望者がいるようだ。この道を再び進むわけにはいかないな」
「でも、なんであんなに望者がうじゃうじゃいたの?」
あんな沢山の望者は初めてだ。わたしが初めてトロイメライに来たときだって、そこまではいなかった。一ヶ所に密集しているなんて、何か理由があるんだろうか?
「確かに奇妙だ。普通魔女の領地に望者は近づかないし、ああまでの規模で群れることはそうそうない。望者が群れるとしたら、きみのときのように迷い込んだ人間に惹かれてきたか、あるいは力を蓄えたい魔女の罠に引っかかったくらいしかありえないのだが……」
迷い込んだ人間。それって……。
「プリンス先輩!」
「落ち着け、まだ早計だ」
思わず駆け出しかけたわたしの手を猫さんが引っ張る。
「確かめるために望者の群れに突っ込むのはあまりに危険だ。行ったとて、きみの捜し人であるとは限らない。魔女の罠であるかもしれないし、うかつに行けば我々も巻き込まれるかもしれん」
「じゃあ……」
「先に進むには大幅に迂回するしかない。時間はかかるが、きみの安全のためだ」
猫さんは手近な木を駆け上ると、枝の上に器用に立って前方を観察する。
「……うむ、あちらのほうから行けばうまく望者と鉢合わせせずに進むことができそうだ」
「だったら、猛ダッシュで進まないとね」
もしもプリンス先輩だったら、と思うといてもたってもいられない。早く見つけて、こんなおかしなところから出て行くんだから……!
2
「……向こうから妙に騒がしい声が聴こえるな」
方向を変えてしばらく歩いていると、前方から何か聴こえてきた。声に……なにかばたばたしてるみたいな物音? 望者は喋らないはずだし……。
「まさか」
「まずは様子を窺おう。茂みに隠れながら、ゆっくり近づくぞ」
そろそろ森の終わりも見えてきて、高い木の数が少なくなって低木ばかりになっている。姿勢を低くし、茂み越しに声のする方を見る。
森を抜け、開けた広場。森の前に通った場所と同様に霧が立ち込めている。だけど、そこで大勢の望者がうろうろしているのははっきりわかった。よく見ると望者はただうろついているわけじゃなく、何かに群がっては弾き飛ばされている。望者の群れの中心。そこには……。
「くそっ、なんだてめえら! こっち来んじゃねえっての……!」
「――大神!?」
「知り合いかね? きみの捜し人かな?」
「違うけど……」
大神は枝のようなものを振り回して群がってくる望者を追い払っている。だけど、望者がどんどん集まってきて追い詰められてるみたいだった。このままじゃ……!
「猫さん!」
「わかっているさ。彼を助ければいいのだな?」
わたしが全部言う前に猫さんは全部察してくれたようで、地面に落ちていた小石を拾い集めながら頷いた。
「ピッチングに自信は?」
「中学の頃ソフトボールやってたけど……」
「投げ方がわかるのなら結構だ! 吾輩が突入する間、それを望者に投げつけるのだ。望者は痛いのを怖がる。少し痛い思いをすればあっという間に逃げていくさ」
小石をわたしに渡すと、猫さんは望者に向かって駆け出していく。さっきからずっと猫さんに頼ってばっかりだから、こんな形でも援護ができてちょっと嬉しい。猫さんに当たらないように気を付けながら、望者に小石をぶつけた。あんまり当たらないけど、石をぶつけられるのが怖いのか、望者がぱらぱら逃げていく。
「えいっ!」
「少年よ! 手助けが必要なようだな!」
「あ!? 今度はなんだ!?」
ぎょっとした様子の大神を猫さんは問答無用で捕まえ、俵のように小脇に抱える。
「説明は後だ! 吾輩についてきたまえ!」
「ちょっと待て……うおおっ!?」
大神を抱えたまま軽やかに駆け、望者の群れから脱出する。そして待機していたわたしに手招きした。
「今のうちに望者を振り切るぞ! 走れるか!?」
「う、うん!」
「なんなんだよ! 離せっての!」
風のように駆ける猫さんを追いかけ、無我夢中で走る。望者から逃げるため、どこに向かっているかもわからないまま走り続けた。
3
「ここまで来れば一安心だな」
望者の気配がしなくなって、やっと足を止められた。息を整えながら周囲を見る。ここは……ゴミ山? たまに見る不法投棄の粗大ゴミの山みたいな景色が広がっている。
「ここは『夢墓場』だ」
猫さんが厳しい顔をして言う。
「叶えるのを諦めて放棄された夢はここに集うのだ。我々から見ればよくわからないものの集まりでしかないが、捨てた望者にとっては『現実』同様に直視できない惨状。だから望者は滅多にここに寄りつかない」
「つーか、いい加減離せっての!」
ずっと猫さんに抱えられていた大神が暴れる。「おお、すまない!」とすっかり忘れていたとばかりに猫さんが大神を放した。
「グチャグチャしたバケモノの次は猫みてーなバケモノかよ。いったいどうなってんだ!?」
「ちょっと、助けてもらってその言い方はなんなの!?」
猫さんに対する暴言に思わず大神を怒鳴りつけた。
「あ!? バカガリがなんでここにいんだよ!?」
「あんたこそなんで!? 猫さんが助けなかったらどうなってたかわかってる!?」
「お、落ち着きたまえよ、二人とも」
大神と言い合いしてると猫さんが口を挟んでくる。
「少年、きみは彼女の知り合いなのだね? この世界がどういう場所なのかはわかっているのかね? きみはどうしてここへ?」
「あ? わかんねーよ、そんなこと」
大神は不機嫌そうに頭をぽりぽりかいた。
「気づいたらここにいたんだよ。でも、なんとなくわかるぜ。『あの人』はここにいる――いや、あの人はここに来ていなくなったんだ。きっとさっきのバケモノどもにさらわれたんだ」
「あの人って、大神の先輩?」
わたしも、なんとなくそんな気はしていた。
プリンス先輩達のことで頭がいっぱいで、そもそもの発端である『人探し』のことをすっかり忘れてたけど……姿形どころか周囲の人の記憶まですっかり消えるなんてこと、トロイメライ絡みとしか考えられない。
でも、なんで大神まで? まさかこいつも『白い絵本』に手を出したんだろうか
「てめえこそなんでここにいるんだよ。つか、その化け猫野郎はなんなんだよ」
「わたしも色々あって……っていうか、その言い方! ちょっと変な見た目だけど、猫さんはあんたの恩人なんだからね!? ちょっとくらい感謝したらどうなの!?」
「うっせーな! 誰が助けてくれっつったよ!? あんなのオレ一人で余裕だっつーの!」
「はぁ!?」
「きみたちはどうも仲が良いらしい。喧嘩するほどなんとやら、だ」
「「仲良くないし!」」
「だから落ち着けと言っているのだ! きみたち、ここに来た理由を忘れてはいないかね!?」
はっとしてばつが悪くなる。そうだよ、今こいつと口喧嘩してる場合じゃないんだって。
「大神、あんたこのへんでプリンス先輩……金髪の、わたしよりちょっと背の低い男の子見なかった!?」
紡ぎ車の魔女は『森を抜けた先のほうで物音が聴こえた』って言っていたから、多分このあたりのはずだ。プリンス先輩がいるとするなら……。だけど、大神が首を横に振る。
「知らねーよ。ここで見るのはあのグチャグチャ野郎ばっかりだぜ。まともな人間はてめえくらいだ」
「そんな……」
「少年、きみはいつ頃ここに来たのかね?」
「は? 多分一時間も経ってねーと思うけどよ……」
大神の答えに、猫さんは考えてるみたいに鼻の頭をかいた。
「この世界の時の流れは現実とは大きく乖離している。彼の言葉を信じるなら、魔女の話で聴いた物音と彼は無関係のはずだが……」
「さっきから質問攻めしやがって、なんなんだ? ちょっとはオレにもわかるように話せよ」
イライラしたように大神が言う。正直、こいつに説明なんてしたくないけど……これまでの経緯を大幅に省略して話した。
「ここらへんにそのナントカって奴がいるってのか? 人っ子一人見当たらねーけど」
「だから、これから探すんじゃない」
でも、確かにまったくひと気がない。望者がいないのはありがたいけど……右を見ても左を見てもゴミの山だ。
「本人がいなくても、痕跡が残っている可能性は高い。ここはトロイメライ中の物が集まってくるからな。少年、きみの捜し人の手がかりもあるかもしれないぞ?」
「この中にかよ……?」
そびえ立つ無数のゴミ山。これを全部ひっくり返して探すのは、かなり骨が折れそうだ。
……やるだけやってみよう。
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