5 魔法使いは休めない ①

 1



「やっばい……」

 ついにこの時が来た。来てしまった。配られた中間試験の日程表を見てわたしは頭を抱えた。

 五月もそろそろ下旬、いいかげん高校生活にも慣れだした時期。五月病からやっと脱却した生徒たちを絶望に叩き落とすようなタイミングで中間試験はやってくる。一日目まであと一週間、勉強のための時間はもちろんこうしてもらえているんだけど……。

「灰庭さん、テスト自信ないの?」

 机に沈没していたわたしが気になったのか、八木さんが声をかけてきた。まったくその通りで、うん、と頷くことしか出来ない。

 ……頑張ってランク上の高校に入ったのが完全に仇となった。授業のペースが速く、レベルも思ってたよりずっと高い。国語はまあなんとかなるとしても、数学はもう絶望的に自信がない。このままでは残念な結果を持ち帰って、「アンタが揺籃なんてムリムリ」と散々馬鹿にしてくれた姉二人にそれ見たことかと笑われてしまいそうだ。それだけはなんとしても避けたい……。

「八木さんはどう? 今回のテスト」

「あたしもあんまり自信ないけど……今度、図書委員会で勉強会することになったんだ。先輩たちも来てくれるし、わからないところはみんなで教え合おうって」

 そっか、八木さんって図書委員だったっけ。委員会で勉強会を開くなんて、さすが図書委員は勉強熱心な人が多いんだなあ。

「図書館は試験期間中も開いてるから、自習の場所に困ったらいつでも来ていいよ!」

「うん……」

 頷いたけれど、図書室は静かすぎてちょっと苦手だ。しかし、勉強会というのはいいかもしれない。自分で勉強してもわからないところは他の人に教えてもらえばいいんだよね。わたしには八木さんのように委員会仲間はいないけれど、頼りになる先輩たちがいる。

 個性豊かで様々な特技に秀でた美学部の先輩たち。

 ……………………。

 ……あれ。教われる人いなくない?



 2



 まず、プリンス先輩とキング先輩は論外だ。勉強がどのくらいできるかは知らないけど、普段の態度を見ているとまともに勉強を教えてもらえると思えない。

 スワン先輩もちょっときつい。最近はだいぶ打ち解けられた気がするけど、それでもまだ二人っきりで話すのは気まずい。ビースト先輩に至っては「なんで僕がそんなことしなくちゃいけないんです?」とすげなく断る姿が目に浮かぶ。

 そんなふうに消去法で選んでいくと、わたしの頼みを快諾してくれて、かつちゃんと教えてくれそうなのは一人しか残らなくて……でも、あの人もあの人で忙しそうだよな、と駄目もとでメッセージを送ってみる。

『いいよ。今日の放課後なら大丈夫』

 と、びっくりするほどあっさり返事が来た。

『いいんですか!?』

『うん。今日は特に忙しい用事もないしね。場所は部室でいいかな?』

 遅くなったらゴメンね、とは言うけれど、あの人のことだ。きっとわたしより早く着いているに違いない。ホームルームの直後、急いで荷物をまとめる。

「どうしたの? 彼氏さん?」

 携帯の画面を見ながらわたわたしているわたしがよっぽど挙動不審に見えたらしい。八木さんが再び不思議そうに訊ねてきた。

「ち、ちがっ!? そんなんじゃないし!?」

 先輩の名誉のために慌てて否定すると、八木ちゃんはちょっと戸惑った表情のあと、なにか納得したように笑顔になった。

「……そっか! 灰庭さん、頑張ってね!」

「う、うん……?」

 なんだか変な誤解をされたような気がして釈然としないが、先輩を待たせるわけにはいかない。とにかく早く部室に行かなくちゃ。



 3



 部活休止期間は美学部も例外じゃなく、テストが終わるまでは誰の依頼も受け付けていない。

 あのお人好しドナルシーのプリンス先輩にしてはちょっと意外だったけど、先輩いわく「人助けはもちろん美しいが、だからといって勉学をおろそかにするのは決して美しいことではないからな!」とのこと。日頃から授業をサボって部室で絵を描いているスワン先輩も期間中は芸術活動を禁止されたらしい。

 しかし改めて考えると、この部室こと第一美術室の鍵の管理ってどうなってるんだろう? テスト期間中に勝手に出入りして大丈夫なんだろうか。先輩たちやキリギリス生徒会長の口ぶりじゃ顧問がいるようにも思えないし……考えれば考えるほどちょっと怖くなってくるけれど、そこらへんはきっとなんとか上手く解決してるんだろうと無理矢理ポジティブに結論付け、部室に入る。

「失礼しまーす……」

「まったく、失礼だとは思わないかい?」

 あまりのタイミングの良さにわたしへの言葉かと勘違いしそうになったが、しかし声の主は別の話をしていたらしい。入ってきたわたしに気づかず話を続ける。

「ぼかあねえ、これでも公沼きみぬま家の跡継ぎなんだよ? それを言うに事欠いてカエルだなんだ……人に向ける言葉じゃないだろう、品性を疑うね」

「うんうん、きみも大変だね……」

「大体なんだい、あの氷女宮とかいう女! ぼくは別に変なことしたわけじゃない、ちょっと肩と肩がぶつかっただけさ!? たったそれだけで虫でも出たみたいにきゃあきゃあきゃあきゃあ、腹立たしいったらないよ! どこの令嬢だか知らないけど、何様のつもりだっていうんだ!」

 機関銃のようにげろげろ……もといべらべらまくしたてるカエル顔の男子生徒の話を苦笑いで聞いているのはウィザード先輩だ。わたしに気づくと、軽く手を上げ招き入れてくれた。

「や、シンちゃん。せっかく来てもらったのにごめんね。今ちょっと先客が……」

「ん、なんだいこの女。ガンなんて飛ばしてきて」

 飛ばしてないよガンなんて。

「この子はシンちゃん……灰庭かがりちゃん。部活の後輩だよ。ちょっと目つきが悪いけど、ちゃんと周りを見てオレたちを気遣ってくれる良い子なんだ」

「へえ……」

 課題すぎるウィザード先輩の褒め言葉に面映ゆい気持ちになっていると、カエル顔から値踏みするような目でじろじろ見つめられていることに気がついた。

「ふん、確かに目以外はまあまあ悪くないな。おいきみ、彼氏はいるのかい? いないんだったらぼくがなってやってもいいぜ」

「なっ!?」

 なにこいつ!? カエル顔がにやにや笑いながら言い放った言葉にぎょっとする。

「ちょ、ちょっと……いきなりそんなこと言われたって灰庭ちゃんも困っちゃうよ。初対面で彼氏なんて言われてもさ」

「その様子じゃ付き合ってる奴はいないんだな? ふふん、気に入った」

 慌てたウィザード先輩が諌めてくれるけど、カエル野郎はわたしを嫌な目で見るのをやめようとしない。なにこいつ……さっきの話じゃ理不尽に嫌われてるのが不満みたいに言ってたけど、こんなの嫌われて当然だ。

「……ところで、そろそろいいかな? オレも別の用事があってさ……」

 帽子を被り直しながら困った笑顔で言うウィザード先輩にふん、と鼻を鳴らすカエル野郎。態度はともかく、放り出していた荷物をまとめて立ち上がったところを見るに、素直に帰ってくれるようだった。

「そうだね、ぼくもそろそろ時間だ。今日はありがとう、小角くん」

「どういたしまして」

「ああ、それと。友人として忠告させてもらうけど、きみ、付き合う相手は選んだほうがいいんじゃないかい?」

「え?」

 首を傾げたウィザード先輩にカエル野郎は声をひそめて言う。

「ほら、ここに陣取ってる奴ら。美学部の連中だよ――きみってばなんだってあんなめちゃくちゃな奴らとつるんでるんだい?」

 カエル野郎の疑問はわたしにとってもかねてから気になっていたことだった。超ナルシストなプリンス先輩、仮面で無口なスワン先輩、裏表の激しいビースト先輩、露出狂のキング先輩。色んな意味で問題アリな他の部員と比べるとウィザード先輩はあまりに常識的で、だからこそなぜウィザード先輩が彼らと一緒にいるのかさっぱりわからない。

「まあ、ね。色々あったんだよ。きみの思ってるほどめちゃくちゃな子たちってわけでもないしね」

 帽子をいじり、肩をすくめて受け流すウィザード先輩にカエル野郎は再びふんと鼻を鳴らした。

「どうだか。きみはお人好しだからすぐそうやって人を庇うけど、連中にそんな価値があるとは思えないね」

「あ、あはは……」

「とにかく、あんな奴らとはさっさと手を切ることだよ。ずっと一緒にいたらきみまで同類だと思われるぜ」

 言いたい放題言ってからやっと出て行くカエル野郎。ウィザード先輩はふう、と溜め息をついてからわたしに笑いかける。

「……ごめんね。急に公沼くんが愚痴聞いてほしいって来ちゃってさ。やな気分にさせちゃったかな?」

「いえ……」

「彼も根は悪い子じゃないんだけど……なんていうか、色々こじらせちゃってる感じでさ。もうあんなこと言わないように注意しておくから」

 普段は如才ないウィザード先輩にも対応しがたい困った人はいるらしい。というか、なんであんなどこからどう見ても最悪な奴に付き合ってるんだろう。

「うーん……まあ、色々縁があってさ。ちょっとこじらせてるとこ以外は悪い子じゃないし? ほら、オレ、噂話が好きだから、ああいうお喋りな子と友達になって話すと楽しいんだ」

 あんな奴と話してて楽しいんだろうか。それこそ彼の言葉を借りて、「友達は選んだほうがいい」と言いたい。

「じゃ、そろそろ始めよっか。シンちゃんは数学が苦手なんだっけ?」

 苦言を呈すべきか悩んでいると、当のウィザード先輩はいつのまにか筆記用具と二人分のお茶を用意していた。そうだ、せっかく快く引き受けてもらったんだ。ちゃんとしっかり教えてもらわないと。

 しかし、そう上手くいくはずもなかったのだった。



 4



 ウィザード先輩の教え方はとても丁寧で、わたしがつまずいた箇所をゆっくり一つ一つ噛み砕いて教えてくれた。

「乗法公式、数は多いけど頑張って覚えようね。色んな応用問題が出てくるけど、公式さえ上手く覚えればすぐ解けるから」

「うーん……」

「たとえば、この問題。これもさっきの公式が使えるんだ。どこをどうすればいいと思う?」

「……あっ! こことここをくくれば……!」

「そう! こっちもその調子で解いてみようか……」

「すみませーん、小角先輩いますかー?」

 と――ウィザード先輩の言葉を遮るようにノックの音。また誰か来たのか、と二人で顔を見合わせる。

「いるよ? なんの用かな?」

 ウィザード先輩が扉を開けて招き入れると、入ってきたのは……なんていうんだろう、いかにも『THE・ギャル』って感じの女子三人組だった。

「うーす、おひさっす」

「ごめんなさい、急に……」

「どーも」

 髪が真っ黄色の長身ギャルと、あんまりギャルファッションが似合ってないマシュマロ系、眼鏡をかけた目つきと愛想の悪い女子。馴れ馴れしい態度を見るにウィザード先輩の知り合いらしい。

「アンコちゃん、ガブちゃん、リッキーちゃん。今日はどうしたの?」

「え、えと……お忙しいところ邪魔して、すみません……」

 ガブちゃんと呼ばれたマシュマロ系がわたしをちらちら見ながらおどおど謝る。

「あ……や、やっぱりやめ……」

「ここまで来て今さら何言ってんだデブ。ブスがかわいこぶってんじゃねーぞ」

「ひい!?」

 眼鏡をかけた女子――リッキーちゃん? に辛辣になじられすくみあがるガブちゃん。その様子にリーダーっぽいギャルのアンコちゃんがため息をつきながら面倒そうに言う。

「えーっと、ガブ子がどうしてもおづのん先輩に恋占いしてほしいって。ムリ目ならいいっすけど……」

「うーん……」

 ウィザード先輩が困ったように帽子をいじりながらわたしを見る。さっき教えてもらったおかげで今やってる練習問題はどうにか解けそうだし……大丈夫です、とウィザード先輩に合図を送ると、ほっとしたように笑顔を浮かべた。

「……うん、ちょっとだけなら平気だよ。いつも通り、簡単なやつでいいのかな?」

 と、どこからともなくカード束を取り出し慣れた手つきでシャッフルするウィザード先輩。ちらりと見えたカードの絵柄はトランプのスートじゃなく何かイラストのように見えた。もしかしてタロットカード?

「え、えと……ほんとにいいんですか……? あ、あの子は……」

「うじうじうぜーっての。遠慮がちにしてりゃ迷惑かけても許されると思ってんのか」

「ひいいっ!」

「あはは……あの子は部活の後輩。今度のテストに向けて勉強教えてあげてたんだ」

 テーブル上に裏返したカードを規則的に並べていきながら柔和に笑うウィザード先輩。

「後輩……そうですか……」

 安心したようにウィザード先輩を見つめるガブちゃん。あれ、彼女が好きな相手ってひょっとして……。

「じゃ、見てみようか。全体的な運勢は……うーん、停滞、かなあ?」

 カードの向きを表向きに返していきながら首を傾げる。

「今までと変わらない、ってことですか?」

「ううん……あんまり良い意味じゃなさそうだね。きみが動こうとしてないから状況も変わりようがない、みたいな……確かに今のままなら相手との関係性も変わらないけど、これ以上発展もしないんじゃないかな。今はまだいいけど、このまま現状に満足して停滞し続けてると、望んでいる方向に進めなくなる……ってところじゃないかな」

 ウィザード先輩の言葉に思い当たる節があるのか、ガブちゃんは顔を曇らせる。そこに「てことはさー」と口を挟むアンコちゃん。

「今ならまだまだワンチャンあるってことじゃね?」

「まあそうだね。もちろん状況が悪化する可能性もあるけど、現状にしがみついてるだけじゃ駄目だ」

「だってさ。聞いてたかデブ」

 リッキーちゃんがガブちゃんの後頭部を小突く。

「このままうじうじいじいじしてねーでさっさと行動起こせってよ」

「……う、うん、そうだね。やっぱり、このままじゃ駄目なんだ……」

 その言葉が発破となったのか、ガブちゃんは決意したように拳を握る。そして勢いよく立ち上がると、「あ、あの!」とウィザード先輩に切り出した。

「ん? なにかな?」

「…………や、やっぱりなんでもないです……!」

「「おい!」」

「ひいいい……」

 アンコちゃんとリッキーちゃんの双方から突っ込まれてまたも縮み上がるガブちゃん。彼女の恋はまだまだ実らなそうだった。

「占いもできるんですか……」

 三人が帰ったあとに訊ねてみると、ウィザード先輩は苦笑いで帽子をいじった。

「ほとんど当てずっぽうだけどね。かがりちゃんも占い好きなの?」

「いえ、わたしはそんなに」

 精々朝のニュース番組でちらっと見るだけだ。でも、タロット占いなんてお洒落なことまでできるなんてさすがウィザード先輩だと思う。

「そんな当たるようなものじゃないよ、オレのは。ああいう占いが好きな子っていうのは、大体は本当に未来や運命が知りたいんじゃなくて、背中を押してくれる言葉が欲しいだけだから」

 ウィザード先輩にしては変に冷めた言葉だった。何か引っかかり、そこで先程気になったことをちゃんと訊いてみようと口を開く。

「……先輩。さっきの子のこと……」

「やっほーおづっち! 元気してる!?」

「あ、葉原はばらちゃん。おひさー」

 タイミング良く扉が開いてわたしの言葉が遮られ思わずずっこけそうになる。ま、またお客さん……?

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