9 カエルの王子は見栄っ張り ②
4
それからの二日間は、わたしが美学部に入部して以来一番多忙な日々になった。
「なんですかその顔は、それで笑ってるつもりなんですか? 小面のお面が朗らかに見えてきますよ」
演劇部所属のビースト先輩による演技指導。
「歩き方! 足運びがあまりに雑! 歩幅を小さくすればいいってものじゃありません! 重心は後ろを意識、背筋は常に伸ばす! 足の着地は踵からです! ハイヒールを履きこなせない人が女性を名乗らないでください!」
「そ、そんなに言うなら先輩がやってみせてくださいよ!」
「………………」
「ごめんなさい」
そこらへんの女の子よりも可憐でたおやかで女性的な歩き方を見せてくれた。わたしは平伏してレッスンを受ける。
「えっ、それがインカムなんですか!? アクセにしか見えませんけど……」
「ふふふ、凄いだろう! 飾りも機械もスワンの特製だぞ!」
「……壊れていないか確認する。一度つけてみてくれ」
スワン先輩に言われるがままインカムを着用する。耳に当てると確かに機械であるらしく、微かにノイズが聴こえてくる。
「どれ、私にテストさせてくれ! あーあー、マイクテスマイクテス!」
「こ、声! 先輩声が大きすぎます!」
プリンス先輩の声が耳をつんざく。音量調整さえできれば使用には問題なさそうだけど……。
「そうだ、デートなんだから服装も考えなきゃいけないよね。あんまり今時っぽいやつじゃなくて、お母さん世代受けしそうなセンスで……」
「かがりの私服でいいだろ、服なんて」
「そんなんじゃ駄目に決まってるだろ!? お前、雪那ちゃんがお前とのデートの時何時間かけて服選んでるか知らないな!?」
「なんで緑がそんなこと知ってるんだ?」
それから、ファッションに強いこだわりを持つウィザード先輩に当日の服装をコーディネートしてもらったり。
「うーん、今の髪型だと鉄板の清楚系があんまり合わないね……? シンちゃん、ちょっと髪下ろしてみない?」
「え、でもわたし髪の癖強くて、下ろすのはちょっと……」
「癖なんてワックスとヘアアイロンで言うこと聞かせられるでしょ! ほら、早く下ろす!」
こんなに強くいってくるウィザード先輩は初めてだ。全然逆らえず、言われるがままにいろんな服を着せられた。
「なんだかわくわくしてきたな! よし、スクワットでもするか!」
「むう、私も部長としてなにか貢献したいぞ……私にできることはないかね?」
「ない」
「ありませんね」
「ないかなあ……」
「ないな!」
「ないです」
「なぜだっ!?」
そうこうしているうちにいよいよ本番、公沼先輩と偽デートする日がやってきた。
「母さんとは駅で待ち合わせてるんだ」
駅から少し離れた公園で最後のミーティング。公沼先輩は意外にこじゃれた格好をしてきた。ていうか、片方の親が同伴するデートってデートと呼んでいいの?
「灰庭さんは……ふん、まあまあ見れるようになったね。さすがは小角くんだ」
「こういうとき、褒めるならシンちゃんのほうじゃないかな……」
照れくさそうに言うウィザード先輩だけど公沼先輩の言う通りだと思う。ウィザード先輩にいじくり回された容姿、ビースト先輩に徹底的に矯正された立ち振る舞い。鏡で見た姿が本当に自分なのか、わたし自身わからないくらいになっていた。慣れないことしすぎてるせいで立ってるだけで物凄く疲れるけど……。
「さあ灰庭さん、公沼くんに三日間の成果を見せてあげてください」
疲れのせいか若干イケメン笑顔が引きつっているビースト先輩に言われ、散々叩き込まれたお辞儀を公沼先輩にする。
「えっと……今日はよろしくお願いします、先輩」
背筋は伸ばしたまま、両手を下腹部あたりでそろえて十五度くらいに体を前に倒す。うっかり頭だけ下げてしまったり背中を丸めてしまったりして、そのたびにビースト先輩に叱り飛ばされたっけ。今日は上手くできたかな、と姿勢を正すと、公沼先輩の顔が若干赤らんで見えた。
「……ふん。まあ、いいじゃないか。だけどきみ、一応ぼくの『彼女』だろ? 『先輩』って呼ぶのは不自然じゃないか?」
「あ……そうですね。じゃあ、えっと……圭さん?」
「! あ、ああ、そうだね……ぼくもきみを『かがり』って呼ぶ。あくまで演技だからね」
念を押すように言ってくる公沼先輩。そんなこと、言われなくてもわかってるっての。
「それで……そこの珍妙な格好の人はいったいどういうつもりなのかな?」
と、公沼先輩が指差したのは――ああ、本当にどういうつもりなんだろう、金色に輝く忍者装束を着たキング先輩だった。
「忍者だ」
「なに着てるかは訊いてないんだよ! なんでそんな馬鹿みたいな服を着てるか訊いてるんだ!」
「馬鹿みたいなんじゃない。馬鹿だ」
ぼそりと言うスワン先輩。うん、まあ、その通りだとは思うけど。
「俺はお前たちの身に迫る危険を排除する役、いわばボディーガードだ。誰にもお前たちの邪魔はさせん、安心してデートしてこい!」
「なんで忍者の格好してるんだい……」
「そりゃあ堂々とお前たちの周りをうろつくわけにはいかないからな。陰から隠れ忍んでお前らを守るためだ」
そのキンキラな忍者装束でどうやって隠れるつもりなんだろう。
「この作戦の性質上、我々ときみたちが一緒に行動することはできない。だが安心してくれ、公沼くんのご母堂に見つからない場所からきみたちに異変がないかきちんと見守っているぞ! もしなにかあった場合はシンデレラ、きみのインカムから連絡してくれ!」
プリンス先輩の言葉はいつも通り変な程頼もしい。まあ、相手がブルジョワジー階級のおばさまってだけで、やることはただデートするだけだし……変なことは起こらないよね?
5
「だけど、本当に圭ちゃんに恋人がいたなんて……親の私が言うのもなんだけど、信じられないわぁ」
「母さん!」
信じられるわけないよ。だって嘘だもん。
公沼先輩のお母さん――
「ご趣味はなあに? 食べ物は何がお好きなの? 圭とはどこで知り合ったのかしら? 結婚は考えてらっしゃるの?」
「あ、あはは……」
「母さん! そんなにいっぺんに訊いたって答えられないって!」
そして息子そっくりのマシンガントーク。どこから答えていけばいいかさっぱり見当もつかない。焦ってもつれかけた足を慌てて踏ん張りながら曖昧に微笑んでごまかす。ハイヒールで歩くのってこんなに難しかったっけ?
『想定内の質問には打ち合わせ通りに答えて。結婚の話は……公沼くんに任せようか?』
「結婚なんかまだ考えてないって言ってるだろ!? まだぼくら高校生だぜ!?」
ウィザード先輩のアドバイスを待つまでもなく公沼先輩が答えた。
「あら、まだ早くなんてないでしょう。交際している以上、いつかは考えなければならない問題です。あなたが公沼家の子息であることをお忘れですか?」
すると加恵さんは急に厳しい顔つきになり諭すように言う。公沼先輩は眉根にしわを寄せた。
「……一日だって忘れたことはないさ。でも、それとこれとは話が別だろ。ぼくは自由に恋もしちゃいけないってのかい」
「するな、とは言いません。ですがこのまま後回しにしていい問題ではありませんよ? このままきちんとけじめをつけずにいれば、あなただけではなく、恋人まで傷つけることになってしまいます」
『……シンデレラ』
「わかってます」
小声でインカムに応える。このままでは親子喧嘩になりそうな、険悪な雰囲気が二人の間に漂っていた。公沼先輩の結婚相手なんて正直どうでもいいけど、目の前で喧嘩されたり気まずい空気を作られるのはたまったもんじゃない。全力でビースト先輩仕込みのお嬢様笑顔を作り、加恵さんの手を取る。
「あの、加恵さん! わたし、ちょっと気になる靴があって……一緒に見てもらえませんか?」
「靴、ですか?」
加恵さんはやっとわたしの存在を思い出したように驚いてこちらを見る。思い出せ、ウィザード先輩に叩き込まれたトラブル対策プランBだ。
「はい。このモールの三階に靴屋さんがあるんですけど、一人で選ぶの少し不安で……良かったら相談に乗ってもらえませんか?」
「あら……いいの? 私で……」
『そうだよシンちゃん! 年配の女性は年下の子に頼られるのに弱いんだ! だからってカマトトぶりすぎると嫌われるから気を付けてね!』
インカムから聴こえてくるウィザード先輩の声。なんか妙に毒気を感じる気がするけど疲れてるのかな? 現在進行形で疲れさせてるわたしが言うのもなんだけど。
「はあ、靴ぅ? こんなときになに言ってるんだよ、そんなのぼくが後で付き合ってやるから……」
「駄目よ圭ちゃん! そうよねぇ、こういうのは彼氏には相談できないわよねえ。こんなおばさん、助けになるかはわからないけど、一緒に見てあげるわ」
不満そうな顔をする公沼先輩を押しのけてわたしの手を握り返す加恵さん。ふう、とりあえずはなんとかなった……かな?
休日ということでショッピングモールの中は結構混み合っていたが、幸いさほどの苦はなく三階のシューズショップまで辿り着けた。ウィザード先輩の情報通りレディース靴専門店のようで、ハイヒールやパンプスが模様を作るように綺麗に陳列されている。
「女物か……確かにちょっとわかんないな」
「圭ちゃんは外で待ってたら? せっかくだからかがりさんのために可愛いプレゼントでも選んでなさいな」
「う、うるさいなあ!」
拗ねたように離れていく公沼先輩。なんだか流れで加恵さんと二人っきりになってしまったけど、デートとしてこれどうなんだろう。
「ウィンドウショッピングなんて久しぶりねぇ。何年ぶりかしら?」
なんて、加恵さんのほうがうきうきしているありさま。さすがはブランドショップ、おしゃれで可愛い靴が沢山あるけれど、値札を見ると高校生にはとても買えない値段が書かれている。ううん、でもこれちょっと欲しいなあ……この間烏丸先輩のところで見た靴に似てるし……。
「あら、それもいいわねぇ。だけどかがりさんにはこっちのほうが似合うんじゃないかしら?」
「えー、そうですかあ?」
「こういうシンプルなデザインのほうが圭ちゃんの好みなのよ。今度試してみて?」
そうなんだ。どうでもいいけど。
「……ごめんなさいね?」
ふと、急に加恵さんがそんなふうに謝ってきた。
「えっ、なにがですか?」
「休みの日にこんなことつきあわせちゃって。あなた、本当は圭の恋人じゃないんでしょう?」
え……ばれたっ!?
「そ、そんなことないですよ!? わたしは本当に……!」
「いいわ、無理しないで。見ていればわかるもの。あなたたちったらカップルのわりには手も繋がなくて目も合わせなくて、よそよそしくてまるで他人同士みたいだわ」
「………………」
『ど、どうするウィザード!? 作戦が失敗してしまうぞ!』
『落ち着いて。様子を見よう』
見事に図星を突かれたわたしはなにも言えずに黙り込む。
「大方、困ったあの子に泣きつかれて恋人役を引き受けたんでしょう? 迷惑だったでしょうね……おまけに親子喧嘩まで見せてしまって。本当にごめんなさい」
「…………」
「私たちのせいなんでしょうねぇ。お前は公沼の子だからって言い聞かせて、プレッシャーをかけて育てたから、見栄ばかリ張るようになってしまって。あんな性格だからますます女の子の縁が遠くなって……それで心配でお見合いでもさせようかと思ったら……」
尚更見栄を張って今日に至る、というわけか。なんというか、自業自得の悪循環?
「だけど、恋人じゃなくっても、こんなことにつきあってくれる友だちがあの子にもいたのねえ。ちょっとだけ安心したわ。かがりさん。あの子、あの通りの捻くれ者だけど、良かったらもうちょっと友だちをしてくれるかしら?」
友だちじゃなくて思いっきり他人だし、公沼先輩のために引き受けたんじゃないけど、わたしは曖昧に笑って加恵さんのお願いに頷いた。
『ま、まさかこんなにも早く嘘がバレてしまうとは……! ど、ど、どうすればいいんだっ!?』
『灰庭さんの演技力不足のせいでしょう。あれだけレッスンさせておきながら……帰ったらお話しましょうか?』
『そもそも、こんなくだらない見栄を張る公沼が悪い』
『まあまあ、みんな落ち着いて。まだデートは終わってないんだから』
インカムから混乱している先輩たちの声が聴こえてくる。あっさり作戦が失敗してしまったけど、このままデートを続けていいんだろうか? 偽彼女であることがばれてしまっている以上、デートでもなんでもなくなったわけだし……迷っているうちに、ショップの外から公沼先輩の声が聴こえてきた。
「おーい、まだ見てるのかい!? いいかげん別の店も見ようよ!」
「あ……」
「安心して。圭ちゃんには内緒にしておくわ」
と、加恵さんが囁きかけてきた。
「私が張らせてしまった見栄だもの。大変でしょうけど、もうちょっとだけつきあってくださる?」
「は、はい!」
なんだかもう、誰のために偽彼女をやってるのかわからなくなってきた。
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