第37話 岩場の決闘(1/2)

 ガイラックは風を切るような微かな音で目を覚ました。

 長い首をぐるりと回すと、音のする方向を凝視する。


 はるか彼方にそびえ立つ巨大な岩場の周りを、一羽の鳥がゆっくりと旋回しているのを確認した。

 かなり大きな鳥だ。

 おそらくロック鳥か何かの類であろう。


 ガイラックは、横幅20メートルはあろうかという翼を大きく拡げた。

 それらを地面に叩きつけるように振り下ろすと、数十トンにも達する彼の巨体が軽々と持ち上がった。


 あの鳥が単独で意味もなく旋回しているだけなら気にすることもない。

 だが、彼の驚異的な視力は、巨鳥の背中にまたがる人間の姿を捉えていた。

 となれば話は別だ。

 何か特別な狙いがあるに違いない。


 ガイラックは静かに滑空しながら巨鳥に接近していった。

 すると、それに気づいているかのように、巨鳥は岩場の亀裂の向こうへと離れていく。

 何かひっかかるものを感じながらも、とにかくその鳥の後を追うことにした。

 いかに大きな鳥であろうとも、所詮、彼の敵ではない。


 亀裂を抜けると《岩場の海原》と呼ばれる平地に出た。

 平地とはいっても、ガイラックから見ればそう見えるという話だ。

 体の小さい人間からしたら、岩石が無数に突出した未踏の地といった方が相応しい。

 巨鳥はその地を通り抜け、さらに遠ざかっていく。


 ふと、眼下の岩場を見下ろすと、尖った岩場の上にもう一人、人間が立っているのに気がついた。


 途端、ガイラックの興味はそちらへと向けられる。

 その人間に見覚えがあったのだ。

 急降下をすると、彼にとっては取るに足らない、だが人間にとっては等身大にも及ぶ無数の岩石をバリバリと踏み砕きながら、地上へと降り立った。

 あたり一面は、ガイラックの翼が巻き起こす突風により砂煙に見舞われた。


 だが、ミネルヴァは身じろぎ一つ変えることはない。


「久しぶりね。ガイラック」


「あぁ、久しぶりだな。ミネルヴァ」


 ガイラックの声は、あたかも大型トラックのエンジンが喋っているかのようであった。

 人間の声帯とは明らかに異質なのである。


 ミネルヴァは自分の数十倍はあろうかという巨体を有するレッドドラゴンと対峙しても全く物怖じしていなかった。


「たしか、ザダの牢に幽閉されていると聞いたが……何故ここにいる?」


 ガイラックはそう尋ねながらも、自分がまんまとおびき寄せられたことを自覚した。

 相変わらず油断のならない小娘だ。


「その牢から出るためにあなたの討伐を買って出たのよ」


 ガイラックの鼻から笑いが漏れた。


「俺とやり合いに来たというわけか?」


「さあ……どうかしら。あなたにかけた魔法の効き具合によるわね」


 ガイラックは黙ってミネルヴァを見下ろしている。人間であれば、ほくそ笑んでいるといったところか。


「ユピテルは無事なの?」


 ミネルヴァが唐突に質問をした。


「何の話だ?」


 とぼけているわけではないようだ。

 ガイラックは本当に理解できていないらしい。


「あなたの使命は彼を守ることだったはずでしょう。私の事は覚えているのに、魔法をかけられた後のことは覚えていないのね」


 ミネルヴァはガイラックにかけた傀儡魔法が完全に効力を失っていることを確信した。

 百年は保ってくれると見積っていたのだが、予想以上に早かった。

 それだけガイラックの魔法耐性が強かったということだろう。


 とはいえ、マナ中毒は避けられなかったようである。

 数十年という長い間、物理的な食物を一切摂取せず、マナだけに頼って生きてきたのだ。体内のマナ含有率は100%近くにまで上昇しているに違いない。

 マナ中毒も末期になると、脳が侵食を受ける。おそらく彼は既に記憶の断片も喪失しているのであろう。

 にもかかわらず、彼は依然としてザクア山を守ろうとしている。

 なんとも皮肉なことだ。


「ガイラック。もうすぐ魔法の時代は終わりを迎えようとしているわ。この山は国家レベルのマナ埋蔵量を持つ世界でも類を見ない山よ。あなたがそれを一人占めすることは許されない。大人しくこの山を引き渡しなさい」


「俺にはこの山を守る義務があるのだ。マナを邪な目的で使おうとする人間たちから守る義務がな」


「それは詭弁でしょう。あなたは単にマナを独り占めしたいだけよ」


 ミネルヴァの静かな言葉をガイラックが遮った。


「黙れ、ミネルヴァ。 俺はもうお前の言いなりにはならん」


 ガイラックの怒声が辺り一面に響きわたる。


 傀儡魔法をかけられたという記憶はないが、この魔道士に操られていたのだという自覚はあるようだ。

 ミネルヴァは落ち着いた低い声で最後通告をする。


「ガイラック。必要な分だけのマナを持って、ここを立ち去りなさい。さもなくば、あなたを退治することになりますよ」


「お前にそんなことができるとは思えんな」


 ガイラックは余裕をもって返した。

 マナ中毒に陥っているとはいえ、彼の知能は依然として高い。


 レッドドラゴンの武器は、体内に蓄積した多量のマナを変換して吐く炎のブレスである。

 一方、魔道士の方も、所持するマナを用いて魔法を発動する。

 しかし、手元のマナだけで発動できる魔法は小規模なものに限定される。

 大規模な魔法を発動するためには、どうしても周辺のマナの取り込みが不可欠だ。


 《岩場の海原》は、ガイラックが対魔道士用に周到に準備した戦場だった。

 そこは緩やかな《神場》が張られていた。

 ドラゴンブレスの効力は保たれつつも、魔道士がマナ補充をするにはマナ濃度が十分ではない。

 ドラゴンが有利になるように、巧みにマナ濃度を調整しているのだ。


(ここで大魔法を唱えるのは無理だ。持久戦に持ち込めば勝てる)


 ガイラックの自信は、綿密な計算に裏づけられていた。


「やれるものならやってみろ」


 ガイラックが好戦的に言い放った。

 緊迫感が高まる。

 意を決し、ミネルヴァは早口で呪文を唱えはじめた。


   ◆   ◇   ◆


 緑帆とユーリは対峙する彼らを数百メートル離れた岩陰で見守っていた。

 緑帆は最初、目がかすれたのかと思った。

 ミネルヴァの体が幾重にも分裂して見えるのだ。


 ついには無数のミネルヴァがドラゴンを包囲した。

 分裂した複数のミネルヴァはみな同じ呪文を唱えている。

 呪文を唱える声が合唱となってあたり一面に響き渡った。


 次第にドラゴンの体の周りに霧のようなものがたちこみはじめた。

 ドラゴンは呪文に呼応するかのように甲高く吠えると、翼を一振りして一気に空高く舞い上がった。

 翼から氷の破片がバラバラと落ちる。


 緑帆と共に距離をとって観戦していたユーリはミネルヴァの魔法技術の高さに舌を巻いた。

 無数に分裂したミネルヴァはいずれも実体ではなく、単なる幻影に過ぎない。

 その幻影達がドラゴンに対して氷撃の魔法を一斉に打ちつけたのだ。

 通常では到底考えられない超高等魔法技術だった。


 ガイラックは上空で2,3回旋回した後に、空中で静止すると、地上に向けて大きく口を開けた。

 すると口元の少し前方で光の玉が発生し、徐々に大きくなっていく。

 ついにはガイラックの巨体と同程度にまで膨れあがった。

 そして、線香花火のようにガイラックの口から剥がれ落ちた。


 それは、無数のミネルヴァたちが描く円の中心に着弾した。


 地上が一瞬で光に包まれる。


 ユーリと緑帆は十分に距離をとっていたにもかかわらず、爆風で後方に数メートル吹き飛ばされた。



 数分が経過し、静寂が戻った。

 上空を旋回するガイラックの翼の音だけが鳴り響いている。

 緑帆は光でくらんだ目をこすりながら、ミネルヴァが元いた場所を確認した。


 そこには隕石が落ちたかのような巨大なクレーターが出来上がっていた。

 ガイラックはしばらく空を旋回していたが、突如、クレーターの向こう側へと急降下をはじめた。


 その先を見ると、呪文を唱えるミネルヴァが立っている。


 ガイラックが降下しながら炎を吐く。

 だが、その炎はミネルヴァに届く寸前、見えない壁に跳ね返された。

 防壁の魔法である。

 ガイラックはそのまま速度を落とすことなく、ミネルヴァの立つ場所へ体ごと突っ込んだ。


 次の瞬間、ミネルヴァは緑帆の目の前にいた。


「ここからもっと遠くへ離れましょう。彼は想像以上に強力です」


 既にミネルヴァの息は上がっている。

 だが、それこそ息をつく間もなく、緑帆とユーリの手をとった。


「ユーリさん、飛びますよ。マナを解放してください」


 すばやく呼吸を整えると、呪文を早口で唱えた。


 三人は《海原》の淵の、高さ百メートルはあろうかという岩壁の上に転送された。

 そこは先程、クウェンの巨鳥に連れられてミネルヴァがセットした《転送石》が一つ置かれてあった場所である。

 ミネルヴァの転送魔法はどこにでも移動できるという訳ではない。

 あらかじめ《転送石》を仕込んだ場所へしか行けないのだ。

 彼女がこのエリアへドラゴンを誘い出した理由はそこにあった。


 ミネルヴァは二人を転送し終えると、再び転送魔法を唱えて、ドラゴンのもとへと瞬間移動した。

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