第33話 隠居魔道士

 それから2日後、緑帆たちの軍資金は底を尽きかけていた。

(オグに頼み込んで酒場で働かせてもらおうかしら……)

 そんなことを本気で考えはじめた矢先、わざわざオグの方から宿に出向いてきてくれた。

 律儀にも、以前お願いしていた「隠居魔法使い」の情報を持ち込んで来てくれたという。

「ノースキングっていうんだがな。昔はムドルで知らない者はいないって言いほど有名な魔導士だったよ。

 もともとはザダの魔道士だったが、交易ホールの責任者を長いこと勤め上げて名を馳せた人物さ。ムドルでは筆頭にあがる功労者だろう。どうだ。名実ともに問題あるまい」

「言うことないです!」

「ありがとうございます!」

 あとのない緑帆たちにとっては願ってもない話だった。

「引退後もムドルに残って研究に没頭しているらしい。有名だったとは言え、二十年も経てば皆忘れるもんだな。俺も常連の魔道士さんから名前を聞くまで、全く思い出せなかったよ」

 ノースキングの住まいは繁華街からは少し離れた郊外にあった。

 一時間も歩けば行ける場所である。

 早速出発することにした二人に、オグは餞別までくれた。

 感謝のあまり、緑帆は思わずオグの手を握りながらお礼を言った。


   ◆   ◇   ◆


 昼過ぎには目的地に到着した。

 そこは、野菜畑が広がるのどかで静かな場所だった。

 ノースキングの家は三階建のノッポな建物だ。他に家はないので、見間違いようがなかった。


 緑帆が扉を叩くと、ほどなく白髪の老人が顔を覗かせた。

「何か用かね?」

 老人は特に警戒するでもなく真っ白な顎髭を撫でながら、訊いてきた。

「私達はシーナスを探しているものです。お話を伺いしたくて参りました」

 シーナス探しなど、とうに諦めている。

 そのくせ、彼の名前を都合よく利用していることに、緑帆は少し後ろめたさを感じた。

 老人は目に微かな笑みを浮かべ、扉を大きく開いた。

「話を聞こう。お入りなさい」


 部屋はこじんまりとしていた。

 というよりも、大量の本が積み上げられているせいで、人間が過ごせる空間が極端に狭かった。

 わずかなスペースにソファが設置されており、応接間の役割を果たしていた。

 促されて緑帆と錬が腰を降ろすと、ノースキングも向かいに座った。


 緑帆は、シーナスによってこの世界に召喚されたこと、その後シーナスとはぐれてしまったことを話した。

 だが、クーデターに参画したことはあえて言わなかった。


「シーナスが亡命したことは聞いておる。あんたらはシーナス探索の命を受けて来たのか?」

 どうにも腑に落ちないという表情だ。

「……いいえ」

「だろうな。亡命者を捕らえるのに、あんたら二人だけではどうにも心許ない」

 こういう時、景斗だったら適当な話を作ってしまうのだろうが、自分にはそういう芸当は無理だった。

 緑帆は正直に話すことにした。


「お察しの通り、私達も亡命者です」

「ふむ」

「告発しますか?」

「告発? そんなことはせんよ。ミューダ公国には特に借りもないしな」

 借りはなくても、懸賞金は出る。

「で、シーナスの行方を追ってたら、ここにたどり着いたということかな」

「いえ、シーナスを探すのはもう諦めました」

「ほう。そうなのか」

「ごめんなさい。嘘をついて」

「いや、別に構わんが……で、どうして諦めたのかね」

「私達が彼を見つけられる可能性はとても低いと思います。それに、もし見つけたとしても、シーナスは私達を元の世界に戻そうとはしないでしょうし……」

「ふむ。そうかもしれんな」

「どうしてそう思うのですか?」

 錬が思わず尋ねた。

 簡単に肯定をされて、かえってムキになる。


「召喚魔法を詠唱する魔導士の大抵は召喚しっぱなしで、召喚した人間や魔物を元の世界に返すことなどには一切関心を持たんものだ。そんなことをしても何の得にもならんからな」


 緑帆と錬はしばらく黙り込んでしまった。

 シーナスに頼ってもしようがないと、なんとなくは気づいていながらも、それを第三者からはっきり言われるとショックだった。


「一つ教えてもらってもよいですか?」

 沈黙を破り、錬が尋ねた。

「この世界で一番優秀な魔法使いは誰ですか」

「なんだって?」

 ノースキングがポカンとする。

「僕達は、優秀な魔法使いに会いたいんです」

 ノースキン具が呆れたように笑った。

 錬は少しムッとしたが、黙って答えを待った。

「その前に、わしから先に質問させてもらっていいかね?」

「……はい」

「あんたらの世界で一番頭のいい人間は誰かね?」

 錬は言葉につまった。

「そんなことは即座に答えられまい。そもそも頭がいいといっても何の分野に関する知識なのかが問題だ。魔法の知識、錬金術や天文学の知識、それぞれの分野で頭のいい人間はたくさんいる。それらを並列に比較するのは難しいし、無意味だ」

 錬は合点がいった。

「わかりました。では、質問を変えます。僕達がもとの世界に戻るための魔法を知っている人物を教えて下さい」

 ノースキングはうなずいた。

「それならわかる」

「えっ? わかるんですか? 誰ですか?」

 錬は思わず身を乗り出した。

「いやいや、質問の意味がわかると申したのだ」

 錬は勢いあまってがっくりと頭を落とした。

 ノースキングはそれを見てまた声を上げて笑った。

「そうがっかりするな。まだわからんとも言っていない。調べるからしばし待て」


 そう言うと、ノースキングは後ろに山積みにされている書物をあさりはじめた。

 途端に部屋中に埃が舞い上がる。

 緑帆と錬はたまらず咳き込んだ。

「お前さん達は召喚魔法でこちらに呼び出されたのだから、まずは召喚魔法を研究すべきだな」


 しばらくすると、「おっ」と言って数冊の冊子を取り出した。

「あった、あった。召喚魔法学会の学会誌だ。ん? 2年前までのものしかないな? おい、クウェン!」


「はいはい。なんですか先生」

 クウェンと呼ばれる若者がまるで待機していたかのように階段からスタスタと下りてきた。


「こいつはワシの弟子でクウェンという」

「こんにちは」

 突然現れた若者に緑帆と錬は面を食らった。

 ノースキングは構わずクウェンに訊く。

「召喚学会誌が去年から来ていないようだが、どこにあるんだ?」

「先生、召喚魔法学会なら去年から活動を中止していますよ」

「なに?! もう活動していないのか?」

「ええ。マナの高騰で召喚魔法の研究をする者も随分減りましたからね。その影響で学会運営も難しくなってきたんでしょう。自然魔法学会なんかと同じ状況ですね」

「なるほど。厳しい世の中になったもんだなぁ。だとすると個別に元会員をあたってみるしかないな。召喚魔法学会で著名な人物というと……」


 ノースキングは古い学会誌を開き、末尾の会員名簿に目をやった。

「第一人者はなんといっても召喚魔法創始者のシーナスだな」

 緑帆と錬は再びがっくりと肩を落とした。

「シーナスに会えるのなら苦労はしていませんよ」

「わかってるわかってる。ちょっと待て。他にいないか」

 クウェンはノースキングが持っている名簿をパラパラとめくりはじめた。

「召喚魔法はシーナスが発明したんですか?」

 緑帆が尋ねる。

「ああ、そうだよ」

 ノースキングが手を止めずに答えた。

「《超魔石》の発明がきっかけとなって生まれた魔法だ。発明されてからまだ50年程度しか経っていない、まだまだ歴史の浅い魔法体系だ。時間と空間を操る難易度の高い魔法の割に、研究が一向に進んでいない。そこにきてこのマナ不足ときた。今後も研究は尻すぼみになる一方だろうな」


 クウェンが師匠の名簿をのぞき込んだ。

「ミネルヴァもいますね。確か彼女も召喚された人物でしたよね」

「なんですって?!」

 緑帆と錬はほぼ同時に言った。

「どういう人物ですか? そのミネルヴァっていう人は!」

「いや、わしも学会で一度挨拶しただけなのであまり良く覚えていないのだが」

 ノースキングは錬の迫力に圧倒されながら言った。

「たしか、背の低い黒髪の少女だったって言ってましたよね」

 クウェンが助け船をだした。

「ああ、そうだったかな。もしかするとあんたらと同じ種族なのかもしれんな」

 錬は確信しながら、さらに質問を続けた。

「僕ぐらいの年齢ですよね」

「あ、ああ、そうだったかもね。でもまぁ魔法使いの見た目の年齢は当てにならんがね」

 もはやノースキングの後半の話は錬には届いていない。

「それでミネルヴァの居場所はわかりますか?」

「当時はザダに滞在していると言っておったな。今はどうしているのかな。なにしろ、わしもザダを離れて久しいからのう」

 なんとも頼りない返事である。緑帆は少しイライラしてきた。

「魔法で居場所はつかめないのですか?」

「それは無理だなぁ。魔法で居場所をつかむには、あらかじめ本人に魔法印をつけておかなければいけないからなぁ」

 それでも偉大な魔法使いなのか、と言いそうになるのを緑帆はぐっとこらえた。

 偉大かどうかは関係ない。ノースキングはしごく当たり前のことを言っているだけなのだ。

「まあ、人探しとは本来手間のかかるものだ」

と、言ってノースキングはクウェンを見た。

「これも一つの修行だろう。助けになってやりなさい」

「私が行っていいんですか?」

 ノースキングは緑帆と錬の方に向き直った。

「クウェンは微量なマナを使って、動物を操る魔法を習得しておる。彼の魔法は探知魔法とまではいかないが、きっと人探しの役に立つだろう。一緒にザダへ向かうといい」


   ◆   ◇   ◆


 一同は小屋の前の庭に出た。

 クウェンが何やら大きな袋を引きずってくる。

 そして、自ら袋の中に入り込むと緑帆と錬を手招きした。

 まさかとは思ったが、入れということらしい。


 3人が袋に入り込むと、ノースキングが荷物を隙間に放りいれ、袋の紐をぎゅうぎゅうに締め付けた。

 クウェンが何やら呪文を唱え始める。


「それでは先生、行って参ります」

 袋の中からクウェンが師匠に頭を下げる。

「ふむ。気をつけてな」


 クウェンは大きく息を吸うと、思い切り指笛を吹いた。

 指笛の音は辺り一面に響き渡った。


 30秒程の静寂があっただろうか。空から忽然と巨大な鳥が現れた。


 二人は何がはじまるのかをようやく理解した。


「あの……転送魔法は使えないのですか?」

 巨鳥の羽音にかき消されそうになりながらも、錬が大声でノースキングに尋ねた。


「事前の準備もなく転送魔法が使えるわけなかろうが。じゃあ、行ってきな」

 ノースキングが言い終わるや否や、巨鳥はクウェン達が入っている袋を軽々と持ち上げ、一気に急上昇した。

 強力な重力がかかる。

 振り落とされるのではないかという恐怖で緑帆と錬は悲鳴を上げた。

 クウェンは二人にはかまわず指笛を吹き続ける。

 それに呼応するように巨鳥は大きく旋回し、北西に進路を向けて加速した。

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