第11話 シーナスの企て

 早朝の図書館。

 景斗の他に人は見当たらない。

 朝食前の早い時間に図書館に来るほど熱心な勉強家はこの世界にもいないらしい。アマ棋士だった頃から、早朝に棋譜の研究をするのが景斗の日課だった。その習慣は この異世界に迷いこんでからも途切れることはない。

 ふと人の気配を感じ、景斗は論文集から目を上げた。

 シーナスだ。

「ああ、すいません。気づきませんでした」

「熱心だな。ちょっとよいかね?」

「えぇ」


 シーナスは景斗を引き連れて、図書館の奥に移動した。そこは、背丈ほどまで山積みされた本に囲まれて、個室のようなスペースになっていた。踏み台を椅子がわりにして、二人は向かい合わせに座った。

「随分と熱心に研究をしているのだな。何を調べておるのかね」

「魔法の原理についてです」

 手にしている魔法学の論文集を見せると、シーナスはいつものように口元だけで笑った。

「魔導士になるわけでもないのに、魔法を研究しているのかね? 貴殿には軍学を極めてもらいたいところだが」

「この世界を知る上で一番重要なのは魔法だと思いまして」

「まあ、自分の考えにしたがえばよかろう。ところで、頼みたいことがある」

 シーナスは周りに誰もいないことを確認すると、話を続けた。

「私は貴殿をグンシとして召喚した。ゆくゆくは貴殿に軍隊を治めてもらいたいと考えている。だがそれに先立って、やっておかなければならないことがある」

 シーナスは再度、周りを確認してから、身をのりだして、囁くように言った。

「魔法院の改革だ。ダラスが実権を握る今の魔法院ではこの国の現状を打開するのは不可能だ。この国を救うには、まずダラス派を解体しなければならない。そのために貴殿らの力を借りたい」

「……何をしろというのですか?」

「旅立って行った貴殿らの仲間と同種の任務を実行していただきたいということだ」

 婉曲な言い回しだがその真意は明らかだった。

 ダラス派の暗殺だ。

 すなわちクーデターである。

「それでこの国が救われるのですか?」

「少なくとも無能な人間の支配からは解放される。我が国には、これ以上無益な損害を垂れ流す余裕は残されていないのだ。おそらく一俊殿たちに与えた任務も失敗に終わるだろう。仮に運良く成功したとしても、根本的な打開策にはなるまい」

「一俊たちの任務は無意味だというのですか……」

「そこまでは言わんよ。状況の引き延ばしぐらいの役には立つだろう。もっとも成功すればの話だがな。ラトアを落とした将軍は、屈強な魔法剣士だ。おそらく今の彼らでは手に負えまい……」

 はじめて聞く話だった。一俊たちはそういった情報を聞かされているのだろうか。

「そこまでわかっていながら、なぜ一俊たちを行かせたのですか?」

「むろん私は反対した。だが、魔法院の決議だ。やむを得ない。実のところ、私が貴殿らを召喚した狙いは他にある。この計画に協力してもらうことだ。残念ながら、計画を実行に移す前に、派遣を決められてしまったがな。まさかラトアがこうも早く落城するとは思っていなかった」

 シーナスの悔む表情に嘘はなさそうだ。

「気づいてはおらぬようだが、貴殿らは極めて高い潜在能力を持っている。もっとも、その能力が開花するのはもう少し先のことだ。今、実戦に投入されれば、ひとたまりもなく潰されてしまうだろう。

 このままでは貴殿ら3人にも近々派遣命令がおりる。そうなれば貴殿たちは無駄死にをし、我が国も滅亡の一途を辿る。その前に何としてもこの計画を実行に移さなねばならんのだ」

 シーナスは自分の声が大きくなっていることに気づき、声を静めてから続けた。

「目標はダラスを含めた派閥主要メンバーだ。当然だが、暗殺は一斉に速やかに行われなければならない。その場に居合わせた護衛も含めて処分する」

「難しい任務ですね。俺と矢島、錬の3人でやれるというのですか?」

「傭兵の手配をした。私も実行部隊に加わる。だが、緑帆殿と錬殿は反対するかもしれんな。貴殿から説得をしていただきたい」

「俺は反対しないと?」

「貴殿は賢い。自分たちにとって何が重要かは十分に理解できるであろう」

「どういう意味ですか?」

 景斗はシーナスの真意を推し量った。

 シーナスが見返してくる。

「元の世界に戻りたいのだろう? 私自身は逆召喚魔法を知らないが、唱えたことがあるという人物は知っている。貴殿たちをその者に引き合わせる段取りをしてもよい」

 取引条件というわけか。

 もちろん、シーナスの計画に協力することが大前提だろう。

「もし断ったら?」

 分かり切ったことを尋ねてみる。

 シーナスの表情が一瞬こわばるが、すぐにいつもの無表情に戻った。

 彼は内から湧き出る感情を隠そうとするとき、無表情になる癖がある。

「私の計画を知った貴殿を放っておくと思うか? 私はいつでも貴殿を消し去ることができるのだぞ」

「死の呪文のことですね。なら、これをお返ししたらどうでしょう」

 景斗は小指の指輪を指し示しながら言った。

 無表情な目の奥が微かに瞬いた。

「死の呪文を発動させるには、対象を《帯魔》させる必要がある。あなたはこの指輪を翻訳用だと説明しましたが、本当の狙いは俺たちを《帯魔》させることにあった。

 つまり、指輪を捨ててしまえば、死の呪文の効力は失われるということです」

 シーナスはしばらく黙りこくった後、静かに口を開いた。

「大したものだ。短期間でよくぞそこまで見抜いたな」

「シーナス卿。脅しの関係は永くは続きません。そういうのはもうやめにしましょう 」

「いいだろう。この件に協力してくれるのであれば、呪文は即座に解除しよう」

 シーナスは死の呪文のことなど、さして気にも止めていない様で、景斗の申し出をあっさり受け入れた。

「では、前向きに検討をしてくれたまえ」


   ◆   ◇   ◆


 朝食後、部屋に戻ると、景斗はシーナスとの間で交わされた話を緑帆と錬に伝えた。

「危険な賭けね。シーナスの目論みが失敗したら、私達も反逆者として殺されることになるわ」

「だろうな。だが、この依頼を拒否すればシーナスを完全に敵に回すことになる。仮に死の呪文を回避できたとしても、シーナスは敵に回してかなう相手じゃない。

 それに、逆召喚魔法を唱えたことがあるという人物の手がかりも失われる」

 緑帆は腕を組んで、考え込んだ。

「どっちにしても、話を聞いてしまった以上、私たちはシーナス側につくのか、ダラス側につくのか、立場をはっきりさせなくてはならないということね」

「あぁ。シーナスは自分の策略を明かすことで、俺たちの退路を断ったというわけだ」

 結局、死の呪文の謎を解いただけでは、自由になれるわけではなかった。

 シーナスは景斗たちを意のままに操ろうとしているが、そのための手段は魔法のよる脅迫行為に限らないとうことだ。

 誘惑、弱み、プライドなど利用できるものはたくさんある。

 召喚士は案外人間臭いやり方で召喚対象を操るものなのかもしれない。

「矢島はシーナスのことをどう思う? 信頼できるか?」

「100%は信用できないわ」

「……俺も同じだ」

「錬はどう思うの」

 緑帆が尋ねた。

 錬は少し躊躇してから、噛みしめるような口調で答えた。

「シーナスは僕に魔法を熱心に教えてくれた人だから……シーナス以外であそこまで僕に魔法を教えてくれる人はいないと思う」

「そう……」

 確かに、錬の魔法習得にかけるシーナスの意気込みは普通じゃなかった。

 錬がシーナスに絶大な信頼を寄せるのも当然のことだ。

「ともかく、今の状況ではシーナスの考えに従うほかない」

 そう言いながら、景斗は自分の無力さを実感した。

 力を得るためには、まだまだ知らなければならないことが多い。

「だが、これは後戻りできない道だ。覚悟を決めて突き進まなければならない。それでいいな?」

 静かな口調で覚悟を求める景斗に、二人は小さくうなずいた。

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