第10話 緑帆の焦り

 一俊達が旅立った後、残された3人はそれぞれの時を過ごしていた。

 景斗は図書館に入り浸り、錬は魔法鍛錬所で魔法の訓練。緑帆は剣と弓の鍛錬に励んでいた。

 彼らが何をするかは特にシーナスから指示は受けておらず、好きにしてよいとのことだった。

 ただし、3人には相変わらず警備兵がついていた。

 彼らは護衛だといいつつも、むしろ看視が役目のようだった。

 はじめのうちは疎ましく感じたが、そのうち気にしなくなった。

 警備兵たちの方も3人が妙な行動をする可能性のないことがわかると適当にサボりはじめた。


   ◆   ◇   ◆


 その後は穏やかな時が流れたが、緑帆は強い焦りを感じていた。

 ――翔矢の安否を早く確認したい。

 緑帆の思いはその一心にあった。

 シーナスには拒否されたが、まだその救出方法の可能性を諦めた訳ではなかった。

 その方法とは召喚魔法で翔矢をここに喚び寄せるということである。

 召喚魔法とは、離れた場所や時間に存在する人物、物質などを自らの元へと喚び寄せる魔法だ。

 となれば、いくら時間が経過しても遅すぎるということはない。

 自分が元の世界に戻って翔矢を助けるよりも、彼をここに喚び寄せる方が断然確実だ。

 なにしろ自分もこうしてこの世界に呼ばれて来たのだから。

 だが、現在のこの状況は、緑帆の望みを実現するには程遠い状況にあった。召喚魔法は莫大なマナを必要とするし、シーナスのような召喚魔道士の協力も不可欠だ。


 緑帆は、はやる気持ちを抑えることができなかった。

 そもそも自分たちはこの世界を単に生き抜くだけの力さえも持ち合わせていないのだ。

 少なくとも、緑帆はそう考えていた。

 シーナスは自分達のことを救世主だと呼んでいるが、とんだ勘違いだ。

 自分たちは魔法も使えなければ、剣技だって十分ではない。

 シーナスの話では、過去に活躍した伝説の6人も最初は全くの素人だったが、その後、瞬く間に成長を遂げたのだという。

 しかし、そんな昔話は気休めにもならない。

 このままの状態が続いて何の活躍もできず、結果としてミューダ公国の期待を裏切ってしまったとしたら、遠くない将来、見放されてしまうという危機感が緑帆にはあった。

 そうなった時に、自分たちは一体どうやって生き延びていけばよいというのだろうか?

 一俊には悪いが、デルボアに勝てたのは運が良かっただけだ。

 一対一では強さを発揮できたとしても、乱戦になったときに彼の剣技がどれだけ通用するか疑問だ。

 試合と実戦は違うのだ。

 実戦経験のない自分達が活躍できるとは到底考えられなかった。

 果たして、一俊たちは無事に帰って来ることができるのであろうか?


 今回の人選で特に不安なのは葵だ。

 かく言う自分にしても自信がある訳ではない。

 しかし、メンバーの中で多少なりともまともな働きができそうなのは、一俊と自分だけであろうと思う。

 葵のことは心配だったが、どうにかなるものでもない。

 今できることをやるしかないのだと緑帆は気持ちを切り換えることにした。


   ◆   ◇   ◆


 デルボアは城壁にもたれて座り込み、中庭の噴水を眺めながら干し果実をかじっていた。

 馴染みの侍女から貰った菓子である。

 宮殿内の男たちといえば、老いた執事か、堅物の警備兵ばかりだ。

 そのせいもあり、デルボアはたいそうモテた。

 デルボア自身はミューダ城の護衛のために雇われた傭兵に過ぎなかったが、魔法院からは剣の腕を大きく買われており、宮殿内ではほとんど放し飼いの状態にあった。

 それでも過去の栄光の時代と比べたら、満足できる状況ではない。


 ふと、日差しが人影で遮られた。

 異人の女がデルボアを見下ろしている。

 たしかノリホとかいう女だ。

 手には竹の棒が二本握られていた。

 彼女の意図はすぐに分かった。だが、動く気にはなれない。干し果実をかじりながら、奥の噴水を眺めた。

「私に剣の訓練をつけてもらえないかしら?」

 緑帆はこの手の頼み事が苦手だった。言い方がどうにもギクシャクしてしまう。

 それを知ってか、デルボアはわざとらしく緑帆を一瞥した。

「救世主様につける訓練などないな」

 断られることに馴れていない緑帆はついムキになってしまった。

「なら言い方を変えるわ。私と立ち合って」

「女を斬る趣味はないね」

「うそよ。これまでたくさん人を斬ってきたくせに」

 デルボアが鼻で笑う。

「なぜわかる?」

「あなたはそういう人間だからよ」

「はは! 挑発が下手だな」

 デルボアは干し果実を口のなかに放り込むと、むくりと立ち上がり、緑帆を見据えた。

「いいだろう。その下手な挑発に乗ってやる」

 その言葉を確認するや、緑帆は相手に竹刀を投げつけた。

 竹刀を受け止めたデルボアの顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

「女を斬ったことがないというのは本当さ……」

 その言葉とは裏腹に、身体から放たれはじめた殺気は目に見えるようである。

「燃やした女はゴマンといるがな……」

 当然ながら、緑帆の住む世界にこう言ったタイプの人種はいなかった。

 こういう戦士に勝つことができない限り、この世界で生き残ることはできない。

 緑帆はあえて己に厳しい試練を課したのだ。


「手加減なしでいいわよ」

 意を正し、正眼に構える。

 一方、デルボアに構える気配はない。

 両手で竹刀を弄びながら、無造作に近づいてくる。

 ついさきほど感じた殺気も消えていた。

 だが、一俊との戦いを見ている緑帆にとって、その態度がまやかしであることは一目瞭然だ。

 間合いに入ってくるなり、迷いなく打ち込んだ。

 所詮は油断を誘うパフォーマンスである。本当に緩んでいるわけではない。

 それを証明するかのように、デルボアは素早く反応した。

 打ち込みをかわしざま、側方に大きく回り込むと、緑帆の死角に入ってくる。

 そこから鞭のような勢いで竹刀を振るってきた。

 背後からの猛攻に、緑帆は竹刀を背中に回し込みながら受け止めた。

 そのまま前転しながら、衝撃を吸収する。

 すぐさま体制を立て直すと、間を入れずに反撃に転じた。


 互角の立ち会いだと言ってよかった。

 ただし、初動は常に緑帆の方だ。

 気迫で勝る緑帆が、徐々にデルボアを後退させていった。

 ついに城壁まで追い詰めると、竹刀をデルボアの喉元に突き立てた。

 が、僅かな躊躇いをみせた竹刀は、すかさず空高くにはじき飛ばされた。

 丸腰になった緑帆をデルボアの剣が容赦なく襲う。

 緑帆は後ろに飛び退いて、距離を置いた。

「油断するからだ」

 竹刀で肩を叩きながらデルボアはニヤついている。

 緑帆は相手から目を離さずにゆっくり竹刀を拾うと、構え直した。

「卑怯者が」

 これまでの人生で一度も口にしたことがない言葉が出た。


 再び、緑帆の連打をデルボアが受け流す展開となった。

 しかし、既にデルボアの顔には余裕すら感じられる。

 緑帆の渾身の面をデルボアはなんなく受け止めると、空いている右の拳で緑帆の脇腹を突いた。痛みで 動きが止まった緑帆の手からあっさりと竹刀が取り上げられた。

 緑帆は腹を押さえながら、デルボアを睨み付けた。

「そんな勝ち方しかできないの?」

「勝ち方なんぞ、どうでもいい」

 デルボアが見下ろしながら笑っている。

「お前にしても、あのカズトシという小僧にしても戦い方がお上品すぎるぜ。敵はそんな都合よくは動いてくれない。負ければ死ぬんだ。どう勝とうが、生き残った者の勝ちさ」

「そういうあなたは一俊に負けたじゃない」

「あんなのはただのお遊びだ。実戦とは違う。大体、あいつの攻撃は軽すぎる。あれじゃあ相手を一撃で仕留めるのは無理だ」

 緑帆は息を飲んだ。

 デルボアは一俊の弱点を見抜いていたのだ。

 一俊は剣道の癖が抜けきれていない。

 実戦ではもっと相手の懐深くに入り込み、腰を入れて斬り下ろさなければ、止めを刺すことはできないのだ。

 しかし、それは決死の覚悟で相手の間合いに飛び込まなければならないことを意味する。

 頭ではわかっていてもそう簡単にできることではない。

「あんたに教えてやれるのはそれくらいだな」

 デルボアが放り投げた竹刀を反射的に受け止めた。

 緑帆は立ち去るデルボアの後姿をしばらく見つめていた。

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