第4話 異世界
突然、周りの喧噪が止んだ。
あまりに突然だったため、キーンと強い耳鳴りがした。
目を開けると、あたりはいつのまにか暗闇と静寂に包まれていた。
一俊は静かに立ち上がった。
足の裏にひんやりとした土を感じ、一俊は自分が裸足であることを改めて意識した。
――おかしい。
武道館にいるはずなのに、周りはどうみても洞窟か何かの雰囲気だった。
しばらくすると、少し目が慣れてきて周りの状況がわかるようになってきた。壁は土で固められており人工的な空間だということがわかった。
空気はひんやりとしていて湿っている。
――地下室か何かなのであろうか……。
「宮崎さん?」
一俊の声はこだましながら奥に拡がる暗闇の向こうへと消えていった。
呼応するように、闇の向こうから人の近付いてくる気配がした。
影のシルエットからみて背が高く細見の男であることがわかる。
宮崎コーチの体型ではない。
すぐ傍まで近づいてきて、ようやくうっすらと司祭のような格好をした老人の姿が浮かび上がってきた。
顎髭を長く伸ばしており、70歳は超えているであろうかという面持ちだが、背筋は真っ直ぐ伸びている。
男が乾いた声で呼びかけてきた。
しかし、一俊には理解できない言葉だった。
ふと、男の手の平に小さい指輪が載っているのに気づく。
それを一俊の目の前に差し出してきた。
はめろということらしい。
一俊が手に取った指輪を左手の小指にはめるのを確認して、男はまた喋りかけてきた。
「よく来られた」
今度は言葉が理解できた。
というよりも、言葉が日本語として頭に耳に響いてくる。
「私の名はシーナスだ。貴殿をここ、ミューダ公国に召喚したのはこの私だ」
「ショウカン?」
「事態は切迫している。我々の力になってもらいたい」
「……ここは武道館の地下ですか?」
「いま説明したであろう。ここはミューダ公国だ。貴殿は我が国に召喚されたのだ」
この老人は一体何を言っているのであろうか?
言葉は通じるようになっても、肝心の話は一向に腑に落ちない。
「……一体ここはどこですか……」
そう尋ねるほか考えが及ばなかった。
シーナスと名乗る老人は面倒臭そうに手招きをした。
「ついて来られよ。他にも召喚した者たちがいる。その者たちと話す方が早い」
呆然としている一俊に対し、シーナスはお構いなしにスタスタと暗闇の向こうへと歩き始めた。一俊は慌てて後を追う。
◆ ◇ ◆
途中の暗い廊下には、幾人もの男たちが座り込んでいた。いずれも腰に剣を携えており、戦士のような出で立ちである。こちらを見て囁きあう者もいる。
ジグザグと曲がりくねった廊下をしばらく進むと、一つの部屋につきあたった。入り口にドアはついておらず、かまくらを大きくしたような球体の空間になっていた。
中には男女が合わせて5人。思い思いの場所に座っていた。
服装を見て、彼らが日本人であることがすぐにわかった。
ジャケット姿の者やスポーツウェア着の者、Tシャツにデニム姿の者、中には制服姿の女子高生もいる。それを確認できただけで、ほっとした。
シーナスと一俊が中に入って来ると彼らは一斉にこちらを見た。
「6人目か」
ジャケット姿の男がつぶやいた。
「これで全てだ」とシーナスが返した。そして、一俊の方を振り返り、
「しばらくここで待たれよ」
と、言い残すと、一俊を置いてさっさと部屋を出て行った。
一瞬沈黙が流れたが、ジャケット姿の男が口を開いた。
「じゃあ、もう一回自己紹介するか」
「またかいな」
立て膝をついたスポーツウェアの男が言った。人が増える度に自己紹介をしているので、もううんざりしているようだ。
「これで最後だとさ」
と言うと、ジャケット姿の男が自分から自己紹介を始めた。
彼の名前は片倉景斗といった。
23歳のプロ棋士だそうだ。
確かに彼の顔には何となく見覚えがあった。
「知らないの? 片倉景斗って言ったら有名人でしょう」
女子高生が口を挟む。
それもそのはず、実力とルックスの両方を兼ね揃えた棋界のプリンスとして最近マスコミで大いにもてはやされている有名人なのだ。
若くして既にタイトルを獲得しており、これからの活躍がますます期待される矢先のことだった。
会館で一人、棋譜を追っている間に気絶して、気づいたらここにいたという。
次に面倒くさそうに自己紹介したのは、スポーツウェア着の高田虎太郎である。
高校を卒業したての19歳で、一応大学受験を目指し浪人中だという。
家で昼寝してて起きたらここに来ていたらしい。
「全くたまらんで! ソファで寝てたら頭がぐるんぐるん回って、吐こうかと思ったらココにおったんや」
その後、虎太郎の身の上話は景斗の制止が入るまで延々と続くことになる。
Tシャツにデニム姿のラフな格好で、髪の長い女性は矢島|緑帆(のりほ)。
高校時代は剣道、現在は大学で弓道をやっている武道一筋の女子大生だ。
交通事故にあい、気絶して目覚めたらここにいたという。
好奇の目でこちらを見ている制服姿の女子高生は香坂葵あおい。
器械体操のオリンピック特待生である。
トレーニング終了後に更衣室で倒れたらしい。
最後の一人は、椎橋|錬(れん)という中学生だ。
部屋の隅のベッドで入院着のようなものを着ており、横向きのまま頭を微かに曲げて挨拶をした。
シーナスが戻ってこないので、暫くの間、各人がここに来るまでの経緯を確認し合うことになった。
そのうちに、重要なことがわかってきた。
まず、一番最初にここに召喚されたのは片倉景斗だった。
彼の話では、数十分おきに召喚された人間がこの部屋に連れて来られたとのことだ。
しかし、各人が呼び寄せられた日時を確認すると、前後はバラバラなのだ。
例えば、一俊が召喚されたのは20××年の11月だが、片倉景斗はその翌年の1月、椎橋錬はさらに次の年の4月だ。
一俊がここにたどり着いたのは一番最後だったが、召喚された年月でみれば一番最初だということになる。
つまり、一俊からみれば、他の者達はみな未来の人間だということになるのだ。
なんとも奇妙な感覚である。
しばらくすると、シーナスが戻ってきた。
6人にミューダ公国の実情を説明し始める。
「ここはミューダ公国の首都ミューダの中心に位置する王城だ。我々がここに籠城してから2年が経つ」
シーナスはこの国が存続の危機にたたされていること、この国を立て直すためには強い戦士が必要であることを淡々と説明しはじめた。
ミューダ公国は東西の国から挟み込むように攻めこまれ、ついには首都ミューダを残すのみとなっていた。だが、ミューダは大陸一堅牢な城塞都市として知られている。これまでにも東側から攻めてくるゾーン共和国を二度退けている。
実際には、東からやってくるゾーン共和国と西から攻め込んでくるマルス帝国の睨み合いに助けられた点も大きい。
ゾーン共和国が攻城中、マルス帝国の方はミューダ公国との交易を継続している。
お陰でミューダ公国は兵糧が尽きるのを防ぐことができた。
もちろん、マルスが本気でミューダを助けようとした訳ではない。あくまでゾーンを牽制するのが狙いである。
ミューダ公国の豊富な資源を独り占めしたいという思惑は双方同じであった。
その間に、ミューダの市民の多くは、マルス帝国へと亡命していった。
残ったのは、使命を持つ者と、捨て去ることの出来ぬ何かを抱えている者、そしてその「何か」を狙う者たちだけである。
ミューダの城下町は次第にかつての活気を失っていき、治安も悪化していった。
ミューダ公国はいままさに滅亡の道を着実に歩んでいるようにみえた。
日の国の若者の召喚が決行されたのは、そんな中でのことである。
召喚した6人はこの国の存続をかけた最後の望みなのだという。
「大体の事情はわかりました」
片倉景斗はシーナスの説明を半ば断ち切るように割って入った。
「ですが、俺たちには関わりのない話です。早々に元の世界へ帰してもらえませんか」
シーナスは景斗を無表情に見返した。
「貴殿らはまだ召喚されるということの意味をよく理解されておらぬのだ。召喚された時、貴殿たちには死の呪文をかけた。私がその気になればいつでも発動できる。貴殿たちにとって私の指示は絶対なのだ。それをよく覚えておくがよい」
シーナスの脅しの言葉に一同は黙った。
「それで、召喚はもう終わりなの?」
一同の視線が緑帆に集まった。
彼女が何を言わんとしているのか、理解できた者はいなかった。
「もう一人召喚することはできないの?」
「それは……できんな」
シーナスだけは彼女が意図していることを理解したようだった。
「どうして?」
「召喚には莫大なマナを消費する。これ以上の余分はもうない」
緑帆の意図とは、もちろん翔矢の召喚だ。
あのままでは翔矢は絶対に助からない。
こうなった以上、ここに翔矢を召喚してもらうしか彼を助ける方法はないのだ。
「で、なんでわいらやねん」
ここで虎太郎が当然の疑問を投げかけた。
緑帆は話題が変えられたことに眉をひそめた。
シーナスは言葉を選ぶように、間をおいてから答えはじめた。
「その昔、日の国から召喚された者たちが長い戦争を終わらせたという伝説があった。彼らはサムライやニンジャ、グンシ、ソウリョ、ロウニンなどと呼ばれた」
「ははーん。なるほど」
虎太郎は腕を組んで一同を見まわした。
「伊東と矢島はサムライ、片倉がグンシ、香坂は体操やってて器用やからニンジャってとこやな。椎橋はようわからんけど、雰囲気的にソウリョやな」
「そういう自分は?」
葵だけは話にのってくる。
「俺は今んところ
「おおよそ、そんなところだ」
真面目な返答をするシーナスに、大笑いをしようとした葵の口が開いたまま固まった。
「我々はこの召喚に国の存亡をかけている。まずはこの召喚が成功したのかどうかを確認したい。貴殿達の力を示してみせよ」
「勝手に呼んでおいて大した言い分やな」
虎太郎は、ふざけた調子で返したが、目は笑っていない。
だが、それが精一杯の反抗だった。
シーナスの指示は言葉こそソフトだが、本質的には脅迫だ。
6人はその指示に逆らう術を持ち合わせてなかった。
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