第27話 氷神ティスタ
虎太郎達が坂を下っていく間に、一俊は荷車を引きながら前方へ進もうとした。
可能な限り、虎太郎たちとは距離をとっておきたいとの思いからだ。
だが、数メートルも進まないうちに、背後から数頭の馬が駆けつける音がした。
一俊は数秒の間、目を瞑った。
(さてと。観念するか)
荷車の持ち手を下に降ろすと、後ろを振り返った。
馬は5頭。
いずれも白いマントをまとった騎士が乗っている。
先頭真ん中は女だ。ブランズヘアがひときわ目立つ。
おそらく、デルボアの言っていたティスタという四神の一人だろう。
5人は馬を下り、一俊との距離をじりじりと詰め始めた。
皆、剣の柄に手をかけている。
「お前はデルボアの仲間か?」
女騎士ティスタが一俊に向かって質問を発した。
彼女だけは剣を抜く気配はない。
相手がどこまで知っているのかを測りかねて、一俊は押し黙った。
ティスタが一俊の腰にかかっている刀に目をやる。
随分と細い剣だが、切れ味はよさそうだ。
ラクターの胸の傷を思い出す。
「お前がラクターを殺ったのか?」
静かな声だが、怒りを押し殺しているのがひしひしと伝わってくる。
(ごまかしきれない相手だな)
一俊は観念してゆっくりと刀を抜いた。
「まぁ、そうだ」
騎士達が一斉に剣を抜いた。
一俊は全身に鳥肌が立つのを感じた。
これほどの殺気を一身に受けたことはなかった。
だが、ティスタだけは剣を抜かずに腕組みをしている。
「デルボアはどこにいる」
ティスタが低い声で質問した。
一俊は答えない。剣先を相手に向けながら、荷車を間にはさむようにじりじりと移動する。
「おい、お前に聞いているんだ。答えろ」
怒りを含んだティスタの声が響く。
「知らん。一緒じゃない」
生半可な迫力じゃなかった。
本能的に気負けしてはいけないと感じて、刀をよりいっそう突き立てた。
ティスタは特に臆する様子もなく、辺りを見渡す。
「捜してくる」
ひとこと言うと、渓谷の方へ降りるそぶりを見せた。
一俊が僅かに反応してしまう。
その動きを見て、ティスタは渓谷を見下ろした。
「この下か……」
(くそ。勘のいい女だ)
「始末したら後を追ってきなさい」
騎士達に指示すると、ティスタは坂を滑り降りていった。
あとは虎太郎に託すしかない。
だが、あの女騎士とまともにやり合えるとは思えない。
早くあとを追いたかった。
だが、まずはこの4人だ。
突如、一俊の醸し出す雰囲気が変わった。
刀を構えたまま、瞑想するように動きを止める。
一俊がここ一番の試合でよく見せる精神統一法である。
4人の騎士は怪訝そうにしながらも、一俊を徐々に囲い込んだ。
以降、一俊の動きから迷いは完全に消えていた。
◆ ◇ ◆
虎太郎たちは小川のふもとまで辿り着いた。
草薮に隠れてやり過ごすという当初案は断念した。
見つかる可能性が高そうなのだ。
であれば、できる限り逃げようという選択をした。
だが、小川に着くまでに、虎太郎のスタミナは消耗しきっていた。
「どうするの?」
肩で息をする虎太郎を、葵が不安そうに見上げる。
「渡るに決まっとるやないけ。お前、先に行け」
「うん」
葵を先頭にして、デルボアを担いだ虎太郎がそれに続く。
川の中腹までくると水の深さが腰まで達した。
意外に深い。
「デルボア!」
背後から女の声がした。
「やばい。急げ」
虎太郎達が歩を早める。
水底の砂に足がとられ、なかなか思うように進まない。
女騎士ティスタは剣を抜くと、川の中に剣先を突っ込んだ。
そして何やら呪文を唱え始める。
すると次第に水に浸けた剣から煙りが立ち始めた。
水が白く固まりはじめ、剣を中心として放射線状に拡がっていく。
葵が向こう岸にたどり着き、虎太郎に手を貸そうと振り返った。
その時にようやく川の水が白く凍り始めていることに気づいた。
「ちょ、ちょっと虎太郎、急いで! 川! 凍ってるよ!」
虎太郎は驚いて後ろを振り返った。
氷が発する煙で辺りには霧がかかりはじめていた。
「うわ! うわ!」
虎太郎は岸にたどり着くと、急いでデルボアを地面に降ろし、自分も川から上がろうとする。
片足が氷に引っかかった。
引っ張るが抜けない。
葵がすぐさま短剣を取り出し、ザクザクと虎太郎の足元の氷を削りはじめた。
「お、おい! 気をつけてくれよ!」
なんとか足が解放されて、川の向こう岸の方に目を向けると、一人の女が平然と氷上を歩いてくるのが見えた。
「そんな大男を担いで、逃げ切れるわけないでしょう。悪あがきはやめなさい」
女のブーツはスパイク付きらしい。氷上をものとしない確かな足取りで、虎太郎達に近づいてくる。
「……とにかく逃げようや」
虎太郎はティスタの呼びかけを無視して、デルボアを担いだ。
ティスタは川を渡り切ったところで、地面に剣を突き刺すと、大声で呪文を唱えた。
一目散と逃げようとする二人が思わず振り返ってしまうほどの大声だ。
「なんてこった……」
地面のそこかしこで煙が立ちはじめている。
どうやら、水分を含む地面であれば、水中同様、凍らすことができるらしい。
この一帯は《血塗られた滝》のおかげで地面はたっぷりと水分を吸っている。
「私の話、聞いてたの?」
虎太郎がデルボアを下ろした。
葵が不安そうに虎太郎を見守る。
「やるしかないか」
虎太郎が葵に手を差し出した。
意味が分からす、自分も手を差し出す。
出した手を叩かれて、葵がようやく意味を理解した。
背中に担いでいた槍を取り出すと、虎太郎に渡す。
自分も二本の短剣を抜いた。
虎太郎は槍を構えると、ティスタから目を離さず、葵に呼びかけた。
「ええか、葵。こんなところでくたばる訳にはいかんのやで。わかっとるな?」
「うん」
葵も泣きそうな顔で短剣を構えた。
◆ ◇ ◆
ティスタは余裕の笑みを浮かべた。
構え方を見れば、二人に実戦経験がないのは明らかだ。
さっさと始末して、デルボアを回収しなければならない。
「まて」
背後から低い声がした。
素早く振り返り、声の主に剣を向ける。
川の向こうから先程の男が歩いてくる。
左手には今しがた血を吸ったと思しき紅い刀が握られている。
彼女の大きな目が見開かれた。
「お前……全員やったのか??」
絶句した。
僅か数分で、自分の部下4人全員を倒しきったというのか?
息は上がっているが、男の眼からは強い光が放たれていた。
さっきまでとは雰囲気が違う。
今しがたの戦闘で発した殺気がまだおさまっていないようだった。
ティスタの本能が危険を知らせていた。
この男は要注意だ。
ラクターを暗殺し、4人の部下を瞬時に切り伏せたその腕は、もはやまぐれとして片付けられるものではない。
手の内がわからない以上、ここで相手をするのは危険だ。
ティスタは無意識にジリジリと後退しはじめた。
一俊の方も彼女を深追いするつもりはない。
しばらくの間、睨み合いが続いた。
十分に距離がとられると、ティスタが剣を納めた。
一挙に場の緊張が解ける。
ティスタは背を向けると、足早に歩き去って行った。
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