第7話 マナ修行
ミューダ城の城内には中庭がある。
大きさはちょうど300mトラックのグラウンド程度。
真ん中には壁を薄緑帆色に塗られたドーム状の建物がそびえ立つ。
城全体の雰囲気とは少々趣が異なるこの建物は、ミューダ公国公認の魔法鍛錬所である。
この鍛錬所には国内だけでなく周辺国からも選りすぐりの魔導士の卵が大勢やって来て、お互いの技術を競い合っている。厳重な警備の城内にあって、唯一開放的な雰囲気のエリアであり、魔法教育こそが国力であるという代々伝承されてきた国家のポリシーを反映したものとなっていた。
シーナスの計らいで錬もこの鍛錬所に定期的に参加することを許されていた。
だが、中学生の錬と同年代であろうと思われる魔道士見習生たちは既に基本的な魔法技術をきっちりと身につけており、応用技術を学ぶ段階へと進んでいる。
それに比べて錬の方はまだ魔法のイロハを覚え始めたばかりだ。
部外者ということもあって、どうしても同僚に気後れをしてしまっていた。
鍛錬所の真ん中には自由に鍛錬できる小さな体育館のようなスペースがある。その周りには学校の教室のような部屋がたくさん並んでいた。
錬は体育館の隅にしゃがみこみ、魔法の書物を読んでいることが多かった。
シーナスにかけてもらった魔法のおかげで言葉自体は理解できるはずなのに、他の見習生の話していることがさっぱり理解できなかった。それは言葉の問題ではなく、そもそもの魔法に関する基本知識が足りていないことに錬も気づいていた。
彼らに追いつこうと錬は必死に取り組んでいるものの、なかなか成果には結びついていなかった。
「おーい」
近くで一人の男の子が誰かを呼ぶ声がする。
「おーい! シーナス先生の愛弟子君!」
錬は思わず男の子の方を振り向いた。
ようやく、その呼びかけが錬に対してのものであったことに気づく。
同僚の男の子だ。
話をしたことはないが、顔は見たことがある。
小太りで愛嬌のある、いがぐり頭が印象に残っていた。
「そんなところで本なんか読んでいても魔法はうまくならないよ。実際に使ってみないと」
男の子はトコトコと体育館の真ん中に並べられている長テーブルの方へ行き、テーブルの上に置いてある箱から黒い石炭のような石を一個取り出した。
それを片手で何度も上に放り上げながら、なにやら呪文を唱え始める。
すると、途中、石はふわりと空中で止まった。再び呪文を唱えると石は徐々に棘だらけの形状に姿を変えた。
それを投げるようなそぶりをすると、錬の方めがけて飛んできた。
錬は思わず顔を覆ったが、石は寸前で失速し、コロコロと地面を転がった。形も元の丸い形状に戻っている。
錬は男の子の見事な魔法技術にあっけにとられてしまった。
その魔石はマナの含有率が高い反面、再チャージが難しいため、実用性には欠ける石だった。だが、危険が少なく扱い安いため、初級魔道士の練習向けの素材としてはうってつけだった。
錬にとってはピクリとも動かすことのできない重い石だが、この男の子にかかると摩訶不思議な魔法石に早変わりするのである
技術の差は歴然だった。
「さあ、やってごらんよ」
男の子から放られた石を、反射的に両手で受け止める。
「できないよ」
「いいから。やっているうちにできるようになるよ。みんなそうやってできるようになったんだから」
錬は渋々石を地面に置くと、杖を向けて、覚えたての呪文を唱えはじめた。彼は杖など使わずに石を操って見せたが、そんな芸当は真似できない。たどたどしく呪文を唱え終えたが、案の定、石はピクリとも動かなかった。
「うーん。うまくいかないね。持ち上げようとするんじゃなくで転がすイメージでやるんだよ」
言われるがままに、錬は力のかけ方を縦から横に変更した。
すると、石が微かに震えた。
「おっ」
そのまま数分間、杖を石に向けていると、石がノロノロと転がりはじめた。
その後、錬はひたすら石を転がす訓練に明け暮れることになった。
◆ ◇ ◆
男の子の名はライリといった。
隣国のザダから父と一緒に魔法を学びにやってきたという。
ライリは度々錬に魔法のコツを教えてくれた。自分がつい最近まで苦労して通った道だけあって、教えかたのツボを抑えていた。
年の頃が同じだったこともあって、仲良くなるのも早かった。
「僕はそろそろ故郷へ帰るかもしれないんだ」
ある日、ライリは錬に打ち明けた。
「あと1年は続けるつもりだったんだけど、お父さんがそろそろ帰った方がいいって言うんだ」
「どうして?」
ライリはキョロキョロと辺りを伺うと、錬に耳打ちした。
「もうこの国は危ないってお父さんは言うんだよ」
「危ない?」
「僕が来た一年前からすると、相当ヤバいみたい。ゾーンとはもう何度もやりあっているみたいだし、最近はマルスとの関係も悪くなってるって」
この国の政情不安については、既にシーナス自身から聞かされている話だったが、実際に他国の人間からの噂として聞くとリアルさが違う。
このような訓練をしているだけで、果たしてどれだけ役に立てるのか。
錬はあらためて自分へ向けられた期待に疑問を抱かざるを得なかった。
その後も錬は精力的に魔法の鍛錬に励んだが、ライリは鍛錬所に来なくなっていた。
もう故国に帰ってしまったのかもしれない。
それも仕方のないことだと思った。
仮に「この国は危ないからもう帰るね」などと言われたとしても、かえって気まずい思いをするだけだ。
錬にとっては、久しぶりにできた友達だっただけに、受けたショックは大きかった。
しかし、本人自身はそのことをあまり自覚しておらず、ライリのことを紛らわすように魔法の鍛錬に没頭していった。
その甲斐もあって、錬はマナの操りかたのコツを徐々に掴んでいった。一旦コツが掴めると、簡単な魔法であれば発動させることができるようになった。
但し、必要なときに速やかに適切な魔法を唱えることができるかというと、それはまた別の技術が必要となる。
いかに低レベルな魔法であっても使い方によっては強力なものになり得る。
例えば、念力の魔法を唱えるのには成功したが、それで錬が出来ることといったら皿をフラフラと持ち上げる程度のことだ。
しかし、シーナスであれば、皿を次々と円盤のように飛ばし、標的を攻撃するための武器とすることができる。
要するに、魔法が上達するということは、呪文を上手に唱えるということではなく、マナの操り方に長けるということなのである。
一旦、念力系魔法が習得できれば、あとは応用力次第で非常に幅広い魔法が習得できる。
例えば、浮遊魔法なども自分の体を念力で宙に浮かすという意味で、念力系の魔法に属する。
ただし、念力系魔法の発動には注意すべき制約条件が一つだけある。
それは念力で操る対象と詠唱者との間にマナの通り道が確保されていなかればならないということだ。
この通り道は、マナの「導線」と呼ばれる。通常大気中にマナが含まれていればそれで問題はないが、大陸にはマナが完全に枯渇してしまっている地域もある。そういった地域で念力系魔法を使っても、うまく発動しない。
同様の性質を持つ魔法は念力系魔法以外にも多く存在する。
例えば、火炎弾魔法は敵へ向かって火炎弾を撃ち込む魔法だが、敵に辿りつくまでの弾道はマナを含有した大気でなければならない。
つまり、火炎弾は大気中のマナを消費しながら進んでいくということだ。途中でマナが切れてしまえば、火炎弾は潰えてしまうのである。
こういったマナの性質を知ることこそ魔法を知るということなのだということが、錬にもわかってきた。
◆ ◇ ◆
シーナスの指導のもと、錬はマナと同化する訓練もはじめた。
この訓練は他の生徒のカリキュラムにはないものであった。
マナとの同化とは体の中にマナを吸収し、溜め込んでいくということである。それはあたかも冷たい水を一気に飲むと水が喉を通って胃の中に伝わるのが感じられるのに似た感覚であった。
この訓練をはじめてからというもの、錬の体調はすっかりよくなっていた。魔法のレッスンが自分なりに進んでいるという気持ちの面も大きいが、決してそれだけではなかった。
「なぜ君はここにきて体の具合がよくなったかわかるかね?」
鍛錬所で一通りのカリキュラムを終えて休憩しているときに、シーナスが問いかけてきた。
「君は召喚された当初からは見違えるほど元気になっている」
たしかに錬は体から力がみなぎってくるのを感じていた。それは生まれてこのかた経験したことのない感覚である。
「君はドラゴンを見たことがあるか?」
「いえ。神話上の生き物ですよね」
「君の世界ではそうなのかもしれんが、この世界ではちゃんと存在する。だが、彼らはマナが無ければ生きてはいけない生き物だ。彼らの体の一部がマナで出来ていると言い換えてもいい。マナが体の中を流れているが故に彼らは凄まじい魔力を発揮することができる」
「……僕の体も同じだとおっしゃりたいのですね」
「その通りだ。君の体はこの世界のマナを取り込んで本来の力を取り戻しつつあるのだ。君のように多量のマナを体に取り込むことができる人間を我々は《コンダクター(伝導体)》と呼んでいる。私の見立てでは君の体におけるマナの吸収許容度は80%を超えている。これだけマナを取り込む体を持つ人間はこの世界でも稀だ」
錬の体はマナの伝導体としての役割を果たしているというのだ。
錬は不思議な感覚にとらわれた。いまや帰れるかどうかも判らないぐらい遠くにある日本と、このミューダ公国という国。どちらが自分の故郷なのだろうか。心臓病を患い、余命いくばくもないと診断された錬が、今は元気に歩くこともできる。皆は日本に帰ろうとがんばっているのにと考え、錬は自己嫌悪の情にかられた。
「私は君に私の知っている限りの魔法を教えよう」
錬は、はっとしてシーナスを見た。
「召喚魔法も教えてもらえるのですか?」
「ああ、教えるよ」
シーナスはふと考えて言った。
「勘違いしているようなので念のため言っておくが、召喚魔法では君たちが故郷に帰ることはできんからな」
「え……」
「召喚魔法は異世界からこの地へと人や怪物を呼び寄せる魔法だ。君たちが欲しているのは、この地から異世界へと飛び立つ魔法だ。言ってみれば、召喚魔法とは逆の行為だな」
まるっきり他人事のような言い草である。
「では、どうすれば……」
錬は目の前が真っ暗になった。
シーナスは動揺する錬に対し、特に躊躇することなく言った。
「いわば逆召喚魔法のようなものが必要なのだろうな」
「その……逆召喚魔法というものは存在するんですか?」
「さあな」
知ったことではないとでも言わんばかりの態度である。
なんということであろうか。
自分達の都合でここに呼んでおきながら、帰し方は知らないと言っているのだ。
一俊や虎太郎だったら、シーナスに飛びかかったかもしれない。
元気だった錬の身体から次第に力が抜けていった。
どうすればよいのだろうか。
もはや魔法を学ぶなどということに興味が持てる状態ではなかった。
◆ ◇ ◆
錬が皆にこのことを話すとその場にしばし沈黙が流れた。
「それって帰る方法がないってこと?」
緑帆が静かに言った。
「判らないよ。帰る方法がないのか。それとも方法はあるんだけど僕たちが知らないだけなのか」
「そんなバカな話ってある? それじゃあ一方通行ってことじゃない」
葵が思わず口走った。
「一方通行」という考え方は皆をぞっとさせた。
「まだ、判らないよ」
かろうじて錬は言い返した。
しばらく眉間を抑えてうつむいていた景斗が顔を上げた。
「来れたんだから、戻る方法もあるはずだ」
「どうしてそう思うの?」
質問する緑帆に対して、景斗が見つめ返した。
「俺は少し前から、もしかしたら帰れない可能性があるんじゃないかと考えていた。きっかけは香坂の言った言葉だ」
「私の?」
「そうだ。もしかしたらここは異世界なんじゃないかって言っただろ」
「言ったっけ」
「言いました」
緑帆がすかさずつっこむ。
「さっき図書館で手がかりとなる文献を見つけたんだ。50年ほど前に異人と呼ばれる人々がこの世界を変えてしまうほどの活躍をしたらしい。彼らはもしかすると俺たちと同じような境遇に合った人間なのかもしれない。シーナスが言っていた伝説とも関係しているかもな」
「伝説?」
「召喚された戦士や魔法使いが長い戦争を終わらせたという伝説だ。50年ほど前にも俺たちと同じように召喚された人間がいたってことさ。彼らが今どうしているのかを調べる必要がある」
景斗は皆を見渡した。
ピンと来ている者は誰もいないようだ。
「彼らの全員がまだこの地に留まっている、あるいはこの地で死んでしまっているのであれば、故郷に帰れた者はいないということだ。しかし、彼らのなかで、行方不明、あるいは雲隠れをしたといった者がいれば……」
「帰れる可能性があるということだな」
一俊が言葉を引き継ぐと、景斗が頷いた。
「よし調べよう」
「アホか。どうやって調べんねん」
立ち上がった一俊に向かって、虎太郎が冷めたように言った。
「シーナスが何か知っているかもしれない。彼を問いただそう」
「やめておいた方がいい」
景斗が手の平を掲げて制止する。
「シーナスは本当に俺たちの帰し方を知らないのか? 実は知っているのに知らないふりをしているだけなんじゃないのか? だって今俺たちに帰られたら困るんだろう?」
再び場に沈黙が流れる。
「シーナスに我々が帰りたがっていると思われるのはよくない。彼らに協力すると見せかけて、裏で調査を進めよう」
「協力はしないってこと?」
緑帆が尋ねる。
「いや。協力できることはもちろん協力するさ。だけど、俺たちの最大の目的は無事に家へ帰ることだろう?」
一俊の方を見て、景斗は続けた。
「一俊、お前も無茶はするなよ」
「ああ。わかってる」
一俊は視線を遠くへ向けながら答えた。
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