梢ルート
第1話『来島志郎と渋谷梢の出会いとは』
雫ルート11話の途中。
『志郎が雫ではなく梢の元へ向かっていた場合』
「志郎を困らせる気はないよ。……ファーストキスもらったお詫びに、今日は帰るね。あっちのフォローでもしてきたら? あたしも後ろからブスリ、なんてやだからねー」
ばいばいっ、と笑顔で手を振って、梢は駅に向かって走っていった。俺はその背中を見送りながら、雫の元へ駆け寄るか迷ったけれど、今ここで雫の元に向かい、俺が雫のしていた事に気づいたと思わせるのはよくないのでは、そう思った。
だから、俺は梢の後を追った。
「おい、梢っ!」
「ありゃ? 志郎、こっちに来るんだ?」
「今日はお前優先だよ……。って、そうじゃねえよ。お前、なんで雫の前でキスなんてした」
梢の隣に並んで、やつを睨んだ。
「なんで、って言われてもな。したかったからとしか」
その言葉で、火が灯ったみたいに、俺の顔が熱くなるのを感じた。なんでそんなこっ恥ずかしい事を言えるのかまったく疑問だったが、梢は意識してないらしく、俺の赤くなった顔を見て笑っていた。
「あっはははは!! 何を赤くなってんのさ!」
「お、お前が恥ずかしい事を言うから……」
「慣れといた方がいいよ。恥ずかしい事をさらっと言える男は、結構モテるもんだから」
「モテても嬉しくねえ……。っていうか、お前な、雫を煽るような真似してどうすんだ」
「志郎さ、山桜先輩を甘やかしすぎなのよ。だから、ちょっと釘を刺したの。志郎はアンタの物じゃない、ってね」
思わず、俺は鼻で笑っていた。
「はっ。じゃ、誰の物だってんだ」
きょとんとした顔で、梢は自らの鼻の頭を指差す。
「決まってんじゃん。あたしの」
俺は何かを言おうとした。
それがどういう言葉だったのかは、ずっとわからないままだが、俺の返事を待たずに、梢は大きく手を振って、「バイバイ!」と駅に向かって歩いて行った。
その背中を見ながら、俺は何がどうしてこうなったのかを考えざるを得なくなった。
■
俺と梢の出会いは、中学に上がってからすぐ。
中一の時、休み時間に本を読んでいたら、隣の席だったあいつが、突然話し掛けて来たのだった。
「ねえ、それ面白い?」
「面白くない」
これが、俺と梢の初会話である。
「え、面白くないの……?」
困惑顔の梢。今思うと、もうちょい気の利いた事を言ってもよかったのではと思わないでもないが、しかしその時読んでいた本は、普段あんまり読まない恋愛モノだったので、俺はどうにも感情移入をしそこねていて、主人公がとっとと告白しないことにイライラしていたのだ。
「あぁ。普段読まないジャンルはダメだわ。どうも恋愛ってのは性に合わなくってよ」
「ふぅん。んじゃあ、なんでまた」
「気分だよ。新しいジャンルの開拓したい気分だったんだ」
実は、行きつけの古本屋のお姉さんに勧められたから買ったのだが、それは言わないでおいた。なんかこの年齢で、二〇越えたお姉さんに好意を持っているっていうのは、マセガキ感があって、人にはあまり知られたくなかったのだ。
「つうかさ」
「ん?」
「悪いんだけど、お前、なんて名前だっけ?」
そこで、梢は驚いたように目を見開いた。というか、事実驚いていたのだろう。
「なんだよ」
「マジで? だって、隣じゃん!」
席が、という事だろう。
だから覚えているのは自然だ、と言いたかったのだろう。
「悪い。今まで話した事なかったから、全然覚えてなかったわ。んで? お前誰よ。俺は来島志郎」
「……渋谷梢。クラスメイトだし、隣の席なんだから、覚えてよね、来島」
それから、梢はちょくちょく俺に話しかけてきた。その時は友達になるとかそういうことはまったく考えておらず、ただ席が隣だから、自らの席を居心地よくする為に俺との友好度を上げておこうという考えなのだろう、くらいに思っていた。
そんな、ある日の事である。
クラスにも馴染んできて、委員決めというイベントがやってきた。
男女一組ずつ、いろんな委員会に入らなくてはならないというかったるい事この上無いイベントなのだが、せっかく中学生に上がったのだし、なにか新しい事をしてみてもいいかもしれないと思っていた俺は、図書委員に立候補した。
本好きだし、他に誰もやりたい奴いなかったし。
先生から「お、来島やる気あるなぁー」とまったくうれしくないお褒めの言葉をいただいたはいいが、それでも女子の委員がまったく決まらない状態。
――なんか、俺が女子から嫌われてんのかな? という被害妄想が産声を上げようとしていたその時である。
梢が手を挙げ、「んじゃあ、あたしやります」と言ってくれたのだった。
それで無事に委員決めは終わり、俺は梢に「お前、図書委員やんの?」と訊いてみた。だって意外だったから。
委員会なんてかったるいからパスと言い出すような女だと思っていたから。
「ん? ま、別にいいかなぁ。あのまま決まらないのもだるいし、来島いるなら退屈はしないでしょ」
「は? 俺が、なんで?」
「だって、友達じゃーん!」
俺はその時、梢の中で俺が「友達」というカテゴリにいたのを知った。あ、そうだったんだと思ったし、俺も彼女を友達として位置づけた。
これが、俺と梢が友達になったきっかけである。
■
あたしが志郎に出会ったのは、中学生になった時だった。
同じクラスで、隣の席。志郎はそこにいた。
志郎は、クラスメイトの男子と馬鹿みたいな話をしたりしながら、思い出した様に本を読む。
隣だからそれが特別目についただけで、多分隣じゃなかったら、知らなかったと思う。普段の志郎は、普通の男子って感じで、特別な感情を抱く事なんてなかった。
でも、本を読んでいる時の志郎はの姿が、私の琴線に触れた。
彼がページを捲る度、私はその仕草を盗み見た。
なんとなく、その指先が好きだった。
真剣だったり、涙ぐんだり、本で感情を揺さぶられて、表情をちょっとずつ変えていく志郎を見ていると、飽きなかった。
授業中にしかそれが見れないというのを、少しだけ惜しむのが、私の中学生活の常。
そんなある日。転機が訪れた。
委員決めだ。
決まらないと帰れないという焦り、あるいは、本当にやってもいいという子達もいて、それなりにあっさり決まっていったが、図書委員だけはまったく決まらなかった。
普通に学校生活をを送っていれば、先輩との付き合いも生まれ、図書委員が結構大変であることは知れる。
本が好きでも、ちょっと遠慮したいらしい。
決まらないと帰れない。でも、やりたくない。クラスで行われる無言の牽制。そこに一石を投じたのが、志郎である。
「俺が図書委員やります」
そう言ったのだった。
あたしもやろう。反射的に、そう思った。
でもすぐにやる、って言い出すのも、なんだか志郎目当てでやろうとしているのがすぐわかるのが、嫌だった。
だから待った。結構緊張する時間だった。誰かが先に痺れを切らしてやると言い出す前に、あたしがやると言わなくてはならない。
でもすぐにやると言い出せば、あたしのあんまり知られたくない気持ちがバレてしまうかもしれない。
少しだけ待って、言った。
「んじゃあ、あたしがやります」
クラス中から、意外そうな声が上がる。そりゃそうだ。あたしだって、自分が図書委員のガラじゃないのはわかってるし。
「お前、図書委員やんの?」
志郎が、目を丸くして、ちょっと体を私に寄せてくる。
「ん? ま、別にいいかなぁ。あのまま決まらないのもだるいし、来島いるなら退屈はしないでしょ」
ひひひ、と笑ってみせる。ちょっと露骨だったか、と内心で身構えたが、来島は片眉を釣り上げて、首をかしげる。
「は? 俺が、なんで?」
なるほど、どうも志郎は察しがよくないらしい。というか、どうも志郎の中では、あたしは「隣の席にいる女子」以上の認識はないらしい。ちょっとショック。
ここらでちょっと、アピールしておく必要があるみたいだった。
「だって、友達じゃーん!」
と、志郎の肩を軽く、何回か叩いた。
そう、友達だ。あたしと志郎は、この時友達になったのだ。まだ中学に上がったばかりだし、あたしの一方的な好意。
もうちょっとだけ育てよう。
あたしは志郎の戸惑う顔を見ながら、心の中で決意した。
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