ココロマテリアル

七沢楓

雫ルート

第1話『はじまり』

 学園のアイドルなんて古臭い言葉を使いたくはないのだが、山桜雫やまざくらしずくは確かにそういう存在だった。


 なんでも、マドンナというあだ名がついているらしい。マドンナなんて昔のシリーズ映画歴代ヒロインくらいでしか聴いた事はないが、とにかくそう呼ばれている。

 なぜこんな話をしているかと言えば、俺がその山桜雫に告白をしなくてはならないからだ。


「なあ、マジでしなきゃいかんか?」


 俺は、目の前に座る友人達にそう言うも、やつらは意地の悪い笑いを浮かべて「当たり前だろ」と言った。言い方は違っていたが、それぞれ意味は一緒だ。


「いいじゃん。どーせフラれるんだからさ」


 そう言ったのは、友人の一人である小倉千尋おぐらちひろだ。キューティクルが自慢できそうなほどさらさらの黒髪を、清潔感が失われない程度まで伸ばし、温和な笑みが特徴的。


 容姿的には王子と呼ばれていても違和感がない程度にはイケメンだ。華奢な体はスタイルがよく、制服の学ランが高級ブランドのスーツみたいに決まっている。


「そうだぞ、来島。むしろこの学校に通う男は、一回マドンナ先輩に告白するという通過儀礼を済まさなちゃいけないんだぞ」


 もう一人の友人、柴健太郎しばけんたろうはそう言うと、いやらしい笑みを浮かべる。雫の痴態でも思い浮かべているのかもしれない。


 柴健太郎、あだ名はシバケン。黒髪の無造作ヘア(っていうか、多分ファッションに無頓着だから適当に伸ばしてるだけだろう)で、千尋とは反対に肥満体質だ。身長は平均的だが、横への伸びは目を見張るものがある。

 鼻もぷっくりふくれていて、なんだかマスコットキャラみたいだと思うときがたまにある。


「そんな通過儀礼聞いたことねえよ」


 俺達は昼休み、暇だったので大富豪をする事にした。なぜ大富豪だったのかと聴かれれば、シバケンがトランプをもっていたからだ。

 そして、『ただやるのも燃えねえよな?』と俺達は思い、罰ゲームの相談をした。負けたら山桜雫に告白する。


 もちろん俺は嫌だと言った。しかし、ここで滑稽なのは、俺に負ける気がなかった所。なので結局やることになってしまったが、誰かが負けなきゃ勝ちはないので、その負けた側に俺が落ちたというわけだ。


「マジで嫌なんだけど俺! なあ、罰ゲーム変えねえ? これ以外ならなんだっていいからさ」


 俺は手を合わせ、ついでに頭も下げて懇願するのだが、嫌がる方が罰ゲームとしては盛り上がるという物だ。

 それは俺もわかっているので、千尋が「そこまで嫌がってるなら、やらせないわけにはいかないよね」と春の日差しみたいに暖かで爽やかな笑みを向けてきた時は、「そらそうだわな」と思った。


「そこまで嫌がる理由がわからないな。別に失敗したからってからかいやしないって。面白がりはするけど」


 シバケンはそう言いながら、すでに頬を膨らませて笑いをこらえているようだった。こいつ、もう俺がフラれるとこ想像してやがんな。


「シバケンの言う通りだよ、志郎。この学校の生徒なら、誰だってマドンナ先輩にチャレンジしたいって気持ちは理解出来るし、失敗して当たり前なんだから、いいじゃないか。こんなに気が楽な罰ゲームもないだろ?」


「俺にとっちゃそうじゃねえんだよ……」


 千尋とシバケンは、『何言ってんだこいつ』とお互いに見つめ合う。

 こいつらとは高校で出会ったので、知らなくても無理はない。


 俺と雫は、幼馴染なのだ。


 幼い頃は男女の垣根という物が今よりも小さく、ちょっと足を上げれば余裕で乗り越えられる程度の物だったので、当時は男女仲良く混じって遊んでいた。


 幼稚園でもそれなりに仲のいいグループという物はある。俺の所属していたグループに山桜雫はいた。彼女は俺より一つ年上だが、それでもなぜか俺の後ろについてくるような女だった。


「どっちが年上なんだかわからないわね」とは、幼稚園の先生が言った言葉で、それは俺も、そしておそらくは雫以外の人間はみんなそう思っていただろう。


 だが、俺の背が伸びるのと同じく、男女の垣根はどんどん大きさを増して行き、小学校高学年にもなると、男が女と遊ぶのは恥ずかしい、みたいな自意識が芽生えてくる。雫は変わらず俺の後ろをついてきていたが、俺はある日、そんな雫が鬱陶しくなってしまい、


「お前、自分の友達と遊べよ。俺は自分の友達と遊ぶんだから、ついてくんなよ! ウゼーよ!」


 そう言った。

 俺は間違ったことは言っていないし、語調が強かった事と最後の「ウゼーよ!」を除けば、別に酷い言葉でもない。だから後悔はないのだが、雫にはショックだったらしい。涙目になって走り去り、それ以来俺とヤツは疎遠だ。


 この学校の『山桜雫』が、俺の言う『山桜雫』とは違うんじゃないかという可能性だってもちろん考えたが、こっそり顔を見た限り間違いなかった。


 だから、よく考えてみてほしい。かつて「ついてくんなウゼーよ」と言った幼馴染に、「やっぱ好きです!」と言う情けなさ。そして、疎遠になっている幼馴染と再会する気まずさ。


 俺はその事実を隠して、雫に告白するのは嫌だと散々駄々をこねたのだが、千尋から「なら同じクラスの女子でもいいけど?」と言われ、俺は降参した。


 同じクラスでそんなことしてたら、マジっぽくて嫌だった。雫なら、記念受験と同じ物だと思ってもらえる。


 どっちも嫌だが、今よりも過去の方がいい。

 なので、俺は雫に告白する事にしたのだった。




  ■




 どうでもいいことではあるが、俺は屋上が好きだった。


 青空の下、お気に入りの音楽を聴きながら読書する。これが最高の幸せで、横にコーヒーや軽い甘味なんかがあるとなおよし。


 つまり、学校の屋上は俺に取って憩いのスペースなのだ。告白といえば屋上、みたいなイメージはあるが、俺はそんなスペースでわざわざ変な思い出を増やしたくはなかったので、ルーズリーフに書いた簡素な呼び出し状には『放課後、校舎裏に来てください』と書いて、雫の下駄箱に入れておいた。


 そんなわけで、放課後。


 俺は校舎裏で雫を待っていた。

 時代が時代なら、ヤンキー達のたまり場になっていそうな死角ではあるが、今の時代にそんな連中はおらず、もっぱら告白スポットになっている。近くに焼却炉と、非常階段がある以外は何も無い。


 千尋とシバケンは、その非常階段の影に隠れて、こちらを窺っていた。どちらの顔もニヤニヤしている。俺がフラれたら盛大に笑う気満々、って顔。


 気楽なモンだ。俺は地面を軽く蹴っ飛ばしながら、とっとと来てくれないかなと願っていた。サッと告白して、終わりにしてしまいたい。


「クソったれめ」


 俺がそう呟くと、砂を踏む音が聞こえ、その音がした方へと視線を投げる。

 今校舎裏に入ってきたと思わしき彼女は、昔の面影をそのまま残していた。


 長いまつげを揺らしてまばたきをする彼女は、それだけで何か蠱惑的なビームでも飛ばしている様に見える。

 まるでそれ自体が光を放っている様に艶のある黒髪を背中の中程まで伸ばしていて、身長は女子にしては高めだが、頭も小さいし姿勢もいいので、より長身に見える。


 セーラー服で包むには、少しインモラルすぎる女性的な肉体は、男子生徒の無用な想像力を掻き立てることだろう。


 顔も、白い肌はファンデーションいらず。しゅっとした細い顎、高い鼻と、ほんのり赤い桃みたいな唇。和風美人と言うべきか、その顔は雪景色、あるいは白い花を思わせた。


「あー、ども。俺の事、覚えてまス?」


 俺はそう言って、軽く手を挙げた。

 実際、覚えていないわけがないだろう。名前は出てこないかもしれないが、何年も友人をやっていた間柄なんだから。


「もちろん、覚えてるよ。来島志郎、でしょ? 敬語なんていいよ。昔みたいに、ため口で」


 くすくすと品良く笑う雫にそう言われ、「俺も似合わねえと思ってた」と口調を戻す。久しぶりの再会で、距離感を図り損ねたらしい。


「懐かしいな。同じ学校だったんだね」


 やっぱり雫は知らなかったか。まあ、俺と雫は家もそう近いわけじゃないし、中学からは別の学校だったし。そもそも俺はそんなに有名な生徒というわけじゃないので、向こうが知らないのも当然だ。


「まあな。そっちは元気そう、っつーか、人気者じゃん」

「かもしれないけど、マドンナなんてあだ名は恥ずかしいよ」


 そう言って、雫は笑っていた。俺も、愛想笑いを浮かべる。

 なんだ。雫、あんま昔の事気にしてないっぽいな。


 まあよく考えれば当然か。あんな昔の、それも子供のたわ事なんぞ、普通高校生にもなれば忘れているし、仮に覚えていても、大した意味が無い事くらいわかる。


 雫は前髪を掻き上げ、「それだけじゃないんでしょ? 用事はさ」と微笑んだ。


 俺がこれから何を言うかわかっていての微笑みなんだろうか。

 まあ、なんであれ、俺は罰ゲームをこなすだけだ。


「あー、その、なんだ。実はだな、言いたい事があって」


 さすがに罰ゲームでも、告白となると緊張する。俺は一度深呼吸してから、覚悟を決めた。


「俺がお前の事好きだって言ったら、笑う?」


 言ってから、何やってんだ俺はと自己嫌悪。せめて男らしく『好きだ!』の一発だけにできなかったのか、と。


 だが、雫は一瞬だけきょとんとして、「笑わないよ」と言った。


「え、マジで?」

「だって、嘘でしょそれ?」


 今度は俺がきょとんとする番だった。なんてことだ。バレてたんか。


「なんでわかんだよ」

「告白された事が多いから、なんとなくね。罰ゲームとか、そういうのかな? 真剣味がないの、バレてるよ」


 さすが、告白される側のプロは言う事が違う。


「でも、ちょっと付き合ってみない? 私達」

「……なんだと?」


 俺はさっきから驚かされっぱなしだ。今、こいつはなんて言ったんだ?

 付き合ってみない? だと? それはちょっと近所に出かけようとか、そういう話じゃないよな。男女交際という意味の、付き合ってみようって意味だよな。


「なんで俺とお前が付き合うんだよ。俺は、罰ゲームでお前に告白しただけだぞ。お前と本当に付き合いたい男なんぞいくらでもいるだろうが」

「私は誰とも付き合う気はないの。でもさ、フリーでいるといろいろめんどくさいの。『一度だけデート行ってみたら俺の良さがわかる』みたいな人もいるし。だから、誰かと付き合ってるって事にすればそういうのなくなるでしょ? でもそれだって誰だっていいわけじゃないし、志郎ちゃんなら信頼出来るから」

「なるほどね」


 そういう事か。学園のアイドルっていうのも大変だ。男子に笑顔を振りまくって義務があるんだもんな。でも彼氏がいれば、その笑顔は彼氏だけで済む。その彼氏が偽物なら、笑顔を作らなくて済む。


 それに、俺は少しだけ罪悪感があった。当時の俺が間違った事を言ったとは思わないけれど、それでも雫を突き放してしまった事は事実だし、どうせ再会したのならそれなりに友好的な関係性を保っておきたい気持ちもある。


 なので、俺は「わかった。なら、お前が本当に好きなやつを作るまで、彼氏役引き受けるよ」と深く頷いた。まるでそれが誠意の証だと言わんばかりに。


「うん、お願いね。ありがと、志郎ちゃん」


 昔の様に『志郎ちゃん』と呼ばれるのは、少しばかりむず痒い物がある。

 俺達は互いに連絡先を交換し、先に戻るという雫を見送ってから、千尋とシバケンのところへ向かった。


「なんか妙に長い事、っていうか友好的な感じだったね。どうだったん?」


 鉄製の階段に座っていた千尋は、立ち上がってズボンのケツ部分を叩きながら、俺に訝しげな視線を向けた。それはシバケンも一緒だった。


「いくらマドンナ先輩が優しい人でも、あそこまで友好的なのはありえなくね? 初対面で告白してんだもんな?」


 乙女心という男史上最大の謎に挑む科学者のように眉間に皺を集めるシバケン。

 俺はそんな二人に、にやりと笑って、一言。


「俺、雫と付き合う事になった」


 罰ゲームで、しかも代役だが、相手は学園のアイドル。

 それを聞いた二人の驚いた顔といったら、逆にこいつらが罰ゲームを受けた様でさえあった。

 さすがに、ちょっと優越感あるよな。梅雨明けの青空みたいに、胸がスッとした。



  ■



 志郎ちゃんに告白された。


 その事実は、私の胸の中で大きく渦巻いていた。

 下駄箱へ向かう途中、誰かに見られるかもしれないというのに、にやける顔を押さえられない。


「くふっ……くふふっ……!」


 志郎ちゃん以外の男の名前なんて覚える気もないけど、この罰ゲームを提案してくれた友達の名前くらいは、覚えてあげてもいい。なんなら、結婚式の仲人に呼んでもいいくらいだ。


 ここが自宅なら、きっと大声で笑って、ゴロゴロ転げ回る。それくらい嬉しい事だ。



 本当は、私から告白するつもりだったのに。



 志郎ちゃんから『ついてくるな』と言われて、私はショックだったけど、だからこそ彼にふさわしくなれるように努力した。男性の好みと言われる性格、ファッション、立ち振る舞いをマスターして、マドンナとまで呼ばれる様になった。


 志郎ちゃんにあまり効果がなくて、志郎ちゃん以外の男が食いついたのは計算外だったけれど、というか興味もないけど。


 だが、最終的には結果オーライだ。

 偽物とはいえ恋人関係。

 偽物とはいえ相思相愛。


 後は本当に志郎ちゃんが私を好きになってくれればいい。運命の赤い糸で結ばれた私なら、それができるんだから。


 私の思い描いたプランでは、もう少し大人になってから再会して、そして運命的に距離を縮めるはずだったのだけど、私のプラン以上のスピードで事が運んでいる。


 これを運命と呼ばないのであれば、この世に運命なんて物は存在しない。


 私と志郎ちゃんは、やっぱり運命で結ばれている。


 高校だって相談したわけじゃないのに一緒だし、こうして友達からのサポートもある。

 後は、志郎ちゃんに近寄る女どもに気をつけながら、二人で愛を育んで行けばいい。


 完璧だ。一部の隙もない。これほどスマートに事が進むとは思っていなかった。


 明日からは志郎ちゃんについて回ってもいい口実ができたのだから、明日は授業以外ずっと志郎ちゃんといよう。


 そうだ、お弁当も作って上げよう。昔の通りなら、志郎ちゃんは甘い玉子焼きが好物だけど……。

 まあいいや。今は連絡先だって知ってる。私は志郎ちゃんに連絡してもいいんだ。

 初めての電話で、好きなおかずを聞いてみよう。


 いままでどこか単調だった景色が、今は私を楽しませる使命を帯びたみたいに、きらきらと輝いていた。


 これが幸せの景色なんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る