第3話『こっちは甘いよ』
高校に入学してすぐ、すごい美人がいると新入生の間で話題になった。
別になんてことはない、どこの学校にも大なり小なりある話題だと、私は思っていた。
私に直接関係ないしね。部活の先輩となれば話は別だが、部活になんて入ったら志郎と遊ぶ時間はなくなるし、したい事もないのでそれはない。
じゃあ、もしも志郎に惚れられたらどうするか、という話だが、当時の私はその話を思いついた自分を恥じた。
バカじゃないの、と口にさえした。
だってそうでしょ。学校のマドンナ(古いあだ名だなぁ)が、どうやて目立つわけではない志郎に惚れるというのだ、と。
そんなわけで、私は志郎と無事同じクラスになったことを、単純に喜んでいた。
「これはもう、腐れ縁と言ってもいいかもしれんね」
まだ人の少ない新しいクラスで、私の目の前に立つ志郎は、神妙な顔で顎を擦りながらそう言った。
「人との縁を腐ってるなんて言っちゃいけないぜ、志郎」
と、私は笑いながら志郎の肩に軽く拳を当てた。
「お前、大学までおんなじだったら、俺に惚れてると判断するからな」
「はいはい」
もう判断してくれていいから、と思うが、言わない。こんなところで言って振られでもしたら、高校三年間いい笑いものだ。
「志郎と渋谷って、ほんと仲いいね」
そこへ、クラスメイトの小倉千尋がやってきた。
女の私が心配になるほどの痩せた体、羨ましくなるくらい艶やかな黒髪と、すでに評判のいい噂が飛び交うほどのイケメン。
志郎が、「俺が女だったら、あいつを王子って呼んでるよ」と言うほどだ。
彼と志郎が仲良くなったのは、入学初日。
私が「なんか食べて帰ろう」と志郎に提案すると、「今日は家に帰ってジョーのアルバムをヘビロテする予定がある」なんてナメた事を言い出したので、「いつでもできんじゃんそんなの!」と少し言い争っていたところにやってきて、
「ジョーって、ジョー・ティーチ?」
と、私が今まで志郎以外から聞いたことがない名前をいとも簡単に言ってのけ、一瞬で志郎と仲良くなった。
あの時の喜んだ志郎は、今まで見たことなかったなぁ。
私を放っておいて、小倉と「ジョーはやっぱセカンドアルバムの三曲目だろー」とかいろいろ話していたので、私も気概を削がれてしまい、その日はそそくさと帰ったっけ。
「まあな。中学からの付き合いで、同じ中学から来た唯一のダチっ子だしよ。大事にしなくっちゃな」
と、なぜかしたり顔で言う志郎。
私は「大事にしなくっちゃな」の一言が妙に嬉しくなって、顔が赤くなるのを感じていたが、しかしまぁ、小倉と話すのに夢中だった志郎がそれに気づくことはなかった。
「ふふっ、羨ましいよ。僕は仲のいい女の子とかいないから」
そう言って、小倉が優しげに微笑んだ。
「あぁ? 嘘つけって。お前が女子と仲良くないわけないだろ」
「んー……。なんでか知らないけど、どうにも女の子は苦手でね。ちょっと押しが強いっていうか、怖いっていうか」
傍から聞きながら、「そりゃそうだろうな」と思った。
私は志郎つながりで、小倉とはそれなりに話すが、それだけでも女子にはかなり羨ましがられるし、彼女の有無を訊かれたりする。
「けっ、イケメンの贅沢ってやつだな」
そう言いながら会話の輪に入ってきた、ちょっと太った小倉とは対称的な男。
彼の名は柴健太郎。入学初日、「友達作り頑張るのめんどくさいから友達になろうぜ」といきなり志郎と小倉に言い出し、そしてまんまと二人と友達になった、よくわからない男。
「俺なんて女子にグイグイ来られた事ねえよ、クソぉ」
「俺もだ。今日は千尋放っといて、傷でも舐め合おうぜシバケン」
「おぉ、だったらよぉ、今日は家で映画観賞会でもしようぜ」
志郎とシバケンは、悲しそうに肩を抱き合って、小倉を睨んでいた。
……まぁ、確かに志郎に対して、グイグイ行った事はないが、ここに一人いるんだけどなぁ。
「ずるいなぁ。僕も入れてくれよ、友達だろ?」
「わぁーってるよ。でも彼女作ったとか報告してきたらお前を殴るからな」
シバケンは握り拳を作って、小倉の肩を軽く叩いた。まぁ、なんと言うか、男のこういうところがよくわからない。女子なら彼氏ができたら、おめでとう、と言って祝ったりするが。
本気で殴るとは言ってないんだろうけど。
「あぁー、ちょっとストップ」
そこでようやく、私も会話に割り込む事に成功した。
男三人がキョトンとした顔でこっちを見てきて、ちょっと驚く。
「志郎、アンタ今日は私と約束あるでしょうが」
「へ? そうだっけ」
と、志郎は首を傾げて、数秒ほどしてから「あぁ、そういや朝したっけか」なんて、とぼけた風に言った。
「え、なんだよ志郎。お前さっき俺とモテないモテないって嘆きながら、その裏でデートの約束してたのかよ!?」
目の前で餌を踏んづけられた野良犬のように、志郎に食ってかかるシバケン。
いいぞ、もっと言え。
「デートじゃねえっての。見ろこれを」
と、志郎が自分のスマホを少し操作してから、シバケンと小倉に見せる。
私が朝見せられたままなら、そこにはカップル限定の中華まんの情報が載っているはずだった。
「これを見せられてデートじゃないな、って納得する方が難しくね?」
もはや噛み付くには状況がわからなさすぎるのか、シバケンは志郎の正気を疑っているみたいに眉を歪ませていた。
「バッカ! これはなぁ! 下仁田ネギがたっぷり入ったネギ肉まんだぞ! それがなぁ、なんでか知らねえけどカップルしか買わせてくれねえっていうから、梢についてきてくれって頼んだんだ!」
「お前なんでそんなネギ好きなんだよ」
冷静なシバケンのツッコミ。どうやら、志郎が熱くなりすぎて、シバケンの方が冷静になったらしい。その気持ちはすんごくわかる。
私も朝、「カップルになって俺と一緒に肉まんを買ってくれ」と言われた際、後半の不自然さをガン無視して、カップルになって、だけで喜んでいたところにそんな説明をされた物だから、一気に喜びが冷めてしまった。
「ま、確かにそれじゃあデートじゃねえわな。色気がなさすぎる」
「はは……。残念だね、渋谷」
「うっさいわ」
シバケンと小倉には、もっとデートであることを念押ししろ、と思わないでもなかったが、この説明を聞いて色っぽい事を想像するほうがちょっと無理くさい。
「あぶねえ、なんで忘れてたんだろ。早速行こうぜ梢」
「はいはい。ついてってあげるわよ」
そうして、私と志郎は、二人と別れて教室を出た。
同じように帰宅する途中なのか、はたまた部活に向かうところなのか、何人かの生徒とすれ違う。
そんな中、すれ違ったんだ。
山桜雫に。
「おっ」
最初に気づいたのは志郎だった。
向かいから、長い髪を靡かせて歩いてくる彼女に、志郎は美術品でも見たように溜息を吐いた。「よくわかんないけど、綺麗ですねぇ」とでも言いたげな顔。
「あぁ……山桜先輩じゃん」
私はその時、まさかあんな因縁ができるとは思っていなかったので、なんの気なしに言った。
先輩は、私達をチラッと見て、通り過ぎていく。この時、私と志郎を見て、何を考えていたのか、後になって考えてみればよくわかる。
私と先輩の立場を逆転させれば簡単だ。
「すっげえよなぁ。あんだけ綺麗で、頭も良くて運動神経も抜群なんだろ?」
「珍しいじゃん、志郎が女に興味を持つなんて」
「え、ちょっとやめて。俺が男好きみたいじゃん。普通に女の子好きだわ」
と、誰か男と抱き合っている自分でも想像したのか、気分悪そうに唇を横一文字に結ぶ。
「あだ名がマドンナだもんね。珍しさで興味を示したってわけ?」
「あぁ。マンガみてぇじゃん。――それに、なぁーんか気になるっつうかさ」
「へ?」
まるで風が私の後頭部を撫でていったみたいに、ざわつく。
志郎は別に普通の男だ。だからこそ、山桜先輩に興味は持っても、本気にはならない。そう思っていたのに、私の計算違いだったのか? と。
「それって、山桜先輩を狙うってこと?」
「バーカ。そんなんじゃねえっての。ま、やっぱ綺麗な人だからな。俺も男だったってことか」
「現実見なよ、志郎。アンタが山桜先輩と付き合うなんて無理だから」
志郎は、大きく口を開いて笑い、「わかってるって」と言った。
そうだよ、志郎。
現実はもっと簡単だから。
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