第4話『初めて、指先の温もり』
■
雫と梢、二人の事を考えてみるが、俺はどちらも大切だという、堂々巡りの考えしかできず、溜息を吐いていた。
生暖かな風が頬を撫でる帰り道、梢とキスしていたのを雫に見られた帰り道。
家に帰って寝れば、明日が来てしまう。
明日が来れば、二人に会う事になる。
――向かい合わなきゃ、ならなくなる。
溜息を吐いて、それが二人に失礼な気がして、また溜息を吐く。
俺はモテないタイプだと思っていたし、かと言って彼女がまあ、人生で一人くらいはできるだろうという希望は持っていたが、まさかこんな状況になるとは思わなかった。
二人は大事な友達だし、おそらく、恋愛感情に近い物を持っているのもまた事実。
どっちの方が好きとかは、考えられない。
だから俺は、あの二人がすごいと思う。
あんな風に誰かと争う事になっても、好きだと言えるのは、本当にすごいと思う。
俺は……そういうのが、よくわからない。
考えながら、一歩一歩、ゆっくりと帰路を歩いた。このままどっかに行っちまいてえな、と考える頭は無視して。
■
帰宅して、風呂に入りベットで寝転がりながらジョーのCDを聴いていたら、いつの間にか寝ていて、朝日に起こされた。
なんだかんだ言っても、心はどうにも疲弊しているらしい。ものすごく学校を休みたかったが、正当な理由もないのに休むと、母ちゃんがうるさい。
これは正当な理由にならないかな……と思ったが、いきなり女の子二人から言い寄られて困ってます、なんて言ったら、母ちゃんの性格上信じないし、仮に信じさせても「情けない」の一言で封殺されるのが落ち……。
俺は寝癖だらけの頭を掻きながら部屋を出て、洗面台で髪をセットしたり顔を洗ったりしていたら、インターホンが鳴った。
顔をタオルで拭いていたら、キッチンから「志郎ぉー! ちょっと出てー!」と母ちゃんの声。
きっと朝飯を作っているんだろう。俺のほうが玄関に近いし……。
「はぁーい。今出まーす!」
と、俺は玄関の扉を開ける。そこには
「やっほー志郎。迎えに来たぜ!」
親指を立てて、歯を見せて笑う梢がいた。
「……はぁ」
思わず溜息が出ていて、顔もどうやらしかめっ面になっていたらしい。梢が俺のトレーナーの胸ぐらを掴み、不敵に笑い、俺の頬に軽くキスをした。
「おほほほっ。お迎えに来てあげたわよー志郎ちゃん。あんた学校サボるなじゃないかと思ったからねー」
「お前、いい加減にしろよ……。付き合ってるわけでもねえのに、こんな……」
「ふん。あんたが悪いのよ。三年以上もこっちの片思い無視しつづけて」
「しっ、知らねえよ!? そんならとっとと言えばいいだろ!」
「はぁ!? 言えるわけないでしょうが! 言って関係が壊れたらどうしようとかいろいろ尻込みする理由があんのよ!」
なんでそんな事を考えているやつが、キスしたりグイグイ押しが強かったりすんだよ。
「ったく。ホント、デリカシーってもんがないんだから志郎は」
「……」
まあ、確かに子供の頃から、デリカシーというものにトンと疎かったが……。
小説はよく読むが、どうも恋愛パートはよくわからなかったが、最近は理解できそうだ……。またチャレンジしてみてもういいかもしれないな。
「そんじゃあ、学校行こうか志郎」
「まあ行くのはいいんだがよ。俺まだ朝飯食ってねえんだ」
「……とっとと食べなさいよ」
「ふざけんな。料理はゆっくり味わって食べる。たとえ遅刻しそうになってもだ」
「あんたのこだわりが妙にわからないわ……」
そんなわけだから、先に行けと雫を追い返そうとした時、背後から母ちゃんが俺の肩を叩いだ。
「いーじゃない。梢ちゃんに上がってもらえば。あ、朝ごはんまだだったら、食べてく?」
「いいんですか? んじゃあいただきます!」
と、梢は靴を脱ぎ散らかし、リビングへと向かっていく。何度も来たことがあるからか、勝手知ったる……という感じだ。
母ちゃんが俺の肩に置いていた手で、今度は背中を叩いた。
「痛っ!?」
「梢ちゃんなら付き合うの許す。いい子だし、あの子、絶対あんたの事好きだからね」
ゴキゲンな顔で、母ちゃんもリビングへと引っ込んでいった。
それ、もっと早く言って欲しかったんだけどなあ……。
とはいえ、他人から「あの子はお前の事好きだぜ」とか言われても、絶対信じねえしな……。
恋愛ってのは難しいな、と思いながら、俺は二人の後を追いかける様に、家の中に戻った。
両思いならサクッと付き合える、そういうもんでもないのが恋愛なのかね。俺にはまだ、よくわからない。
制服に着替えてからダイニングに行くと、既に三人分の食事が並び、梢と母ちゃんが向かい合って、談笑しながら飯を食べていた。
用意すんの早えな、と思ったが、おそらく朝飯の残りを昼飯にでもするつもりだったんだろう、と納得して、俺は空いていた梢の隣に腰を下ろした。
焼鮭と納豆に、ネギがたっぷりの味噌汁に銀シャリ。そこに漬物がついているのが嬉しい。
「いただきます」
俺は味噌汁に手をつけ、啜る。相変わらず母ちゃんの料理は上手い。
「お母さん料理上手ですね……」
と、隣に座っていた梢が、感動したように、バクバクと遠慮なく皿の上に乗った料理を片付けていく。
「まぁーね。これでも元プロなんで」
「へ?」
なんの気なしに言った母ちゃんの言葉が飲み込めなかったのか、マヌケな顔をする梢。
「昔は街のレストランでシェフやってたのよ。結構評判よかったんだから」
「へえ……。ってことは、志郎が才能を受け継いでたりは?」
「残念。俺ってば親父似なの」
そう言いながら、俺は柴漬けを口に放り込む。カリカリの歯ごたえに、赤しその酸っぱさが米を誘うようだ。
「料理できる男はモテるから、って教えようとしてんだけどねえ」
クスクス笑う母ちゃんだが、俺はそんな言葉に騙されるほど単純じゃないの。
「料理できるってアピールできる段階でモテてんだろうが」
「あははっ! 確かに!」
と、梢が箸で俺を差す。やめなさい、行儀悪い。
俺がやったらおそらく茶碗が飛んでくるだろう行いだったが、母ちゃんは「やっぱり娘っていいわあ」とでも言い出しそうな笑みで、梢を見ているだけだった。
同じような視線を高校時代にされていたら嫌だろうに、親ってこういうところあるよな。
「それに、もう志郎はモテる必要ないもんねえー?」
「へえ、このバカモテるの?」
息子をバカ呼ばわりとはどういう了見だ、と言いたいが、それよりも梢の言葉を止めた方が良いのか迷った。
「んなわけねーだろ。彼女なんていたことねえよ」
「これだもの。高校生にもなったら彼女の一人くらいできてるもんでしょ」
「うるせーなぁ……」
今その話題が一番聞きたくない。
ちょっと前ならリアリティがなかったので聞き流せたが、隣に梢がいるし、今は雫との事も考えなきゃいけないしで、その話題は胃袋の中に石を詰められたような気持ちにさせられる。
「志郎はモテますよぉ。ウチの学校で一番の美人に好かれてるくらいですもん」
「あらっ、そうなの?」
「いやっ、それは――」
俺は、余計な事を言うんじゃない、という意味で梢を睨む。だが、やつはウインクして、舌をちろりと出すだけで、まったく俺の意図がわかっている感じはしない。
「なんでお母さんにそういう面白そうな事黙ってるかなあ」
「言うわけねーだろ! どういうメンタルでそれを母親に報告すんだよ!?」
くっそ。全然飯が味わえない。最近、ゆっくりと飯を食える機会っていうのがあんまりないんだよなぁ。
「どうすんの、志郎は。付き合うの?」
それめっちゃデリケートな問題だから、あんまり俺に振らないで、と思ったが、俺以外に誰が応えられるのか、という気持ちもある。
「そうそう。それに、あたしからの告白の返事もまだだもんね、志郎?」
「えええッ!?」
大声を出したかと思えば、俺と梢を交互に見比べる母ちゃん。
「おまっ、梢!?」
「あらっ、あらあらあら……。志郎ってば、お父さんと違ってモテるんだから……」
親父ってモテないタイプなの? あんま聞きたくなかったんだけど。
――でもまあ、そりゃそうか。髪はボサボサで野暮ったいメガネしてて、本さえあればそれでいい、みたいなタイプだもんな。
俺の読書好きの直接的な影響は、行きつけの古本屋のお姉さんだが、元々の素質みたいなものは親父から受け継いでたのかもしれない。
「まあ、ここまでからかっといてなんだけど、大事なことだから、私からは何も言わないけど、しっかり考えなさいよ志郎」
「……わかってるって」
俺はいきなり真面目に返された所為で困惑してしまい、照れ隠しというわけではないが、なんとなく間を埋める為に味噌汁を啜る。
「志郎もお母さんには、頭が上がらないってわけだ」
言いながら、梢は俺の腕を肘でつつく。
「今はお前にも頭が上がりそうにない……」
ちょうどその時、俺はふと、梢の箸の持ち方が気になった。
「お前……よくみると箸の持ち方変じゃねえか?」
「へ? そうかな」
「あぁ。人差し指と中指、親指で上の箸を動かすんだよ。下の箸は動かさねえの。お前はちょっと先端の方すぎるんだよ持ってるとこ」
「えぇー、いいよめんどい」
「正しい箸の持ち方だと豆腐も持てるんだぜ」
「だからなによ」
えぇー。俺はこの一言で箸の持ち方を練習したってのに。
「まあ、練習くらいしようぜ」
それ以上、説得する言葉も思いつかなかったので、俺は梢の手を掴んで、箸の持ち方を正しく直そうとした。
「ちょっ……! し、志郎……」
梢は、何故か顔を真っ赤にして、梢の手を握る俺の手を、ジッと見つめていた。
「ご、ごめん……離してくれる……?」
何故か目を潤ませて、俺を見つめる梢。
「え、あ、おう……。なんか悪い……」
俺は首を傾げ、梢を見た。なんだ、そのリアクション。なんでそんな恥ずかしそうに……?
「し、志郎は意識してないかもだけど……。志郎から触られたの、初めてっていうか……」
そんな、絞り出すような梢の言葉を聴いて、俺は顔に火がついたような熱を感じた。きっと顔が真っ赤になっていることだろう。
――でもまあ、確かに、普通恋人でもない女の子に触れる機会なんて、そうそうない。
俺はなんだか無性に恥ずかしくなって、梢から目を反らし、飯に集中する事にした。
あぁ、味が全然わかんねえ。
「やれやれ……若いわねえ」
母ちゃんがそう言って、呆れたように溜息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます