第5話『縛られたままでいる必要はない』

 意図せずして、ではあったが、母親の前で照れくさいシーンを演じるハメになってしまった俺達は、気持ち急ぎながら飯を食べ終わり、家を出た。


「あはははっ。いやぁ、朝から乙女力全開でお恥ずかしい」


 と、顔をほんのり赤くしながら、頭を掻く梢。

 そのセリフもちょっと恥ずかしいわ。


「俺まで巻き込むのやめろよな……。家帰りたくねえよ今日。母ちゃんに何言われるか、わかったもんじゃねえ」


「んじゃあウチ来る? 妹と両親いるから二人きりじゃないけど」

「行かないけど、お前と二人きりだったら尚更行かないわ」

「はぁ? なにそれぇ」

「変な事するつもりだろ」

「それどっちかって言うと私のセリフじゃないの!?」

「悪いけどな、俺はこの状況でケジメついてない内から、いやらしい事が出来る人間じゃないの」

「知ってる知ってる。じゃなきゃ好きになってないって」


 俺の顔がまた真っ赤になった。

 こいつと会話すると俺が恥ずかしい感じになる……。


「その感じ、押さえてくれよ。これから雫の事も考えなきゃなんないし……、あんまりあいつを刺激したくないんだよ」

「んじゃ、あたしからも一つ」


 ビッ、と人差し指を立て、俺を見上げる梢。


「あたしの前で山桜先輩の話はやめて」

「はぁ? なんで。というか、この問題はお前が首を突っ込んできたから――」

「んじゃあ、あたしがさ、隣のクラスの男子にすごいアプローチされてるんだけど、満更でもないから付き合っちゃおうかなぁーとか言い出したらどう?」

「いや、そんな感じの話じゃなくね……?」

「変わらないよ。それで、どうなのさ」


 俺は考えてみた。

 梢が、俺のよく知らない男からアプローチされて、そして付き合うところを。

 いま、梢の隣に立っているのが、俺ではなくて、誰か知らない男で――。


「べっ、別に……好きにしたらいいだろ……」


 本当なら、もっとあっさり言ってやるつもりだったのだが、梢から目を反らした上に、軽くどもってしまった。

 ちらりと梢を窺うと、やつは思いっきり口角を釣り上げ、俺の肩をバシバシ叩いた。


「やっだぁーもう! 志郎ってばヤキモチぃ!?」

「叩くな! 妬いてねえよ!」

「べっ、別に……好きにしたらいだろ……」

「真似すんじゃねえ!」


 ケラケラ笑いながら、その後、梢による俺のモノマネを聞きながら登校するハメになった。

 まあ、恥ずかしいは恥ずかしいが、やっぱり梢と一緒にいるのは楽しい。改めて、そう思った。



  ■



 登校しても、授業間の五分休みでも、雫が俺のクラスにやってくる事はなかった。

 会うとどうしても重い話になるしかないので、来ない事に対してホッとしている自分がいて、俺はそんな自分を戒めるように軽く頬を叩いてから、昼休みに雫のクラスへと向かった。


 雫のクラスは、三年A組。

 先輩の元を尋ねるなんて、部活もしていない俺にとっては初体験なので、なんだか目立ってんなぁーという被害妄想を抱きながら、雫のクラス前までやってきた。


 そして、ドアをノックしてから開き、近くにいた男子の先輩に


「あ、すいません。しず――山桜先輩、いますか?」


 と訊いてみたら、その先輩はなぜか、俺の頭から爪先までをジロジロ見たかと思ったら、今度は複雑そうな顔をして、「ちょっと待ってろ」と教室の奥へ。


 どうやら雫の席はなんと一番前のど真ん中――つまりは教卓の前であり、それなりに授業を真面目に受けている俺でも嫌な席だ。


 普段の雫なら嬉しそうに駆け寄ってくるんだろうが、何故かフラフラとした足取りで、俺の前に立った。


 その顔を見た瞬間、俺は泣き出しそうになった。


 前髪がはらりと目元まで落ちた、光の無い目。

 俺にまったく期待などしていない、そう言われているようで。


「……志郎、ちゃん」

「し、雫……。あ、あー、と……」


 何を言うべきなんだろう。

 答えが全然見つからない。俺のいい加減な行動が彼女をこうしてしまったのだから、責任を持って何か言わなくてはならないのに……。


 でも、何も言えない。

 言葉は薬じゃないから、心の傷を癒やす事はできない。

 万能薬みたいな言葉があればいいのに。


「ひっ、昼飯! まだだったらさ、一緒に食べないか?」


 やっとの思いでそう言った俺。雫は「うん……」とうなだれるように頷いた。


 さすがにこの状態の雫を、中庭だの食堂だのに連れていくわけにはいかない。目立ちすぎる。


 なので、俺は屋上を選択した。

 屋上が今入れるようになっているのは、俺の周りくらいしか知らないし(だって入り口の南京錠に針金はっつけたの俺だし)、ちょうどいい。


 弁当を作って来なかった、という雫の為に、俺は購買で適当なパンを幾つか買って、一緒に屋上へとやってきた。


 二人で肩を寄せ合うようにして、フェンスに寄りかかり、買ってきたパンを食べる事なく、空を眺めていた。


 それが数分続いて、雫は「もういいよ……」と呟いた。


「なっ、何が? 何がもういいんだよ」

「志郎ちゃんは、あの子の方が好きなんだもんね……」

「ちょ、待てって雫……」


 その瞬間、雫が俺の肩に頭を乗せて、泣き出した。腕にしがみ付くように、顔を見せないように。


「たくさん、志郎ちゃんに好きになってもらおうって努力したんだ……。料理も練習したし、勉強もたくさんしたし……、メイクにファッション……嫌われない様に話す方法……」


 雫の、俺の腕を抱きしめる力がどんどん強くなる。

 痛いくらいだったし、爪が食い込んでいたが、俺はそれを耐えた。


「なぁ……雫、どうしてだ。どうしてそこまでする? 俺は普通の男だし、お前にそこまで思われるほどの事をした覚えがない」


 別にいじめられているところを助けたとか、そういう事もない。特別イケメンだというわけでもなければ、ものすごくいいヤツという事もない。


「私にもわかんない……でも、志郎ちゃんだからするんだよ……志郎ちゃんにはしてあげたいんだよ……」


 その好意はありがたい。でも、俺にはそれを受け取る理由がない。雫のことは好きだ。恋愛感情と言えるかはわからないが……。


「でも、雫……お前が知ってる俺は、きっとまだガキだ。俺達が再会したのは最近じゃないか……なのに、なんで……」

「だったら」


 雫は顔を上げて、俺の目を見つめる。


「教えて。今の志郎ちゃんを。大丈夫、絶対好きになれるから。だって志郎ちゃんだもん」


 何かが違う気がする。

 それは俺を好きになる、という事になるのだろうか。


 わからない。何がどうなって、『好き』という事になるんだろう……。


「雫、お前は俺と関わるべきじゃない……」


 ただそれだけはわかった。

 こいつは、俺に縛られているだけだ。かつて俺が言ってしまった言葉が、たまたま心の深いところに刺さってしまったから。

 だから今でも、俺を好きになろうとしているだけだ。


 多分、そういうことなんだと思う。


「そんな、何を言ってるの志郎ちゃん。関わるべきじゃない? それってどういうこと?」


 雫の目から、どんどん光が消えていく。

 それじゃあ駄目なんだ、雫。お前はもう自由に生きるべきだ。


「お前が俺の為に、いろいろしてくれたのはありがたいと思ってる。でも、お前が俺のことを気にする必要なんてないんだよ。あの時、うざいなんて言って悪かったと思ってる。でもな、あれは照れくさかったからなんだ。本気で言ったわけじゃない。だからって、許されることじゃないとは思うけど……。お前は、傷つけられんだから、俺の事を嫌ってもいいくらいなんだ」


 だから、俺のことは気にするな。

 そういうつもりだったのだが、雫にはどうも伝わっていないらしい。


 雫が俺の顔を両手で包み、唇を寄せてきた。


 払うつもりが、左腕を体でガードされていて、右腕が間に合わず、結局キスを許してしまった。



 甘い果実の味。


 不義の味。 

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